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「そよ風ノオト」ゴシップ


 ――ふふふ・・ふふ・・ふふふふ・・・
 燃えさかるローマの街を見下ろす皇帝ネロのように、漫画家・白瀬奈々子(しらせ・ななこ ペンネームは白瀬ナナ子)は炎上する彼女のブログを、朦朧とした瞳で見つめていた。
「ちょっとォ、白瀬先生〜!」
 買出しから戻った担当編集者の紅谷が、あわてて奈々子の許に駆け寄る。
「ネットなんかやってる場合じゃないですよ〜。締め切り迫ってるんですから〜」
と紅谷は苦言を呈しながら、パソコンの画面を見て、アチャー、という顔をした。
「ブログの方は我々が対処しますから」
「ナニ、アタシの出城を食い荒らすこの有象無象どもは?」
「先生が悪いんですよ」
 紅谷は肩を落とす。
「川崎メロ先生のこと、“業界ゴロ”なんてブログに書いちゃうから」
「アタシは事実を述べただけだよ」
 奈々子は物憂げに長い黒髪をかきあげる。
「他にも色んなベテランの先生方を批判してるし」
「っるっさいなあ」
 確かに奈々子は新人の頃から倨傲なところがあった。
 若干17歳でプロデビュー。
 新星現る!と業界でも注目を集めた。
 生意気な言動も多々あったが、若気のなせることと業界の大家たちは寛容だった。
 それから六年、たくさんのヒット作を生み出し、そのうちの何作かは映画やテレビドラマ、アニメになった。数々の賞も授かった。
 奈々子は今、栄光の真っ只中にいる。
 それなのに、
 ――なんだかなあ・・・。
 大いなる苛立ちがあった。
 漫画家を目指していた頃は違った。
 描くことが楽しくて楽しくて仕方なかった。
 漫画家になる!という夢に向かって懸命に描いた。
 好きな漫画で生計を立てられることができるなら、何を失ったって構わない、と、そう考えていた。
 そして夢は実現した。
 夢想していた何倍もの規模で実現した。
 ベストセラー漫画家としての成功。優雅な生活。有名人との華やかな交際。山のようなファンレター。
 にも関わらず、満たされない気持ちが生じる。
 締め切りに追われ、常時、仕事場に軟禁状態。やりたくもない仕事を強いられる。見当外れな批判をしてくるアンチも多い。次々に出現する後輩漫画家たちの活躍にも焦りをおぼえる。
 段々、描くことへの情熱が薄れていく。
 酒量は増えるし、精神も荒む。
 精神が荒めば、心に余裕がなくなる。他人に対して不寛容になる。矛先は他の漫画家やアシスタントに向けられる。
 ブログなどで有名漫画家をこきおろし、アシスタントにはワガママ放題、いつも眉間に皺を寄せて、些細なことでヒステリックに怒鳴りつける。
 同業者には疎まれる。アシスタントは次々と辞めていく。
 今のアシスタントだって担当編集者の紅谷が八方奔走して、よそから連れてきたヘルプの面々だ。
「とにかく白瀬先生、早く執筆作業に戻って下さ〜い。お願いしますよォ〜」
と紅谷は奈々子の袖にすがらんばかり。
「わーったよ」
 とりあえず、紅谷が買ってきた品をガサガサと物色する。
「紅谷ぁ〜」
「はいっ」
「ユンケル、これじゃ足りない。もっと買って来い」
と命じ、部屋から追い出す。
 哀れな担当編集者の背中を見送り、
 ――アイツも――
 大変だねえ、と冷笑する。
 遊びも睡眠も我慢して必死で勉強して一流大学に入って、卒業し、期待に胸ふくらませて出版業界に就職してみれば、高卒の小娘に「紅谷」「紅谷」と追い使われる。
 ――さて、
とユンケルを二本、立て続けに喉に流し込むと、奈々子は仕事に戻る。
 アシスタントの青柳と黒岩(ふたりとも♀)は、
「あ、白瀬先生」
「仕事中断して奥に行かれたんで、体調でも崩されたのかと思いましたよ」
と奈々子を迎えたが、
「いいから手を動かす」
 ぶっきら棒な奈々子の応対に、アシスタント二人は目を見合わせて肩をすくめ、作業を再開する。
 ――さて、どうするか。
 ネームを描かねばならない。が、妙案が浮かばない。ここ数日、悩みに悩んでいる。
 ――どう決着をつけるか・・・。

