作品集に戻る


国民の敵


 これはマニアの御伽噺と思ってください。



 某国で起きた出来事である。



 ネットで情報を集め、それらを精査し、推理し、足で稼ぐ、探偵の如きスタイルで世の中の闇や不正を暴いてきた暴露系youyuberのZ氏。

 最近は或る政治家の公職選挙法違反について、つついている。来週には彼の政治生命も尽きるだろう。

 そんなZ氏の許に一通のダイレクトメールが届いた。そこから、この御伽噺ははじまる。

 ダイレクトメールには驚くべき情報が綴られていた。

『Y夫人のことを覚えていらっしゃるでしょうか』

とまずあった。

「ホウ」

とZ氏は目をしばたたかせた。

 Y夫人は三年前、国中を騒がせた女性である。Z氏ももちろん知っている。

 Y夫人は自ら手こそ下さなかったが、忌まわしき殺人事件の首謀者として司直に引き渡された。

 Y夫人は国内きってのセレブだった。夫は大企業のトップで、政財界の大物らとの交流(癒着)もあった。

 事件の前から、驕慢、偏執的、と一部には嫌悪する向きがあったが、彼女の犯罪が明るみに出るまでは、彼女の人格について国民は全くの無知だった。

 彼女には溺愛する息子がいた。

 息子には恋人がいた。二十三歳のOLだった。

 Y夫人は彼女の存在を苦々しく思っていたが、黙認するしかなかった。

 だが、讒言する者があった。

 その恋人は貴女方の財産目当てで息子と交際している。実は他の男と浮気をしているのだ。

と。

 Y夫人はそれを信じた。あらゆる手段を講じて「息子をたぶらかす女狐」の身辺を洗った。

 結果はシロだった。

 しかし、猜疑心の虜となったY夫人は、とうとうチンピラを雇って恋人を殺害させてしまった。死体は海に遺棄された。

 死体はすぐに発見された。素人の殺し屋による遺棄方法は杜撰に過ぎたのだ。

 警察は死体の身元を突き止め、その捜査線上にY夫人が浮かんだ。

 それから、すったもんだがあって――Y夫人の「お友達」の政治家や警察関係者が事件のもみ消しに暗躍したと噂されているが、おそらくは事実だろう――Y夫人は任意での取り調べを受けた。彼女はふてぶてしく容疑を否認していたが、決定的な証拠をつきつけられ、黙秘した。が、元来心の弱い人だったので、追及に耐えきれず、ついに全面自供した。

 彼女の夫は腕利きの弁護士を集め、大弁護団を組んで、妻を援護した。

 それをバックに、Y夫人は法廷では一転して無罪を主張した。

 検察も一歩も退かず、法廷闘争は通常よりも長引いた。検察の強気な態度については、実は背後で、Y夫人の熱心な庇護者である某政党トップの政敵たちがバックアップしていたという風聞も、ネットでは流れている。

 弁護団は八面六臂の活躍をしたものの、数々の証拠や証言が提出されるに及んでは、Y夫人の精神鑑定を求めるほかなかった。

 何より、罪のない若い女性の理不尽な死に、国中が憤っていた。ネットを中心に、「許せない」「死刑にせよ」「徹底的に真相究明を」と怒りの声があがっていた。「美貌のセレブ妻」への嫉妬や反感もあった。

