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へあどね。


 ファッ、

と翻った髪が淡い陽光に反射して煌めく。道行く人は――主に男性たちは思わず目が吸い寄せられる。

 たくさんの視線を背中に感じながら、宇佐見若菜(うさみ・わかな)は駅前広場を通り抜けていく。

「あの……すみません……」

 後ろから呼び止められた。

「はい?」

 振り返る若菜。腰までのキューティクルヘアーが、また、揺れる。甘い芳香が周囲に舞う。

 声をかけたのは、凡庸がスーツを着ているような、若い勤め人だった。若菜の髪に目を奪われていたが、ハッと我に返り、あわてて、

「ハンカチ、落としましたよ」

「ありがとうございます」

 柔らかな笑みとともに、差し出されたものを受け取る。若い男は頬を赤らめた。まだ青年の匂いが抜けきってはいない。

「じゃあ」

と若い男はギコちなく回れ右をして、去って行った。だいぶ未練そうだった。

 若菜は歩き出す。「目的の場所」に向けて。

 今し方の男のことはすでに忘れていた。



 話は遡って二日前――

 ヘアドネーション

というワードでネット検索をかけたら、

 気持ち悪い

というサジェストが候補に表示されて、若菜は鼻白んだ。

 確かに、どこの誰ともわからない髪の毛でできたカツラを、他人に提供するのに抵抗をおぼえる向きもあるだろう。

 ヘアドネーションとは――

『小児がん、先天性の脱毛症、不慮の事故などで、頭髪を失った子供のために寄付された髪の毛でウィッグを作り、無償で提供する活動。』(Wikipediaより抜粋)。

 条件については、31cm以上の髪であれば、よほどのダメージ毛でなければOKだという。

 ここ最近だと、

 ヘアドネーションは髪のない人々への偏見を助長するのではないか。

という意見もある。

 めんどくさい世の中だな、と思う。何が良くて何が悪いのかちっともわからない。いちいち取り合っていたら、何もできやしない。

 もっとも若菜は別に善行だけが目的なのではない。



 話はさらに遡る。

 小学生の夏休みの宿題、そう、誰もが苦しむ読書感想文で、大好きなおばあちゃんが勧めてくれたオルコットの「若草物語」、それが若菜の人生を変えた。

 ストーリーの一つのクライマックス――ヒロイン・ジョーが自慢の長い髪を売るくだりに若菜は震えた。奇妙な震えだった。

 怖いんじゃなくて、うまく言えないけど、とにかく身体がムズムズして、心臓が早鐘をうって、熱い息が漏れた。ヘンな気分になった。密やかな性的嗜好の芽生え。

 ジョーが髪の値段で、床屋の主人と交渉するところとか、

「この方がさっぱりして気持ちいいわ

「自分の髪を自慢して虚栄心を起こしそうだったけど、これでもいいわ

「切ったらさっぱりして、私もう二度と髪を伸ばそうとは思わないわ」

と短い髪を大肯定しているのも、グッときた。

 結局どんな感想文を書いたのかおぼえていない。ただ、なんとなく後ろめたくて、ジョーの断髪エピソードについて触れるのは避けた。それだけはおぼえている。子供なりの隠蔽工作。

 これをきっかけに、髪を切ることへの見方、感じ方は大転換した。

 若菜のお母さんは毎月第四日曜日に、娘の髪を耳下までのオカッパに切り揃えていた。

 「若草物語」以前の頃の散髪は、じっとしていなければいけないことが苦痛で苦痛で仕方なかった。

 でも、「若草物語」以降は、ハサミの冷たさ、切られた前髪が顔を流れるこそばゆさ、切ったあとの首筋の爽やかさ、なんかを愉しむようになっていた。

 ケープを巻かれてお母さんが散髪の準備をしている間のドキドキ感とか、切られた髪がケープに黒々溜まっていくさまとか、振り落とされた髪が箒でまとめられゴミ箱に注ぎこまれるときのバサバサッていう音とか、愉しみはいくらでもあった。

