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LaLa〜風変わりな幸福〜


 昼下がりの廊下を歩いていたら、
「ララちゃん」
と声をかけられた。
 この声、
 馴れ馴れしい呼び方、
 まぎれもなく、
 ヤツ
だ。
 仏頂面で振り返れば、やっぱりヤツがいた。
 きれいに刈り込まれた坊主頭に、整った顔立ち、その顔にシンプルな眼鏡をひっかけている。
 ヤツだ! ヤツが来たぞおお〜!と、この稿の主人公、新垣良々(あらがき・らら)――17歳・処女――の脳内では危険を知らせる非常ベルが鳴り渡っている。
 警戒態勢がMAXに達している良々だが、ヤツは斟酌することなく、ピッタリと寄り添い、
「夏だねえ」
と時候の話題から切り出した。
「・・・・・・」
 良々は無視した。
 しかし、ヤツはメゲた様子もなく続ける。
「暑いねえ」
「・・・・・・」
 良々はさらに無視した。次に来る言葉は100%わかっている。
「ララちゃんも坊主にしない?」
 ――ほら、ね。
「夏は坊主が一番! サッパリして気持ちいいよ〜」
 ――面倒なヤツに惚れられてしまった・・・。
 良々は大きくため息を吐く。そして、
「馬里クン」
「何だい?」
 ヤツ――馬里寛(うまざと・ひろし)は自信に満ち溢れた笑顔で応じた。
「だから〜、アタシは坊主頭になんかならないって、何十回言わせる気なのッ!」
「ララちゃんが坊主になってくれるまで」
「ならない、っつってるでしょッ!」
「いやいや、どうかなあ」
 なんでコイツはこんなに根拠のない自信を保ち続けているのだろう。良々は軽く舌打ちする。
「とにかく、もうこれ以上、アタシに付きまとうのはやめてくれない。迷惑だから」
「今日のところは撤退しよう。だけど俺はあきらめないよ」
「あきらめてよッ!」
 良々は足音荒く教室へと向かった。
 教室に戻ると、
「どうした〜、ララ、怖い顔して」
 親友のエッちゃんとムミちゃんが出迎える。
 良々の様子に、
「はは〜ん」
とイジワルな目をして、
「さては、またまたバリカン君にアプローチされたな」
「どうせ、“夏だから坊主にしよう”とか勧誘されたんでしょ」
 図星をつかれ、良々はますます面白くない。
「バリカンも相変わらず、ナントカの一つ覚えだねえ。芸がないっつーかさ」
「ララも変なのに好かれちゃって、災難だねえ」
 口ではそう言いつつも、エッちゃんもムミちゃんも内心では面白がってるみたい。

 そもそも馬里寛は出会った時から無茶苦茶だった。
 あまりに異常な出会いだったため、今でもはっきりと覚えている。
 新学期の始業式が終わって、生徒たちがめいめい教室に帰りかけ、その一群の中には良々もいたのだが、そこへ、
「ちょっと、そこのニキビちゃん!」
 出し抜けに声をかけられた。
 ――「ニキビちゃん」だと?
 新垣良々は校内美人ランキング4位という、高ランクの美少女だった。顔にチョコチョコとニキビがあった。ニキビさえなかったら校内1位だ、という者もいた。
 本人も気にしていて、洗顔料やサプリメントなどニキビ対策を色々試みていたが、一向に効果がなかった。周囲も気を使って、良々の前ではニキビの話題は避けていた。
 なのに、
 それなのに、
 公衆の面前で「ニキビちゃん」呼ばわり。
 それが馬里寛が良々に発した第一声だった。
「なにか用ですか?」
 コンプレックスを刺激されまくり、少しキレ気味の良々だが寛は平然として、
「俺と付き合わない?」
と唐突な告白をしたものだ。
「えっ?」
 当然良々は仰天した。
 でも、ここまでは、まあ、人生そういうこともあるだろう的な展開だ。
 しかし寛が次に言った言葉は、良々が拠って立つ常識世界を遙か彼方に押し流した。
「で、付き合うにあたっては、君に坊主になってもらいたいんだ」
「え?」
 良々の時間が止まった。
 ――何を言ってるの、この人?
 寛の言葉が理解できない。
 ぼうず?
 ボウズ?
 BOUZU?
 固まっている良々に、寛は、
「大丈夫、俺、いつもバリカン持ち歩いてるから、君が望むのなら、この場で坊主にしてあげてもいいよ」
とポケットから取り出されたのは、
 ――ば、ば、ば、バ、
 直径20センチほどのホームバリカンだった。
 バリカン?
 バリカン?
 バリカン?
 良々の意識はさらに飛ぶ。
 キ印か?と寛の顔をまじまじと見た。が、寛の表情は明るい。病的なものは感じられない。いや、バリカン片手に、女の子の頭を剃ってやろうかと、アッケラカンと言ってのけるところがすでに病んでいるのではないか?
 ちょっと、いや、かなり怖い。
「くだらない冗談やめて!!」
「冗談じゃないよ。本気だよ」
「尚更ヤバいよ!!」
 良々は寛を振り切って、足早に歩き出した。しまいにはダッシュで逃げた。

