仏青で、その後 |
某宗派某本山に属する若い僧尼が中心となって、活動&交流する仏教青年会、略して、 仏青 は男僧の方が圧倒的に多い。慢性的に女性が不足していた。 自然、希少価値のある若い尼僧の周りには、男僧たちが群がる。 徳永逸美(とくなが・いつみ)もそんな尼僧の一人だった。 年齢は三十、とやや薹が立っていた。容姿も十人並み(以下?)。 だが、透けるように白い肌の持ち主で、「色の白いは七難隠す」との諺通り、それが彼女の容姿を実際以上に見せていた。 髪も長かった。黒髪を背中まで伸ばしていた。これまた、俗諺に「髪長きは七難隠す」とあるように、彼女をイイオンナっぽく見せ、セックスアピールになっていた。 で、仏青では常に多くの男僧に取り巻かれ、チヤホヤされていた。 逸美の方でも、自分のそれなりの魅力を自覚していて、自信たっぷりに振舞っていた。自信は逸美を一層魅力的にした。まさに好循環で、 「浄恵さん(逸美の僧名)、今度一緒に飯でもどう?」 などと、しょっちゅうアプローチされていた。 誘われて、 「え〜、どうしよっかなあ」 なんて勿体ぶったりしているが、仏青に入って数年の間に、何人もの若い男僧とベッドを共にしている逸美である。仏青の中で彼女を通して、いわゆる「穴兄弟」になっている僧たちも多い。 逸美は特に童貞には目がなかった。仏青には彼女の手ほどきで、「男」になった者も少なくはない。 そうした脱童組の江口清隆とは相性も良く、事実上の恋人同士ではあったが、逸美は清隆一人だけで満足できなかった。清隆の黙認のもと、時折、他の男との痴戯に耽っていた。 すべては仏青という狭い集団の範囲内での出来事だった。 この一件は逸美が、 ――男もそろそろいいかな。 と思い始めた頃の話だった。 仏青には野球好きが結構いる。 逸美も野球が大好きだった。 テレビのナイター中継は必ず観たし、実際に球場に足を運んで、試合を観戦することもしばしばあった。 彼氏と球場デートを楽しむこともあった。贔屓のチームが勝てば、デート後のホテルで燃えに燃えた。 逆に、応援していたチームが負ければ、露骨に不機嫌になり、悪くすれば、「今日はやめとく」とお楽しみはオアズケになる。 だから、現在の彼氏であるところの清隆も、球場デートのたび、勝ってくれ!と逸美の贔屓の球団――嫁入タイアンズを懸命に応援したものだ。 嫁入タイアンズがリーグ優勝したとき、逸美は狂喜乱舞した。 仏青でもその話題が出た。 間もなくはじまる日本シリーズについて、 「絶対、嫁入タイアンズの優勝よ!」 と逸美は熱弁を振るった。 「米倉監督の采配に間違いなし! 勝つのはタイアンズよ。負ける要素がないワ!」 ヒートアップする逸美に、一人の男僧は苦笑しながら、 「じゃあ、もしタイアンズが負けたら、徳永さん、どうする?」 とひやかすように訊いてきた。 「タイアンズが負けたら――」 逸美はすっかり強気になっている。長い黒髪に手をあて、グイと持ちあげながら、 「アタシ、頭を丸めるよ」 騎虎の勢いで口走ってしまった。 逸美の宣言に、 「おお〜」 と周囲はどよめいた。 ちょっと前に、仏青のメンバーだった尼僧、坪内貴子が酒席で、自らロングヘアーを刈って、丸坊主になるという椿事があり、それが逸美の脳裏の片隅に刻みこまれていたので、つい「頭を丸める」という罰ゲームが口をついて出てしまったのだろう。 「マジっすか?」 「マジよ」 「絶対ですね?」 念を押され、 「絶対よ」 とうなずく。 ここら辺までは、遊戯めいた会話に近かったが、 「浄恵さん、坊主になるの?」 会話を聞きつけた尼僧たちが三人寄ってきた。 三人とも仏青で男をつまみ食いしている逸美を快く思っていない。ゆえに、好機とばかりに話に割って入ってきて、 「もしタイアンズが負ければ、徳永さん、本当に坊主になるんだね?」 「ええ」 逸美の顔から微笑が消えた。 