 実は白瀬奈々子、漫画家であると同時に尼僧でもある。
 生家が寺で、その縁で二十歳のとき、得度を受けた。髪も剃らず、修行もせず、法務もせず、いわば書類上だけの尼僧だ。
 二束のワラジと言われることもあるが、実際は1・5足のワラジだ。
 しかし、住職の父が今年に入って体調を崩してしまった。
 で、本来は何ヶ月か本山に詰める予定だったが、それも叶わない。
 副住職の兄は寺務で多忙を極めている。
 そこで、一応尼僧でもある奈々子にお鉢がまわってきた。間もなく、数ヶ月に渡り、本山に出仕しなければならない。
 意外なことに、奈々子はあっさり父の代役を引き受けた。
 むしろ好機と受け取った。
 しばらく仕事漬けの毎日から抜け出して、静かな山の中で清らかな空気を吸いながら、まったりと過ごす。悪くはないな、と思った。
 尼僧の仕事があるから、という口実で、かかえていた何本もの連載――漫画だけでなくエッセイもあった――を終了させた。どこの編集部も難色を示したが、奈々子は無理を押し通した。
 最後に残された連載の最終回に、現在とりかかっている最中だ。
 「そよ風ノオト」。それがタイトル。フワフワロングの美少女ミヤビとサワヤカ系「王子様」キョウヤのすれ違いの恋を描いている。
 しかし、ちっとも筆がすすまない。
 奈々子は苦吟する。
 前回、二人のすれ違いは決定的な事態を迎えている。その窮地から、どう一本背負いで恋を成就させればよいか。奈々子は頭を抱える。
 紅谷は気楽なもので、
「ほらほら〜、先生、見て下さいよ、このファンレターの数! 常連の左堂袈裟ちゃんなんか、また素敵なイラストまで描いてくれちゃってますよ。皆、ミヤビとキョウヤの恋の行方に興味津々なんですよ」
と煽ってくるし。
 ――どうしたもんかなあ。
 仮にも自分はプロだ。作品にも愛着がある。適当なラストでお茶を濁したくない。
 自分も読者も納得のいく展開、納得のいく結末。
 ――ああ、もうどうしたらいいの!
 奈々子は空白の用紙を前に、髪をかきむしる。
 考えあぐね、ついにアシスタントの二人に、
「どうしたらいいかなあ」
と相談した。
「身を引くことを決めたミヤビが、もう一度、キョウヤとやり直そう、と彼の胸に飛び込んでいく、っていう流れにしたいんだけど」
「はあ」
「イマイチ説得力がないわけよ」
「はあ」
「前回、ミヤビはキョウヤに対して、取り返しのつかないことをしちゃってるからね、簡単に『やっぱり貴方が好き』というわけにもいかないでしょ」
「はあ」
「説得力なのよ、説得力。何かミヤビの恋を読者に支持させる説得力が必要なのよ!」
「先生、ユンケル買ってきましたよ〜」
「黙れ、紅谷! あっち行ってろッ!」
「す、すいませんっ!」
とあわてふためいて退散する紅谷に、奈々子は、
「ホント、空気の読めないヤツだね」
と舌打ちして、
「どうかな」
とふたたびアシスタントに向き直る。
「う〜ん」
 青柳と黒岩はしばらく考え込んでいた。やがて、
「あの・・・」
 青柳がおずおずと口を開いた。
「素人考えで恐縮なんですが――」
「何? 言って」
「例えば、ミヤビが髪を切る、という展開はどうでしょう?」
「ミヤビが? 髪を?」
「はい」
と青柳はうなずき、続けた。
「これまでの自分の殻を破って、自慢の髪を切って・・・キョウヤの前にふたたび現れるんです。一種の決意表明みたいな感じで・・・」
「なるほど」
 奈々子は両眼をギラギラと輝かせた。
「ありがちなパターンだけど、ソレ、いけるわね!」
 奈々子のスイッチが入った。
 自分のデスクに戻ると、猛然とネームを描きはじめた。