 後でエッちゃんとムミちゃんに寛のことを訊いたら、
「ああ、バリカン君ね」
 結構有名人らしい。
 馬里寛。
 あだ名はバリカン。
 イケメンだし、勉強もスポーツもできる。明るく自信に満ち溢れ、彼に惹かれる女子も少なからずいるらしい。
「ただね――」
 気に入った女の子の頭を坊主にしたがる
「一種の変人だね」
とのこと。
「だから、彼女ができないってわけ」
 とは言え、変人には違いないが、陰にこもったところが全然なく、常に堂々としているため、「変わってるよね」程度の認識で済んでいる。女子の中にはふざけて、
「バリカン君、アタシを坊主にして〜」
と寛をひやかす娘もいるらしい。
 だが、しかし、ターゲットにロックオンされてしまった良々にとっては、迷惑も迷惑、大迷惑なわけで、
「ララちゃん」
と、いつしかファーストネームで呼ばれ、
「ララちゃん、新学期だし気持ちを新たにするために坊主なんてどう?」
などと二日に一度は坊主をすすめてくる。
 ケータイに保存している坊主頭の外人モデルの画像を見せてきて、
「ホラ、女の人の坊主ってカッコ良いだろ? ララちゃんなら坊主似合うと思うな」
とか、
「ララちゃん、そろそろ中間テストだし気合いを入れるために坊主にしない?」
とか、誰に聞いたのか、
「ララちゃん、中間テストの結果、あんまり芳しくなかったんだって? 反省の気持ちを表すためにも坊主にすべきだよ」
とか、
「ララちゃん、そろそろプール開きだけど、坊主にしたら髪を乾かす手間が省けるよ」
 新学期から四ヶ月、人目もはばからず粘着されまくった。
 その都度、
「坊主になんて絶対絶対絶対ならないからね!!」
と良々は激しく拒み続けている。
平穏だった学園生活が、寛の出現で吹っ飛んでしまった。

 不思議なことに、
「坊主なんて嫌!!」
と拒絶しまくっているのに、坊主頭になった自分が不意に脳裏をかすめる。
 寛の言うとおり、
 ――似合うかも。
なんて思ってしまったりする。
 最初は抽象的なイメージだったのが、段々、頭を走るバリカンの感触や、床に大量に落ちている自分の髪、坊主頭の軽さや涼しさ、周囲の人たちの驚く顔、など具体的なイメージが頭の中、浮かぶ。
 寛に髪を刈られる光景まで浮かぶ。
 断髪される場所は、何故かきまって、幼い頃住んでいた小さなアパートのキッチンだった。
 ――ダメ! ダメ! ダメ〜〜!!
 あわてて妄想を振り払う。
 このままだと本当に寛の思う壺だ。
 ――でも・・・。
 実を言えば坊主頭に憧れはじめている良々がいる。
 良々だけではないはずだ。できることなら坊主頭にしてみたい、っていう女の子は意外に多い。
 シャンプーやリンスもいらない。抜け毛もない。早起きしてセットする手間もない。美容院に通う必要もない。
 良々の髪は肩甲骨の下まである。黒髪でストレート。学校ではヘアバンドをして額を出している。
 ――この髪――
 バリカンでバア〜と刈ってしまったら、かなり気持ちいいんだろうなあ、と思うこともある。
 でも実際問題として女性が坊主になるのは難しい。
 坊主にしてしまってから後悔しても、もう後戻りはできない。
 だから良々は寛を邪険に突き放し続けている。
 けれど、良々は異性としての寛に魅力を感じていないわけではない。
 顔やスタイルは結構好みだし、サッカー部のエースとして活躍している彼を素直にカッコいいと思う。
 何をやらせてもうまくこなせる器用さにも敬服する。
 友人たちを喜ばせようとするサービス精神も素晴らしい。
 何より「甲斐性」がある。
 仮に戦争とか自然の災害なんかで地上が荒廃しても、寛なら力と才覚で食料を獲ってきてくれそう、と思わせる逞しさを感じる。
 つまりは、「変人」の部分以外では、寛は良々の理想の男子なのだ。