 メディアもY夫人の過去の「悪行」を掘り出して日夜報道し、国民の怒りを煽り続けた。

 この世論も検察を後押しし、司法にプレッシャーをかけていた。

 結句、一審二審ともにY夫人に下された判決は、無期懲役、だった。最高裁に上告したが棄却され刑が確定した。

 Y夫人は収監された。

 それでも、「判決が甘い」「死刑一択でしょ」「権力の横やりで極刑回避か」と世間は納得しなかったが、他のニュース同様、事件のことは段々と忘れられていった。

 Z氏も世間と同じく事件への関心は薄れていた。

 だが、匿名のタレコミから、事件の「その後」を知って、驚愕した。

 タレコミによれば、Y夫人は現在獄中にはいないという。

 彼女は病気で刑務所を出たという。しかも詐病だという。

 自分の主治医に診断書を書かせ、弁護士を使って何度も請求させて、合法的に出獄したそうだ。

 そして、一年間で数億というセレブ御用達のサナトリウムで、シャバの空気を満喫している、と情報提供者はいう。

 ――おそらくは身内の告発だろう。

とZ氏は察しをつけた。空前のスキャンダルだ。

 勿論、古強者のZ氏だから、軽率な真似はしない。十分に裏をとる。情報を集める。調べに調べ抜く。

 こういった点で、彼は他の同業者とは一線を画している。だからこそ、多くの支持者を得ているのである。

 ついにY夫人が隠れ住むサナトリウム、さらに個室の部屋番号まで特定した。チャンネル登録者数150万を誇るインフルエンサーの面目躍如だ。

 確証を得て、Z氏は動いた。

 Y夫人のいるサナトリウムへと愛車を飛ばした。

 件のサナトリウムの近くで張り込んだ。それは高原にある。空気もよく、眺めも素晴らしい。人里からも離れている。いかにも金持ち連中が好みそうな脱世間的高級リゾート地だった。病棟も病院っぽくなく、チューダー様式の建築だった。

 人の出入りをチェックする。

 確かにY夫人の夫の側近(Z氏はすでに彼らの顔や名前を頭に入れていた)が数日おきに訪れる。必ず「見舞い品」を携えて。

 ――やはり間違いない。

 Y夫人はこの建物の中にいる、とZ氏は確信した。そして、Y夫人の写真をチェックする。もう親の顔より見た写真だ。

 年齢はアラフィフながら、容色はちっとも衰えていない。シワを除くための整形手術も何度かしているらしい。目元の翳が、彼女の心の欠損を如実に表しているようにも思えるが、それさえ気にならなければ類まれな美貌といえる。

 白髪も一本もなく、麗しのロングヘアーを少女みたいに三つ編みにしていた。

 最後の確認を終えると、

 ――よし!

 Z氏はサナトリウムに踏み込んだ。多少強引なやり方でもいける、との老練な判断があった。

 案の定、セキュリティは緩かった。なにしろ、こんなところまで一般人が乗り込んでくるなどとは、サナトリウム側も考えてはいなかったのだろう。

 ずんずんと目的の部屋にすすむ。英国紳士の如き三つ揃いのスーツ姿のZ氏に、すれ違うナースたちも訝しむこともなく会釈してくる。

 ドアの前に立つ。

 コンコン、と形式だけのノックをして、ドアをあける。

 Y夫人はいた。

 デザートを口に運びながら、コメディドラマを視ていた。

 フリルのついた少女趣味な寝巻き姿だった。相変わらず美しい。少し太ったようだ。よほど快適で怠惰な暮らしを送っているのだろう。

 招かれざる客人の不意の訪問に顔色を変えた。

「だ、誰なの?」

 その顔も言葉もバッチリ録画されている。

「無礼者!」

と威儀を正して叫んだものの、化けの皮はとうに剥がれている。



 その一分足らずの動画はZ氏によって、ネットで拡散された。Z氏のこれまでの暴露の中で、最も反響を呼んだ。

 国民の怒りはすさまじかった。

 金とコネがあれば懲役すら免れるのか!

と大蛇の巣でもつついたかのような騒動になった。

 国会でも議論となった。この一連の不祥事に加担した夫や周辺の人間たちは次々と逮捕起訴された。

 Y夫人はまるで魔女であるかのように糾弾された。実際、彼女は牢屋の中でも傲慢で、法を破って差し入れを届けさせ、同房の女囚らにマッサージをさせ、給仕をさせ、気に入らない女囚がいれば、看守に命じて別の房に追いやっていた。そんな情報も世間にリークされ、人々の怒りに油を注いだ。

 Y夫人はふたたび刑務所へ引き戻された。

 彼女の後ろ盾はもうなかった。



「お帰りなさいませ、マダム」

 刑務所長Xは意地悪い微笑みを浮かべ、出戻った囚人番号「129」を迎えた。Y夫人より十歳ほど年下のようだ。

 Xは労働者階級出身のいわゆるノンキャリアで、元々「上級国民」のY夫人を憎悪していた。

 その憎しみは夫人の犯罪への「義憤」によって支えられてきた。

 さらに、その「義憤」に拍車をかけたのは、この受刑者の服役態度である。前述の権力財力を嵩に着ての傲慢な振る舞いについては、世間に流布している情報以上のものがあった。

