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ユピュ


     (1)太宰治


 こんな小説も、私は読みたい。(「古典風」より)



     (2)高瀬豪兼


 ○○宗○○派の総本山の某荒行の説明会が行われたのは、開行の二ヶ月前である。

 場所は総本山のとある施設の一室だった。

 荒行の指導員である俺もそこにいた。例年通りだ。表向きは鹿爪らしい顔で、指導員の末席に連なっていた。

 説明会の開始を待っている参加者たちを見渡す。皆、一様に固い顔つきをしている。

 それも至極当然で、大抵の参加者は僧職志願といっても真理や悟りを求めているわけではない。実家が寺で成り行き上、僧侶の道に進んだ者が多い。

 ここにいる連中も見るからに今風の若者たちばかりで、寺にさえ生まれなければ、今頃は他の同年代のヤツらと同様、就職したり学校通ったり、あるいはフリーターやったりして、それぞれ、若さを謳歌していたに違いない。が、寺の子弟ゆえに、これから頭を丸め、荒行に臨まねばならない。俺もかつてはそんな修行僧のひとりだった。

 剃髪修行を目前に控え、ブルーになっている若いヤツらを見るのは楽しい。

 参加者の中には尼僧候補生も結構いる。

 荒行まではまだ期間はあるので、尼僧候補生には皆、髪はまだある。染めたり、巻いたり、シャギー入れたり、結んだり、まとめたり、思い思いの形にしている。

 服装もさまざまだ。学生風にシャツとジーンズのラフなスタイルの娘もいれば、紺のスーツを着てかしこまっている娘もいる。

 彼女たちの首に、耳に、指に、腕に、アクセサリーが光っている。

 今は、色とりどりに各々の個性を発している。

 二ヵ月後の入行には皆、同じ青々とした坊主頭に黒の袈裟になって再集合する。



 長年指導員をやっているザワさんによれば、バブルの頃はすごかったらしい。

 説明会のときは当時流行っていたワンレングスのロングヘアーの娘たちが入行と同時に、一斉に坊主頭になって、ゾロリと居並ぶ姿が一種の壮観だったそうである。

「あの頃の女の子は眉毛が太かっただろ?」  

だから、やたら男前になっちゃってさ、とザワさんは往時を振り返っていた。

 尼僧候補生の中には、思いっきり場違いなゴスロリファッションのギャルもいた。まあ、それなりに可愛いけれど・・・なんだかなあ、甘やかされて育ったのだろうか、常識がなさすぎる。少しはTPOってものをわきまえた方がいい。

 肩をすくめる俺の目に飛び込んできたのは、一人の少女。タートルネックのセーターを着ている。長い黒髪をゆるくウェーブさせている。会場の隅、小さく座っている。垢抜けない感じ。

 何故か心を惹かれた。理由はわからない。確かに、まあ、美人だと思うが、パッとしない娘だ。けれどすごく気になる。

 後で書類を見たら、音無由比(おとなし・ゆひ)・二十一歳。宗門の仏教大学・八頭大を休学しての参加だという。



 荒行の責任者である宗厳さんが行の内容を説明しはじめると、緊張気味だった会場の空気は更に張り詰めた。

 この荒行は八頭大の学生が通常行う「研修」などとは比べものにならないくらいの過酷なもので――その代わりにかなりの僧階や資格が約束されているのだが――参加者は肉体的、精神的に生存すら危ぶまれるくらいのギリギリの極限状態に追い詰められる。

 五年前、元自衛官で「体力なら任せてくださいよ」と意気込んで参加した坊主がいたが、半死半生になって病院に担ぎ込まれリタイアしたほど。他にも肉を裂く者、骨を砕く者、精神に異常をきたす者も当たり前のようにいる。

 尼僧志願のギャルたちも怯えまくっている。

 既存の宗教ってのはすごい。

 新興宗教や一般の教育施設で、女の子を丸坊主にさせて発狂するほどシゴきにシゴいたら、「虐待」「暴行」と世間は騒ぎ立て、関係者は法的処罰を免れないはずだ。

 しかしこれが「○○宗の開祖以来の行」となれば、むしろ「受け継がれる信仰」だの、「現代人が忘れてしまった精神がある」だの、「昨今の若者たちにとってはいい経験になる」だの、世論は賛美の方向に傾く。

 俺は荒行指導の名目で、気に入らない僧侶を平手打ちしたり、カワイイ尼さんをわざとイジめたりしてる。表向きは禁じられている体罰や私的制裁だが、殴られて、「殴られました」と上に訴え出るヤツはいない。皆、一時の辛抱、とやり過ごす。

 中には

「殴ってもらって嬉しかったです! いい経験になりました!」

と行明け後、泣いて感謝するバカ尼とかいて、戸惑うこともある。で、こうした悪弊は次代にまた持ち越されるわけだ。

 本山の名誉のため言っておくが、ほとんどの指導員は真面目で品行方正だ。俺みたいな無頼坊主は例外の部類に属する。

「今からでも遅くはないので、行を貫徹する自信のない者は速やかに辞退するように。去る者は追わずがこちらの姿勢です」

と宗厳さんは説明をしめくくった。

 場内は水をうったように静まり返っている。どの顔も、やりたくねえ〜!って顔だ。ゴスロリ娘なんか涙ぐんでるし。

 「今からでも遅くない」と宗厳さんは言ったけれど、俺の経験から言わせてもらえば、遅きに失している。

 ここにいる連中はすでに書類を提出し、諸々の手続きを済ませている。荒行参加のための費用で百万単位の金が飛んでいる。

 それに寺の子弟の場合、本人より周りが盛り上がってしまっている。

 きっと郷里では家族や檀家に「辛いだろうけど頑張ってね」「これでウチの寺も安泰だ」などとプレッシャーかけられまくっていることだろう。

 せめて説明会の後に書類提出、参加決定ならば、まだ考え直す余地はあったろうに。

 今更やめるにやめれない・・・。そんな悲愴なオーラを会場の全員が放ちまくっている。これも毎年のことだ。

 由比ちゃんも細い目を潤ませ、いっぱいに見開いている。

 参考として「水かぶりの行」の映像が公開された。

 坊主頭の僧侶たちが男僧は褌、尼僧はサラシに腰巻という半裸状態で、厳寒の中、滝の水を汲み、セイヤアア、セイヤアアとバシャバシャかぶっている。身体からホカホカ湯気が立っている。人間のやることじゃない。これを目の前にいる普通のニイチャン、ネーチャンが二ヵ月後、やるのである。

 ニイチャン、ネーチャンたちは恐怖に顔を引きつらせている。



 次の資料動画に移ろうとしたとき、ハプニングはおきた。

 スクリーンに映し出されたのは、ケープを巻いた白人の女。

 野球帽を被った白人のアンチャンがバリカンを握っている。

 え? え? まさか?!