 ある日、いつものように、
「ララちゃん、夏休み前に坊主にしない?」
と性懲りもなく近寄ってきた寛に、
「馬里クンさ」
 思い切って訊ねた。
「なんで女の子を坊主にさせたがるの?」
 詰問ではなく純粋に疑問。
 寛は想い人のいつになく理性的な対応に、
「え?」
と虚をつかれたみたいだった。
 で、ちょっと考えて、
「まあ、趣味だな」
と答えた。
「趣味?」
 あっさり片付けられて、良々は拍子抜けした。だが、寛は珍しく真剣な表情で、
「ポリシーと言うべきかな。坊主は俺が知り得る限り、一番イケてる髪型だ。手入れが楽だったり、散髪代が浮くという利点も、まあ、あるにはあるが、一切のムダを削ぎ落としたフォルムの美しさ、清らかさには感動すらおぼえる。しかし、坊主頭の似合う男や女はほんの一握りしかいない。いわば選ばれた者にしかできないヘアスタイルだ」
 坊主論を熱く語る寛に、良々は気圧されつつも、
「アタシは、その“選ばれた者“なわけ?」
 怖々訊いた。
「勿論」
 寛は大真面目にうなずく。そして、
「俺には理想があるんだ」
と言った。
「理想?」
 オウム返しに聞かれ、寛はさらに語った。
「彼女と二人、お揃いの坊主頭で街を歩きたい。坊主頭の彼女と一緒に映画を観たり、お茶を飲みたい」
「ホ〜」
 良々は毒気を抜かれ、ただただ謹聴している。
 所詮はマニアの戯言、と笑い飛ばすこともできるだろうけど、こうして寛の話を聞くのは初めてだし、変人は変人なりに確固たるポリシーがあるようだ。
「だから、ララちゃんには是非、この夏、坊主にして欲しい。そして、俺と――」
と再度、勧誘の魔の手が伸びかけたが、
 キーンコーン、カーンコーン
 チャイムに救われた。
「じゃあ、アタシはこれで」
 足早に寛から離れる。
 ――危なかった〜!
 あやうく寛のペースに引きずり込まれるところだった。実際、不覚にも、ペアルックならぬペア坊主で寛とデートしている自分を想像してしまった。
 坊主に憧れる。
 寛のことも憎からず思っている。
 だからといって「一線」を越える度胸はない。

 その日を境に何故か、寛はパッタリと良々にアプローチしなくなった。
 ――あれ?
 良々は戸惑う。
 寛の変化にも戸惑ったし、寛が遠ざかったことに物足りなさ、というか一抹の寂しさを感じている自分にも、
 ――なんでだろう・・・
と戸惑う。
 本来ならば、うるさいのが去って、狂喜乱舞すべきはずなのに。

 良々は良々で学校生活がある。
 何しろ「校内4位」の美少女だ。
 今までは寛の存在があったからか、他の男子が寄ってくることはあまりなかった。
 だけど、寛のフェイドアウトで状況は変わった。何人かの男子が早速、接近してきた。
 その中でも、
 土谷君
という男子と仲良くなった。一緒に下校する程度だけど。
 土谷君は顔もいい、気も優しい。
 良々のロングヘアーを
「綺麗な髪だね」
と何度も褒めてくれる。バリカン君とは大違いだ。
 嬉しい・・・はずなのだけれど、何故か心は弾まない。
 正直に言えば、
 ――退屈。
だ。