 素人美容師の弊害で、思い切り短くされたり、変な形にされたりもしたが、それもまた一層、若菜をコーフンさせた。

 高学年になってくると、もっと貪欲かつ巧妙になって、その気もないくせに、

「私もフッちゃんみたいに髪伸ばしたいな〜」

と、あえてお母さんが眉をひそめる類の娘の名前を出したりして、

「ダメよ、あんなだらしがない髪なんて! 子供のうちは短い方がいいの!」

と期待通り叱られて、感情的にバッサリいかれ、内心ゾワゾワ悦んでいた。やばい小学生だった。

 散髪日にわざと「脱走」して、猛追跡してきたお母さんに捕まえさせて、

「あんたって子は、四年生にもなって、ナニみっともないことしてるの! 世話焼かせないで!」

とほとんど虐待的にバッサリいかれた(いかせた)。お母さんに従っているふうで、実はコントロールしていた。したたかな少女だった。

 娘の髪を飾り立てて自己愛を満たす今時の母親たちと違い、時代錯誤な教育方針を貫く母親を持ったことは、フェチ的には「親ガチャ」は当たりなのかも知れない。あくまでフェチ的に。

「えー、まだお母さんに髪切ってもらってるの?!」

と友達には珍しがられた。侮りの色を浮かべる娘も中にはいたが、

「美容院行きたいんだけどね〜」

と若菜はいつも一般人のふりをして、受け流していた。



 中学に入ってからは、さすがに近所の美容院、いや、パーマ屋(死語)に通うようになった。

 入学にあたっての初美容院では、お母さんの厳命で、オカッパからマッシュルームのクソダサショートにした。お母さんはナチス将校みたいな冷厳な表情で、カット台の横、腕組みして娘の断髪を監視していた。

「前髪はもっと短く切ってくれる?」

といちいち美容師さんに指示を飛ばしていた。

 生まれて初めて髪がブロッキングされ、バッサ、バッサ、と髪が跳ね落ちて、マッシュルームショートになった。

 この人生最大のバッサリに、若菜は狂喜した。しかし、そんなフェチ心を押し隠し、苦い表情をつくっていた。しっかりと「従順な娘」を演じた。

 美容師のオバサンも、

「お母さんの言うこと、ちゃんと聞いてえらいわね〜」

と慰め顔で褒めていた。



 以来、成人するまで、若菜の髪はお母さんの支配下に置かれた。クソダサショートを保持させられた。

 若菜はちょっと不満だった。

 ――もっと短く切りたいのに!

 耳も出したいし、襟足も刈り上げてみたい。なんだったら、バリカンも入れてみたい。

 ネットの海で、同じ嗜好の人たちが集うサークルに漂着して、知り合いもできた。孤独は解消された。欲求はグングン高まった。若菜の趣味はよりディープになっていった。



 そこから時間軸は進み――

 若菜は母親の頸木(くびき)から脱した。

 家を出て、知人とルームシェアをはじめた。

 ルームメイトの三田村(みたむら)さんとはネットで知り合った。表向きはカタギのOLだ。自分のバッサリにも他人のバッサリにも興味無限大の、ゴリゴリのフェチだった。

 三田村さんにそそのかされるまま、ベリーショートにも挑戦してみた。

 初めて刈り上げられたときは、

 ――うわあああぁぁ〜!!

となった。刈られている間、未知の体験を脳裏に刻もうとしたが、コーフンし過ぎて、気がつけば男顔負けの短髪になっていた。

 そんなことを繰り返しているうちに、刺激にも慣れ、普通の断髪に飽き足らなくなっていた。

 そして、思いついた。

 髪を伸ばせるだけ伸ばして、それを一気に切ってしまったら、と。

 マラソン好きだったお祖父ちゃんが、昔、話してくれた。ジョギングとビールの話。

 一滴の水も飲まず走り込んで走り込んで走り込んで、喉が渇き切っても我慢して、ナイターが始まると同時に、冷えたビールを、グイッと飲む。これほどの快感はない、とお祖父ちゃんはよく言っていた。