という会場の不安は的中した。

 男はバリカンのスイッチを入れ、白人女の長い金髪に容赦なく差し込む。ジジジジ。

 白人女は金髪を刈られ、みるみるうちに丸刈りになっていく。

 オーマイガッ、と白人女は顔を歪め笑っている。

 本当にOh my God と言いたいのはこの会場の尼僧予備軍たちのはずである。この場合、Oh my Buddhaかな。彼女たちは顔面蒼白となり、声にならぬ悲鳴をあげている。

 なにせ、彼女たちももうすぐこうなる運命にあるのだから。

 生まれて初めてのバリカン、

 生まれて初めての坊主頭。

 Oh、とボウズをさする白人女の口から、吐息まじりの嬌声がもれる。なんだか、スクリーンのこっち側の尼僧志願者たちの運命を嘲笑っているみたいに、俺には聞こえた。

 会場は異様な雰囲気に包まれている。

 尼僧になる予定のギャルたちは微妙な表情をしている。

 勿論、各々の顔に浮かぶのは驚愕、恐怖、不安、怯み、嫌悪・・・。

 でもその裏側に確かにあるM的な昂奮。

 AVを無理やり見せられた処女が「え〜?!こんなことやるの?!」、やだやだ、と拒絶反応を示しつつも、目は輝いていて、ちょっと半笑いで、でもそういう自分を無意識に抑圧している感じに似ていた。

 ゴスロリ娘などは丸刈り動画に相当なエクスタシーを感じたらしく、頬を染め、

 ああ、

と腰をくねらせている。

 由比ちゃんも見まい見まいと意識してるが、目はどうしても動画にいってしまうようだった。そういう自分に戸惑い、恥ずかしそうに周りをチラと盗み見て、周囲も動画を食い入るように見つめているので安心していた。

「静粛に」

と今回の荒行で宗厳さんの補佐をする尼僧の了光さん(42歳・独身)が言った。「静粛に」って、うるさいのはバリカンの音と白人女だけである。

 了光さんは俺たち指導員の方を向いて、

「誰ですか、こんなイタズラをしたのは」

と咎めて、動画をとめさせた。

 どうせ、貴女でしょ?

と内心思ったが、他の連中同様、首を傾げるフリをする。

「参加者の皆さん、特に尼僧になられる人にいい機会なので言っておきますが――」

 了光尼の意地の悪い視線が、女性陣の現代的な髪形にチクチク突き刺さる。

「すでに承知のこととは思いますが、今回の入行に際しては、本山の規定により参加者は0・5ミリの丸刈りが必須条件です。私も皆さんを指導する人間の一人として頭を丸めます」

 了光尼は四十代女性には珍しい黒髪ロングを後ろで束ねている。今回、宗厳さん直々のご指名で荒行指導員になり、初めての剃髪が決定。

 陰で

「なんで私がボウズになんなきゃいけないわけ」

と散々愚痴っていた。エリート尼僧の悲劇である。

 やり場のない怒りの矛先が、「オノレらも道連れじゃ〜」と尼僧の卵たちに向けられたらしい。

 そう言えば、去年、ある自動車教習所で講習時、誤ってアダルトビデオを流してしまうというニュースがあった。

「間抜けよねぇ」

と当時、了光さんは髪をかきあげながら、冷笑していたが、そのニュースをヒントに、さっきの嫌がらせを思いついたのだろう。

 了光尼、ネチネチと剃髪論をぶつ。

「尼僧の方には剃髪することに不満がある人もいるでしょうが――」

 そりゃ、貴女でしょ(苦笑)

「僧職を志す者が剃髪するのは当然です。それを躊躇うならば、今すぐここから去りなさい」

 女の子たちが去りたくても去れないのを百も承知の上で、叱責口調の了光尼。自分だって二十年以上有髪だったくせに。

 了光尼は宗厳さんのお気に入りなので、ベテラン指導員のザワさんも彼女の独演会を許している。

「今日から入行の日までに全員、きれいさっぱり頭髪を刈っておくこと。皆さんと清々しい頭で再会できるのを楽しみにしています。いいですね?」

 しん、としている場内に、

「いいですね!」

 了光尼が語気を強める。

 はい、とニイチャン、ネーチャンのふてくされた返事がした。

「聞こえない!」

「はいっ!!」

 了光尼は押し黙っているゴスロリ娘を目ざとく見つけ、彼女に歩み寄ると、

「返事は?」

「はい!」

 強要され泣きそうな声を張り上げるゴスロリ娘の髪を、了光尼は意地悪く撫で、

「かわいい尼さんになりそうね」

と冗談めかして言った。その口調にブラックなものを感じ、誰も笑わなかった。

 ああ、と俺も密かにゴスロリ娘の前途を案じた。いきなり目をつけられたか。

 まあ、この娘は了光さんに任せよう。

と俺は由比ちゃんに視線を送る。

 由比ちゃんはうつむき、うなだれるように身を震わせていた。



 二ヵ月後、いよいよ荒行が開始される日がきた。

 荒行が行われる古刹の門前には、一人、また一人と参加する新米僧が集まってきている。直前の辞退者は、とうとういなかった。

 尼僧たちもいる。

 二ヶ月前のギャル姿に別れを告げ、剃りたての頭、慣れない袈裟姿に落ち着かない様子だった。

 元々、知り合い同士もいるようで、初めて見るお互いの尼さん姿に、あれ?ってふうに目を丸くして、照れ臭そうに微笑を交わしていた。微笑は一瞬で消え、すぐに緊張で身を固くし、修行僧の列に加わる。

 こうして全員が坊主頭に袈裟姿になってしまうと、誰が誰だかわからない。

 ゴスロリ娘を見つけた。

 無論、クルクルパーマを切って、見事に青々と剃りあげていた。

 化粧を落とし、コンタクトから眼鏡にチェンジしていた(コンタクトだと荒行中は落とすと大変だから、普段コンタクトの人も眼鏡)。

 ポッチャリ系の彼女が坊主刈りに眼鏡になってしまって、俺は思わず「左門豊作さんですか?」とボケをかましそうになった。

 俗世にいたときは割と可愛かったのに・・・という典型的なタイプだった。

 彼女にはすでに「担当」がついている。

「やっぱり可愛くなったわねぇ」

 了光さんが元ゴスロリ娘に近づき、頭をスリスリ撫でている。

 撫でている了光さんも四十年慈しんできたロン毛を刈り尽くし、青光りする坊主頭を寒いお山の風にさらしている。艶っぽいキャリアウーマンから、食えなそうなオバサン尼僧へと変貌を遂げていた。

 まあ、この人の剃髪には色々と経緯(いきさつ)があったのだけど、それについては省く。

「昨日剃りました〜」

 エヘヘ、と懸命に媚びを売る元ゴスロリ娘、現在左門豊作似尼さんだが、

「無駄口きかない!」

とオバサン尼にペシッと坊主頭をはたかれて、堰を切ったように号泣していた。

 これからオバサン尼のストレスの捌け口にされるんだろうな。了光尼、あっちのケがあるっ て噂も聞くし、もしかして夜伽とかさせられたり。

 左門豊作同様、彼女も家族を背負っている。頑張って欲しい。柄にもなく心の中、応援した。

 俺の目はある少女をさがしている。

 音無由比。

 あれから、どうしても彼女のことが忘れられない。毎日彼女のことを考える。

 考えるたび、

 何故?