「それなら、口約束じゃ心許ないから、一筆書いてよ」 と尼僧たちは言い立て、そこまですることないじゃないか、と場をおさめようとする周囲(主に男僧)を、 「だって、浄恵さんが自分から言い出したんだよ」 と押さえ、 「ね、徳永さん? どうせ嫁入タイアンズが勝つんだから、一筆入れたところで大丈夫でしょ?」 と迫られるに及んでは、逸美も後には退けず、 「わかったわ」 レポート用紙に、 『私、徳永浄恵(俗名・逸美)は今年の日本シリーズで嫁入タイアンズが優勝できなかった場合、罰として頭を丸めることを誓約します』 と書いた。日付とサインも入れた。 書き終えてから、 ――マズかったかな。 と後悔した。 これでもう嫁入タイアンズが優勝する以外に、逃げ場がなくなってしまった。 坪内貴子のことを考えた。 あの一件が起きたとき、逸見も現場に居合わせた。 自分と同じ有髪の尼僧だった貴子が、いきなりバリカンを握って、自らの髪を刈りはじめたのには仰天した。 反面、刈りあがった坊主頭を撫でさせてもらいながら、 ――気持ち良さそう。 という、ある種、羨望に似た思いも、どこかにあった。 逸美は坊主頭未経験者である。 尼僧になるときも、剃髪をせず、有髪の許されている寺で修行を済ませた。出家以前も以後も長い髪を貫いている。 しかし、貴子の断髪を目の当たりにして、 ――あら、ボウズも案外いいんじゃないの? と思った。だからといって、貴子に続くつもりは、さらさらなかったが。 が、状況は一変。 気がつけば、貴子に次いで有髪の尼卒業の危機に。 運命の日本シリーズがスタートした。 逸美は例年より熱心にタイアンズを応援した。 何しろ自慢のロングヘアーを賭けている。嫁入タイアンズにはなにがなんでも優勝してもらわねば。 そんな逸美の熱い思いに呼応するかのように、両チームとも連日白熱したゲームを繰り広げている。近年稀に見る名勝負となった。 結果、互いに三勝三敗。 勝負の行方、そして逸美の黒髪の運命は、最終日に持ち越されることになった。 最終決戦。 嫁入タイアンズが序盤に2点を先制。 それ以降は息詰まるような投手戦となり、2対0のまま、終盤へ。 ――いいぞ、いいぞ〜! このまま、このまま行って〜! 逸美は祈るような気持ちで、テレビの画面に釘付けになる。 試合はついに最終回。 敵チームの攻撃。 ここを守り抜けば、嫁入タイアンズの優勝が決まる。 ――頼む! 頼むわよ! もし嫁入タイアンズが優勝すれば、嫁入新聞一生購読するから、明日は本堂の掃除をするから、サボりがちだった仏青関係のボランティア活動にちゃんと参加するから、とスピリチュアルな存在に取引を試みたりもする。 心臓がバクバク鳴っている。 ツーアウト、ランナー1、2塁。 ――あと一人! 討ち取られてしまえ〜、とバッターに邪な念を送る。 しかし、 カキーン! 相手バッターは甘めに入った投球を見逃さず、逸美の呪詛もろとも見事に打ち返していた。 『入るか! 入るか! 入る、入ったっ! 入った! 入った! ホームラン! 逆転サヨナラのスリーランホームラン!!』 興奮した実況のアナウンスが遠く聞こえる。 2対3。 名勝負にふさわしい、劇的な幕切れだった。 これで逸美の丸坊主も決定・・・。 嫁入タイアンズの敗北とダブルでショックだ。 逸美は呆然自失。優勝インタビュー等一連のお祭り騒ぎが終わり、後続のバラエティー番組がはじまる頃、ようやく我に返り、 ――なんで、あんな賭けしちゃったんだろう。 と髪をかきむしった。この感触とももうすぐサヨナラしなくてはならないのだ。 翌晩、逸美は一応彼氏の清隆と会い、自棄っぱちの気分のまま、ラブホテルで肌を重ねた。 清隆も無論、れいの賭けのことを知っている。 ことが終わると、 「なあ、やっぱり頭剃るのか?」 と訊いてきた。 「仕方ないでしょ」 誓約書まで書いちゃったんだし、と逸美は苦い顔で答えた。 なりふり構わず平謝りに謝れば、賭けはなかったことにしてもらえる可能性もあるが、不思議とそうする気にはなれなかった。 むしろ潔く坊主頭になった方がプライドは保たれる、と逸美の虚栄心は囁く。