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二階堂琴乃のいない夏〜少女Mの場合


 市立仲本中学(通称・工事中)にも、無論、修学旅行はある。
 今年も例年通り、京都奈良の名所名跡をまわる。
 最後の夜は、京都の旅館に投宿した。
 消灯になっても、修学旅行の夜は終わらない。むしろ、これからが「本番」だ。
 3年A組の男子部屋でもドタバタ大暴れして、引率の教師に怒られたりして、皆渋々寝床に入る。そして、お定まりの「恋話」。主にクラス内の女子の話題で、ヒソヒソ話は俄然盛り上がる。
「やっぱり高倉だよなぁ」
「健子ちゃん、ちょっと不器用だけど、そこがいいんだよねえ」
と美人で胸もでかく、大人っぽい女子に人気は集中する。
「俺は市川だな」
と対抗馬として、可愛い系で明るくノリの良い女子の名前が出て、
「わかるわかる」
「海老子ちゃん、ちょっとヤンチャだけど、そこが魅力なんだよなあ」
と男子たちは同調していた。
「二階堂は?」
と意外な女子の名前を挙げ、反応を伺う者もいる。大泉慶喜だ。
「二階堂って、C組の? 二階堂琴乃?」
 全員爆笑。
「ないない、ありえない」
「だって、アイツ、坊主じゃん」
「顔は可愛いかも知れんけど、坊主頭の女子はないわー」
 女ながら野球部で男子同様頭を丸めている烈女、二階堂琴乃、陰で散々な言われようだ。
「大泉〜、まさか、お前、二階堂のこと――」
 周囲に意地悪い笑みを向けられ、
「違ぇ―よ、そんなんじゃねーよ! ちょ、ちょっとお前らのリアクションを見たくてさ」
と慶喜はあわて、疑惑を打ち消そうとするも、
「だって、なあ、同じ野球部だし」
「小学生から仲良いし」
「怪しーよ」
と追求されていた。
 大泉イジリも一段落し、話はふたたび、好きな女子カミングアウト大会に戻る。
「江崎はクラスに好きな女子、いるの?」
と訊かれ、
「ああ、いるよ」
 江崎茂雄は答えた。機会がないから、誰にも黙っていたが、江崎にも意中の人はいる。
「誰よ?」
と重ねて訊かれ、江崎は一人の女子の名を口にした。
「阿久津夢子」
 江崎が口外した名前に、一同、
「う〜ん」
と反応に困っていた。
「阿久津ってどんなヤツだっけ?」
と確認している者もいる。
「ホラ、金ヶ崎たちのグループにいるじゃん。髪後ろでしばってる」
「ああ、あれか・・・う〜ん」
 確認していた者も、リアクションに窮して、うなっている。
 やがて、
「微妙〜」
という声があちこちからあがった。
「マニアックだなぁ」
といったコメントを漏らす男子もいた。
「う、うるさいなぁ」
 江崎は少しあわてる。
 阿久津夢子(あくつ・ゆめこ)。
 ブスではない。かと言って美少女でもない。平凡な容姿だ。切れ長の目がやや吊り上っていて、
「キツネみたいじゃん」
という男子もいる。
 クラスでも目立たない。かなり地味な存在だ。男子とからむことも、ほとんどない。言ってしまえば、さえない女子だ。同じくさえない女子同士で群れている。繰り返すが、ブスではない。しかし、男子に対して積極的なブスより人気は劣る。 
だから、
「微妙〜」
なのである。
「まあ、アリっちゃアリだな」
と援護射撃してくれる男子もいるが、
「言わない方が良かったかも」
 江崎は後悔気味だ。

 そんな江崎グループの恋話で俎上に載せられているとは知らず、この稿のヒロイン、阿久津夢子は、このとき、
「うわあぁぁ〜、ボウズになりてえぇぇ〜!」
と彼女のグループの部屋でのた打ち回っていた。
「おい、夢子、落ち着きなって」
「先生来ちゃうよ」
 同部屋の女子連は若干引いている。
