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比呂美と優斗〜十年の物語


  プロローグ・教室にて


 生まれたときからの腐れ縁

というものが、桜田比呂美(さくらだ・ひろみ)と吉住優斗(よしずみ・ゆうと)の間にはある。

 同年同月同日に生まれ、母親同士も仲良しなので、物心つく前から一緒にいた。幼稚園も一緒、小学校も一年生から四年生までずっと同じクラスだ。

 幼い頃から天然パーマのクルクルヘアーをこんもり茂らせている比呂美に、腕白小僧の優斗はしょっちゅうからかったり、ちょっかいを出したりしていた。

 ほら、今日だって――

 比呂美が教室で、同級生の女子たちと話していると、

「あっ、蚊取り線香かと思ったら、比呂美の髪か」

と意地悪を言ってくるし。憎たらしいヤツ。

 比呂美も比呂美で言われっぱなしになってはいない。

「黙れ、優斗」

と戦闘態勢。

「おおっ、と、天パー妖怪が怒っています。人間を襲う恐れがあります。皆さん、避難して下さい。ここから先は立入禁止区域です。入れば天パーになってしまいます。これは演習ではありません」

と実況中継の真似事をして挑発してくる優斗に、

「そんなアホなことしてないで、素振りのひとつでもしな。だから一度もレギュラーになれないんだよ」

と比呂美はそのアキレス腱を突く。

 この切り返しに、

「う、うるせえ!」

 優斗は顔を赤らめて怒る。

 この二人、同じ少年野球チームに所属している。ここでも腐れ縁だ。このことについては、おいおい語っていくことにしよう。

「来年からはお前と別のクラスにしてもらうように、先生に頼んどくからな」

「是非そうしてよ。こっちだって、アンタと同じクラスなんて、もうウンザリなんだから」

「この天パー妖怪!」

「万年補欠!」

 そんな、いつもの光景に、

「あいかわらずよくやり合うよねえ」

 クラスメイトはニヤニヤ。

「ケンカするほど仲が良い、ってか」

「夫婦喧嘩は犬も食わぬ、ってか」

「「夫婦じゃない!」」

 比呂美と優斗は寸分の狂いもなく、ユニゾンでシャウトした。



   第一部・はじめてのぼうず


 比呂美は春休みが終われば、小学生五年生になる。そのことについて、本人も周囲も大した感慨もない。

 兄の小太郎(こたろう)の方が人生の節目だ。

 小太郎は四月から中学生。少年から青年への羽化の段階を迎える。

 比呂美と小太郎は兄弟仲はすこぶる良好。比呂美は兄に懐いているし、小太郎も妹に優しい。

 だから、比呂美は兄の後を追って、リトルリーグに入った。まだまだ女子球児は少数なので、チームの中でも目立った。

 運動神経の良い比呂美はたちまち頭角を現し――チームがさほど強くないこともあり――小4にして試合に出してもらえるようになった。

 キャプテンの小太郎に、

「比呂美、もっと声出せ! 走れ! 何やってんだ!」

とスパルタ式に指導されても、

「バッチコーイ!」

と白球に喰らいついていく、そんなガッツもある少女だった。

 小太郎は中学に入学しても、野球を続ける予定だ。

 ただ、中学の野球部は坊主刈りがきまりで――それも五厘刈りだ!――そろそろ色気づいてきた兄は、心揺れていた。

 しかし、春休みの或る日、中学に練習を見学に行って、やはり野球だ、と心を決め――「桜田〜、お前も勿論野球部希望だろ?」という先輩たちからのプレッシャーもあり、帰りに床屋で頭を丸めてきた。

 坊主頭で帰宅した兄に、

「お兄ちゃん、すごーい!」

 比呂美は目を瞠った。

「お坊さんみた〜い」

 比呂美は初めて間近に見る五厘頭に、激しい感銘を受けた。

「触らせて〜」

 坊主頭を触りたくなるのは人の常だ。比呂美もそうだ。

「触りたいか?」

「触りたい! 触りたい!」

とハシャぐ妹に兄は頭を差し出してやる。麗しき哉、兄弟愛。

 青々と光るできたての坊主頭に、比呂美は怖々タッチ。若い兄の肉体は、一秒たりとも休むことなく、毛髪を頭皮へと送り出している。その数耗の頭髪が、ジリリと比呂美の指先を刺激する。

