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枕草子異聞〜清少納言と道長〜


     大前提

 清少納言は縮れ毛で不美人であった、と巷間言われている。清少納言本人も「枕草子」の中で、そのことをほのめかしている。

 だが、それはあくまで平安時代の美人基準――長い直毛で蟇目鉤鼻のいわゆるお多福顔――での話であって、もし現代に生まれていたら案外美人の部類に入っていたかも知れない。その辺り念頭に置いて、お読み下さればありがたい。



   (一)証言


 清少納言こそ、したり顏にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、眞字書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいとたへぬことおほかり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑうたてのみ侍れば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよく侍らむ。

(清少納言ときたら、得意顔でとんでもない人だったようでございますね。あそこまで利巧ぶって漢字を書き散らしていますけれど、その学識の程度も、よく見ればまだまだ足りない点だらけです。彼女のように、好んで人と違っていたいとばかり思っている人は、(最初は新鮮味があっても)やがて必ず見劣りし、行く末はただ異様なばかりになってしまうものです。(例えば清少納言の場合のように)風流を気取り切った人は、(人と違っていようとするあまり)たいそう寒々として風流にほど遠いような折にまでも「ああ」と感動し「素敵」と思う事を見逃しませんから、そうこうするうち、自然に(一般の感じ方からかけ離れてしまって)的外れで中身のない様相を呈することでございましょう。その中身が無くなってしまった人の成れの果ては、どうして良いものでございましょう。)

(「紫式部日記」(山本淳子・訳))



   (二)落魄

清少納言零落之後、若殿上人アマタ同車、彼ノ宅ノ前ヲ渡ル間、
宅ノ體破壊シタルヲミテ、少納言無下ニコソ成ニケレト
車中ニ云フヲ聞キテ、本自棧敷ニ立タリケルガ、
簾ヲ掻上ゲ鬼ノ如キ形ノ女法師顔ヲ指シ出シト云々
駿馬之骨ヲバ買ハズヤアリシト云々(「古事談」より)



 ナザレのイエスが磔刑に処されてから千年後の、ある秋の昼下がりである。

 都大路をのったり往く一台の牛車があった。車の内には四人の若者が同乗していた。皆、時の権力者に阿諛していい思いをしている殿上人である。

 殿上人らは今日の振る舞い酒でほろ酔い加減、だいぶ浮かれていた。盛んに、午餐の芋粥の多い少ないや宮中女房の品定めなど、下卑た話題に打ち興じていた。

 牛車が或る邸(やしき)の前にさしかかった。

「やあ」

 一人が奇声をあげた。

「ここは、あの清少納言の邸ではないか?」

 指さす邸は、すっかり朽ちて、実に悲惨な有様だった。

「おお、そうだそうだ。あの『枕草子』の才女の隠居宅ではないか」

 向かいに座る殿上人もうなずいた。

「かくもみすぼらしき賤ヶ家に」

 もう一人もわざとらしく嘆息した。

 どの男の目にも、軽侮と好奇の色が浮かんでいる。

「さてもさても」

 男たちは笑いさざめいた。そして、聞こえよがしに、

「あの世に聞こえた才媛も落ちぶれ果てたものよ」

「憐れ、憐れ」

「いたずらに学を衒いし報いぞ」

 口々に囃していたそのとき、

 サーッ

と帳が上がり、大振りの坊主頭が突き出た。

 件(くだん)の清少納言その人だった。すでに尼となっていた。

「鬼の如き形相であった」

と後に殿上人たちは語っている。

「唐土(もろこし)の燕王は駿馬の骨でさえ買ったんだよ!」

と尼は罵り返したという。

 あとで、

「つまりあの女は駿馬の骨、すなわち落ちぶれた自分でも、偉い人ならば買うべきだと言ったわけだ」

と彼女の「再仕官」への執着を大いに嘲り、

 あの生意気女が没落した

という事実に、大層留飲をさげたものだった。



  (三)凶変

 三月十一日 前太宰少監清原致信、殺害セラル、尋デ、検非違使ヲシテ、 嫌疑ノ者秦氏元(系詳ナラズ)ヲ追捕セシム(「小右記」より)


 そんな笑い話も忘れ去られつつあった頃――寛仁元(1017)年三月十一日。

 時の権力者は、自邸で凶報に接した。

 報告者は検非違使別当(けびいしのべっとう)の藤原頼宗(ふじわらのよりむね)であった。

 三日前、六条小路と宮小路とが交わる一軒の邸宅が、襲撃されたという。

「襲いましたのは、七八名の騎馬武者とその兵にございます」

 仕事柄小気味よく報告する頼宗に、

「武者どもの喧嘩か」

 権力者は苦い顔をした。

「近頃増えてきたな」

「討手の中には秦氏元(はたのうじもと)の息子もおりました由」

「では、命じたのは――」

「源頼親(みなもとのよりちか)でしょう」

「彼奴か」

 都人から「人殺しの上手」と評されている中級官人であり、武者の棟梁でもある男のむさくるしい髭面が、権力者の頭に浮かぶ。

「白昼堂々と人殺しとは……」

「所領争いのようです。討たれた者もかなり悪辣な男だったと聞いております」

「討たれた者の名は?」

「前太宰少監(さきのだざいしょうげん)の清原致信(きよはらのむねのぶ)にございます。弓で射られ、すでに絶命しています」

「ホウ」

 権力者の目が光った。

「清原致信と言えば、清少納言の兄ではないか」

「よくご存じで」

「それくらいは知っている」

「恐れ入りましてございます」

と頼宗は平伏して、顔をあげ、

「実は、その清少納言どのも、襲撃の現場に居合わせたそうにございます」

と言うと、意地の悪い目つきになった。

「兄と暮らしていたか。それで、少納言にも危害が及んだのか?」

 主が関心をもったようなので、頼宗の舌も弾む。

「それが――」

 頼宗は事件にまつわる「大珍談」について、話し始めた。

「討手の武者どもは、坊主頭に法衣姿の少納言どのを僧兵と間違えたるようで――」

 殺せ、殺せ、と抜刀して押し寄せたという。

「何せ、髪もなく、老いて、面相も鬼の如くゆえ――」

「それで、どうなった?」

「その、甚だ申し上げにくいのですが――」

と頼宗は前置きして、

「清少納言どのはあわてて衣の裾をめくりあげ、凶徒に、そのぅ……」

「申せ」

「女陰(ほと)を見せ――」

「なんと!」

「自身が女人であることを示し、ようやく命拾いした由にございます」

「うーむ」

 権力者は絶句した。

 頼宗はとうとう笑い出し、

「この噂は都中の貴賤老若問わず広がり、あの天下に名高き『枕草子』の著者が情けない、と大いに呆れ、大いに嗤っておりますよ」

「…………」

「やはり紫式部どのが”ろくな最後にならない”と仰っていたのが的中いたしましたなあ」

 権力者は頼宗の嘲笑に付き合わなかった。頼宗が困惑するほど長く沈黙していた。

 やがて、

「もはや清少納言の機知も教養も、武者どもには通じぬのだ。そういう世になりつつあるのだ」

と呟くように言った。苦渋の色があった。権力者自身に言い聞かせているようでもあった。

「そして――」

と言葉を切り、

「それを一番よく知っているのは、誰より清少納言その人であろうよ」

 頼宗は当てが外れた表情(かお)で退き下がった。

 権力者は一人、寂然と室に居残った。そして、小声でポツリと独り言ちた。

「春はあけぼの、か……」



 (四)晩夏

これを見よ上はつれなき夏草も下はかくこそ思ひ乱るれ(清少納言の和歌「続千載」)


.  話は二十年前に遡る。

 長徳二(996)年・夏

 蝉の鳴き声はまだ煩い。

 清少納言は、都の郊外にある小さな邸に閑居していた。

 だらしなく脇息にもたれ、無為を貪ろうとしている。宮中にあった頃ならば、なかなかできない懈怠だ。

 視線を庭に投げた。大亀の甲羅のような手水鉢の溜水が、夕暮れの陽に照り返っている。

 鉢の上の雀たちが飛び立つ。少納言の視線は空へと移る。が、すぐに飽きて、目を伏せた。

「…………」

 あの悪夢のような政変から、まだ四ヶ月も経っていない。

 変後のあれこれもあり、身も心も疲れ果てた。何も読む気にならず、書く気も起らない。今日も徒然のうちに、日が暮れようとしている。

 昨日、源経房(みなもとのつねふさ)が来た。以前から懇意にしている若公卿だった。

 彼は、この清少納言の隠れ家を知る数少ない人物の一人だ。とは言え、色恋の関係ではない。

「今日、中宮様の御許に参りましたよ」

と彼は言った。

「そうですか」

 気のない振りを装おうとするが、心はざわめく。強がるが心の揺れをどうしても隠せないでいる。そういう性分なのだ。

「女房方たちは装束も美々しく、忙しく立ち働いていましたよ。前庭の草がむさく茂っていましてね、”何で刈らないんですか?”と訊いたら、宰相の君が”中宮様が草に落ちる露をご覧になりたいのでそのままにしています”と仰っていましたが、私の見るところでは、あれは去勢でしょうね。中宮様の御許には人手がないのでしょう。凋落とは本当に悲しいものです」

 少年の匂いをまだ濃厚に残した経房は、「偵察」の結果を、熱っぽく語る。

 少納言には、その光景が目に浮かぶようだった。つい最近まで居た世界なのに、ひどく遠く思える。

「女房たちが貴女のことを言っていましたよ」

と経房は続けた。

「清少納言様がお休みをとっていらっしゃるのは、とても残念です。こういうときこそ、あの方には中宮様のお傍にお仕えするものと思っていたのに……。甲斐のない御方です」

 女房たちは経房に、そう話したという。

 少納言は頭に血がのぼるのを感じた。憤りがこみ上げてきたが、経房の手前、こらえた。

 ――私はまだ疑われ、憎まれている。  

 改めて、そう実感する。

 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、

「台の前の牡丹も綺麗でした。どうです、貴女もそろそろ参上されては?」

と経房は持ち掛けてくる。

 少納言をゆるゆと息を吐き、

「さて――」

と呼吸を整え、

「彼女たちが私を憎らしいと思っているのが、私にも憎らしいので」

 中宮様の許には戻れない、と率直に告げた。

 経房は貴種育ちらしく、おおらかに微笑し、

「そうですか」

とだけ言い、それ以上はすすめなかった。つかみどころのない青年だ。

「少納言どの」

 帰り際、経房はさりげないふうで切り出した。

「貴女、私の義兄上(あにうえ)にお仕えしませんか?」

 少納言の肩は微かに波打った。予想していた勧誘だった。思ったより直截に過ぎたが。

「義兄上は、貴女の学識や御気性を非常に買っておられるのです」

「はあ」

 少納言は、彼女に似合わぬ曖昧な返答をした。

「今は何も考えたくはないのです。おわかりください」

「そうですか」

 経房はあっさり退きさがった。また謎めいた笑みをたたえながら、邸を辞去した。

「ご懸念無用ですよ。義兄上はこの住まいのことは、ご存知ないですから。私もけして他言いたしませんから」

と少納言を安堵させるように言い残して。



 いつの間にか朧月が出ている。

 段々と季節は移ろう。夏は去ろうとしている。

 月を仰ぐ。

 経房の「義兄上」のことを考えた。

 まだ三十路を迎えたばかりの肉体が疼きをおぼえる。

 そして、主――中宮定子の面影を月に重ねてみた。しかし、定子の華やかな美貌は、寂しげな月とは重ならず、少納言はただ深いため息を吐くだけだった。



 (五)出仕

 宮に初めて参りたるころ、ものの恥づかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳の後ろに候ふに、絵など取り出て見せさせ給ふを、手にてもえさし出づまじう、わりなし。これは、とあり、かかり。それが、かれが、などのたまはす。
 高杯に参らせたる大殿油なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕証に見えてまばゆけれど、念じて見などす。(「枕草子」第一七七段)



