女ザンギリ噺四題 |
(序) 19世紀半ば、明治維新を成し遂げた日本は、欧米の文化をさかんに取り入れた。「文明開化」と小学生で習う日本史の基礎知識だ。 鉄道、こうもり傘、太陽暦、肉食、靴、学校制度、ガス灯、馬車、レンガ建築、郵便局、などがよく知られているが、文明開化の波は頭髪にも及んだ。いわゆる「ザンギリ頭」である。 ザンギリ頭を叩いてみれば 文明開化の音がする と俗謡に歌われたことで、人口に膾炙し、現代にまでその名が伝わっている髪型だ。 それまでのチョンマゲを切って、西欧風の髪型にすることが政府によって奨励され、官民の間に流行した。 明治七(1874)年に刊行された「東京新繁盛記」には、文明開化期の散髪の様子が次のように描写されている。 『客、椅子によって趺坐僧(ふざそう)のごときの状をなす。親方その後に立って、剪刀(はさみ)をくだし、斬々斬々(じゃきじゃき)。髪、鋏に随って飛ぶ』 以下物語るのは、そのザンギリ頭への移行を巡る、明治初期の女たちの悲喜こもごもである。 (一)断髪禁止令 潮の香りがする。微かに、でも、確かに―― ――海のそばを歩くのは久しぶりだわ。 士族の娘、時田珠(ときた・たま)は鼻を動かす。 「はしたない」 母が叱った。 「誰も見ておりませんわ」 「お天道様が見ていますよ」 珠はつまらなさそうに黙り、また海を見た。 この海は世界とつながっている。そう考えるだけで、無性に胸が躍る。 海の向こうには様々な人々が住んでいる。天狗のような鼻の大男、金色の髪の淑女、それらがヒラヒした煌びやかな着物を着て、精妙な異国の音曲に合わせて、抱きあうようにクルクルと、夜通し踊るのだという。兄から聞いた。 濛々と煙を吐きながら走る黒い乗り物、四角い石を組み上げ築かれた街並み、燃える石と水、鮮やかな羽を持つ鳥や奇獣を集めている大庭園、そういったお伽草紙のような異国話も兄から聞かされた。 「お前、幾太郎の御本を勝手に読んでいるね?」 と母が咎めるように言った。 「兄上のお許しを得ております。好きに読め、と」 ――これからは女子も、学問を身につけた方が良い。 と七つ上の兄、幾太郎はしばしば珠に説いている。 ――とくに洋学をな。 とも。 幾太郎は旧藩の砲術指南だった。俊英として、将来を嘱望されていた。藩命で長崎に行き、西洋の学問技術を身につけた。当初はオランダ語を学んでいたが、時勢を見るに敏な彼は、すぐに英語に切りかえた。 お役目の傍ら、幼い頃から可愛がっている珠に、こっそり英語を教えた。西洋知識も話して聞かせた。兄を慕う珠は、アルファベットを書き写しては、一字一字おぼえたものだ。 藩は幾太郎を重用した。幾太郎も藩のため、身を粉にして働いた。藩軍の洋式化に懸命に尽力した。 しかし、それが実現した矢先、戊辰の戦いがおきた。藩は賊軍となり、薩長に降伏した。 大人たちがオイオイ泣いていたのを、珠は子供ながらに切なく胸に刻んだ。 動乱の嵐が、家にも押し寄せたが、詳しくは触れない。 藩も殿様も消えた。武士という身分ももう存在しない。ほとんどの侍は、いわば失業した。申し訳程度の手当てを渡されて。 珠の家も同じだった。 だが、幸いなことに、幾太郎はその洋学の才を認められ、県庁へ出仕することになった。「賊軍」の子弟としては、破格の待遇だった。 幾太郎が官給を得て、窮迫していた一家は息を吹き返した。新しい暮らしを開始した。 「薩摩や長州以外の者は、学問技芸をもって世に出る他ないのだ。いわんや、賊軍の汚名を着せられた藩の人間はな」 と幾太郎は妹に言い聞かせた。 「学問をして、技術を習い、出世して、あるいは世の中の役に立って、賊軍の汚名を雪ぐ。戊辰の仇は刀ではなく筆で返すのだよ」 という兄の頼もしい言葉は、珠の胸を激しくうった。 「兄上、すごいですわ!」 「バカ、お前も励むのだ」 「私が?」 「御一新で全てがひっくり返った。女子とて西洋の言葉を読み、書き、話し、西洋のあれこれを識らねば、この先やってはいけぬ。いずれそうなる」 幾太郎の予言に、 「まあ!」 闊達な珠は目を輝かせた。心が弾んだ。浮き立った。思春期真っ只中の娘は、時代の先端をいく兄に感化されずにはいられなかった。 幾太郎は色々な話をしてくれる。 「長崎で学んでいた頃になあ――」 と昔の出来事を口にすることもあった。 「面白い人に会ったよ」 と「或る人物」について語った。 「背が滅法高くてな、肌は浅黒くて、髪は山賊みたいにモジャモジャしていて、身なりには構わないで――」 「おお、やだ」 「ははは、そんなしかめ面をするなよ。見た目こそあれだが、すこぶる豪傑でな、名前はたしか……坂本龍馬といったかな。土佐の人だ。御一新のゴタゴタで、非業の最期を遂げられたと聞いているが――」 その坂本なる人物は、若い幾太郎に見どころを感じたのか、 「時田君、亜米利加の大統領はいうのはね、メイド――つまり女中の給金のことにまで、気を配るそうだよ。そうしないと、大統領を決める入れ札で、自分の名前を書いてもらえんのだそうだ。江戸の公方様とはだいぶ違うだろう? だが、今後の日本はこうあるべきだと俺は思うね」 と会うたび、熱弁を振るったという。 「大統領って?」 「亜米利加で一番偉い方だよ」 「そんなお方が、女中のお給金の心配をなさるの?!」 珠は驚いた。 「デモクラシーってやつの根幹だな」 「でもくらしい?」 「ははは、まずは順順に学んでいけばいいさ。学ぶことはな、珠、為になるだけではなく、面白いのだよ。そう、知れば知るほど面白い、それが学問なんだ」 珠は夢中で点頭した。彼女の内で、新しい未来図が描かれようとしている。 珠は貪るように兄の本を読み始めた。英語の辞典だった。英単語を一つ一つおぼえていった。兄の助力を得て、自らを啓蒙していった。 父母は、 「女子に学問はいらぬ」 「なまじ学問がある女子は嫁き遅れる」 という旧時代のままの価値観の持ち主だったが、時田家の現当主は幾太郎なので、不満を抑え、兄妹のやりたいようにさせている。 それでも珠が「生意気な」言動をすれば、女子がそのような口をきくな、そのような真似をするな、と口うるさく叱った。 珠にはそれが煩わしい。そういう年頃でもある。明治維新と青春期が重なった世代の不幸とも幸福ともいえる。 そんな最中、 散髪脱刀令 というお触れが政府より出された。明治四(1871)年8月9日のことである。 『散髪、制服、略服、礼服ノ外、脱刀モ自今勝手タルベシ』 との布告が出される前から、城下ではさまざまな風説が乱れ飛んで、大騒ぎだった。 「髷を切れというのか!」 「武士の魂を脱せよとは、あまりの暴令じゃ!」 「異人の風俗を真似るとは耐えがたい!」 と守旧派は憤慨した。役所に直接問い質しに行こうとする者もいたが、当時は何かと役所を恐れる風潮があり、また、賊軍だった士族には敷居が高すぎた。 一方で、新時代に肯定的な青年たちには、断髪や脱刀に積極的な者も割合いた。多くは、学究の徒である書生だった。 彼らは、 「因循な年寄りには維新の精神がわからんのだ!」 「これから列強に伍そうという日本人には、髷も刀も無用だ!」 「身も心も軽くなって、旧習とは決別すべきだ!」 と意気軒高だった。 娘の間でもこの噂で持ち切りだ。屋内でヒソヒソ、井戸端でヒソヒソ。 「女子も断髪するのでしょうか?」 「死んだ方が増しですわ」 すでに洋髪にしている者――特に官員――は出始めているので、皆その髪型を思い浮かべ、怖気を震わせている。 「でも、もし髷を断たねば、罰を被るという話ですよ?」 「役人が来て、無理やりに髪を切るとの噂も聞きましたが」 「恐ろしや」 皆、不安の面持ちだ。 逆に散髪(断髪)に乗り気な少女も、わずかながらいる。 珠はその急先鋒だった。 ――この重苦しい髷を―― ばっさりと落してしまえば、きっとさぞや快適だろう、と想像して、お触れを心待ちにしていた。 役所勤めの幾太郎が言うには、別に強制ではないらしい。 「散髪も脱刀も好きにして良いとのとさ。した方が好ましいが、せずとも構わぬ、各々の随意に任せるということだ」 「ふりいだむ?」 「そう、それだ。フリーダムだよ」 珠の大好きな英単語だった。 ――ならば、フリーダムに散髪しましょう。 新時代の女子にふさわしく。 考えただけでも痛快で小気味よく、進歩的ではないか。 珠があれこれと思惟している間に、当の幾太郎自身が洋髪になってしまった。 「何ということを!」 「御先祖様に申し訳が立たぬ!」 と悲嘆する両親だったが、官員の場合は、そうするのが決まりなので、ため息を吐くばかりだ。 「兄上、よくお似合いですわ!」 珠だけは兄の髪に見惚れながら、褒めちぎっていた。 幾太郎は竹皮の包みをぶら下げていた。 「兄上、それはお土産?」 「珠は目ざといな」 と幾太郎は笑い、 「これは牛の肉だ」 と言った。 「まあ!」 一家は仰天した。話には聞いていたが、実物は初めて見た。 魚さえほとんど口にしない父母は、身が汚れる、と拒絶反応を示したが、幾太郎は笑い飛ばし、 「なあに、東京じゃあ、天子様ですら召し上がっていらっしゃるんですよ。こいつを食わせる店が何軒もできて、随分と繁盛していると聞きました。大変美味だそうですよ」 言われても尻込みする両親をよそに、 「珠は食べてみたいですわ」 珠のお腹の虫は鳴り出す。 「珠、おやめ」 とたしなめられたが、結句、仏壇や神棚のない離れの部屋ならば、との譲歩案を受け、幾太郎は早速下女に酒の燗を言いつけて、自ら煮方をした。 鍋に牛肉とネギを入れ、醤油と砂糖で煮た。貴重品の砂糖を平然と鍋の中にぶちこむ幾太郎に、 ――贅沢なお鍋だこと! と珠は驚いていた。 四つ足の獣肉がぐつぐつと煮えてくると、珠はちょっと緊張した。 「牛の肉を食すと牛になってしまう、という話は、嘘ですわよね?」 城下では、そんなことを言う老人もいる。 「バカ、それならば東京や横浜は今頃牛だらけだ」 兄は苦笑した。 おそるおそる牛肉を頬張る。 ゆっくりと噛んでみて、 「兄上!」 珠は叫ぶように言った。 「美味しゅうございますわ!」 「そうだろう」 幾太郎は満足そうに、 「お前の舌はだいぶ開化(ひら)けているぞ」 と当節の流行り言葉を使って褒めた。そして、自分もせっせと肉を口に運ぶ。 牛鍋をつつきながら頭髪の話になる。 「そのお頭は具合はいかがですか」 「ああ」 キチンと分けて撫でつけた髪を、幾太郎は触って、 「実はまだ慣れぬのだが、軽くて髷が崩れる心配も無用で、なかなか良いぞ」 「羨ましいですわ」 心からの感想だった。 「西欧では皆こういう頭なのだよ」 「珠はまだ異人を見たことがございません」 「やがては、この御城下でも目にすることになるだろう」 「まあ!」 十年先、二十年先の近未来の情景を思い浮かべて、珠は眩しそうな目をしばたたかせた。 一夜が明けて―― 珠は終日自室に籠っていた。 鏡に映した、島田髷の自分を見納めて、 ――さらばです。 と「古い自分」に別れを告げた。 そして、懐剣を手にとった。 