貴子の件で坊主頭に対する好奇心も芽生えている。 髪がなくなったら、モテなくなるだろう。が、そろそろ男遊びも卒業しようかと考えていた矢先なので、良いキッカケかも知れない。 とは言え、坊主頭になるのには抵抗がある。 それに彼氏の清隆が反対するだろう。 ・・・と思っていたら、 「逸美のボウズ、楽しみだなあ」 清隆はこともなげに言った。 恋人の予想外の反応に逸美は驚いた。てっきり「最後のブレーキ」と期待をこめて会ったのに。 「アタシがセトウチジャクチョウみたいになってもいいってわけ?」 と軽く目を剥いて詰ってみせたが、 「全然いいよ」 やっぱり脳天気な返事がかえってきた。恋人への気遣いというわけでもなく、清隆は本気で逸美が髪を剃るのを歓迎している様子だ。 「逸美なら絶対ボウズ、似合うと思うなあ」 と四つ年上の恋人をそそのかしながら、甘えん坊のように乳房をしゃぶってくる。 彼氏に太鼓判を押され、踏ん切りがついた。約束通り坊主頭になろう。 ――次の仏青の集いまでに・・・ 清隆に抱かれつつ、頭の中でカレンダーが明滅した。 翌日、逸美は朝イチで近所の床屋に駆け込んだ。 こういうのは、グズグズと先延ばしにするより、さっさと済ませてしまった方がいい。大切なのは勢い、大敵なのは心変わりだ。スッパリと丸める! そう度胸を決め、作務衣姿で寺を出た。 平日の朝方なので、店内には客もおらず、五十年配の理髪師のオヤジさんは暇そうにしていた。 オヤジさんは、来店してきた、そこそこ若い女性客にちょっと戸惑った色を浮かべたが、 「どうぞ」 ととりあえずは理髪台に招き、座らせてくれた。 ――丸刈り、丸刈り、丸刈り、丸刈り・・・ オーダーに備え、心の中で何度も繰り返している逸美である。 「宝三院のお嬢さんですよね?」 「丸――」 一瞬フライングしかけたが、 「あ、ああ、そうです」 流石ご近所だけあって、面が割れている。それが計算内なのだけど(相手が尼さんとわかっていれば坊主刈りにしてもらいやすい)。 ――丸刈り丸刈り丸刈り丸刈り丸刈り 「今日はどうしますか?」 「丸刈りに!」 不自然なほど間髪いれず注文してしまった。 「坊主にするんですか?!」 オヤジさんはのけぞって驚いている。多少オーバーリアクションのような気がする。 「なんでまた坊主に?」 と訊かれ、 「尼さんだからね、色々あるのよ」 と思わせぶりに答えておく。まさか野球の賭けに負けたから、とは言えない。 「いいんですね?」 と念を押され、 「ええ」 と逸美はうなずいた。 「で、丸刈りというと、どれくらいの長さに?」 「長さ?」 逸美はあわてた。「坊主は坊主」「丸刈りは丸刈り」と単純かつ硬直して思い込んでいたが、よくよく考えてみれば、坊主にも色々種類がある。 とっさに、 「この辺の中学の野球部の子くらい」 とオーダーして、 ――ナイス! と内心自分を褒めた。 逸美が母校である中学の野球部は、丸刈りがきまりだった。逸美の同級生の部員たちも頭を丸めていたが、皆長めの坊主頭だった。 切ってもすぐ伸し直せるように、できるだけ長さを保っておきたい。 ケープを巻かれる。 「中学の野球部の子くらいね」 とひとりごちながら、オヤジさんは逸美の長い髪を霧吹きで湿していく。 「こりゃあ、刈り甲斐あるなあ」 声が弾んでいる。面白がられて、乙女心がちょっと傷つく。 逸美は理髪台の手すりを、ギュッと力いっぱい握りしめた。逃げ出してしまいたい衝動を堪えるように。 ヴィイイイイン という機械音に、ビクッと肩が波打つ。 鏡の中、背後で業務用のバリカンを手にしているオヤジさんがいる。 ――いよいよか・・・ 思わず唾をのむ。しかし、いきなりバリカンを使用されるとは、予想していなかった。 心臓の鼓動が一気にスピードアップする。胃が重い。慣れない散髪環境に身体も拒絶反応を示している。 オヤジさんはプロの顔になり、「仕事」に取り掛かる。 コームで長い前髪がかき分けられ、いきなり額の生え際にバリカンがあてられた。 ――うわっ! 来る! 来る! 来るぅー!! バリカンが来た。ジジジジ、髪の生え際に挿入される。ジジジャジャジャ―― ゆっくりとツムジに向け、押し進められる。 バサリ、 一束の髪がバリカンの刃から離れ、ケープを叩く。 額から頭のてっぺんにかけて、一本のラインが引かれていた。 ――ああ! 逸美は声にならない悲鳴をあげた。もう後戻りはできない。このまま丸刈り頭へと転げ落ちていくのだ。 バリカンは次に最初に刈ったラインの左隣の髪にあてられる。丸刈りのラインと髪のある部分にまたがって、またおもむろに押し進められる。 バリカンの動きに合わせ、髪がめくれあがり、クッタリと力尽きるように崩れ、ケープに落ちる。バサッ! 今度は右隣の髪にバリカンが入る。ジジジジャジャジャ、バサリッ。 忽ち落ち武者みたいな髪型にされた。 ――あれ? あれ? 逸美は頭の異変に混乱している。 長めの坊主頭のつもりで頼んだはずなのに、 ――なんで?! なんでこんなに青いの?! いわゆる「五厘刈り」に頭は刈られている。理由がわからず、パニックになる。 ――あ! ふと思い当たった。 ――学区!! そう、逸美の実家とこの床屋は距離こそ近いが、中学校の学区が違うのだ。 隣の学区の中学の野球部はかなりの強豪で有名だった。質実剛健な部風を反映して、髪も周囲が目を瞠るほど短い坊主頭が義務付けられているのだろう。 ――うわああ!! オヤジさんを責めるわけにはいかない。こちらの間違いだ。それに、いくらあわてても、いくら悔やんでも、切ってしまった髪は、もはや元には戻らない。子羊のように従順に最後まで刈られる以外、もう道はない。 嗚呼、逸美さん・・・ 貴女は一体何処へ行くのか・・・? 恐慌状態の逸美をあざ笑うかのように、頭の青はみるみる広がっていく。 刃にあたった髪がはぜる音がして、頭を走るバリカンの感触は温かく、すぐにスゥーと涼気が差し込んでくる。 バリカンの刃は髪と地肌の間に押し込まれ、逸美のロングヘアーを根元から覆し、頭部から除いていく。 後には目を背けたくなるほど、まぶしく青々とした丸裸の頭が残される。 バサリ、バサリ、と髪が落ちていく。ケープに、白い床に・・・。 「女の人を坊主にしたのは初めてですよ」 とオヤジさんは言う。 「そうでしょうねえ」 「最近は男の子でも坊主の子って、あんまりいませんしねえ」 「確かに、言われてみれば、そうね」 話しながらも、目は身体から引き剥がされていく髪を追っている。すでに前頭部と右サイドの髪は刈り尽くされていた。バリカンは無駄のない動きで、大量の髪を収奪していく。 何人もの男たちに愛でられた自慢の髪。その髪が残骸となって、冷たい床の上、恨めしげにとぐろを巻いている。 ベッドを共にした愛人に、逸美はきまって、 「髪切ろうかしら」 と口にしたものだ。 本当はその気もないクセに、ショートに、あるいはボブに、あるいはベリーショートに、あるいはやや古めかしくシングルカットに―― 「切っちゃおうかな」 と言えば、男たちはきまって、 「せっかく長くて綺麗な髪なんだから、勿体ないよ」 切らないでくれ、と制止した。愛人たちの期待通りの反応に、逸美の虚栄心は満たされた。ロングヘアーの女性にとって、男に髪を惜しまれるのは、えもいわれぬ心地よさがある。 ある愛人は逸美に「髪コキ」という行為を求めた。アブノーマルな好奇心から、長い髪をそいつの陽茎にからめ、愛撫し、快楽に耽った。男はたっぷりとほとばしった液を、シャンプーのように逸美の髪に降り注がせた。「髪射」というらしい。 そんな髪、思い出のある丈長く美しい黒髪が、今はドサドサと頭から離れ落ち、廃棄物と成り果て、処分されるのを待っている。 バリカンは逸美の髪を、ぐるりと右回りに刈り進んで、丸刈り頭に仕上げていく。 ジジジジャジャジャジャ バサッ、バササッ 鏡の中の自分の髪が、あれよあれよという間に消えていった。顔の輪郭と頭の形が露わになる。 ――ああ〜! 