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ザ・グレイト・リクルート・スウィンドル


 仕立てたばかりのスーツが届いた。

 新田萌(にった・もえ)は着慣れぬスーツを着て、鏡の前、何度も角度を変えてはチェックし、

「う〜む」

 納得いかない様子で首をひねっていた。投げやりにターンしてクルクル、しまいにはバタッと畳に大の字になる。

「う〜む」

「何遊んでるの?」

 彼氏の脇屋準(わきや・じゅん)が尋ねる。

「う〜む」

「それはわかったから」

「とりあえずビール」

「萌サン、下戸でしょ」

「今夜は飲ませてよ〜」

 畳の上、駄々をこねる年上彼女に、

「スーツがシワになっちゃうよ」

 萌はゴロゴロをやめた。そして、いそいそと部屋着に着替えると、

「ああ〜、もぉ〜!」

 またゴロゴロ。

「結局、ローリングすんのね」

「だってさ、だってさ」

 萌はつぶらな眼を潤ませて、ぐいっ、と準に顔を寄せてきた。

丸みを帯びた目鼻、新選組局長のような大きな口、人懐っこいファニーフェイスを準は、

 ――かわいい……。

と改めて思う。

 とは言え、

「おすわり」

 萌は素直にチョコンと正座した。

「落ち着いた?」

「うん」

「じゃあ、さっきからのオムズガリの理由を話して」

「あのね――」

と萌は一呼吸置き、

「スーツが絶望的なまでに似合わないのよ、あたし」

「そ、そんなこと?」

 準はガックリ。まあ、いつもこんな調子なのだけど。

「まあ、確かに違和感はあったかな」

「でしょでしょ」

「でも、似合わないからってラフな普段着で就活できないでしょう」

「そこなんだよ、冤罪君」

「その呼び方、勘弁してよ」

「思いっきりヘンでしょ? スーツに着られちゃってるっていうか、馴染まないっていうか。あたし、もしかしたら就活に不向きなのかも知れない。いや、まだ機は熟してないのかも」

「つまり、まだ遊びたい、と?」

「いやいやいや、人聞きの悪いこと言わないでよ。あたしだって怠惰なわけじゃないよ。ただニ三年ほどバイトしながら人生経験を積んで、資格の勉強もして、よりよい就職先を探してとか、そういう道もあるかな〜って」

 モラトリアムを引き延ばそうとする萌の心底など、準はとうに見抜いている。

「僕に言わずにオヤジさんに直接言いなよ」

「冤罪君、いや、準クンからパパに話してくんない?」

「自分の人生の大事を他人に押し付けないでよ。だいたいバイトなら今もやってんじゃん? 資格の勉強って言うんなら、なんでもっと早くにやっておかなかったのさ。時間は十分あったでしょ。三年間のほほんと過ごしてきたツケだよ」

 彼氏に突き放され、萌は、

「だってうちの大学Fランだよ? 焦って就活したところで、選択肢は限られまくってる」

と論点をずらす。

「一年待っても十年待ってもFラン大学卒っていう肩書は変わらないよ。中学高校と勉強してこなかったのが悪い」

「自分だってFラン大のクセに」

「僕は仕方ないと自分で割り切ってる。自己責任だよ」

「その四字熟語、嫌いよ」

 正座に疲れて畳に寝そべる萌に、準は苦笑する。ほんと、どっちが年上かわかりはしない。

 別に萌が本気で論陣を張っているわけでないのはわかっている。愚痴とか弱音とか言葉遊びをしたいだけだ。

 「いい男」ならば、うーん、その気持ちわかるな〜、と共感してあげたり、君の言う通りフリーターっていうのもひとつの道なのかもね、と同調してあげたりするのかな、と考える。