その懐剣は、戊辰戦の折、 「いざというときは、武家の娘らしく、潔くこの刀で――」 自害するように、と父から授けられた業物だった。 自害のための懐剣で、珠は過去の自己を殺し、新時代の女として生まれ変わろうとしていた。 ゆっくりと鞘を払い、刀を髷の根元にあてた。その表情には、ためらいの色は微塵もなかった。 「……」 呼吸を整える。 持ち前の直情のまま、こらえ性もなく、 グッ と懐剣を刺し入れた。 ブツリ! と勢いよく音を立てて、髪がはぜた。 ――切れる! 珠は懐剣の切れ味に喜悦した。さらに刃を引いた。 ゾリゾリ、と抵抗する髪を圧し切った。その音を、その感触を、楽しむように、ますます手に力をこめた。口角が自然とあがる。 ――もっと深く! 刻み入れた。 ジャッ! 髷が慟哭し、ぐい、と浮き上がる。刃はすすみ、髷は頭から離れんとしている。 髷と頭部をかろうじて繋いでいる、最後の数筋の髪の毛が削がれた。並の刀であったら、こう滑らかにはいくまい。さすがは名工の作だ。 女の髷は完全に息の根を断たれた。 黒き屍を、古き時代の象徴を、珠は無造作に傍らに置いた。目は爛々と光っている。 童女のような禿髪(オカッパ)になったのを、懐剣を振るい、もっと、もっと、と削ぎ落していった。 ジャッ、ジャッ、ジャッ、 刀が振るわれるそのたび、薙がれ、払われた髪が、珠の周りに散っていった。 禿髪がみるみる消え落ちて、小さく小さくしぼんでいく。 ジャッ、ジャッ、 憑かれたかの如く、懐剣を上、下、左、右、と動かす。 新しい女になっていくのだ、という高揚が彼女を突き動かしていた。 額が出るほどに前髪を切り詰め、耳は飛び出していた。短くし過ぎた直毛は、逆立って、まるで芝居の法界坊のようだ。 ――兄上の髪の形とは違う。 とは思ったが、すこぶる満足した。晴れ晴れとした心持ちだった。 ――これで御一新の世にふさわしい女子になったわ。 珠は快活に咲(わら)った。 両親に大目玉をくらわされたのは、言わずもがなだが、幾太郎は、 「珠、ゆーあー、わんだふる、だぞ」 と英語で褒めてくれた。 「あの大西郷も、そのようなイガグリ頭だそうだよ」 「薩摩の頭目なんかと一緒にしないでくださいませ」 「なんの、あの御方は、賊軍だった藩にも寛大だった大人物だぞ。まあ、それに、いつまでも官軍だ賊軍だと言ってもいられまいよ」 幾太郎の心境には変化が起きつつあるようだった。 「そうですわね」 苦虫を噛み潰したような親たちを尻目に、兄と妹は笑い合った。 しかし、明治五(1972)年4月5日、政府は、 女子断髪禁止令 を発布し、女性が髪を切るのを禁じた。 散髪脱刀令は、男子のみに限っての法令だったのだが、男ばかりか女まで断髪する者が、各地で続出し、「女が髪を切るなどあってはならぬ!」とあわてた政府はすぐに禁令を発したのだった。 「お前は先を駆けすぎたのだよ」 幾太郎はそう言って、落ち込む妹を慰めた。 珠の失望は大きい。女性の短髪が市民権を得るまでには、まだまだ長い年月が必要だった。本当の夜明けは近そうで遠い。 珠は七日ほど自室でうち萎れていた。食事もほとんどとらなかった。父の命で、外出の際には頭巾をかぶらされた。 「落胆することはない。これからも学問を諦めるんじゃないぞ」 と幾太郎は妹を元気づけた。 「もし、お前の学問がモノになりそうならば、俺が伝手をさがして、お前を異国に留学させてやる」 「本当ですか?!」 珠は兄を振り仰いだ。 「ああ」 「異国へ?」 「ああ、亜米利加でも英吉利でも仏蘭西でもどこでもな。行きたいか?」 「行きとうございます!」 現金ではあるが、珠の胸の奥で、希望の灯が再点火された。以前よりも強く激しく。この立ち直りの早さも、若者の特長だろう。 「ならば励め。向学心に燃える他の女子に後れをとるなよ」 「はい!」 「よろしい」 と兄は微笑した。 「兄上」 「何だ?」 「あいらぶゆう、ですわ」 幾太郎は、珍しく含羞かんだ表情を浮かべ、 「そういう語は、いずれ本当に想う者が見つかるまで、取っておくものだ」 そう言うと、そそくさと部屋を出ていった。 珠はしばらくの間、昂る心を持て余して、立ったり座ったり、室内を歩き回ったりしていた。 やがて、ふう、と息を整え、ここずっと閉じっぱなしだった洋書のページを、ふたたびめくった。 (二)断髪届 北関東の宿場に押見寅蔵(おしみ・とらぞう)という侠客の親分がいた。 寅蔵にだいぶ年の離れた後妻がいた。名をお鯉(おこい)といった。四十を越えていた。元々江戸から流れてきたという話であった。 お鯉は老齢の寅蔵に代わって、シマを取り仕切っていた。名うての女丈夫だった。 キビキビと手下に指図し、江戸弁でポンポン叱り飛ばして、賭場などで揉め事があればすっ飛んでいって、 「あんたたち、つまらねえことで因縁つけてると、簀巻きにして竜神様の人柱にしちまうよッ!」 ともろ肌脱ぐと、背中の昇竜の入れ墨を露わにして凄み、無頼の徒を退散させていた。 実際、宿場近くの犀が淵に沈められ、「竜神様の人柱」にされた博打うちは何人もいるらしい。 「ありゃあ、犀が淵に棲む竜神様の使いが化けてるんじゃねえか」 などと臆病な田舎博徒どもは、お鯉についてヒソヒソ噂し合っていた。 切った張ったの修羅場さえ、お鯉は三度もくぐり抜けている。 三度目のときなどは、先代の頃から縄張りを巡って争っている某親分を、自ら匕首を握って、その身体を刺し貫き、冥土送りにした。巷では尊攘派と佐幕派が、激しい闘争を繰り広げていた時期である。 また、維新前後のことだが、宿場で狼藉を働く異人がいて、皆迷惑していたが、ある日、斬殺死体となっているのが発見された。役人たちは八方手を尽くして捜索したが、とうとう下手人は、見つからずじまいだった。 これも、お鯉が手下にやらせたと囁かれていた。が、当時は、異人の横暴を憎む庶民がほとんどだったので、宿場の人間は「攘夷のお鯉さん」と密かに喝采を送ったものだ。 そのお鯉が病に伏せるようになったのは、明治も五年を過ぎた時分のことだった。 毎日熱が出て、うんうん唸っている。 「鬼の霍乱ってやつだな」 と博徒連中は、憎まれ口をたたいている。 脈をとった医者の診立てでは、 「命にかかわることはないが、じっと寝ていなさい。とにかく養生することだ」 とのことなので、調合してもらった薬を飲んで、大人しく横臥していた。けれども、一向に快方の兆しがない。 「姐さん、あんな藪医者なんかアテになりやせんぜ」 と子分は業を煮やしている。 「なんだい、応庵先生の悪口は許さないよ。うちの人が長患いしたときも、そりゃあ親身になって下すったんだ」 「しかし、これじゃあ埒があきませんぜ。隣の宿場に、腕の立つ蘭方の医者がいるって話を耳にしたんで、一度その先生に診てもらっちゃいかがです?」 「蘭方? はっ、毛唐の医者に脈をとらせるくらいなら、死んじまった方がマシだよ」 お鯉は大の西洋嫌いだった。「攘夷のお鯉さん」の面目躍如ではある。 「いえ、毛唐じゃありやせん。元は宿場の醤油問屋の倅でして、横浜で独逸の医術を学んだそうでして」 「ドイツだがドドイツだか知らないけど、毛唐の医術なんざ御免だよ」 「そんな頭の固えこと言わねえで下さいよ。明治の御代ですぜ」 「うるさいね! くだらないこと言ってると、叩っ斬るよ!」 鬼面と化した女主人に大喝され、 「す、すいやせん」 「とにかく寝かせておくれ。頭がカッカして仕方がないんだよ」 お鯉は子分に背を向けて、布団をかぶり直した。 熱で意識が朦朧とする。 「はあ」 お鯉はひどいのぼせ症だった。のぼせ症に、ここずっとの発熱は地獄の責め苦だ。 「はあ」 とまた息を吐いて、寝返りをうつ。頭が熱くてしょうがない。 ――こういうとき―― 少し前ならば、方法があった。女でも――と言っても老女である場合が多かったが――髪を断ち、頭を丸めて、熱を逃がしてきたものだが、当節はそうは問屋が卸さない。 昨年発布の散髪脱刀令で、ザンギリ頭にする女性が続出するという珍現象が起き、ついこの間、 「女子がみだりに髪をきることを禁ず」 とのお触れが出たばかりである。 ――髪は切りたいが……。 このところ、しばしば悪い夢を見る。 あの世へ送ってきたホトケたちが、恨めしげな、あるいは恐ろしげな面相で、闇から闇へと跳梁する。 「お前を竜神様の人柱にしてやろうかああ」 と醜くただれた骸の群れに、しがみつかれる。 「ひっ!」 と恐怖で目をさます。寝着は、雨にでも濡れそぼったかのように、寝汗でグッショリしている。 安眠できず、気は昂っていく。 ――ああっ、もう! 髪がうっとおしい。苛々する。 賭場は維新騒ぎで火が消えたようだったが、ここらへんで少しずつ活気を取り戻しかけていたのに、そう思うと余計苛立ちが募る。 とうとう我慢できず、 「新吉! 峰太!」 寝床から子分を呼んだ。凶相がゾロリと居並ぶと、 「あたしゃ、髷を切るよ!」 と言い渡した。 仰天したのは子分たちだ。 「姐さん、落ち着いて下せえ!」 「一体どうしちまったんですか?!」 「唐変木どもが! ごちゃごちゃ喚くんじゃないよ、頭が痛いのに。早く道具を持ってきな!」 「お待ちになって下せえ」 子分は懸命に押し留める。 「女の断髪は御法度だって、こないだお触れが出たばっかりじゃねえですか」 「勝手に髷を切ったりなんぞしたら、お咎めを蒙りますぜ」 「じゃあ、訊くけど、お触れを破ったらどうなるんだい?」 「さあ? 磔獄門……てことにはならねえとは思いますが、科料は間違いなく取られるはずでさあ」 「くっ」 お鯉は歯噛みする。 「何が御一新だよ!」 女親分の呪詛の言葉に、 「しっ、姐さん、誰が聞いてるかわかりませんぜ」 「政府の密偵がうろついてるって噂もありやすから」 「口は禍の元でさあ」 「下らない講釈垂れてるんじゃないよ! 茄子みたいな面ァぶら下げやがって!」 カンシャクに困り果てた子分たちは、四方八方尋ね回った末、 「姐さん、髪を切るにゃあ、お役所へ届出が必要だそうですぜ」 「役所へ?」 「へえ、文を書いて、県に届けて、許しを得なくちゃならねえみてえです」 「県たあ何だい!」 腹立たしい。 昨年の廃藩置県で、それまでの藩がなくなって、県なるものができた。各地では代々の殿様が東京に引き移って、代わりに、東京から派遣されてきた官僚が県令として、権勢を振るっている。 この新たに出現した、洋装髭面の県令という存在が、お鯉には胡散臭くてたまらない。 「この宿場は将軍家御差配の天領だよ。県令なんて得体の知れないもんが幅をきかせてちゃあ、もう世も末だね」 「税も重くなりましたしねえ」 「近々若え者が兵隊にとられちまうって話ですし」 「まったく御一新この方、ろくなことがねえ」 子分らも実は、新時代に不満たらたらだ。 「素性も知れねえ田舎侍がふんぞり返ってる新政府なんざ、長くはありやせんぜ」 「俺ら民草には威張りくさってるくせに、異国相手にはペコペコしやがって」 「毛唐の真似ばかりして、寺は壊すし、盆踊りは禁止されるし、相撲や芝居も下火、クソ面白くもねえ」 反政府集会さながらの状態となるが、とにかくも「断髪届」を書くことになった。 