 清少納言が中宮定子の側に仕えたのは、その三年前、彼女が二十八歳のときだった。

 夫と円満に婚姻を解消し、父の許に身を寄せていたが、推挙する者があって、定子の女房となった。

 緊張の余り柄にもなく九帳の陰に隠れていたら、なんと、天子の后である定子自らが直々に、

「こちらへお出でなさい」

 声をかけられ、少納言はおずおずと御前ににじり出た。

「これを御覧なさい」

 定子はよほど型破りな女性らしい。中宮というこの国第一の女人でありながら、一介の新参女房を招き寄せ、

「唐土の楊貴妃の画(え)ですよ」

と広げて見せた。本来は、少納言が自分で持って鑑賞するべきところを、緊張した彼女がそれを忘れている、そんな非礼も気にかけず、

「これはね――」

と画の内容を細やかに教えてくれた。

 灯りが低いところにあったため、少納言が日頃劣等感を抱いている縮れた髪が、昼間よりずっと定子や周りの人々に見えたはずだ。強い羞恥に念に駆られたが、けれど、定子の澄んだ美しい声に惹かれ、段々とその言葉に聞き入っていた。

 ちょっとズルをして、画の説明を受けながらの、少納言の心境を「枕草子」から引用する。

 いと冷たきころなれば、さし出でさせ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人心地には、かかる人こそは世におはしましけれと、おどろかるるまでぞ、まもり参らする。
(たいそう冷える頃なので、(中宮様の)差し出していらっしゃるお手でほんの少し見えるのが、たいそうつやつやと美しい薄紅梅色であるのは、この上もなく素晴らしいと、(宮中の事を)見知らない里人(私)の気持ちには、このような(すばらしい)人がこの世においでになるのだなぁと、はっとそれと気づかれるほどに、見つめ申し上げる。)

 清少納言は出仕初日から、この十七歳の姫君にすっかり魅了されてしまった。



 定子の入内(天皇の后となること)には少々複雑な経緯(いきさつ)があった。

 彼女の父は後世、中関白(なかのかんぱく)と呼称された藤原道隆(みちたか)である。

 名だたる権謀家だった兼家(かねいえ)が先頃没して、長男の道隆が関白職を継ぎ、名実ともに天下人となった。

 道隆は剛腕の政治家だった。定子の立后も先例を無視して強行し、一族の実資(さねすけ)などは、その日記に、

 驚奇少ナカラズ。往古聞カザル事也。

と批判気味に記している。

 このとき定子十四歳、お相手の一条帝は十一歳だった。

 無理のある入内だったが、一条帝はこの三つ年上の中宮を愛していた。

 帝の寵を受けるだけの美しさや聡明さ、華やかさが定子にはあった。

 定子と少納言の間にも分かちがたい主従の絆が、日に日に育まれていった。

 ――このお方は――

 少納言は日々思う。

 ――天上の御人なのではないか。

と。

「私のこと好き?」

と真っすぐ訊かれたこともある。

「勿論でございますわ」

 少納言は勢い込んで答えたものの、直後に下女のくしゃみが聞こえて、台無しになってしまったが。



    (六)兄妹

 誰もみな消え残るべき身ならねどゆき隠れぬる君ぞ悲しき(定子の葬送で伊周が詠んだと言われる弔歌)


 世は関白道隆の時代である。

 定子を強引に入内させて天子の外戚となり、彼の一族は絶大な権勢を誇っている。

 少納言が、道隆の後継者で定子の兄である伊周(これちか)と出会ったのは、出仕した翌日だった。

 その日の都は大雪であった。

「この雪で中宮が難渋されているかと思い、お見舞いにあがりました」

と言って、伊周は妹の許へやって来た。

 道隆はこの愛息を、やはり強引に出世させた。何人もの公卿を飛び越えて、このとき、権大納言の地位にあった。まだ二十歳の若者だった。

 今を時めく伊周が現れ、宮仕え二日目の少納言は狼狽して、帳の陰に隠れた。それを目ざとく見つけた若殿は、

「御帳の後ろにいるのは誰かな?」

とからかって、帳の裏を覗き込む振りをした。

 ――美しいお顔。

 妹の定子とよく似ている。秀麗な顔立ちの貴公子だ。後に「光源氏」の原型の一人とも言われた美しい若者に見られ、少納言はどぎまぎと扇で顔を隠す。

「兄君、少納言が恥ずかしがっていますわ。およしになって下さいませ」

 兄の悪戯に、定子はコロコロ笑った。

 一条帝はこの伊周を、実の兄のように慕っていた。

 単に定子の兄だからというだけでなく、伊周の教養に敬意を抱いていたのだ。

 この兄妹は、宮中に若さと華やぎの新風を吹かせていた。



 あの楽しかった夜の出来事を忘れない。

 夏の夜だった。

 一条帝が伊周を召して、漢籍の手ほどきをうけたことがある。定子も同席していた。無論、少納言も傍に侍っている。

 そのうち雑談となった。

 話は尽きず、深更に及んだ。

 まだ十五歳の帝は柱にもたれて、うとうとと船を漕ぎだした。

 そんな少年帝の寝顔を、愛おしそうに伊周は見て、

「御覧よ。主上(おかみ)がお眠りになっていらっしゃる」

「本当に」

 兄と妹は声を忍ばせて笑った。

「そろそろ御寝所でおやすみになられては如何だろう」

「そうですね」

と言い合っているところへ、にわかに鶏が闖入してきた。女童(めわらわ)がこっそり飼っていたのを、犬が見つけて追い回された挙句、御所内に飛び込んだのだ。

 鶏は跳んだ。殿中の棚の上にのり、激しく鳴き声をあげた。

 一条帝はパッと目を開けた。

「イカデアリツル鶏ゾ」

と寝ぼけ眼で尋ねる帝に、伊周はすかさず、

「声、明王の眠りを驚かす」

と漢籍の一節を朗じてみせた。丁度、漢籍の受講中だったのを思い出した帝は、

「イミジク折ノコトカナ」

と定子ともども義兄を褒めそやし、一座は大笑いとなった。大笑いしている中には、少納言もいた。

 こうして皆が笑っている日々が、いつまでも続いてゆくような、そんな気がなんとなくしていた。



     (七)足音


 故関白殿の御有様は、いとものはなやかに今めかしう、愛敬づきて気近うぞありしかば、中宮の御方は、殿上人も、細殿常にゆかしうあらまほしげにぞ、思ひたりし。(「栄花物語」)


 当代きっての権力者・藤原道隆は、当代きっての美男でもあった。定子も伊周も、この父親の血を濃厚にひいているのだろう。

 自信が彼の容貌を、より魅力的に増幅させていた。

 何より道隆は天性の人たらしだった。常に笑みを絶やさず、冗談を口にし、周囲を明るくさせていた。

「やあ、これはこれは」

と清少納言ら女房たち相手にも気軽に声をかけ、

「皆、お美しく学のある方々ばかりだね。中宮様も果報者だ」

と褒めることを忘れない。そして、ちょっと声をひそめ、

「それにしても、そなたたちのような才色兼備の女性(にょしょう)が何ゆえ、定子、いやさ、中宮様にお仕えしているか解せないなあ。ここだけの話だがね、私は中宮様を襁褓(むつき=産着)の頃からお育て申し上げているのに、中宮様ときたら、お生まれになってこの方、私には一度だって賜り物をして下さらないのだよ。ひどく吝嗇(けち)ん坊であらせられる」

 そのおどけた口調に、女房たちが笑うと、王者と道化とを一身に兼ねた美男は、

「おや、そうやって笑ったりして、皆信じてくれんのかね? 参ったなあ」

と肩をすくめる所作をする。女房たちは、ますます互いの身体を叩き合って、大笑いする。

「父上、聞こえてますわよ」

と定子がむくれ顔を作ると、

「おやおや、中宮様のお叱りを被りそうだ。退散退散」

 周囲を賑やかにする才は、政治家としての道隆の人間的資産だろう。

 そういう王者に、少納言は憧れの眼差しを向けていた。

 少納言個人も、道隆に冗談を仕かけられたことがある。

 さる儀式があったとき、晴れの日に相応しく赤系の衣装でめかしこんだ少納言に、早速目をとめた道隆は、

「おやおや、僧どもに下賜する法服が一着なくなってしまったのだけれど、その美しい着物を借りようかな」

といつもの華やいだ口調でひやかしてきた。

 少納言の心は浮き立つ。道隆の舌はますます甘く回転する。

「あれあれ、それともそなたが着ているのは、私の許からなくなった、あの法服ではないのかな?」

「あら、いやですわ、私を盗人と思し召すのですか?」

 はしゃいだ調子で切り返す。

「これは失敬失敬、かような美しき盗人など、あるはずもなし。これは我が身の失策。許されよ」

 お世辞だと百も承知でも、自己の容姿を褒められれば悪い気はしない。素直に嬉しい。

「では、またお会い致そう。中宮様をよろしく頼みますよ」

 如才なく言うと、道隆は廊下を歩きだした。

 歩きながら、背後に付き添う伊周を振り返り、

「ところで、道長(みちなが)はまだ出仕しておらぬのか?」

「はい、いまだ前関白(兼家)様の喪中とのことで」

「律儀な奴だ」

 道隆は苦笑した。

「まるで儂への当てつけのようではないか」

 十歳以上も年下の弟を、困った奴だ、と持て余しつつも、愛情を感じている様子だった。

 道隆の弟・道長は少納言と同い年だ。

 彼は定子の入内とともに、中宮大夫(中宮の世話をする職の長)となったが、父の喪に服すと届け出て、儀式にも出ず、自邸に引きこもっている。

 その態度を、孝行息子だ、と賞賛する公卿は多い。中には、道隆への面当てとも思える道長の行為に、道隆一族の権勢ぶりを快く思わぬ者が、留飲を下げている場合もあった。

 しかし、道隆は道長に寛容だった。歯牙にかけていないといった方が、適っているかも知れない。

 だから、弟を咎めることもなく(と言っても道長の行為は、当時の貴族社会ではごく普通だった)、放って置いている。

 伊周は父の甘い態度が不満らしく、

「出仕するよう催促いたしましょうか?」

と口を出したが、道隆は、

「良い良い。あいつは親父殿に可愛がられていたからな。好きにさせておこう」

 鷹揚に手を振り、ふたたび歩き出した。

 遠のく王者の足音を、少納言はウットリと聞いていた。



    (八)若布

 今は昔、駿河前司橘季通が父に陸奥前司則光といふ人ありけり。兵家にはあらねども、人に所置かれ、力などいみじう強かりける。世のおぼえなどありけり。(「宇治拾遺物語」)


 物語は、洛外に隠れ住む少納言の邸に戻る。

 すでに寝に就いていた少納言は、身の回りの世話をしている女童に起こされた。

「どうしたの?」

「則光様から文が――」

 届いた、という。

 少納言は頭が痛くなった。

 橘則光(たちばなののりみつ)は元の夫である。故あって別れたが、今でも兄と妹のように仲が良い。少納言のこの隠れ家も知っている。

 四日前にも、彼は来た。

「困った、困った」

と騒々しく繰り返し、良い年齢(とし)をして吹き出物だらけの顔をしかめて、

「実はな――」

と宮中であったことを打ち明けた。

 頭中将(とうちゅうじょう)の斉信が、少納言の居所を嗅ぎまわっているという。

「頭中将どのが?」

 藤原斉信(ただのぶ)は昨年、和歌を通じて意気投合し、恋の遊戯を愉しんだ相手だった。身体の関係にこそならなかったが、宮中でも評判の美男で学識も豊か、人をそらさぬ話術の持ち主で、それで、女房達にも騒がれていた。

 斉信との恋の駆け引きは、していて悪い気はしなかった。

 その斉信が、

「そなたと”恋の続き”を楽しみたい、とさ。元夫の儂に抜け抜けと申されてものう」

 則光に、そなたの「妹」の住処を教えよ、と散々問い詰めたという。

 近くには源常房もいたが、

「素知らぬ顔をしていたよ。時折忍び笑うていた。お人の悪い御仁だ」

 余りの質問責めに耐えかねて、

「目の前にあった若布(ワカメ)を頬張って誤魔化したさ、こう、むしゃむしゃと、な。斉信様も呆れ顔で去っていかれたが、いやはや、あぶないところだった」

 盗賊三人を斬って捨てた、という剛の者の則光だが、所詮は下級官僚、宮中では実に情けない有様だ。

 食べたくもない若布を懸命にむさぼる前夫の姿が、つい浮かんで、少納言はうっかり吹き出しそうになった。けれど、笑っている場合ではない。

 斉信の目的は、「恋の続き」などという悠長なものではない。それぐらいはわかっている。彼の気障な言葉に浮かれるほど、愚かではない。

 三年の女房生活で、多少の政治感覚は身に着けている。

 少納言は物憂い。世間から逃れても、世間が追いかけてくる。

 自己の名声や才能が煩わしく思えた。



 そして今宵、則光から届いた文を読んで、少納言の懊悩は、その極に達した。

 ここのところ毎日のように斉信に付きまとわれて、ホトホト困じ果てている、そなたの居場所を明かしてもよいか、と文には書かれていた。

 ――本当に頼りない人ね!