 きっかけは男子部屋同様――どこの部屋も同じだ――好きな異性の話題だった。
 さえない女の子だって、恋はする。
 彼女らが熱い視線を注ぐクラスメイトの一人が、大泉慶喜だった。
 ルックスも良いし、自信ありげな態度や器用さに頼もしさを感じる。少年ぽさには母性本能をくすぐられる。
 夢子も慶喜には淡い好意を寄せていた。
 しかし、
「大泉君て、C組の二階堂さんといい仲だってウワサだけど」
と言い出す娘がいて、
「え〜?! でも二階堂さんって、ねえ、頭ボウズだし、ねえ?」
「いや、でも二階堂さん、顔は可愛いよ」
「いや、でもボウズだよ?」
「女子でボウズってねえ」
という流れで、女坊主についての話題になる。
 一同、なんと、
「ボウズにしてみたい!」
と意見が一致する。
 曰く、一度くらいはやってみたい
 曰く、サッパリして気持ちよさそう
と女の子には大なり小なり坊主願望があるらしい。
 ただし、
「もし男だったなら、やってみたい」
とか、
「女のボウズが流行ったら、やってみたい」
といった条件がつく。当然だ。
 そんな中、夢子はやたらテンションが高い。いつも目立たない彼女にしては、珍しい。
「アタシ、ボウズにしたいよォ〜」
と熱っぽく何度も口走った。
 夢子は他の女子より、坊主願望が強かった。
 同級生の二階堂琴乃の丸刈り頭を見ては、いつも羨ましく思う。
 琴乃が水道場で、バシャバシャ頭を洗っているところを目にしては、自分もやってみたいと思う。

 夢子の坊主願望について、ちょっと紙数を割く。
 実は夢子はお寺の一人娘だ。
 だから父(副住職)は坊主頭だ。祖父(住職)も坊主頭だ。
 幼い頃、
「ユメコもパパみたいに頭ツルツルにしゅる〜」
と言っては、
「夢子は女の子だから、坊主頭はダメなの」
と母にたしなめられていた。
 たしなめられても、
「いやいや、ユメコもボウズにしゅる〜」
と駄々をこねて、母の手を焼かせていたものだ。
 そんな夢子の漠然とした坊主願望を、決定的なものにする「事件」が起きたのは、夢子が小学校1年生のときである。
 知り合いのお寺の娘さん(大学生)が、いきなり坊主頭にしていて、驚いた。
 八頭大学という仏教系の大学に通っている彼女は、尼僧になるべく、夏休みの間に「研修」を受ける。「研修」の規定により、頭を丸めたという。こうした八頭大学の尼僧志望者の「脱バリカン処女」はキャンパスの夏の風物詩なのだそうな。後で知った。
 長い髪をこれ見よがしになびかせていたお姉さんだったが、夢子の祖父母や両親に、
「床屋でやってもらいました」
と苦笑いして、丸い頭に掌をやって、
「バリカンでバリバリと」
 ――すごい! すごい!
 「床屋」「バリカンでバリバリ」というワードが、夢子のハートを鷲掴みする。
「触っていい?」
 恐る恐る訊いたら、
「いいわよ」
 許可を得て、怖々と初めて女の人の坊主頭を撫でた。ひんやりして、父や祖父の坊主頭の触り心地とは、一味違うような気がした。
 ――気持ちいい〜♪
 アルファー波が出そうだ。
 ――アタシもやってみた〜い!
「夢子、いつまで触ってるのよ」
と母は笑っていた。夢子の中に強烈な坊主願望が根付いたことも知らずに。
 これ以後、夢子は床屋の前を通ると、必ず店内をチラ見した。
 クラスの男子が坊主やスポーツ刈りになって登校してくると、コーフンした。
 本屋や図書館で、女坊主関連の書籍を物色した。
 中でも「ワンパク乙女が行く」というジュニア小説は素晴らしかった。タイトル通り、勝気で腕白な少女が、男しか参加できない神輿を担ぐため、男装しようと、床屋で丸刈りになる場面は、何度も読み返した。
 「床屋」で「バリカン」で「丸坊主」。
 ――やってみてぇ〜!
