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個性派


   プロローグ


「最近うちの生徒会長おかしくね?」

と私立積桜中学(積桜学園中等部)の生徒らの間では囁かれている。

 ひそひそ話は続く。

「やばいよね」

「梅ケ谷中の文化祭で散々な目に遭ったらしいな」

「その話、みんな知ってるよ」

「ヤクザ教師に無理矢理髪切られたんだってね」

「生徒会長のロングヘアー、憧れてたんだけどなあ」

「なんでそのクソ教師はクビにならんの?」

「大人の事情ってやつでしょ」

「そんで、その結果が不思議ちゃんなわけ?」

 積桜の表看板とも言える美しき生徒会長・北野美優(きたの・みゆ)が姉妹校との交流のため、そこの文化祭(収穫祭)に行き、ちょっと頭のネジがはずれたその中学の教師の勘違いで、自慢の長い髪をバッサリ切られたという、その悲報は、積桜生を義憤に駆り立てた。とは言え、特に行動に移る者はいなかったが。

 両校の教師たちはあわてて談合して、この件を表沙汰にはしないことに決めた。

 生徒たちに向けても緘口令がしかれたが、人の口には戸が立てられない。噂は学校中を駆け巡った。何しろ前代未聞の珍事だ。

 そして、事態はさらに珍妙な方向へと発展する。

 当事者の北野美優がこともあろうに髪をオレンジに染め、登校してきたのだ。

 プライドの塊の彼女は、はからずも強制された、無様なオカッパ髪に我慢ができず、手を加えて、サブカル風ファッションへと落とし込もうと目論んだのである。ゆえに髪を染め、制服をカラフルにコーデして、さまざまなアイテム――ぬいぐるみだったり、奇妙なアクセサリーだっだりした――をぶらさげ、校内を練り歩いた。そして、いわゆる「不思議ちゃん」の人格を演じた。

 しかし、世論は残酷だ。

 同情から冷笑へ。

「北野さん、イタすぎ」

「あれはないわ〜」

と陰で嗤われている。



 積桜は自由な校風で世間に知られている。

 が、北野美優の外見や素行は、その許容範囲から明らかに逸脱していた。少なくとも、生徒会長の任にある者の在るべき姿からは、あまりに程遠かった。

 当然、職員会議の議題として挙げられた。

 集まった中等部高等部の教師の間で、議論は百出した。

 最終的に、彼女に注意、指導をする、という結論に至り、会議は終わった。



 教師らはそれぞれ家路につく。

 高等部の若き数学教師・中西(なかにし)は同僚の古文担当の梁瀬(やなせ)の後ろ姿を見つけ、

「梁瀬先生」

と駆け寄った。

 梁瀬はこの学園に奉職して四十余年という最古参で、そのくせ、平教員のままで存在感もなく、いつも職員室の片隅で居眠りをしている老人だった。他の同僚たちから侮られていた。だが、本人は意にも介していないようだった。

 中西は梁瀬の風韻が好きだった。どこか飄々としてつかみどころのない梁瀬に、仙人のような佇まいを感じていた。しきりに彼と接触して、彼の話――特に往時の積桜学園のことを聞きたがった。

 今夜も梁瀬をつかまえ、酒好きの老人を、

「僕がおごりますから」

と散々口説いて、雰囲気の良さげな小料理屋に、まるで客引きのように引っ張り込んだ。

 日本酒を酌み交わす。

「私は結構」

と梁瀬は若者の酌をやんわりと断り、手酌で飲んだ。

 さきほどの会議の話になる。

「北野美優のことですが」

と中西。

「はい」

「このままじゃ生徒会長の座から逐われてしまうんじゃないんですかね?」

「そうかも知れません」

 梁瀬老人は悠揚と盃を口に運んでいる。

「彼女、悪目立ちっていうんでしょうかね、わざと教師たちに反抗している節も見受けられますしね。まるで罰せよと言わんばかりじゃないですか。よっぽど、梅ケ谷中での一件を有耶無耶にされたことを憤っているのでしょうね」

