「そよ風ノオト」ゴシップ |
――ふふふ・・ふふ・・ふふふふ・・・ 燃えさかるローマの街を見下ろす皇帝ネロのように、漫画家・白瀬奈々子(しらせ・ななこ ペンネームは白瀬ナナ子)は炎上する彼女のブログを、朦朧とした瞳で見つめていた。 「ちょっとォ、白瀬先生〜!」 買出しから戻った担当編集者の紅谷が、あわてて奈々子の許に駆け寄る。 「ネットなんかやってる場合じゃないですよ〜。締め切り迫ってるんですから〜」 と紅谷は苦言を呈しながら、パソコンの画面を見て、アチャー、という顔をした。 「ブログの方は我々が対処しますから」 「ナニ、アタシの出城を食い荒らすこの有象無象どもは?」 「先生が悪いんですよ」 紅谷は肩を落とす。 「川崎メロ先生のこと、“業界ゴロ”なんてブログに書いちゃうから」 「アタシは事実を述べただけだよ」 奈々子は物憂げに長い黒髪をかきあげる。 「他にも色んなベテランの先生方を批判してるし」 「っるっさいなあ」 確かに奈々子は新人の頃から倨傲なところがあった。 若干17歳でプロデビュー。 新星現る!と業界でも注目を集めた。 生意気な言動も多々あったが、若気のなせることと業界の大家たちは寛容だった。 それから六年、たくさんのヒット作を生み出し、そのうちの何作かは映画やテレビドラマ、アニメになった。数々の賞も授かった。 奈々子は今、栄光の真っ只中にいる。 それなのに、 ――なんだかなあ・・・。 大いなる苛立ちがあった。 漫画家を目指していた頃は違った。 描くことが楽しくて楽しくて仕方なかった。 漫画家になる!という夢に向かって懸命に描いた。 好きな漫画で生計を立てられることができるなら、何を失ったって構わない、と、そう考えていた。 そして夢は実現した。 夢想していた何倍もの規模で実現した。 ベストセラー漫画家としての成功。優雅な生活。有名人との華やかな交際。山のようなファンレター。 にも関わらず、満たされない気持ちが生じる。 締め切りに追われ、常時、仕事場に軟禁状態。やりたくもない仕事を強いられる。見当外れな批判をしてくるアンチも多い。次々に出現する後輩漫画家たちの活躍にも焦りをおぼえる。 段々、描くことへの情熱が薄れていく。 酒量は増えるし、精神も荒む。 精神が荒めば、心に余裕がなくなる。他人に対して不寛容になる。矛先は他の漫画家やアシスタントに向けられる。 ブログなどで有名漫画家をこきおろし、アシスタントにはワガママ放題、いつも眉間に皺を寄せて、些細なことでヒステリックに怒鳴りつける。 同業者には疎まれる。アシスタントは次々と辞めていく。 今のアシスタントだって担当編集者の紅谷が八方奔走して、よそから連れてきたヘルプの面々だ。 「とにかく白瀬先生、早く執筆作業に戻って下さ〜い。お願いしますよォ〜」 と紅谷は奈々子の袖にすがらんばかり。 「わーったよ」 とりあえず、紅谷が買ってきた品をガサガサと物色する。 「紅谷ぁ〜」 「はいっ」 「ユンケル、これじゃ足りない。もっと買って来い」 と命じ、部屋から追い出す。 哀れな担当編集者の背中を見送り、 ――アイツも―― 大変だねえ、と冷笑する。 遊びも睡眠も我慢して必死で勉強して一流大学に入って、卒業し、期待に胸ふくらませて出版業界に就職してみれば、高卒の小娘に「紅谷」「紅谷」と追い使われる。 ――さて、 とユンケルを二本、立て続けに喉に流し込むと、奈々子は仕事に戻る。 アシスタントの青柳と黒岩(ふたりとも♀)は、 「あ、白瀬先生」 「仕事中断して奥に行かれたんで、体調でも崩されたのかと思いましたよ」 と奈々子を迎えたが、 「いいから手を動かす」 ぶっきら棒な奈々子の応対に、アシスタント二人は目を見合わせて肩をすくめ、作業を再開する。 ――さて、どうするか。 ネームを描かねばならない。が、妙案が浮かばない。ここ数日、悩みに悩んでいる。 ――どう決着をつけるか・・・。 実は白瀬奈々子、漫画家であると同時に尼僧でもある。 生家が寺で、その縁で二十歳のとき、得度を受けた。髪も剃らず、修行もせず、法務もせず、いわば書類上だけの尼僧だ。 二束のワラジと言われることもあるが、実際は1・5足のワラジだ。 しかし、住職の父が今年に入って体調を崩してしまった。 で、本来は何ヶ月か本山に詰める予定だったが、それも叶わない。 副住職の兄は寺務で多忙を極めている。 そこで、一応尼僧でもある奈々子にお鉢がまわってきた。間もなく、数ヶ月に渡り、本山に出仕しなければならない。 意外なことに、奈々子はあっさり父の代役を引き受けた。 むしろ好機と受け取った。 しばらく仕事漬けの毎日から抜け出して、静かな山の中で清らかな空気を吸いながら、まったりと過ごす。悪くはないな、と思った。 尼僧の仕事があるから、という口実で、かかえていた何本もの連載――漫画だけでなくエッセイもあった――を終了させた。どこの編集部も難色を示したが、奈々子は無理を押し通した。 最後に残された連載の最終回に、現在とりかかっている最中だ。 「そよ風ノオト」。それがタイトル。フワフワロングの美少女ミヤビとサワヤカ系「王子様」キョウヤのすれ違いの恋を描いている。 しかし、ちっとも筆がすすまない。 奈々子は苦吟する。 前回、二人のすれ違いは決定的な事態を迎えている。その窮地から、どう一本背負いで恋を成就させればよいか。奈々子は頭を抱える。 紅谷は気楽なもので、 「ほらほら〜、先生、見て下さいよ、このファンレターの数! 常連の左堂袈裟ちゃんなんか、また素敵なイラストまで描いてくれちゃってますよ。皆、ミヤビとキョウヤの恋の行方に興味津々なんですよ」 と煽ってくるし。 ――どうしたもんかなあ。 仮にも自分はプロだ。作品にも愛着がある。適当なラストでお茶を濁したくない。 自分も読者も納得のいく展開、納得のいく結末。 ――ああ、もうどうしたらいいの! 奈々子は空白の用紙を前に、髪をかきむしる。 考えあぐね、ついにアシスタントの二人に、 「どうしたらいいかなあ」 と相談した。 「身を引くことを決めたミヤビが、もう一度、キョウヤとやり直そう、と彼の胸に飛び込んでいく、っていう流れにしたいんだけど」 「はあ」 「イマイチ説得力がないわけよ」 「はあ」 「前回、ミヤビはキョウヤに対して、取り返しのつかないことをしちゃってるからね、簡単に『やっぱり貴方が好き』というわけにもいかないでしょ」 「はあ」 「説得力なのよ、説得力。何かミヤビの恋を読者に支持させる説得力が必要なのよ!」 「先生、ユンケル買ってきましたよ〜」 「黙れ、紅谷! あっち行ってろッ!」 「す、すいませんっ!」 とあわてふためいて退散する紅谷に、奈々子は、 「ホント、空気の読めないヤツだね」 と舌打ちして、 「どうかな」 とふたたびアシスタントに向き直る。 「う〜ん」 青柳と黒岩はしばらく考え込んでいた。やがて、 「あの・・・」 青柳がおずおずと口を開いた。 「素人考えで恐縮なんですが――」 「何? 言って」 「例えば、ミヤビが髪を切る、という展開はどうでしょう?」 「ミヤビが? 髪を?」 「はい」 と青柳はうなずき、続けた。 「これまでの自分の殻を破って、自慢の髪を切って・・・キョウヤの前にふたたび現れるんです。一種の決意表明みたいな感じで・・・」 「なるほど」 奈々子は両眼をギラギラと輝かせた。 「ありがちなパターンだけど、ソレ、いけるわね!」 奈々子のスイッチが入った。 自分のデスクに戻ると、猛然とネームを描きはじめた。 ミヤビが断髪するシーンになると、さらにエンジンがかかった。 普通、こういったシーンはさらっと描き流してしまうところだが、今回はどの場面よりも力を入れた。意識して力を入れたのではなく、自然に鉛筆が動いた。断髪シーンは何ページにも及んだ。 