と自問自答する。

 音無由比レベルの女なんて世間には履いて捨てるほどいる。

 自慢じゃないが、俺はモテる。

 もっと美人でもっと洗練された女性で、俺に惚れているヤツはいっぱいいる。

 なのに何故、彼女のことばかり頭に浮かぶのか。

 何故、今もこうして彼女をさがしてしまうのか。

 ・・・・・・

 また新尼僧が到着。

 俺は息をのんだ。

 剃ったばかりの青白い坊主頭が痛々しくも清らかだ。

 可憐。清楚。それでいて凛々しい尼僧。こんなキレイな尼さんは京都奈良まで出張っても、ちょっとお目にかかれないってハイクラスの尼僧だった。

 新参の僧侶や指導員まで目を奪われている。

 尼僧は自分に向けられた無遠慮な視線に恥らって、頬を紅潮させ、それでもけなげに顔をあげ、背筋をピンと張って、仲間たちの輪に入る。

 思わず守ってあげたくなるような庇護欲。

 ついつい虐めてしまいたくなる嗜虐心。

 尼僧は相反する二つの気持ちを俺の中に生じさせた。

 その尼僧が音無由比とわかって、俺の驚愕はマックスに達した。

 最初に会ったときにはイモ姉ちゃんだったのが、髪をさっぱりと落としてしまうと、すっかり古都の風雅な路地が似合う美しい尼僧ぶりになっていた。

 驚くと同時に俺が彼女に惹かれていた理由がわかった。

 なるほど。

 荒行指導員として何十人もの尼僧たちを迎え送ってきた俺の本能が、音無由比に美人尼僧の資質を嗅ぎつけたわけか。

 ふと「マイ・フェア・レディー」って古い映画を思い出した。オードリー・ヘップバーンの出てたやつ。

 貴族がみすぼらしい下賎な娘を一流の淑女に教育するストーリー。

 いっちょ、俺も由比ちゃんを名尼僧に育ててやるかな。

 まだ尼僧姿が板についていない彼女を見つめ、ふと考えた。

 何せ、死ぬときでさえ、「遷化」って一般人とは差別してもらえる職業なのだから。

 「マイ・フェア・レディー」とかカッコつけたけど、本当は「プリンセスメイカー」って大昔のギャルゲーが脳裏にあった・・・。ここだけの話にして欲しい。

 由比ちゃんがクシャミをした。

 坊主頭になったばかりだから、さぞ寒かろう。

 思わず頬が緩む。

 さ、一緒に頑張るか、由比ちゃん。



      (3)猪口充


 ずっと大切にしてきた長い髪が

 バサッ

とゴミ箱に捨てられたとき、

 え?

とユピュはひどく間の抜けた表情(かお)をした。

 空色のカットクロスにすっぽり包まれたユピュは、本山規定の0・5ミリの丸刈り頭を冬空に晒している。見ている僕の方が寒くなる。

 僕は江戸期の女流俳人・諸九尼が剃髪に際し、詠んだ句を思い出していた。



 掃き捨ててみれば芥や冬の霜



 慈しんできた髪も落としてしまえば、所詮「芥」に過ぎないと喝破する悟りと、落とした髪を「秋の霜」と感傷的に見立てる女心の二律背反が、この句を素晴らしい佳句にしている。

 もっとも、ユピュのお父さんにとっては、バリカンで刈り落とした娘の髪は「芥」でしかないらしかった。掃き集めると、娘の意向も聞かず、さっさと捨ててしまった。

 けれど元の持ち主にとっては、大事な「俗世の形見」、

「切った髪・・・」

 とっとくつもりだったのに、とユピュは口惜しそうに呟いた。

「それなら最初から言えばいいのに」

 ユピュのお父さんはそう言って、ゴミ箱に手を入れた。

「・・・・・・」

 ユピュは憮然としている。自分のかけがえのない宝物がゴミ扱いされたのだから、当然だ。

 けれど、ユピュのお父さんには悪意はない。価値観の相違だ。

 お父さんの手が藤籠のゴミ箱から、ユピュの髪を拾い上げた。あんなに素敵だったユピュの髪、初めて出会った日から僕がいつも目で追っていたユピュの髪は、ムザンにも煙草の灰とオレンジの果汁と種にまみれていた。

「もういい」

 ユピュは悲しそうに顔をしかめ、目を背けた。

「おお、終わったかい」

 掃除機を持ったユピュのお祖母ちゃんが奥から姿を見せた。

 ユピュのお祖母ちゃんは初めて見る孫娘の坊主頭に目を細め、

「さっぱりしたねえ」

と言った。言葉以上の意味はなかった。そして、

「こっちの由比の方がお祖母ちゃんは好きだよ」

とザリザリ、青白い頭を撫でた。

 いたずらっ子のように扱われて、ユピュはまた顔をしかめた。意気揚々と外界に出た耳が赤くなった。

「お父さんそっくりだよ」

 年頃の女の子が、父親に似ている、と言われたら嬉しいだろうか。ちょっと考えた。少なくともユピュは余り嬉しくないらしく、ムッツリしていた。

 僧侶になるには誰もが通る道だ、とお祖母ちゃんは孫に慰めの言葉をかけた。お前のお父さんの時はアタシがバリカンを使って坊主にしてやってね、やっぱりお前みたいにムクれてたねえ。お祖母ちゃんは懐かしそうに笑って、掃除機の中身をゴミ箱に落とし込んだ。

 ひっ、とユピュが小さく悲鳴をあげた。

「どうしたんだい?」

 お祖母ちゃんにとっても孫の髪は掃除機の中身と同じらしい。散文的な遺伝子は母から息子へと、確かに受け継がれている。

 ずっと一緒に過ごしてきたパートナーの骸が、目の前でみるみる汚されていくことに、ユピュは耐えかねたらしい。カットクロスをはずし、放り出すように縁側に置くと、

「お風呂入ってくる」

と庭を去った。



「何でこんなことになっちゃったんだろう」

 断髪前、ユピュは自室で、40分後にはゴミ箱に捨てられることになる髪を、そうとは知らず、かきあげて、ボヤいていた。

「なんで、って」

 僕は肩をすくめた。

「ユピュが自分で言い出して、決めたんじゃないか」

 夏休みが終わり、実家から戻ったら、ユピュの出家は確定していた。驚いた。けれど、ユピュの強い意志だというので、部外者の僕は沈黙していた。

「そのときはやろうと思ったんだよ」

とユピュは反論した。

「じゃあ、今はやりたくないの?」

「やりたくない」

とユピュは机に突っ伏した。

 明日から始まる尼僧の修行の説明会に行ってから、ユピュはずっとこんな調子で、自らの決断を激しく後悔していた。

 とは言え、ずっと近くにいて、ことのなりゆきを見守ってきた僕でもわかる。投げたサイコロは振り直せない、と。

 先日も檀家の安田さんていうお爺ちゃんが、

「由比ちゃん、よく決心したねえ」

 これでお父さんも安心だねえ、と散々ユピュを褒めちぎっていた。

「はあ」

と褒められれば褒められるほど、ユピュは意気消沈していた。修行に出発する当日には、檀家総出で駅まで見送るそうだ。まるで昔の出征兵士みたいだ。袈裟や法具を買い揃え、荷物もまとめ、ユピュは追い詰められている様子だった。