 いちいち反駁するのも狭量すぎるかな、と自分でも思う。理屈っぽい男はモテない、と複数の異性から指摘されたりもしたし。

 ――僕の方が二つも年下なんだけどな〜。

 萌と出会った頃のことを回想する。窓から夜空を見上げる。星が美しい……と思ったら、米軍のヘリだった。



 準は中学高校と陰キャだった。大した希望もないまま、ダメな私大にすすんだ。

 櫻舞うキャンパスではすでにサークルの勧誘が始まっていた。

 一番最初に声をかけてきたサークルに入ろう!と準はおみくじを引くような気持ちで決めていた。

 野球サークルに声をかけられた。準は断った。野球が嫌いだったからだ。

 そして、次に声をかけてきたのが、今所属しているミステリ研究会だった。

 読書と言えばライトノベルがせいぜいだった準だが、これを機に、ミステリという文学ジャンルにハマッた。

 しかし、何十冊と言うミステリ小説を読んでも、一度も真犯人を当てられたことはなかった。理屈っぽいくせに思考に柔軟性がないのだ。

「こいつが犯人だ」

と毎回目星をつけるが、ことごとくはずれた。部員たちはそんな準のことを「冤罪君」とニックネームで呼んだ。

 それは置いておく。

 ミステリとの出会いよりも、もっとエキサイティングな出会いが、部室で準を待ち構えていた。

 新田萌だ。当時三年生。ミステリ研の副部長だった。

 初めて会ったとき、

 ――かわいいな。

と思った。けれど、それだけだった。年上だったし。

 女性に対してオクテ過ぎる準だったが、萌とはウマが合った。オープンな萌は、準が張り巡らせているバリアーをやすやすと通り抜けてきた。

 ちょっとエキゾチックな容貌だな、と思っていたらお母さんがタイの人だという。後に会ってみたら、かなり陽気な女性で、萌のあっけらかんとした性格は母譲りらしい。

 あえて瑕瑾をさがせば、ご母堂様、萌が四人兄弟の末っ子ということもあり、過保護なところがあった。ゆえに、萌については、子供だな〜、甘えん坊だな〜、と感じる部分も多い。

 副部長だけあって、かなりのミステリ通で、

「新田先輩、何かオススメのミステリありますか?」

と準が教示を乞うこともあった。

 萌はまん丸の瞳を、くり、くり、と動かして、思案して、

「冤罪君はね、まず海外の古典を読むべきだね。アガサ・クリスティーの短編なんかをガシガシ読めば、推理脳鍛えられるよ。試してみ」

「アガサ・クリスティーですね」

「そう、短編は文庫本で十冊以上出てるから、チェックしてみなよ」

「はいっ! ありがとうございます!」

 準はアガサを読まなかった。自分から訊いておいて。返事だけは良いヤツだった。

 夏休み前の或る日、大学の生協でハチ合わせて、そのままファミレスで食事をした。

 萌は今時ファミレスに入ったことがないと言っていた。こういうとこ、浮世離れしたお嬢様っぽい。

メニューを観ながら、

「へぇ〜」

とか、

「ほほ〜」

とか感心(?)して、

「じゃあ、コレとコレと、あとは〜、コレにしようかな」

とさっさと野放図に注文しようとするのを、

「あ、先輩、それなら、このセットで頼むとお得ですよ」

と整理してやった。

「ああ、そうなんだ! すごいね!」

と萌は無邪気に感嘆していた。

 食事をしながら、ミステリやその他の話題で4時間ぐらい盛り上がった。

 会計のとき、

「あ、僕が払いますよ」

とカッコつけたら、

「ほんと? ラッキー! ありがとう〜」

と萌は目を輝かせた。大食いの萌が結構オーダーを追加したので、バイト学生だった準のフトコロは痛かったが、れいの人懐っこい笑顔でお礼を言われて、むしろ得をした気分だった。

