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体験取材


 三度目の懇請に、堂長はようやく首を縦に振った。

「貴女の執念には負けました。許可いたしましょう」

「ありがとうございます」

 憲子は畳に手をついて、丁重に頭を下げた。

 内心、

 ――よし!

とほくそ笑んだ。明るい未来への扉の前に立てた。

 しかし、続く堂長の言葉に目が点になった。

「但し、ちゃんと座ってもらいますよ」

 敏い憲子は、その意をすぐに読んだ。

 「取材対象」と一緒に、座禅せよ。ということだ。突き詰めれば、「取材対象」と同じ行を課す。ということだ。

 さすが三十年以上尼僧堂の頂点に君臨&統治してきた女傑だけあって、言葉の重みがスゴイ。対座する憲子の肩に背に、すさまじい圧を与えまくっている。

「わかりました」

 憲子は即座に答えてのけた。こういう禅道場は、躊躇というものを何より嫌う傾向があるのを、彼女は知っていた。せっかく、ここまで漕ぎつけたのだ。相手の機嫌を損ねてはいけない。ある程度の譲歩は覚悟せねば。

「それと、お解りでしょうが、外部との接触は厳禁です。携帯電話などの持ち込みは駄目です」

 さらに条件を出され、

「はい」

 それも容れた。まあ、仕方がない。郷に入っては、というやつだ。

「それと、”おあし”はちゃんと頂きますよ」

 ――取材料を払え、っていうのね。

 結局俗物じゃないの、と心で呆れつつ、せせら笑いつつ、でも、表向き神妙な顔つきで、

「当然、謝礼はお支払いいたします」

 しっかり書面を取り交わないと、と思った。

「それと――」

 まだあるらしい。

「頭も剃ってもらいますよ。他の尼僧同様に」

 いいですね、と有無を言わさぬ口調で畳み込まれ、

「はい!」

 憲子はつい勢いでこの無理難題を呑んでしまった。

 呑んでしまってから、  

――しまったああ!

と真っ青になった。いわゆる「イエスセット話法」に乗せられた。

 長い髪に手をやろうとしたが、それはやめておいた。

 吐いた唾は呑めない。

「いつからここに来ますか?」

と問われ、

「二週間ほどの猶予を頂ければ」

と日和ると、

「明日来なさい!」

と堂長に一喝された。こういう躊躇の許されない世界の間借り人に、これからなるのだ。

「はいっ!」

 憲子はバッタみたいに平伏した。

 一切を受け容れざるを得ない。

 ――これも復活のため。

と自分に言い聞かせた。

 畳に這いつくばるジャーナリストに、

「雪安居(せつあんご)の厳しさは、そんじょそこらの行とは比べものになりませんよ」

 最後通牒を突きつけるように、堂長は言った。憲子の「ジャーナリスト魂」が揺らぐのかどうかを、試しているのかも知れない。

 負けず嫌いの本性も露わに、

「よろしくお願いします!」

と憲子は声を張り上げた。



 本位田憲子(ほんいでん・のりこ)は元々マスコミ関係の人間だった。

 某雑誌の政治記者だった。

 その筋では「美人記者」としても有名だった。

 体当たり取材で幾度もスクープをあげ、しばしば社や業界から表彰を受けたものだ。花形ジャーナリストとして、一般人にもその名を認知されていた。

 だが、これらは過去の話である。

 何故か。

 彼女自身がスキャンダルの主になってしまったからだ。

 そもそもの「体当たり取材」に問題があった。

 いわゆるひとつの「枕」というやつである。

 何人もの取材源と寝て、さまざまな情報を引き出していた。自身の美貌を最大限に活用したまでだ、とふてぶてしく考えていたが、その手法をとあるゴシップ誌にすっぱ抜かれてしまった。

 同じことをしている記者は、憲子の他にもいないわけではなかったが、出る杭は何とやらで、なまじ有名人名だけに、ライバルメディアはこぞって彼女に対するネガティブキャンペーンをはった。

 世間の反感もすさまじく、彼女は徹底的に糾弾された。憲子は一応はフェミニズムを標榜していたけれど、女の性を売り物にして男社会に迎合したジャーナリスト、とのレッテルを貼られ、そういう過激派の女性闘士たちからもそっぽを向かれた。まさに四面楚歌だった。