「なんで」

 僕はこれまでずっと訊けずにいたことを訊いた。

「尼さんになるなんて言い出したのさ」

 ユピュは黙った。机に突っ伏したまま、すねたように、くねくね身体をゆすった。弟みたいな存在の僕にしか見せない仕草だった。この仮面優等生の甘えんぼ箱入り娘め。

「――た」

「え?」

 よく聞こえなかったので聞き返した。

「フラれた」

 今度ははっきり聞こえた。

「誰に?」

「大学の先輩」

 アタシ、ブスだから仕方ないよ、とユピュはまたくねくねとすねた。長い黒髪が揺れた。

「ブスじゃないよ」

と僕は言ったが、ユピュは

「気休めはいらないよ」

と僕が捧げた本音を拒絶した。

 どういうわけかユピュは十分美人の部類に入るルックスにも関わらず、自分が醜いと思い込んでいた。

 そうやって自己暗示をかけているものだから、暗く卑屈になってファッションも投げやりで、ブスのオーラを出していた。ブスのオーラを出しまくって、オクテなユピュにアプローチする男はおらず、いてもウブなユピュを丸め込んで、どうにかしてやろうという三流の女タラシしかいなかった。

 そうした経験はユピュの自己暗示を再認識させ、さらに補強し、ブスのオーラはますます増幅される。絵に描いたような悪循環だ。

 悪循環の末、一年間片思いしていた先輩にフラれた。

 ユピュのお父さんは、娘が宗門の大学で寺の良き後継者になる婿を見つけてくれるのを期待していた。父親のそんな胸算用がユピュには重荷になっていた。

 失恋した日も、お父さんはそうとは知らず、ユピュに、

「そろそろいい婿さん、見つかったか? お前がいい婿を捕まえてくれないことには、俺も寺のことが心配でおちおち病気もできんぞ」

とからかい半分で言った。いつものユピュならば、きっと苦笑まじりに受け流していたろう。

 が、タイミングが悪かった。

「うるっさいなあ!」

 ユピュは吼えた。

「どうせ、アタシ、ブスだから婿に来てくれる物好きな男の人なんていないよ!」

 アタシが尼になる。そして寺を継ぐ。勢いでユピュは宣言してしまった。

 それだけでは収まらなかったのか、電話で某寺の住職に連絡をとった。ユピュは以前、その本山役員の住職に冗談で本山の荒行をすすめられたことがあった。

 電話が住職に繋がると、

「前に仰っていた本山のあの荒行のことですが――」

 是非やりたい、と参加希望を申し入れてしまった。

「はい、厳しくて構いません。はい、はい、ええ、頭も刈ります」

 電話口でさっさと交渉を進めるユピュに、家族も呆然とするだけだった。

 それから半月の間に、バタバタと猛スピードで正式な手続きは完了された。

 僕がいない間の出来事だった。

 一時の激情も冷め、説明会で荒行の過酷な実態を突きつけられると、ユピュは不安と憂鬱に責苛まれる日々を送るようになった。

 そして、今日を迎えた。

「ミッ君」

 ユピュはようやく上半身を起こし、僕を見た。思い詰めた眼差しだった。普段のケラケラ笑う普通の女の子らしいユピュも好きだけど、こういうシリアスな表情のユピュも悪くない。プ〜、とふくれたユピュも好ましい。僕にアレコレ指図したがる「姉」としてのユピュにも、僕は憧れる。優等生の仮面をつけたユピュだって、それはそれで素敵だ。つまるところ、僕はユピュの全てが好きなわけで、剃髪して法衣をまとった尼さんのユピュだって、きっと大好きになれるはずだ。

 生活保護を受けている母子家庭で育ち、中学を卒業してすぐ奨学金を得、親元を離れ、遠くの農業高校への進学を決めた。遠縁にあたるこの寺――音無家で寄食し、学校に通うことになった。

 そんな僕にとって、自分のパソコンを所有し、室内犬を三匹も買い、部屋には熱帯魚の水槽があって、生け花、日本舞踊、和琴の嗜みがあるユピュは別世界の「お姫様」だった。同時に、他人に対しては秘匿しているプライベートな感情を、僕にぶつけてくる「お姉ちゃん」でもあった。そして、思春期の僕はいつしかユピュに、淡い恋慕の情を抱くようになっていた。

「ミッ君」

「なに?」

「駆け落ち」

という穏やかではない単語がユピュの口をついて出た。

「アタシと駆け落ち、しない?」

「え?」

「このまま、逃げちゃおうか」

「え?」

 一緒に寺を捨てての逃避行。ユピュとの二人きりの暮らし。大好きなユピュを独り占めできる。大好きなユピュと毎日セックスできる。そんな暮らし。

「冗談だよ」

 ユピュはあっさり前言を翻した。

 ああ! 僕は落胆した。束の間、ユピュとの新しい生活を思い描いた自分が莫迦みたく思え、みるみる身体の力が抜けた。

 たぶん、これは失恋なんだろうな、とぼんやり思った。

 ユピュのお父さんが娘を呼んだ。剃髪の支度が整ったのだろう。

「今行く」

とユピュは返事をした。死ぬほど過酷でも、ちゃんとゴールが用意されている新たな人生への船出を決めたのだろう。

 それでいいと思う。

 死に物狂いになって一つのことをやり遂げたとき、ユピュはきっと逞しさと自信を得て、本当の意味でイイオンナに成長しているはずだから。



 ユピュはなかなかお風呂から出てこない。

 僕は坊主頭のユピュがシャワーを浴びている、あまり健康的とはいえないシーンを想像してみた。

 お風呂で初めてユピュの裸を目撃したのは、つい先月のことだった。

 脱衣所のドアを開けたら、服を脱いだユピュがいた。大きな胸に何か白い布をグルグルと巻いていた。

「ごめん」

とあわてて、脱衣所を飛び出した。後で、

「見たでしょう?」

と悪戯っぽく訊かれ、僕はドギマギと、

「胸に巻いてたの何?」

 ブラジャーじゃないよね?と訊ね返した。

「サラシ」

「サラシ?」

 一ヶ月後の荒行では、あのサラシを巻いて冷水を矢鱈滅多らかぶるという。先日、注文していたのが届いたので、巻き方の練習をしていたという。

「キツキツだよ。何かヘンな感じ」

「胸が圧迫されるの?」

「スケベ」

とユピュは笑った。例の先輩にも、こういう笑顔を見せる勇気があったなら、サラシの巻き方の練習なんかする必要もなかったのに・・・。

「やっぱりサラシには坊主頭だろう」

とユピュのお父さんは言った。言われたユピュはいやな顔をした。

「・・・・・・」

 目の前のピンクのトレーナーにジーンズのユピュが、もうすぐ坊主頭にサラシを巻いて、気合い諸共、ザブザブと冷水をかぶる姿を思い浮かべ、僕はサディスティックな昂奮をおぼえた。