「梅ケ谷の生活指導は、いくらなんでも職権乱用、いや暴行罪、傷害罪ですよ。もし北野美優の家族が訴訟を起こしたら、とんでもないことになるでしょうね」

「そうですねえ。この御時世ですものねえ」

「とは言っても、北野美優自身もとんでもない生徒です。あんな生徒会長は積桜学園始まって以来じゃないですか?」

「いや、そうでもないです」

 梁瀬はだし巻き卵をつまみながら否定した。

「え?」

と聞き返す後輩教師に、梁瀬は懐かしそうな顔で、

「いたんですよ、北野美優以前にも問題児の生徒会長が」

「へええ」

 中西は好奇心をくすぐられる。

「当時はね――」

 梁瀬はポツリポツリと語り始めた。

「70年代末から80年代初めに流行った校内暴力の反動で、学校による生徒への抑圧が強化された、まあ、”管理教育”の時代でしてね、さっき俎上にのぼった梅ケ谷中の教師みたいな連中がウヨウヨしていましたよ」

「積桜もですか?」

「意外に思われるかも知れませんが、そうです。生徒らへの抑圧は徹底してましたね。理事長が変わって生徒の自治が進んだのは、90年代に入ってからです。それまでは、今なら考えられないような指導や体罰がまかり通っていました。少なくとも私にとっちゃ愉快な時代とは言えませんでしたねえ」

「そんな状態の中で、今の北野美優のようなレジスタンスをしていた生徒会長がいたんですか? ちょっと信じられませんよ」

「昔の話ですよ」

「そんな〜、ここまで話したんだから最後まで聞かせて下さいよ〜」

「さてさて」

「勿体ぶらないで、ねえ、話して下さいよ〜」

「じゃあ、もしかしたら長い話になるかも知れませんが――」

と前置きして、老人は積桜学園の忘れられた歴史の一齣を話し出した。



   (一)悩む生徒会長


 積桜学園高等部三年生の富樫敬子(とがし・けいこ)は、普通よりそこそこ裕福な家庭に生まれ、普通よりそこそこ成績が良く、そして、普通よりそこそこ美人さんだった。

 ごく目立たないタイプの女子だったが、生徒会長の職に就いている。

 この当時の積桜学園生徒会の人事は、教師連の意向が大いに反映されていた。

 素直で従順な敬子は教師らの受けも良く、なので、「手駒」として、中等部の頃からずっと生徒会の役職に推されていた。

 そして昨年、生徒会長に祭り上げられた。

 敬子はそんな傀儡としての自身に、露ほどの疑問も抱いていなかった。

 淡々と事務をこなし、役目を果たし、先生たちに言われるまま、生徒たちを指導してきた。

 そう、今年の春までは……。

 しかし、敬子の内側で変化は少しずつ起きている。

 敬子は新しい自分を持て余していた。

 あるものと出会ってしまったから。



   (二)遊ぶ生徒会長


 きっかけは春休みだった。

 敬子は生徒会活動で知り合った某高校の生徒会長・勤子(いそこ)と遊びに出かけた。副会長の泰恵(やすえ)も一緒だった。

 勤子はすれたところがある娘で、敬子や泰恵を未知の――いかがわしい場所へと連れまわした。積桜の校則では出入り禁止のスポットばかりだった。

 ――補導されたらどうしよう。停学になったらどうしよう。

と真面目な敬子はビクビクしていた。勤子みたいな娘と関わるのではなかった、と後悔していた。

 泰恵の方は、

「こういうところ、初めてだけど楽しいね」

とすっかり順応していた。

「でしょ、でしょ」

 勤子はニヤニヤ笑いながら、悦に入っている。

 盛り場には、髪を派手に染め、奇抜なファッションをした若者たちがたむろしていた。彼らは平気で喫煙や飲酒をはじめとする不法行為をしていた。勤子はこういった連中と面識があるようで、