「あたしゃ字が書けないんだよ」 というお鯉のために、応庵先生が呼び出され、代筆した。 書面の体裁にも細かな定めがあって、 「めんどくさい世の中になったねえ」 お鯉はじめ一同嘆息していた。 「印鑑が要るらしいですぜ」 「判子かい?! そんなものないよ!」 「すぐ作らせます」 「はあ〜、この先この国はどうなっちまうんだろうね」 修羅場をくぐり抜けてきた女親分も、時代の流れには手も足も出ない。 ドタバタの末、ようやくお鯉は断髪届を提出したのだった。 ほどなく受理された。 タチの悪い県役人になると、政府の威光を知らしめてくれんとばかりに、あれこれ難癖をつけて、何度も書き直させ、なかなか受理してくれない輩もいるそうだが、幸いそんなことはなかった。 しかし、よくある話だが、断髪が許可された頃には、熱も下がり、お鯉の病は全快していた。 が、せっかく受理されたものを、無かったことに、と言うと、またややこしいので、お鯉は、やむなく髷を落とす羽目になったのだった。 吉日を選んで、お鯉は髪を切った。 お鯉が仏間に正座すると、子分は匕首を抜いて、その髷を落としにかかった。 「姐さん、勘弁して下さいよ」 百戦錬磨の猛者、鬼勘こと勘太は、だいぶ怖気づいていた。やくざ者を切ることには長けていても、親分格のお鯉の髪を切るのには、どうにも腰が引けている。 ジー、ジー、と鋸を挽くように匕首を動かし、刃を髷の根元に擦りつける。 シャアアア、 シャアアアァァ、 お鯉は何とも言えない表情。 婆娑! と髷が畳に落ちた。 忠七が、毒々しい朱塗りの三宝にそれを乗っけた。 「姐さん、おいたわしい」 と男泣きする鬼勘に、お鯉は焦れて、 「ピーピー泣くんじゃないよ、このスットコドッコイが! もういい、忠七、お前が代わっとくれ!」 と大あぐらをかき、もろ肌脱いで自慢の昇竜を露わにする。 「姐さん、あっしにお任せ下せえ」 命じられた忠七は、忠義面して剃刀を握り、 「邪魔だい!」 と兄貴分の勘太を押しのけて、突き転ばした。おかしな場面での下剋上だ。 伝説的な女親分のザンバラ髪を、遠慮なくジャクジャクと削ぎ取っていく。 奪われた髪は、ひと房、またひと房、と枯れ枝の如く、三宝の上に積まれていった。 お鯉は腕組みをしたまま、目玉を剥いて、虚空を睨みつけている。なんとか侠客一家の柱としての体裁を、取り繕おうとはしてみるものの、しかし、自身の置かれたこの場の滑稽さに、どうにも締まらない気分だった。 どんどんと頭上の髪の嵩が減じていき、哀れな有様になっていくのを、 「姐さん、そんな情けねえ顔しないで下さいよ」 忠七は慰めるような、軽くからかうような口調で、剃刀を働かせている。 「誰に向かってそんな口きいてんだい! 幇間野郎が!」 といういつもの江戸弁の啖呵も、今一つ迫力を欠いていた。 そうやって、出来上がった髪に、 「なんだい、こりゃ?! お鯉は目を白黒させる。 「今流行りのザンギリでさあ」 得意げな忠七だが、お鯉は舶来の髪型に不満だ。おぞましい。が、もはや起こる気力も失せ、 「こんな毛唐みたいな頭にされちまって」 と途方に暮れた表情をした。 「文明開化の音がしますぜ」 「そのブンメイカイカっていうのは、一体全体どういう意味なんだい?」 近頃よく耳にする言葉だが、無学なお鯉には皆目わからない。 「あっしにもわかんねえ」 子分らも首を傾げていて、 「なんだい、それは」 一家で大笑いとなった。 「尼さんだか俗人かよくわかんない髪だよ」 お鯉はぼやきつつ、短髪を撫でさすった。 「何にせよ、今夜は床上げの祝いといきましょうや」 「宿場の連中にも祝い酒を振舞ってやっておくれ」 「へい」 「寅蔵親分もきっと草葉の陰で安堵してらっしゃいますよ」 「バカ! まだ生きてるよ。縁起でもない」 その後、宿場では「攘夷のお鯉さん」改め「ザンギリのお鯉さん」が、ふたたび威を張り、弱きを助け強きをくじいていた。 「この頭じゃあ冬は辛いねえ」 と煙管を吹かしながら、 「髪を伸ばすのにも届けを出ななきゃいけないのかねえ?」 と子分に訊ねていた。 (三)衛生 明治になってから出来た言葉はたくさんある。 海外から押し寄せた文物、思想、概念等に、当時の知識人は適切な訳語をあてるべく、頭をひねった。 例えば、democracyは民主主義、societyは社会、rightは権利、freedomは自由、といった具合である。 そして、 衛生 という訳語もこの時期誕生した。 医学者の長与専斎が、ドイツ語のHygeiaに、漢籍から引用してこの語を創り、日本に広めようとしたのが、その発端である。 日本人の清潔好きは世界でも知られている。 幕末、日本を訪れた外国人も、日本人のキレイ好きを興味深げに書きとめている。 とは言え、現代人から見れば、目を覆いたくなるような不潔な環境は、無数にあったのである。 そのような環境が引き起こしたのが、安政のコロリ騒動である。 コロリとはコレラのことだ。 コレラは昔から世界中で猛威を振るっていたが、鎖国中の日本には、ほとんど無関係であった。 ところが、安政五年に開国したと同時に、日本で爆発的に流行したのである。長崎に入港したアメリカの軍艦ミシシッピー号から持ち込まれたという。 罹患した者がコロリとすぐに死亡するため、「コロリ」との俗称で恐れられた。未知の病原菌に、人々はなすすべもなく、バタバタと倒れていった。日本史上最大級の疫病パニックである。 とりわけ、人口の密集している江戸の被害は凄まじく、 「御府内(江戸)数万の寺院は、何所も門前に市をなし、焼場の棺所せまきまで積ならべ山をなせり」 と仮名垣魯文はその惨状を記している。 一日に三万人の死者が出るほどで、開府以来未曾有の恐慌となった。令和のコロナ騒動の比ではない。 免疫もなく、対策もわからぬまま、江戸の人々の中には怪しげな薬やまじないに縋る者が多くいた。が、無意味だった。 桜田門外の変や池田屋事件などの、センセーショナルな出来事とは違い、幕末史ではあまり重要視されていないが、この外国経由のパンデミックで、庶民の排外感情が高まり、当時盛り上がっていた攘夷運動を応援する世論を形成し、ひいては開国政策をとる幕府への反感が、薩長による討幕行動を後押しする結果となったという事実は、もっと注目されてもいいのではないか。 お稲はコロリで身内を全員失った。天涯孤独となった。 悲しむ余裕さえなかった。それどころか、葬儀もあげられず、焼場すら死者の多さにてんてこ舞いで、当時を回想すれば、死臭に苦しんだことばかりが思い出される。屍とはこんなにひどい臭気がするのか、とさんざ思い知らされた。 一人になったお稲は、口に糊する道に困じ果てた。その日食べる米にも苦労した。 まだ若く、それに美人だったので、ちらほらと再婚話はあったのだが、結局うまくいかず、かつて芸者だった時分に習いおぼえた三味線を、近所の娘たちに教えて生計を立てるようになった。 このとき、 豊菊(とよぎく) と号した。 明治になって、庶民にも苗字が許されるようになったので、戸籍名は古澤稲(ふるさわ・いね)としたが、周りでは「豊菊師匠」「お師匠さん」で通っていた。 腕が立つので、評判を聞いて弟子が集まり、豊菊はのんきな独り身の長屋暮らしを送っていた。 コロリ禍は、明治になってなおも続いている。死人が増えたり減ったりを繰り返している。一揆や内乱がひっきりなしに起こり、そのたび人の密集があるので、なかなか止む気配がない(最終的にコレラの流行は明治十四五年まで続く)。 豊菊は人一倍コロリを恐れていた。身内が全てコロリの犠牲となったのだから、それも当然だろう。 だが、実際には神仏にでも頼るしかない。 衛生 なる語を知ったのは、豊菊が三十九の頃だった。 政府がコロリ対策のため、「衛生局」を設置し、防止に乗り出したと弟子から聞き、 「衛生って何です?」 と長屋の大家に訊きにいった。大家は物識りと、江戸の昔から相場が決まっている。 「まあ、平たく言えば、身ぎれいにしろ、ってことだな」 と大家は教えた。 「あら、まあ」 拍子抜けした。 「そんなことなら、昔からうるさく言われてますよ」 「まあ、そうだがね」 大家は悠々と煙草の烟を吹きながら、 「その昔からうるさく言われてることが、一番大事っていうわけさ。昔の人の知恵を侮っちゃいけねえんだな。着物が汚れたら、無精せずにマメに洗え、手をよく洗え、風呂に入れ、部屋は念入りに掃除しろ、生水は飲むな、生魚は控えろ、部屋にはたまに風を入れるようにしろ、身体を動かせ、なんて阿蘭陀のえらいお医者は色々と仰ってるらしいよ」 まあ耳学問だけどね、と大家は煙管をポンとやる。 「そんなことするより、キニーネの方が効きそうなもんですけどねえ」 「いやいや、実はキニーネってのは、案外効かないらしいよ。値も貼るし、量だってあんまりないから、すぐ品切れになっちまうだろ」 「そう言われりゃそうかも知れませんけどねえ」 豊菊は不得要領顔でいる。 「お上は衛生局なんてものを作って、何をしようってんですか?」 「コロリを封じるって話だ」 「へえ、本当ならありがたいんですけどねえ。どうやって封じるんです?」 「便所や下水なんかをきれいに整えるだとさ」 「悠長な話ですねえ」 「悠長ついでに、まだまだ先の話らしいが、異国で疫病が流行ったら、疫病が入って来ねえように、国の周りを固めて、海に関所みたいなものを作って、よーく調べて、病気持ちの異人を入れねえようにするんだそうだ」 大家が言っているのは、後の検疫のことだが、豊菊は勿論、話し手の大家もよくわかってはいない。何しろこの間まで「長屋者」だったのが、いきなり「日本国臣民」となったのだから無理はない。 「こないだ面白い説を聞いたよ」 と大家は奇妙な話をはじめた。 「まあ、話半分に聞いておくれ」 「承りましょうか」 そう言って、豊菊は冷めた茶で喉を潤した。 「なんでもコロナなんかの疫病ってのは、実は小さな虫の仕業らしい」 「小さな虫、ですか?」 「ああ、目には見えねえ小さな小さな小さな虫が、ウジャウジャいてさ、そいつらが風だったり、人だったり、牛馬だったり、なんだったら、その湯飲み茶碗みたいな物とかを伝って、伝って、あちこち渡り歩いて、病気を広げて回るらしいよ」 「気味の悪い話ですねえ」 豊菊は身体を震わせた。想像しただけで肌が粟立つ。 コッホやパスツールによる細菌の発見は、ほぼ同時代だが、まだこの極東の島国にまで情報は伝わっていない。だが、細菌の概念自体は、古代ギリシアの時代から存在していたので、或いは以前俗説扱いだった亜流の細菌理論を、大家はどこからか仕入れてきたのだろう。 「例えば俺がコロリの患者だと思いねえ。患者の俺がこの湯飲みをこう持つ。すると俺の身体から、コロリの因となる小さな虫が、ゾロゾロとこの湯飲みに移る。も一度念を押しとくけど、小さすぎて目には見えねえよ。