元気娘と優しいジイジ |
曲直瀬志乃(まなせ・しの)は、小学3年生です。 お寺の一人娘です。 志乃 という今時っぽくない名前も、時代劇のヒロインみたいで、気に入っています。 時代劇は、大好きなお祖父ちゃん――ジイジと一緒に、BSで観ています。 ジイジはこのお寺の住職さんです。 志乃だけでなく、皆に優しく、いつもニコニコしています。 何を隠そうこのジイジこそ、志乃の名付け親なのでした。 志乃はそんなジイジを独り占めしているときが、一番嬉しいです。一緒にテレビを観て、一緒にお散歩して、一緒にお風呂に入って、いつだってくっついてまわっています。 ジイジも志乃のことが大好きです。 「志乃は偉いね」 とか、 「志乃は頑張ったね」 とか、 「志乃はお利口さんだね」 とか言って、目を細め、志乃の頭をなでてくれます。そんなとき、志乃は天にも昇る気持ちになるのでした。 ジイジはお坊さんだから、頭をツルツルに丸めています。 別に坊主頭にしなくちゃいけないという厳しいキマリはありません。近所の他のお寺のお坊さんも髪の毛がある人ばかりです。志乃のパパもお坊さんですが、やっぱり普通の人と同じ髪型でした。 志乃はジイジの坊主頭が大好きです。 「ジイジ、頭ナデナデさせて〜」 と甘えてせがむと、 「ああ、いいとも、いいとも」 とジイジはニコニコと、志乃に頭を差し出します。 志乃はジイジの頭を撫で撫でします。年季の入ったジイジの坊主頭はツルツルしていて、触っていて、とても気持ちいいです。 たまにほんの少し髪が伸びていて、ジョリジョリするときもあります。これもまた志乃には心地好い手触りでした。 「なんで他のお坊さんは髪の毛あるのに、ジイジはツルツルなの?」 と訊いたことがあります。 「ジイジはね――」 とジイジはいつものように、柔らかく微笑みながら、こう答えました。 「うっかり屋だから、自分がお坊さんってことをついつい忘れちゃうんだよ。だから頭をまぁるく剃っていればね、例えば窓ガラスにうつる自分を見たり、頭に手をやったり、それから剃刀で頭をスリスリするときに、そうだ、ジイジはお坊さんなんだ、しっかりしなきゃ、って思い出して心が引き締まるんだよ」 「ふ〜ん」 志乃はわかったようなわからないような顔で、ジイジの話を聞くのでした。 志乃は9歳になったので、京都にある御本山での得度式に臨むことになりました。 得度式とはお坊さんになるための儀式です。 御本山では、毎年夏、主に子どもたち――志乃みたいにお寺の子ばかりです――が集まって、この得度式を行います。 クリクリ坊主で慣れない衣を着た「小僧さん」たちの姿が、よく新聞やニュースなどで取り上げられています。 志乃も今年、晴れてお坊さんになるのです。 「女の子はクリクリ坊主にならなくっていいのよ」 とママは志乃が怖がらないようにと教えてくれました。 「髪を後ろで結えばいいのよ」 と志乃の長くて黒い髪を撫でながら言います。 そんなママの親心に、志乃が喜ぶかと思いきや、実は内心不満でした。 志乃の頭の中に、悠々とお寺を切り盛りしているジイジの姿が浮かんでいました。 お坊さんであることを忘れないように頭を剃っているという、ジイジの言葉も浮かんでいます。 「女の人は坊主にしちゃダメなの?」 とパパに訊ねたら、パパは、 「中にはする人もいるけどね」 大人の女性が剃髪で式に参加する場合も、ごくたまにあるとのことでした。 「レアケースだけどね」 志乃は意を強くしました。 「だったら、ねえ、パパ、志乃も坊主にしたい! ジイジみたいな頭になりたい!」 とパパにお願いしましたが、 「そこまでしなくてもいいよ」 パパは志乃の「気まぐれ」を受け流します。 ママにもお願いしましたが、 「女の子が坊主なんてヘンよ」 ととりあってくれません。 「“心の剃髪”をすればいい」 とパパは言いますが、 「“心の剃髪”?」 志乃にはピンときません。坊主にする勇気のない人の詭弁だと、子供心に見抜いています。子どもは偽善に敏感なのです。 「坊主頭にしたら学校で皆に笑われるよ」 とも脅されましたが、 「笑ったヤツはぶっ飛ばすもん」 実際志乃は腕っぷしが強く、クラスのボスでした。男の子をポカリとやって、しょっちゅう泣かせています。 この間も学校の休み時間、からかってきた男の子二人を殴りつけ、鼻血を流させてしまったばかりです。 大体がお坊さんが頭を丸めているのを笑う者が悪いのです。坊主頭は何ら恥ずべきものではありません。むしろ堂々と胸を張るべき勲章なのです。 それだから、志乃は躍起になります。 ジイジに、 「ねえ、ジイジ、志乃もジイジみたいなツルツル頭にしたいの」 と話すと、ジイジは、 「志乃は凛々しい顔立ちだから、さぞクリクリ坊主も似合うだろうよ」 と飄々としたもの。 