ミヤビのフワフワロングに美容師の持つハサミが入る。 ジョキジョキ、ザク、ザク ミヤビの髪がハラハラと落ちていく。まるで彼女を浄化するかのように。 ――もっと! もっとよ! 奈々子は無我夢中で描く。まるで何かにとり憑かれたかのように。 ミヤビの髪はどんどん短くなる。 ――そう! そう! こういう感じ! 奈々子はミヤビに感情移入する。奥深くまで入り込む。 脱皮。古い殻を破って、ミヤビは羽ばたこうとしている。 ――いい! いいよ、いいよ〜! そこには寂しさはなく、爽やかさがあった。だから髪を切るミヤビは微笑んでいる。描いている奈々子の顔もほころぶ。 しかし、下書き、ペン入れ、の段階になると、奈々子はまたいつもの不機嫌モードに。 ネームにとりかかるまでに時間を食いつぶしてしまい、とにかく時間がない。 締め切りは今日。 作業場は修羅場と化している。 もう30時間以上寝ていない。 奈々子は長い髪をひっつめ、目を血走らせ、眠気覚ましのコーヒーを何杯もおかわりして、ペンを動かしている。 「ああ! もォ!!」 と時折、ヒスを起こしている。 明日には本山に向けて出発しなければならない。 だから締め切りを延ばしてもらうわけにもいかない。 今日中にケリを着けなくては。 奈々子は焦りに焦っている。 焦れば失敗する。 失敗すれば、余計に焦る。悪循環だ。 「ああ、はいっ、はいっ、今日中には何とか。大丈夫・・・です。はい、はいっ」 紅谷がケータイで編集部に連絡している。 「紅谷、昼飯買って来い!」 「あ、はいっ!」 紅谷は電話を切り上げると、買出しへと飛び出して行った。 電話と言えば、 「あ、いけない」 「先生、どうしたんですか?」 「美容院の予約・・・」 本山に出仕するんだから、長い髪でもいいが、そんなボサボサ頭ではダメだ、ちゃんと整えて行け、という父の言葉に従い、美容院で髪をカットしようと、以前から予約を入れていたのだけれど、こんな状態では到底無理だ。行けっこない。 美容院に電話をいれ、予約をキャンセルした。 伸ばしっぱなしの髪をガリガリとかきむしり、 ――ったく! 仕事は終わらない。担当編集者は使えない。美容院にも行けない。とにかく時間がない。苛立ちは募るばかりだ。 ケータイが鳴った。 使えない担当編集者からだ。 『先生、お昼ご飯なんですけど、何にします?』 「何でもいいよッ!」 つい声を荒げてしまう。 「コンビニ行って、おにぎりとかサンドイッチとかお弁当とか、適当に見繕って買って来い! ユンケルも忘れんなよ!」 『わかりました』 「あ! あとサロンパスと目薬も買っといてッ!」 『はい。他には何か買うもの、ありますか?』 「そうだなあ・・・」 と考えながら、ふと髪に手をあてた瞬間、雷にうたれたかのように閃くものがあった。 「あと、バリカン!」 奈々子の口から発せられた単語に、アシスタント二人が同時に顔をあげた。 『バリカン?』 紅谷も聞き返す。 『バリカンて頭を刈るときに使う、アレですか?』 「それ以外にないだろッ! いいから早くしろッ!」 『りょ、了解です!』 ケータイを切る。 紅谷とのやりとりを聞いていたアシスタントはあわてて顔を伏せ、作業を再開する。奈々子も原稿との格闘をふたたび始める。 しかし先ほどまでの焦燥は霧消していた。 ボサボサ頭での出仕はご法度。美容院にも行けない。 となれば自分でカットするしかない。 けれど素人なので上手く切ることは不可能。 だったら、いっそバリカンで丸刈りにしてしまえ、と思いついた。 ミヤビのようにバッサリ髪を刈ることで、全てをリセットしたい。 髪は傷みきっている。長い髪は不精して伸ばしっぱなしにしていただけで、何の愛着もない。暑くなりはじめたこの頃では、正直鬱陶しい。 ――だったら、いっそ、ボーズにするか。 頭を丸めても、尼僧なのだから、別に不自然ではない。