とあがくように思う。
 しかし世間の目がある。悪目立ちしたくはない。
 ――あ〜あ、男に生まれりゃよかったのにィ〜。
 自分の性が疎ましい。
 鬱屈した気持ちを引きずったまま、中学に進んだら、なんと、同級生の二階堂琴乃が女だてらに丸刈りに!
 野球部の部則に倣ったという。
 ――そんなのアリ〜?!
 あっさり丸刈りになった琴乃に、夢子は激しい羨望と嫉妬をおぼえる。
 ――うわあぁぁ〜! アタシも「バリカン処女」捨てたいよォォ〜!
 夢子は地団駄を踏む。
 幼い頃から抑圧してきた坊主願望が、修学旅行の夜の、
「うわあぁぁ〜、ボウズになりてえぇぇ〜!」
というシャウトにつながったわけである。
 同室の女子たちは引いていたが、
「じゃあさ」
 そのうちの一人が口にした。
「夢子もボウズにしちゃえばいいじゃん」
「え?」
 夢子はキョトンとした顔になる。
「夢子ン家、お寺じゃん? 尼さんになれば、頭全剃りしても、誰も笑ったり文句言ったりしないよ」
 坊主願望を満たすため尼になる。そんなトンチキはいない。
・・・と思いきや、
「なるほど」
 いた。
 一人娘の夢子がやがては、寺の跡を取ることは、すでに本人も納得済みで決まっている。
 しかし、あくまで僧侶になってくれる婿養子を迎える形でと、家族は考えていた。夢子も自分が尼になるという発想はなかった。
 けれど、言われてみれば(言った方は冗談のつもりなのだろうが)、
 ――その手があったか!
 目からウロコである。
 夢子の頭は回転しはじめる。
 もうすぐ夏休みだ。
 その間に得度を受け、尼になる。
 尼さんなのだから、坊主にする口実ができる。
 夏休みなら知り合いと顔を合わさずに済む。一ヵ月半弱の間に、髪を伸ばし直せばいい。
 きっと一ヶ月ちょっとじゃ髪はさほど伸びないだろう。
 しかし、幸いなことに二階堂琴乃という坊主女子の先駆者がいる。坊主女子が一人から二人になったところで、インパクトは薄いだろう。二階堂琴乃を隠れ蓑にして、断髪を実行する。
 だいたい、どうせモテないんだし、だったら自分の好きな髪型にした方がいい。坊主にしてもしなくても、どうせモテないんだし。どうせモテないんだし。
 お寺の子という立場・・・二階堂琴乃の存在・・・非モテ系の現状・・・
 これらをフルに利用し、積年の思いを遂げるのだ。
 ――バリカン処女、捨てるからね!

 修学旅行から帰ると、早速、夢子は父に得度したいと、願い出た。
 旅行先で古いお寺や仏像を拝観して、仏教に興味を抱いた、などともっともらしい理由をつけて。
 父は喜んでいた。
「そうか、そうか」
と何度もうなずき、娘の願いを聞き入れた。ゆくゆくは婿を取るつもりだが、娘が仏の道に関心をもってくれたこと、寺の将来について積極的になってくれたことは、嬉しい。夢子の得度は今後の自坊の地固めになる。
 だから夢子の申し出を歓迎した。が――
「頭もボウズにしなきゃね」
とウキウキする夢子に、
「いや、うちの宗派は剃髪しなくても大丈夫だ」
 得度式で頭に剃刀をあて、剃る真似をするだけだとのこと。
「え〜」
「何、しかめ面してるんだ? 頭剃らなくてもいいんだぞ? 喜ぶところだろう」
 確かに父の言うとおり、普通の女の子ならば諸手をあげて大喜びするはずだ。
 だが、夢子は「普通の女の子」ではない。
「せっかくだからボウズになるよ」
と言う夢子だが、父はとりあわない。
「やめとけやめとけ、坊主刈りなんかにしたら、学校で笑われるぞ」
「むぅ〜」
「坊主になりたいのか?」
「なりたぁ〜い」
「そう言えばお前は、小さい頃も“パパと同じツルツル坊主にしたい”ってしょっちゅうせがんでたなぁ」