 比呂美はその感触に、こそばゆさとそれがもたらす心地よさでウットリとなる。

 さらに大胆になって、勇躍、掌で兄の頭を撫でさする。

「気持ちいい〜」

 α波が出そうだ。

 撫でまわしているうちに、もうすぐ初潮を迎えるであろう少女の身体は、奇妙なムズムズをおぼえる。尿意を催しているかのような変な感じ。

 小太郎の頭の触り心地、青さ、そして長髪から五厘刈りの変貌ぶりに、心身は昂ぶり、のたうち、その余りポワーンとなる。

「お前、撫ですぎ」

と兄はクレームをつけるが、

「だって気持ちいいんだもん」

 比呂美はちょっとやそっとじゃ兄を解放しない。

 兄は呆れ気味で、愛妹に頭の所有権をしばし譲ってあげていたが、やがて、

「もういいだろ」

と妹の手から自らの頭を奪い返し、キッチンへと行ってしまった。母に見せるのだろう。

「ちぇっ」

 比呂美はガッカリ。物足りない。もっと心行くまで触れていたかった。

 子供部屋に戻り、頬に手をやる。すっかり上気していて、ほんのり熱い。胸に手をあてる。心臓が激しいビートを刻んでいる。

 あの清冽な青――

 あのジョリジョリ感――

 それらを脳裏で反芻して、またドキドキする。

 このエモーションが、比呂美のフェティシズムの萌芽であることを、少女はまだ知らない。



 比呂美の母は母で、長男の丸刈りに心を痛め、国内最大級のネット掲示板22ちゃんねるの教育関係のスレッドに、

『中学生になる息子が野球部に入るため、今日五厘刈りになりました。過保護かも知れませんが、そこまでする必要があるのか疑問です。昨今の流れにも逆行しているように思いますし、他の部活動の男子生徒は髪を伸ばしているのに、何故野球部だけが丸刈り強制なのか納得いきません。皆さんはどう思いますか?』

と書き込んだら、過保護、野球部は丸刈りが当然、息子は納得して坊主にしたんだからいいんじゃないの、モンペア予備軍、こんなママに育てられた息子はきっと軟弱坊やなんだろうな、などと守旧派から袋叩きにあい、母もキレて反論し、リベラル派も呼応し、すさまじい抗争となった。比呂美の母はスレッド内で「水曜日の魔女」という二つ名を捧げられ、一夜にして名物22ちゃんねらーになった。

『アタシは世の中を憂いてるの!』

と「水曜日の魔女」はスレッドの住人に吠え立てた。

『野球部だから、男だから、っていう理由で無理やり髪を切らされたり、女の子だからって坊主にしたくてもできないっつう閉鎖的なジ〇ップどもの思考状態がおかしいんじゃね、っつってんだよ! バーカwwwバーカwwwwwwwwwww』

 こんな姿を夫や子供たちに見られたくないとは思う余裕もなかった。激昂した「水曜日の魔女」は明け方までレスバトルを繰り広げたという。



 その同じ頃、比呂美はやはり眠れない夜を過ごしていた。

 寝息をたてている兄の坊主頭を覗き込む。ガン見する。それだけでは足りなくて、手を伸ばし、そっと触る。期待していた、ジョリ、という感触。気持ち良過ぎる!

 同時に頭がボーッとのぼせる。指先から熱いものがこみ上げてくる。あのムズムズが全身に惹起する。

 ――アタシもこんなふうにしたい!

 閃くように思った。

 天然パーマの髪に別れを告げ、青々とした涼やかな五厘刈りになる。

 想像して興奮、比呂美はベッドの上をジタバタ転げまわる。

 ――したい! 坊主! ボウズ! ぼうず! BOUZU!