むしろ丸坊主で本山に上った方がウケはいいだろう。何ヶ月も俗世間から離れるから、見てくれなど気にする必要もない。 剃髪の理由は奔流の如く湧き出てくる。 むしろ坊主頭になるのが楽しみになってくる。 ――その前に仕事、仕事。 ペン先が軽やかに動き始めた。 「白瀬先生、バリカンなんて何に使うんですか?」 帰ってきた紅谷は怪訝そうに訪ねた。 「無能な編集者をお仕置きにボーズにすんの」 「ゲエッ!」 思わず後ずさる担当に、奈々子は、 「嘘だよ」 と愉快そうに笑い、 「アタシがボーズになるの」 「えっ?!」 六つの目玉が一斉に奈々子に注がれる。射ぬかんばかりの視線を浴びる。 「白瀬先生、本当ですか?!」 黒岩が目を瞠ったまま、訊いた。 「アタシだって一応、尼さんだしね。一回くらいボーズになるのも悪かないやね」 「せっかくの長い髪なのに、勿体ないですよ」 「そうですよ〜。女性が坊主なんて」 と青柳や紅谷が翻意を促したが、奈々子は肯んじなかった。 「とにかく、原稿あがったら、アタシの断髪式やるからね。皆もバリカン入れとくれ。さあ、仕事、仕事!」 奈々子は描いた。描いて描いて描きまくった。 ――これが終われば、バリカンでサッパリと丸坊主♪ なんだか坊主頭がご褒美みたく思える。 まるで鼻先にニンジンをぶらさげられた馬のように、奈々子はバリカン坊主というゴールに向かって、疾走する。 ペンは魔法のように、ミヤビとキョウヤの運命を動かしていく。ミヤビの断髪シーンは漫画家白瀬ナナ子入魂の名場面となった。 ペンを入れながら、 ――ミヤビ、アタシももうすぐバッサリやっちゃうからねぇ〜! 久しぶりに創作することの喜びを噛みしめる。この気持ち、ずっとどこかに、しまい忘れていた。 ショートヘアーになったミヤビが、はちきれんばかりの笑顔で、キョウヤの胸に飛び込んでいく。キョウヤも微笑んで、慈愛に満ちた眼差しでミヤビを抱きとめる。 かくして、「そよ風ノオト」、大団円。 ラストまで描き終えて、皆、 「終わった〜!」 と飛び上がらんばかりに喜んだ。時刻はもう深夜近い。 皆で乾杯し、出前のピザを食べ、「そよ風ノオト」の無事完結を祝った。 そして、いよいよ、奈々子の断髪式に移った。 フローリングの床にスツール椅子を置き、そこに奈々子が座った。 バリカンの付属品だったヘアーキャッチケープを自ら身体に巻いて、準備を整える。 ひっつめた髪をほどく。ハードスケジュールゆえの不規則な生活や手入れ不足で、髪はバサバサでハリも艶もない。 紅谷、青柳、黒岩はバリカンの取扱説明書とにらめっこしている。 「白瀬先生、どのくらいの長さにします?」 と紅谷が訊いた。 「長さ」と言われても、奈々子も坊主頭には詳しくない。 「そうだねえ」 と思案して、 「ほら、俳優の五木豪が最近、坊主にしたじゃない?」 「ああ、ドラマの役作りでしてますね」 「あれぐらいで頼むわ」 「あの長さは3mmかな。・・・そんなに短くていいんですか?!」 「せっかく坊主にするんだから、中途半端な長さはイヤなんだよね」 「わかりました」 と紅谷がバリカンの調節をする。 「じゃあ、刈り初め(かりぞめ)は紅谷クンにやってもらおうかね」 「えッ?! 俺ですかッ?!」 いざ断髪となると、紅谷は腰がひけ、 「俺はいいですよ〜。女の人の髪にバリカンなんて入れられないですよ」 「いい経験じゃん。長年の付き合いだし、アタシとしては最初のバリカンは紅谷にお願いしたいね」 紅谷は渋っていたが、奈々子やアシスタントの娘たちに急かされ、 「わかりました」 と意を決し、バリカンのスイッチをONにした。 ヴイイイイン とバリカンがけたたましく鳴りはじめる。 紅谷はいきなり額のド真ん中にバリカンをあてた。 ――いきなり、そこからいくかぁ?!! 紅谷の思いがけぬ蛮勇に、奈々子は仰天する。