 超ロングヘアーをバッサリとベリショにすれば、最高に気持ちいいはずだ。

 それから、若菜は髪を伸ばし出した。

 爪に火を点すような思いで、我慢に我慢を重ね、ロングを目指す。

 涙ぐましい努力を経て、二年でセミロングになった。

 三田村さんはまるで自分が我慢しているみたいに、

「もう切ってもいいんじゃないの?」

と、しきりにすすめてきたけど、若菜は断った。フェチの鑑とも言うべき若菜のストイックさに、三田村さんは呆れていた。



 ヘアドネーションのことを知ったのは、その最中(さなか)だった。

 せっかくだから自分の髪も寄付しようか、と軽い気持ちで決めた。とりあえず目標ができた。

 ――バッサリ切る言い訳になるしね。

 すでに31cm以上のロングだが、それだとショートのカツラにしかならないみたい。

 ――だったら、スーパーロングまで伸ばそう。

 モチベーションはグイグイ上がった。

 三田村さんは、

「ヘアドネなんて、フェチ的には”邪道”だよ」

と妙な説を唱えていた。

「”邪道”ってどういう意味?」

「長い髪を切りたくないのに切られる、っていうのが醍醐味なのよ。切るために髪を長くするなんて”養殖”よ、”養殖”。ちっとも面白くないわ」

「そんなエンタメ性を求められても困るよ」

 若菜は苦笑した。



 時は流れた。

 髪も伸た。先端はお尻まで届きそう。

 死ぬ思いでカットの誘惑に耐えた。何度、切ってしまいたい!という衝動に駆られたことか。

 その代わり、髪のケアに励んだ。

 ブラッシング、縮毛矯正、ヘアパック、オイルケア、頭皮マッサージ、紫外線対策、果ては食生活の改善まで徹底的にやった。生まれて初めての美髪作り。

 もう、ここまでのロングにすることもないだろうな、と思えば貴重な経験だ。

 「髪活」に入れ込み過ぎて、カットに二の足を踏むようになるかも知れない。そんな懸念もあったが、杞憂だった。

 鏡の前で、艶々光るスーパーロングを手櫛で撫で、

 ――バッサリいくぞ〜。

と心は勇む。綺麗な髪を寄付した方が、気持ちも良い。

 三田村さんは、どんどん磨きあげられていく若菜の髪に、目の色を変え、

「アタシに切らせて、切らせてぇ〜」

とせがんでくる。勿論断ったが、寝ている間に切られたらどうしよう、と怖くなる。夜は部屋にカギをかけてから寝るようにした。

 美髪に魅入られるのは、三田村さんだけではない。

 飲み会に行けば、男たちがしきりに寄ってくる。短い髪のときも、寄ってくる異性は一応はいたが、現在の方がけた違いだ。

 髪の長さは七難隠す

という古諺を実感した。

 だが、いくらオイシイ思いをしたって、断髪の意思は絶対に曲げない。やっぱりフェチの鑑だ。

 現在のスーパーロングヘアは、あくまで「仮の姿」に過ぎない。まったく惜しいとは思わない。

 いつ切ろうか、いつ切ろうか、とうずうずしている。



 ――時は今!