志乃はパパとママを説得するのをあきらめました。もはや実行あるのみです。 工作バサミを持ち出し、トイレに籠りました。鍵をガチャリ。 長いトップの髪を持ち上げ、ハサミの刃を跨がせます。さすがにドキドキします。 だけど、心を決め、 えいや! とばかりにグリップを握る指に力をこめます。 ハサミの刃は勢いよく閉じました。 ジャキ! 根元から切ったので、地肌がスケスケです。 切った髪は便器に放ります。あのキレイだったバージンヘアーが便器の中、水を吸って、クッタリとなっています。 さらにトップの髪を持ち上げ、ハサミをあて、ジャキッ! そうやって5回くらい切ると、頭のてっぺんの地肌が剥き出しになりました。まるでカッパです。 便器に溜まった髪を流します。切り髪はゴボゴボいいながら、水と一緒に吸い込まれていきました。 頭のてっぺんがスースーします。 カッパになった志乃に、パパもママも仰天するやら呆れるやら、 「せっかくのキレイな髪を・・・」 「ここまで切っちゃったら、もう坊主にするしかないなあ」 と嘆きの言葉を交わしています。志乃の目論見通りです。 そこへ、ひょっこりジイジが現れました。 ジイジは志乃のカッパ頭に、 「おやおや」 と目を丸くしましたが、 「志乃や、よく思い切ったもんだね」 と感心したように言いました。そして、 「よしよし、あとはジイジが刈ってやろう」 と志乃をジイジのお部屋に連れていきました。 そのお部屋で志乃の、まだパーマもカラーリングも知らない髪を、バリカンで刈ってくれました。 バリカンはちょっと古ぼけていました。 ジイジは、 「まだ切れると思うがの」 とバリカンにたっぷりたっぷり油を差し、刈布を巻いてじっとしている志乃の前頭部に挿し入れました。 ウイイイィィイィイン とバリカンが吠え、志乃の前頭部はジョリジョリ刈られ、頭頂のカッパの皿と、見事に合流し、志乃はお侍さんみたいな髪型になりました。 それから右側の髪を、バリカンは齧りはじめました。 右の耳いっぱいにバリカンのノイズが響き、あまりぞっとしません。 バリカンがスッとあてられ、ジャアアァアァァ、と上へとせり上がっていきます。 バリカンの移動に応えるように、髪が、グーッ、と持ち上がります。 持ち上がった髪は、ドバドバと刈布になだれ落ちていきます。 志乃は嬉しさ半分怖さ半分で、ギュッと目をつむって、散髪が終わるのを待っています。 ジイジは今度は左の髪を刈り込んでいきます。おもむろにバリカンをあて動かします。 志乃はもう胸がいっぱい、お経を唱え始めました。昔ジイジが教えてくれたお経です。そうすると、だいぶ気持ちが落ち着いてきました。 「志乃はいいお坊さんになるね」 とジイジは嬉しそうに言いました。志乃は夢中で、読経を続けます。 そんな中、バリカンは志乃の左髪に圧を加えます。 圧に耐え切れず、髪は志乃の頭から退去していきます。 バサバサッ、バサバサッ、バサッ、 長い髪が刈布を叩きます。もうポニーテールにもツインテールにもできません。感傷的な気分になります。 それでも、志乃は読経を続け、心を静めます。 バリカンはいつの間にか、うなじを滑っています。襟足を刈り込み、後頭部に何度もその刃の振動を感じます。 頭皮と外界を隔てる分厚い緞帳がのけられます。緞帳が払われたそばから、初舞台を踏む頭の地肌が初々しく顔をのぞかせます。 ジイジは丁寧にバリカンを繰って、人より濃く、量も多い、志乃の髪をカットしていきます。 そんなジイジはどんな表情をしているのかと、志乃はふと思いました。目だけ動かして、ジイジの顔を盗み見しようとしましたが、見えませんでした。 バアアァ、と後頭部の髪が裂かれます。そして、刈布に強制移住させられていきます。 志乃はトラ刈りの丸刈り頭。それをジイジはやっぱり丁寧に、細かな残り毛を摘んでいきます。 バリカンの音が止みました。 散髪が終わりました。 志乃もお経を止めました。 すぐにジイジのお部屋の鏡で、自分の顔を見ました。 ――卵みたい! と思うと、なんだか笑えてきました。 クスクス笑う孫娘に、 「カッコいいぞ、志乃」 ジイジが頭を撫でてくれます。くすぐったいです。 パパに伴われて、いざ御本山へ。 得度式は丸刈りではダメで、完全にツルツルの剃髪にしなくてはいけないそうです。 なので、志乃は御本山に設置された理髪部屋で、2mmの丸刈り頭を剃られてしまいました。 髪を剃ってくれた理髪師のオバチャンは、少女の客に、 「女の子なの?!」 とビックリしていました。パパはキマリ悪そうにしていました。 まず頭が蒸されます。 シェービングクリームが、頭全体に施されます。 