 夏休みを控えたある日、廊下で寛が女子と話しているのを目撃した。
 気になる。
 新しい女の子を見つけて坊主にするよう勧めているのだろうか。
 胸がモヤモヤする。
 そっと聞き耳をたてる。
 話の内容は単なる委員会の用事だった。
 ホッと胸をなでおろす。
 同時に、
 ――あれ?
と思う。なんで安堵しているのだろう。
 ――もしも――
 仮定の話だが、寛が今の女子に坊主頭を勧めていたら、良々としては面白くない。
 ――これって、ひょっとして嫉妬ってやつ?!
 自分の気持ちを持て余して、良々は立ち尽くす。
 寛が良々に気づいた。
「・・・・・・」
 良々は反射的に後ずさった。
「・・・・・・」
 が、寛はニコリともせず、そのまま踵を返し、去っていってしまった。
「・・・・・・」
 肩すかしをくらい、良々は、立ち尽くしたままで。
「どうした、ララ!」
 エッちゃんとムミちゃんが両脇からサンドイッチしてくる。
「バリカン君が冷たくなってさみしいのか〜?」
「“何よ、今まで散々付きまとってたクセに急にそっけなくなって”とか憤慨してたり?」
 この二人・・・「図星シスターズ」と呼びたい。
「とにかくさ、バリカン君の脅威は去ったんだから、一安心じゃん」
「これからは心置きなく学校生活を楽しみなよ」
「ホラホラ、彼氏がお待ちかねですぜ」
 親友たちの背後に土谷君がいた。気弱げに微笑しながら、
「新垣さん、一緒に帰ろう」
と手を振っている。
「言っておくけど、まだ付き合ってるわけじゃないからね」
 二人に釘を刺す良々。今はまだ、彼氏の座を空席のままにしておきたい。