で、この湯飲みを豊菊師匠が持ったら、虫どももお師匠さんの身体にゾロゾロと――」 「やめてくださいな!」 豊菊は思わず遮った。顔面蒼白だった。 「そんなの考えただけで気が違いそうですよ。恐ろしいったら、ありゃしない」 「ははは、なあに、異人の戯言だと思って聞き流せばいいさ」 大家は笑い飛ばしたが、豊菊の頭の中では、無数の微細な虫が蠢いているさまが、ありありと浮かび、こびりついて離れなくなってしまっていた。 「とにかく身ぎれいにするこった。コロナ封じも衛生からだよ。衛生第一だ」 という大家の助言を背に、豊菊は逃げるように帰っていった。 豊菊は大家の助言に従い、「衛生」を心掛けるようになった。 生水を避け、生魚を食べず、毎日掃除や洗濯をするようにした。銭湯にも通った。換気も忘れなかった。 自分の身体に小虫が這いずっているのを妄想して、狂ったように部屋を掃除した。 一種の神経症だが、けして珍しい事例ではない。 ウィルスの存在を知った明治人の衝撃は、相当なものだったらしい。 例えば、文学者で言えば、森鴎外(軍医でもあった)は、細菌だらけだと浴槽を嫌い、生涯入浴せず、毎朝冷水で身体を拭くだけだったというし、泉鏡花は魚肉類だけでなく果物まで、沸点に達するまで煮るなど、殺菌に固執していたという。細菌の発見は、明治人をモノマニアックにするほど、ショッキングな医学情報だったのである。 豊菊は「小さな虫」に怯え続けた。強迫的な心理状態に陥った。 「お師匠さん、どうなすったんですか?」 と弟子の娘たちは心配している。 「衛生ですよ」 と答えて、弟子にも手洗いを念入りにさせる。着物が汚れていたら、追い返す。戸障子はいつも開けっ放しで、寒いし外から丸見えなので、それらが不評の元となって、弟子は一人、二人、と去っていく。近所からも奇異な目で見られている。 それでも豊菊の潔癖症はおさまらない。 冬でも行水を使って、雨でも洗い物をして、身体や着物を清潔にしても―― 髪が気になる。 この時代、女性の髪は、非常に不潔極まりない有様だった。 髷の形を保つために鬢付油(びんづけあぶら)を塗りたくり、月に一度盥に水を張って洗髪するくらいで、後はそのままだった。 結果、ひどい悪臭を放ち、脂まみれ汚れだらけになる。(作者註・こういう視点で明治文学等を読み直すと、「里見美禰子、いい女ぶってるけど、髪の毛めっちゃ臭いんだなww」とフェティッシュな味わいが出るので、お暇があればお試し下さい。) ベトつく髷を指先で触れてみて、 ――おお! やだわ! あわててザブザブと手を洗う。 銭湯で髪は洗えないし、自宅での洗髪は、ドライヤーなどないこの時代、ほぼ一日がかりの大作業だ。 頭皮が無性に痒い。柳の枝や低い鴨居、蜘蛛の巣に髷が引っかかる。枕が脂で湿る。今まで当たり前だったことが、気になって仕様がない。 以前までは、独り身になった後家が、切り下げ髪にしたり頭を丸めたりするのは、個人の自由だったが、この頃は面倒になった。髪を切るにも届け出が必要だという。 先頃、散髪脱刀令に乗じて断髪する女性が、次々と現れたため、規制が入ったという事情がある。 あの時分は、 「女だてらに髪を切るなんて、おかしなのが増えたわねえ」 と眉をひそめていた豊菊だったが、衛生という言葉と出遭ってしまった今は違う。 ――「断髪届」だろうが何だろうが書いてやろうじゃないの。 と硯と紙を引き寄せ、サラサラと筆を走らせた。断髪の理由は、身内の菩提を弔う為、とした。 役所にそれを持参すると、 「こんなんじゃいかん!」 と土佐訛りの小役人に怒鳴られた。どこをどう直せばいいのかも、教えてはくれなかった。御一新以来、こういう手合いが幅を利かせている。 ――この田舎者! 江戸生まれの豊菊は痛憤する。 だが、そんなことで引っ込む豊菊ではない。何回も出し直して、最後には袖の下を使って、ようやく許可を得た。幕府だろうが新政府だろうが、所詮役人は役人だ。 ともあれ、これで髪を断てる。 豊菊は近くで開店しいる床屋へと出向いた。 床屋=清潔 という近現代を貫くイメージが、形成されつつある時期だった。 もっとも、まだまだ怪しげな床屋が多い。いや、むしろごく一部を除いて全てが、いわばモグリの床屋だ。理容学校も理容師資格もない時代だ。 元々髪結い床だった者が、西洋人の見よう見まねで鋏を振り回しているだけで、あぶなっかしいことこの上ない。そもそも国産の散髪鋏すらない時の話である。 豊菊が飛び込んだ店もご多聞に漏れず、髪結い床の熊公が看板をかけ変えたに過ぎない。 熊公の鋏捌きは乱暴で有名だった。 やたらめったら刃を開いたり閉じたりするので、耳を切られるわ、ツムジを裂かれるわで、客は血まみれになる。客も客で、知識がないから、散髪とはこういうものだ、と諦めていて、頭の傷をおさえおさえ店を出ていく。 法螺話みたいだが、日本中の津々浦々でこういった光景は散見されていた。文明開化の輝きの影には、無知蒙昧ゆえの滑稽譚が常に付いて回る。 「おや、三味のお師匠さんじゃあないですか!」 熊公は、近隣でも評判の年増美人の来訪に目をしばたたかせている。 御一新で、塩谷熊吉(しおや・くまきち)、という立派な姓名になったが、誰もその名で呼ばない。以前の「熊公」のままで通っている。いい歳だが魯鈍なところがあり、未だ独り者で、町内では小馬鹿にされていた。 ちなみに当の熊公は丁髷頭だ。他人に指摘されると、 「へへ、紺屋の白袴ってやつで」 と卑屈に笑っている。 間の抜けた丁髷頭をひややかに見て、 「何、ちょいとね、髪をやりに来たんですよ」 「うちは床屋ですぜ?」 と胸を張る熊公の鈍い面つきが忌々しく、じれったくて、 「だから毛はさみに来たんですよ」 豊菊は語調を強めた。当時は散髪のことを「毛はさみ」といった。 「ええ?! ど、どういうことで?!」 熊公は度を失っている。 「大丈夫ですよ。ちゃあんとお上の許可は頂いてますから」 「届け出たんですね」 熊公はやや落ち着いた。「お上の御威光」の賜物だ。 「しかし、なんだって、また、毛はさみなんか?」 「まあ思うとこがあってね。ザンギリにして頂戴な」 「へ、へえ、いいんですかい?!」 「表に”ザンギリ承ります”って下手くそな字で貼り紙してるじゃないの」 「は、はあ、まあ、そうですがねえ……」 「早いとこ頼みますよ」 色香たっぷりにお願いされると、熊公も満更ではないようで、 「へへ、ようがす。あっしの腕の見せ所だ。女の毛はさみは初めてだが、任せておくんなさい」 と手に唾する。 「ちょいと、手はしっかり洗ってくださいよっ!」 あわてて言った。 元は髪結い床だった家に、二束三文で買いたたいてきた西洋アンティークを運び込んだので、和洋ちぐはぐなことになっている。 三和土に置かれた西洋椅子に腰かける。椅子など座ったことがないので、どうも尻が落ち着かない。 「さて、と」 と仕事にとりかかろうとする熊公に、 「手洗いして頂戴な」 「ああ、そうだった」 「衛生には気を付けないといけませんよ」 「エイセイ?」 本邦理容業界のパイオニアは、首をひねりひねり手を洗いに戸外に出ていった。 戻ってきて、客の首周りに布を巻こうとする。 「随分汚い布ね」 豊菊は忌避したが、 「すいやせん、生憎これっきりしかないんで」 と言われたら、断れず、好きに巻かせた。 髷がほどかれる。 豊菊からすれば、汚く、脂っぽく、臭い、甚だ不衛生な髪が、ドバツと奔放に肩や背に垂れこぼれた。 「さっさときれいさっぱり切っちゃってくださいな」 豊菊も江戸っ子だから、気は短い。 「仏蘭西風にしやすか? それとも英吉利風にしやすか?」 「どっちでもいいですよ」 どうせ出まかせなのだから、選んだところで意味はない。 「へへへ、じゃあ仏蘭西風にいたしやしょうか」 熊公はどこから手に入れたのか、当世珍しい西洋鋏でシャキシャキと空を切り、口中に水を含んで、プーッ、と客の髪に吹きかけた。 「汚いわねえ」 と苦情を言おうとしたが、すでに熊公は長い髪を、バチバチ、と切りはじめている。凄まじい勢いだ。いかにも江戸っ子らしい切り方だ。美人にいい格好したいという下心もあるに違いない。 ジャキジャキ! ジャキジャキッ! ジャキジャキッ! ジャキジャキッ! 分厚い布を切るような音とともに、水と熊公の唾で湿された髪の毛が、ボトボトと刈布に落とされる。肩に落髪の重みを感じる。その重みの分だけ、頭は軽くなる。 せっかちな豊菊は、せっかちな毛はさみに満足していた。 短くなる一方の髪の隙間から、差し込んでくる空気が頭皮にあたり、とても心地よい。自分の頭が衛生的になっていくのも、また心地よい。 ユラユラと病的に揺れ下がっていた髪が、小気味よく切り込まれ、刈り込まれて、耳から下の髪があっという間に無くなり、女童のようになったのを、床屋はザンギリの形に作っていく。 豊菊の口元には微笑が浮かんでいた。 客の上機嫌を察した熊公は、 「どうですか、お師匠さん」 と得意そうに、 「築地の店にも負けませんぜ」 「なんです、そりゃあ?」 聞けば、築地には、本場の西洋人が理髪師をしている床屋が何軒かあって、官員や富豪が贔屓にしているという。 「へえ」 あまり興味がない。伊達でザンギリにするわけではない。あくまで衛生上の毛はさみだ。 しかし、熊公は空気を読まず、ベラベラしゃべくっていて、 「あ、イタタ!」 客の耳を傷つけてしまった。 血が滲むのを手ぬぐいでおさえられ、 「ちょいと、大丈夫ですか?」 と豊菊のこめかみに青筋が浮かぶ。 「こういうのは毛はさみじゃあよくあることなんで、我慢してもらわなくちゃあ」 「そうなんですか」 熊公にまるめ込まれ、 ――西洋人てのは大変だねえ。 と呆れる思いだった。それより気になるのは、 「その手ぬぐい、汚らしくないかい?」 「へい、すいやせん」 新しい手ぬぐいがあてられた。 直毛の豊菊の髪は、短くなるにつれ、跳ねて乱れて収まりがつかなくなっていた。 「どうも、こりゃいけねえ」 という熊公の独り言に不安になるより、苛立つ。 「まだるっこしいね。さっさとやってくださいな」 鞭を入れられて、 「へい」 熊公が悪戦苦闘しているところへ―― 「ごめんよお」 若い男が店に入ってきた。 「おや、若旦那。いらっしゃい!」 威勢よく挨拶されて、「若旦那」と呼ばれた若者は、おう、と応えた。ゾロリとした絹ずくめの姿(なり)をしている。 この若者は、町内の富商の次男坊だった。度外れた遊び人だと悪名高い。伊佐昇(いさ・のぼる)というのが戸籍名だったが、この男もやはり「若旦那」の呼び名でしか知られていない。 「またさっぱりしたくてな。ここいらで西洋鋏を使ってる店は、お前んトコだけだからな」 と言いつつ、若旦那は先客に気づき、 「おやっ、どこの優男かと思えば、三味のお師匠さんじゃありませんか!」 と目を白黒させていたが、すぐに好色な顔になり、 「一体どういう風の吹き回しですか 女の断髪は法令違反ですぜ」 「……」 豊菊はこの若僧とあまり口をききたくない。 