「元気〜?」

と声をかけたりしていた。

「おう勤子、久しぶり。ナニその娘ら? 可愛いじゃん。俺らにも紹介してよ」

 敬子は怖くて仕方ない。

 後で、

「富樫さん、怖かった?」

と勤子に見抜かれていた。

「う、うん……ちょっとね」

 勤子は腹を抱えて笑い出した。だいぶ愉快そうだった。敬子を軽侮する色があった。

「ああいうとこに出入りして、先生に怒られたりしないの?」

と訊くと、

「一応校則違反なんだけど、うちの学校、そんなにうるさくないから大丈夫」

「そ、そうなんだ」

 そっちは大丈夫でもこっちは大丈夫じゃないのよ!と内心思う。

「富樫さんたちさ、ああいう不良っぽいヤツらのこと、偏見の目で見てるでしょ?」

「え?」

「世間じゃ皆、アイツらを怖がったり、バカにしたりしてるけどさ――」

 言いながら、勤子は空き缶を蹴り飛ばし、

「教室でロボットか家畜みたいにズラッと並んで、教科書ひろげてる良い子ちゃんたちより、アイツらの方がよっぽど血の通った人間らしいわ。個性もあってさ」

「個性?」

 その二文字が敬子の耳に引っかかった。

「わかるぅ〜」

 泰恵は勤子の心酔者となっていた。

「やっぱ個性よ、個性。普通なんてつまんないよ」

 ――普通なんてつまんない、か……。

「ねえ」

と勤子は敬子の袖を引いた。

「最後に付き合って欲しいトコがあるの」

 敬子は泣きそうになった。もう一分一秒でも早く家に帰りたかった。

「私行くわ」

 泰恵は乗り気だ。

「敬子も行こっ」

 二人がかりで引っ張られ、敬子は断ることもできない。



   (三)燃える生徒会長


 連れていかれたのは、繁華街の地下にあるライブハウスだった。

 最近、第何次かのバンドブームで、こういったライブハウスやアマチュアバンドが雨後の筍みたくあちこちに出現していることは、なんとなく知っていた。

 が、敬子は全然興味がなかった。自分には縁のないものと思っていた。

 すでに階段まで音響は漏れてきていた。

「間に合った! ほら、早く早く」

 勤子にせかされ、ドアをくぐると、耳をつんざくようなノイズの洪水。敬子は押し戻されそうになる。

 ――うるさい!

 むっとする汗の匂い、ヤニの染みこんだどす黒い壁や床、アウトローっぽい客層、そんなアンダーグラウンドな雰囲気に敬子はおびえる。

 ステージの上では男女混交の5人組が爆音でロックを演奏している。全員、ロンドンパンクから影響を受けた派手なファッションをしている。彼らは汗を流し、髪を振り乱し、熱演している。

 勤子が何か言った。うるさくて聞こえない。

「え?!」

と敬子は聞き返す。

「あのギターの娘、うちの副会長なんだよ!」

「そうなの?!」

 敬子は度肝を抜かれた。

 まじまじとステージを見る。髪を逆立てて、けばけばしく装い、プレイに没入するギター少女に目が釘付けになる。その立ち姿に見惚れる。

 ――かっこいい! それに……

 なんて個性的なのかしら!と敬子は憧れの念を抱いた。

 瞬間、スイッチでも入ったかのように、騒音(ノイズ)が音楽(ミュージック)に変わる。

 演奏もクライマックスに達し、観客も熱狂する。

「ほら、敬子もジャンプジャンプ!」

 勤子はいつの間にか呼び捨てで敬子を煽ってくる。

「う、うん」

 煽られて敬子も周りに合わせ、不器用に飛び跳ねる。

 そうしているうちに、彼女も熱狂に巻き込まれていく。激しいビートに身体を揺らし、鳴り響くリズムに心を解放させた。

 夢中で飛んで、跳ねて、叫んだ。自分がまるっきり別人にでもなったかのような気分だった。

 ミュージシャンのクリッシー・ハインド曰く、

『ビートルズの「抱きしめたい」を聴いたとき、宇宙がひっくり返ったの。この曲が私の人生を永遠に変えたのよ』

 こうした十代の頃に経験する、

 ロックの洗礼

を敬子も遅まきながら受けたのである。

「最高〜!!」



   (四)叛く生徒会長



 ずっとクラシック音楽やアイドルポップスを愛聴してきたが、現在は飢えたようにロックミュージックを聴きまくっている。ハードロック、パンクロック、ヘビーメタル、サイケデリックロック、グラムロック、フォークロック、プログレシックロック、海外勢から日本のロック、オールディーズからインディーズまで手当たり次第に聴いていた。