 土谷君と帰路につく。
 土谷君は一生懸命、彼の取っておきの話をして、ムードを盛り上げようとしていたが、良々は浮かない気分で、
「ああ、うん」
とか、
「すごいねえ」
とか生返事ばかり。
 ――こんなに優しくて「ノーマル」なのに・・・。
 なんで馬里寛のことを考えてしまうのだろう。
 土谷君に申し訳ない気持ちになる。
「髪」
と不意に土谷君が言った。
「えっ?」
と良々は我に返り聞き返す。
「髪に糸くずがついてる」
 土谷君は膝をおって、良々の髪に触れる。指先で糸くずを取ってくれる。
「綺麗な髪だね」
 いつものように褒めてくれる。
「ありがとう」
 いつものようにお礼を言う。
 それだけ。
 ふたたび、歩き出す。
 商店街にさしかかる。
「あれ、馬里じゃん」
という土谷君の声に、ハッとなる。
 寛がいた。黄色いスタッフジャンパーを着て、チラシ配りをしている。二人を見て、ちょっと複雑な顔をした。
「バイトか?」
「ああ、知り合いの床屋に頼まれてな」
 部活が休みの日はこうしてヘルプのバイトをしているらしい。
「土谷も髪切るときは来てくれよ。今、サービス期間中だから」
 そう言って、寛は床屋のチラシを土谷君に渡す。良々の顔を見ようともしない。
 ――何よ!
 ムカムカする。
「ねえ」
 気がつけば、寛に声をかけていた。
「アタシにはチラシ、くれないの?」
「え?」
 寛は一瞬、困惑したようだった。いつもの彼らしくなく、モゴモゴと、
「いや、だって、床屋のチラシだよ? 基本女の子にはやらないよ」
「関係ないでしょ!」
 良々は叫んでいた。
「女の子だからナニ? 馬里クン、アタシに坊主になって欲しいんでしょ! 今更、女の子に床屋のチラシは渡さないなんて矛盾してるじゃない!」
「え?! 馬里、新垣さんを坊主にするつもりだったのか?!」
 土谷君は目を丸くした。
「こんな綺麗な髪を刈るなんて、お前、ナニ考えてんだよ!」
と髪をなでてくる土谷君の手を、良々は無意識のうちに払いのけていた。そして、
「馬里クン、もう諦めたの? アタシを坊主にするの、もう諦めたの?」
 詰るように訊いた。
「アタシとお揃いの坊主頭で映画行ったりお茶したりするの、もう諦めたの?」
「だって――」
 寛は肩をすくめた。
「ララちゃ・・・新垣さんには、もう土谷っていう彼氏がいるじゃないか」
「彼氏じゃ・・・」
 ない、と言い終えないうちに、寛はチラシ配りを再開していた。そして、
「これまで、ごめんな。迷惑だったろ」
 良々に背中を向けたまま、謝った。
 ――何よ!
 腹が立つ。勝手に寄ってきて、勝手に離れていって。
「土谷君、行こ」
 寛に見せつけるように、土谷君の腕に両手でしがみつく。
「どっか寄っていこうよ」
などと言って、ことさらにベタベタする。
 そこへ、
「よォ、お二人さん」
「ナニ公道でイチャついてんだよ」
 不良風の男の子三人組が因縁を吹っかけてきた。
 ――ウソでしょッ?!
 こういうのはマンガやドラマではよくある展開だが、まさか自分が当事者になるとは思ってもみなかった。
 危機に直面した姫を守る騎士は、といえば、
「お、俺、学校に置き傘忘れてきた」
 陸上部からラブコールがきそうな猛ダッシュで、良々の視界から消えていってしまった・・・(汗)
 ――持って返ったら置き傘の意味ないじゃん!
などと薄情者にツッコんでいる場合ではない。
「あ〜あ、見捨てられちゃったね〜」
 不良たちの矛先は、置き去りにされた良々に向けられる。
「かわいいね〜」
「あんな冷たい彼氏なんて放っておいて、俺たちと遊ぼうゼ」
「俺たち、見た目と違って結構優しいよ〜」
「そうそう、ちゃんとゴムもつけるしさ」
 ――なんてベタな不良なの!!
 どんどんと迫ってくる不良軍団。
 ――もう、ダメ!
 万事休す。思わず天を仰ぐ良々。
 マンガやドラマなら、ここで「やめろよ」と止めに入るヒーローがいるのだが・・・
「やめろよ」
 ――え?
 ヒーロー登場。
 寛だった。
 「やめろよ」と言ったときには、すでにチンピラのリーダー格らしき男の腕を後ろ手にねじり上げていた。
「痛っ、痛ェ!」
 チンピラが悲鳴をあげる。所詮は弱い者イジメ専門の田舎ヤンキー、意気地がない。
「てめえら、ララちゃんをイジメるとは許せん! 全員丸刈りだ!」
と寛は凄みのある表情で、ポケットからバリカンを取り出し、スイッチを入れた。
 ヴイインとバリカンが唸りはじめる。
 それを見て、不良たちの顔に怯えの色が浮かぶ。
 コイツはヤバイ、と三人とも思ったらしい、
「わかった、わかった!」
「もうやめるから」
「ほんの冗談のつもりだったんだよ」
「ムシャクシャしてやった。今は反省している」
と口々に言い、そそくさとその場からいなくなってしまった。
 後には良々と寛が残った。
「大丈夫か?」
と訊かれ、
「大丈夫」
と答える。
「ありがとう」
とお礼を言うと、
「おう」
とちょっと照れ臭そうに返される。
「バイト、いつ終わるの?」
「あと30分くらいかなあ」
「じゃあ、終わるまで待ってる」
「え?」
「一緒に帰ろ」
「だって、土谷が・・・」
「馬里クン」
 良々はすでに心を決めている。
「好きです。アタシの彼氏になって下さい」
 ようやく自分の気持ちに素直になれた。
「ええ?!」
 思いがけぬ告白に寛は目を瞠る。
「じゃ、じゃあ・・・」
「アタシ、坊主なる」
 言い切った。ずっと胸にわだかまっていたモヤモヤがスーッと消えていく。

 それから二人、寛の家まで行った。
 訊けば、良々に対して冷淡になったように見えたのは、友人の「押してもダメなら引いてみな」とのアドバイスに従ったかららしい。
 そうしたら良々が土谷君と仲良くなってしまったため、てっきり付き合ってると思い込み、さらにフェイドアウトせざるを得ず、でも、
「なかなか諦め切れなかった」
と笑っていた。
「諦め切れないでいてくれて、ありがとう」
 良々はまぶしそうに微笑んだ。