と父は懐かしそうに頬をゆるめたが、とんでもない、目の前の夢子はあの頃から十年の間に、彼女の中に坊主願望というモンスターを飼い育て、肥大させ、もはや飼い主でも制御不能になりつつあるのだ。
「ねえ、お父さん、いいでしょ? アタシ、坊主にしたいんだよぉ〜」
「お母さんに訊いてみなさい」
 嬶天下の阿久津家、父は母に判断を委ねる。勿論母は猛反対するだろうことは、目に見えている。
「じゃあ、やめとくよ」
 夢子は諦めた。・・・フリをした。
 下手に説き伏せようとして、せっかくまとまりかけた得度話が流れてしまっては、元も子もない。
 家族の公認をとりつけるより、独断で隠密裏にことを運び、事後承諾させた方が早い。後は野となれ山となれ、だ。
 そんな娘の恐るべき野望など知らず、家族は一粒種の「成長」に顔をほころばせていた。
 得度式の日取りは終業式の次の日、つまり夏休みの初日に決定した。
 夢子の得度をめぐり何枚もの書類が、本山との間で行きかう。
 法名も決まった。
 夢養(むよう)
という。
 袈裟の購入は、
「まだいいだろう」 と先送りにされた。代わりに道服をもらった。
 ――いよいよボウズかあぁ〜! 楽しみ〜!
 夢子の「床屋でバリカンで丸坊主」計画は練り上げられていく。
 断髪式を行う床屋を幾つかピックアップする。実際に下見にも行く。
 老舗っぽい床屋だと、昔気質の職人風の理髪師さんなんかがいて、「女の子が坊主なんて、とんでもない」と断られる可能性が高い(ような気がする)。
 ちょっと今風な床屋にしよう。候補は三軒。
 そこでも断られたら、10分カットのチェーン店で済ませよう。
 二段構え、三段構えで計画を立てる。
 「ヘアーサロン山茶花」という選択肢もある。気になるアイツ、大泉慶喜の家だ。まあ、やめておこう。
 丸刈りの長さについても、調べる。
 せっかく切るのだから、中途半端な長さでは勿体ない。かと言って短すぎても、休み明けまでに体裁が整わない。
 あれこれ調べて、
 一分刈り
に決めた。三分刈りとどちらかにしようか迷った末、選択。
 夜など、自室でこっそり、
「一分刈りにして下さい」
と注文する練習をしてみたりする。
「一分刈りにして下さい、一分刈りにして下さい、いいんです、バッサリやっちゃって下さい」
 何度も口に出してみて、激しくコーフンする。
 髪に手をやって、
 ――もう少ししたら、この髪がなくなっちゃうんだ・・・。
 多少の不安や未練はある。でも、あくまで「多少」で、高揚の方が大きい。
 頭を走るバリカンの感触を想像して、恍惚となる。
 ――ボウズにしたら、どんな感じになるのかな?
と鏡の前で前髪を持ち上げてみる。
 結果、
 ――案外似合うかもォ〜♪
 「マルコメちゃん」になる日が待ち遠しい。
 切った髪はどうするのだろう。もしかして、カツラとして再利用されたりするのだろうか。好奇心から調べてみたら、普通にゴミとして捨てられるという。この近隣のゴミは、焼却された後、埋め立て処分されるらしい。
 ――うわぁ〜。
 他の年頃の女の子同様、毎日シャンプー、トリートメント、ドライヤー、ブラッシングを怠らずにいた長い髪が、灰となり、土中に埋められるのだ。
 ――なんか・・・なんか・・・メッチャ興奮するわ〜。
 夢子は、自分で自分のド変態ぶりを持て余してしまう。

 さてさて、終業式も済み、明日から夏休み、そして明日は得度式、という夏の午後、夢子は目星をつけていた駅近くの雑居ビルにある床屋へ向かった。
 雑居ビルが見えてくる。赤、青、白、とトリコロールがクルクル回っている。それを目にしただけで、もう鼻血が出そうだ。
 ――よし!