 親はいい顔をしない。勿論叱ったりはしないけれど、だいぶ戸惑っているよう。

「最近はショパンは聴かないの?」

と遠回しに訊いてくる。

 敬子は自分で不思議だった。親が面白くなさそうにしていると嬉しくなる。何故だろう。

 世間ではこういう状態を、

 反抗期

という。

 敬子は17歳にして反抗期に突入した。

 まずはステレオのボリュームをあげるところからスタートする。

 親に怒られた。敬子は言い返した。初めて娘に口答えされて、父も母も動揺していた。それが敬子にはますます愉快だった。

 勤子とのネットワークで「個性的な友人」も増えた。

 彼女たちから色々と楽しい経験談を聞く。入ってはいけない場所に入り、やってはいけない無茶なことをやったり、現在でいう迷惑系ユーチューバー的な行為だが、その是非は今は置く。

 そんな「武勇伝」に敬子は感嘆する。羨ましく思う。

 「つまらない自分」がホトホト嫌になる。そこから脱却するべく、そういった友人とつるむようになる。絵に描いたかの如き「中二病」である。

 厳格な学び舎にも、敬子はつむじ風を起こす。

 最初期はこっそりと下着やシャツなどの見えないレベルでの反抗から。

 そこから堰を切ったように、敬子は「堕落」していった。メイクをほどこし、長い髪も結ばず、制服をだらしなく着流して、それらを見せつけるように校内を大股で闊歩する。

 ――私って個性的!

と気分は高揚していた。つまらない自分とはオサラバだ!

 頭の中では反抗のテーマみたいにロックミュージックが流れている。

 当然教師たちは驚き、敬子を押しとどめようとする。

 この前も生徒指導のN先生に廊下で呼び止められた。

「おい、富樫!」

「なんですかぁ?」

 校内限定で無謬の権力を持つ中年男性に、気怠そうな流し目を送る。

「なんだ、その短いスカートは!」

「短いですかぁ〜?」

「親御さんも心配しておられたぞ」

「へえ〜」

 もう素直で大人しい優等生は存在しない。軽蔑するような、挑発するような目つきや態度で、権力者に相対する。

「職員室でも問題になっているぞ。そんなふうな不遜な態度をとるなら、内申書がどうなるかわかってるんだろうな?」

「どうぞ、好きなようにすればいいんじゃないですかぁ?」

「コラ、待て! 富樫っ!」

 実は敬子も緊張していたが、元々好きではなかったNを振り切って、胸がスッとした。



   (五)危うし生徒会長


 ここで、この物語最大のキーマンを紹介したい。

 名張恒夫(なばり・つねお)55歳。倫理担当。生活指導主任。戦中世代で筋金入りのスパルタ教育主義者だ。

 あだ名は、羅生門。

 その異名は、芥川龍之介の「羅生門」の登場人物――女主人の遺体から毛髪を抜き取る老婆に由来する。

 異名に違わず、名張は多くの生徒の頭髪を奪いまくった。常にバリカンを携帯している。もしわずかでも生徒の非違を見つければ、そのバリカンで寸毫の容赦もなく坊主に刈った。

 生徒たちは彼を閻魔大王の如く恐れた。理事長はじめ学校側もPTA側も名張の蛮行を容認していた。

 名張は増長した。その日の気分で生徒に難癖をつけて、鉄拳を振るい、校内の坊主率を増加させ続けた。

 学校の経費を堂々と使ってバリカンを購入した。自分の懐は痛まないので、年に何度も新しいバリカンを買い替えていた。

 近頃では生徒を丸刈りにした後、写ルンですでツーショット写真を撮り、戦利品みたいに他人に見せびらかし、

「ガッハッハ! ガキに舐められちゃイカンですよ」

と呵々大笑している。

 名張の暴君センサーは、すでに富樫敬子という反抗分子を察知している。

 敬子に魔の手が迫っていた。



   (六)染める生徒会長


 ――バンドを組みたい!