 この日を境に、近しかった準と萌の間は、さらに近しくなっていった。

 やがて付き合い出し、準の下宿で半同棲するまでになった。その際、萌の家族とも会った。お互い好印象を抱いた。

 出会ってから、まだ一年、だけど、随分遠い過去のように思える。振り返って驚くくらい濃い月日だった。



 そして、三年生を終えた萌は新たなステージへと突入しようとしている。

 就職活動

だ。

 大学の説明会に参加したり、社会人の先輩に助言をもらいに行ったり、スーツを買ったりと、萌もそれなりに動き出してはいるのだが。

 でも、気持ちがついていけず、就活前就活中の学生がしばしば陥るプチ鬱状態になっている。

 まあ、実際にこういう切所に立ってみなければ、わからない心境もあるのだろう。二年生になる準は思う。思っていたら、

「準ク〜ン」

 ぎゅっ、

と抱きつかれた。怪力。体温。柔らかな感触。シトラスの香り。そして、ありったけの体重。

「うわっ!」

 押し倒される準。

「準ク〜ン、〇×〇しよ〜」

「いや〜、〇さないでぇ〜」

 ※ ※ ※ ※

「うぅ……うっ……ヒドイや、萌サン……」

 シーツを噛む準。

「ふぅ」

 チュッパチャップスで「一服」する萌。ひとしきりゴロゴロして、余韻を楽しむと、

「なんか、実感がわかないなあ」

と呟くように言った。

「自分がスーツ着て、オフィスでバリバリ働いてるイメージがどうしても浮かばないんだよねえ」

 変わらずを得ない目の前の現実。その現実に、ぼんやりとした不安をおぼえている芥川龍之介、いや、萌だ。

「でもさ、一番思うのは……」

と言って、萌は言葉を途切れさせる。

「一番思うのは、何さ?」

と準は訊いたが、

「ZZzzz」

 萌はもう眠っていた。

「何だよ〜」

 これも、またいつものこと。



「う〜ん……う〜ん……」

萌はうなっている。もう待ったなしなのに。

 この間、ドッサリと面接のマニュアル本を買い込んできていた。今更過ぎる。しかも、ついでにミステリの新刊を二冊も買ってきていた。

 そして、今もまた、なんとかスーツを着こなそうと悪戦苦闘中。

「違和感がハンパないよォ」

 萌はすっかり煮詰まっている。

 その挙句、

「この髪のせいかなあ」

と言い出した。
(お待たせ致しましたm(__)m)

 萌はブラウンに染めたゆるふわのセミロングだ。陽性で華やかで軽やかな今時女子の彼女らしい髪。

「確かに就活向きとは言えないかな」

と準もポロリと同意する。

「やっぱり?」

「よくわからないけど」

「清潔感とか?」

「う〜ん、まあ、そうかなぁ。いや、別に今の髪型が不潔っぽいとか、そういうわけじゃないけど」

「あー、ネットにも本にもあった〜。清潔感だよ、セーケツカン!」

 大事なことなので二度繰り返す萌。

 そして、萌はスマホで「就活」「髪型」「清潔感」と、あれこれ検索をかけはじめた。今頃そんな基本的なことを?と準は呆れた。

 あーだこーだと調べて、

『面接官に好印象!』

『スーツがカッコよくきまる!』

『あふれる清潔感!』

『しっかりとした自分をアピール!』

などの謳い文句に心を鷲掴みされ、

 オン眉の黒髪ベリーショート

にすることを一人決めしてしまった。

「えーっ?!」

と準は不満を漏らす。

「そんなに切ることないでしょ。極端すぎるよ」

「あたし、中途半端なのがイヤなの。やるならトコトンやりたいの! ニュースキャスターみたいでしょう?」

「ニュースキャスター像、古っ」

「いや、でもさでもさ、このネット記事に”知性をアピールできる!”ってあるし」

「大して無い知性をアピールするのは詐欺でしょ」

「詐欺じゃない。戦略だよ!」

 「知性が無い」という指摘の方はスルーする。気づかなかったのか、確信犯なのか。

 ともあれ、萌は「知性にあふれ、清潔感があり、スーツ姿がキマっている就活生」というイメージ戦略に憑りつかれ、さっさとカットサロンに予約を入れていた。ご丁寧にも「ショート専門の美容院」をチェックして。

