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暑気払い


 古典落語「船徳(ふなとく)」は勘当された質屋の若旦那が、転がり込んだ船宿の役に立とうと、志願して俄か船頭となり、夏のさかり、船を漕ぎ、客も本人も散々な目にあうといった筋立てである。

 「船徳」は、かの名人、八代目桂文楽の十八番で、文楽はこの噺を演じる際、いつも、

「四万六千日――お暑いさかりでございます」

とはじめ、この名文句は落語好きの間では有名である。



 四万六千日から過ぎること、一ヶ月、文楽師匠の言う通り、暑さはいよいよ猛威を振るっている。

 特に今年の夏は酷い。

 ニュースは連日、この異常な酷暑の話題を取り上げている。

 東暁庵(とうぎょうあん)の住持で尼僧の佐高泰潤(さたか・たいじゅん)35歳も、ずっと有髪を通してきたが、この猛炎の如き気象にせっつかれるように、床屋に駆け込み、長年慈しんできた自慢のロングヘア―にハサミを入れ、バリカンを入れ、剃刀を入れ、すっぽりと青坊主に剃りあげてしまった。

 ほとんど発作的な断髪だった。

 泰潤より年下の男の子の理容師は、剃髪してくれ、という女性客の出現にド肝を抜かれていた。

「スキンヘッドはやり過ぎですよ〜」

としきりに止めたが、泰潤は肯んじなかった。

「いいから、サッパリ剃っちゃってよ」

と強硬に言い張って、結局は泰潤の要望が通り、理容師は渋々カットの準備をはじめた。

 さすがに泰潤も緊張から、言葉数が多くなる。

「アラフォー手前の独身の尼が髪を長く伸ばしているっていうのも、何だかなあ、って感じだし、ここは潔く尼らしく剃髪しようかなあ、と思ってさ。だから、ひと思いにやっちゃってよ」

 カットを待つ男性客たちの好奇の眼、眼、眼。

 そんな思いがけぬ視線にも泰潤はやや動揺気味。

「ホント、夏場は暑苦しくて、長い髪」

 東暁庵にはエアコンがない。それでこの酷暑を乗り切るには、いささかドン・キホーテ的であり過ぎる。

 先代住職(故人)の方針に逆らうのは気が引けたが、先日、家電屋に行って、エアコンのコーナーを見て回った。が、清貧に甘んじている泰潤には高価過ぎた。

 中古の家電屋にも足を運んだが、これは、というものは見つからない。

 連日の熱帯夜に、寝不足にもなる。

 とにかく涼を得たい。心も体も。

 ――髪切ろうかな。

と初めて真剣に考えた。

 ――切ろうかな。

が、

 ――剃ろうかな。

へと移行するのは割合スムーズだった。



 泰潤が自分に許している唯一の贅沢、それはテレビだった。先代もテレビが好きで、地デジ化の際、費用を工面して、新しいテレビを購入していた。

 最近は「オシャカでも気づくめえ」という、仏教をテーマにしたバラエティ番組を、職業柄楽しんで観ている。

 番組では、藤枝令泉(ふじえだ・れいせん)なる自分と同じ年代で、同じロン毛の尼さんのお見合い企画がやっていて、

 ――生々しいなあ。

と思いつつ、視聴している。

 彼女の婚活については同世代なので興味はあるが、それより、令泉がお見合い不成立の場合、明言した

 頭を剃る

という公約は、おや、と泰潤の心を立ち止まらせる。

 「剃髪」という選択肢が初めてクッキリと脳裏に刻み込まれる。

 ――剃ろうかな。



 盆回りの季節、泰潤は炎暑の中、自転車漕いで、あっちの檀家、こっちの檀家、と飛び回る。心身ともにヘトヘトだ。

 長い髪が鬱陶しくて仕方ない。

 長い髪はファッションやポリシーとは一切無縁だ。単純に美容院代をケチっていただけだ。本当によく伸びた。

 もはや収穫の時期ではないか。そう、根こそぎ収穫の。



 盆回り三日目、ついに泰潤はブチ切れた。

 ――もう坊主にしよう!! ツルツルに剃っちゃおう!!