「役所に届けそうですよ」 熊公が代わりに答えた。 「ほほう」 若旦那はますます興味深げにニヤニヤ笑い、 「何があったんですかい?」 「供養のためですよ」 仕方なく答える。 「そいつはご奇特なことで」 若旦那は揶揄するように言い、 「しかし、なんだね――」 と一層顔を笑み崩した。 「女の毛はさみってえのは、初めてお目にかかるが、なんだか、こう、艶っぽいもんだね」 遊蕩児の本性を露わにして、卑猥な目つきで熊公の商売を見物しはじめた。 豊菊はたまらない不潔感をおぼえ、 「とっととやって頂戴な」 と熊公をせっついた。早々にこの場を離れたかった。 「ちょ、ちょいと待っておくんなさいよ」 熊公はまだ剛い直毛を制しきれず、アタフタしている。 嫌がられて、若旦那はむしろ嬉しそうだった。ヨダレを垂らさんばかりに、豊菊の毛はさみを眺めている。美人師匠と近隣で噂されている豊菊のことは、かねてより頭の片隅に入れていたが、思わぬ場所で遭遇して、すっかり浮わついていた。 「小股の切れ上がった粋な年増が、ザンギリとはねえ、一句ひねりたくなるなあ。ありがたい御代だよ」 一人でしゃべっている。 「これからは女も皆、こうやって毛はさみするようになると面白いねえ。文明開化だねえ。まだまだ丁髷野郎が多いからな。日本はバアルバルの国だって、世界から笑われちまうぜ」 この若旦那、聞きかじりの西洋語を、他人にひけらかして得意がる悪癖がある。遊郭など使うとモテるらしい。 西洋語だけでなく、袂からこれ見よがしに金ぴかの懐中時計を引っ張り出して、 「三時に新橋のステイションに行かなくちゃあならねえから、早いとこ頼むぜ」 「若旦那、またハマ(横浜)へ?」 「ああ、実はな、異人に踊り、いやいやダンスを習ってるのさ。グルグルして目が回っちまうけど、異人の娘ってのも悪くないねえ」 女極道に果てはなさそうだ。 ――やな男。色基地外にも程ってものがあるよ。 豊菊は心中吐き捨てる。その軽薄さと淫蕩ぶりには嫌悪しか湧かない。 「へへえ」 独身の熊公はすっかり恐れ入っている。 「あっしも、あやかりてえもんで」 「だがさ、女はやっぱり日本だね。ジャポネスだね。女に関しちゃオイラも攘夷派だねえ」 と若旦那の視線は、ザンギリになっていっている豊菊にずっと注がれている。 ――本当にいけ好かないねえ。 嫌味のひとつでも言ってやろうかと、口を開きかけたら、 「痛いっ」 今度は反対の耳から出血した。 「お師匠さん、すいやせんね」 「……」 怒りたいが我慢した。 「熊公、こんなレデイに怪我させちゃあいけねえぜ」 「まあ、こういう怪我も毛はさみには付き物でして」 「本当かねえ、今夜異人娘に訊いてみよう」 「若旦那、他人の商売の邪魔しちゃいけませんや」 熊公は耳の血を拭い拭い、短い髪をさらに根本近くまで刈っていく。 毛と毛の間から地肌が見えるくらいに、ザクザク切って切って切り詰められた。 切られれば切られるほど、豊菊は喜ぶ。自分の身体から汚物がどんどん取り除かれていっているような心持ちだ。 だが、両耳の傷が痛む。 あっち、こっち、と細かな毛が摘まれていって―― とうとう毬栗みたいな頭になってしまった。 「へい、お師匠さん、お待ちどうさん!」 理髪師に声を張り上げられ、 「あら、お世話様」 一応鏡で出来を見る。 「西郷大将みてえですぜ」 「やですよ、あんな芋侍の親玉なんて」 「熊公よお、お師匠さんの頭を引っぱたいてみねえ。きっと文明開化の音がするぜ」 「バカお言いじゃないよ!」 あまりに傍若無人な若旦那の言動に、豊菊はとうとう堪忍袋の緒が切れて、怒鳴りつけると、勘定を払って店を出ていった。 「おい、お師匠さんの切った髪の毛、オイラに譲ってくれねえか。十銭やるぜ」 と若旦那が熊公に交渉を持ちかけているのが、背後で聞こえる。 ――十銭じゃ蕎麦一杯も食べられないよ。 幾ら屑でも安値を付けられては、かつての持ち主としては複雑な気持ちだ。 が、それはもういい。 ――衛生的だねえ。 と毬栗頭に触れて、目尻が下がる。この短さならば、洗うのも楽だ。 帰りに医院に寄って、軟膏をもらった。耳の傷が疼く。 以降、豊菊は熊公の店に通うようになった。十日に一度、毬栗頭を手入れしてもらった。 熊公は美人の常連客ができて、ホクホクしていた。 熊公の腕はまったく進歩せず、毎回頭を傷つけられた。それには大いに辟易した。 けれども、髷を切ってザンギリ(五分刈り?)にしたことで、とりあえずは豊菊の精神衛生には好結果となったのだった。 しかし、断髪して一年が経った頃、豊菊師匠はあっさりとこの世を去ってしまった。 死因は破傷風だった。床屋でできた傷口から、ばい菌が入ったせいだった。 豊菊の野辺送りには、弟子や近所の者らが列をつくったという。往時の高齢独身女性としては、まずまずの葬礼だった。 熊公は豊菊の死後も、のほほんと床屋を続けていたが、日清戦争前後には店を畳んで楽隠居したという。ザンギリブームのとき、結構小金を貯めていたらしい。最後まで丁髷頭だったという。 (四)田原坂 薩摩の西郷隆盛が新政府打倒の兵を挙げたのは、明治十(1877)年2月15日だった。 日本最後の内戦・西南戦争の火ぶたは切られた。 最新鋭の装備を誇る新政府軍だったが、日本最強と謳われた薩摩軍に攻めたてられ、逆に、剽悍をもって鳴る薩摩士族は、近代的訓練を受けた鎮台兵を攻めあぐね、両軍は九州の山野で激闘を繰り広げた。 その中でも最大の激戦地となったのが、 雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂 との俗謡で有名な、熊本県北部にある田原坂である。 大地をさらい尽くすような豪雨のなか、鮫島啓(さめじま・けい)は震えながら、部隊長の命を待っていた。 まだ三月、寒い。寒さと空腹は、啓から体力、そして思考力を容赦なく奪い取っていった。 何も考えられなくなるのは、啓にとって幸福なことだった。ただ動くだけの木偶になりたかった。そうすれば、死ぬのも怖くないし、殺すのも怖くはない。 周りの青年兵たちは、俺は何人斬ったぞ、と自慢し合っている。皆、人殺しに慣れていっている。数か月前までは、冗談や相撲や色話が好きな普通の青年たちだったのに。それが一番恐ろしい。 啓はまだ人を殺めた経験はない。 戦友にはそれが不幸に思えるらしい。 「啓次郎、おはんナ、武運が無かのう。じゃっどん心配せんでも、戦はこいからじゃ。幾らでも手柄ば立てられるっじゃろ」 と肩を叩いて慰めてくる。心底同情しているのだろう。 「啓次郎」とは、啓の男の名だ。それについては、後で語る。 「啓次郎どん、きばいやんせ。初陣は生涯一度っきりじゃっでな」 と激励してくる少年兵の右手は、指が二本欠けていた。彼はその直後、政府軍の銃弾を浴びて、あっけなく骸になった。 目は累々たる屍を見、鼻は血の匂いを嗅ぎ、耳は砲弾の炸裂音を聞き、身体は泥濘と疲労にまみれ尽くす。 僅かの間で、啓は本当の戦いというものを、肉体的に思い知らされた。 しかし、 ――私も「薩摩武士」じゃ。逃げることはできん。 短く剪った髪をかきあげ、刀の柄に手をかける。粗末な拵えながら、先祖重代の太刀だ。 連日の降雨で、薩摩軍の旧式銃はすでに使い物にならなくなっていた。 あとは白刃をもって、敵中に切り込むしかない。部隊長の号令がかかれば、それを合図に突撃する。全員が同じ覚悟だった。 薩摩兵の強さは白兵戦でこそ、その真価を発揮する。 「薩摩侍の初太刀はとにかく外せ!」 と新選組局長の近藤勇さえ隊士にそう言い含め、恐れ続けた薩摩示現流、その剛剣の威力こそが薩摩武士が、今に至るまで最強である理由だ。 啓は女だてらに、その示現流の使い手だった。 啓の家は薩摩の郷士だった。 侍階級ではあったが、薩摩では郷士の身分はほとんど農民に近い。上級武士である城下士とは、絶対的な身分差があった。 郷士は普段は農村で、田畑を耕して暮らしを立てている。啓の家もそうだった。 啓は五人兄弟の長女だった。兄が一人、弟が一人、妹が二人いた。貧しくはあったが、家族は仲が良く、平凡に、でも平和に過ごしていた。 啓は近郷では男勝りで有名だった。 長兄の啓一郎の手ほどきを受け、剣を学んだ。 「女子が剣術など、何を思うとっとじゃ」 と兄は最初相手にしなかった。しかし、戯れに教えてみたら、啓の思いがけぬ資質に舌を巻き、 「筋が良か。こりゃあ啓次郎より教え甲斐があっど」 啓次郎は、啓一郎と啓の弟だったが、身体が弱くいつも病気で臥せっていた。家中の者がこの少年の健康を、絶えず心配していた。 稽古は熱を帯びた。 示現流の稽古は、昨今流行りの面籠手をつけての撃ち合いはせず、ただひたすら丸太を振る。丸太で薪の束をうつ。何千回でもそれを繰り返す。 素振りの結果得た剣の速度こそが、示現流の唯一無二の極意である。その速さ、その力を込め、最初の一太刀に全てを賭ける。幕末、薩摩武士に斬り斃された死骸は、皆身体を一刀のもと、真っ二つに割られて、無惨な肉塊と化していたという。その凄絶さに新選組や他藩の侍は、薩摩侍を見れば道を避けたと言われるほどだった。 ただし、その初太刀が外れれば、一切が終わる。全くの無防備となる。自分が斬られるほかない。捨て身の剣といえる。 剣に夢中になる啓に、祖父母や両親は嫌な顔をした。 そのようなことをせず、野良仕事を手伝え、繕い物をしろ、と叱りつけたが、啓の才能に惚れこんだ啓一郎は、 「畑仕事は俺(おい)がすっで、啓に剣の稽古ばさせてやってたもんせ」 とかばった。 「女子が剣ば習うて、どげんすっとな?」 と父が言うのも当然で、薩摩は男尊女卑の風が強い。「薩摩おごじょ」と呼ばれる薩摩の女性は、家の出入り口から厠での用足しまで、何かと男性と差をつけられていた。 だから、啓が男と同じように剣を学ぶことにも、親は大反対だったのだ。 「なんの」 啓一郎は肩を揺すって笑い、 「こいからは女子でん、一朝事あらば国難に立ち向かわにゃならん時勢でごわんど。剣の使い方ぐらい知っておいて、損にはなりもはん。俺の言うこつば、信じてたもんせ」 と家族を説き伏せた。 兄のおかげで啓は剣に集中することができた。 明治二(1869)年、西郷隆盛は、新政府の要請に応じて、薩摩の青年を引き連れ、大挙上京した。それら青年群の中には、啓一郎の姿もあった。 東京へと向かう兄の背を、啓は晴れがましい気持ちで見送ったものだ。 しばらくして、兄から手紙が届いた。 「啓一郎どんナ、東京でポリスにおなりにならしたそうな」 と母は教えてくれた。 「ポリスって何ちな?」 啓は訊いた。 「まあ、よくはわからんが、出世したとじゃ」 と普段無愛想な父も顔をほころばせていた。 「俸給はどれくらいじゃろか」 「こら、啓、侍の子が金のこつば口にすんな!」 「じゃっどん……」 「そいと男みたいな恰好をしたり、男みたいな言葉を使うな。嫁にいかれんど」 啓はふくれっ面で黙った。