 一番堪えたのは自社の対応だった。スキャンダル発覚当初はとりあえずは擁護してくれたものの、騒ぎが大きくなると、憲子は第一線から外された。閑職に回された。海千山千の上層部にとっては、憲子程度の人材などいくらでも供給できるということだろう。

 結句、使い捨てられた形で、憲子は退社を余儀なくされたのだった。



 だが、「ジャーナリスト」という肩書に未練があった憲子は、しぶとく業界に居座った。

 かつての名声を利用して、政治系youtuberになった。が、彼女のチャンネルの登録者数及び動画再生数は、悲しいくらい伸びずにいた。

 ごくたまに、風俗雑誌の片隅に場違いな政治コラムを連載させてもっらたりもしたが、すぐ打ち切りになってしまった。長年築き上げてきた(と彼女は思っている)人脈も、何の役にも立たなかった。

 とある胡散臭い企業社長の愛人をしながら、ジャーナリストとしての再起の道を模索していた。

 あの注目され、賞賛されていた華やかな日々を、何が何でも取り戻したい。

 政治以外の分野にも活路を求めた。

 そのために選択したのが、以前の十八番だった「体当たり取材」だった。

 色々な現場に飛び込んで、さまざまな職種の人間の声を聞き、それを記事にした。

 地下アイドルやコスプレイヤーなどのオタクカルチャーから、パパ活女子、転売ヤー、さらに裏社会系といったアンダーグラウンドな世界まで、突撃して、多様な女性の生の声を採集し、社会派ルポルタージュに仕上げていった。

 これが、結構評判がいい。

 ――行ける!

 ジャーナリストの嗅覚が確信を深めた。

 そんな中、憲子が取材対象としてチョイスしたのが、

 尼僧

である。

「私は女性僧侶に期待してるんです」

と会う人会う人にしゃべくった。

「この未来の見えない不確実な時代にこそ、心の問題、宗教に目を向けるべきなんです。日本ではとりわけ仏教ですね。女性の僧侶は数こそ増えてきましたが、まだまだ日本の仏教界は男社会です。だからこそ、その中で奮闘する彼女たちの声を直に聞いて、世間に届けたいんです」

 とうに手垢のついたそれっぽい理由を周囲に吹聴して回ったが、何のことはない、話題性を狙っているだけだ。こういう名目作りばかりが、マスコミ経験で巧くなっていた。

 そして、取材先に目を付けたのが、某県にある専門尼僧堂である。

 その尼僧堂は小規模で、それでいて歴史ある厳格な座禅道場で、取材NGで有名だった。令和の現在もなお、頑なに尼僧以外出入り禁止を貫いている。

 そういうところが、憲子の功名心を刺激した。潜入して取材して、世間に発表すれば、絶対に脚光を浴びるはずだ。

「やり甲斐があるわ」

とベッドの中でパトロンに囁く。

「へえ」

 情事を終えた男は気のない返事。どうせ、仕事か家族のことを考えているのだろう。別に構わない。憲子はそう割り切っている。金銭面で援助してくれれば、他はどうでもいい。

「絶対うまくやってやるわ」

「うん」

 適当な相槌をうちながら、男は憲子の長い髪をいつものように時間をかけて弄んだ。

 憲子は再三にわたり、愛車を飛ばして尼僧堂を訪れた。取材の許可を願い出たが、その都度、堂長に撥ね付けられた。

「修行の邪魔をされては困る」

と何度も言われた。

 ――そうこなくちゃ。

 こうした取材拒否は、これまで何度も経験してきた。

 闘志に火が点く。

 何度も通い詰め、ついに冒頭の通り、承諾を得た。

 そして、他の尼僧と同じ姿で同じ行をする、との条件を受諾する羽目に陥ってしまった。体当たり取材が体験取材に変じたわけである。



 憲子は半ば呆然と、尼僧堂の門を出た。

 とんだことになってしまった。

 「取材予定」では、修行尼に出家の理由とか修行の内容とか、将来の活動などについて、あれこれインタビューして、

「周りのお寺は男性の僧侶ばかりで大変でしょう?」

とか、

「男僧からのセクハラやパワハラもあるんじゃないですか?」

とか、

「女性の僧侶ならではの寺院の在り方についてどう考えていますか?」

とか誘導質問をして、ジェンダーやフェミニズムといった社会問題とうまいこと結びつけて、それに加えて、

 彼氏はいる(いた)んですか?