 幸い、寛の両親は海外旅行でしばらく家をあけていた。
 リビングに新聞紙をひろげ、その真ん中に良々が座った。
 いつも着けているヘアバンドをはずすと、長い前髪が緞帳のように、顔に覆いかぶさってくる。
 寛は散髪用のケープを良々の身体に巻いた。首にはタオルを巻いた。
「本当にいいの?」
 寛の最後の確認に、
「いいよ。ひと思いにやっちゃって」
 硬く微笑する良々。さすがに緊張を隠せないでいる。
「ララちゃん、好きだよ」
 寛が耳元で囁く。
「ララって呼んで」
「ララ・・・」
 肩越しに唇を重ねる。ファーストキッスは照る照る坊主みたいな格好で。あまりロマンチックとは言えないシチュエーションだけど、良々は満足だった。
 寛がバリカンのスイッチを入れる。
 ヴイイイイン
とバリカンのモーター音が静かな室内に鳴り響く。
 寛はやおら良々のやや長すぎる前髪をかきわけ、いきなり額のド真ん中にバリカンを差し入れた。
 ザッザッザッとバリカンはつむじを通過し、後頭部にまで達するほど、刈りすすめられた。
 長い髪がバリカンの刃先にひっかかって、ユラユラ揺れている。
「あぁ」
 ララが吐息をつく。後悔はない。さびしさは少しあるけど・・・それよりも爽快感があった。
「アタシ、寛クンと同じ髪型になるんだね」
「そうだよ」
 寛は優しく応じて、二回目のバリカンを入れ、刈り跡をさらに拡げた。バサリと髪がまた落ちた。
 良々は目を閉じた。
 頭を走るバリカンの感触をそっと愉しむ。
 バリカンが良々の前頭部をきれいに3mmの丸刈りに変えていく。
 続いて両サイドの鬢が刈られた。
 寛はゆっくりと丁寧に丁寧に良々の髪を刈る。そのバリカン捌きに優しさと頼もしさを感じる。
 右サイドの髪が消え、左サイドの髪もなくなった。
 徐々に徐々に自分が寛好みの女になっていくのだと思うと、くすぐったい嬉しさがあった。ほのかな幸福感もあった。
 バックの髪は長すぎて、寛の手には少々余ったようで、最終的に工作用のハサミを使って、ザクザクと短く詰めた。そうやって切った髪を寛は、新聞紙の上に並べるように置いた。
 そうしてバリカンで後頭部を刈り直した。右から順繰りに左へと刈った。
 ジジ〜〜
 ジジ〜〜
 ジジ〜〜
「寛クンの息、くすぐったい」
 思わず肩をすくめ、前のめりになる良々に、
「動いちゃダメだって」
 寛は肩をつかんで押さえ込むようにして、またバリカンを走らせた。身体が密着して、良々の心臓はドキドキ高鳴る。
 丸刈り頭が完成した。
 恐る恐る鏡を覗いたら、
 ――結構イケてるじゃん!
 寛の言ったとおり、似合っていた。有髪の頃のどこか垢抜けない野暮ったさは、洗い落とされるようにしてきれいに消え、なんだかモデルっぽかった。まあ、ニキビはやっぱり気になるが。
 寛はかなり高揚していて、
「これでララは俺のオンナになったんだな」
なんて、のたまいながら良々の坊主頭を慈しむように撫でた。
「アタシ、これで寛クンのオンナになったんだね」
 良々も寛の言葉を反復して、寛と自分に言い聞かせるように呟いた。

 それから寛の家のシャワーを借り、頭を洗った。
 ――サヨナラ・・・
と長い髪だった自分にそっと別れを告げた。
 そんな感傷も、
「うわ〜、シャンプーが泡立たない!
「タオルが頭にひっかかるぅ〜
「頭乾かす手間が省けて楽チン」
 新たな髪型の新鮮な発見や驚きや興奮の洪水に押し流されてしまう。
 シャワーの後、良々と寛は、寛の部屋のベッドで、ごく自然に肌を重ねた。
 お互い、坊主頭を振り立て、のけぞらせ、夢中で愛し合った。心も身体も恋人になった。
「寛クン」
 良々は寛の胸に抱かれながら、囁いた。
「坊主デートしようね」
「ああ」
「お茶したり」
「いいね」
「買い物したり」
「勿論」
「映画観に行ったり」
「行こう。“ビルマの竪琴”とか」
「別に坊主が出てくる映画じゃなくたっていいでしょ」
 良々は、クックッと笑って、寛の胸に顔をうずめた。