あるいは、紅谷、日頃奈々子のワガママに振り回されている鬱憤を、こういう形で晴らすつもりなのか? その仮説を裏付けるが如く、紅谷は容赦なくバリカンを奈々子の前髪の生え際に差し込むと、 ズババババ〜 と一気に刈った。刈り跡はつむじを削り取り、後頭部にまで達していた。 ――うわぁ〜!! 奈々子は驚きつつも、苦笑を浮かべるしかない。これで、もう後戻りはできない。 左右の髪は白い切通しにより、見事に分割されている。 その切通しの左横に紅谷は二度目のバリカンを食い込ませた。 ヴィイイン、ヴイイイイン・・・ジョリジョリジョリと勢いよく刈り進める。 バサバサバサッ と刈られた髪をヘアーキャッチケープが受けとめる。 切られた髪を見たら、先の方が赤茶けて枝毛になっていて、かなりの傷みようだった。 ――刈って正解かな。 と思うことにした。 紅谷は今度は切通しの右横を刈る。 ヴィイイイイン、ブイイン・・・ジ、ジ、ジョリジョリ バリカンにも大分慣れてきた様子で、もう躊躇することもなく、さらに右、続いて左、と交互に前頭部を刈りまくる。 「これ、やってみるとクセになりそうですね〜」 とハシャいでいる。 「・・・・・・」 月代のような頭になった奈々子は、遊び気分でバリカンを操る紅谷に複雑な心境。 ここまでやってしまった以上、もはやアシスタントの娘ふたりも遠慮する必要はない。むしろ、楽しそうにバリカンを動かしている紅谷が羨ましいらしく、 「じゃあ、次はアタシが」 と青柳が紅谷からバトンタッチ。バリカンを握り、 「白瀬先生、尼さんのお仕事、頑張って下さいね」 ヴィイイイイン、ヴイイン、ジジ、ジョリジョリジョリ〜 と月代を広げる。サイドの髪にもバリカンを差し入れる。 ドバア〜ッと長い髪が大量に、頭から切り離される。 奈々子はただ、こんもりとケープに積もっていく髪を、苦笑いで見つめるのみ。 「先生、モミアゲいかせてもらいます」 と青柳は奈々子の左右のモミアゲを、バリカンで下から上へ、剥き取った。 「まさか人生で女の人を坊主にできるとは思ってもみなかったです」 とウキウキしている。 「青柳ちゃん、次、アタシにやらせて」 と黒岩にせがまれ、未練そうに、 「OK」 とバリカンを渡していた。 「黒岩さんが終わったら、次はまた紅谷さん、それからアタシ、アタシの次に黒岩さん、っていう順番ね」 刈る側のテンションはあがっている。 刈られる側にもエクスタシーはある。 頭皮に触れるバリカンの振動、段々と涼しく軽くなっていく頭、バサリバサリとケープに溜まっていく髪。みるみるうちに、自身の姿形が変えられていく、というマゾヒスティックな喜悦があった。 ――快感・・・。 「クセになりそう」と紅谷は言っていたが、坊主頭にされる奈々子は奈々子で、クセになりそうだ。 その紅谷だが、バックの髪にバリカンを入れ始めている。下から上に何度も何度もバリカンを走らせる。 長い髪がバリカンの刃にひっかかって、 「痛っ」 と顔をしかめる奈々子だが、 「痛いですか? でも、先生に原稿落とされたときの俺の胸はもっと痛かったんですよ〜」 紅谷のささやかな逆襲に、 「あはは・・・」 奈々子はやはり苦笑するしかない。 三人に代わる代わるバリカンを入れられ、気がつけば虎刈り頭。 ヘアーキャッチケープは大量の髪をうけとめている。ケープからこぼれんばかりの髪の多さと重さに、 ――今までこれだけのモンを頭に載せて、生活してたのかあ。 という奇妙な感慨があった。軽すぎる頭にも戸惑う。 「白瀬先生、記念に写メ撮っていいですか?」 とアシスタントたちはケータイで、地球儀みたいな頭にされた奈々子を撮影する。 「ブログには載せないでよ」 と一応釘を刺しておく。 「え〜」 女の子たちは不満そうだ。 「せっかく女の人が丸坊主になるところ、撮ったのにぃ〜」 「しかも売れっ子漫画家の白瀬ナナ子先生のボウズなのにぃ〜」 紅谷まで、 「先生、先生のブログで坊主頭になった姿をお披露目したらどうですか? 