「ショート専門の美容院なんてあるの?!」

 陰キャ人生を歩んできた準には驚きの美容業界情報だ。

「じゃあ、もし、毛先を揃えるだけのつもりのロングの娘が知らずに入店したら、どうなるの?」

「知らないわよ。なんで、そんな架空の女子の心配をするのよ」

 萌が珍しくツッコミに回る。そして、一転、

「準クンもついてきてよ。一人じゃ怖いよォ」

と甘えてくる。

「今から、ここを出れば、丁度予約の時間だからさ」

「え〜っ、これから切るの?! 僕、まだ心の準備が……」

「なんで君に心の準備が必要なのさ。切るのはあたしだよ?」

「いや、でも……」

「デモもストもない! とにかく支度して!」

とドタバタ。電車に乗って、スマホで場所を探しながら、件のカットハウスに着いた。



 カットハウスは外観も内装もBGMも、何というか「湘南」ってコンセプトで貫かれていた。

 まずはカウンセリング。

「こういうふうにお願いします」

と萌はスマホでオン眉黒髪ベリーショートの画像を見せ、やたら日焼けして、やたらカジュアルな無精ひげのアニキと話し込んでいた。

 アニキの右腕には小さなドルフィンのタトゥーが彫りこまれている。海外では普通のオシャレらしいけど、ファッション系だろうと任侠系だろうと、陰キャは入れ墨が苦手だ。

「はい、バッサリと!」

と萌は勇ましく答えている。

「で、襟足は?」

とアニキは冷静に注文を詰めていく。けして、「えー、そんなに切っちゃうの?」とか、「もったいな〜い」とは言わない。来る客はショートカット希望者ばかりなので、いちいちもったいながっていては仕事にならないのだろう。

 逆に「やっぱりショートやめます」とオーダーを翻されても困るので、

「就活? そういう女の子、いっぱいうちに来るよ。やっぱショートの娘を会社は採るね」

と焚きつけるようなことを言う。萌もますます積極的になり、

「ずっとショートにしてみようと思ってて」

とノリノリだ。

「丁度この時間キャンセルが入ってね。ラッキーだったよ」

「そぉなんですか? あたしってショートの神様に愛されてるのかも」

 変な宗教起ち上げないでね、と準は店の隅で思う。

 ケープを巻かれる萌。

 ゆるふわのセミロングも霧吹きで、シュッシュッと湿される。髪全体が水気をたっぷりと吸って、しんなり。

 アニキはコームで髪を切りやすいように真っ直ぐに整えると、バックの髪に指を入れた。

 一掬の髪に、ハサミを高い位置からまたがせる。

 シャキッ! シャキッ!シャキッ!

 ハサミが軽やかに鳴る。

 バックの髪が切り獲られ始める。

 ブロッキングとかしないの?と準は目を瞠る。チョコチョコとカットしていくのかと思ったのだが、小学生の算術の如くシンプルで大胆だ。

 後ろ髪が颯々と断ち切られる。

 アニキは切り髪を獲ったそばから、ポイポイと床に放っていく。茶髪が、カット台の周りに散乱していった。

 引きこもっていた白いうなじが、少しずつ顔を覗かせる。

 シャキッ! シャキッ! シャキッ!

 バックの髪が溶けるように消え、うなじがもろに出た。その短さから察するに、ガッツリいくのだろうな、と準はソワソワ落ち着かないでいる。ここにいるのが場違いな気がする。

ほっといて欲しいときに限って、スポットは当たるもので、

「彼氏君?」

とアニキが準のことを、萌に訊いている。

「はい」

と萌は澱みなく答える。

「そう。今日は彼氏のご要望かな?」

「いや、完全にあたしの意思です」

「フーン」

と準を一瞥するアニキ。意地悪そうな目つきだ。陽キャは嫌いだ。

 バックの髪が無くなっても、鏡の中の萌はセミロングだ。萌は期待に胸を弾ませ、瞳(め)を輝かせている。ハイテンション維持中。

 左サイドの髪が、アニキの指でザッザッと――切りやすいように――手際よくまとめられる。そして、後ろ同様、指で適量すくいあげられ、耳の辺りで、

 シャキッ!

 そうして、またすくいあげられ、

 シャキッ!

 シャキッ!

 シャキッ!

 バッサリ粗切りして、まだ耳にかぶさっている髪を詰める。

ジャキ、ジャキ、ジャキ――

 細かな髪の断片がケープにこぼれた。

 右半分はゆるふわセミロング、左半分はベリショになる。まさに学生と社会人の狭間に、萌はいる。

 そのエグさに、準は、うおーっ!となった。

 勿論、ハサミは躊躇なく右の髪に噛みつく。

 シャキッ! シャキッ!