 武芸には秀でていても、宮中での処世はてんで駄目だ。だからいつまでも、うだつがあがらないのだ、と面罵したくなる。

「お返事を頂きたいとお使いの方が待っていらっしゃいます」

「お待ち」

 言い捨てて、干した若布を一片、紙に包んで使いに持たせた。

 先日、若布を頬張って黙秘を貫いたように、今後も口を割らないで、との意を込めた言付だ。

 ――則光どのにわかるかしら?

 少し不安だ。

 ――いずれ「あの御方」に……。

 ここもばれてしまう、と覚悟を決めるべきなのだろう。

 ――少納言がまた「例の思ひ人」の話をしているわ。

と澄んだ声で含み笑う定子の言葉が胸をよぎった。



    (九)恋慕

 関白殿、黒戸より出でさせたまふとて、女房のひまなくさぶらふを、あないみじのおもとたちや。翁をいかに笑ひたまふらむとて分け出でさせたまへば、戸に近き人々、色々の袖口して御簾ひき上げたるに、権大納言の御沓とりてはかせた奉りたまふ。いとものものしく、きよげに、よそほしげに、の裾長く引き、所せくてさぶらひたまふ。あなめでた、大納言ばかりに沓とらせ奉りたまふよと見ゆ。
 山の井の大納言、その御次々のさならぬ人々、黒きものをひき散らしたるやうに、藤壺の塀のもとより、登花殿の前までゐ並みたるに、細やかにいみじうなまめかしう、御佩刀などひきつくろはせたまひて、やすらはせたまふに、宮の大夫殿は、戸の前に立たせたまへれば、ゐさせたまふまじきなめりと思ふほどに、少し歩み出でさせたまへば、ふとゐさせたまへりしこそ、なほいかばかりの昔の御行ひのほどにかと見奉りしに、いみじかりしか。(「枕草子」一二九段)



 清少納言が「あの御方」と出会ったのは、斉信との虚ろな恋の駆け引きの最中だった。

 場所は御所だった。

 その日、勤めを終えた道隆は相変わらず上機嫌で、ひしめく女房たちに、

「まあまあ、なんと素敵な女性たちだろうね。この老爺を笑わないでおくれよ」

と、れいによって軽口を叩きながら、御所を退出しようとしていた。

 伊周はかがんで、自ら父親に沓を履かせた。

「権大納言様直々に沓をお履かせになるとは」

 その場の人々はさざめいた。

 いくら父子とは言え、権大納言の顕官にある者が、召使い同然の真似をするのは、異例中の異例である。

 それに倣うように、塀の外から戸口まで居並んだ公卿も一斉に、そう、さながら木の葉をまき散らしたかの如く、この地上の絶対者に拝跪した。

 後の世で、「中関白」と呼ばれる道隆が、その権力の絶頂を極めた瞬間を、少納言は目の当たりにした。

 王者の貫禄に見惚れる少納言の視界の端に、自分と同じ年代くらいの一人の男がうつった。

 いかにも名家の出らしい優美な貌(かお)をしていた。それでいて、利かん気の強そうな不良少年っぽさを残している。

「あの御方は?」

 少納言は、思わず隣の宰相の君に訊いた。、

「ご存知ないの?」

 宰相の君は驚いたようだったが、

「中宮大夫の道長様よ」

 ――道長!

 藤原兼家の五男で道隆の弟、今は伊周と同格の権大納言の藤原道長を、少納言はこのとき初めて見た。

 中宮大夫の職にありつつも、服喪中だと邸から出ずにいた彼だったが、ようやく出仕に及んだようだ。

 強烈な個性の父や兄たちの陰に隠れ、あまり目立たず、宮廷人の口の端にもほとんどのぼらぬ人物だったので、彼の人となりについてはよく知らない。

 他の公卿らがかしこまる中、道長は一人傲然と立っていた。

 それは当然だ。道長は高位にあったし、道隆の実弟でもあるのだから。

 しかし、道隆がふと佩刀の位置を直し、歩き出すと、

 ――あっ!

 少納言は心の中で驚きの声をあげた。  

 道長はスッと身を脇に避け、兄に跪いた。あたかも道隆の栄華絵巻に、最後の一刷毛を加えるように。

 そのさりげない所作に、少納言は深く感じ入った。

 ――謙虚な御方だ。

 道長の振る舞いは、彼女の美意識にひどく適うものだった。

 跪かれている道隆の方は、そんな弟を路傍の石のように、気にもとめず、

「では、皆、この爺様をまた歓待してくれよ」

と女房らに冗談を言い言い、門へと歩き去っていった。

 少納言の心に、この道長の印象は鮮烈に焼きつけられた。



 その日から、古参の女房たちから、道長についての話を聞き出した。

 ひとつひとつの逸話は彼女の心を弾ませた。

 道長が少年だった頃の話だ。

 彼の父、兼家が出来の良い甥の公任(きんとう)を引き合いに出し、

「お前ら兄弟の中の誰も、公任の影すら踏めまいよ」

と息子たちに説教したことがある。

 兄たちが腕組みして黙り込むなか、一番年下の道長だけは、

「公任の影は踏みませんが、奴の面なら踏んでやりますよ」

と言い放ったという。向こうっ気の強い男らしい。

 逸話はまだある。

 ある真夜中、当時の天子――花山(かざん)帝の趣向で、道隆、道兼、道長の三兄弟が肝試しをすることになったが、二人の兄が途中で逃げ帰ってきたのに、道長青年は一人命じられた通り、大極殿まで行き、

「これが証拠です」

と小刀で削り取った柱の木片を、帝に差し出したそうである。

 勇気がある。それだけでなく、しっかりと証拠を持ち帰る周到さも、持ち合わせている。

 また、二十歳の時、知り合いが試験に受かるか心配しているのを見て、良くない方向へ侠気を発揮して、試験官の役人を捕らえ、邸に監禁してしまったという乱暴な話もある。

「やんちゃな御方ですわね」

「後で御父君に知れて、さんざ油を絞られたそうですわよ」

「まあ」

 少納言は口元に袖をあて、ホホホと笑った。

 あの日道隆に見せた謙譲さと、逸話中の剛毅とも野蛮とも言える腕白小僧的な部分との対比は、痘痕(あばた)も靨(えくぼ)で、少納言の脳裏に好ましい道長像を、色彩も鮮やかに結実させていった。

「とても素敵な公達ぶりですわ」

などと、たびたび道長の話題を持ち出して褒めそやす少納言に、

「少納言たら、また”例の思ひ人”のお話をしているわ」

と定子や同僚らはからかった。この無邪気なからかいに、彼女は頬を赤らめたりもした。



    (十)競射

 師殿の南院にて、人々集めて弓遊ばししに、この殿渡らせたまへれば、思ひがけずあやしと、中の関白殿思し驚きて、いみじう饗応しまうさせたまうて、下臈におはしませど、前に立てたてまつりて、まづ射させたてまつらせたまひけるに、師殿、矢数いま二つ劣りたまひぬ。――(「大鏡」)


 正暦五(994)年八月、伊周は内大臣に昇進した。まだ二十二歳の若さである。

 当然、道隆の強い引き立てがあったがゆえである。他の公卿たちは不快そうだったが、批判は控えていた。

 道長は依然、権大納言に据え置かれたままである。甥の伊周に追い抜かれ、その風下に立つ形となった。

「ご胸中はいかばかりか」

「さぞご不満であろうよ」

と宮中では囁き合っている。

 そうした中、道隆の邸で、ある催しが開かれた。

 弓競べである。

 公達や官人が集まり、弓の技量を競い合う。

 大勢の弓上手が詰めかけて、賑やかな集いとなった。伊周もいた。

 少納言は他の女房たちとこっそり道隆邸に赴き、男たちが弓を引くのを、隠れて観覧していた。

 道隆は縁まで出て、盃を干している。だいぶきこしめしていた。満面の笑みで、弓射る者を褒め、評し、くさしていた。

 勝負が酣(たけなわ)になったとき、

「申し上げます」

と近侍の者が道隆に告げた。

「中宮大夫様がお越しです」

「道長が?」

 道隆は怪訝な顔をした。

「どういう風の吹き回しだ?」

と首を傾げながらも、道長を迎えると、

「これは珍客、珍客」

と手を拍って囃し、盃を与えて大いに歓待した。

 道長は笑顔を作るのが苦手らしい。むっつりと盃を受けていた。

「そなたも弓競べに加わるのだろう?」

「そのつもりで来たのですよ」

「そなたは幼き頃より、なかなかの弓の上手だったな。多少は手加減してくれよ」

 道長は黙々と弓を引き始めた。矢は的に当たったり外れたりした。

 道隆の言う通り加減しているのだろう。少納言はそう見抜いた。演技が下手過ぎるのだ。

 道長と伊周が競い合いになった。

 参加者は固唾をのんで、勝負の行方を見守った。

 伊周も弓は不得手ではなかったものの、道長の方がずっと上手い。

 結句、道長が僅差で勝った。

「流石は我が弟だ。見事、見事」

 道隆は笑顔を保ち、褒めた。だが、愛息の敗北はやはり不満で、

「もう二番、あと、もう二番だけ、内府(伊周)と勝負してくれい」

と弟に頼んだ。伊周も名誉挽回とばかりに、勢い込んでうなずいていた。

「兄上の仰せならば」

 道長は受けた。勝負は延長された。

 まずは、道長。

 キリキリと弓を引きしぼり、

「我が家から天子や后が出るならば、この矢当たれ!」

と大声で叫び、

 ひょう!