 その夜はその想像で自慰にふけった。憧れの女性の不幸を自慰の材料にするのは、罪悪感が伴った。罪悪感は自慰行為を一層刺激する調味料になった。ごめんね、ユピュ。精液を飛ばしながら、何度もユピュに詫びた。



 ユピュは昨日、本山に向けて、人生の第二章に向けて、この地を発った。

 ユピュの尼僧姿の美しさは見送った人々を驚かせ、しばらくの間、語り草になった。

 何を今更、と僕は冷めていた。

 ユピュはいつだって綺麗だったのに。



 髪にバリカンが触れたときのユピュのグシャリと歪んだ表情、髪をバリバリと刈られているときの悄然とした顔、髪を捨てられたときの頭の中が真っ白になったような表情、それら全てを僕はたぶん一生忘れられないだろう。ほろ苦い恋の記憶とともに。

 そして、駆け落ちしたユピュと僕がささやかな幸せに悦びを見出しながら、つつましく暮らしている、もう一つの時空を夢想しつづけるだろう。

 この不毛な夢想にピリオドを打ってくれるものがあるとすれば、それは荒行を見事にクリアーして帰宅した新しいユピュの新しい生き方だと思う。そんな確信がある。

 ユピュが明るい表情で荒行から戻ってきたとき、僕も遅れて出発する。それぞれの行くべき場所に向けて、ユピュも僕も歩いていける。

 学校の測量実習は明日だ。

 もう寝よう。

 今頃、ユピュはどうしているだろう。

 やっぱり考えてしまう。

 でも今はそれでいいと思っている。



         (4)迫水野亜


 小説のネタを求めて、ネットを徘徊していたら、ある掲示板で奇妙な書き込みを発見した。



『尼さん萌えの皆さん、こんばんは!

 破戒僧のゴウケンです。

いま某本山の某荒行にスタッフとして泊り込みで修行僧の指導に当たっています。

スマホからカキコしてマス(修行僧は厳禁だけど、指導スタッフは携帯持ち込みOKなのよん)

尼さんも結構参加してる。

もう毎日尼さん拝み放題♪ うらやましいだろ(w

昔は尼さんとかマジアリエネーって思ってたけどさ、なんかね〜、いいよ!

若い尼さんが寒空の下、剃髪にサラシに腰巻で水行してるんだゼ? 半裸の尼さんが坊主頭からザブザブ水がぶってさ、毎日指導してて、ムラムラしっぱなし(w) 大丈夫か、俺の理性?!

まあ、これでも鬼スタッフとして恐れられてるんだけどね(苦笑)

中でもお気に入りは二十代の尼さんYチャン(俗名)

めちゃめちゃ美人だ!

もうね、「ヒイキ」しまくりだよ!

水行のときは「オマエ、ちゃんと水かぶってなかっただろ」とナンクセつけて、Yチャンにだけ余計に水をかぶらせる。教官の言葉は絶対なんで、Yチャン、泣きそうな顔で体から湯気ホッカホッカたたせながら、セイヤアアッ、って水かぶっている。

 ザゼンのときは皆に喝を入れるんだけど、Yチャンは特別に力任せに思いっきりビシバシ、シバきまくる。必死で痛みこらえて、声をたてまいと唇噛んでいるT子チャンがいじらしくて、メッチャ興奮するぜ(w

 読経のときは「Yの声が出てなかった」とまたナンクセつけて連帯責任で全員やり直し。皆の恨めげな視線を浴びて居たたまれなさそうにしてるYチャンがたまんねえwwww

 あとYちゃんの丸刈り頭にもイチャモンつけます。

 修行僧は0・5mm坊主がきまりなんだが、「オマエ、0・5mmじゃねーだろ。長ェぞ」とイチャモンつけて、また連帯責任で全員に罰を与える(w

 Yチャン、また仲間から恨まれて、昨日夜中に起きてアタッチメントなしのバリカンでツルツルにしちゃってました〜(笑)

 さすがにかわいそうなんで腋毛がボーボーなのは見逃してあげました〜www

 在家の子なら自分の意思で脱落できるんだけど、Yチャン、かなり大きな寺の子で家族の生活と檀家の期待背負っちまってるんで、修行やめたくてもやめれないんだよね。もしやめちゃっても、帰る場所ないから。

 その弱みを知ってるから安心してイジめられるゼ(←外道)

 修行僧のヤツらは俺がYチャンを嫌ってると思ってるみたいだが、逆だ。愛してる。メチャメチャ愛してる!! シゴかれてるYチャンの苦悶の表情で、俺も毎晩シゴいてます(爆)

 俺の愛情表現は屈折してるのさ(笑)

 ごめんね、Yちゃん(TT)

 さて、明日はどうやってイジめようかな(これがスタッフとしての唯一の楽しみ)

 でも最近他の或る尼さんも気になってきてるんだよね。

 まっ、これからもチョクチョク書き込ませてもらいますね♪♪♪』



 もしかしたら、尼バリ小説の参考になるかも知れない、と私はこの記事を保存した。



     (5)平岡真兆


 時計の針を戻そう。



 ここは某荒行がおこなわれる某寺のある某山の麓の某老舗旅館。

 荒行の指導スタッフを務める僧侶たちはすでにここに詰め、明日から始まる行に備えている。

 指導内容を確認する者、

 スタッフの心得を書いた冊子をめくる者、

 しばらく遠ざかる肉や酒を口にする者、

 皆、準備万端で待機している。

「ちょっと待ってっ!! 待ってええぇっっ!!」

 あ、了光尼さんはまだ準備できてなかった。

 了光尼さんをボウズにしたら、スタッフの準備は完了。

・・・なんだけど、

「やめてっ!! ちょっと、やめてよっ!! やめってってばっっ!! やめてええぇぇ!!」

 了光尼はさっきからバブルの遺産みたいなロングヘアーを振り乱して、旅館中、逃げ回っている。往生際が悪い。

「了光さん、キマリなんだから、覚悟きめてくださいよ!」

 豪兼さんはじめ、若い指導スタッフの僧侶がバリカンを持って、エリート尼僧を追い掛け回す。

「わかってるわよっ!! わかってるってばッッ!!」

とか言いながら、了光尼さんは逃げる。



 荒行は宗教的側面より体育会系的側面が濃厚だ。

 当然、スタッフの僧侶たちも体育会系モードになっている。

 大学でアメフトやってたっていう豪兼さんなんて、学生寮の蛮カラ気風そのままに男女関係なく、修行僧を殴ってるし・・・(禁則事項)。

 いつの頃から始まったのか知らないけど、毎年、有髪でやってきたスタッフをとっつかまえて、バリカンでブイ〜ンと頭を丸める、って慣習があって、まあ、一種の景気づけの儀式みたいなもの。運動部とかで試合前に上級生が「気合い入れてやる〜」って下級生を丸刈りにするようなノリに似ている。

