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少女が週末にする事


 駅地下のアーケード街。

 そこにその店は在った。

 宇都宮柚奈(うつのみや・ゆずな)が女子には敷居の高いその店を訪れたのは、五月の土曜日のことだった。

 緊張のあまり頭がカッカとのぼせ気味で、足が地に着いていないような心持ちだった。

 どうにも落ち着かず、入店したものの大量の安シャンプーの匂いにむせかけた。

 週末だから客は多い。老若ともに全員が男客だ。

 その中にまぎれ、待合席のソファーに座ろうとしたら――

「まずはチケットを買わなくちゃいけないよ」

とマッチョなオジサンが教えてくれた。

 柚奈はあわてて、券売機を探した。

「そこだよ」

とオジサンがまた教えてくれる。

 券売機の前、財布を出し、虎の子の千円札を抜く。

 お金を入れようとして、値段を確認すると――

 ――1200円?!

 ガーン!!!

 千円カットを謳い、おなじみのこの格安理髪チェーン店も、ここ最近で値上げしたらしい。

 まったく世知辛い。

 ――うそぉ〜!!

 予想外のことに、柚奈は固まった。進退窮まっている。

「そこでチケットを買うんだよ」

 オジサンの三度の助言。短気な人らしく、語気がちょっとキツくなっている。

「…………」

 とりあえず千円札――全財産を財布に戻す。

 これ以上、親切なオジサンに圧をかけられてはかなわないし、いくら粘ってもお金が湧いてくるわけでもないので、柚奈はコソコソと店を出た。

 ――これは――

 もしかして髪を切るな、というお告げではないのかとスピリチュアルめいた考えが、頭をよぎった。

 トボトボと帰路につきかけると、

「あれ、柚奈じゃん」

 友人とバッタリ遭遇。

「どした〜、暗い顔して。今日は部活じゃないの?」

「休みなの」

「へ〜、珍しい。なんかここんとこ女バスも大変らしいね。川島もあっちこっちからボコられてるみたいでさ」

「う、うん……」

「あっ、変なこと言っちゃったね。ごめんね。今暇? これから遊ぼうよ」

「今日はやめとく」

「そう、じゃあ明後日学校でね」

「うん、バイバイ」

「バイバイ」

と別れかけた友だったが、

「あ、そうだそうだ!」

 何か思い出したらしい。

「ほら、こないだ立て替えてもらったパンのお金、返さなきゃ」

と財布から百円玉を二枚出して、

「お釣りはいいや」

と柚奈に渡した。

「ラッキー」

と太っ腹な友人に感謝して小銭を受け取って、

 ――これで1200円! 足りる!

と閃くように思った。

 これは散髪せよ、というお告げではないか、とつい先ほどとは真逆の神意を感じる

 柚奈はクルリと踵を返し、千円カット、いや、千二百円カットの店に駆けた。

 取り残された友は、

「変なの」

と呆気にとられていた。



 宇都宮柚奈(うつのみや・ゆずな)は中学三年生。

 入学時からバスケットボール部に在籍している。今では部長だ。

 170cmの長身を活かした豪快なプレイで、部員の中でもひときわ目立つ存在だった。

 しかし、彼女が部長になってから半年、バスケ部は公式試合でも練習試合でも一勝もできずにいる。

 目下、十一連敗している。女子バスケ部創部以来のワースト記録だという。

 それについては、顧問の川島は何も言わない。

 別に無責任に部員を甘やかしているわけではない。それどころか、鬼みたいに厳しい指導者だった。

 その厳しさに泣く女の子も何人もいた。「あいつムカつく」と陰口をいう女子も結構いた。

 でも柚奈は川島のことが好きだった。

 いやいや、決して恋愛感情からではない。川島は妻子ある四十男だったし、顔もいかついし、年中ジャージ姿だった。間違っても中三女子が惚れる相手ではない。

 柚奈は指導者としての川島を慕っていた。信頼していた。

 口調は乱暴だけど、本当は人情に厚い人だと分かっている。

 他の部員だって同じはずだ。だから、泣かされたり腹を立てたりしても、退部する者はいない。皆、川島についてきている。

 川島は運動部顧問によくいる精神論者ではなかった。

「根性が足りないんじゃない」

とよく口にしていた。

「工夫が足りないんだ。勝つための工夫をしろ。頭を使え」

と。

 そう言われて、柚奈たちは練習後、自主的にミーティングをして、反省点や改善点を話し合ったものだ。



 しかし、前述の通り、柚奈が主将になってから、バスケ部は負け続けている。

 去年まではそこそこ強かったので、余計に責任を感じる。

 実際川島には部のOBから厳しいクレームがきているようだ。

 しかし、川島はそのことは柚奈らには決して言わないでいる。

 が、彼が黙っていても噂は伝わってくる。部長としての責任を痛感せざるを得ない。

「先生、先輩たちから色々言われてるんでしょう?」

と思い切って訊いたら、

「お前は余計な心配せんでいい。練習に集中せい!」

と叱り飛ばされた。

 やっぱり噂は本当らしい。



 ――勝たないと!