 逆に、女性でも坊主頭が推奨される職業で、ラッキーだったと思う。

 衝動の赴くまま、駅前の千円カットの床屋に飛び込んだ。

 男子理容師は最初は難色を示していたが、相手は尼さんだし、頑固だし、まあそういうものか、と割り切ってのだろう、何より時間が命の千円カット、素早くカットに取りかかる。

 カット、スタート。

 まずはハサミでロングの黒髪が粗切りされていった。

 ザクザクと勢いよく。

 バサッ、バサッ――

 男子理容師は無造作に髪にハサミを入れ、片っ端から切り落としていく。

 ジャキジャキ

 バサッ、バサバサッ、バサッ

 髪がケープを叩く、そのたびに安シャンプーの匂いが香った。

 頬から、耳から、首から、肩から、背中から、髪の感触が消え去っていく。

 鏡の中の自分は晴れやかな表情。

 ――これで暑さとはオサラバだ〜!

 胸が浮き立つ。

 ジャキッ、ジャキッ――バサッ、バサッ――

 「男顔」だと友人に言われたことはあったが、こうして短髪に刈ってしまうと、ヘタなアイドルより「イケメン」だ。

 我ながらウットリしてしまう。

 しかし、これはあくまで通過点。

 ブイイィィイイィン

 男子理容師はバリカンを作動させ、たちまちのうちに、

 ガアアァァ!

と右半面が割け、引き剥かれた。

 一見草食系の男子理容師だが、なかなかどうして、獰猛な刈りっぷりだ。迷いがない。すっかりプロの顔になっている。千円カットとはいえ、職人の端くれ、彼なりに矜持はあるのだろう。

 グワアアァァ!

とめくれた髪が落ちる。

 0・5mmに縮められた髪の毛をすり抜けて、頭皮は店の空調を敏感に感じ取る。ひんやり。



 半分が坊主、半分が有髪、となる。

 右側の髪を刈り尽くしてしまえば、残る左の髪に、バリカンはターゲットロックオン、

 ブイイィイイイィイイィン

 ザザザザザザアアア

 毛髪たちはバリカンの進軍に、いともたやすく蹴散らされる。たちどころに五厘頭が青々のぞく。

 頭からみるみる髪が無くなっていくにつれ、泰潤の笑顔も強張ってくる。

 勢いで剃髪してしまっているが、とどまることなく形を変じていく鏡中の自分に、女心はザワつく。

 ――もしかして、あたし、やっちゃった?!

 にわかに性別が判別できない容貌に、なり果てかけている。

 が、

 ――イケてる。イケてる。

と強引に自分に言い聞かせた。

 ガッツリ五厘刈りにされた。

 豊かに茂っていたあのロングヘアーは、一本残らず除去されてしまった。

「こんなに大量の髪切ったの初めてですよ。レアな体験っす」

と男子理容師はなんだか嬉しそう。そして剃刀を取り出す。

 クリームつきの刷毛で、丸刈り頭の部分部分が撫でられ、そこに、ジー、ジー、ジー、と剃刀があてられる。

 青々とした頭がますます青白くなる。初々しい光沢を帯びた、頭の地肌が浮き出る。

 ジー、ジジー、ジー、

 ジジー、ジー、ジジジー、

 ウナジから頭頂、右、そして左、さらに耳の裏まで剃刀は滑り、とうとう泰潤はツルツル坊主に化(な)った。

 さあ、望みは叶った。

 なのに、

「うぅ・・・うっ、うっ・・・」

 泰潤はポロポロ落涙。泰潤の中のオンナが、彼女を嗚咽させていた。

「ちょ、ちょっと、お、お客さん、オーダー通りですよね?!」

と男子理容師は狼狽していた。

「うう・・・これでいいんです。・・・うっ、うっ、ありがとう」

「そうですか」

 だから止めたのに、と男子理容師の顔に大書してある。

 それでも、2分ばかり泣いたら、気が済んだ。

 テンションもハイになり、

「じゃあね〜」

と泰潤は意気揚々と千円払って店を出ていった。



 或る高校生の日記より抜粋

『今日、泰潤さんが家に来た。母と20分ほど話して帰って行った。

驚いたことに、泰潤さん、あんな長かった髪をバッサリ切って、青々と丸坊主になっていた。駅前の千円カットの店で今しがた剃ったばかりだという。どうりで床屋の臭いがプンプンしてた。