 「刈られ役」の坊さんは有志っていうのかな、バリカン儀式を盛り上げるため、あえて有髪で来て、「イエ〜イ」って皆でお遊びで刈り刈られるのだが、今回は、

「待ってよオぉッッ!! 嫌よッッ! 嫌ッッ!!」

 ガチンコである。

 しかも初の尼僧である。  

 きっと連綿と続く荒行の裏歴史に残る椿事として語り継がれるだろう。

 まあ、了光尼さんは気合い入れてもらうべきだな。

 説明会では、

「僧職を志す者が剃髪するのは当然です」

などと大見得をきっていた了光尼さんだが、本日、1センチも切らないまま、到着。

 誰も訊いてないのに、

「あ〜、時間がなくて床屋に行けなかったわよ。参ったわよねえ、有髪でも仕方ないかなあ」

と言い訳してた。

 もしかして内心、「時間もないし、特例で有髪許可」というなし崩し的な大岡裁きを期待していたのではないだろうか。

 証拠ならある。

 後でわかったのだが、了光尼さん、剃髪を保っておくためのシェーバー類を持参していなかった。

 監督の宗厳さんに気に入られているし、彼女のファンの若い男僧たちが「かわいそうですよ〜」とフォローしてくれるかも知れない。スタッフ唯一の尼僧だし、お目こぼししてくれるのでは、と。

 常に周囲からチヤホヤされてきたエリートゆえの見通しの甘さといえる。

 こんなに気合いの入れ甲斐のある人材も近頃珍しい。

 これが、もし他の尼僧さんだったなら、少なくともバリカン儀式のイケニエは回避できたろう。

 が、了光尼さん、スタッフ間にひどく評判が悪い。

 初参加なのにえらそうに仕切る。エリートを鼻にかけ古参のスタッフに対する言動が高飛車。

 気に入らないことがあると、

「宗厳上人のお耳に入れておきます」

と側近面して恫喝。皆の顰蹙を買っていた。

 そもそも、この人、公的には荒行を済ませたことになってるけど(だからスタッフになれたのだ)、書類をごまかしてて、実は普通の修行すらしていないらしい。

 実務ができるので、宗厳さんに目をかけられ、その七光りで本山の中枢にいる。

 勤務している本山では、熟女の魅力と経験と尼さんらしからぬロングヘアーを武器に、若い僧侶を誘惑しているという。了光尼さんに筆おろししてもらった坊さんも結構いるらしい。

 「らしい」って僕も世話になったんだけど・・・。

 豪兼さんなんか「色キチ」「女狐」って了光尼さんのこと、陰で罵ってて、「ギャフンと言わせてやる」って息巻いていた。

 しかし、了光尼さんの方が役者が一枚上だった。情報網を駆使して、本山のエライさんのスキャンダルネタを握り、身の安全を確保。了光尼さんの権勢は揺るぎないものに思えた。

 だが宗厳さんに気に入られすぎたのが、不運だった。

 了光尼さんの能力を買いかぶった宗厳さんは、彼女を自分の助手として、今回荒行のスタッフに抜擢した。尼僧としては異例である。

 了光尼さんにとってはいい面の皮である。男や酒や肉を断たれ、わざわざ山に篭らなくちゃならない。何十年も自由に伸ばしてきた髪も規定通りミリに刈らなくちゃならない羽目になった。

 ここで腹を括ってボウズにするか、スタッフを辞退するかすれば良かったのに、宗厳さんの寵愛はつなぎとめておきたいわ、頭を剃りたくないわ、未練たらたらで、有髪で参加という見苦しさ。

 学生時代や僧侶時代、ダメ後輩にバリカン制裁を加えてきた豪兼さんが、こんな鴨ネギを放っておくはずもなく、

「了光さん、何やってんですか!」

 目を吊り上げて怒ってた。

「説明会であれだけ仰ってたんだから、修行僧たちにちゃんと手本見せてやって下さい!

「荒行スタッフがそんな長髪でどうするんですか、前代未聞ですよ!

「慣例なんでこの場で頭剃らせてもらいますよ!」

と咆え、問答無用でバリカンを突きつけられた了光尼さんは狼狽、

「ちょっとッッ!! ナニすんのッッ?! アナタ正気なのッッ?! この野蛮人ッッ!!」

 豪兼さんを言いくるめる暇もあらばこそ、腰を抜かしかけ、畳を這うようにして広間を逃げ出した。

 無論、豪兼さんはそんな了光尼さんを見逃すほどフェミニストではない。

 同輩に宿の入り口を固めさせ、バリカンの獲物を追った。

 生憎、了光尼さんの頼みの網の宗厳さんは講演会で、夜になってから到着することになっていた。

 本山から送別にきた二人の老尼は、

「エエ気味や。きれいさっぱり刈っておあげなさい」

「胸がすくわ。あんな長い髪で荒行に入ったら、本山の恥やで。早よ、坊主にし」

と豪兼さんたちにハッパをかけていた。

 了光尼さん、本山の尼さんたちからも嫌われてたみたい。

 まあ、了光尼さんの火遊びは山火事にならないのが不思議なくらい激しかったからなあ。

 本山の他の尼さんがお婆ちゃん&ツルッツルの剃髪なので、相対的に一番若くてロングヘアーの了光尼さんの周りに男僧が集まるわけで。了光尼さんも異性の目を意識しててコッソリ化粧したり、コケティッシュに振舞って、男僧たちをチョイチョイつまんでた。

 了光尼さん、アップに寄るとシワもシミも結構すごくて、正直お多福顔でお世辞にも美人とは言えず、笑うと銀歯光ってるし、息もちょっと臭い。

 こんな尼さんでも、本山に詰めきりで、ろくに下界の女性と関わることもできず、溜まっている坊さん連中にとっては、セックスシンボルになってしまう。夜遊びしない真面目な坊さんほど引っかかる。オレもそうだった。