と戦国武将のように決断した。寒風吹きすさぶ年の瀬だった。

 新年はサッパリとしたベリーショートで迎えよう。そう決めたら、もう自分を抑えきれなかった。

 あらかじめヘアドネーションを受け付けている美容サロンを調べて、予約を入れていた。

 三田村さんには内緒で美容院へ。三田村さん、悪い人じゃないのだけれど、正直ウザい。

 気が逸って、約束の時間より早く着きそうになってしまい、少し店の周りをブラついて時間を調整した。

 途中、ナンパされた。超ロングになってからは、こういうのも日常茶飯事になっていた。無視した。

 ―― 一時間後の私が通りかかっても、きっとこの人、声かけてこないだろうな。

 そう考えると何故か痛快で、美男を見返り、クスリと笑った。



 満を持して、店に入る。

 センサーが反応して、チャイムが鳴る。

「いらっしゃいませ」

 小柄な若い女性が若菜を待ち受けていた。

「ご予約の方ですね、宇佐見様?」

 柔らかく微笑する美容師さん。若菜と同世代みたいだ。

「はい」

と答えながら、若菜は店内を見渡す。

 採光が素晴らしく、明るく小綺麗な内装だった。床はフローリング。スペースも広やかだ。カット椅子もゆったりとした皮クッションのアームチェアで、中高生の頃通っていた美容室とは雲泥の差だった。

「こちらへどうぞ」

と早速カット椅子に招かれた。軽くカウンセリング。

 寄付する髪を切った後は、

「うんと短く、ベリーショートにしてください」

「ベリーショート? 耳も出しちゃいます?」

「ええ。襟足も刈り上げて――」

「アグレッシブですね」

と話はみるみるまとまる。

 髪の長さが測られた。

「すごい! 78cm!」

と美容師さんは目を見開いている。

 髪は一日に0・3mm伸びるらしい。

 ざっと計算すれば、二千六百日以上の労苦の果実が、一時間足らずで無に帰すことになる。



 いざ断髪!

 丁寧に髪が小分けにされ、輪ゴムで6本に束ねられた。

「本当に綺麗な髪ですね。ここまで伸ばすの大変だったでしょう?」

と美容師さんに優しく言われ、

「はい。もう何年になるかな」

 若菜もつい感傷的な表情や仕草をつくってしまう。母の散髪の頃からの習性だ。

「きっと寄付された子も喜んでくれますよ。この長さなら、ロングのカツラも作れますし」

「そうだと嬉しいな」

 美容師さんはカット鋏を若菜に手渡し、

「最初は自分で切ってみますか?」

「え〜?!」

と驚きつつ、若菜は勇躍する。セルフカットなんて初めてだ。

 おそらくこの趣向(?)って、ファーストカットを入れたのは貴女自身ですからね、後で文句言われても困りますからね、というアリバイ作りなのではと邪推したりもする。

 ハサミを握り、刃を開いて、

「ここを」

と美容師さんが指さしてくれるところに、噛ませる。

 心臓がバクバク鳴っている。恍惚と不安。

 グリップに入れた指に力をこめる。

 ギチッ、

 ギチッ、

と刃に抵抗する髪の弾力が、ハサミを通して伝わってくる。あまりのコーフンに息遣いが荒くなる。

 ひと思いに、

 ――えいっ!

とグリップにさらに圧をかける。

 ジャキ、

 緩やかに髪が引き裂かれる。

 ジャキ……ジャキ、ジャキ……

 一束の髪が、手の中にあった。

「すごいっ!」

 若菜は目を丸くして感動した。

 彼女がフェチとは知らない美容師さんや店のスタッフさんも、笑顔で拍手している。

 切られた髪束は鏡の前――本人の前に置かれる。

 ――キレイな髪……。

と自分でも惚れ惚れする。が、勿論後悔はない。晴れやかな気分だった。

 美容師さんは返されたハサミで、残り五束の髪を、サクサク切り獲っていった。

 ジャキジャキ、ジャキジャキ、

 若菜のような素人と違って、軽やかで確かなハサミさばきだ。久しぶりに聞く髪を切る音。最高だ!

 髪束がひとつひとつ断ち切られていった。

 「収穫物」は淡々と、一束、二束、と若菜の前に並べられていった。

 最後の髪束が頭から切り離される。

 ジャキ、ジャキ、ジャキン!

「軽っ」

 思わず口走る若菜。

「でしょう?」

 美容師さんも笑顔で応える。

「すごい、すごい、すごい!」

 若菜はフェチの本性も露わに、目を輝かせ、歓喜する。

 オカッパになった。子供の頃の感覚がよみがえる。懐かしい。

 だが、これからが「本丸」だ。

 シャンプーの後、美容師さんはオカッパ髪を梳る。切りやすいように整えると、手早くブロッキングした。

 カット鋏をふるって――

 ジャキ、ジャキ、ジャキッ!