 髪を剃るのは辛かったでしょう?

と俗な質問で「素の女の子」の部分を引き出して、トドメに堂長あたりからアリガターイ訓話を頂戴して、混ぜて捏ねて長編記事に仕立てる、完璧だ!

 そう皮算用をしていたのに、自分も頭を丸めて座禅を組むことに。

 堂長の前では格好をつけてしまったが、こんなふうに追い込まれては、

 ――木っ端政治屋と寝た方がマシだわ!

と頭を抱えたくなる。

 元々大して苦労して功名をあげてきたわけではない。俗に言う「コタツ記事」だって平気で書き飛ばしてきた身だ。

 とは言え、尻尾を巻いて逃げるのも癪だ。

 ――やるしかないか。

 憲子は腹をくくった。

 自分を奮起させるべくSNSに、

『お知らせです。

 真に勝手ながら私、本位田憲子は体験取材の為、明日より〇〇専門尼僧堂で修行生活に入ります。

携帯等の持ち込みは厳禁なので、しばらく連絡がとれなくなります。Youtubeのチャンネルもお休みさせていただきます。

取材が終わりましたら、ご報告いたしますので、どうかよろしくお待ち願います。』

と簡潔に投稿した。

『体験取材? 嘘くせー』

『どうせ御朱印貰いに行くとかでしょ(笑)』

『〇〇専門尼僧堂って取材禁止で有名じゃん。なんでバレバレのウソつくかなあ?』

『アナタには枕取材がお似合いですよwwww』

『そのまま俗世間に出てくんな!!!』

とリプライ欄で罵倒&冷笑されまくった。想定内ではあるが堪える。

 しかし、

『本位田さんの記事楽しみに待ってます!』

『是非貴女の目線で現代仏教を斬って下さい』

『アンチに負けるな! 応援してます!』

とごくごくわずかな盲目信者的ファンの励ましの方が、はるかにプレッシャーになる。一桁ながらついたイイネ!もグイグイ背中を押してくる。

 このほんの一握りの味方のために、

 ――やっぱやるしかない〜(汗)

と特攻隊員の如き悲壮な気持ちで、尼僧堂近くにあったボロい床屋に飛び込んだ。

 ……というのは誇張で、しばらく周囲をウロついた。逡巡しまくった。いきなり今日の今日で、長いこと伸ばしてきた髪の毛を、バサッといく度胸はなかった。

 しかし、スケジュール的に今日しかない。今しかない。

 バッグからレイバンのサングラスを出して、かけてみた。気休めにならなくもない。

 サングラスをしたまま、足を大きく踏み出し、勢いをつけて、二歩、三歩――そうして、「三丁目の夕日」にでも出てきそうな床屋へIN!

 カランコロン(ドアベル)

「はい、いらっしゃい」

 還暦ぐらいのお婆ちゃんがいた。白いユニフォーム姿だ。

 いかにもな理髪師は、いかにもな都会女性の入店に目を瞠る……かと思いきや、

「お客さんだね?」

 にぶい表情で訊いた。

「ええ、髪を、その〜、剃って、その、ね……」

 ごにょごにょと注文する憲子に、

「はいはい」

 ちゃんとオーダーは通ったようだ。お婆ちゃんはせかせかと理髪台に座るよう促す。

 勝手が違って、憲子は不得要領顔で言われた通りにする。

 お婆ちゃんはぞんざいにケープとネックシャッターを巻くと、

「上山だね?」

「ジョウザン?」

「掛塔するんだろ?」

「カタ?」

 専門用語がわからないでいると、

「尼僧堂に入門するんだろ?」

 お婆ちゃんは強めの口調で訊いてきた。年を取ると気が短くなるというが、この人もそうらしい。

「は、はい」

 反射的に頷く。まあ、ある意味同じことだが、でも、

「この時期に珍しいね。雪安居直前に入門する人なんて普通いないよ」

と勘違いされると、自分の肩書にこだわる憲子は、

「い、いえ、実は、私、ジャーナリストでして、今回体験取ざ――」

 ドゥルルルルルルルルル!!