しかし、それからは、啓一郎から少なくない仕送りがされるようになり、鮫島家の生活はだいぶ楽になった。啓一郎は弟や妹のために、珍しい東京の菓子なども送ってくれた。 啓は小言を言われながらも、剣の研鑽に励んだ。啓たちにとって、一番幸せな時期だった。 しかし、明治六(1873)年、一家の運命に暗雲がたれこめる。 征韓論争で下野した西郷が、鹿児島に帰郷したのである。 西郷を慕う何千もの薩摩士族も、辞職し、続々と戻ってきた。 だが、啓一郎は仲間に同調せず、東京に残った。彼は薩摩人としての立場より、警察官としての任務を重きとしたのだった。 熱狂に流されず、自らの信じる道を貫こうとする兄を、啓は誇らしくさえ思った。 けれど、西郷に与せず、東京に残留した薩摩人は、同郷人から憎悪と軽蔑の対象となった。 鮫島家とて例外ではない。 「お前の兄は官位と俸給が惜しくて、西郷先生をば見捨てて政府に寝返ったとじゃ」 裏切り者、と青年らに罵られるたび、 「兄サアのことを悪く言うな!」 と啓は木剣を握って、飛びかかった。彼らを追い散らしても、叩きのめしても、悪評はやむことはなく、かえって「鮫島ンとこの鬼娘」と陰口を言われ、年頃なのに縁談も来ない。 ――別に構わん。 啓は平気なふうを装おうとした。 啓一郎は東京で一緒に暮らすよう、手紙で家族にすすめていたが、ぐずぐず迷っているうちに、彼からの音信は突然途絶えた。 何があったのか?と家族は心配したが、やがて―― 啓一郎は吉原の女郎に入れ込んで駆け落ちしたのだ という話が聞こえてきた。 ――嘘じゃ! 啓は信じなかった。 「兄サアはそげんお人じゃなか!」 と言い張ったが、 「田舎ン侍が江戸の女にたぶらかされるこつは、よくある話じゃっでな」 一族の長老は難しい顔をしていた。 「しかし、まさかあの啓一郎が……」 「警視庁の上司の川路どんも、啓一郎は女郎と逃げた、と言うておられるち聞きもした」 「大久保の飼い犬の言うこつなんど信用ならん!」 「そうじゃ、信じられん!」 叔父たちは息巻いたが、 「そいなら、ないごて啓一郎から便りが来なくなったとじゃ」 と長老に言われると沈黙した。 「兄サアにはきっと理由があっとじゃ!」 「啓、もう良か! あげな男のこつは今後二度と口にするな。鮫島家の恥さらしじゃ。こいからは、啓次郎が鮫島家の当主じゃ」 と最後に父が断を下した。涙声を隠しきれずにいた。 「……」 啓はもはや何を信じて良いかわからなくなった。現実から逃げるように剣を振るった。 啓一郎が行方をくらましてから、窮迫がきた。鍋の底をさらうような毎日が続いた。 啓は鹿児島城下へ働きに出た。 行き帰りが危険なので男姿にした。長い髪を高々と結い上げ、薩摩絣にたっつけ袴、二本差しで城下に通った。 すでに廃刀令が出て、帯刀は禁じられているのだが、薩摩では誰一人、遵守していない。大西郷の下、薩摩はあたかも日本国から独立したかの如く、政府からの干渉を拒み続けていた。この先、西郷は、薩摩は、どうするのだろう、と日本中の人間が不安、あるいは期待をもって、その動向に注目していた。 啓はそんな世情などに関心を示す暇もなく、昼は働き、夜は剣術修行に励んだ。 男装の啓に、二才(にせ)と呼ばれる不良青年たちがちょっかいをかけてきた。皆、城下士だった。郷士など犬猫程度にしか思っていない。藩はなくなっても、こうした旧秩序は残っている。 郷士の娘を慰み物にしようとする二才どもに、 「汝(わい)ども、そいが武士のするこつか、恥をば知れ!」 と偉丈夫が割って入って助けてくれた。強そうな大人に怒鳴られ、二才らはすごすご去って行った。 「鮫島ンとこの、おごじょか?」 男は啓を知っていた。 「啓一郎どんが言っとった通り、男顔負けのおごじょじゃな。しかも美人じゃな」 「お前サァはどなたでございもすか?」 啓一郎の名を聞いて、啓は思わず訊ねた。 「俺は草鹿彦馬(くさか・ひこま)という者じゃ。元警視庁でな。啓一郎どんとは親交があったとじゃ。啓一郎どんナお前サァのことを、よう話しておられた。あんお人とは東京でもよく一緒に遊んだもんじゃ」 「遊んだ」という動詞に、啓は兄の不始末のことを思い出して、急にムカムカしてきた。 「啓一郎どんのことはお気の毒ごわした」 芯から同情する表情を浮かべる彦馬だったが、 「あげな不徳義なお人のことなど、もう兄とは思ってもはん!」 言い捨てると、踵を返し、駈け出した。 「待ちやんせ!」 と彦馬の声が追ったが、啓は耳をふさぎ、夢中で走り去った。 間もなく西南戦争が勃発した。 西郷軍は檄を飛ばし、兵を募った。 薩摩の若者は競うように、その幕下に駆けつけた。従軍せぬ男児は卑怯者として、その家までもが迫害を受けた。 「俺も戦に征きもす」 と啓次郎は、鮫島家の当主として従軍しようとしたが、病弱な彼には戦うどころか行軍さえおぼつかないだろう。 「俺が征く」 と父は悲痛な表情で言った。 「啓一郎があげな醜態ば晒した挙句、こん戦に誰も出んじゃったら、もはや鮫島の家ン者はお天道様の下を歩けん」 「父上には無理じゃ」 啓は老体の父をおしとどめた。 「私が啓次郎どんの代わりに従軍しもんそ!」 自分しかいない、と思った。啓一郎の恥を雪ぎたかったし、自身の剣技を世に問うてもみたかった。 「バカが!」 父は娘を一喝した。 「戦を何と心得えとっとじゃ。女子は引っ込んどれ!」 が、啓は言い募った。 「私がこん家の中で一番腕が立つこつは、知っておっとでしょう。男には負けもはん!」」 「女子を戦に出したとあっては二重の恥じゃ!」 「だけん、私が啓次郎どんに成りすませば良かでしょう」 「すぐばれるっど!」 「病人や老人が出陣したとて、足手まといンなって、かえって嘲りを受けもす!」 「言わせておけば!」 と親子喧嘩になりかけたが、最後には啓の主張が通った。他に道はなかった。 かくして、啓の従軍は決まった。 その夜、鮫島家には珍しく、深更まで行灯が灯っていた。 啓は神棚の前に端座して、 「母上、頼んもす」 と促した。 母も武家の女だ。涙を拭い、和鋏を手にした。 「良かな?」 「はい」 娘の返事を潮に、おもむろに鋏を、男髷にした啓の元結に持っていった。 明日は出陣。 啓は弟になりすます必要があった。 だから、髪を、剪る。これから、薩摩兵児(さつまへこ)に化(な)る。 サクッ サクッ と母の指に力がこもり、鋏が開いて、閉じる。 男髷に、鋏が入り、深く、深く、すすんでいく。古ぼけた和鋏は弾力のある若き乙女の髪を持て余して、ギチギチとなかなか切れずにいたが、ついに―― ザリッ キン! と刃と刃がぶつかり合う音が、静寂の中、響く。 大たぶさを剪り取られた。 啓は泣かなかった。本当は悲しかったが、じっと耐えた。 父は男泣きに泣いていた。女たちも泣いていた。 結節点を失った髪が、フアッサッ、と顔や肩や首筋に零れた。 母はそれを啓次郎のように、ザンギリに仕上げていった。 シャキシャキ、シャキシャキ、 ザクッ、ザクッ、 シャキシャキ、 と肩までの髪を一気に、耳下まで剪り縮めた。横も、後ろも。 自分の頭が軽くなっていく不安に、啓はひたすら耐え忍ぶ。自分が別の人間になっていくという恐れがあった。反面、これまでの自己を脱ぎ捨て、新たな可能性に身を投じられることに、幽かな恍惚もあった。 一剣以テ天下ヲ平グ それが啓の夢だった。かなわぬ夢だったはずなのに、もしかしたら、それに挑む最大の好機が到来したのかも知れない。 母の鋏は、由比正雪の如き惣髪を、剪って縮めて、短く揃えていく。 啓は瞑目した。唇を噛みしめた。頭上で行われていることを、懸命に受け容れようとしていた。 サクッ、サクッ、 サクッ、サクッ、 耳が曝け出された。そうして、うなじに鉄の感触が―― シャキシャキ、 シャキシャキ、 前髪が厳粛に剪り落とされた。 赤茶けた畳に、黒い雨は止むことなく降り落ちていった。 「こいで良か」 と母が言った。剪り終えた。 啓はおごじょから兵児になった。 「姉サァ、生きて帰ってたもんせ」 妹たちは泣きじゃくりながら、短い髪になった姉に抱きついてきた。 「出陣の門出に涙は不吉じゃ。必ず手柄を立てて、帰ってくっで泣きやんな」 「姉サァ、俺がこげな身体なばっかいに申し訳ごわはん」 泣いて詫びる弟に、 「啓次郎どん、自分を責めてはいかんど。こいも天命じゃ。おはんもゆっくり養生して、鮫島の家を支えてくいやんせ。ただし、無理はいけもはんよ」 と啓は優しく諭し、励ました。 啓は鮫島啓次郎として、西郷軍に加わった。 父は父祖重代の具足を着けていくように言ったが、 「そげな恥ずかしかこつ」 せっかく頭が軽くなったのに、そんな重い物を着せられてはかなわない。 黒の詰襟服、いつものたっつけ袴に脚絆をつけ、兵児帯を巻いて、父から渡された伝家の太刀を閂差しにし、啓は勇んで鹿児島を出発した。その日、鹿児島城下は、五十年ぶりの大雪だった。 戦場の現実は酸鼻の一言に尽きた。啓の想像を遥かに絶していた。 すでに刀槍の時代は終わり、戦いの主役は銃砲となっていた。十年以上学んだ示現流は何の役にも立たなかった。 否、啓は後方に回されたため、その技を試す機会すらほとんどなかった。穴を掘ったり、大砲を引いたり、兵糧を運んだり、鉛を鋳つぶして銃弾を作製したり、死体を片付けたり、華やかさとは程遠い軍務に従事していた。 最初は物足りなく思ったが、それが大いなる幸運だということに、啓は気づきはじめた。 戦の惨状は、後方にいてもわかる。砲声が鳴り渡り、硝煙や血の臭いが充満し、瀕死の重傷兵が担ぎ込まれてきた。重傷兵は家族の名をうわ言のように呼びながら、冷たい骸になっていった。 若い薩摩兵は血に狂い出した。 彼らは政府軍の捕虜を引きずり出しては、命乞いするその首を刎ねた。 捕虜殺害は戦時国際法に違反する故まかりならぬ、と軍幹部は戒めていたが、群狼と化した青年たちの耳には入らなかった。 「試し斬りじゃ!」 「軍神の血祭りじゃ!」 「肝試しじゃ!」 と称しては、次々と殺戮を重ねていった。 「啓次郎、おはんも肝を鍛えんか」 と啓も腕をつかまれ、首斬りを強制された。が、 「こげなこつは、薩摩武士のやるこつでは、ありもはん!」 と激しく抵抗した。 「こん臆病者が!」 と罵られ、制裁を加えられそうになったが、なんとか切り抜けた。 他にも危険はあった。 薩摩は男色が盛んな土地だ。「美少年」の啓は油断ができない。気が休まるときがなかった。 後方といえども安全ではない。政府軍の奇襲に何度も遭い、その都度、部隊は算を乱して敗走した。 啓も逃げた。弾丸が飛び交う中を走った。獅子から逃げる子ウサギのような動物的恐怖心が、逃走する啓を支配しきっていた。 銃弾が頬をかすめ、爆風で吹き飛ばされそうになった。味方がバタバタと斃れていく。 ――死ぬ! と幾度思ったか知れない。戦いの恐怖を肌で知った。骨髄に徹するほどに、味わいつくした。 過酷な日常の中、 ――何のために、こいまで剣の稽古ば続けてきたとじゃろ……。 ぼんやりと自問した。 