と重圧をおぼえる。

 そして、つい先日、同市の女バスに敗北を喫した。

 前半は柚奈たちはコンディションも良く、大量リード。

 ――これなら勝てる!

と初白星を確信したが、後半一気に巻き返され、あっという間に逆転されてしまった。また不名誉なレコードを更新。こういうのを「負け癖がついている」というのだろう。

 連敗につぐ連敗でチームの士気はだだ下がり。

 誰より柚奈が闇落ちしてしまいそうだ。

 ――あたしが不甲斐ないせいで……。

 自分を責める。思いつめすぎて、

 退部

という選択肢さえ浮かぶ。

 川島は試合後も記録的連敗については、一言も触れなかった。いつものことだ。そして、これもまたいつものように、

「漫然と動いていても何にもならん。頭を使え。工夫をしろ」

とだけ言い、解散となった。

 部員たちは恒例のミーティングをする気力もなく、皆うつむき気味に帰路についた。明日からテスト休みということもあったが。



 テストは散々だった。

 柚奈は深い深いため息をついた。全てがうまくいかない。部活の悩みで、勉強に集中できなかった。

 明日の英語と数学も全滅しそうだ。

 トボトボと下校しようとしたら――

 ――あっ!

 川島がいた。屋外のバスケットコートに佇んでいた。

 彼はなんと頭を坊主刈りにしていた。元々短髪だったが、まさか坊主頭になるとは。

 立ちすくむ柚奈。

 川島がこっちを見た。目が合ってしまった。逃げられない。

 及び腰ながら、

「先生」

と歩み寄ってくる柚奈を、川島は常の如く、不愛想に一瞥したきりだった。

「その頭……」

 川島は見向きもせず、

「ああ、暑くなってきたからな」

とだけ言った。

「やっぱり試合に負け続けてるから……責任問題、みたいな……?」

「阿呆」

 川島は吐き捨て、

「くだらん勘ぐりをするな」

 柚奈は直感した。やはり女バス連敗の件だ。OBはじめ関係者からの風当たりが相当キツいのだろう。だから反省の意を示して――。

「先生、すみません。私のせいで……私が部長になってから、一度も勝ててないし……本当にすみません」

「ハアン?」

「私、バスケ部やめます」

 話の流れでつい言ってしまった。

 が、

「じゃあやめろ」

 川島は冷たく言った。

 あっさり突き放されて、

「え?」

 柚奈は戸惑う。

「次の部長は岩明(いわあき)にするか」

「ちょっと、ヒドーイ!」

 うっかり友達に対するノリになってしまって、

「あっ」

 あわてて口をおさえる柚奈。

 ――めっちゃ怒られる〜(><)

と青ざめるが、ムッツリしていた川島は数秒の沈黙のあと、

「プッ」

と吹いた。

「す、すみませんっ!」

 今度は真っ赤になって、ペコペコ頭を下げる。

 川島はムスッと表情をひきしめ、

「お前一人がいようがいまいが、部の勝ち負けに影響はせん。思い上がるな」

 何様のつもりだ、と言われ、

「す、すみませんっ!」

 柚奈は謝罪botと化している。

 ――たしかに――

 川島の言う通り思い上がっていたのかな、と内省する。

「宇都宮」

「はい」

「諦めたらそこで試合終了だぞ」

「…………」

 ――某バスケ漫画の台詞、パクってるぅう!

 バレバレだ。というか、柚奈のツッコミを待っているのか、判断できない。

 迷った挙句、

「先生……バスケが……したいです」

と乗っかてみた。

 しかし、川島はすでに興が失せたようで、

「明日もテストだろうが。さっさと帰って勉強しろ」

「はいっ」

 柚奈は一目散に駈け出す。

 校門のところで振り返る。

 川島の丸刈り頭をじっと見つめ、

 ――あたしも――

唐突に閃いた。

 ――髪を切ろう!