と矢を放った。

 ドスッ、と矢は的のど真ん中に突き立った。

 おお、と、どよめきがおこる。

 続いて伊周の番になったが、緊張に手が震え、矢はあらぬ方向へと飛んでいってしまった。

 ふたたび、道長。

 今度は、

「我が将来(ゆくすえ)摂政関白になるのであれば、この矢当たれ!」

と射た。矢は的が割れんばかりの音を立てて、また真ん中に突き刺さった。

 その神技に人々は声すら出ず、呆然と道長と的を見比べるだけだった。

 伊周は顔面蒼白となった。それでも気を取り直し、矢を引き抜いたが、

「もうよい!」

 道隆が制止した。珍しく真顔だった。跡継ぎたる息子の不甲斐なさを、苦々しく思っているのが、ありありと見てとれた。

 同時に弟を見た。警戒の色があった。

「道長よ、そなたには随分と大望があるようだな」

「心理戦でござるよ」

 道長はケロリと答えた。

「わざと埒もないことを申して、内府殿の動揺を誘ったのですよ」

「あっはっはっ」

 道隆は哄笑した。

「相変わらず抜け目のない奴だな、そなたは」

と笑い飛ばして、この出来事を一場の座興にしてしまった。豪胆な彼らしい。

 しかし、

「だが、弟よ。人の口から出る言葉には言霊が宿ると、古来より申す。妄りなことを口走るまいぞ」

と彼らしくなく、訓戒めいたことを口にしていた。

 道長は黙って長兄に一礼した。

「…………」

 この一部始終を覗き見て、少納言は言葉もない。すっかり道長にのぼせ上ってしまっていた。

 彼の弓技だけではなく、機知、胆力、心映え、全てが好ましく思えた。

 ――あれこそ男子(おのこ)の中の男子。

 恍惚の虜となった彼女は、勝者と敗者、それぞれに注がれる殿上人たちの視線に気づかずにいた。

 とりわけ、負けた伊周に向けられる、

 ざまを見ろ

という人々の目、目、目。

 若輩にして内大臣の位を得た貴公子への嫉妬と、彼をゴリ押す道隆政権への反感が、彼らの眼差しに表れていた。



    (十一)一夜

 大夫殿のゐさせた まへるを、かへすがへす聞ゆれば、例の思ひ人と笑わはせまひし、まいて、この後の御ありさまを見奉らせたまはましかば、ことわりとおぼしめされなまし。(「枕草子」第一二九段)


 弓競べの日から十日が経った。

 少納言は多忙な毎日を過ごしている。

 多忙ではあるけれど、職業婦人としてのやり甲斐を感じている。近頃は大事な用を任されるようになった。やり甲斐はさらに増す。

 定子という主人にも、尽きぬ魅力を感じている。

 あの道長は中宮大夫という役職柄、しばしば定子の許を訪れる。

 だが、いきなり来て、さっさと帰ってしまうので、話をするどころか、まともに顔を見る機会すらない。

 女房らに対しても愛想がまるでない。あの道隆の弟とはとても思えない。

 女房連の道長評は賛否別れている。

「好ましや」

と言う者もいれば、

「怖そうな御方」

と拒否反応を示す者もいる。

 少納言は宮中きっての道長派である。先に述べたように定子たちから、

「例の思ひ人」

とひやかされている。

 ――自身の浮かれぶりが恥ずかしくもある。

 良い年齢をして――

と自嘲したりもするが、彼女の情熱は、そういった内省を遥かに凌駕していた。

 中秋の名月が煌々と照っている。

 涼気と虫の音に呼ばれるように、少納言は庭に出た。今宵は寸暇を得て、やや開放的な心持ちになっている。

 月明りの下を、夢見るが如くフワフワと歩き回る。誰もいないから、大胆になる。小娘のように軽やかに地を踏む。

 蛍が数匹舞っている。それが――いささか通俗的ではあるが――少納言の胸をさらに弾ませる。

「あっ」

 石につまずいたところを、

 グッ

と強い力が手首をつかんだ。あやうく転倒をまぬがれた。

「倒レナソ(転ぶなよ)」

と声がした。道長の声だった。

「…………」

 あまりのことに、少納言は返事ができずにいた。

 道長は手首をつかんだまま、少納言の身体をグイと引き寄せた。

 そして、言った。

「この縮れ髪は、名高き清少納言だな」

 その不躾さに道長派の少納言も、さすがにムッとした。出会いがしらに、このような無礼な言を吐いた公達は初めてだ。

 恥じている縮れた髪のことを言われては、淑やかでいられるはずもない。

「中宮大夫様、何ゆえこのような刻限にこのような場所に?」

 嫌味っぽく訊いた。

「中宮大夫だからさ」

 道長は短く答えた。ちょっとした用事で、後宮に来て帰るところだったという。

「そのような小用は、下僚にお任せすれば良いのに」

「おれは小役人など信用していないのだよ」

 他人に仕事を任せきれない性格らしい。

「そなた、あのときもいたな」

「あのときとは?」

「兄上の邸でだ。あのときは鬘を付けていたのだなあ」

「え?」

「おれが弓を引くのを陰から覗いていただろう?」

 少納言は道長の目配りに舌を巻いた。弓を競いながら、しっかり彼女に気づいていたのだ。

「噂通りの縮れ毛よのう。しかし、おれはこういう縮れ毛が好きだよ」

「縮れ毛縮れ毛と申されますな」

 少納言は顔を赤くして、ついに怒ってしまった。道長という男は、なんと生な物言いをするのだろう。得意の機知も出てこない。

 月明りで道長の顔がはっきり見えた。生意気そうな少年じみた顔に、不敵な微笑を浮かべている。彼が笑うのを見たのは、もしかしたら初めてかも知れない。

「不器量と聞いていたが、よく見れば左程でもないな。むしろ、おれの好きな顔立ちだ」

 褒めているつもりだろうが、莫迦にされている気分だ。

「斉信や行成(ゆきなり)が夢中になるのもわかるなあ」

「ちゅ、中宮大夫様は――」

「道長でよい」

「道長様はそのお二人とはだいぶ違いますわ」

 少納言は反撃に出た。

「まるで匈奴(きょうど)の王様みたい」

「おれは野蛮かね?」

 道長は怒らず、自分に問うように言い、首を傾げた。

「あの御手を……お離しくださいませ」

 そう頼んでも、道長はその手を離さない。そして、

「少納言、その髪に触らせてはくれぬか?」

 抜け抜けと言った。

「嫌です」

と突っぱねたが、道長は構わず手を伸ばした。縮れ髪を撫でた。無礼ここに極まれりだが、少納言は瘧(おこり)のように身を震わせた。悦楽があった。想い人の掌の感触に、甘く酔い痴れた。

「おれは確かに斉信や行成とは違うな」

 髪を撫でながら、道長は言った。

「そりゃあ一応は学はあるさ。親父殿がうるさかったからね。だが、当意即妙に歌を詠んだり詩句を弄ぶような小才はないのさ」

 むしろ誇るみたいに言う。後年「この世をば〜」という、あまり芸のない歌を詠んだ人物だけのことはある。

「歌も駄目、詩も駄目では、私はどのようにすれば良いのでしょう?」

 少納言はもの思わしげに訊ねた。

「獣(けだもの)になればよい」

 耳元で囁かれ、

「獣?」

「礼を忘れ、学を忘れ、世間を忘れ、ただ互いの本然に任せるのだよ」

「まあ」

 このような蠱惑的な誘いは初めてだった。

 ――このまま、この御方と……

 少納言は道長の胸に、笑んだままの顔を埋めた。菊花の香りが鼻をくすぐる。

 少納言は一匹の獣になり果てた。至上の快楽の深淵へと墜ちていった。

 ことが終わった。

 一組の男女がこの地上に生まれた。

「腹が空いた」

 唐突に道長は言った。

「は?」

 呼吸を外され、少納言は戸惑う。

「厨に冷飯と汁が残っているだろう。食わせてくれ」

 相手の変わり身に少納言は呆れた。余韻に浸る間もない。

 ――童のような御方だ。

 目の前の欲望を満たしたら、その次の欲望を遂げようとする。

 閉口しつつも、つい今しがた契りを交わした恋人のあとを追った。



   (十二)黄昏

 その御心のなほ終りまでも忘れさせたまはざりけるにや、御病づ来てうせたまひけるとき、西にかき向けたてまたりて、念仏申させたまへと、人々のすすめたてまつりければ、済時・朝光なむどもや極楽にはあらずむらむと仰せられけるこそ、あはれなれ。  つねに御心に思しならひたることなればにや。あの、地獄の鼎のはたに頭うちあてて、三宝の御名思ひ出でけむ人のやうなることなりや。(「大鏡」)

 帥殿に天下執行の宣旨下したてまつりに、この民部卿殿の、頭弁にてまゐりたまへりけるに、御病いたくせめて、御装束もえたてまつらざりければ、御直衣にて御簾の外にゐざり出でさせたまふに、長押をおりわづらはせたまひて、女装束御手にとりて、かたのやうにかづけさせたまひしなむ、いとあはれなりし。

 こと人のいとさばかりなりたまむは、ことやふなるべきを、なほいとかはらかにあてにおはせしかば、病づきてしもこそかたちはいるでかりけれ、となむ見えしとこそ、民部卿殿はつねにのたまふなかれ。(同上)



 翌長徳元(995)年一月十九日、道隆は定子に続き、次女の原子(げんし)を皇太子・居貞親王(おきさだしんのう)に嫁がせた。その権力は盤石と、余人の目にはうつった。

 定子と原子姉妹の宮中での対面が実現したのは、一か月後の二月十八日だった。

 道隆夫妻と伊周、その弟の隆家(たかいえ)らも参上し、賑やかな身内の集いとなった。

「恥ずかしいなあ。女房たちに不器量な娘ばかりを持ってと思われては、かなわないなあ。いやはや」

と道隆は相も変わらず、絶え間なく冗談を口にして、少納言らを笑わせている。娘たちを冗談の種にしながらも、得意そうだ。

 が、目は落ちくぼみ、声は枯れ、身体も痩せ、体力の衰えは傍目にもわかる。整った顔にも老いが滲み出ている。道隆は日頃の大酒が祟ってか、このとき病を患っていた。病はじわじわと王者の肉体を蝕んでいっている。

 それでも、伊周の連れてきた孫の松君を抱いて、

「可愛らしいのう」

と目を細め、

「この子を中宮様の御子じゃと披露しても、皆信じてしまうんじゃないかな」

と周囲を笑わせようとする。

「まあ」

 定子は扇で顔を隠し、微笑んだ。けれども、その笑顔には翳があった。

 定子や居並ぶ人間も、道隆の軽口に潜む仄暗い本音を察している。

 一条帝と定子の間に子が産まれないことに、道隆は焦りをおぼえている。いずれ皇位を継ぐ男児が産まれてこそ、一族の安泰は保証されるのである。

 病に侵され、人生の終末を感じている道隆は、命のあるうちに皇子の誕生を見届けておきたい。だから、つい冗談の裏に、定子への切望を忍ばせてしまうのである。

 少納言の目の前で展開される、華麗で幸福な家族模様、けれど、そこには確実に、凋落の予感は這い寄ってきている。

 眼前の現実から逃れるように、少納言は道長のことを考えた。彼との逢瀬は、すでに両の指では数え切れぬほど重なっていた。



 天子の許へ参上する定子に付き添うときも、道隆は面白おかしく振舞っていて、でも身体は言うことを聞かず、とうとう廊下の欄干から落ちそうになってしまった。天下第一等の王者であり道化師でもあった稀有な男の衰弱を、居合わせた者は思わずにはいられなかった。

 道隆が病没したのは、その五十日後だった。

 この世から太陽が消えた。中関白家の人々はそう落胆し、一様に打ちのめされた。



    (十三)政変

 かくて長徳元年正月より世の中騒がしうなりたちぬれば、残るべうも思ひたらぬ、いとあはれなり(「栄花物語」)


 道隆死後の政界について、ざっと述べる。



 散々揉めた末、道隆の後は兼家次男の道兼(みちかね)が関白に任じられた。

 道兼は、花山帝を詐略にかけて出家させた「粟田殿」として、歴史に名を刻む大策士である。

 しかし、道兼は流行病に罹患し、あっけなくこの世を去ってしまった。後年「七日関白」と蔑称される短命政権だった。

 権力に空白が生まれた。

 伊周隆家兄弟は盛んに運動したが、大命は思いもかけぬ人物に下った。

 道長である。

 道長の姉で一条帝の母である東三条院(ひがしさんじょういん)が、道長を強烈に後押ししたのである。東三条院は執拗だった。一条帝の寝所にまで押しかけて、道長に国政を委ねるよう、涙ながらにかき口説いた。