 左の内側の髪を、一気に切り落とした。小さな耳がパッと出た。モミアゲも削り込まれた。

 久しぶりに覗いた左耳が、エアコンの暖気を敏感に察知する。

 余勢を駆って、襟足も、バアアアアァァ、と思い切りよく刈りあげられる。首筋に金属が触れる。冷たさに一瞬首を引っ込めたくなる。

 ――ああ〜……。

 若菜はフェチモードを解き放つ。踊躍歓喜。法悦すらおぼえる。

 美容師さんが色々話しかけてくるが、切られるのに夢中で上の空だった。

 右側も吹き飛ばされるように、刈り落とされる。フローリングの床に舞い散る美髪、それがとても小気味いい。

 留められていた髪がとかれ、外側の髪がバサリと、短髪の部分に覆いかぶさる。また市松人形に戻る。

 艶やかな黒髪は、内側の髪に合わせ、婆娑婆娑と粗切りされていく。

 ますます軽くなる頭、これで肩こりから解放される。火照る身体。床を黒く埋めていく髪の残骸。鳴り続けるハサミ。顔や首から消えていく髪の感触。美容師さんの手によって変貌していく鏡の中の自分。

 それら、ひとつひとつをウットリと味わい、心に焼きつける。

 粗切りを終え、今度はシャキシャキとオーダーした形に、切られ、詰められ、刻まれた。じっくりと時間をかけて、仕上げられる。

 前髪も眉ギリギリにカットされた。

 ちょっと後ろの刈りが甘いかな、と不満に思っていたら、

 ブイイイイィイィン!

 バリカンでゾリゾリ刈られた。うなじの産毛ごと刈られた。

 バリカンは何度もあてられた。そのバイブレーションを感受し、心まで震える。

 刈り上げられた襟足を、

 チャッチャッチャッチャ――

と美容師さんはハサミで微調整する。

 若菜の後頭部には、フェチでない一般人でも見惚れるほどの、鮮やかな刈り跡が青々広がっていた。

 その刈り跡を、

 ――触りたい!

という誘惑に襲われるが、我慢。まだカット中だ。

 美容師さんは梳きバサミを使って、髪のボリュームを削いでいった。かなりギリギリまで減量された。

 残った髪の隙間から、スーッ、と暖かい風が地肌まで届いた。

 ――これは外に出たら、めっちゃ寒そう。

 想像して首をすくめる。

 が、すぐに至福の現在に帰還した。

 頭髪がゴッソリ消え、まるで無重力空間にいるみたい。自由と解放感が、若菜の五体を駆け巡っている。その快感にただただ酔いしれる。

「お疲れ様でした〜」

との声に、ハッと自分に戻ると、鏡の中、少年がこっちを見ていた。若菜だった。

 メンズヘアを参考にしたから、それはこうなる。

 ――よしっ!

 若菜はガッツポーズ。身体中の毒気が一気に引き抜かれデトックスされたような爽快感があった。

 新しい髪型になった自分は、

 清潔

というワードがジャストフィットしていた。

 眼前の髪束たちを見やり、

 ――私よりロングがふさわしい娘の役に立ってあげてね。

 密かに別れを告げた。



「ありがとうございましたぁ」

とお礼を言って、店をあとにする。

「寒っ!」

 師走の空っ風が頭に染みる。飛び上がるほど寒かった。アフター断髪対策のため、お洒落なマフラーを買っておいたのだけど、うっかり部屋に忘れてきてしまった。

 けれど、若菜の気分は最高だ。すぐそこのシューズショップから、微かに流れてくるポップソングに合わせて、ステップを踏みたくなるほどに。

 軽やか!

 爽やか!

 清らか!