「比呂美、早く寝ろ」

 小太郎に寝ぼけ眼で叱られ、

「ごめんなさ〜い」

と頭、心、身体を懸命にクールダウンさせようとする。奇妙な欲望にからめとられ、まんじりともせず、朝を迎えた。知恵熱が出た。せっかくの春休みが一日潰れてしまった。



「お母さん、アタシ五厘刈りにしたい」

と言われ、

「はあ?」

 母は虚を突かれて、間の抜けた顔になる。

「お兄ちゃんみたいにしたいの」

 娘の思いがけぬ言葉にキョトンとしている母だったが、娘が本気だとわかるや、

「ダメダメダメ! そんなのダメよ! 絶対ダメ!」

とダメダメ教の教祖にでもなったかのように猛反対。あのリベラリズムとジェンダーレス思想の権化「水曜日の魔女」と同一人物だとは到底思えない。「女性だって坊主にしたければできる世の中になればいい。但し我が家は除く」といったところか。

 勿論、比呂美は母親が22ちゃんねるなんて場所でレスバトル、いや、「啓蒙活動」を行っていることなど知らない。無邪気に、そして頑固に、

「ねえ、いいでしょ。アタシ、坊主にしたいんだよぉ」

とグイグイ要求する。

「女の子が坊主だなんて、皆に笑われるわよ」

「笑われたっていいもん」

「後悔したって髪はすぐには伸びてこないのよ」

「後悔なんてしないもん」

「とにかくダメ」

「なんでぇ〜?」

「ダメなものはダメ」

 ピシャリと制止されても、比呂美はそれでひきさがるようなヤワな娘ではない。

 毎日、

「ねえ、坊主にしてもいいでしょ?」

 五厘刈りにしたい、お兄ちゃんみたくしたい、と言い募る。

 小太郎も妹の頑なな坊主願望を興がって、

「母ちゃん、いいじゃんか。比呂美もここまで言ってるんだし」

と妹の味方につく。

「ヒデちゃんが坊主にしたときは、散々褒めちぎってたじゃないか」

 「ヒデちゃん」とは、比呂美や小太郎の従姉で榎本秀美(えのもと・ひでみ)という。中学で野球部だ(今春、女子硬式野球部のある高校に進学予定)。

 去年、試合にかける意気込みにと、女だてらに丸刈りにして、その画像をSNSにあげていた。

 母はそれにひどく感銘を受け、

『なかなかできることじゃない! 偉い!

『ヒデちゃんの坊主かわいいネ!

『女の子もやるときはやる! 最高だね!