 一掬、一掬、と髪はラフにカットされる。バックや左サイドと同じで、切る分だけすくいあげられ、

 シャキッ! シャキッ! シャキッ!

 萌はちょっと恥じらいを垣間見せ、含み笑いしている。髪は冷酷に摘み取られていく。ゆるふわ髪はフニャリと床にのびている。

 右耳にかかる髪も、ジャキジャキ切り落とされた。

 流れるようなスムーズさで、萌の髪は短くなっていく。さすがショート専門の美容院、看板に偽りなし、だ。

 目の前で変貌を遂げていく恋人の姿に、準はいつしか身じろぎもせず惹きつけられていた。

 長い前髪が高々と持ち上げられ、チャキチャキと先の方を切られ、さらにもっと短く切り詰められる。萌は目を閉じて、落髪が入らぬようにしている。

 全体の粗切りが済むと、今度は形を整えられる。で、ボリュームを抑えるため、あちこちとはさまれた。毛屑がケープに溜まっていった。

 最後に電気シェーバーで、首筋の産毛をブィンブィン剃りまくられた。

 スッキリとした短い髪をカラーリングして、シャンプー、そして、ドライヤーがあてられた。

 グシャグシャと力強く髪がかきまぜられて、乾ききると、アニキは巧みな手さばきで、ササッ、ササッ、と髪をセットする。

 萌の顔からはもう笑みは消えていた。じっと鏡を睨んでいる。別に不満があるわけではない。新しいヘアースタイルを入念に吟味しているのだ。

 たちまち髪に動きがつく。その技術、マジカルだ!

「これで内定間違いなしだよ」

とアニキが太鼓判を押す、その髪型は、萌の所望通りのオン眉の黒髪ベリーショート。耳は全部出し、モミアゲも刈り整えられ、襟足は短く切り詰められ、眉毛もクッキリ。

凛として、少し昔のドラマのキャリアウーマンみたいだった。フレッシュでストイックでクール!

 ケープを外され、渡されたコートを羽織り、

「さあ、行きましょ」

と新しくなった恋人に声をかけられ、準はドギマギ。完全に大人っぽく――年相応になった萌である。シャンプーと一緒に童臭も流し落とされてしまったのだろうか。

 すっかり人変わりしてしまったような萌に、準は気後れして、数歩後ろを歩く。萌は背筋をスッと伸ばし、早足で家路を辿る。

 数歩先の距離なのに、萌がもっとずっと先を歩いているみたいな錯覚をおぼえ、彼女が別世界の住人になってしまったかのような寂しさが、準の心の中に漂っていた。

 目の前にはもうフワフワと揺れる髪はない。刈り込まれた黒髪が、三月の夜風を受けながら、見ているだけの準を寒からしめる。

 空腹だ。ファミレスや家系ラーメン店の看板を見かけたけれど、

「入ろうよ」

とは萌に声をかける勇気はなかった。

 戸惑いながらも、

 ――冷蔵庫空っぽだったから、今夜はお茶漬けだな。

と図太く考えている準もいる。



 お茶漬けをかき込んでいる間、萌はれいのリクルートスーツを素早く身につけていた。

 そして、姿見の前に立ち、

「おお〜!」

と一人で感動していた。

「これだよ、これ! 見てよ、準クン!」

「はいはい」

 夕食を手早く片付けると、準は萌に向き直った。

「!!」

 オン眉の黒髪ベリーショートが所を得たように、スーツ姿にハマッている。年上彼女は満面の笑顔で、胸を張り腰に手をあてている。

 知性と落ち着きを感じる。イメージ戦略はひとまずは成功だ。

「いいね」

 準は素直に褒めた。

 五時間前には同じ畳の上で、

「うにゃあぁ〜」

と、ゆるふわセミロングを敷き込みながら、ゴロゴロ転がっていたのに。

「似合うでしょ?」

「似合うよ。清潔感もバッチリだよ」

「嬉しい!!」

 萌は仔犬のように準に抱きつく。

「萌サン、スーツにシワができちゃうでしょ!」

と注意されても聞かない。ついには、

「準ク〜ン、食べちゃうぞ〜。ガオ〜!」

などと、怪獣の真似とかしてくるし、せっかくクールビューティーに変身したのに、中身は変わっていなかった。だけれど、自分を見上げるクリクリした目に、準は安堵していた。