作務衣に包まれた女体が、奇妙な疼きをおぼえた。 ――悲しいはずなのに・・・なんで? なんで? 心の奥底に眠っていたマゾヒスティックな欲望が、鎌首をもたげ、逸美を快感へと誘いつつある。 トラ刈りにされている自己の見苦しい姿に、顔を背けたいはずなのに、目覚めかけのM女は、 見なさい! この無様な姿を、ボウズになりかけのみっともない姿を、もっと見なさい! とハシャぐようにのたうっている。 最後に左のコメカミから伸びる髪が、一房残された。萎れたようにダラリと垂れ下がる、その髪は逸美が仏青のセックスシンボルだった栄華の時代を偲ばせる遺跡のようだった。 バリカンは遠慮なくコメカミに入れられた。 最後の髪が容赦なく刈り落とされた瞬間、作務衣の下の花園から甘い蜜がほとばしった。恥ずかしさに逸美は頬を赤らめた。頬を赤らめるなんて、女学生の頃以来じゃないだろうか。 鏡越し、五厘刈りになった自分と対面する。 今まで長い髪でごまかしてきた自分の残念な顔と、ガッツリ向き合い、かなり凹んだ。しかし、覚醒したM女は、 あらあら、すっかり不細工になっちゃって〜、もう寄ってくる男もいないわね〜 とスキップせんばかりにコーフンしていた。 坊主頭をジャブジャブと洗われた。形ばかりにドライヤーもされた。 ケープを外されるや、まず頭に手をやった。 ――やってしまった・・・。 しみじみと坊主頭を撫でさすった。元の長さに戻すには、あと何年もかかるだろう。 「風邪ひかないでよ」 とオヤジさんは笑いながら、逸美の身体をブラシで払ってくれた。 床屋を出て、ふと足元を見ると、運動靴に髪屑がくっついていた。未練を断つかのように、空中を蹴って髪屑を振り落とした。 M的な衝動に背中を押され、清隆の許を訪ねた。 清隆は坊主頭になって現れた恋人に、目を丸くしていたが、 「やっぱり逸美、ボウズが似合うじゃんか!」 と言ってくれた。ただの気休めではないことは、彼の口調や表情から伝わってきた。 しかし、清隆はベッドの中で豹変した。 「こんな頭になったお前なんか、もう仏青の男どもは鼻もひっかけやしねえ。こうして抱いてやれるのは俺だけだぞ!」 と暴君と化し、逸美をなぶりまくった。なぶられて、逸美はマゾヒスティックな興奮にうち震えた。これまで全ての面において清隆をリードしてきた逸美だったが、今や完全に清隆に手綱を渡し切ってしまっていた。 「そうね、あんたの言う通りね。だからアタシのこと、捨てないで!」 と何度も懇願した。 逸美が下手に出れば出るほど、清隆の暴君ぶりには拍車がかかった。 ついには、 「お前なんか、こうしてやる!」 と逸美の頭を押さえつけ、亀頭を押し当てた。そして、数時間前刈ったばかりの、まだ床屋臭が残る五厘頭で、ゾリゾリと亀頭をこすりまくった。 恋人のアブノーマルな振る舞いも、逸美は甘受した。むしろM心は悦んでいた。 実はドMだった自分とドSだった清隆。プラスとマイナスが一致して、落ち着くべきところに落ち着いた感があった。 頭を坊主に刈った三日後、逸美は生まれて初めて、タトゥーを入れた。 以前から、自分が入れたいと思うほどではないが、興味はあった。 友人の一人(♀)が身体のアチコチにタトゥーを入れていて、 「タトゥーって痛いの?」 と訊いたら、 「まあ、入れる箇所によるけど、例えば二の腕とかだったら、全然痛くないよ」 とのことだった。 しかし、勇気も出ず、また実生活で不便が生じる可能性もあるので、それきりになっていたが、坊主頭になってからテンションがおかしくなっていて、 ――ボウズにはやっぱりタトゥーよね。 と床屋のとき同様、勢いでタトゥースタジオに行き、右の二の腕に仏語を彫ってもらった。 ウィーン、と機械で彫り始めると、 ――痛っ!! あまりの激痛に、 ――嘘つき! メチャクチャ痛いじゃないのよ!! と友人を呪った。 後から知ったのだが、タトゥーの痛みは人それぞれ、個人差があるらしい。 しかし丸刈りと同様、途中でやめるわけにはいかない。 