「三十路も半ばになる独身尼が髪を伸ばしているのも、なんとなく薄みっともない気がしてねえ」

と剃髪の理由を話していた。

頭を丸めた泰潤さんはやけに若やぎ、やけにセクシーに見えた。「熟女」ってのもアリだなあ、と不覚にも思ってしまった。

スキンヘッド女性の色香ってやつにも、不覚にもやられてしまった。

「坊主にしてせいせいしたわ。長い髪ひたすらウザったかったし」

と泰潤さんは呵々大笑していた。

「涼しくなると思ってたけど、日差しが直接頭の地肌にあたって大変よ。帽子かぶらなきゃ」

とも言っていた。

母も妹も陰で泰潤さんのことを、

「髪を長くして男に媚びてる」

「長い髪の生臭尼」

とか悪口言っていたが(尼さんの長髪は二人にとっては相当な罪悪らしい)、

「キャー、触らせて触らせて」

と大ハシャギして、触らせてもらって、

「気持ちいい〜!」

と大喜びしていた。正直オレも便乗して触らせてもらえばよかったと、非常に後悔している。

「剃髪するとき、どんな気持ちだった?」

と妹に訊かれ、泰潤さんは、

「いや〜、バリカンてスゴイね」

と変なコメントをしていた。

「ガァー、って刈られて、うぉー、ってなってるうちに、バァー、と髪が落ちていって」

と元ヤンキー娘の地金が出て、擬音語だらけの感想をハイテンションでしゃべくっていた。バリカン初めてだったんだろうなあ。

フェイスブックにあげたいからと妹に懇願され、泰潤さんは顔出しはNGという条件で、自分の坊主頭を撮らせてやっていた。

帰り際、坊主頭を鴨居にぶつけ、悶絶していた。頭むき出しにしたから、そりゃあ痛いだろう。

ああ、未知のエロスの領域に踏みこんでしまいそうだ!

勉強が手につかん! こちとら受験生だってのに。

日記書き終わったら、ちょっと泰潤さんで抜こう。正直めちゃシコだわ。

泰潤さん、尼さんなのに、しかも剃髪したのに、若い男のボンノウを刺激しまくってる。なんと罪深い。尼さんの皮をかぶった妖魔だな』



 知り合いの宅を早々に辞去して、泰潤は庵に戻った。

 剃ったばかりの頭に強烈な直射日光を浴び、それは想定外だったが、タオルを冷水で浸し、坊主頭の上にのせる。

 その心地良さに、ホッと暑さも疲労も雑念も溶けていくようで、

「よくぞ坊主になりにけり」

としみじみひとりごちる。至福、の一語に尽きる。

「極楽だ〜」

 この頭で猛暑を乗り切ろう。

 すっかり有頂天になり、ハンドミラー片手に変顔をしたり、卵やトマトを頭にぶつけて潰してみたり(後で本人がおいしく頂きました)、存分に楽しんだ。



 その夜、泰潤は遠方の友人に手紙を書いた。

 「拝啓」とまず書いた。


『拝啓、暑中お見舞い申し上げます。

 拙僧儀、本日目出度く剃髪致し候。見事に青道心。再会のとき、貴女に卒倒されぬよう念の為、申し上げておきます。

 ようやく姿形も御仏様の花嫁らしくなりました。

 このようなヘチャムクレのアバズレをお嫁にもらって下さる奇特な御方は、三千世界で、御仏様、唯御一人のみです。

 両親に叛き、家出して、食道楽、着物道楽、男道楽さんざ致しました。

 突っ張って、突っ張って、突っ張って、尼になれ、との天の啓示。

 なってみれば内にも外にも地獄の業火。

 日々の業火の責め苦に耐えて耐えて耐えて、ついに堪忍袋の緒が切れて、

 剃髪セヨ

とまた天の声。

 あら涼し、我が頭。

 心身共に御仏様の女人。無限の法悦。是に勝るものなし

 げに有り難し法の道哉。げに有り難しツルツル頭の功徳哉。

 (七行開けて)