 母の懇願には一条帝も抗えず、道長に内覧(天皇の補佐役)を命じた。さらに翌月、道長は右大臣に昇進し、伊周を追い越した。同時に藤原家の氏長者(うじのちょうじゃ)にもなった。藤原一族の事実上の頂点に立ったのである。

 中関白家の失望は大きかった。

 伊周は巻き返しを図った。

 が、道長の方が一段も二段も上手だった。

 ――このような御方だったとは……。

 少納言は道長の政治手腕に唖然とした。彼は政治にはまったくの無関心だったからだ。

 道長が強いのもあるが、いかんせん伊周が弱すぎた。

 伊周は申し分のない文化人であり教養人ではあったが、政治家としての資質が、致命的なまでに欠落していた。「心をさなくおはする人(幼稚な人物)」と史書に酷評されるのも、むべなるかなである。

 道長は中関白家を圧倒していった。

 宮廷人はこの対立を、息をひそめ見守っている。天下が懸かっている。弓競べとはわけが違う。

 長徳元年七月二十四日、両者の対立はついに表面化した。

 場所は宮中の陣座(じんのざ=公卿が公事を行う場)。

 そこで、道長と伊周の間で激しい口論が起きた。

 居合わせた藤原実資が、

 宛モ闘乱ノ如シ

と書き残しているから、よほど凄まじい言い争いだったのだろう。

 その三日後、道長と隆家の家人同士が、合戦規模の乱闘を演じ、直後の八月二日、隆家の従者が道長の従者を殺害するという事件が発生して、激怒した道長は隆家に下手人を引き渡すよう迫り、都は騒然となった。

 伊周の母方の祖父・高階成忠(たかしなのなりただ)が道長の呪詛を行っているとの噂まで流れた。

 この先きっと何事かが起こるに違いない、と公卿も庶人も慄き合っていた。



 年が明けて長徳二(996)年一月十六日、夜――

 ことは起きた。

 事件の現場は、亡き太政大臣・藤原為光(ためみつ)邸の門前である。

 邸から忍び出てきた花山院の一行が、数人の賊に矢を射かけられた。

 そのうち一つの矢は、こともあろうに花山院の衣の袖を射抜いた。

 不敬な賊は逃げ散り、下手人はわからずじまいであった。

 這う這うの体で逃げ帰った花山院は、何故かこの件について一切口外を避けた。

 だが、その夜、花山院の袖を貫いた一矢が、日本史を揺るがす大事件へ発展していくことになる。



    (十四)変転

 今夜華山法皇密幸二故太政大臣恒徳公家一 之間、内大臣並中納言隆家従人等、奉レ射二法皇御在所一(「日本紀略」)


 花山院は沈黙を続けている。

 けれど、噂は都中に広まった。

 事件の首謀者は、なんと伊周隆家兄弟だという。

 ――まさか!

 少納言は信じなかった。そのような自ら墓穴を掘るが如き暴挙を、いくら若い二人とはいえ犯すはずがない。

「私も当初はありえぬことだと思っていたのですが――」

 噂を伝えた宰相の君は、小刻みに震えていた。

「そもそも御二方には動機がないでしょう」

「それが――」

 宰相の君は噂――事件のあらましを語った。

 故藤原為光には何人もの姫がいた。

 その中の四ノ宮という姫に、花山院は懸想し、毎夜通い詰めていた。出家した身とはいえ、花山院は大の色好みとして知られている人物だ。

 実は伊周も為光の別の娘と恋を楽しんでいた。三ノ宮という女性だった。花山院の愛人の姉だった。

 だが、しかし、伊周は花山院が自分と同じ女性――三ノ宮と通じていると勘違いをしてしまった。

 そのことを隆家に打ち明けると、血気盛んな隆家は憤慨した。隆家はかつて花山院と賭けをして、院の門前で僧兵と争いかけたという乱暴者だ。そのときの遺恨もある。

「少しばかり脅して差し上げましょうぞ」

と持ち掛けたのが、身の破滅だった。

 恋敵に矢を放って脅すといった行為は、古くからあった。伊周と隆家はそれをやったに過ぎない。そう弁護することもできる。

 が、しかし、相手は先の天子だ。しかも不運にも、矢は玉体をかすめてしまっている。

「道理で……」

 宰相の君の話に、少納言も合点がいった。花山院が沈黙している理由がわかった。法皇が女遊びをしていたのが公になっては、院としても具合が悪いだろう。

「それにしても、内府様も中納言(隆家)様もなんと恐ろしいことを……」

 宰相の君の顔は青ざめきっていた。

 少納言も同じだ。

 道長との覇権争いのさなかに、二人が仕出かしたことは、自滅行為以外の何物でもない。



 伊周隆家兄弟は無実を訴えたが、三ノ宮四ノ宮姉妹の証言がある。彼らの犯行は明白だった。

 道長の打つ手は早かった。

 二月五日には伊周の家臣宅が捜索され、武器等が押収された。

 二月十一日には兄弟の罪科を決定せよとの勅が、道長に下された。伊周を敬慕している一条帝も、彼をかばいきれない。罪は罪である。

 その上、兄弟が東三条院を呪詛していたとの証拠が発見され、さらに、伊周が天子以外には禁じられている「大元帥法(たいげんのほう)」を行っているという密告もあった。

 伊周の政治生命は完全に断たれた。

 千年後の現代まで、

 長徳の変

と記録される歴史事件である。



    (十五)客人(まろうど)

 長徳二年四月廿四日、藤原朝臣斉信、従四位上参議任、左中将如元(「公卿補任」)


 長徳の変のただ中の二月二十五日、世情とは裏腹に駘蕩とした春の陽光が降り注ぐ昼下がり、少納言を訪ねる一人の男がいた。

 頭中将こと藤原斉信である。

 先述した少納言の昔の「恋」の相手だった。

「もっと深い仲になろうよ」

と宮中きっての色男から迫られたときは、嬉しかった。自尊心もくすぐられた。

 そのときは、

「あまり近しい関係になれば、貴男を褒めにくくなりますわ」

と上手いことを言ってかわした。彼の内にある何かが、少納言を慎重にさせた。いわゆる「女の勘」というやつだ。

 斉信は道隆のおぼえがめでたかった。随分目をかけられていた。

 けれども、道隆の死後、様子がおかしい。人々も彼に胡乱な目を向けている。

 そんな人物から、

 大切な話がある。

との文を人づてに渡されたのが、昨日のことだった。

 断ろうと思ったが、「大切な話」というのが気になって、了承の旨、したためて使いの者に託した。

 とは言え、この非常の折、少納言は注意せねばならない。



 斉信は、来た。

 以前の如く美々しい装いだった。桜襲(さくらがさね)の直衣(のうし)に紫の指貫(さしぬき)、さすがは女たちに騒がれる男だけのことはある。

 少納言は御簾の内にいる。

 斉信はゆったりと縁に腰かけ、優雅に微笑した。いかにもな作り笑みが、久しぶりに会うと、煩く思える。

 斉信は内心困惑している。動揺が見てとれた。

 それもそのはずで、少納言は高位の女性の居る室に、斉信を呼び寄せたのである。後々のことを考えると、相応の「証人」同席の下でなければならない。相手が斉信でも、いや、斉信だからこそ用心が必要だ。

「何の御用でしょうか?」

 澄まして訊くと、

「私はこれから中宮様のおわす職の御曹司(しきのみぞうし)に参ります」

と斉信は言った。

「中宮様に何か御言伝があれば伺いますよ」

 ――はあ?

 少納言は呆気にとられた。大切な話があると言っていたのに。御言伝があれば、とは一体どういう腹なのだろう。やはり、他聞をはばかる話なのだろうか。

「貴女は中宮様のところへは行かれないのですか?」

 さらに抜け抜けと訊ねられ、少納言は黙った。定子は今儀式の為、職の御曹司に移っている。少納言も当然付き従うつもりでいたが、斉信が会いたいと言ってきたので、こうして予定を遅らせて後宮に居残っているのだ。

 これ以上斉信に言質をとられては敵わない。斉信はすでに少納言の中で、「蛙」に化(な)っている。

 風向きが悪いと察したのか、斉信はそそくさと去った。

 少納言は彼にある疑念を抱き始めている。



 気を取り直し、支度を整えて、職の御曹司に参上した。

 定子は女房たちと歓談していた。「宇津保物語」の話題だった。心労が続いた余りやつれていたが、それでも明るく振舞っていた。そんな定子を見るのは、何よりも辛い。

 一条帝の女房らも座に混じっていた。帝の定子への気遣いを、ひしひしと感じる。

 女房たちは、

「あら、少納言様、随分と遅うございましたね」

と笑顔で迎えたが、その態度はよそよしかった。何しろ、少納言の「例の思ひ人」こそが、今の定子を、そして、定子の一族を苦しめている元凶なのだから。

「さきほど斉信が来たのよ」

 気まずい雰囲気を変えようと、定子は少納言に水を向けた。斉信の装束の美しさを褒めた。澄んだ声で、

「そなたのところへも来たのでしょう? 斉信から聞きましたよ」

 少納言もそれに乗っかって、屈託のない表情を作り、斉信の装束の細かい部分まで賞賛してみせた。

「さすがは少納言様」

「目配りが行き届いていますわねえ」

と女房らは空々しく褒辞を捧げた。

 でも、

「”例の思ひ人”が頭中将どのに嫉妬してしまいますわね」

と露骨に皮肉る同僚もいて、少納言は心中、深く吐息した。

 ――やっぱり私、疑われているのね。

 住みにくい浮世に嫌気がさしている少納言がいる。



    (十六)断髪

 短くてありぬべきもの。頓のもの縫ふ糸。下種女の髪。人の女の声。(「枕草子」第二一七段)


 四月二十四日、伊周隆家兄弟の処分が決まった。

 勅命により伊周は大宰府へ、隆家は出雲へと流罪となった。

 が、伊周と隆家は、定子の居る二条北宮へと逃げ込んだ。

「我々は無実なのです」

と兄弟は訴え、定子に助けを乞うた。

 定子が兄や弟を見捨てようはずがない。

「私の傍にいれば役人は、入って来られませんわ」

と二人を匿った。

 少納言は、まさか自分がこのような事変の渦中に巻き込まれるとは、思ってもみなかった。これから皆どうなるのだろう。そう考えれば、今はただひたすら神仏の加護を祈る他なかった。

 だが、当節、神仏は弱きを助けない。

 邸はすぐに検非違使に包囲された。二条北宮の周りには、天下の大罪人の逮捕劇をひと目見ようと、都人が群れをなしていた。

 検非違使はついに邸内に押し入り、兄弟を捕らえようとした。

「近寄ってはなりませぬ!」

 定子は兄たちの手を取って、引き渡しを拒んだ。

 凛とした主人の姿に、勇気に、少納言は心を揺さぶられた。やはりただの姫君ではなかった。

 ――強い御方だ。

 検非違使も食い下がる。

「勅命にございます」

と再三迫られ、夫と兄たちとの板挟みとなった定子は、懊悩していた。

 結局、伊周らは隙を見て、定子から離れ、女房の手引きで邸外へと逃れた。

 御簾の内で激しい慟哭の声がした。定子は狂わんばかりに泣いていた。

 これほど感情を剥き出しにした定子を、少納言は初めて見た。この激しさこそが、主人の本質なのかも知れない。

 一刻泣きじゃくると、定子は

「私は出家したします」

 静かに宣した。

「けして乱心したのではありません。それだけは言い置いておきます」

 定子は密かに忍ばせていた短刀の鞘を払い、それを握りしめた。

 女房たちは動転した。

「中宮様! 短慮はなりませぬ!」

 必死で押し留めようとしたが、遅かった。

 定子は豊かな黒髪を掴んだ。  

「中宮様っ!」

 少納言は御簾の中に這い入った。不敬なのは百も承知だった。  

 定子と目が合った。

 定子は悲しみに満ちた眼差しを、少納言に向けている。それは、彼女を責めているかのように思えた。

 少納言は怯んだ。言葉が出ない。

 短刀を持つ手に力がこもった。

 ザクリ

と黒髪が凄絶な叫びをあげた。

 ――ああッ!!