そのさなか、啓の部隊は田原坂に投入された。 即席でおぼえさせられた小銃を、むやみやたらと撃ちまくった。物資不足の西郷軍の弾薬はすぐに底をつき、旧式の銃は雨によって使えなくなった。 地獄さながらの戦場で、兵は飢えと寒さに衰弱していく一方だった。 ――もはや……こいまでじゃ……。 絶望の中、啓の意識は遠のいていった。 と―― 「お前サァは――」 どこかで聞いた声がした。頭上からだ。 「……」 啓は薄っすら目を開けた。 男が立っていた。啓を見おろしている。 「俺じゃ」 草鹿彦馬だった。 「しっかりしやんせ」 彦馬は啓の肩を抱き、少し離れた樹の下へと連れていった。 ――こん人に……。 犯されるのだろうか、と混濁した頭の中、漠と考えた。 ――どうでん良か。 捨て鉢に思った。 だが、案に相違して、彦馬は携帯していた餅を、こっそり啓に与えた。啓は夢中でそれを貪った。 わずかながら人心地がつくと、 「なんで、お前サァが従軍しとっとじゃ?」 と彦馬は哀しい眼で訊ねた。 「家の名誉のためごわす」 啓は答えた。 「バカなこつを」 彦馬は口惜しそうに吐き捨てた。苦渋に満ちた表情だった。 「無駄に命を捨てるもんじゃなか」 「そいどん征かねば卑怯者と謗られもす」 「じゃっどん女子のおはんが来るとこじゃなかぞ」 「他にどげな方法がありもんそ」 啓は訊いた。彦馬にではなく、自分に問うていた。 「啓サァ、お前サァにどうしても話しておかにゃいかんこつがあっとじゃ。まさか、こげなところで再会するとは思わんじゃったが、こいも天の計らいじゃろ」 「何の話でごあんそかい?」 「啓一郎どんのことじゃ」 「聞きたくありもはん」 「うんにゃ、意地にならずに聞いて欲しか。お前サァも本心では、兄サァのこつが気になっとじゃろ?」 「……」 彦馬はゆっくりと語り出した。 「啓一郎どんが女郎と駆け落ちしたちう話は、全部作り話じゃ」 ――え? 啓の両眼に光が戻った。 啓一郎は警視庁の密偵として、西国の反政府勢力を探索して回っていた。しかし、不意に消息を絶った。おそらくは正体が露見して殺されたのだろう。警視庁もそう判断した。 「本来ならば名誉の殉職じゃ。じゃっどん――」 彦馬の両眼からは涙が流れていた。 政府機密に属する件なので、公にはできず、啓一郎は破廉恥漢としての汚名を着せられ、名誉ごとこの世から抹殺されてしまったのだ、と彦馬は語った。 「そげなこつ……」 啓は絶句する。 「確かな筋から聞いた話じゃ。間違いなか。おはんの兄サァはけして人倫に背いて、おはんらを捨てたわけじゃなか。天晴な薩摩武士じゃった。おはんもそう信じちょっとじゃろ?」 「啓一郎兄サァ……」 兄の思い出が、笑顔が、よみがえってきて、涙があふれた。 彦馬は諄々と言い聞かせるように話し終えると、 「俺はこん田原坂で死ぬ」 と言い切った。覚悟の表情だった。 「こん戦で侍の世は終わっど。俺のような剣術しか能の無か不器用者には、ここは良か死に場所じゃ」 と澄んだ笑顔になった。 「じゃっどん、お前サァは女子じゃ。まだ若か。命を粗末にしたらいかんど。今すぐ戦場を離れやんせ。そうせんと啓一郎どんの潔白を知る薩摩ン者はこの世にいなくなる」 「じゃっどん……」 ためらう啓に、 「こん戦が終わってからが、本当の国創りのはじまりじゃ。お前サァは俺や啓一郎どんの分まで生きて、こん国の行く末を見届けてくいやい。そん命を国創りのために使ってくいやい。さあ、早よう、家族ん許へ帰りやんせ」 「……」 心が揺れる。さまざまな思いが錯綜している。啓一郎への思慕、望郷の念、啓一郎を使い捨てた政府への怒り、死の恐怖、鮫島家の名誉、家族への愛、彦馬への感謝、剣への未練―― 砲声が轟いた。政府軍のスナイドル銃が火を吹く。戦いが再開されたのだ。 「いかん! はじまってしもた!」 彦馬は立ち上がった。啓の肩に手を置き、 「良かな? 早う逃げやんせ」 そう言い残すと、抜刀して、叫び声をあげながら、他の薩摩兵たちと共に、敵中へと斬りこんでいった。 戦友は白刃をかざし、次々と突撃していく。 政府軍兵士の悲鳴が聞こえてきた。雨で見えないが、どうやら抜刀攻撃は功を奏しているようだ。 応戦する射撃音がした。 ――彦馬サァ、啓一郎兄サァ、すんもはん。 啓は心の中で謝った。そして、静かに刀を抜いた。 ――ここで逃ぐるわけにはいきもはん。 瞬時に決意していた。 示現流を学んだのは、間違いではないと思いたい。これまでの自分の生き方を否定できないし、否定されたくない。 時勢に取り残されたのならば、少しでも時勢に抗って、そして潔く散りたい。 何より、 ――新しか世の中など……。 薩摩の片田舎でずっと生きてきた小娘には、まったく考えが及ばない。逃げた後は、敗残者としての惨めな余生しか存在しない。 ――ならば、私もここで滅ぼう。 心を決めたら、震えは消えた。恐怖も疲労も消えた。矯激な情熱のみがあった。 微かな静寂があった。それは、実際の戦場にあったのか、啓の心のみにあったのか。 「……」 啓は咆哮した。刀を構え、真っすぐに敵陣へと走り出した。初太刀に全てを賭けて。 その後ろ姿は豪雨に紛れて見えなくなった。 次の瞬間、政府軍の一斉射撃の銃声が、天地にこだました。 エピローグ・蔵の中 風がひどく湿気を含んでいるのが、髪の重さでわかる。 ――とんでもないド田舎に来ちゃったなァ。 ルルは畳の上、寝返りをうつ。先週までのフローリングの自宅が懐かしい。反面、シャクなんだけど、畳の寝心地にそこはかとない安心感をおぼえる。 ゴロリ、ともう一度寝返りをうつ。長い髪が身体に敷き込まれ、 「痛い」 ルルは小さく悲鳴をあげた。 イライラとスマホをいじくる。SNSの更新がうまくいかないのだ。接続になにか問題でもあるのだろうか。 明日から新しい学校に通う。そこの制服――レトロな感じが意外と気に入っている――を撮って、SNSにあげようとしたが、なかなか思い通りにいかない。舌打ちする。 「ルル、昼間からゴロゴロしない! ちゃんと生活にメリハリをつけなさい! 明日から新学年でしょ!」 ママは怒っている。 「チッ」 「舌打ち禁止!」 「ねえ、この部屋、カギつけてよ」 日本式家屋は開放的すぎていけない。プライバシーってものが全く考慮されていない。都会育ちの現代っ子にはそこが一番の不満だ。 「わかったわよ」 ママは言う。生返事だ。どうせ政治家みたくノラリクラリ引き延ばして、ウヤムヤにしてしまうつもりなのだろう。 ――しつこく言っとかないと。 と考えつつ、ゴロゴロ。 今年両親の離婚が成立した。パパの浮気が原因だ。パパにも言い分はあるみたいだけど。 三年くらい別居していて、それから離婚したので、パパのいない生活には慣れている。だから、大してショックはなかった。 シングルになったママは、一人娘のルルを連れて、彼女の実家へとUターンした。 ジイジとバアバの面倒をそろそろみなくちゃいけないし、田舎の方が子供の教育にもいい、と一人決めしていた。 ――勝手に決めんなよ。 ルルは大いに立腹したが、じゃあどうすんの?と開き直られたら、対案は全く浮かばない。で、結局四月からこの古い屋敷の住人となった次第。 いつもジイジとバアバの方から東京に出向いてくれていたので、ママのこの故郷のことは全然知らなかった。 毎日外の風景を眺めながら、 ――まるで「トトロ」の世界だ。 と思う。あれは画面越しに見ている他人の話だから、のどかでいいなー、と無責任に思うのであって、いざ自分が似たような世界に放り込まれたら、退屈で退屈で仕様がない。 子供じゃあるまいし、野山で虫を追いかけるなんてできない。いや、もし子供だったとしてもしない。 結局ネット漬けになる。連日連夜スマホをいじっている。あれ? ここに来る前と変わらないや。 「せっかく自然の多い環境に来たのに」 とママはこぼしていたが、あなたの都合で「都落ち」しただけなのに、恩に着せられても困る、と反論したい。しないけど。 ママはこっちに引っ越してきてから活き活きとしている。ツテがあって、地元の農協に勤めることが決まった。それで余計に元気になって、毎日あっちこっちに飛び回っている。ルルとの会話にも、たまに方言が混じったりするようになっている。 ルルの方は面白くないことばかりが、立て続けに起きている。 なかんずく、腹立たしいのが、部活の件だ。 ルルは部活経験がゼロだ。必要なし、と思っている。 ところが、これから通学する中学校は、生徒全員に何らかの部活動への所属を強いている。 一昨日それを知らされたとき、ルルは泡を吹きそうになった。 ――スパルタかよ! 人権団体、ちゃんと仕事しろよ!とも思った。 地域差というものは、まだまだあるらしい。進んでいる地域は進んでいるが、遅れている地域は未だに昭和から時計の針が止まったままのようだ。 学校から電話がきて、今日中に部活を決めるよう言われた。時間がない。なさすぎる。 考える暇も与えられずオロオロ。部活なんてやりたくない。反吐が出そうだ。 でも、もし拒否したら、どうなるんだろう。いかつい先生にすごく怒られて、ぶたれるかも。で、それを教育委員会とかに訴えても、教師やPTAの圧力で隠蔽されるかも。裁判とかになったら何年かかるだろう。仮に勝訴しても、ニュースになれば自分の身元が特定されて、誹謗中傷されるかも。きっと村八分されるに違いない。そういうことを洗いざらい遺書に書いて自殺したとしても、絶対揉み消される。田舎ってそういうところだから。などと、偏見に満ち満ちた悪い想像ばかりがひろがる。 なので、抵抗は諦めて、ママに誘導されるがままに、陸上部に入ることに決めた。母も中学で陸上部だったらしい。 不幸続きで気が滅入る。スマホで現実逃避する。そして、ママに怒られる。気が滅入る。負のサイクルに陥っている。 明日から新学年がスタートする。ルルの転入初日でもある。 ルルはのんべんだらりとシエスタを楽しんでいる。 「ルル?」 ふすまが開いて、ママがふたたび顔を出す。 「何?」 やっぱりカギは絶対要る。 「今日は何の日でしょう?」 ママの口から突然クイズが飛び出した。 「はあ?」 もちろん戸惑うルルだけど、 「当てたらお小遣いあげるわよ」 と言われたら、真剣になる。 「う〜ん」 「ネットで調べちゃダメだよ」 「何の日なんだろ〜?」 当てずっぽうであれこれ挙げたが、 「ぶっぶー」 「ムカつく〜」 となり、 「一体何の日なのさ」 ルルは兜を脱いだ。とにかく何が何でも答えが知りたい。 「ヘアーカットの日よ」 「そうなの?」 毎年4月5日は、ヘアーカットの日だという。初耳だ。 「なんで4月5日なの?」 ママは、いい質問ですねえ、とでも言いたげに含み笑いして、 「ちょっと来てみ。見せたいものがあるの」 と手招きした。 ママがルルを連れていったのは、この家の裏手にある土蔵だった。 ――古い家にはよくこういうのあるよなあ。 イケメン俳優が出ていた金田一耕助の映画を思い出す。そのイメージもあって、ちょっと不気味だ。 