 アーメン』



 泰潤の住む地域は、江戸の昔から素人芝居の盛んなところで、近隣の老若男女が役者となり、観客になり、催しがあるたび、即席アマチュア劇団による舞台が行われている。

 夏の終わりが近づく頃、泰潤にも役者としてのオファーが舞い込んだ。

 オリジナルのナンセンス喜劇で(地元の「文化人」の書下ろしらしい)、泰潤の役どころは、「通りすがりの一休さん」だった。間違いなく髪型オンリーでの白羽の矢だ。

 この頃には泰潤はジレッドを購入し、毎日頭をジョリジョリするのが習慣になっていた。

 ――面白そうだからやってみようかしら。

 その気になる泰潤。地元っ子の血が騒ぐ。

 台本では、主人公の青年とヤクザが口論しているところに、通りかかった一休さんが、仲裁のため、頓智をひねり出そうとするが、

「何にも浮かばへん」

と一言関西弁で言って、二人がズッコケる中、飄然と去ってゆく、なんだか吉本新喜劇みたいなチョイ役だった。

 台詞も三つだけだし、出番もワンシーンだけなので、気軽に引き受けた。人前で説法をしたりする職業なので、舞台度胸も十分ある。

 何かと忙しいので、稽古も全然出られず、ほとんどぶっつけ本番での舞台だった。

 公民館は満席。立ち見の客もいる。このレベルのステージでは珍しい大盛況だ。

 泰潤は、白衣に黒袴というアニメの一休さんと同じスタイルで、ステージに立った。

「これこれケンカはよくありませんよ」

 主人公(演・酒屋の若大将)とヤクザ(演・喫茶店のマスター)の間に入り、

「これはあの頓智で有名な一休さんじゃありませんか」

と驚く主人公とヤクザ双方の言い分を、ふむふむ、と聞いて、

「ならばちょっと考えてみましょう」

 泰潤は堂々たる名演、舞台の上、座禅を組み、両の人差し指を唾で湿して、その指を坊主頭にあて、クルクルと回す。

 ――ああ!

 激しい快感に襲われた。

 生温かい唾で湿った指が、スキンヘッドを撫で、擦り、滑っていく。これが、蕩けてしまうほどの気持ちよさなのだ。

 ――こ、これは、ああ・・・

 こんな官能的な悦びを感じたのは、出家以来初めてだった。今朝剃ったばかりの頭、それはいつしか泰潤にとって、本人も知らない間に、無上の性感帯となっていたのだった。

「い、今のはちょっと呼吸が合わなかったでざござる。今一度」

とアドリブでごまかし、また人差し指を舐め、坊主頭をグルグル。

 ――ああ、たまんないわっ! こんな大勢の人に見られながら・・・ああ!

 詰めかけた観客の視線がかえって泰潤を興奮させる。どうやら自分はドがつくほどの変態らしい。

 顔はピンク色に染まり、ハァハァと息づかいが荒くなる。

「お、おかしいなァ・・・今一度、頓智、頓智」

というアドリブが四度五度と繰り返される頃には、観客もザワつき出す。

「どうなっちゃってるの?」

「これって演出?」

「庵主さん、大丈夫なのかい?」

「なんか庵主さん、メスの顔になってるぞ」

という声が泰潤の耳にも届いているのだが、むしろ逆効果だ。泰潤は自制心を失い、また指をペロリ。

 「役者」も裏方陣も客も呆然とする中、泰潤は舞台上で、異常な自慰行為に耽っている。

 ――ハァ、ハァ、もうどうにかなりそう! アン、アン!

 泰潤は理性も吹き飛び、オナニーマシーンとなって、公衆の面前で、指を動かした。

 素人芝居始まって以来の椿事だ、と以後、語り継がれることになる大大大失態を泰潤はやらかしてしまった。

 そんなことなどお構いなしに、泰潤は無我夢中で、頭皮を指で撫で回し続けた。

 この冬、この汚名返上の禊(みそぎ)のため、宗門最大の大荒行に入る羽目に追い込まれようとは、知る由もなく。



                 (了)






    あとがき

 迫水野亜です。
 お陰様でサイトも60万HITを超えました!! 嬉しい〜ヽ(^o^)丿
 ここまで来れたのもサイトに遊びに来て下さる皆様のお陰です!! 本当にありがとうございます♪♪ もう感謝しかありませんヽ(^o^)丿

 さて、今回は過去作品「役得」のあとがきで予告(?)していたのですが、「夏、暑いから坊主」ネタです。
 だいぶマニアックになってしまった。。
 サイト開設前にノートにコソコソチョコチョコ書いていた文章(中には「妙久さん」シリーズの元ネタになったものもあります)を引っ張り出してきて、コラージュしています。(「迫水野亜あるある」→迫水が「実験作」という作品は、大抵コラージュ手法使ってる)。
 千円カットの店のことは相変わらずよくわからないので、「千円カットの店ありがちなこと」は盛りこめませんでした(^^;)
 千円カットの店、大昔知り合いが利用して、めっちゃ変な髪型になっていたのを目の当たりにして、怖くて行けません。
 それにしても「鯨」といい、今作といい、最近エログロネタが横溢してるなあ(汗)令和になっても煩悩は肥大する一方といったところでしょうか(^^;)
 こんなヤツですが、どうか広いお心でお許し下さいm(_ _)m お付き合い感謝感謝です(*^^*)(*^^*)




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