 意を決し、ビルに入ろうとしたら、
 ――あれっ?!
 足が勝手に真っ直ぐ進み、ビルを素通りしてしまった。
 心は坊主になることを熱望しているのに、身体は――乙女の本能は懸命に抵抗しているかのようだ。そう、このまま、家に帰れば、これまでどおり、「ノーマルな女の子」としての夏休みは、約束されているのだから。
 怯みが生じたが、気持ちを立て直す。
 ――刈るぞ、刈るぞ、刈るぞ、刈るぞォ〜。
 どこぞの宗教のように、心中繰り返し、回れ右、今度は落ち着いて、ゆっくりとビルに入った。  階段をのぼる。床屋は二階だ。
 いつも後ろで髪を束ねているヘアゴムをはずして、髪を解き放つ。ひっ詰められて萎んだ髪にボリュームを与えるべく、振り払うように、頭を揺らす。
 乱れかけた髪を撫でつける。
 ――この髪も燃やされて埋められるんだ・・・。
 床屋への階段を一段一段あがりながら、名残を惜しむ。
 そして、
 ――えいっ!
と勢いをつけて入店する。
「いらっしゃい」
と三人の理髪師が、夢子を迎えた。
 客はいない。
 ――い、いきなりカットだよ!!
 正直、心の準備がまだ完全にはできていなかった。
 平日の昼間とはいえ、客より理髪師の数が多いって、大丈夫なのか、この店、とかなり不安になる。
 理髪師は二十代くらいのイケメンのお兄さん、三十代くらいの肌がツヤツヤしたオジサン、そして、四十代くらいのキモデブのオヤジ。
 ――誰がカットしてくれるんだろう?
 すると、理髪師の側では順番が決まっているらしく、
「次、俺の番だよな?」
とキモデブのオヤジが他の二人に確認していた。
 ――うげっ!
 よりによって一番当たって欲しくない理髪師に当たってしまった。人生とはえてして、こういうものなのかも知れない。
「じゃあ、ここ座って」
 オヤジは夢子の気持ちも知らず、獲物は逃がさん、とばかりにテキパキとカット台に連れていった。
 ケープを巻かれる。
 ――落ち着け、落ち着け。
 自分に言い聞かせる。
 理髪師がどんな人物だろうが構わない。ただ自分の希望する髪型をオーダーすればいい。希望を伝えれば、後は床屋が全部取り計らってくれる。
「今日はどうするのかな、お嬢ちゃん」
 オヤジが訊く。
「あのぉ〜、一分刈りにして欲しいんですよ」
 友人に話すような自然なトーンで注文できた。
 ――よし!
 夢子、ケープの下、小さくガッツポーズ。
「一分刈りって3mmだよね? いいの?」
 思いがけぬオーダーに、オヤジは確認せずにはいられないようだった。
「はい、もォ、バリカンでバリバリやっちゃって下さい!」
 言いながら、すっかりテンションがあがって、心臓もバクンバクン脈打っている。
「そう?」
 オヤジとしても、三人で分け合っているせっかくの客を、みすみす失うわけにはいかないのだろう、意外とあっさり請け負った。床屋選びは大成功だ。
 グウウウ、と理髪台が上昇する。いよいよだ。
 オヤジはカット台の引き出しをあけると、夢子の期待通り、バリカンを取り出した。これまた期待通り、業務用の大きなバリカンだった。
 ブイイイイィィン
とモーター音が喧しく鳴りはじめる。
 ――さらば、バリカン処女・・・。
 「初めてのお相手」がキモデブオヤジなのは少々不本意だが、重要なのは「テク」だ。
「じゃあ、刈っちゃうよ」
 オヤジは一言念を押すように言うと、返事を待たず、右のモミアゲにバリカンの刃をもぐりこませた。
 ジャアアアァァ
と一気に上に押し上げる。
 ――うおおぉぉ〜!!