 ミヤビが断髪するシーンになると、さらにエンジンがかかった。
 普通、こういったシーンはさらっと描き流してしまうところだが、今回はどの場面よりも力を入れた。意識して力を入れたのではなく、自然に鉛筆が動いた。断髪シーンは何ページにも及んだ。
 ミヤビのフワフワロングに美容師の持つハサミが入る。
 ジョキジョキ、ザク、ザク
 ミヤビの髪がハラハラと落ちていく。まるで彼女を浄化するかのように。
 ――もっと! もっとよ!
 奈々子は無我夢中で描く。まるで何かにとり憑かれたかのように。
 ミヤビの髪はどんどん短くなる。
 ――そう! そう! こういう感じ!
 奈々子はミヤビに感情移入する。奥深くまで入り込む。
 脱皮。古い殻を破って、ミヤビは羽ばたこうとしている。
 ――いい! いいよ、いいよ〜!
 そこには寂しさはなく、爽やかさがあった。だから髪を切るミヤビは微笑んでいる。描いている奈々子の顔もほころぶ。

 しかし、下書き、ペン入れ、の段階になると、奈々子はまたいつもの不機嫌モードに。
 ネームにとりかかるまでに時間を食いつぶしてしまい、とにかく時間がない。
 締め切りは今日。
 作業場は修羅場と化している。
 もう30時間以上寝ていない。
 奈々子は長い髪をひっつめ、目を血走らせ、眠気覚ましのコーヒーを何杯もおかわりして、ペンを動かしている。
「ああ! もォ!!」
と時折、ヒスを起こしている。
 明日には本山に向けて出発しなければならない。
 だから締め切りを延ばしてもらうわけにもいかない。
 今日中にケリを着けなくては。
 奈々子は焦りに焦っている。
 焦れば失敗する。
 失敗すれば、余計に焦る。悪循環だ。
「ああ、はいっ、はいっ、今日中には何とか。大丈夫・・・です。はい、はいっ」
 紅谷がケータイで編集部に連絡している。
「紅谷、昼飯買って来い!」
「あ、はいっ!」
 紅谷は電話を切り上げると、買出しへと飛び出して行った。
 電話と言えば、
「あ、いけない」
「先生、どうしたんですか?」
「美容院の予約・・・」
 本山に出仕するんだから、長い髪でもいいが、そんなボサボサ頭ではダメだ、ちゃんと整えて行け、という父の言葉に従い、美容院で髪をカットしようと、以前から予約を入れていたのだけれど、こんな状態では到底無理だ。行けっこない。
 美容院に電話をいれ、予約をキャンセルした。
 伸ばしっぱなしの髪をガリガリとかきむしり、
 ――ったく!
 仕事は終わらない。担当編集者は使えない。美容院にも行けない。とにかく時間がない。苛立ちは募るばかりだ。
 ケータイが鳴った。
 使えない担当編集者からだ。
『先生、お昼ご飯なんですけど、何にします?』
「何でもいいよッ!」
 つい声を荒げてしまう。
「コンビニ行って、おにぎりとかサンドイッチとかお弁当とか、適当に見繕って買って来い! ユンケルも忘れんなよ!」
『わかりました』
「あ! あとサロンパスと目薬も買っといてッ!」
『はい。他には何か買うもの、ありますか?』
「そうだなあ・・・」
と考えながら、ふと髪に手をあてた瞬間、雷にうたれたかのように閃くものがあった。
「あと、バリカン!」
 奈々子の口から発せられた単語に、アシスタント二人が同時に顔をあげた。
『バリカン?』
 紅谷も聞き返す。
『バリカンて頭を刈るときに使う、アレですか?』
「それ以外にないだろッ! いいから早くしろッ!」
『りょ、了解です!』

 ケータイを切る。
 紅谷とのやりとりを聞いていたアシスタントはあわてて顔を伏せ、作業を再開する。奈々子も原稿との格闘をふたたび始める。
 しかし先ほどまでの焦燥は霧消していた。
 ボサボサ頭での出仕はご法度。美容院にも行けない。
 となれば自分でカットするしかない。
 けれど素人なので上手く切ることは不可能。
 だったら、いっそバリカンで丸刈りにしてしまえ、と思いついた。
 ミヤビのようにバッサリ髪を刈ることで、全てをリセットしたい。
 髪は傷みきっている。長い髪は不精して伸ばしっぱなしにしていただけで、何の愛着もない。暑くなりはじめたこの頃では、正直鬱陶しい。
 ――だったら、いっそ、ボーズにするか。
 頭を丸めても、尼僧なのだから、別に不自然ではない。むしろ丸坊主で本山に上った方がウケはいいだろう。何ヶ月も俗世間から離れるから、見てくれなど気にする必要もない。
 剃髪の理由は奔流の如く湧き出てくる。
 むしろ坊主頭になるのが楽しみになってくる。
 ――その前に仕事、仕事。
 ペン先が軽やかに動き始めた。