と敬子は熱望している。

 ステージの上でエレキギターをかき鳴らし、満場の喝采を浴びる自分をイメージして、そのナルシスティックな夢想に浸る。

 そして、ついにラインを大幅に超える決意をした。

 髪を染めた。

 しかもオレンジに。

 ポップなヘアサロンに行き、美容師を説き伏せ、黒のヴァージンヘアーをオレンジに染めさせた。

 長い髪は一気に潤いを失いパサパサになってしまった。カラーリング剤が頭皮に染みて、すごく痛い。

 が、イメージの中のロックスターみたいな髪になって、敬子は満足した。

「高校生?」

 元不良っぽいお姉さんの美容師に訊ねられ、

「うん」

と答える。

「先生に怒られたりしない?」

「関係ないわ」

 言い捨てて店を去る。充足感に満たされながら。

 しかし、どこか足が地に着いていない心持ちだった。足取りも心もフワフワして、オレンジ髪の少女は雑踏の中、歩いていった。



   (七)堕ちる生徒会長


 学び舎は騒然となった。

 オレンジの髪は、教師にも生徒にも強烈な衝撃を与えた。

 敬子は得意だった。注目を浴び、憧れのロックスターになったかのような心持ちになった。

 つまらない自分とは完全に決別した。これからは、個性的な人間として、学園生活を謳歌したい。できることならば「体制」を転覆したい。

 敬子は意気揚々と階段を昇っていく。



 一方、れいの名張は、最近贔屓のプロ野球チームが負け続けていることに、苛立っていた。先夜も黒星、これでとうとう八連敗だ。

 いつものようにその辺にいる生徒に因縁つけて、鉄拳かバリカンをお見舞いしてやろうと、凶悪な人相になって階段を降りていく。



 カツカツと昇っていく。

 ノシノシと降りていく。

 交差した瞬間、最悪の化学変化が生じるだろう。

 二十段、十段、七段、五段――

「富樫!!」

「羅生門!!」

 不倶戴天の二人は、ついに踊り場で鉢合わせしてしまった。

 名張は激怒した。かの校則違反の敬子を懲らしめねばならぬと決意した。

「なんだ、その頭は?」

 名張は低い声音で静かに問うた。これは、名張が真に怒っているときのトーンだ。

 敬子は身をすくめた。怖い。

 だが、勇気を奮って、威勢を保った。

「はあ? 何がですかぁ〜?」

と強がってみせたが、若干目が泳いでいた。

 名張にとって問答はこれだけで十分だった。

 ゴチン!!

 敬子の脳天にゲンコツが振り下ろされた。

「ぎゃふ!」

 敬子は痛さのあまり、頭を抱えてしゃがみ込む。初めて体罰というものを受けた。肉体的にも精神的にも大ショックだった。

 名張はポケットからバリカンを引っ張り出した。

 そして、敬子をその場に正座させ、有無を言わせずオレンジ髪にバリカンをあてた。

 ヴイイイィイイン、ヴイィイィィン――

 鳴り響く不気味なノイズに、敬子は我が耳を疑う。

 「羅生門」はたしかに危険人物だが、まさか女子にバリカンの刃(やいば)を向けてくるとは、思ってもみなかった。

 ジッ、

と染めた髪とバリカンが触れ合って、摩擦を起こし、激しく啼いた。

 ザアアアァァァ!

 額の生え際からツムジにかけてオレンジ色の髪が、真っ二つに引き裂かれた。すさまじい勢いだった。ボロダワシみたいな刈り跡が広々と通った。

「!!!」

 敬子は悲鳴をあげたかった。が、衝撃が強すぎて、声すら出ない。かろうじて搾り出そうとするも、

「あ……ああ……」

と口をパクパクさせるのみだった。

 ヴイィイィィン、ヴイィィィイィン――

 バリカンはボディを震わせ、咆哮する。

 頭皮に振動が走る。

 子供の頃のままのデリケートな頭皮は、昨日のカラーリング剤と今日のバリカンの二連コンボでかつてないダメージを被っている。

 しかもバリカンは好調ではない。ろくに手入れをしていないようだ。鈍った刃が髪にからみついて、

「いたああいっ!」

 ようやく叫び声が出た。

 名張は舌打ちした。

「このナマクラが!」

とバリカンに毒づいて、ふたたびポケットに手を突っ込み、替え刃とオイルを取り出した。さすが羅生門、手際よく刃を替え、オイルを溢れんばかりにボディに差した。

 敬子は元の品行方正な一生徒に戻って、

「すみません、名張先生!」

と詫びたが、今更謝っても、もう髪は修復不可能だ。

「五厘刈りにしよう」

 羅生門は常軌を逸している。謝罪の言葉にも耳を貸さず、バリカンを調節し直す。

 復調したバリカンの切れ味は凄まじく、野放図に分割されたオレンジの草叢を、バリバリと、それこそ毛根ギリギリ、極限までの短さで徹底削除していく。

 グワアァアアァアァ!