『ヒデちゃんの心意気に感動! 試合頑張ってね!』

と盛んに支持していた。

 「ヒデちゃん」の例を持ち出されると、母も、

「そ、それはね、う〜ん……」

と口が重くなる。

「ヒデちゃんも野球部、アタシも野球部(リトルリーグ)、同じようにしたっていいでしょ」

 そう言われると母は窮する。昨夜レスバトルで論破されカリカリしていたこともあって、

「ああ、もう、勝手になさい!」

 「お墨付き」を頂き、比呂美は勇んで、

「よっしゃあ!」

「その代わり、散髪代は自分のお小遣いから出すのよ」

「エ〜!」

 思わぬ母の戦法に比呂美はたじろぐが、小太郎が、

「オレに任せとけ」

と耳打ち、二人、子供部屋に入る。

「これ、今日届いたばっかりなんだ」

と小太郎は箱を取り出す。

 ニコニコスキカットという商品――要はバリカンだ。

「こ、これは!」

「今後オレの頭の手入れをするつもりで、Amasonで買ってもらったのさ。いわゆるマイバリというやつだ」

「じゃあ、これで――」

「ああ、今からオレが刈ってやろう」

「おぉ〜!」

 比呂美の目が輝く。

「オレですら、まだ使ってないんだ。お前が第一号だ」

「なんだか恩着せがましいなぁ」

「何か言ったか?」

「いえっ、光栄です! お兄ちゃん大好き! さぁ、早く、刈って、刈って!」

「散髪用のケープ付きさ」

「おおっ! スゲー!」

 小太郎は髪が床に飛び散ってもいいように、床にシートを敷き、その真ん中に比呂美を座らせ、比呂美の首にケープを巻いた。

 準備は万端。

 兄は箱の中身を出して、

「これはアタッチメント、これは……刃の先についた毛を払うブラシだな。これが電気コード――」

と一つ一つチェックして、

「長さはどうする?」

「五厘に決まってるっしょ。お兄ちゃんとお揃い」

「タフなヤツだな」

 小太郎は苦笑して、バリカンを調節、そしてスイッチを入れた。

 ヴイイイイイイイィイイィン

「わっ」

「キャッ」

 比呂美はビクッとなり、兄はバリカンのスイッチを切った。

「バリカンの音ってでかいね」

「オレもちょっとビビッた」

「お兄ちゃん、バリカンに何か書いてあるよ」

 妹に言われ、兄はまじまじとバリカンの文字を読む。

「”ご使用の際は必ずオイルをお差し下さい”か。オイルなんてあったっけかな? あー、あった、あった」

 小太郎は目薬くらいのバリカンオイルを探し出し、バリカンに差した。

「危ねえ、危ねえ」

「お兄ちゃん、早く早くぅ〜」

 比呂美にせがまれて、小太郎はふたたびバリカンのスイッチをONにした。

 ヴイイィイィイィイィン

 今度は双方とも大丈夫だ。

 とは言え、比呂美は興奮と緊張をおぼえる。その余りに、カーッと頭に血がのぼっていく。

 小太郎も緊張気味だ。

 震えるバリカンの刃がうなじにあたる。

 ヴイィィイイイィイン

 そのバイブレーションに、比呂美はゾクゾクする。激し過ぎるほどのスリル。スリルは快感を伴っている。

 小太郎は意を決して、

「いくぞ、比呂美」

「OK、お兄ちゃん」

 昔、二人で大人に隠れて、「Hな遊び」をしたことを思い出す。

 バリカンがうなじから一気に頭頂部近くまでせり上がった。

 ザバアアァァァ!!

 襟足が裂け、ドバーッと剥がれ落ちる。クルクルとケープやバリカンやそれを持つ小太郎の手に、天パーヘアーが積もった。

 青いラインが、比呂美のブラウンの後頭部を、二つに割って走っている。

 バリカンはこの「筆おろし」に狂喜するが如く、

 ヴイイイィイィイィイィン

 ヴィイィイィィイン

と高らかに鳴っている。

「ひいいぃぃ、やっちゃったよォ〜」

 比呂美にとっても、これが「水揚げ」だ。興奮、快感、苦痛、くすぐったさが混ぜこぜになって、身悶えしている。

 小太郎はその一本道を左右に拡張していく。

 ジャアァアアァアア

 ジャアァァアァアアァ

 前から見るとフワフワ頭――ちょっとむさくるしいが――の美少女なのだが、後ろは一休さん! まるで、フルムーンのように青白く輝いている。

 天然パーマの髪が、

 ドバサアアァァ!

 ドバサアアアァァ!

と互いを道連れにするかのように、絡み合って、下へと雪崩落ちていく。羽毛みたいだ。モジャモジャしているので、バリカンの刃がひきつれて、たまに、

「あいたたた!」

となる。

 兄は今度は、前に回り込むと、前髪を持ち上げた。額の生え際にバリカンをあてた。

 そして、

 ヴイイィイィイィイィイイン

と血気に逸るバリカンを、グイと挿し入れ、思い切り突き上げた。

 ザバアアアアア

 前髪が「十戒」の海みたく真二つに裂け、前頭部のラインが後頭部の無毛地帯と合併する。

「開通〜」

「遊ばないでよ」

「遊ばせてくれよ〜」

「むぅ」

 ザバアァアァアアァァ

 前髪がドサドサと落ちる。

 比呂美は五感をフルに研ぎ澄まし、バリカンの振動を、熱を、パワーを味わおうとする。そうして、刈られるそばから涼しく軽くなる頭の感覚を感受しようとした。

 そういった感覚群に、まだまだ未成熟な身体を疼かせている。

 ――なんなんだろう、この感じ……。

 子供の比呂美にはわからない。

 ザバアアァァァ!

と、また前髪がめくれ上がり、パサリ、パサリ、パサリ、と滴のように垂れ落ちていく。

 パッ、と視界が明るくなった。前髪はすっかり刈られていた。落ち武者頭になる比呂美。

 サイドの髪もバリカンによって薙ぎ払われる。スッ、と小太郎の指が入り、髪が持ち上げられ、根元からグワアアア! パサリ……パサリ……また指が入り、髪を持ち上げられて、根元からグワアアア! パサリ……パサリ……。

 縦に刈られ、横に刈られる。

 スッキリと長い髪を落としてしまっても、几帳面な兄は刈り残りがないよう、五厘――1・5mmへと微調整していく。

 そんなふうにはじかれた細かな毛が、丸出しのおでこや鼻の頭にチョコチョコくっついて見苦しいけれど、

「頭がスースーする!」

 比呂美は満足そう。もう天然パーマの苦労から解放されたのだ。

「シャワー浴びてこいよ」

と兄。

「”シャワー浴びてこい”って、お兄ちゃん、もしかして……ドキドキ」

「アホ、どこでそんな知識を仕入れてくるんだ」

 シャワーで頭を洗い流し、いよいよ鏡とご対面。

 鏡の向こうには美少年がいた。比呂美だ。

 ――かわいいじゃん!