 定子はさらに短刀を滑らせ、深く切り込んだ。

 ザクッ!

 また髪が哭いた。

 定子は屹と顔をあげて、宙を睨んでいる。狂気に近い決意が、定子の周りに漂い、少納言らを圧していた。

 定子は姫育ちとは思えぬ力で、グッと短刀を動かし、引きちぎるように丈長き髪を切った。だが、最後、なかなか切れずにいた。

 こうなるに至っては、もう仕方がない。

「中宮様、介添えさせて頂きます」

 少納言は定子の手をとって、髪にトドメを刺した。

 ブツリッ!!

 定子のふさふさとした艶やかな髪の毛は、完全に断たれた。

 定子は掌中のその髪を、御簾の外へ放り投げた。

 バサッ!!

 三尺はある切り髪が床板の上、投げ出され、

「ひいいいいぃ!!」

 女房たちは腰を抜かさんばかりに驚愕する。気を失う者もいた。

 少納言は短刀を持ったまま、へなへなとその場に尻餅をついた。

 放心状態の彼女らをよそに、定子一人は、乱れた禿髪をそのままに、嵐に立ち向かう舟人ように、凛々しく厳しい表情でいた。両眼は前のみを見据えていた。



    (十七)遁世

 殿などのおはしまさで後、世の中に事出で来、騒がしうなりて、宮もまゐらせ給はず、小二条殿といふ所におはしますに、何ともなくうたてありしかば、久しう里に居たり。御前わたりのおぼつかなきにこそ、なほ、え絶えてあるまじかりける。(「枕草子」一三八段)


 定子の出家からほどなく、少納言は主の許を退きさがった。一応は休養という名目だった。

 道長寄りだった彼女への風当たりは、日増しに強くなって、内通を疑う者さえいる。

 あそこにもう自分の居場所はない。そう思うと、厭世的な心になる。つい昨年までの平和で幸福な日々が、まるで一場の夢のようだ。

 このまま、この隠れ家で朽ちていきたい、と投げやりに思う。

 則光や経房らは時折、俗世の報せを持参してくる。こういったごく少数の人間以外――定子でさえ、都随一の才媛・清少納言の行方を知らない。

 伊周と隆家は捕らえられ、勅命通りの処罰を受けたと耳にした。

 斉信は参議に昇進して、晴れて公卿社会への仲間入りをしたとも聞いた。

 尼となった定子は御所から去った。だが、このとき彼女は一条帝の子を宿していた。

 皮肉なことに亡き道隆の宿願は、中関白家が没落した瞬間に叶ったのだった。



 秋が来て、冬が来て、そして春を迎えた。

 季節は巡る。が、少納言は毎日を無為に過ごしている。

 そんなある日、経房が邸を訪れた。

 相変わらずつかみどころのない表情で、

「斉信どの、いや、斉信卿も貴女のことを諦めてしまわれたのかなあ」

「そのようですね」

「お寂しいですか?」

 問われて、少納言は苦笑する。

「あの御方は私を引き抜きたかったのでしょう?」

 ズバリ言った。

「おやおや」

「貴男の御義兄上のところへです。私を、ゆくゆくは入内させるおつもりの御息女に仕えさせたいのでしょう。何しろ都でも聞こえた清少納言ですからね」

「御自分のお値打ちをよくわかっていらっしゃる」

 経房はあどけなく破顔した。そして、

「私もまた同じ穴の狢といったところでしょうね」

と白状した。

「承知しておりますよ」

「困りましたねえ」

 経房は叱られた子供みたいに頭をかいた。

「まあ、半分そうで半分は違うというべきかな」

「?」

「勿論義兄上には頼まれてはいますがね、率直に申せば、私にとっては貴女が義兄に仕えようが仕えまいが、どうでもいいのですよ。何せ義兄は――」

 経房の目が光った。

「私の仇みたいなものですからね」

 経房の姉は道長の夫人だったが、彼の父・高明(たかあきら)は「安和の変」で、藤原一族によって失脚した。

「私の生まれるか生まれないかの頃の話ではありますがね、それでも浮世の辛酸を舐めましたよ。別に仇を討ちたいとは思いませんが、藤原の連中に含むところはあります。いくら義兄のお陰で多少は良い思いをしているとは言え、ね」

 陥れた側は忘れても、陥れられた側は永劫忘れぬものです、と経房は続けた。

「此度の内府様中納言様の一件は、私には他人事とは思えんのですよ。内府様に至っては、私の父と同じ大宰府送りですからね」

 日頃子供っぽさを演じて本心をくらましている経房の本音に、少納言はじっと聞き入っている。

「だから、定子様や少納言どののお役に立ちたいと、密かに思っています」

 義兄に睨まれぬ程度にね、と冗談めかして言って、経房はいつもの調子に戻った。

「かたじけのうございます」

「定子様の御許へお戻りなさるのならば、止めはいたしませんよ。むしろ合力したします」

 少納言は黙って頭を下げた。また決心はつかない。

「そうそう」

 経房は思い出したように、

「これを」

と持参した物を差し出した。

「なんでしょう?」

 木箱を開くと――

「まあ!」

 少納言は目を輝かせた。二十枚ほどの紙だった。紙はまだまだ貴重品である。しかもこんな上質の紙ならば尚更だ。

 後に、「枕草子」に、

「世の中が腹立たしく、煩わしくて、ほんのわずかな時間も生きていられそうな心地がしなくて、もうどこへでも行ってしまいたいと思う時に、ただの紙でとても白く美しいものに、上等の筆、白い色紙、みちのくの紙などを手に入れたら、気持ちがすっかり慰められて、まあいいか、このままもうしばらく生きていてもよさそうだなと思われます」

と記している少納言だから、この贈り物は心底嬉しい。久方ぶりに気持ちが浮き立った。

 だけど、

「この頃は読むことも書くこともせず、寝てばかりいる身ですから、これは枕にでもいたしましょうか」

とわざと憎まれ口をきいてしまう。

 しかし、

「それは定子様からの賜り物ですよ」

と教えられると、

「えっ」

とおぼえず腰を浮かしかけた。

 ――中宮様は私のことを、未だ気にかけていらっしゃるのだ。

 頬に赤みがさす。定子は、少納言の好みをちゃんと憶えていて、こうして心づくしの贈り物をしてくれている。それを思うと、目頭が熱くなった。

「定子様は貴女を必要となさっているのですよ」

 経房にそう言われ、

 ――世を拗ねてもいられないのね。

 今こそ自分がお役に立たねば、と少納言の心の炎は、静かに燃えはじめた。



    (十八)別離

 尤可然ト時ノ人云ケリ。コマカニソノ日記ニハ侍レバソレヲミルベキナリ。コノトガナレド、御堂ノ御アダケカナト人思タリケレバ、返々イタマセ給ケリ。(「愚管抄」)


 その夕暮れ――逢魔が時、ついに彼は来た。

 昔のままに。

「やあ」

と唐突に。

 少納言は素早く敷物を差し出した。女房の頃の嗜みは、まだ残っている(まだ辞めたわけではないが)。

「久しいのう」

 道長は言った。すっかり王者の風格を漂わせている。

「お待ちしておりました」

 少納言は応えた。

「いずれお越しになると思っておりましたわ」

「どうしてこの邸の場所がわかったか訊かぬのか?」

「別段興味はありません」

 最高権力者の彼ならば、いくらでも情報は集まるだろう。むしろ遅きに失したくらいだ。

「そんな恨めしげな顔をするなよ」

 道長は優しい声音になった。彼なりに恋人に気を使っているのだ。

「貴男と内通していると疑われ、私は中宮様のところに居られなくなったのですよ。恨むのは当然です」

「定子はもはや中宮に非ず。ただの尼だ」

「主上の御子を授かっております」

「そなたも、なかなかの地獄耳ではないか。大方、経房あたりから聞いたのであろう?」

「貴男にお仕えしないか、とのお話をチラとされました」

「それだよ」

 道長の声に力がこもった。

「そなたを引き抜きにきたのさ」

「貴男の御息女の許へ出仕せよと?」

「ああ、そうだ。影子(しょうし)の女房になってはくれまいか? あれはいずれ主上に嫁がせるのだ」

「あの弓競べでの戯言が本当になってしまいましたね」

「随分昔のことに思える。あっという間だったな」

 道長は無造作に言った。不思議な巡り合わせ、とか、運命の皮肉、といった言葉には一向に無関心な男なのだ。

「まあ、分不相応とは全く思わんがな」

 とふてぶてしく言ってのける恋人に、

「伊周様と隆家様が宮中からいなくなって、本当によろしゅうございましたね。お祝い申し上げます」

「皮肉るな」

 道長はそっぽを向き、

「院を弓矢で脅したのだ。自業自得さ」

「いいえ」

 少納言は言い切った。

「伊周様と隆家様は無実です」

「莫迦を言え」

「いいえ、冤罪です」

「何故?」

「道長様――」

 少納言は道長を睨むように見た。

「貴男はあの御兄弟を嵌めましたね?」

 道長は少納言を睨み返した。二人の視線は宙空で衝突し、爆ぜた。

「どういう意味かね?」

「斉信どのが参議に昇られたとか?」

「ああ、彼奴も公卿になって、見苦しいほどにのぼせあがっておるわ」

「あの御方も貴男のお味方でしょう?」

「ああ」

 道長は否定しなかった。

「道隆兄が威張っていた頃には道隆兄に尾を振り、おれが権力を握ればおれに尾を振る。前世は犬だったんだろうよ」

「花山院様が矢を射かけられた亡き太政大臣様のお邸は、斉信どのの邸とは目と鼻の先」

「そうだったかな」

「脅射事件の第一報告者は斉信どのでしたね」

「そんな些事までは知らぬ。検非違使に訊けよ」

「大体面妖ではありませぬか。夜の暗闇の中で、物影から矢を射かけた者が誰であるかなど、早々にはわかりませんわ」

「見てきたように言うじゃないか。まさか、そなたが矢を射た下手人か?」

「埒もない」

 少納言は道長の軽口を受け流し、

「それなのに、すぐに伊周様たちのお名前があがった。奇妙な話です」

「だいぶ暗くなってきたな。燭台を灯せ」

「私の話が一段落してから、灯して差し上げます」

「ならば拝聴せずばなるまいな」

「そもそもが、花山院様とて内々に済ませたかった不祥事を、斉信どのに申告させて大騒ぎに持っていかれたは、どなたの差し金でしょう?」

「はてさて?」

「あの御兄弟には犯行理由が見当たりませぬ」

「伊周は為光の娘とできていたのだ。そして思い違いをして、あのような挙に及んだのだ。そなたも知らぬはずがあるまい」

「この件はその三ノ宮様、四ノ宮様の証言が要となっております。裏を返さば、あのお二方の証言のみしか梁がないのです」

「まるで探偵だね」

「そして、御姉妹の兄君こそ、斉信卿なのですよ」

「ほう、初耳だ」

「相変わらず嘘がお下手ですね」

 少納言はホホと憫笑した。道長はまたそっぽを向いた。

「花山院様が四ノ宮様の許へ通われていたのは事実(まこと)でしょう。しかし、伊周様が三ノ宮様と通じておられたというのは虚言です。斉信卿が妹君らに誣告を強いたのです。いいえ、正しくは、斉信卿の背後におわす傀儡師(くぐつし)が書いた筋立てでございましょう。あのあと、斉信卿が出世あそばしたのも頷けますわ」