 身体が宙に浮きそう。風と共に舞い上が――

 びゅううぅ

「クシュン」

 やっぱり寒すぎる。

 ――塩ラーメンでも食べていこうかな。

 この辺りに有名なラーメン店があるらしい。あらかじめグルナビでチェックしておいた。髪活でずっとラーメン食べていなかったし、久しぶりに、と思うと急にお腹が減る。

 今までは長い髪が丼に入らないように、かきあげながら手繰っていたが、今日からはズルズル勢いよくすすり込める。

 髪を失くした若菜に誰も振りむかない。ナンパ男も寄ってこない。ほら、一時間前声をかけてきた、あの若者も全く気付いていない。せいせいした気分。

 もうすぐ新年。新しい一年がスタートする。

 このヘアスタイルで新しい年を迎える。

 しばらくはこの髪型をキープしよう。というか、もうロングヘアはお腹いっぱいだ。

 ふと思う。

 ――あの髪は――

 これからも名も知らぬ女の子の許で生き続けるんだろうな、と。

 自分の髪でできたウィッグをかぶり笑っている女の子のイメージが浮かび、心が温もった。

 と、

 ――あ!

 若菜は足をとめた。

 ハンカチを拾ってくれた若い男性が立っている。若菜を見ていた。向こうはすぐに若菜と気づいたみたいだ。彼は意を決したように、こっちに向かって歩き出した。

 若菜はそっぽを向いて、気づかぬふりをして歩く。

 心の中では、

 ――ラーメンデートくらいならOKしていいかも。

なんて考えている。

 ――頭だけじゃなくて尻まで軽くなったか!

という三田村さんの昭和ツッコミが聞こえたような気がした。



(了)



    あとがき

 お疲れ様です。迫水です!
 リクエスト小説第6弾にして、2023年最初の小説は31歳ベリショ女子さまの「断髪願望のあるヒロインが「ヘアドネーション」を利用してバッサリ、というシチュエーションはいかがでしょうか。」とのリクエストにお応えいたしました♪ リクエスト、本当に嬉しいです! ベリショ女子さまの実体験から――なんと腰ロングからベリーショート!――だそうです。ですが、本稿は完全にフィクションであり、けしてベリショ女子さまをモデルにしたわけではございません。信じてくださ〜いm(_ _)m
 実はこの小説、「world end」「ザ・グレイト・リクルート・スウィンドル」と三作同時にアップする予定でした(だからストーリーの季節が年末なんですね)。
 が、書き進めているうちに、どうしても間に合わなくなってしまい、苦渋の決断で前二作を先にアップさせて頂きました。
 作中で三田村さんの口を借りて言ってますが、迫水もヘアドネーションは、「切るために髪を伸ばす」=「養殖」という思い込みがずっとあったのですが、それはそれで面白そうだなあ、と。それに超ロング→ベリーショートっていう素晴らし過ぎるバッサリは、今日日、ヘアドネーション以外にはなかなかお目にかかれませんもんね。すごく貴重だと思います。中には超ロング→坊主なんていう凄まじいケースもありますしね。
 ヘアドネについては、前の「喪服を法衣に着替えたら」でも出てきますが、勉強不足のせいで、だいぶ実際とはかけ離れたものになっています(^^;)
 この小説のアイディアを練っていたら、そのタイミングでキムキムさまからすごく鋭い御指摘を頂きました。目からウロコでした。そうなんですよ、やっぱり「断髪小説」なのだから、髪についての記述に主眼を置かなくては。。ビーチボーイズのマイク・ラブがリーダーのブライアン・ウィルソンに「ブライアン、方程式を崩すな! 海と車と女の子だ!」と迫ったエピソードが想起されます。
 キムキムさま、単なる鬼畜断髪愛好家だと思っていましたが(嘘です嘘です!)、とても参考になりましたm(_ _)m
 ……と、取っ散らかった文章になってしまいましたが(笑)、今年も懲役七○○年をどうか、よろしくお願いいたします!
 2023年は自分にとっても皆様にとっても、平和で幸せで発展的な年になりますように(-人-)



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