 激しいモーター音が憲子の舌をさえぎった。

「!!!」

 憲子は目を見開く。

 お婆ちゃんは作業感100%で、憲子の額に業務用のバリカンを近づけてきた。

 憲子は観念するしかなかった。

 前髪がお婆ちゃんの掌で押し上げられる。刈られる側は、まるで拳固を振り下ろされる子供みたいな表情で、ギュッと目をつぶり歯を食いしばる。

 バリカンは寸分の狂いもなく、前額の生え際に、

 ザクッ

と入り、

 ドゥルルルルルル――

 バッ!

 バッ!

と二房の髪が飛び散って、そして、

 バアアアアアアア!

っとモーセ伝説さながらに前髪を、真っ二つに割り裂いた。

 跡にはミリ単位の毛がクッキリビッシリと拡がっている。

 いきなりド真ん中から刈られて、憲子は言いようのない屈辱に、ワナワナ身を震わせるが、僧尼のヘアカットの場合、髪への諦めを早急につけさせるべく、こうして最初から後戻りできないように、一気に逆モヒ状態にするという。さすが「尼僧堂御用達」の理髪店だけあって、そこらへんの呼吸は良くわかっている。

 実際、憲子は諦めの境地にあった。バリカンのスイッチが入って数秒間のことである。

 それでも、鏡――現実を直視できず、逃れるように視線を落とした。

 ドゥルルルルルル

 ノイズをまき散らして、ふたたびバリカンが迫る。

 最初の刈り跡の真横をバリカンは走る。

 ゾワアアアアアアアア!

 髪が刃に擦れ、浮き、クルクルめくれあがって、バリカンの上にかぶさる。お婆ちゃんはそれを、サッと無感情に床に放り捨てた。きっと何十年もこうやって、尼僧誕生の産婆役を務めてきたに違いない。

 三回! 四回! と前額から左の髪を、順々に刈り払ってしまうと、お婆ちゃんはバリカンを逆立てて、左鬢を刈り上げていった。

 ドゥルルルルルル――

 バリカンに圧迫されて、鬢が持ち上がり、もろくも剥がれて、

 バッ

と束の間、宙を舞い、すくにケープを叩いて転がり落ちる。

 そして、大振りの刃はまた同じように、側頭部を上昇し、髪はせり上がる。せり上がった髪は、憲子の頭を離れ、床に――

 バサッ!!

 お婆ちゃんがヒョットコみたいな表情(かお)になっていることに気づく。仕事に集中しているときの表情らしい。

 バリカンはいよいよ勢いを増し、バリバリとひた走る。

 とうとう左半分が「禿げて」しまった。数ミリの毛を哀れにも残して。

 お婆ちゃんは次に、客の背後に回り込み、肩下15cmm以上はあるバックの髪に、粗切りもせずとりかかった。

 髪を持ち上げ、うなじの生え際に、鳴り響きながら震える二枚の刃を潜らせ、一気呵成に刈り込んだ。

 ゾワアアアアアアアア!!

 刃は頭皮を這いずって、ロングの髪の根元に触れ、髪は触れるそばから、ブッツリ断たれて、めくりにめくられ、除かれた後の地肌ばかりが、露骨すぎるくらい電灯に青光る。

 切られた後ろ髪が四房ほどからまって、ドッサリ床に落下して散った。

 有名政治家や企業の重役、弁護士先生や上級官僚にベッドで愛されてきた髪、その頭髪が処理するほかないただの産廃と化して、板敷きの床の上、堆積していく。

 お婆ちゃんの手に力がかかった。グッと刈りかけの頭を押され、憲子も従順に頭を垂れた。双方無言だ。美容院の社交的雰囲気とは大いに違う。

 後頭部に外気――暖房の風を感じる。人生初の体験に、心細くて仕方がない。

 モーター音は一瞬たりとも鳴り止むことなく、かつての花形ジャーナリストの頭をしぶとく占拠しているバックの髪を、火事場の消防士の如く、猛然と薙ぎ払っていった。

 ドゥルルルルルル――

 ドゥルルルルル――

 ゾワアアアアアアアア!

 ゾワアアアアアアアア!

 黒い大河はどんどん干上がっていく。長い髪がほとばしり、金属のギザギザとバチバチ爆ぜまくって、刈られる者に軽い痛みを伴わせ、激しい音を立てて床に雪崩落ちていく。

 バサバサバサッ!