「その傀儡師というのが、おれかね?」

「傀儡使いで差支えがあるならば、猿回しとでも言い換えましょうか」

「斉信を猿扱いか? 天下の清少納言にかかれば、あの色男も形無しだな」

「伊周様、隆家様が都から逐われて、一番得をしたのはどなたでしょう?」

「まあ、おれだな」

「脅射の下手人は貴男の手の者ですね? その謀(はかりごと)に加担なさったのは斉信卿でしょう? 呪詛や大元帥法などのことは、後でどうにでも捏造できますからね。そのあたりは、藤原の方々の御家芸でございましょう」

「確たる証拠はあるのか?」

「ございません。今更追求するつもりもありませぬ。申し立てても栓無きことです」

「わかっておるではないか」

「以前はそのような御方ではありませんでしたのに」

「元々おれは、こういう男だよ」

「開き直りましたね」

「おれがやらねば、おれが伊周にやられていたかも知れぬ。それが権力の世界だ」

「申されますな」

「いいや、申す。道隆兄だって、散々横車を押して、邪魔者を斥けて天下の権を握ったのは、そなたとてよく知っておるだろうよ。定子を強引に入内させ、伊周の如き若造を内大臣にまで引き上げた。おれが同じことをやって何が悪い? 下手をうったら、おれが大宰府の月を見ていたやも知れぬ」

「…………」

「もっとも、伊周風情に天下人の器があったとは、到底思えんがね。そなたも耳にしておるはずだ、捕縛されたときの醜態を」

「それは……」

 そう言われれば、少納言は返す言葉もない。

「妹の袖に隠れて慈悲を乞い、愛宕山中まで逃げて、流されるときには、牛車の内にお袋殿を忍び込ませて、母子でお手々をつないで流刑地に赴かんとした。前代未聞の恥さらしだ。挙句それが露見しても、せめて都を出るまでは母と一緒に居させてくれ、と刑吏に泣きついたそうだ。まるで幼子じゃないか。都中の物笑い。一門の面汚し。呆れ果てたるお坊ちゃまさ。彼奴では藤原の家は保てぬ。だから姉上は、おれを藤原の長にしたんだよ」

 道長はさらに続ける。

「天下を志すならば、それ相応の器量というものが要る。瓜が欲しいなら瓜が入る容れ物を用意せねばならぬようにな」

「貴男はご自身が天下人の器とお思いですか?」

「少なくとも伊周よりは遥かに増しだよ。だから姉上は、おれに白羽の矢を立てたのだ。現に伊周どもが沈みゆくとき、公卿の中で彼奴らの為に一肌脱ごうという者は、誰ひとりいなかったではないか。彼奴の不徳のせいでもあるし、地盤づくりを怠った非才のせいでもある。あれでは天下を云々する資格はないね」

「……」

「そう怖い顔をするな。おれとて別に好んで政(まつりごと)の世界に身を投じたわけじゃないさ。そういう面倒なことは道隆兄に任せて、うまいものを食って、女子と戯れて生涯暮らしたかったわ。しかし、姉上に担ぎ出されては、知恵をしぼり、手を汚し、戦い抜くしか生き残る道はないのだ」

「…………」

「そのようにだんまりを決め込むなよ。事実を申したまでだ。心配するな。何年かしたらあの兄弟は都に戻してやる。約束しよう。だが、もう二度と政には関わらせぬがな」

 少納言は黙したまま立ち上がり、自ら燭台に灯を点けた。

 だが、道長も立って、その灯を吹き消してしまった。

「灯りを御所望ではなかったのですか?」

「気が変わった」

 暗がりで、二人は対座する。

「ずっとこの寂れた邸で老い果ててゆくのか?」

「迷うております」

 少納言は正直に答えた。

「ならば、おれの許へ来い。影子に読み書きの手ほどきをしてくれ。今更定子のところに帰参したとてどうする? 女房どもには、おれの回し者などと言われながら、落ちぶれた主と日陰で暮らすのか? そなたほどの女子が、あたらその才を埋もれさせていくのか? そなたには華やかな場所こそがふさわしい」

 おれの許に来い、と道長は繰り返した。

「私を口説いていらっしゃいますの?」

「そうだよ」

「お断りいたします」

 少納言は頓悟した。想い人との別れを選んだ。

 道長はやや鼻白み、

「諾子(なぎこ)……」

 想い人の本の名前を呼んだ。少納言は動揺した。道長との恋に、互いに夢中になっているとき、何度も呼ばれた名。

 が、迷妄を振り払い、

「そのお話はここまでに。どうかお引き取りくださいませ」

「我々は別々の道を往くしかないのだな」

 道長は呟くように言った。彼のこのような寂しげな声を、初めて聴いた。

「昨日、定子から紙を贈られたそうだな」

「…………はい」

「言っておくが、経房から聞いたのではないぞ。あいつはああ見えて口の堅い男だ。定子の女房から聞いたのさ。あれらの中にも、おれの諜者はいるのだよ。表では忠義面でそなたを罵っているのだろうがね」

 少納言は改めて宮中の恐ろしさを知った。やはり、男も女も魑魅魍魎と化して蠢く世界だ。またその修羅界に戻るのかと思えば、迷い悩むのが当然だ。

「せっかく頂戴した紙だ」

 しばしの沈黙の後、道長は口を開いた。

「何か書けよ」

「何を?」

「知るか。まあ、楽しいこと、美しいもの、面白いこと、そなたの思うことを感じるままに書けばよかろう。恨みつらみや悲しみ苦しみなどを書くのは、そなたの性分に合わんだろう」

「!」

 少納言に閃くものがあった。

「何でも書くがいいさ、定子に読ませて慰めてやれ。ただし――」

と語を継いで、

「おれのことは書くなよ」

と釘をさす道長の虫の良さに、少納言はつい吹き出してしまう。

「わかりました」

 笑いながら承知した。しかし、彼女も、

「ただし――」

とお返しするのを忘れない。

「貴男が大殿(道隆)様に跪かれたことだけは、書き残しておきますよ」

 道長は怒らなかった。むしろ、

「そんなこともあったなあ」

と懐かしげだった。

「そう、御所の黒戸の前で」

「一昨年のこととは思えん」

「ふふふふ」

「諾子、いや、少納言どのよ、誤解するなよ」

「誤解?」

「おれは、けして道隆兄におもねって、片膝ついたのではないぞ」

「………」

「道隆兄貴は天下人の器であったよ。そりゃあ大酒飲みでだらしがないのは、玉に瑕だったがね、それでも一角の漢であったと、おれは尊敬している、今でもな。あの黒戸のところで見上げた兄貴は、あたかも仏国土の人間と見まがうかの如き神々しさだったよ。だから、おれは兄貴にぬかずいたのだ。偉人に拝跪することは、何ら恥にはならんからな」

 だがな、と道長は続けた。

「だからと言って、伊周や隆家などの青二才にまで頭を下げるかと言えば、話は別だ。親は親、子は子、だ。強い者が天下を掴み、弱い者は滅ぶ。おれはその古今不易の理(ことわり)に則っただけさ」

「ならば私も滅びゆくだけですわ」

「言うな。それ以上己の逃した魚の大きさを、おれに思い知らせないでくれ」

 天下人の弱音に、

「うふふふふ」

 少納言はまた笑った。

 短くも激しい恋は、夕闇に溶けていく。

「そなたの縮れ毛に、もう触れなくなるのが心残りだよ」

 それが、「例の思ひ人」が少納言にかけた最後の言葉だった。



   (十九)孤忠

 三条の宮におはしますころ、五日の菖蒲の輿などもてまゐり、薬玉まゐらせなどす。若き人々、御匣殿など、薬玉して姫宮、若宮につけたてまつらせ給ふ。いとをかしき薬玉ども、ほかよりまゐらせたるに、青ざしといふ物を持て来たるを、あをき薄様を、艶なる硯の蓋にしきて、これ、ませ越しにさぶらふ、とてまゐらせたれば、
 みな人の花や蝶やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける
 この紙の端をひきやらせ給ひてかかせ給へる、いとめでたし。(「枕草子」第二二三段)



 春はあけぼの――

 少納言は、書いた。

 定子や中関白家の栄華の頃のことを――

 自身の美意識や価値観を通して見る自然や人間世界を――

 一旦筆をとれば、言葉はほとばしるように溢れ出て、定子が贈ってくれた紙を、忽ち文字で埋め尽くした。運筆の喜びを、ふたたび噛みしめている。

 そうして書き溜めた未清書の紙束を、経房は目ざとく見つけ、奪うようにして定子の許に持参した。

「『枕草子』というそうです」

と言上しつつ。

「まあ、面白い題名だこと」

 定子はその書を読んだ。何度も読み返した。女房たちにも読ませた。

 主従共に清少納言の才に、改めて感じ入ったのは言うまでもない。千年後も読み継がれる名作なのだ。当然だろう。

 定子は少納言を呼び戻し、少納言は復帰した。



 定子は尼となったものの、一条帝の愛情は変わらず、その強い求めに応じて、還俗し、ふたたび后の座へと返り咲いた。

 一度出家した者が皇后に戻るとはおかしい、と前例主義の宮中では反対者も数多いたが、それでも定子は一条帝との間に、二人の子をもうけた。皇子と皇女だった。

 しかし、三度目の子を産んだとき、定子の寿命は尽きた。三度の出産に、虚弱な彼女の身体は耐えきれなかったのだ。

 長保二(1001)年十二月十六日、少納言ただ一人の主・藤原定子はひっそりと華麗かつ哀切な生涯を閉じた。二十五歳という若さだった。

 すでに道長の世となって久しかった。

 多くの人間が定子から離れていく中、少納言は最後まで主人を支え、「枕草子」を書き続けた。

 少納言が宮中を去ったのは、定子の逝去後すぐのことだった。まだ三十代半ばだった。

 やがて、世間は少納言を忘れ、少納言も世間を忘れた。



  (二十)剃髪

 御簾の内にまいて、若やかなる女房などの、髮うるはしくこぼれかかりてなど言ひためるやうにて、ものの答えなどしたらむは、今少しをかしう見所ありぬべきに、いとさだ過ぎ、ふるぶるしき人の髮なども我がにはあらねばにや、ところどころわななき散りぼひて、おほかた色異なるころなれば――(「枕草子」第七九段)

 うつくしきもの。(中略)頭は尼そぎなるちごの、目に髪のおほへるをかきはやらで、うちかたぶきてものなど見たるも、うつくし。(同上・第一四五段)


 
「枕草子」の執筆は、定子死後も続いた。

 少納言は書いた。髪を振り乱し、ひたすら筆を走らせた。

 数年がかりで書き終え、清書し、ようやく脱稿して、そして、少納言は出家した。

 定子の鎮魂の為でもあったが、一切を削ぎ落し、身軽になりたいという気持ちに、不意に駆られたせいでもあった。

 少納言はすでに貧窮の中にあった。気づけば、邸は朽ち、着る物はみすぼらしく、日々の活計(たつき)さえままならない有様だった。近隣の者との付き合いもなかった。

 自恃の心のみが、彼女を生かしめていた。

 だから、出家するにあたり、僧を頼まず、正式に得度も受けなかった。律令体制下で、「私度僧」と呼びならわされる道を選んだ。

 女孺に湯を沸かさせ、自らの手で剃刀を執って、自剃りした。

 道長の愛した縮れ髪を全て剃り落とした。少納言にとっては、それは或いは時勢への無言の批判だったのかも知れない。

 何度も剃刀を湯に浸し、生え際からゾリゾリと激しく剃り立てていった。

 剃り込まれる端から、波立った髪が削がれ、剥かれ、青い剃り跡を生々しく残して、床板に落ち、散り、積み上がっていった。

 加齢のせいか――と言ってもまだ四十を過ぎたばかりなのだが――少納言はいささかせっかちになっていた。

 勢いに任せて、鈍らの刃を髪に入れ、乱暴に引いていった。

 ジッジッジ!

 ジーッ、ジッジッ!