って気持ちだった。
 バリカンはコメカミ付近を通過し、側頭部の髪を縦一文字に割った。
 バサッ
と髪が散る。
 やはり、
 ――うおおぉぉ〜!!
という気持ちだった。
 ――やってもうた〜、やってもうたぁ〜
 クッキリと刻印された一筋のライン。
 もはや二度と引き返せない。
 夢子、ついにバリカン処女、卒業!
 ブインブイン、ブインブイン、と右鬢が刈られる。注文通り、バリバリと刈られまくる。
 オヤジはバリカンを動かし、一見無造作に夢子の長い髪を刈っていく。
 刈られた髪が、バッ、と宙を舞う。
 夢子はと言えば、処女の悲しさ、初めてのバリカンカットを楽しむ余裕もあらばこそ、若干顔をひきつらせている。
 いともたやすく刈り落とされる髪、どんどん剥き出しになる自分の顔、とあまりにスピーディーな断髪の進行に、当惑し、状況を受け容れかねていた。
 右鬢を剃り終えたバリカンが、額のド真ん中に吸い込まれる。
 ――来る! 来る! 来るぅ!
 ジャジャジャジャアァァ
 バリカンが前髪を切り裂く。ズバッ、と。
 ――あ、ああ〜・・・
 成熟しかけた身体が、例えようのないエクスタシーを感じる。早くクリクリ坊主になりたい!
 バリカンの刃が刈り取った髪をぶらさげたまま、右隣に入る。
 ジャジャアアァァ
 左右の前髪の間隔が広がった。
 ――もっと、バリカン入れて〜! 入れてぇ〜!
 そんな夢子の性的な興奮に呼応するかのように、
 ジャリジャリジャリイィ
 バリカンは前髪を収奪していく。
 パッと視界が開けた。
 鏡の中の半剃り姿が、鮮やかに、目に飛び込んでくる。
 ――うひゃあ!
 その見苦しさに、マゾヒスティックな悦びをおぼえた。
「お嬢ちゃん、なんで坊主になんかするのさ?」
 オヤジの質問に、せっかくの感興が削がれた。
「あの、アタシん家、お寺なんですよ」
「そうなの?」
「そんで明日、得度するんですよ」
「得度って何?」
「ん〜、出家?・・・まあ、尼さんになるんですよ」
「へえ、お見それしました。お嬢ちゃん、年、幾つ?」
「14歳です」
「中学生だよね?」
「そうですよ」
「中学生でも出家できるもんなの?」
「一応」
「でも、頭丸めなきゃなんないのなら、大変だよねえ」
「そうですね〜」
 本当は、頭を丸めたいから尼さんになるのだけれど。
 話している間にも、夢子は剥き上げられていく自分の頭に、集中したくて仕方ない。
 ジャジャアァァ
 ジャジャジャジャアアァ
 ・・・バサリッ、バサッ
 顔の輪郭はみるみる露になる。
 頭髪の3/5はすでに床やケープを這っている。
 ドアがあき、客が来店してきた。
 若い男性客だった。半坊主の女の子に、え?!という顔でたじろいでいた。夢子としては、覚悟の上ながらも、恥ずかしいやら、気まずいやら。
「いらっしゃい、どうぞ」
 二十代のカッコイイ理髪師さんがカットを担当する。
 ――ああ〜!