 髪の落ちる音に、憲子は不意に目眩をおぼえた。

 髪コキ

というアブノーマルな痴戯を好んでいた某政党の大物議員のことが、突然脳裏をよぎった。バカでかいバリカンとその政治家先生の不潔そうな肉棒が二重写しとなって、目眩はますますひどくなる。

 極限まで髪が剥きあげられ、とうとう最後に右側の髪が一房、見苦しくダラリと垂れ残っていた。

 憲子もようやく吹っ切れ、お婆ちゃんが作業中の頭を凝視した。そこに、美人記者の姿は、いくら探そうとももう見つからなかった。

 お婆ちゃんはヒョットコ顔のまんま、憲子の右側に立っていて、最後の髪を強奪しきっていった。

 ザアアアァァァーーー!

 ザアアアアァァァーーー!

とバリカンはフル回転で、あっても意味のないラスト一房を押しのけて、ただのカタマリに変えていた。最後の落髪は物言わず、ケープの肩に落ちたが、自身の重みに耐えかね、

 ザザーッ

と肩の傾斜に沿って滑り去ってしまった。

 頭はすっかり丸められた。その間わずか三分弱だった。

 が、まだモーター音は止まず、

 ゾワアアアアアアアア!

 ゾワアアアアアアアア!

とまだ長い部分を走り回り、「掃討戦」を展開していった。

 お婆ちゃんの左の掌は、憲子の首から上を固定するため、丸刈り頭に添えられていた。ヒョットコ顔が少し緩んでいる。刈りたての丸刈り頭の手触りを、楽しんでいるようだった。

 ため息を吐こうとしたが、やめた。うめき声ひとつ立てたら、途端にお婆ちゃんの癇に触って、バリカンを握る彼女にどんな仕打ちを加えられるか知れないという、子供じみた恐怖があった。憲子の精神は、完全に老婆の支配下にあった。

 ようやくモーター音が止んだ。ホッとした。

 頭がスッと軽く、スーッと涼しい。

 あまりにも寒々しく変貌してしまった自分を目の前に、憲子はハッとして、その取り返しのつかなさを改めて痛感し、さめざめ泣いた。

 お婆ちゃんは冷静だ。泣いている女性客に手巾を渡し、

「今までアンタみたいな新到(しんとう)さんをたくさん見てきたよ」

 決心が付かなくて郷里で髪を断てず、この町まで来て思い切らざるを得ない新到=尼僧堂の新入りは案外多い、と言った。

「でもまあ、お釈迦様の頃からの決まり事だからね、仕方ないやねえ」

「仕方ない……」

 手巾で何度も目う拭いながら、憲子はお婆ちゃんの言葉を反芻する。

「そう、仕方ないのさ」

「仕方ない……か……」

 また反芻した。

「さあ、とっととやるよ」

 老婆はぶっきらぼうに話を打ち切ると、ほとんどアンティークに近い剃刀を取り出し、シャー、シャー、と丹念に研ぎ始めた。昔話の山姥を連想させるものがあった。

 研ぎたての剃刀が、シェービングクリームを施された丸刈り頭にあてられる。

 じっくりと時間をとって、数ミリの毛が剃り除かれた。

 乱暴なセックスの後で、それを埋め合わせるかのように、時間をかけて愛撫される、そんな経験を思い出す。

 ジッ、ジッ、と剃刀は巧みに細かな毛の間に刻み入れられ、ジーッ、と這い入って、シェービングクリームごとそれらをこそげ取っていく。

 白い泡が剃刀の動きに沿ってスライドし、瑞々しい、でもどこか淫らな――もっと言えば猥褻な頭の肌が覗く。覗いた端から、また泡が細毛を呑み込んで、剃刀に運ばれて、脂ぎった頭皮が拡がっていった。

 ジー、ジー、

 ジジッ、ジー、

 お婆ちゃんの息が直接頭皮にあたる。非常に気持ちが悪い。

 ――早く済んで欲しい!