 もし、萌が社会人になったら、まだ学生の自分と付き合い続けられるのだろうか、とぼんやり考えた。オフィスとキャンパス、それぞれの住む世界は分断されて、この恋は終わりを告げてしまうのだろうか。そんなネガティブな未来を想像して、不安になる。

 黙り込む準などお構いなしに、萌は壁にもたれて新刊のミステリのページをめくり始める。

その本を、

「没収〜」

と取り上げる。

「なんで、なんで、なんで〜?!」

「今は就活のマニュアル本を読んで勉強しなさい。せっかく買ったんだから」

「冤罪君のイジワル〜。バーカ、バーカ、あんたの母さんデーベーソ」

「いいからやる!」

「はいなっ!」

 怒られて、そそくさとマニュアル本をひろげる萌。

「いいかい?」

と準は言い聞かせる。

「これから、萌サンはおバカで不器用でオッチョコチョイで甘えん坊でだらしがなくてサボリ魔な本性を隠して、知的でクールでしっかりとして仕事ができそうなキャリアウーマン候補生っていうニセの自分を優良な会社に売り込む詐欺犯罪に挑むんだからね」

「言い方、なんかムカつくけど……。できるよ、あたしなら!」

 髪型のせいだろうか、萌は根拠のない自信をみなぎらせている。どうか面接で馬脚を露しませんように。

 萌がマニュアル本と格闘している間に、準は没収したミステリを開く。

 読み進めるうちに、

 ――この女主人が怪しい。

と推理した。

 例によってまた間違えてしまうか、それとも「初白星」なるか。それは最後のページまで読んでみなければ、わからない。

 ――とにかく読み続けよう。

 ひたすらページをめくっていく。

 この長さなら、夜中には読了できそうだ。

 ふと顔をあげ、窓から星空を眺める。あ、流れ星!。……と思ったら、やっぱり米軍ヘリだった。

 ヘリはゆっくりと基地に向けて飛び去っていった。



(了)



    あとがき

なんとか間に合った!!
 リクエスト小説第5弾でございます♪ 5弾目にしてようやくお店でのカット(^^;)「おかえり」シリーズの産みの親様のリクエストです! リクエストありがとうございました! ご希望に添えたでしょうか?
 小犬っぽい彼女ってどんな感じだろう??と調べてみて、「犬系女子」というワードを発見! 人懐っこくて寂しがり屋で、とほんとは結構好きな型なのですが、書いてみると難しい。
 今回かなり難しかったです。でも面白そうな話だったので選ばせて頂きました♪
 この前に書いた「World‘send」が殺伐としたお話だったので、切り替えができず、全くすすみませんでした。それで開き直って、自分の中での禁じ手を解禁したら段々ノッてきました。こういうときが、一番楽しくて時間を忘れます。
 お陰で断髪シーンまでが長い長い(汗)
 もしかして、今回初めてストレートな就活モノでしょうか?
 就活のため髪を切る女性も現在でもいるらしく、就活バッサリ、掘っていくとすごい埋蔵金が眠っていそうです(^^)
 忘れかけていたんですけど、サイト初期、「私立バチカブリ大学・春『脱処女』シリーズ」と銘打って、就活に失敗した寺娘が「家業」を継ぐべく出家というネタ(ソースは当時の2chの書き込み)に挑んだのですが、そんなに擦れるネタでもなく、シリーズ化できなかったのを思い出しました。
 そうそう、ショートカットの専門店があることもちょっと前に知りました。情弱を晒しまくってお恥ずかしいです(― ―;
 まだまだ書きたいこと、言い訳したいことはありますが、今回はこの辺で。
 今年もありがとうございました!  どうか、来年も懲役七○○年をよろしくお願いいたしますm(_ _)m



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