「白瀬先生、バリカンなんて何に使うんですか?」
 帰ってきた紅谷は怪訝そうに訪ねた。
「無能な編集者をお仕置きにボーズにすんの」
「ゲエッ!」
 思わず後ずさる担当に、奈々子は、
「嘘だよ」
と愉快そうに笑い、
「アタシがボーズになるの」
「えっ?!」
 六つの目玉が一斉に奈々子に注がれる。射ぬかんばかりの視線を浴びる。
「白瀬先生、本当ですか?!」
 黒岩が目を瞠ったまま、訊いた。
「アタシだって一応、尼さんだしね。一回くらいボーズになるのも悪かないやね」
「せっかくの長い髪なのに、勿体ないですよ」
「そうですよ〜。女性が坊主なんて」
と青柳や紅谷が翻意を促したが、奈々子は肯んじなかった。
「とにかく、原稿あがったら、アタシの断髪式やるからね。皆もバリカン入れとくれ。さあ、仕事、仕事!」

 奈々子は描いた。描いて描いて描きまくった。
 ――これが終われば、バリカンでサッパリと丸坊主♪
 なんだか坊主頭がご褒美みたく思える。
 まるで鼻先にニンジンをぶらさげられた馬のように、奈々子はバリカン坊主というゴールに向かって、疾走する。
 ペンは魔法のように、ミヤビとキョウヤの運命を動かしていく。ミヤビの断髪シーンは漫画家白瀬ナナ子入魂の名場面となった。
 ペンを入れながら、
 ――ミヤビ、アタシももうすぐバッサリやっちゃうからねぇ〜!
 久しぶりに創作することの喜びを噛みしめる。この気持ち、ずっとどこかに、しまい忘れていた。
 ショートヘアーになったミヤビが、はちきれんばかりの笑顔で、キョウヤの胸に飛び込んでいく。キョウヤも微笑んで、慈愛に満ちた眼差しでミヤビを抱きとめる。
 かくして、「そよ風ノオト」、大団円。
 ラストまで描き終えて、皆、
「終わった〜!」
と飛び上がらんばかりに喜んだ。時刻はもう深夜近い。
 皆で乾杯し、出前のピザを食べ、「そよ風ノオト」の無事完結を祝った。