 元々女子バスケ部には頭髪規定はない。

 万事スパルタ式の川島も不思議なことに、部員の髪型については、あれこれ指導するといった発想がないようだ。

 柚奈は入学したときのロングヘアーのまま、部活動をスタートした。練習時には長い髪を後ろでひとつに束ねていた。

 だけど、運動のジャマになるので、彼女の髪は一年次、二年次、と段々短くなっていった。

 今ではマッシュルームカットだ。

 その髪を全て刈り落としてしまおう。

 川島と同じように――

 反省の意を込めて――



 そうして、テストの終わった日、千円カットの床屋へ。

 でもお金が足りなくて、一旦店を出たら、友人から思わぬ「臨時収入」を得、再度店に戻ったのだった。

「どうするの?」

と理髪師のオジサンに訊かれ、

「坊主に」

と応じた。

「え? いいの?」

 当然オジサンは戸惑っていたが、

「何mm?」

とさらに訊いてきた。今度は柚奈が戸惑う。具体的な長さまでは考えていなかった。

 が、

「3mm」

と適当な数字を返した。

 オジサンは、

「いいのね?」

ともう一度確認してくる。しかし、速さが売りの千円カット、それ以上の問答は切り上げ、サッと大きなバリカンを握っていた。

 バリカンのモーター音が鳴り出す。

 ――お〜!

 思わず背筋が伸びる。

 バリカンは襟足に這入る。

 ザアアァ!

 バリカンの刃が髪の毛とこすれ合いながら、グイグイと頭頂近くまで這い上がる。

 があああああーー!!

と後頭部の髪が切り割られる。青ざめた大路が切り開かれた。

 そして、また――

 ガー!

 ガー!

 ガー!

 ――か、か、刈られてる?! 当たり前だけど……(汗)

 川島の断髪に脊髄反射して、それに追随したけど、当初の笑顔もこわばる。

 後頭部をバリカンで擦られる、その振動がこそばゆい。

 前髪はフサフサ、後ろはズンベラボウになる(かの小林よしのり先生の名作「おぼっちゃまくん」のびんぼっちゃまを彷彿とさせるものがあった)。

 オジサンはバリカンを巧みにスライドさせて、側頭部の髪を剃り落としにかかった。

 ヴイイイイイイイィイイン

 があああああああーー!

 ヴイイイィイイイィイィン

 があああああああーー!

 バサバサ

と刈られた髪が肩の上に落ち、盛り上がる。

 ガー!

 ガー!

 ガー!

 サイドの髪が刈り尽くされ、前髪だけが残る。

 いわゆる

 大五郎カット

にされてしまった。

 ――ああ〜!

 オジサンとしては、柚奈が精神的ショックを受けないよう、後ろから徐々に刈っていったのだろうが、これはこれでショッキングだ。

 残った前髪も端から順々に剥された。

 バサリ

 バサリ

と雨どいを伝う滴みたいに、前髪は落ちていった。

 クリクリ坊主(クルーカット?)になる柚奈。

 ファーストカットからわずか三分間のことだった。

「…………」

 あまりに凄まじいバリカンの仕事ぶりに、呆然となる。

 ――お地蔵さんじゃん……。

 見慣れない顔剥き出しの自分。

 カワイイ、と無理やり思い込もうとするも、違和感は拭えない。

 オジサンは丸い頭を舐め回すように、バリカンを走らせ、整地していく。

 ヴイイイイイイイィイイン

 ざあああああーー!!

 ヴイイイイィィイイィイイン

 ざあああああああああ!

「はい、できたよ」

「……」

 柚奈は恥じらって頬を染めた。無言でペコリと坊主頭を下げ、店を出た。かなり浮足立っていた。

 ――帽子かぶってくりゃ良かった〜(><)

と後悔したが、先に立たず、だ。

 心臓ドキドキ。

 足取りフワフワ。

 雑踏の中、自分の頭に突き刺さる好奇の目を感じつつ、

 ――川島先生に――

 この頭を撫でてもらいたい、と何故か無性に思った。

 思った次の瞬間、柚奈の右足はコンクリートを踏みしめていた。

 力強く――


      (了)






    あとがき

 リクエスト小説第11弾は「クラクラです 運動部の反省坊主小説お願いします」とのリクエストからです。クラクラさま、初めまして! リクエスト、どうもありがとうございます♪
 結構王道な題材です。この間、ネットで「千円カットの床屋も値上がりしてた〜」という情報があり、早速使わせてもらいました。
 3月も年度末で忙しく、プライベートでも色々大変で新作アップロード遅れてしまい、本当にごめんなさい(汗) 迫水の不覚です。言い訳しません! ……あ、してた。。
 さて、リクエスト大会はまだまだ続きますよ〜! 延長しますね。もうリクエストした方々は忘れてしまってるかも知れませんが(^^;) 次回はGW前にはアップロードしますね!  ここまで読んで下さり、本当にありがとうございました(*^^*)(*^^*)



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