 夢子は嘆いた。
 ――あと10分遅く店に入れば、あのイケメンのお兄さんにカットしてもらえたのにィ〜。
 そう、たった10分足らずの間に、夢子の髪はバックを残すのみになっていた。バリカンって凄過ぎる・・・。
 ――ま、いいや。
 あくまで目的はクリクリ坊主になること。
 その目的が達成されようとしているのだ。
 オヤジに向ける眼差しも優しくなる。
 オヤジの技術にも頼もしさを感じる。
 このまま、このキモデブオヤジに「お持ち帰り」されて、「バリカン調教」されたり、などとあらぬ妄想をしてしまう。
 オヤジ「今日はアタッチメントなしで刈ってやるぞ」
 夢子「いやぁ〜、アタなしはカンニンしてぇ〜!」
 オヤジ「座れ」
 夢子「いやあぁ〜!」
 ジャリジャリジャアアア
 ジャジャジャジャー
 夢子「ああ〜! こんなに青くなっちゃったよォ〜(涙)」
 オヤジ「ふふふ、さあ、この頭で一緒にお出かけしようね、夢子」
 夢子「いやあぁぁ〜!」

 ・・・夢子、中3にしてド変態名人位を獲得できる域に達している。
 妄想の具にされているとは露知らず、オヤジは襟足に取りかかる。
 うなじにバリカンを這わせ、
 ジャリジャリジャリ〜
 ジャアァア
と刈り上げていく。
 バサバサと長い後ろ髪が雪崩落ちる。
 そのさまが、夢子には小気味よく、興奮はMAXに。
 ――いいよ、いいよォ〜! うはっ・・・あ、あ・・・あれ?
 快感のあまりオシッコを数滴チビってしまった。
 ――ああ! お漏らししちゃったぁ〜!
 実はオシッコではなく、「大人の液」なのだが、夢子は気づかない。頬を染め、
 ――バレてないよね?
 理髪師や客の様子を横目でうかがう。
 バリカンが走り、夢子の後頭部に裂け目が入る。裂け目はどんどん広がっていく。さらに、バリカンが入れられる。
 バリカンの刃先に長い刈り髪がひっかかっている。オヤジはそれを手首をスナップさせて、振り落とした。パサッ。
 ジャアァァァ
 ジャリジャリジャリ
 バサッ、バサツ
 全ての髪が3mmの長さに刈り詰められた。
 鏡の向こうには小坊主さんがいた。
 ――うわっ、クリクリだぁ〜! メッチャかわいいかもォ〜。
 オヤジも、
「かわいくなったな」
と褒めながら、坊主頭を撫で回し、細かな毛屑を払った。
 ――うはあぁ〜!
 また、「お漏らし」してしまった。オヤジにバリカン処女を捧げてしまった。

 こうして、夢子は存分に坊主願望を満たした。
 家族は当然驚愕していた。
 母には叱られた。
 祖母だけは、さすがに年の功、
「似合うじゃないか」
とゆったり構えて、
「夏だと涼しいだろうねえ」
と孫娘の坊主頭をさすってコメントしていた。
 父も面食らっていたが、夕食の頃になると、
「どうせだから、丸刈りじゃなくて、剃刀でスキンヘッドに剃ればよかったじゃないか」
などと軽口を飛ばしていた。
 その夜、夢子は、
 ――ぬおおぉ〜! ボウズ最高ォ!
 心ゆくまで丸刈りの頭をさすりさすり、生まれて初めてのマスターベーションに及んだ。
 丸刈り頭のザラザラした手触りに加え、髪を刈るバリカンの感触、髪があっという間になくなっていく視覚的衝撃、キモデブオヤジの匠の技、帰り道すれ違った通行人たちの驚きや好奇の視線、それらを脳裏に再生し、夢中で指を動かした。
 得度式前夜にマスターベーションとは、なんたる仏弟子か、と仏罰が当たりそうで怖いが、気持ちよさについつい真夜中まで、自らを慰めてしまった。

 夏休み明けまでには、髪も伸びた。
 ・・・といっても1cm強、まだまだ坊主頭だ。
 伸びかけ坊主で登校したら、皆目を剥いて驚いていた。
 驚く周囲を尻目に、
「マルコメ味噌で〜す」
と夢子は笑っていた。休み前と比べて、一皮むけた感があった。やはり「ひと夏の経験」が物を言うのか。
 二学期から、夢子はイジられキャラになった。
 男女問わずイジられる。
「阿久津〜、大泉、好きな女がいるらしいぞ、お前以外だって」
「ウソォ〜、これって失恋?!」
「失恋したら、髪を切る、これが昔ながらの乙女の儀式だよ」
「もう、切る髪がないッスよ!」
「五厘にしな、五厘刈り」
「五厘ッスか?!」
「柔道部にバリカンがあるから、俺が刈ってやるぞ」
「いや〜、さすがにそれは・・・」
 あるいは、トイレに入ろうとしたら、
「あー、阿久津、そっちは女子トイレだぞ。お前は男子トイレだろ」
「えぇ〜?! アタシ、女子だよ、ホラ、女子の制服着てるじゃん!」
「まったく、女装までして女子トイレに入る気だったのかよ、変態め」
「いや、だから女子ッスよ!」
 勿論頭も触られる。触られまくられる。
 皆、「一休さん」とか「マルコメ姫」とかひやかしながら、頭を撫でさすってくる。特に、イケてる男子にタッチされると、
 ――アタシ、メッチャおいしい!