「あら、真兆さん、真面目に仕事してる〜?」

って、ムラッとして、つい誘惑にのってしまった・・・。修行が足りなかった・・・。

 今回の荒行スタッフについても、

「修行僧の男の子、食べちゃおうかな」

なんて放言してたらしい。

 冗談のつもりでも、了光尼さんが言うと笑えないんだよなあ。そういう談話がすぐに広まってしまうあたり、いかにも了光尼さんの不徳の致すところと言える。

「あんなもん、パン○ンやがな」

と年配の尼さんたちは相当オカンムリだった様子。

 尼さんたちは了光尼さんに何度も剃髪をすすめたらしいが、

「男の坊さんたちが悲しみますわ」

とか言って、ずっと拒んでいたらしい。

 申し訳ないが、いざ了光尼さんが剃髪するって段になっても、若い坊さんスタッフは誰も悲しまなかったし、制止にも入らなかった。穴兄弟の林勝なんて、了光尼さんの履物隠して、旅館の外に逃げられないようにしてたし。もう一人、穴兄弟の嬰孔も

「豪兼さん、アタなしで大丈夫っすよ」

とかアドヴァイスかまして、お前ら、結局身体目当てだったのかよ! 情けない。

 オレにできることは、了光尼さんの剃髪を見届けることだけ(見物)

 了光尼さんはホラー映画のヒロインばりに旅館の部屋やら調理場まで、逃げ回って、良かった〜、貸切で、一般の人に宗門の恥をさらすところだった。んで、とうとう個室のトイレに飛び込んだ。

 鍵をしめようとするところに、間一髪、豪兼さんの手がドアノブにかかる。トイレの内と外でものすっごい引っ張り合いになった。

「了光っ! てめえ、往生際が悪いぞっ!」

 豪兼さんはもう常軌を逸している。

「るっさいよッッ! あんた、ナニ女便所に入って来てんのよッッ! この痴漢坊主ッッ!! 出てけッッ!!」

 了光尼さんも日頃のエリートモテ尼僧の皮をかなぐり捨て、本性も露に、わめき散らしてるし、とんだ修羅場になっちゃった。

「ちゃんとキマリ守って剃髪しろよっ!! 見苦しい真似してんじゃねえよ!!」

「男のクセにギャアギャアうるさいねッッ!! 髪は女の命だよッッ!!」

「バカヤロウ! 尼さんてのはその女の命引き換えになるんだよッッ!! だから有難がられんだよッッ」

「ろくに学歴もないのに理屈こねんなッッ!! 単細胞がッッ!」

「高学歴なら高学歴らしく、頭丸めて高卒の俺に模範示せやっ!!」

「嫌よッッ!! 絶対嫌ッッ!! あんたなんかに頭剃られるくらいなら、舌噛んで死んでやるッッ!!」

「じゃあ死ねっ!!」

 女子トイレであんまり大騒ぎしてるもんだから、

「あの〜」

 ほら、仲居さんが恐る恐る顔を出しちゃったよ。

「大丈夫です」

 ドアノブ、ガチャガチャいわせながら豪兼さん。

「これも明日の準備なんで」

「そうですか・・・」

「すいませんが、古新聞用意してもらえませんか。それと、畳が散らかるかも知れんので、掃除機と箒と塵取りとゴミ箱をお願いします」

「は、はあ、わかりました」

「嫌々ぁぁ〜!!」

 すさまじい力でドアを閉めようとする了光尼だが、

「おい、お前らもボサッと見てねえで引っ張れ!」

と男僧三人がかりでドアを引っ張り篭城作戦を阻止。

 窮鼠となった了光尼さんは篭城をあきらめ、奇声をあげながら、トイレを飛び出し、立ちはだかる男僧の群れをポカポカ叩き、中央突破をはかるが、所詮蟷螂の斧、

「世話焼かせやがって、このアマ!!」

 元アメフト部の豪兼さんにガッチリ身体を捕獲されてしまった。

「離してよッッ!! 離せッッ!!」

 豪兼さんの腕の中でジタバタもがく了光尼さん。もう訳がわかんなくなっていて、顔真っ赤にして、

「離せッッ!! こう見えたって、あたしの親は刑事なんだよッッ! 警察なんだよッッ!! 女の髪にバリカン入れるなんて、立派な傷害罪だからねッッ!!」

 ブタ箱にブチ込んでやるッッ!!とか騒ぎまくって、手がつけられなかった。

「コイツ、バカじゃねえか」

と豪兼はカラカラ笑って、

「お前の親父は貧乏寺の住職だろ」

 父娘二代でボウズになれ、と抱え込んだ了光尼さんの頭に、有無を言わさず、スイッチオンにして、

 ジ〜〜〜〜〜〜

ってトップの分け目からバリカン入れてしまったのだった。まるで買った奴隷に焼印入れてる古代王みたいだった。



「ひいいいいいぃぃぃッッッ!!」



 ばさっっ



とトイレのタイルに髪の塊が落ちる。

 前頭部を削り取られカッパにされた了光尼さん、さらに悲鳴。

 もう100%戻れない。

「っしゃあ!!」

「ああッッ!! バカバカバカバカッッ!! か、髪ッッ!! 髪返せッッ〜!!」

 ジタバタもがきにもがく了光尼さんをズルズル引きずりながら、

「うるせえッッ!! 尼僧のクセに髪伸ばしてんじゃねえっ!」

 二刈り目のバリカンが、また、

 ジ〜〜〜〜〜

って思い切り入る。

 もはや抵抗する気力も失せ、ガックリ腕にぶら下がる本山のセックスシンボルに、豪兼さんは、

「了光さん、ドッキリ大成功ですよ〜。いい演技でしたよ。本気で剃髪を嫌がってるのかと思いましたよ」

と助け舟を出した。オレらを見渡し、

「みんな、まんまと騙されちゃって、やりましたよ、成功ですよ、了光尼さん! 昨日電話で打ち合わせした通りですね〜」

 これまでの一切は二人のドッキリ仕立ての芝居だったという形にして、騒動を着地させようとしていた。かなり強引だ。でも、これからここにいる連中は数ヶ月、同じ釜の飯を食う。後味を悪くすると、何かと支障をきたしてしまう。

 了光尼さんの面子も一応立つ。

「いや〜、了光さん、迫真の演技でしたねえ」

「俺、本当に剃髪しないつもりかと思って焦ったよ〜」

 一同、豪兼さんの筋書きに急いで乗っかる。

 了光尼さんだけ、漕ぎ寄せてきた助け舟に気づかず、パニック状態で、

「ふざけんなッッ!! この高卒坊主がッッ!! 訴えてやるからなッッ!! あたしの髪、懲役で償わせてやるよッッ!!」

と喚き続けていた・・・。

 豪兼さんは八つも年上の尼さんの無様さに鼻白んだが、

「もォ〜、了光さんてば演技はもういいですよ〜。いつまでも演技続けてると、『あ〜、あの尼さん、荒行前に剃髪拒否って醜態さらした人じゃないの?』って有名人になって、宗厳さんにも見放されて、本山追放されちゃうよ」