そうして、オバチャンの床屋さんが入念に剃刀をあてていきます。 シャー、シャー、と頭皮を剃刀が左右上下に動き、細かな毛が剃り獲られていきます。 床屋さんの手が滑って、頭を傷つけたらどうしよう。志乃は気が気ではありません。何せ初めての剃刀です。 その心配も杞憂でした。床屋さんもさすが職人、志乃の頭をツルツルピカピカに仕上げてくれました。 理髪店を出ると、 「お前、男か女か?」 と出し抜けに訊かれました。同い年くらいのクリクリ頭の男の子でした。関西のイントネーションでした。 「女だよ!」 と言い捨てて、志乃は法衣の裾をひるがえし、控え所に向かいました。頬がちょっと赤く染まっていました。初めて「恥じらい」という感情をおぼえました。 そして、その日は一日中、剃髪頭の感触を楽しむ志乃でした。 剃髪の女の子の出現に、控え所は大騒ぎ。きっと前代未聞のことなのでしょう。 男の子たちは自分と同じ頭の志乃に、親近感を抱いたらしく、色々話しかけてきました。 女の子も、 「どげんして坊主になったと?」 「涼しそうやね」 「触らしてもらえねえが」 とあとこちのお国言葉で好奇心を丸出しにして、質問してきたり、頭をタッチしてきたり。 中には、 「女のくせにハゲ坊主〜!」 とひやかしてくる腕白小僧もいました。 これまでの志乃なら、 「うるせー!」 と追いかけ回し、ポカポカ殴りつけていたでしょうが、坊主頭になった志乃はうつむき、唇を噛み、顔を紅潮させるばかりでした。 なんだか有髪の頃より、剃髪してからの方が女の子らしくなるのだから、不思議なものです。 もしかしたら、そんな坊主頭の女の子に胸をときめかせている男僧の卵もいたかも知れません。 マスコミも坊主少女に近づいてきます。 インタビューされて、 「ちょっと恥ずかしいデス」 と志乃は一層はにかみ、質問に答えていました。 ウィイイィィイィイン・・・ザザザー ウイィイイイィィイィン・・・ザザザザー 「志乃、朝ご飯冷めちゃうわよ〜」 と母親に呼ばれても、 「はーい」 志乃は洗面台の前、電気カミソリを念入りに動かしています。 すっかりツルツルに剃りあげると、 「よし!」 と頭を洗い、タオルで拭き、ひと撫で。満足げに微笑します。 あの得度式から十数年後、志乃は立派なお坊さんになって、頑張っています。 はじめての剃髪以後もずっと剃髪を貫いています。すっかり坊主頭が板についています。 周囲の人たちは志乃に、髪を伸ばすよう促してきたのですが、志乃はヘッチャラでした。十年以上も堂々とスキンヘッドで通してきました。 坊主頭のくせに、学生時代は、彼氏までいちゃったりしてました(笑) そして大好きなジイジとお揃いの頭で、時折一緒に法要で読経したりもしました。 そのジイジも三年前亡くなりました。 「志乃、ジイジはいつもお前のそばでお前を守ってあげるからね」 とジイジは最後に言い残しました。かわいい孫娘の頭をさすりながら。 志乃は幼子のように、わんわん泣きました。 お坊さんとしての自覚を保つため剃髪していたジイジの意思を受け継ぐように、志乃は坊主頭でいます。 今日はジイジの命日。 今から身内だけでささやかな法要を行います。 志乃はジイジのため、父と読経します。 ――ジイジ、どうか安らかに・・・。 ジイジの温かな笑顔を、志乃は思い浮かべます。 ――あたしがジイジの残してくれたこのお寺、守るからね。 と志乃はジイジに、心の中語りかけ、本堂への渡り廊下を進んでいきます。 実は志乃、近々婚活パーティーに出席することになっています。 友達に強引に誘われたのです。 勿論、志乃は袈裟と剃髪で臨むつもりでいます。 (了) あとがき 迫水です。今回のリクエスト企画は前回の2倍以上のリクエストが来て、嬉しい悲鳴をあげております。 今回心がけたのは、スピーディーに、ですかね〜。でき得る限り早く、そう、Amazonのように皆様の許に届くように、色々作戦を練っていました。前回での経験を踏まえて。 今作はテンプラー星人様のリクエストです! いの一番にリクエスト下さりありがとうございますm(_ _)m 「小学生〜中学生の少女が集団得度式のため、剃髪」というリクエストを小説化いたしました。こうやって同好者に恩を売って――嘘です嘘です(笑) こういう女版一休さん話を二回ほど書きかけてやめていたので、リクエストありがたかったです(*^^*) 少女と祖父の触れ合いも書いててほっこりしました。迫水は父方の祖父からまったく愛情を受けていなかったので。母方の祖父も早く亡くなってしまったし、だからどちらの葬儀でも泣かなかったなあ。 ・・・と闇落ちしそうなので、この辺でお祖父ちゃん話はやめておきます(笑) 最後までお付き合い頂き、ありがとうございましたm(_ _)m |