 自分でも驚くくらいユニセックスな美童になっている。眉がキリッとしているので、だいぶ凛々しく見える。頭の形も良い。

 天パー時代より垢ぬけて、インフルエンサー的な「美」すらおぼえる。

 青々とした頭を撫でてみる。

 シャワーを浴びたばかりの頭皮は湿り気を帯び、掌が吸い付く。

 ――うおおおぉ!

 比呂美はハイテンションになる。

 ――この頭、最高じゃん!



 その三日後、比呂美は小学五年生になった。

 坊主頭で登校した比呂美に、学校は騒然、

「どうしたの?!」

「何があったの?!」

と級友たちには訊かれるし、先生方には腫物扱いされた。

「海外のモデルみたいでカッコいい」

と褒めてくれる娘もいて、嬉しかった。

 しかし、

「ハゲ女〜!」

 優斗だ。

 コイツとは五年生になっても同じクラスだ。比呂美はげんなりする。

 れいによって、

「ついに日本の秘境で珍獣ハゲ女を発見しました。かなり狂暴そうです。うわっ、頭が眩しい!」

と実況中継の真似事でからかってくる。

 だが、「水揚げ」を済ませた比呂美は、余裕の表情で、

「どうせアンタも二年後には野球部に入るんだからハゲでしょ」

と切り返した。

「なんだと〜」

 優斗は明らかに動揺している。

「お、オレは部活なんてかったるいことはしねーからな」

「あら、そう」

 比呂美は鼻で嗤う。確実にステップアップした比呂美がそこにはいた。



   第二部・中学時代


 それから二年後――

 今日は試合だ!