 グワアアァァアァ!

と豪快に、名張の職務上の相棒として、彼の手伝いを果たしていった。

 草叢は、グワアァァー!と掘り返される。深く削り込まれ、エロティックですらある青い頭皮を剥き出しにしていく。

 刈り除かれた毛髪は、

 バサリ、

 バサリ、

と名張ら管理する側のナワバリ上に散り落ちる。

 刈りが甘いと見るや、名張は貪欲に刈り直した。自分が納得いくまで、何度でも同じ箇所にバリカンを走らせた。

 敬子は「つまらない自分」に帰って、バリカンに耐えた。

 ヴイイイイイイイィィイイン

 グワアアアァァ

 青ざめた頭皮がみるみる浮き出た。

 いつしか周囲には人垣ができていた。

 バリカンの音のする方に集まってみたら、生徒会長が羅生門に処罰されている。皆、目を丸くしていた。

 野次馬の大半は怖々見守っていたが、一部の女生徒たちは、ここのところやたら粋がっていて目障りだった敬子が厳しく仕置きされているので、喜悦を隠せないでいた。

 見世物にされ、敬子は俯いた。

 名張は勝者の笑みを浮かべ、さらに過激にバリカンを繰った。

 多くの衆目に晒されながら、敬子の頭はゆで卵の如く、つるり!と剥きあがった。

 開校以来、初めての女坊主だった。しかも、生徒会長職にある女子の、だ。

「会長はやり過ぎた」

と野次馬の一人は後に回想している。

「いつかは罰せられると思っていたが、まさかバリカンで五厘刈りにされるとは予想もできなかった」

とその驚きを語っている。

「タイミングが悪すぎた」

と別の者は証言する。八つ当たりのターゲットを探していた名張と染髪したての敬子、両者の遭遇は酸鼻な「例外」をもたらした。



 だが、この加辱刑は結果的に敬子を救った。

 実は職員の間では、敬子を退学にする方向で話はすすんでいたのだが、彼女が坊主頭にされたことで、それ以上処罰を与えるのは妥当ではないのでは、という同情論が生じ、退学の件は最終的に白紙になったのだった。

 名張は「行き過ぎた指導」について、校長から注意を受けた。こちらも本来は刑事罰の対象になるべき行為だったが、当時の風潮のお陰で公に処分されずに済んだ。

 全ては学校という密室の中で隠蔽された。

 敬子は生徒会長の座を泰恵に譲り、書記に降格された。その後間もなく生徒会そのものからパージされた。

 校内では、学校側から支給された安物のカツラで頭を隠すよう命じられた。

 これで一連の騒動はとりあえずは落着したのだった。



   (八)笑う生徒会長


 さて、時間を断髪直後に戻す。

 五厘刈りの頭をガックリと垂れる敬子に、名張は、

「富樫、これに懲りたら、尼寺にでも入った気持ちになって心を入れ替えろ。真面目に大人しく学校生活を送れ。いいな!」

と言い渡した。

 敬子は無言でうなずいた。

「よしっ!」

 羅生門は勝ち誇った顔で、写ルンですで坊主頭の敬子と強引にツーショット写真を撮影した。恒例の儀式だ。

「笑え」

と言われて、敬子は無理に笑顔を作った。屈辱に耐えた。パシャリ。フラッシュが光った。

 レアなコレクションができて、羅生門はホクホクで、野次馬の中から数名の女子に命じて、敬子の髪を片付けさせ、悠々と去って行った。

「この写真欲しいヤツがいたら焼き増ししてやるから、後で職員室まで来い」

と言い残して。

 片付け係の中には意地悪な娘もいて、

「あーあ、こんなふうに散らかされていい迷惑だな。次の授業、移動教室なのに」

と聞こえよがしに言いながら、わざと面倒くさそうに箒で落髪を集めていた。

 敬子は恥ずかしくて顔を赤らめた。

 が、女子にとっては校内初の、且つ唯一無二のヘアスタイルに、

 ――あれ? もしかして、これってものすごく個性的じゃない?