今回の炎上騒動の件も、“反省して頭を丸めました”って画像をアップすれば、騒ぎも沈静化するはずです」 などと言い出す始末。 つい一時間前の奈々子だったならば、こういう場合、三人をヒステリックに怒鳴りつけていただろうが、頭を丸めてみたら、心まで丸くなったようで、 「イヤイヤ〜」 と笑いながら、童女のように首を振るだけ。 「それより早く、この頭、なんとかして」 と哀願する。 しかし、尚も食い下がる三人に、 「わかった! わかったから! ブログに載せていいから!」 と完全に譲歩して、ようよう坊主頭の仕上げにとりかかってもらった。 ヴィイイイイイン、ヴィイイイン、ジジジ、ジ、ジョリジョリ〜 ヴイイイン、ヴィイイイイン・・・ジ、ジジ、ジ、ジョリジョリジョリ〜 バリカンは頭に点在する黒い部分を削いでいった。 クリクリ坊主になった。 ハンドミラーで出来栄えを確かめる。 鏡の中、小坊主が不安げにこっちを見ている。 「先生、カワイイですよォ〜」 「似合ってますよォ〜」 「めっちゃイケてますよォ〜」 という無責任な賛辞を 「そ、そうかな・・・そうだよね」 ありがたく頂戴した。 よく考えたら、三日も入浴していない。 シャワーを浴びた。頭皮にしぶとく残る毛屑やフケや脂を洗い流した。 髪を全部刈ってしまい、シャワーを浴びると、まるで憑き物でも落ちたような爽快感をおぼえた。 ――サッパリしたぁ〜!! 心にも余裕が生まれた。 この仕事場のマンション部屋の外で、しばしば住人の子供たちがドタバタ遊んでいたりして、そのたびに、 「うっせー! このクソガキども! 静かにしろっ!」 とブチ切れていたが、翌朝、性懲りもなくドタバタ暴れている子供たちに、 「ここで遊んでたら皆の迷惑だから、よそで遊ぼうね」 と別人のように笑顔でたしなめる奈々子がいた。 実際、子供たちは、長い髪を振り乱したおっかないお姉さんと、坊主頭に僧衣の柔和な尼さんが同一人物とは思わなかったらしい。 本山に着いた。 宮仕えの日々が始まった。 俗世にいた頃は、「先生」「先生」とチヤホヤされてきた奈々子だが、年齢や実績から本山詰めの僧侶の中では一番の下っ端。 「オラッ、白瀬! 何グズグズしてんだッ!」 「白瀬! ボケッと突っ立ってんじゃねえ!」 「白瀬、またミスしやがって! いい加減にしろよッ!」 毎日、ドヤされながら、役目を務めている。 「すいません! 「申し訳ありません! 「はいッ! 気をつけます!」 と日に何十回もペコペコと丸刈り頭を下げている。 生まれて初めて縦社会の厳しさを思い知らされ中だ。 それでも、本山での生活の中から、 ――これは使えるな。 と自身の失敗も含め、漫画に使えそうなネタを拾っている。一種の職業病だ。 父の代理としての義務を果たし終えたら、勿論、漫画家業に復帰する。 ――ヒロインが尼さんっていうのも、面白そうだなあ。 早くも新作の構想を練りはじめている奈々子だ。 (了) あとがき ずっと書きたかったお話です。何度かチャレンジしたんですがダメで、今回、リトライしてみたら、なんと半日で書けた!(手直しには何日もかかったけど) 元々は昔の妄想が元になっています。 「漫画家」って聞くと、締め切りに追われて徹夜徹夜で、ろくにお風呂にも入れず、みたいなステレオタイプなイメージがあって(たぶん本当はもっと優雅なんだろうけれど)、女性の漫画家さんもオシャレもできず、美容院に行く暇もなく、髪は伸び放題で、満足に洗うこともできず、とうとうプッツンして(死語)「もう坊主にしちゃえ」という人もいたりして・・・という偏見に満ちた妄想を大昔していたわけですよ。 その妄想に尼ネタをドッキングさせて、今回のお話になりました。 書き終えて満足しています。 最後までお読み下さりありがとうございました! |