 髪も地位も失っちゃあ救いようないもんなあ、と諌めながら、刈ったトコ、ゲンコツでグリグリ〜ってやってた。

 了光尼もようやく自分の置かれているのっぴきならない状況に気づいたらしい。

「あ、あら、あたしってば」

 女狐の本領を取り戻し、すっトボけた。

「つ、つい熱演しちゃったわ」

「もォ〜、この千両役者」

 豪兼さんは笑って、でもガッシリと年上の尼さんを抱え込んだまま、ズルズル引きずってる。

「実は剃りたくてウズウズしてたんでしょ? 『やめて、やめて〜』って言いながら目がバリカン欲しがってんだもん」

「え、ええ、あ、当たり前でしょ」

 もはや髪を諦めるしかない了光尼さんは必死で「ヤラセ」を強調する。

「もォ〜、このドッキリのために、あたし、ずっと床屋行くの我慢してたのよォ〜」

「ごめんね〜」

「あ、あの、も、もう身体離してOKよ」

「大丈夫、ちゃんとエスコートしますって」

 豪兼さんも人が悪い。

 ヘッドロック状態の了光尼さんの頭に、

 ジ〜〜〜〜

 ジ〜〜〜〜〜

 ジ〜〜〜〜〜〜〜

と気まぐれバリカンを走らせながら、廊下を引きずっていった。

「バブルはもうとっくに終わったよ〜」

 黒髪がバサバサ落っこちて、廊下に散乱、目も当てられない。

 了光尼さんもついに年貢の納め時、栄光の歴史に彩られた髪をおとなしく刈らせていた。

 豪兼さん、愉快そうに了光尼さんの頭から、黒い部分を押し退け、押し退けしていく。

 余りの蛮行に、ザビエル頭の了光尼さんの口から、

「クッ」

と小さな呻吟の声が漏れた。今まで小馬鹿にしていた豪兼さんに、思うさま弄ばれて、屈辱はその極に達していた。 

 いい加減ヘッドロックははずして欲しい、という了光尼さんの懇願に、豪兼さんは耳を貸さず、ガッチリとホールドした頭に、これでもかっ、というくらい次々バリカンを繰り出し、ザビエルカットから、さらに前髪を掻き切り、ゾリゾリゾリーーー!!!と落ち武者へと変貌させていった。

 もう、これで了光尼さんの火遊びに付き合ってくれる男僧は、皆無だろう。

 ようやくヘッドロックが解除される。

 畳に敷かれた新聞紙の上に、落ち武者刈りの了光尼さんは引き据えられた。ヘッドロックと断髪の苦痛で、顔が真っ赤に腫れかけていた。

「よしよし」

と豪兼さんはケダモノをなだめるムツゴロウさんのような声を発し、遠慮会釈なしに憐れな頭を丸〜く整地していく。アタなしのバリカンで。

「もう二度と髪伸ばさせへんで」

「あんた、これから一生坊主やからね」

と老尼たちに圧をかけられ、了光尼さんは

「ひぃい・・・そ、そんな・・・」

と絶望的な表情をして、病み猫のように震え上がっていた。

 バサバサとバブリーな黒髪が刈り詰められて、かつての栄華は嗚呼いずこ、了光尼さんは没落の道を転がり落ちていった。これからは凡百の尼僧の群れの一人となり、本山の片隅で小ぢんまりと埋もれていくのだろう。

 後頭部もバリバリ切除される。

 豪兼さんは長い後ろ髪を暖簾のようにかきわけて、左から右へ順繰り順繰り、根元からバリカンを挿し入れて、収穫していった。

「やっぱり尼さんは坊主頭が一番!」

とかのたまいながら。流石巧者、うまいもんだ。

了光尼さん、ションボリと丸坊主に。顔の輪郭もすっかり露わに出た。下膨れの顔なので、大福餅を連想してしまうオレだ。

 アタなしのバリカンでやったもんだから、頭は青光りだ。

「いや〜、随分サッパリしましたね、了光さん。いいっすわ〜」

と豪兼さんはご満悦、顎に手をやりニタニタ笑っている。

 出来あがり具合を鏡で、無理やり確認させられ、

「うはあああ!」

と白目を剥く元セックスシンボルに、坊さん尼さんは大爆笑した。オレも苦笑を禁じ得なかった。

 薄化粧(してやがったんだよ!)も落とされ、了光尼さんはもはや年齢性別も不詳な容貌になり果てちゃった。

 そんなだから、次の日、宿を出たら、了光尼さん、外国人の観光客(髭面でごっつい白人のオッサン)に小僧さんと間違われ、

「Hey、Buddhist Boy、Oh、ボーズ、イイネー、ツルツル〜」

と分厚い掌で坊主頭を撫でられ、顔を真っ赤にして、怒りと屈辱に震えていた。まさに踏んだり蹴ったりだ。



 後日のことになるが、了光尼さん、荒行指導員としての不手際から未修行なのがバレて、宗厳さんの御勘気を蒙り、下山と同時に関西地方の道場での荒修行を命じられてしまった。

 驚いたことに、豪兼さんはその了光尼さんの修行先に、せっせと通って、差し入れをしたり、コッソリ会ったりしていた。指導員の仕事がきっかけで、お互い何か通じ合うものを感じたらしい。男女の機微というのは、まったく不思議なものだ。オレには一生分からないかもね。



     (6)ふたたび、猪口充


 『明日はユピュが帰って来る。楽しみと緊張、待つ我にあり。今日は実習で疲れた。早く寝よう』(日記より抜粋)



   (7)ふたたび、太宰治


 みんな幸福に暮らした。(「古典風」より)




          (了)






    あとがき

 迫水野亜です!
 今年初めてのオリジナル小説です。いかがだったでしょうか?
 と言いつつも、この「ユピュ」、実は10年以上前に90%近く書かれていた小説です。
 当時、「長い(2万字近く)」「マニアック(刈られるのが40代のオバチャン)」なので、お蔵入りになりました。
 しかし10年経って、お読み下さっている方も、迫水作品の長さやマニアックさに多少、ご理解頂けているかなぁ(耐性がついたかなぁ)と思い、発掘して、最後まで書き足し、発表させてもらいました〜。
 しかし、エネルギッシュかつトリッキーなストーリーです。とにかく、複数の語り手たちが、作者に憑依したかの如く、語って語って語り倒す。その饒舌さたるや、現在の自分では再演は難しい。
 とは言え、現在の迫水がダメダメなのではなく、方法論が変化してきたのでしょう。・・・とポジティヴに考えたりして(^^;)
 次作は完全最新オリジナル小説でいくぞ〜!!  最後までお付き合い下さり、感謝感謝です(*^^*)



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