とコぺルニクス的に気づいた。坊主頭の女性ロックアーティスト――例えばシネイド・オコナーを思い浮かべた。

 はからずも特別な髪型になって、彼女の頭の中にふたたびロックミュージックが蘇る。

 白い眼、好奇の眼、憐れみの眼の中、敬子はそれらの視線をはね返すかのように、微笑した。そして、ゆっくりと立ちあがった。

 頬を紅潮させつつも、笑顔のまま大股で歩き出す。

 廊下を往く五厘刈りの少女に行き交う生徒は皆、驚愕し、とっさに道を譲るが、敬子は構わず足を前へ前へと進める。

 頭の中の旋律と、心臓が刻むビートは、ピッタリと合致している。

 ロックミュージックは鳴り止まない。



    エピローグ


「まあ、昔から問題児はいたんですよ。問題児というより反逆児とでもいうべきでしょうか」

 そう語り終えて、梁瀬は盃で口を湿した。

 中西は、

「うーん」

とうなったきり言葉もない。やがて、

「管理教育の時代ってすごかったんですね〜。無茶苦茶じゃないですか」

と率直な感想を述べた。

「まあ、名張先生も晩年には孫を溺愛する好々爺に変わってましたがね。亡くなられてから、もう随分経つな。来月は命日でしたね。思い出せて良かった。お墓参りに行きましょうかね」

「もう故人でしたか」

「あの方は戦中世代でしたから」

「それで、その富樫敬子って生徒はその後どうなったんですか?」

 それが話の肝だ。

「無事卒業しましたよ。いや、無事じゃなかったか、一年浪人して有名私立大に入学しました。一浪したのは、テストの成績や内申書が振るわなかったからです」

「やっぱり更生できなかったんですか」

「音楽にのめり込んでいましたね。メンバーを揃えて、バンド活動をやってました。彼女はギターを担当してましたね、ヴォーカルも兼ねていましたよ」

「一応青春を謳歌できてたんですねえ」

「謝恩会ではそのバンドを率いて、演奏していました。間もなく解散したと聞いています」

「大学に行った後は音楽活動は続けたんですか?」

「さあ、どうでしょう。風の噂では、大学卒業後はどこかの会社に勤めて、そこで知り合った同僚の男性と結婚したみたいです。で、二人の子宝にも恵まれて、現在も元気で暮らしているんじゃないかしら」