柔肌を突き刺し、インクを注入していく機械の痛さに、歯を食いしばり耐える。 同時に、 ――この痛み、たまんないわ! というマゾ的な歓喜もあった。 坊主頭から脂汗を噴き出し苦悶している逸美を見かねて、彫師は何度か休憩を挟んでくれた。 普段からスタジオに出入りしているとおぼしきパンクス風の男女が、スタジオの外で話しているのが聞こえる。 「お客いるの?」 「ああ、坊主頭のブスが彫ってもらってる」 「キャハハ、勘違い系? イタイね、そりゃ」 ――クッ・・・笑われてるよ・・・ せっかくナメられないように、バリカンを買い、清隆に頼んで、今朝改めて頭を剃り直したというのに、散々だ。 右腕を持ち上げ、途中経過を確認する。 愛・・・別・・・離・・・。残るは一文字だ。 愛別離苦。 釈尊が説かれた、「四苦」のひとつ。生きている限り、愛する人との別れる苦しみ=愛別離苦からは逃れられない、と仏典にある。 清隆のことを思い浮かべる。 彼ともいつか別れる日が訪れるのだろうか。 そう考えながら、汗ばんだ頭を撫でる。頭を剃っても、なかなか慣れず、鏡にうつった坊主刈りの自分にドキッとしたり、髪をかきあげようとしてハッとなったりする。だから、日に何度も坊主頭を撫で回し、新しい姿の自己を確かめているうちに、撫で癖がついてしまった。 今朝、清隆が、 「このまま一生ボウズでもいいんじゃね?」 と軽口を飛ばしながら、バリカンでカットしてくれた頭。 「俺が一生、こうして刈ってやるからさ」 とか本気とも冗談ともつかず言ってたっけ。 丸裸の頭にあたる清隆の手の感触を思い返す。あの感触をこの先もずっと、繰り返し繰り返し味わいたい。「一生」というスパンで。 「じゃあ、続き、彫ろうか? 大丈夫?」 彫師に声をかけられて、不意に頭に閃くものがあった。 「この右腕が終わったら、左腕にも彫って欲しいんですけど」 「いいの?」 と彫師は心配そうに訊いた。 「ええ」 左の上に彫る文字も四文字だ。 江、口、清、隆。 愛別離苦と悟りすますだけでは味気ない。 左腕のタトゥーを見せて、逆プロポーズしよう。一瞬で覚悟が決まった。清隆もきっと受け入れてくれる。確信がある。まあ、多少ヒくとは思うけど(笑) スタジオの隅のテレビでは、ニュースが放送されていた。 プロ野球界の名捕手として知られる胆沢武雄の引退会見のニュースが流れている。 プロ野球人生の最後の最後でチームに貢献できて本当に幸せでした、思い残すことはありません、と胆沢は涙ぐんでいた。 ――まったく―― 逸美は苦笑する。 ――こっちはあんたのお陰でこの有様だよ。 日本シリーズでサヨナラホームランを打ったバッターの第二の人生に幸あれと祈った。 丸坊主、 タトゥー、 そして、婚約。 今度の仏青の集まりでは、サプライズが目白押しだ。 再開される作業に苦痛と快楽を並立して感じながら、唐突にくだらない駄洒落が浮かんだ。 ――女、三十にしてタトゥー。 (了) あとがき いつもお読み下さりありがとうございます。迫水です♪ このお話もまずイラストを描いて、それを元に書きました。かなりディープなストーリーになりました(汗 なんだか、ここ数年セクシャルな話が連発しているような気がします。 そうそう、書きあげてみて気づいたんですが、自分はどうも断髪したヒロインにさらに苦痛を与えたくなる傾向があるみたいです。仏門修行とか運動部のシゴきとか下っ端扱いとかゲンコツとかビンタとか精神的辱めとか。で、今回もその例に漏れず。。十代の頃、谷崎潤一郎の「刺青」を読んでコーフンしたことを思い出しつつ。。そこら辺好悪、賛否が分かれるかなあ、とも思います。 どうも何十本も小説書いたら、ヒロインのキャラやら断髪描写やらかぶってきますね〜。こういうヒロイン、こういうシュチュエーション、前にもあったような・・・というデジャブをおぼえます。文体も固まってしまうし、うまく新しい方向&良い方向に進んでいけたら、と思っています。 お付き合い感謝です♪ |