 坊主頭になって帰宅した良々に家族は驚き、坊主頭で登校した良々にクラスメイトは仰天した。
「いや、ちょっとやってみたくて」
とか言い訳して、なんとかごまかした。
 しかしエッちゃんとムミちゃんはごまかされない。
「ララ〜、ついにバリカン君の手に落ちたね?」
「Hまでしたね?」
「わかるのッ?!」
「その坊主頭とガニ股が動かぬ証拠だよ」
「あははは」
 まったく図星シスターズには敵わない。
「皆、薄々気づいてるって」
「夏休みはバリカン君と熱々のエブリディですかい?」
「まあ、ご想像にお任せします」
「このヤロ〜、余裕かましやがって」
「超ムカつくぅ〜」
 二人がかりで坊主頭をグリグリやられた。

 寛との交際は順調。
 一週間に一度くらいの間隔で散髪してもらっている。良々が寛の頭を刈ってあげることもある。場所は両親が家を空けがちな寛の自宅だったり、誰もいない放課後の教室だったりした。
 お揃いの坊主頭で街を歩くカップルは人目をひいた。でも、二人とも平気だった。
 あるとき、良々は本格的にスキンヘッドにしたいと言い出した。
 寛はあまり気がすすまない様子だったが、恋人に説得され、安全剃刀でシェービングしてくれた。
 スキンヘッドにして数日経ったら、なんとニキビが消えていた。
 ――うそぉ〜?!
 思わぬ僥倖に良々は小躍りした。長年のコンプレックスはあっさり解消された。
 調べてみたら、スキンヘッドにすると、頭から体内の毒素が抜け、肌にいいらしい(※個人差があります)。
 ちなみに坊主後、良々は美少女ランキング校内4位から圏外へとランクダウン。髪があれば校内1位だ、という者もいた。女性の坊主に対する世間の理解はまだまだ厳しいものがある。
 でも、いい。
 大好きな恋人がいる。
 コンプレックスもなくなった。
 一体これ以上何が必要だというのだろう。
 ――服でしょ、ケーキでしょ、バッグでしょ、コートでしょ、電子辞書でしょ、アラシのコンサートのチケットでしょ・・・
と、まあ、他にも欲しいものはいっぱいあるけれど(汗)、今が幸せなことは確かだ。
 今日も散髪。寛の部屋で。
「随分伸びたなあ」
と言いながら、寛は良々の頭にバリカンをあてる。
「今度のデートはさ」
と良々。
「ちょっと遠出して、円福寺にお参りに行かない?」
「寺かよ?」
「お寺の敷地の中に甘味処があって、おいしいって評判だって雑誌に載ってた」
「こんな頭で寺に行ったら、ララ、尼さんに間違えられるぞ」
「あはは、寛クンはお坊さんに間違えられるね」
「参拝客に拝まれたりしてな」
「あははは、学校でネタにできていいじゃん」
 こんな他愛ない会話が永遠に続けばいい、と思う。
 頭に恋人の手を感じる。うなじに恋人の息づかいを感じる。
 幸福感に満たされながら、良々は髪を刈られる。そりゃ、まあ、風変わりな幸福だけど、
 ――これはこれで最高なのさ!
 良々は寛に頭をすっかり委ねきり、バリカンの感触に目を細めている。



(了)



    あとがき

 今年最初に書いた小説です。
 ちょっと長いお話になってしまいました。
 昔描いたイラストを下敷きにしています。男子に坊主をすすめられて困惑する女の子と、その女の子が坊主になるだけのイラストで、間の過程が全くなく、今回、結構苦労しました。ヒロイン良々が坊主&バリカン君との交際を決意するに至る経緯(心理)をどうしようかと考え考え書いて、お陰で長くなってしまい・・・(汗)。不良にからまれているところを助けられるってベタなパターンもどうなんだろう・・・と思いつつ・・・(汗)。
 でも書き終えてかなり満足しています。
 馬里寛は個人的にかなり憧れます、男として。堂々としたトコとかデキるヤツなトコとか。
 ちなみに「良々」って名前は最近観ている「偽物語」(前作「化物語」は未見)の阿良々木さんから拝借しました(「図星シスターズ」とかも)。
 今年もよろしくお願いしますね♪




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