「普通ですね」

「普通ですねぇ」

 老人はほろ酔いで頬を赤らめて、ニコニコと微笑んでいる。

「結局、個性的な生き方はできなかったってことですか」

「普通も個性でしょう」

「言い得て妙ッスね」

「人間身の丈に合った人生が一番ですよ」

「そうですか? もっと可能性を求めて挑戦してみてもいいようにも思いますけど」

「そう思ってあがいていても、最後には自分の器に相応した暮らしに戻っていくんですよ。そういう人、いっぱい見てきました」

「そんなもんですかねえ」

 若い中西はどこか得心できないでいる。人生論はひとまず置いて、

「シメにお茶漬けでも食べましょうか」

と言っていたら、少し離れたカウンターで、酔っ払いがクダを巻いている。

 イケメンというより「二枚目」といった古い語が似合う酔っ払いの男は、

「杉下さ〜ん」

と手酌で静かに飲んでいる連れの紳士にからんでいる。

「僕ってそんなに魅力ないですかねえ」

「いえ、そんなことはありませんよ」

 ダブルのスーツを隆と着こなした眼鏡の紳士は、二枚目をなぐさめている。

「あれ、陣川さん、またフラれたんですか?」

 もう一人の連れの男がニヤニヤと訊いている。

「うるさい!」

「まあまあ、他のお客さんに迷惑ですから、静かにしてくださいよ」

「あまり思いつめない方がいいと思いますよ」

「うわ〜ん」

「次はいい女性(ひと)が現れますよ」

 美人の女将も慰め顔でフォローしていた。

「出ましょうか」

と梁瀬の方から酒を切り上げた。きれいな飲み方だ、と中西は感心した。

 店を出る。半月が浮かんでいた。

 二人の教師は肩を並べて歩いた。

「どっかでうどんかラーメンでも食っていきますか?」

「いえ、私は今日はこれで」

「もうちょっといいじゃないッスか」

「あんまり遅くなると妻が心配しますから」

「そうですか」

 そう言われたら、無理には誘えない。

「そう言えば梁瀬先生の奥さんてどんな女性(ひと)がなんですか」

 中西はなんとなく訊いた。

「普通ですよ、普通。いいじゃないですか、そんなこと」

「普通? もしかして”敬子”って名前じゃないですか?」

という中西の冗談に梁瀬は一瞬虚を衝かれた顔をしたが、すぐに声を立てて笑い出した。

「そうだったら、さっきの話に素晴らしい落ちをつけられるんでしょうがねえ」

 こんなに笑う梁瀬を初めて見た。

「人生はそんな小説や映画のようにはいきませんよ」

「まあ、そうですね」

「普通ですよ、普通。普通もまた偉大なる個性」

 歌うように言う梁瀬老人に、

「そうッスかねえ」

 中西はやはり要領を得ぬ表情(かお)で、無意味に夜空を見上げてみたりもした。


            (了)



    あとがき

 こんばんにゃ、迫水でごんす。
 リクエスト小説第7弾はまたまた学園モノでございます。
「優等生的な生徒会長の女子高生が最後の学年に自分のつまらなさに不満になったり、他の生徒の面白い思い出に羨ましくなって、わざと厳しい校則を破っていた。ある日染めた髪で登校して、先生に呼び出されて、会長であるせいで五厘坊主にされちゃった。恥ずかしいけど満足げ顔で教室に戻る」とのリクエストを選ばせて頂きました! リクエストどうもありがとうございます♪
 手詰まり感が半端じゃなく、ちょっと書きやすそうなリクエストを、と考えてチョイスさせてもらいました。リク主様はもうちょっとライトなお話を期待しておられたかも、とリクエストを読み返しつつ思ったりもしてます。ご希望に添えていなかったら、本島にすみませんm(_ _)m
 なんとなく思い付きで、以前発表した「収穫祭の出来事」とリンクさせて、ヒロインを中学生にしたのですが、結構書き進めて、念のためリクエストをチェックしてみたら、「女子高生」ってあったΣ(゚Д゚) あわてて軌道修正しました。迫水も焼きが回ったのかな(大汗)
 何度も暗礁に乗り上げて、一旦寝かせて他の小説に移行しようかとも思ったのですが、折角ここまでめちゃめちゃ時間をかけて、分量もだいぶ書いたので、ここで中断させるわけにはいかない!と粘って、ますます泥沼状態に。。こういうのって、コンコルド効果っていうらしい(^^;)
 せっかく面白そうなリクエストだったのですが、迫水のパワー不足です(― ―;
 とネガティブモードだったのですが……。
 下書きをようやく終えて、いざワープロうちをスタートしてみたら、集中力が戻ってきたキタ――(゚∀゚)――!! ←古い?
 ガンガン書ける書ける! 良かった〜!!
 「教師が女生徒を丸坊主に」って話、よくよく考えてみたら、一度も聞いたことがないな。さすがに昭和でもアウトでしょう。そこをなんとか説得力を持たせようと書いてみたのですが、どうだったでしょうか??
 80年代のノリだったら「女子高生が頭の固い先生(大人)たちをやっつける!」みたいな痛快な筋立てになると思いますが、令和の今だともうそんな単純ではなくなってきているように思えます。世の中が複雑になってきているのか、成熟してきたのか、うーん、理由はわかりません。。
 迫水の中学時代も怖い先生がいて、その先生がかなりの巨人ファンだったので、巨人が敗けた翌日は「みんな今日の〇〇先生の授業は気を付けろよ〜」と警報が出ていました(笑) 元同級生と当時を振り返ると、「あの頃はヤバい先生が多かったよな〜」という話になります。懐かしいけど、戻りたくはない(笑)。そういった時代のお話も色々書いていきたいです。
 そうそう、最後に「相棒」ネタを入れましたが、自分でもいくら考えても理由がわからないです(^^;) ほんと、なんでだろう。。返す返すも不思議な作品です。
 ただ結果的にポジティブな気持ちで書き終えられて、嬉しいです♪
 長々とお付き合い下さり、本当にありがとうございました!



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