 比呂美は意気揚々とグラウンドに向かった。

 と言っても、比呂美は野球部ではない。帰宅部だ。

 なのに頭は五厘刈り。

 初めて坊主にして以来、ずっとそれを保持している。すっかりヤミツキになっている。立派な坊主フェチだ。

 すでにマイバリも所持している。セルフカット技術も半端ではない。ケータイでメールをうちながら、片手で頭も刈れる。

 剃り上げた頭を、鏡でチェックしてスマイル。

 比呂美の場合、髪がない方が美人だと、自分も他人も思う。

 母親も最初のうちは、伸ばしなさい、と口うるさかったが、最近ではもう何も言わなくなった。周囲の人たちも慣れてしまった。

 イジられることも多いがヘッチャラだ。むしろ、おいしい、とほくそ笑んだりさえする。

 今日の試合は隣市の「宿敵」――某中学校野球部との一戦。練習試合とはいえ、名誉にかけて負けられない一戦だ。

 双方、必勝を期し、何週間も前から気合いが入っていた。

 比呂美も中学三年生になる兄の応援のため、観戦に出向いていた。

 が、比呂美が到着してみると、兄たちの様子がおかしい。

 比呂美の中学の野球部員らは皆一様に、お通夜みたいな表情(かお)をしている。

「どしたの?」

と野球部員・優斗にそっと話しかける。

 優斗はいつもみたいに比呂美をからかう余裕もないらしく、

「人数が足りないんだよ」

 トラブルで電車が停まって、何人もの部員が来られない状態だという。

「そりゃ大変だねえ」

「他人事みたいに言うな」

「いや、他人事だし」

「ったく、無駄にハゲやがって」

「アンタ、殺すよ?」

「ん?……無駄にハゲる……?」

 優斗は自分の言葉を反芻する。何か思いつきそうだ。

「まだ言うか!」

「無駄に……ハゲる……ん? ん?」

「このヤロッ!」

「比呂美君」

「何よ、肩に手をかけるんじゃない!」

「ここはひとつ有益にハゲてみないか?」

「ハゲハゲうるさい! 何だよ、”有益にハゲる”って?」

「野球部の助っ人として、試合に出てはくれまいか?」

「はあ?」

 あまりに突飛な話に、比呂美は毒気を抜かれ、呆けた表情(かお)になる。

「幸いお前はオレたちと同じ五厘刈りだ。野球経験もある。これは野球の神のお導きだ」

「ムチャなこと、言わないでよ!」

 比呂美は勿論即座に拒絶したが、兄・小太郎は、

「それいいじゃん!」

と乗っかり、優斗には、

「頼む、比呂美!」

と土下座されるに至って、

「仕方ないな〜。今回だけだよ」

 渋々承諾した。

「これで9人揃った!」

「ユニフォームはどうする?」

「里中のがある」

「里中先輩の?!」

 かくして、比呂美はエース里中のユニフォームを着た。背番号1! 着替えの間は部員らが壁になってくれた。

「コラ、比嘉、チラチラこっち見るな!」

と不届き者を叱りつつ、顔真っ赤っかでユニフォーム姿になった。

 見物人からは、

「おっ、ライトは女の子だぞ!」

「しかも丸刈りだっ!」

「なんで外野のクセにエースナンバーを背負ってるんだ?!」

という声があがっていた。比呂美は居心地が悪い。



 しかし、蓋を開けてみれば、守備はパーフェクトだったし、ヒットも打った。

 久々の野球にテンションが上がる。

「比呂美、よくやった!」

「いいぞ、桜田妹!」

 仲間からの賛辞や声援も嬉しく、存分に身体を動かした。心地よい疲労があった。

 ――やっぱり野球はいいやね〜。

 試合が終わる頃には、比呂美の野球部入りの話はまとまっていた。

 盛り上がってなりゆきで入部してしまったが、家に帰り、冷静になると、

 ――あれ? もしかして……アタシ、早まった?

 明日からは泥だらけ、汗まみれの練習の日々が、舌なめずりして待ち構えている。

 ――タイミングを見計らって退部しよう!

と考え直した。

 だが、結局、ズルズルと中学高校と、なんと六年間野球部を続けた。ズルズルにも程がある。

 しかも、五厘刈りもキープし続けた。思春期真っ只中の女の子が、である。

 ――伸ばそうかな。

と思うこともあるにはあったが、

 ――でも、なあ……。

 このザラザラ感、フォルムの美しさ、爽快感、手入れの楽さ、フィット感は捨てがたい。ノーマルな生活やノーマルな恋愛など、もうどうでもよくなってしまっていた。

 そのフェチっぷりは、すさまじいものがある。



    第三部・セレモニー


 高校を卒業して、二年が経つ。

 比呂美は二十歳になっていた。

 近所の大衆酒場で働いている。

 五厘頭にタオルを巻いて、甲斐甲斐しく酒を運ぶ比呂美は店の人気者だ。常連の間では「ボーズのネーチャン」で通っている。

 この頭のせいで、レズビアンのマダムに色目を使われたり、ジェンダー運動の闘士に仲間に誘われたりもしたが、丁重にお断りさせてもらった。そういう嗜好にも思想にも興味がない。