 ましてや、詐病で獄中生活から脱するなど、刑務所長のXの奉職精神への侮辱に等しい所業だった。

 しかし、彼女の憎むべき「悪党」は今、全ての装飾を剥された丸裸の中年女性に過ぎない。

 Xは舌なめずりする。

 Xは少女の頃から、第三帝国収容所の悪名高き女看守たちについての書籍を密かに愛読し、彼女らのサディズムに傾倒していた。無論21世紀の法治国家では、そのおぞましい趣味を実行に移すことなど許されるはずもない。

 が、目の前で震えている「国民の敵」ならば話は別だ。

 なにしろ、ネットなど「Y夫人を牛裂きの刑に処せ!」などという過激な言説が、白昼堂々まかり通っているのだから。

 X所長は心の昂ぶりをおさえきれずにいる。通販で購入した革製のSM用ムチを、ビュンビュン振り回し、Y夫人の反応を楽しんでいる。

 X所長の周囲には女性看守たちが取り巻いている。皆、所長に心酔している。彼女たちは哀れな囚人に、攻撃的な視線を向けている。

「どうか……お、お慈悲を……」

 囚人はそう憐れみを乞うしかなかった。あたかも神仏に哀願するかのように。実際、この施設の中ではX所長らの権能は、神仏以上だといえる。

「W看守」

とXに呼ばれた女性所員が、

「はい!」

と一歩前に出た。

 その顔を見て、Y夫人は絶望の底に突き落とされた。

 Wは彼女が最初に収監されたときの担当だった。そのぶっきらぼうな対応にプライドを傷つけられた夫人が、「田舎者」と罵り、夫を通じて圧力をかけ、僻地へと左遷させた相手だった。

「……」

 愕然とする。今までやってきたことの報いが最悪な形で返ってきたのだ。

 夫人はもう言葉もなく、コンクリートの床に崩れ落ちた。

 Xたちの永遠のターンがはじまる。

「W看守、貴女の復帰祝いにトップバッターを任せるわ」

 X所長はそう言って、囚人用の散髪ハサミをWに渡した。

「ありがとうございます、所長。光栄です」

 Wはエレガントぶって、Xに一礼し、Y夫人の艶やかな髪にハサミをまたがせた。

 夫人は、

「嫌よ! やめてっ! やめなさいっ! このバカ! 私を誰だと思ってるのっ!」

と必死で抗うも、もうその神通力は雲散霧消している。

「身の程を知れ、129!」

 無情にもハサミは閉じる。

 ジャキッ!

 アラフィフになるまで執念で保ってきた髪が、ひと房、切り落とされた。そう、ありあまる富を投じて磨き上げてきた大人の美髪が――。Wの復讐の刃を受けて――。

 ジャキッ! ジャキッ!

「ああ!」

 Y夫人は悲鳴をあげる。

「嫌よ! 嫌よ! 酷いっ! 酷いわっ!」

 見苦しく泣き喚き暴れたが、三人がかりで抑え込まれた。

 夫人の醜態はXを大いに喜ばせた。彼女の嗜虐心をますます煽り立てた。

 我慢できず、

「貸しなさい」

とWの手からハサミをとりあげた。そして、整形手術で切開した二重瞼をひん剥いて、

「我々は民衆の代弁者なのよ」

とY夫人のざんばら髪を掴んで引っ張り上げた。

「痛いっ! 痛いっ!」

「この場でお前をイジメ殺しても、むしろ拍手喝采されるんだよ。わかるかい?」

 女囚は激しく嗚咽した。わあわあと泣きじゃくった。

「いい音で啼くんだねえ」

 X所長は喜色を浮かべ、握った髪を根元から切り刻んだ。

 ジャキッ! ジャキッ!

 半ちぎれの髪を残して、Y夫人の身体は床に放り出された。その耳元で、

「誤解しないで欲しいんだけど、これもお前のためなんだよ」

と看守の一人が囁く。

「これから入る新しい房は、地下にあってね、あまり快適とは言えないからさ。虫がわいたり、蒸し風呂みたいに暑かったり、ね。それと入浴も一ヶ月に一回になるから、長い髪じゃとても暮らせないよ」

 年間数億の部屋から、中世並みの地下牢へ。その落差にY夫人は卒倒しそうになる。

 満足した(飽きた?)X所長は、

「ほら、ちゃあんと整えてあげなさい」

と手下どもにハサミを渡し、後始末を命じた。手下たちは屍にたかるハイエナのように、夫人に襲いかかり、泣いてのたうつ彼女の髪を切れるだけ切り詰めた。

 ジャキッ! ジャキッ! ジャキッ!