ママは平気でカギをあけて、蔵の二階へと娘を誘った。 二階は薄暗く、かび臭かった。採光性は意外に悪くなくて、差し込む陽光が、宙を舞うホコリまで、ふんわり浮かび上がらせ、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。 古い家具や雛人形、蓄音機、ミシン台、葛篭、勉強机、古雑誌の山、農機具などがスペースを占領している。 「ここはママが子供の頃の秘密の部屋だったのよ」 とママは懐かしそうに目を細めた。 「ジイジやバアバに叱られたときは、よくここに隠れたもんよ」 「あたしもママに怒られたらここに隠れよ」 「ご自由にどうぞ」 ママは、フフと笑った。 そして、一番奥の棚をゴソゴソさがして、 「あったわ」 一抱えはある大きな桐の箱を持ってきて、机の上に置いた。 「これ、何?」 ママはホコリを払い、箱のフタをあけた。 「きゃっ!」 ルルは思わず後ずさった。 箱の中には和紙に包まれた大きな髪束が、クルクルと丸まっていた。 「そ、それ、何よ?」 ルルはすっかりビビッている。旧家の蔵に黒髪の束って、まるで和製ホラーだ。 「これはね、ママや貴女のご先祖様の髪よ」 とママは教えてくれた。年月を経ているが、まぎれもなくうら若き乙女の髪の毛だ。 「い、遺髪ってやつ?」 「ううん、ちょっと違うかなあ」 ママは意味深に言い、髪と一緒に入っている写真を見せる。白黒写真だ。百年くらい前、いやもっと昔か。 白黒の写真には、二人の女性がうつっている。二人とも若い女性だった。寄り添うように立っている。仲良しなのだろう。 右の女性は小柄で瓜実顔、切れ長で涼やかな目の、凛とした美人だ。洋装をしていた。ピッチリとした黒い洋服にスカ-ト、大黒様みたいなふっくらとした帽子をかぶっている。 その女性をママは指さし、 「これがご先祖様よ。ヒイヒイお祖母ちゃんってとこかな」 「これ、何のコスプレしてんの?」 「コスプレじゃないわ」 とママは苦笑して、 「ナースだったのよ」 「へえ、この時代は白衣じゃなかったんだ!」 「そこら辺はよくわかんないけどね」 ママは歴史に強くない。 「この髪はそのヒイヒイお祖母ちゃんが、十代の頃切った髪なのよ」 「な、なんで?」 ルルは度肝を抜かれっぱなしだ。 「これはね――」 ママはこの家に伝わっている昔話を、思い出し思い出しルルに語り聞かせた。 明治初年に発布された散髪脱刀令で、まだ小娘だったヒイヒイお祖母ちゃんは女性髷を切って、ザンギリ頭になったという。 「ザンギリって?」 「うーん、今だとショートヘアってとこかな」 ママは歴史に強くない。 「ふーん」 しかし、その翌年政府は女子断髪禁止令を出して、女性が髪を切ることを禁止した。 「なんでなんでなんで?」 つい、「なんで」を三連発してしまった。 「この時代はまだ古い考えの人が多かったのよ。髪は女の命、切るなんてケシカランって意見がほとんどだったのね」 「じゃあ、もし髪を切ったら?」 「法律違反で刑事罰を受けるわね」 「どんな罰? 打ち首とか?」 「それはネットで調べて」 ママは歴史に強くない。 「ショートにもボブにもできないの?」 「そうよ」 「信じらんない!」 フェミニストになりそうだ。ならないけど。 「その女子断髪禁止令が出されたのが、4月5日なわけよ」 「ああ!」 ピースがピタッとはまった。けれど、 「なんで髪を切るのが禁止された日が記念日なの?」 「あえて、っていうのかな。女性の髪型が自由じゃなかった頃のことを思い出して、そのことを忘れないようにって」 ヒイヒイお祖母ちゃん――時田(旧姓)珠はフライングして髪を切ってしまったという。 珠は当時の女性には稀な「職業婦人」だったという。向学心に燃えて、英語を習得し、やがて医学の道にすすみ、看護婦になったそうだ。 「現在の看護師さんだね」 「ほええ、偉い人だったんだね」 「志があったのね。クラーク博士風に言えば、ガールズ・ビー・アンビシャス!だね」 珠については他にも言い伝えがある。 啓は見習いの頃から、従軍看護婦として戦地に赴いていた。そして、明治十年の西南戦争で或る負傷兵を救った。男装の少女兵だったという。 「男装の少女兵?」 「この女性よ」 とママは写真の左側の女性を指さした。背の高い女性だった。丸顔で目が大きくて、愛くるしい顔立ちをしていた。現代ならアイドルでもいけそう。この女性も洋装だった。ドレスアップして、貴婦人みたい。 「鮫島啓っていう人らしいわ」 「なんで男の格好なんかして戦争に出てたの?」 「色々複雑な事情があったらしいけど……」 その辺りは伝わっていないらしい。 鮫島啓は、珠の許で傷を癒し、珠に感化されて、勉学にうちこみ、 「その頃では珍しい女性の教師になったんだって。英語の先生だったかな? いや、体操の先生だったっけかな?」 「すげー」 我が家にまつわる歴史秘話に、ルルは柄にもなく感動した。 「それで、二人は幸せに暮らしたんだね?」 「それは、おいおい話してあげるわ」 「ええ〜、引っ張るのォ」 「ひとつ言えるのは、二人とも一生懸命に女性の、いいえ、自分の可能性を広げていったのよ。明治っていう白紙の時代に、自分だけの答えを描いていったのよ」 ママはちょっとポエマーモードになっている。 明日のことなんてわからない。お手本なんてまるでなかった時代に、この二人は一歩一歩、また一歩、と理想と勇気と好奇心を抱いて進み、自分たちが後世の人々のマイルストーンとなったのだ。 こちらをじっと見つめる二人の強い眼差しと目が合い、ルルはドキリとする。 珠と啓に、 ――貴女はしっかりと生きてる? って訊かれてるみたい。 ――あたしも頑張んなきゃ! ルルの心に激しい炎が燃え盛る。良いにつけ悪いにつけ、影響されやすい年頃なのだ。もしかしたら、ヒイヒイお祖母ちゃんの血が目覚めたのかも知れない。 そして、珠の髪の毛に視線を移す。 珠が青雲の志をもって、自分の意思で断ち切った髪―― 「昔の女の人って、髪も好きなように切れなかったんだね」 「そう。現代ならショートだってベリーショートだって自由にできるんだから」 「いい時代だよね!」 「でしょ〜」 とママはルルのロングヘアーをチラ見しつつ、ほくそ笑む。予想通りの流れだ、と。 これならロングにこだわる娘を説得できそうだ。 庭ではジイジが、すでに椅子をセッティングして、刈布や散髪鋏を用意して、バリカンを調節していた。陸上部員になる孫に、活を入れるべく。 「ルルは母親と同じ長距離走が向いてそうだなあ」 と言いながら、断髪式の準備をし終えていた。 「丁度明日は燃えるゴミの日だし、良かったねえ」 とバアバも縁側で見物する気満々だ。 「蛮場中学・炎のランナー」誕生の直前のことである。 (了) あとがき うわ〜! 長い!! 長すぎるうう!! 前作「枕草子異聞」を凌駕する長編です(汗) そりゃまあ、五つの短編(?)を組み合わせているんだから、これだけのボリュームになるんですが。。 一応今回は一話一話が長くならないよう極力配慮しました。迫水の場合、長くならないようにする最大のコツは、「恋愛要素をいれないこと」です(笑) モテないヤツほど恋愛に説得力をもたせるべく、やたらと文章量を費やす傾向があります。ソースは自分 (^^;) このストーリーは、ずっと前から夏侯惇、いや、書こうと決めていました。だから、トップページの画像をザンギリ頭の女性にしていたんです。あの画像は時田珠のように「散髪脱刀令」で断髪しちゃった女性についての、当時の新聞記事についていた挿絵です。小説の予告的なものでした。 明治初年にザンギリ頭にした女性がいる!という知識は一応あったので、いつか小説化したいと思ってました。 そして、数年前、千葉の民家でそのころの断髪届(の写し)が発見されたとのニュースをネットで知り、そんなものがあったのか、と驚きました。これも、また小説のネタにと考えていました。大正昭和時代はだいぶ前に書いていたのですが、明治時代はまだ一回も書いていなかったので、そろそろかな、と。 最初は「断髪禁止令」「断髪届」「衛生」の三本のつもりだったんですが、急遽、「田原坂」を思いつきました。迫水、西南戦争フリークなんですよ。田原坂古戦場にも実際に行ったほど、興味があります。「翔ぶが如く」とか司馬遼太郎作品中でも、ベストスリーに入ります(結構珍しいと思う)。 それで、エピローグの現代編を書いて、第一章と第四章を繋げました。 このエピローグはですね、断髪小説創世記の立役者、BLACK様の小説からヒントを得ています。もうネット上で読めなくなっているので、記憶違いがあるとは思いますが、一組の現代カップルが祖母の残した髪を見るところから遡って、大正時代の祖母の剃髪物語が語られ、また現代に話が戻るという構成になっています。振り返ってみて、ほんと断髪小説の「第一世代」はすごかったな〜。奇跡的だと思います。 こうした方々の遺産を単に食い潰しているだけじゃないか、と時々不安に思ったりもします。。(´・ω・`) 本作は文明開化の時代が舞台なのですが、文明開化というと、便利になった〜、とか、華やかだ〜、とかポジティブな面ばかりが強調されてるような気がします。けれど、負の部分も無視できないし、正直、勘弁してよ〜、とか、江戸時代の方が良かったのに〜、とかいう人々の方が多数派だったと思います。そういう保守派や不平派の視点からも書きました。そういうのもひっくるめての文明開化だと思うので。 「賊軍出身でありながらも前向きに新時代を生きていこうとする珠」と「官軍(薩摩)出身でありながらも旧時代とともに滅びていこうとする啓」という対照的な二人の少女が、ラストで出会い、手をとりあって強く生きていこうとする姿を……って、待て待て待て、おい、これ、断髪小説だよね??? と思わず自問自答してしまった。。まあ設定なども大体、全部後付けだし。。 えー、肝心な断髪部分は、ヒロイン全員、髷→ザンギリ頭なのでバリエーションがなく、申し訳なく思っています(大汗)。「衛生」の断髪場面は気に入っているのですが。。あと、「断髪届」のヒロインを何故ヤクザにしたかというと、たまたま北野武監督の「アウトレイジ」と「座頭市」を視たからです。「首」、視たいんだけど映画館が苦手で苦手で(^^;) ……と話がズレまくってますが、実はかなり大好きな一作です! 割と書きやすかったし。。 今作が2023年年最後の小説となります(よしなしごとは更新「予定」です)。結構すごい年だったなあ。しみじみ。。 リクエスト企画は来年前半のうちには、絶対やりますので、どうかひとつよろしくお願いいたしますm(__)m こうして良い感じで年越しできるのも、遊びに来てくださっている皆様のお陰です。ひたすら感謝申し上げます(-人-) 来年も楽しくポジティブに、そして業界に何らかの貢献ができるように創作していきたいです! どうか来年も懲役七○○年をよろしくお願いいたしますね! 最後までどうもありがとうございました(⌒∇⌒) |