 そして、いよいよ、奈々子の断髪式に移った。
 フローリングの床にスツール椅子を置き、そこに奈々子が座った。
 バリカンの付属品だったヘアーキャッチケープを自ら身体に巻いて、準備を整える。
 ひっつめた髪をほどく。ハードスケジュールゆえの不規則な生活や手入れ不足で、髪はバサバサでハリも艶もない。
 紅谷、青柳、黒岩はバリカンの取扱説明書とにらめっこしている。
「白瀬先生、どのくらいの長さにします?」
と紅谷が訊いた。
 「長さ」と言われても、奈々子も坊主頭には詳しくない。
「そうだねえ」
と思案して、
「ほら、俳優の五木豪が最近、坊主にしたじゃない?」
「ああ、ドラマの役作りでしてますね」
「あれぐらいで頼むわ」
「あの長さは3mmかな。・・・そんなに短くていいんですか?!」
「せっかく坊主にするんだから、中途半端な長さはイヤなんだよね」
「わかりました」
と紅谷がバリカンの調節をする。
「じゃあ、刈り初め(かりぞめ)は紅谷クンにやってもらおうかね」
「えッ?! 俺ですかッ?!」
 いざ断髪となると、紅谷は腰がひけ、
「俺はいいですよ〜。女の人の髪にバリカンなんて入れられないですよ」
「いい経験じゃん。長年の付き合いだし、アタシとしては最初のバリカンは紅谷にお願いしたいね」
 紅谷は渋っていたが、奈々子やアシスタントの娘たちに急かされ、
「わかりました」
と意を決し、バリカンのスイッチをONにした。
 ヴイイイイン
とバリカンがけたたましく鳴りはじめる。
 紅谷はいきなり額のド真ん中にバリカンをあてた。
 ――いきなり、そこからいくかぁ?!!
 紅谷の思いがけぬ蛮勇に、奈々子は仰天する。あるいは、紅谷、日頃奈々子のワガママに振り回されている鬱憤を、こういう形で晴らすつもりなのか?
 その仮説を裏付けるが如く、紅谷は容赦なくバリカンを奈々子の前髪の生え際に差し込むと、
 ズババババ〜
と一気に刈った。刈り跡はつむじを削り取り、後頭部にまで達していた。
 ――うわぁ〜!!
 奈々子は驚きつつも、苦笑を浮かべるしかない。これで、もう後戻りはできない。
 左右の髪は白い切通しにより、見事に分割されている。
 その切通しの左横に紅谷は二度目のバリカンを食い込ませた。
 ヴィイイン、ヴイイイイン・・・ジョリジョリジョリと勢いよく刈り進める。
 バサバサバサッ
と刈られた髪をヘアーキャッチケープが受けとめる。
 切られた髪を見たら、先の方が赤茶けて枝毛になっていて、かなりの傷みようだった。
 ――刈って正解かな。
と思うことにした。
 紅谷は今度は切通しの右横を刈る。
 ヴィイイイイン、ブイイン・・・ジ、ジ、ジョリジョリ
 バリカンにも大分慣れてきた様子で、もう躊躇することもなく、さらに右、続いて左、と交互に前頭部を刈りまくる。
「これ、やってみるとクセになりそうですね〜」
とハシャいでいる。
「・・・・・・」
 月代のような頭になった奈々子は、遊び気分でバリカンを操る紅谷に複雑な心境。
 ここまでやってしまった以上、もはやアシスタントの娘ふたりも遠慮する必要はない。むしろ、楽しそうにバリカンを動かしている紅谷が羨ましいらしく、
「じゃあ、次はアタシが」
と青柳が紅谷からバトンタッチ。バリカンを握り、
「白瀬先生、尼さんのお仕事、頑張って下さいね」
 ヴィイイイイン、ヴイイン、ジジ、ジョリジョリジョリ〜
と月代を広げる。サイドの髪にもバリカンを差し入れる。
 ドバア〜ッと長い髪が大量に、頭から切り離される。
 奈々子はただ、こんもりとケープに積もっていく髪を、苦笑いで見つめるのみ。
「先生、モミアゲいかせてもらいます」
と青柳は奈々子の左右のモミアゲを、バリカンで下から上へ、剥き取った。
「まさか人生で女の人を坊主にできるとは思ってもみなかったです」
とウキウキしている。
「青柳ちゃん、次、アタシにやらせて」
と黒岩にせがまれ、未練そうに、
「OK」
とバリカンを渡していた。
「黒岩さんが終わったら、次はまた紅谷さん、それからアタシ、アタシの次に黒岩さん、っていう順番ね」
 刈る側のテンションはあがっている。
 刈られる側にもエクスタシーはある。
 頭皮に触れるバリカンの振動、段々と涼しく軽くなっていく頭、バサリバサリとケープに溜まっていく髪。みるみるうちに、自身の姿形が変えられていく、というマゾヒスティックな喜悦があった。
 ――快感・・・。
 「クセになりそう」と紅谷は言っていたが、坊主頭にされる奈々子は奈々子で、クセになりそうだ。
 その紅谷だが、バックの髪にバリカンを入れ始めている。下から上に何度も何度もバリカンを走らせる。
 長い髪がバリカンの刃にひっかかって、
「痛っ」
と顔をしかめる奈々子だが、
「痛いですか? でも、先生に原稿落とされたときの俺の胸はもっと痛かったんですよ〜」
 紅谷のささやかな逆襲に、
「あはは・・・」
 奈々子はやはり苦笑するしかない。
 三人に代わる代わるバリカンを入れられ、気がつけば虎刈り頭。
 ヘアーキャッチケープは大量の髪をうけとめている。ケープからこぼれんばかりの髪の多さと重さに、
 ――今までこれだけのモンを頭に載せて、生活してたのかあ。
という奇妙な感慨があった。軽すぎる頭にも戸惑う。
「白瀬先生、記念に写メ撮っていいですか?」
とアシスタントたちはケータイで、地球儀みたいな頭にされた奈々子を撮影する。
「ブログには載せないでよ」
と一応釘を刺しておく。
「え〜」
 女の子たちは不満そうだ。
「せっかく女の人が丸坊主になるところ、撮ったのにぃ〜」
「しかも売れっ子漫画家の白瀬ナナ子先生のボウズなのにぃ〜」
 紅谷まで、
「先生、先生のブログで坊主頭になった姿をお披露目したらどうですか? 今回の炎上騒動の件も、“反省して頭を丸めました”って画像をアップすれば、騒ぎも沈静化するはずです」
などと言い出す始末。
 つい一時間前の奈々子だったならば、こういう場合、三人をヒステリックに怒鳴りつけていただろうが、頭を丸めてみたら、心まで丸くなったようで、
「イヤイヤ〜」
と笑いながら、童女のように首を振るだけ。
「それより早く、この頭、なんとかして」
と哀願する。
 しかし、尚も食い下がる三人に、
「わかった! わかったから! ブログに載せていいから!」
と完全に譲歩して、ようよう坊主頭の仕上げにとりかかってもらった。
 ヴィイイイイイン、ヴィイイイン、ジジジ、ジ、ジョリジョリ〜
 ヴイイイン、ヴィイイイイン・・・ジ、ジジ、ジ、ジョリジョリジョリ〜
 バリカンは頭に点在する黒い部分を削いでいった。
 クリクリ坊主になった。
 ハンドミラーで出来栄えを確かめる。
 鏡の中、小坊主が不安げにこっちを見ている。
「先生、カワイイですよォ〜」
「似合ってますよォ〜」
「めっちゃイケてますよォ〜」
という無責任な賛辞を
「そ、そうかな・・・そうだよね」
 ありがたく頂戴した。
 よく考えたら、三日も入浴していない。
 シャワーを浴びた。頭皮にしぶとく残る毛屑やフケや脂を洗い流した。