 熊皮の如き漆黒の髪の上、女囚129は失神していた。ほとんどイガグリ坊主にされていた。

「本当の地獄はこれからだよ」

とXが吐き捨てるのが、混濁した意識の中、微かに聞こえた。



 そして、Xの宣告通り、暗黒の日々ははじまった。

 女囚129は暗くジメジメした地下房に押し込められた。

 同房の若い女囚にいじめられた。たまりかねたY夫人が抵抗すると、看守が駆けつけ、

「このトラブルメーカーが!」

と夫人だけが一方的に罰を受けた。

 国民が知れば大いに溜飲をさげるだろうが、この事実もまた闇の中へと葬り去られたのであった。


                  (了)








   
 リクエスト小説第10弾はキムキム様のリクエストでございます。キムキムさま、どうもありがとうございますm(_ _)m
 リクエスト通り某国で実際に起きた事件を基に書かせていただきました!……と言いたいとこですが、、、
 キムキムさんが仰っていた事件について、キムキムさんが詳細を教えて下さったのですが、自分でもネット等でいろいろ調べてみました。が、発端となった殺人事件の情報はめっちゃ少ない。。日本ではあまり知られていないのかな。。一応、本国のサイトでも調べてみたのですが。。セレブ妻の写真はどれもモザイクがかかっていましたね。やっぱ人権上まずいんでしょうね〜。
 不謹慎なのですが、被〇者の女性、めちゃめちゃツボでツボで、笑顔も明るくて、、、ただただご冥福をお祈りいたします。その女性の存在が自分がこの事件にのめり込んだ最大の理由かもしれません。
 事件も陰惨なのですが、その後の流れも酷い話で、国民の皆さんが激怒されたみたいで、日本のメディアでも取り上げられていたみたいですね。
 日本でもちょくちょく話題にのぼる「上級国民」の話で、ホントこういう話を聞くと萎えますね〜。こういうのは地道に頑張ってる人が元気をなくしてしまう意味で、罪深いと思います。どこの国でも「不公平は許さん」って気持ちは変わらないのでしょうね。
 キムキムさんが「刑務所は上級国民だと良い待遇があるんですかね?学校もそうだけど向こうから見ればただの囚人や生徒でしかないので、寧ろ嫉妬されてより酷い扱いを受けそうな感じもします。」と仰っていましたが、なんかありそう(^^;) 実際あっても表には出てこない情報でしょうね。暗黒街の帝王アル・カポネは服役してから囚人たちにいじめられたらしいですよ。かなり厳しい世界なのかも知れません>刑務所
 そうそう、たまたま機能ネットで知ったんですが、日本の刑務所は男性→丸刈り、女性は自由でシャンプー、リンス、ヘア留め、化粧水、乳液とか持ち込みOKらしいです。少なくとも日本の刑務所では女囚バッサリは成立しなさそうです。 ……と話がそれかけてますが、某国のこと全然知らないんですよ(汗) 〇流ドラマとかにも疎いし。まして、司法制度とか警察事情とか、ネット事情のこと、ジャーナリズムのこと、無知過ぎるほど無知です(― ―;
 で、「とんすら。」と同じパターンなのですが、事件について連日調べているうちに、「待てよ」と気づいた。ルポタージュならともかく断髪小説のジャンルで実際の事件を小説化したら不謹慎だと謗られまいか、怒られまいか、と。なので、出来るだけぼかしました。
 キムキムさんからは、細部にわたりアイディアを頂戴していたのですが、6〜7割しか盛り込めず、本当にごめんなさい(汗) ヒロインをイジメ切れなかった(^^;) キムキム様からはメッセも頂いていたので、近々お返事させてもらいますね!
 この稿の下書きを終えたとき、なんとなく元の事件のことをチェックし直したら、その日が被害者が亡くなられた日付だったことに気づき、まあ偶然ですが、ギクッとしました。真夜中だったし。
 今回はこれで失礼させていただきます。ではでは〜!



作品集に戻る


inserted by FC2 system