 剃りながら、定子を思い、道長を思った。強烈な愛憎の念に駆られ、少納言は頭を引っ掻くように、剃刀を動かした。

 その粗野な剃刀使いに、刃が柔らかな頭皮を擦って傷つける。幾度も出血した。あびただしい流血が頭を、顔を、髪を濡らしたが、少納言は構わず手を動かし続けた。彼女の激情はむしろ、血の匂いを渇望していた。一種の狂気を帯びている。

 少納言の頭上は、黒と薄緑と赤が三つ巴となって割拠したり、混在したりと凄まじい様子になっていた。

 だが、その混沌すら彼女の美意識は、是、としたに違いない。

 剃り上げたうなじに、ツーッと血が。一筋、二筋、と流れた。

 剃刀を浸す湯には、赤い色が融けていった。

 バサリ、

 バサリ、

と縮れた髪が床板を叩き、盛り上がっていく。ずっと嫌いだった髪。道長と出会って、少しだけ好きになった。でも別れてからは、ますます嫌いになった醜い髪。

 少納言はついに片膝を立てた。頭を低く垂れた。腕に一層力を込めた。

 そして、剃りおろす。

 ゾリゾリ

 ゾリゾリ

 バサッ

 バサッ

 落髪の中に、白く光るものが混じっている。けれども、感傷の立ち入る隙間はなかった。

 駝鳥の如き頭となった。

 チョボチョボ残っている毛を、女孺が剃った。

「小母様、お痛かったでしょう?」

と布切れで流血を拭いながら。

 この少女は、雇い主がかつて世にときめいた清少納言であることを知らない。

 女孺はギコちなくも、残り髪を余さず剃った。

 少納言の頭はすっかり丸まった。

 何とか工面した破れ衣を着けた。

 少女に鏡を持って来させた。

 自らの法体を確かめる。

 ――まるで鬼だ。

 定子を護り、道長に抗い、無我夢中で執筆を続けた、その積年の労苦で凄惨な面相になっていた。頭のところどころ、血が凝固しているのが、いよいよ凄みを増していた。

 だが、少納言は怯まなかった。

 形ばかりの尼だったが、朝夕定子の為に看経し、写経した。



 さらに歳月は過ぎた。

 生活苦はひどくなる一方だった。

 人々から嘲られることも度々だったので、結局は兄の致信を頼り、その邸に身を寄せた・

 しかし、その兄も非業の最期を遂げた。

 その際、彼女が武者どもに性器を晒し、難を逃れた話は、この物語の最初の方でした。

 この話題は都人の口の端にのぼって、物笑いの種にされたが、少納言はケロリとしていた。すでにそういう境地に、彼女は達していた。



    (二十一)憤死

 阿波の撫養浦(むやうら)を中心にした清少納言の伝説は、あまりにも奇抜で、また粗野であるために、かえっておもしろがってこれを評判する者が今でもあるが、その起こりはまた一団の念仏比丘尼から出ていた。故三宅博士の発見せられた「以文会筆記」に、寺居菊居という人がまじめにこの問題を取り扱っている。(柳田國男「清少納言の亡霊」)


 兄・致信殺害事件は、少納言の晩年を思わぬ方向に転がした。

 事件の実行犯は全員処罰された。黒幕であった源頼親も解官(げかん)された。

 しかし、捕らわれた犯人たちが、致信の非違を言い立てたため、検非違使が調べたところ、致信の旧悪が次々と露見した。

 結果、致信の係累も罰せられることとなった。連座というものだ。

 少納言は流罪を命ぜられた。事件の巻き添えを食う形となった。

 配流地は阿波(現在の徳島県)である。

 当時の都人にとっては、四国は想像を絶するほどの遠く草深い僻地だった。紀貫之などはその旅路をわざわざ書き残しているし(「土佐日記」)、後に保元の乱に敗れて流された崇徳上皇は、孤独のうちに狂死した、そんな地方である。

 この措置について、道長の意向が働いていたのかは不明である。

 少納言は何も言わず、流人船に乗った。海路、阿波へと護送された。一ヶ月以上かかった。



 阿波に着いた。波の向こうに、松原と小さな漁村が見える。

 沖合から小舟に移る。小舟は浜へと漕ぎよせていった。

 浜には、里の男どもが押し寄せていた。都から流人が到着するというので、見物に集まったらしい。この地の数少ない「娯楽」なのだろう。

 男たちは皆、髷すら結わず髪も髭もボウボウと生え散らかし、下帯しか着けておらず、真っ黒に日焼けした半裸を晒していた。

 土地の役人が立ち合いに出張してきていたが、荒くれ男らに怯えて、隅で小さくなっていた。

「あれは男か? 女か?」

と蛮人たちは粗野な地言葉で言い騒いでいる。坊主頭の少納言の性別をはかりかねていた。

 やがて、舟が近づくにつれ、

「女だ!」

と目を血走らせて、口々に雄叫びをあげ、そうして猛然と波打ち際へ走り出した。都の女ならば、見境なく姦し、辱めようと殺気立っていた。

 瞬間、少納言は激しい恥辱と憤怒に、我を忘れた。

 舟の舳先に仁王立ちした。その怒気に、同乗の刑吏は怯み、動けずにいる。

 坊主頭を南国の陽と潮風に晒し、待ち構える蛮族を睨み据えた。

 そして、法衣をするりと脱ぎ捨てた。まだ張り艶を残した裸身に、浜の人間も船上の人間も息をのむ。

「ら、乱心召されたか!」

 かろうじて刑吏が制したが、少納言は黙殺した。確かに半ば乱心していた。彼女の手には隠し持っていた小刀があった。

 激情のままに小刀を振り上げ、女陰に突き立てた。それをキリキリと引き回し、自ら女陰をえぐり取った。

 血潮が飛ぶ。

 少納言は切り獲った肉片を、里人めがけて投げつけた。

 その刹那、

 ――諾子。

 道長の声が、脳裏に響いた。

 ――式部が申した通り、終わりを全うできなかったな。だが――

 道長の声は笑った。

 ――その姿こそがそなたの本性なのだよ。

 少納言は遠のく意識の中、薄っすらと微笑した。

 そして、果てた。才女である以上に、烈女だったのだろう。



 土地の伝説によれば、少納言の亡骸は里人の手で丁重に埋葬されたという。

 その墓は現在でも、「あま塚」とよばれ、徳島県鳴門の隠れ名所となっている。お参りすればシモの病が治ると、地元では言い伝えられているそうだ。

 そして、海中に没した女陰は、似たり貝という貝に変じたという。

 この伝説は後世、春画の題材にされたりもしたが、あの世の少納言がどう思っているかは、さすがにわからない。


            (了)




    あとがき

 長い長い長い長い長い長い〜〜(><) 犯罪的な長さです(大汗) しかも断髪についてほとんど書いてない。。ほんと、ごめんなさいっ!! これでも多少は削ったんです〜
 このあとがきもちょっと長くなります。
 三四ヶ月何にも書いていない状態が続いてて、よっこらしょと重い腰をあげたのが9月半ば。
 「北条政子のヘアドレッサー」に続く大河便乗作品です。それにしても、来年の紫式部主人公の大河ドラマ、激ヤバ臭がすごいです。長年の勘が危険信号を鳴らしまくっています。杞憂に終わればいいのですが。。
 元々このお話、迫水の高校時代にまでさかのぼります。当時、漠然とシナリオライターとか映画監督になりたいと思ってて、清少納言と藤原道長のストーリーをタイトルとちょっとした構成だけノートに書き留めていたんです。清少納言は大好きな歴史人物です。すごく魅力的な女性だと思います(紫式部の方が性格悪そう)。彼女が熱心な道長ファンだったという意外な史実を知って、このアイディアが浮かんだんですね。
 しかし、このアイディア含む平安時代舞台の小説を、どうして今まで書かなかった(書けなかった)かというと、平安時代ってムチャクチャ難しいんですよ!! 当時の公卿や貴族女性たちのコミュニケーションって和歌や古典を引用して、会話に織り交ぜたり、暗喩したりと、知的ゲームみたいなことを日常的にしていて、それを再現する自信も知識もなかったのです。現代でもその解釈をめぐって、学者間で論争があるほどですから(汗)。しかし、やるなら今しかねえ、と長渕剛さんのように思い、今回その大昔のネタを膨らませてみました。
 清少納言が「枕草子」で書いたこと書かなかったことに、自分なりに焦点をあてています。参考として何冊か本を読みました。とても助かりました! 現在はネットでも色々調べられるのでほんと、ありがたいですね(^^)
 ただ私の読んだ清少納言関連本のほぼすべてが、少納言絶対擁護!で道長は完全にヒール扱いなので、どうしても道長の欠席裁判みたいになりがちで、そこが不満と言えば不満でした。道長には道長の言い分もあるだろうし、清少納言だって彼の強さに魅了されていた部分もあると思うんですよ。今回のお話ではそこら辺のあたりに力が入っちゃって、、
 ……って全然断髪の話になってへんΣ(゚Д゚)
 一応、定子と清少納言の断髪剃髪シーンは書きましたが、ちょっとマニアックかもです(^^;) やっぱり「断髪描写のある歴史小説」になっちゃいましたね。。うーん。。
 まあ、リハビリ作ということで、どうかご勘弁をm(_ _)m
 以下は徒然なるままに、
 清少納言が癖毛であること、それにコンプレックスをもっていたことは、「枕草子」の中でも書かれている「史実」ではあります。が、当たり前ですが、当時から天パーの人は沢山いたはずで、清少納言だけが特殊ではなかったでしょう。歴史的著作に自身の天パーについて書いてしまったがために、少納言ばかりが天パーの歴史人物代表みたいになってしまったという皮肉な結果に。。迫水は人並外れた直毛なので、ピンとこないのですが、天然パーマの知り合いの話では、梅雨時とかすごい大変らしい。平安時代の女性なんかは、あれだけ長い髪の毛だったのだから、現代人には想像できないほど大変だったでしょうね。ここら辺、フェチ的にはもっと書き込むべきだったと、かなり反省しています。。
 清少納言は定子の死後落ちぶれたという言い伝えがあります。曰く、殿上人に嘲られて「燕王と馬の骨」の故事を持ち出して言い返した、とか、曰く、侍の襲撃に遭い、女性器を示して難を逃れた、とか、ついには島流し先で里人にレ〇プされて(されかけて)、怒りの余り女性器をえぐり取って果てた、とか散々です。
 こうした落魄伝説は、「学問のある女は将来悲惨なことになる」という後の男社会の産物であるって、そんなフェミ的指摘が現代では一般的みたいです。まあ、、そうなんでしょうけど、迫水のような屈折した清少納言ファンとしては、たまらないものがあります。光の分だけ影も大きい、というか、、、正直一層彼女のファンになってしまいます(^^;)
 少納言が「枕草子」を書きまくる部分は、復活して久々にこの小説を書き始めた自分の気持ちを重ねています。「やるぞ〜!」「楽しい〜♪」というポジティブな気持ち。
 日本文学は紫式部系の「あはれ」の文学と、清少納言系の「をかし」の文学に大別されると言われてたりします。「あはれ」は”感じる文学”、「をかし」は”考える文学”といったところでしょうか。
 迫水がサイトで断髪小説を発表し始めたときは、CLIPさんやMRookeさんなどレジェンドの皆様が「あはれ」系の小説を創作なさっていたので(あくまで私見です)、「をかし」系の自分の小説が入り込む余地はまだありそうだ、という目論見がありました。これは、けして今考えた後付けの話ではなく、当時から本気でそう考えていたんです。信じて下さいっ!! 現在はだいぶ雑食化してますね。。
 最後になりますが、ずっと挑戦してみたかった平安時代モノを書けて嬉しかったです! 心残りは多々あれど、73点くらい自分にあげたいです(甘い? 厳しい?)。来年だったらあからさまに便乗すぎますし、ほんと、今!って感じでした。
 死ぬほど長いストーリーですが(大汗)、ここまでお読みいただき、誠に誠にありがとうございました!! どうかこれからもよろしくお願いいたします♪



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