とドMの血が騒ぐ。ドキドキとウキウキの両方をおぼえる。
 男子と仲良くしていても、坊主頭の夢子には他の女子の――特にリーダーグループの――警戒も緩い。
 どころか、彼女らは、夢子が実家の事情で尼になり、やむなく頭を丸めたと思い込んでいるので、
「夢子、えらいよ」
「マジ立派だよね」
と褒めてくれる。ちょっと、こそばゆい。
 いるのかいないのかわからないような存在感のないさえない女子から、クラスの人気者にサクセス!
 文化祭の劇では、なんと主役に抜擢された。ちなみに去年の文化祭の劇では、小道具係だった。
 演目は、
 「少林寺」
 ――出オチに近いな・・・。
と内心思う。
 夢子イジリの急先鋒の江崎などは、
「少林寺演るには、髪長くね?」
とイガグリ頭に手をやってくる。
「じゃあ、またボウズにしちゃえ〜」
と周りもひやかしてくる。
「他の人はヅラなのに、アタシだけ地毛でやれと?!」
 目を見開きつつ、ふたたび坊主にできる口実ができて、小躍りせんばかりの夢子だ。
 またあの床屋で頭を刈ってもらおう。きめた。
 あのオヤジの顔が浮かぶ。
 何故だろう、心臓が高鳴る。
 ――なんで? なんでぇ〜?
 イケメンの若い理髪師より、あのオヤジにカットしてもらいたい。
 ――え? え?
 夢子は戸惑う。
 ――これって、もしかして、もしかして・・・
 とりあえずこの感情(欲求)は置いといて、今は文化祭の件だ。
「さあ、阿久津、また坊主一丁頼むゼ!」
「どうせなら、次は青剃りで!」
「青剃りッスかぁ?!」
「役作り! 役作り!」
 クラスメイトたちに煽られて、今度は何mmにしようか、と考える。
 ――まったく――
と肩をすくめたくなる。
 ――人気者は辛いゼ。


(了)



    あとがき

 「二階堂琴乃」シリーズ、なのかな?
 「尼バリ小説」で、(たぶん)最年少ヒロインです。今回、アップ作品のヒロインの4人中3人が十代前半だ(汗)。偶然です(笑)。そういうこともあります。
 不思議な小説です。普通は下書き(してるんです)の段階で作品の長さが予測できるんですが、本作はわからなかったです。コンパクトな長さにまとまる、と思い込んで、清書(ワープロうち)してみたら、「長っ!」と焦りました。謎です。
 「坊主になりたくて尼さんになる」って主人公は初めてだ。ちなみに自分は「坊主にする」っていうより「坊主になる」という表現の方が好きです。
 それにしても、ここ最近、以前書いた小説とのカブりが激しいような気がします。ネタや表現が、特に断髪シーンとかパターンが似通ってきているかも。。。最近は「話を作ろう」というより、頭の中の妄想を文章化するような感じなので、量は増えたんだけど、文体やパターンや展開が似たり寄ったりになりがちです。
 そろそろ、自分の限界を広げる必要を感じます・・・。
 最後までお読みになって下さった方、本当にありがとうございました!




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