 渇望するように思う。

 憲子は完全にスキンヘッドとなった。

 柔らかな頭皮を熱い湯で流されたときは、つい悲鳴をあげそうになった。老婆とは思えぬ力で、タオルでゴシゴシと頭を拭かれた。

「はい、お待ちどうさん」

 憲子は自分の「尼姿」を吟味してみた。

 清尼になった、と思いたかったが、どうアングルを変えても、ギトギト脂ぎった頭が電灯に反射しているさまは、妖怪じみている。これまで髪で中和されてきたドロドロとした本性が表出して、所を得られずのたうっている、そうとしか、自分でも感じられなかった。

 しかも、

「アンタ、頭の後ろにでかいアザがあるよ」

と指摘されて、生きた心地もなく確認させてもらったら――

 直径5cm弱の蒙古斑みたいな青痣が、後頭部の真ん中に、ハッキリと刻印されていた。まるでホラー映画に登場する悪魔の紋章だ。

 これまで通り有髪で生きていけば、自分でも一生気づかなかったはずのダークポイントだ。

 ――ああ〜〜。

 とことん落ち込んだ。

 スキンヘッドになった写真をSNSにアップすれば、アンチ勢はグウの音の出ないだろうな、という考えも浮かんだが、なんだかバカバカしくて、やらなかった。



 翌日参禅した憲子は、直ちに揉まれに揉まれた。エロい意味ではなく。

 堂長はもう会ってはくれず、まったくの新到扱いを受けた。

 勝手に「女の園」とのイメージを抱いていたが、まるきり真逆だった。むくつけき男子学生の体育会系真っ青のテンションで、憲子は容赦なくシゴき抜かれた。

 最低限の自由も権利もプライバシーもそこにはなかった。ブラック企業など、ここに比べればパラダイスだ。

 うっかりやらかすと、

「この阿呆!」

と怒声と鉄拳が飛んでくる。

 後頭部のアザがしっかり目印となって、皆同じスキンヘッドなのに、背中を向けていても、ああ、アイツだ、とすぐに判別され、

「コラアッ! ボンヤリすんなッ!」

と坊主頭を足蹴にされる。

 いたぶられながらも、

 ――こういう「闇」を全部ルポして世間に告発してやるからね! おぼえてなさいっ!

と筆誅を企てているが、けれど、コキ使われているうちに、徐々に麻痺して、世俗の常識は薄れていく。娑婆っ気の抜けない尼僧の卵に対する制裁&洗脳方法は、何百年間も受け継がれ、だけでなく、より研磨されているのだ。

 大量のムチとちょっぴりのアメで、憲子は飼い慣らされ、躾けられていった。

 厳しい接心(何日も昼夜ぶっ続けの座禅)を続けている間に、ハイになる。女同士でも何日も入浴せず、座禅三昧でいると、ムチャクチャ臭い。その匂いでもっとハイになる。

 いつの間にか、雪安居は乗り越えられた(らしい)が、取材を切りあげるタイミングがわからない。そもそもメモだって一枚もとっていない。そんな余裕などない。と言うか日常に追われ、「目標」を見失っていた。

 流されるまま、殴られ、小突かれ、いじられ、追い使われている日々を送っている。

 ある日、慌ただしい洗顔のさなか、ふっと眼前の鏡をのぞいたら、――

 ――ん?

 自分の顔から山っ気や俗っ気がすっかりぬけ落ちて、子供みたくやたら清らかで、性別すら判別困難になっていた。

 ――あらあら?

 もしかしたら、憲子はこの先、良い記事を書くかも知れない。


     (了)




    あとがき

 復活第三弾は、かなりかなりかなり久々の尼バリ小説です♪
 これ、アイディア自体はサイト開設より前からありました。女性記者が取材で、自らも剃髪して、尼さんと修行して、というネタです。
 一応充電(?)の前に、復帰するときに書きたいネタを七つくらいノートにメモしておいて、その中の一つです。
 いつもは、こうやって何作かまとまってアップするときは、一作一作文体等を変えたり工夫するのですが、今回は余裕がなかったです(^^;) 本当は女性記者の告白体験談風にしたかったのですが。。ちょっと、まだ遊べません(汗)リハビリ中です(汗)
 かなり久々の尼バリ小説ですね。調べてみたら三年ぶりでしたΣ(゚Д゚) 元々は尼バリオンリーだったんですが。。
 なお今回、登場する人物、団体、施設、メディア等はすべて架空のものです。けしてマスコミを批判する意図はございません(本当か?)。
 とにかく「枕草子異聞」に時間がかかりまくっちゃって焦りましたが、本作自体はハイスピードで書き終えられてホッとしてます。
 最後までお読みいただき、本当にありがとうございます(*^^*) これからも頑張りますね! 多謝多謝〜♪




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