 髪を全部刈ってしまい、シャワーを浴びると、まるで憑き物でも落ちたような爽快感をおぼえた。
 ――サッパリしたぁ〜!!
 心にも余裕が生まれた。
 この仕事場のマンション部屋の外で、しばしば住人の子供たちがドタバタ遊んでいたりして、そのたびに、
「うっせー! このクソガキども! 静かにしろっ!」
とブチ切れていたが、翌朝、性懲りもなくドタバタ暴れている子供たちに、
「ここで遊んでたら皆の迷惑だから、よそで遊ぼうね」
と別人のように笑顔でたしなめる奈々子がいた。
 実際、子供たちは、長い髪を振り乱したおっかないお姉さんと、坊主頭に僧衣の柔和な尼さんが同一人物とは思わなかったらしい。

 本山に着いた。
 宮仕えの日々が始まった。
 俗世にいた頃は、「先生」「先生」とチヤホヤされてきた奈々子だが、年齢や実績から本山詰めの僧侶の中では一番の下っ端。
「オラッ、白瀬! 何グズグズしてんだッ!」
「白瀬! ボケッと突っ立ってんじゃねえ!」
「白瀬、またミスしやがって! いい加減にしろよッ!」
 毎日、ドヤされながら、役目を務めている。
「すいません!
「申し訳ありません!
「はいッ! 気をつけます!」
と日に何十回もペコペコと丸刈り頭を下げている。
 生まれて初めて縦社会の厳しさを思い知らされ中だ。
 それでも、本山での生活の中から、
 ――これは使えるな。
と自身の失敗も含め、漫画に使えそうなネタを拾っている。一種の職業病だ。
 父の代理としての義務を果たし終えたら、勿論、漫画家業に復帰する。
 ――ヒロインが尼さんっていうのも、面白そうだなあ。
 早くも新作の構想を練りはじめている奈々子だ。



(了)



    あとがき

 ずっと書きたかったお話です。何度かチャレンジしたんですがダメで、今回、リトライしてみたら、なんと半日で書けた!(手直しには何日もかかったけど)
 元々は昔の妄想が元になっています。
 「漫画家」って聞くと、締め切りに追われて徹夜徹夜で、ろくにお風呂にも入れず、みたいなステレオタイプなイメージがあって(たぶん本当はもっと優雅なんだろうけれど)、女性の漫画家さんもオシャレもできず、美容院に行く暇もなく、髪は伸び放題で、満足に洗うこともできず、とうとうプッツンして(死語)「もう坊主にしちゃえ」という人もいたりして・・・という偏見に満ちた妄想を大昔していたわけですよ。
 その妄想に尼ネタをドッキングさせて、今回のお話になりました。
 書き終えて満足しています。
 最後までお読み下さりありがとうございました!




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