 坊主歴十年! 人生の半分を坊主頭で過ごしてきた。今後も保っていきたいと思っている。すでに現在使用中のマイバリカンは五代目だ。

 目下の目的は、アメリカに渡って、メジャーリーグの試合をフルシーズン観戦すること。そのためにお金を貯め、英会話教室に通っている。



 そして、今日は成人式。

 久しぶりに地元の友人たちが、市立の文化会館に集った。

 比呂美も何はさておき参加した。

 真っ赤な振袖で式に臨んだ。

 青々とした五厘頭に赤の振袖は、やけにエロティックで人目をひいた。

「桜田、お前、まだボーズ続けてたのかよ?!」

 中高生時代の野球部仲間たちは、とっくに髪を伸ばしている。

 女の子たちは、

「比呂美、スゴイ!」

「綺麗だよ!」

「一緒に写メ撮って!」

と、きゃあきゃあ言いながら、比呂美とのツーショット写真を撮りたがった。全然知らない女の子たちからも、

「あの〜、写真いいですか?」

と撮影を申し込まれた。アイドルにでもなったような気分だ。

 旧友の一人がニヤニヤしつつ、スマホをいじっている。

「何見てるの?」

と訊いたら、

「22ちゃんねる」

「今時?」

「また“水曜日の魔女”が暴れてるよ」

「”水曜日の魔女”って?」

「レジェンド級の荒らしだよ。正体はオバサンらしいけど、十年くらい教育関係の板で暴れてるの」

「十年も?! ヤバイね、そりゃ」

「お陰で板は過疎っちゃって過疎っちゃって」

「こういうオバサンの娘だけにはなりたくないよね」

「ね〜」

「そういや、吉住優斗のクソバカ野郎は来てんの?」

「気になる?」

「いや、全然」

「声が1オクターブ上がってるよ」

「そ、そんなことないよ〜」

「ウブなんだから〜」

 生まれたときからの腐れ縁、の優斗とはとうとう中学高校の六年間、クラスも一緒、部活も一緒だった。謎の組織が暗躍しているのかと疑念を抱いたくらいだ。

 しかし、高校卒業後、優斗は遠くの大学へ。それきり会ってはいない。

「ようやく離れられてせいせいしたよ」

「そいつはこっちの台詞だ」

というのが最後の会話だった。

 だけど、当たり前のように居たヤツがいなくなると、なんだか妙な気分だ。物足りないというか、落ち着かないというか、心に隙間風が吹く感じというか。

「吉住クン、今日のためにわざわざ帰って来たらしいよ」

 旧友たちは優斗の情報を色々知っていた。

「教職課程取ってるらしいよ。教師目指してるんだって」

「へえ」

 噂をすれば影。

「やあ! 諸君!」

「優斗!」

 思わず叫んでいる比呂美だった。

 優斗は中高時代のままの五厘刈りに、紋付袴だった。

 自分と同じく青坊主を貫く優斗に、比呂美は不覚にも、クラリ、といってしまいそうだ。

「比呂美、やっぱお前も坊主だったか。振袖は意外だったけど」

「当たり前でしょ。冬はやっぱり坊主っしょ」

「春も夏も秋も坊主だろ」

「常識だね」

 息はピッタリだ。

「なんだか二人とも坊主国の若様とお姫様みたいだね」

と周囲に囃され、無理やりツーショット写真を撮られまくる。お揃いの坊主頭に和装、しかも実は美男美女、本当に一対のアートのようだ。

 被写体になりながら、

「アンタ、教師になるつもりだって?」

と囁くと、

「ああ」

「アンタが先生だなんて、世も末だね〜」

「相変わらず口の減らねー女だな。見てろ、金八先生みてーな熱い教師になってやるからな」

「だったらまず髪を伸ばさなきゃね」

「お前が伸ばしたら、伸ばしてやるよ」

「じゃあ、伸ばさない」

「なんでだよ」

「だって優斗、坊主の方がカッコいいもん」

「え?」

 虚を突かれ、優斗はちょっと黙った。そして、

「比呂美も坊主の方が美人だぜ」

「ありがとう。嬉しい」



     エピローグ・喝采


 その夜、或るサエナイ女子のサエナイSNSには、『ご本人たちの許可は得ています』とひとつの画像がアップロードされていた。

『成人式にて。LOVE LOVE ボーズ』

との文言が添えられた、その画像には、青い頭に和装の男女がキスを交わしている姿が写っていた。二人とも笑顔。幸せそうだ。

 アップと同時に、ページは堰を切ったようにイイネ!であふれ返った。


          (了)





    あとがき

 リクエスト小説第5弾は、剃髪・愛の会様からのご要望です♪ ご覧になられていたのね(^^;)
 環境が変わり、ネットはめっちゃ制限されていますが、サイトはなんとか存続できそうです。ほんと、良かった良かった!!
 とは言え、今回アップロードした3作はかなりの混乱の中での執筆となりました。合間を見てチョコチョコと。
 今作はリクエストをざっと読んだ限り「いけるかな」と思ったんですけど、いかんせん見切り発車、ああじゃないこうじゃない、とお話を組み立てていったら、なんだか変なお話になってしまった(汗)労力の割に、うーん、な感じ。剃髪・愛の会様のワールドをスポイルしてしまったかな……となんだか敗戦の弁みたいになっちゃっていますが。。
 結構長いストーリーで、最後書いている頃にはヒロインが最初は天然パーマだったことを忘れていました(^^;)
 愛の会様、「22ちゃんねる」とか「秀美」とか、結構過去作を読み込んで下さっているようで、恐縮ですm(_ _)m
 筆力の衰えを感じつつも、ポジティブに活動していきたいです。いいものを書きたいです。
 最後までお読みいただきありがとうございました!



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