セルフカットエレジー |
(1)婆娑 ジョキ、 ジョキ、 ジョキ、 鼻や頬のこそばゆい感触が失われ、左から右へと視界が開けてく。 視界が開けた先には鏡。鏡には当世風に加工された眉毛が露になったファニーフェイスがいる。上目遣いでこっちを心細げに見つめている。 ――見てんじゃねーよ。 と鏡の向こうの前髪パッツン女に喧嘩を売ってみるが、こういうのを一人相撲っていうんだろうな。苦笑。 「お疲れさま〜」 店長の毛利さんが首筋を軽くマッサージしてくれる。 「切ったね〜」 とアタシの決断を褒め称えてくれる。 ――切ったね、だと? アタシは肩をすくめる。ぬるいね〜、店長、ぬるすぎだよ。 できればさ、前髪10センチカットで、ハイOK!って、ことが済む人生であって欲しかったね。 これは云わば「エキジビジョンマッチ」だ。 間もなく超ヘビー級の「本戦」を控えたアタシが、ちょっとばかし肩慣らしのつもりで、前髪バッサリに挑んでみたのだが、いやはや、凹むね。マジ凹み。 髪切るとテンションがあがるって娘、結構いるけど、どうやらアタシ、真逆みたいだわ。 前髪切ったくらいで、こんな凹むんだから、「本戦」終了後は、あしたのジョーみたく真っ白に燃え尽きんじゃないのかな? 憂鬱。 ずっと伸ばしていた前髪がなくなったのと、すぐに、これ以上の断髪が舌なめずりして待ち構えているっつー現実のダブルで憂鬱。 最近、毎晩嫌な夢をみる。 昨夜みたのは、バリカン握った両親が実家のトイレの外で待機していて、アタシは用を足すフリして、こっそりトイレの窓から逃げようとして、ようやく狭い窓から体を抜き、脱出成功、これで自由だ!と思ったら、そこにはジイチャンとバアチャンがニヤニヤ立っていて、やっぱり手にはバリカン!って夢だった。 カット料金を払う。 カードにスタンプをおしてもらう。あとスタンプふたつでポイントがたまる。 サービス券をもらう。有効期限は来月いっぱい。 ――気持ちだけ受け取らせてもらいます。 帰り道、サービス券をコンビニのダストボックスに捨てた。来月には来店したくても行けないし、そもそもカットしてもらう髪の毛が存在しない。 ――え〜いっ! 勢いで、たまりかけたスタンプカードもゴミ箱に突っ込む。自分にハッパをかけるため。ちょっとヤケにもなっている。 オシャカサマってのはスゴイね。 この何千年も昔の知らないオジサンのせいで、極東の島国の女の子たちは毎年、男でもビビるスケールのヘアーカットを強要されてるんだからさ。 風。髪があおられて、顔をたたく。 夏目漱石は乙女の丈長き黒髪が運動する擬音を、 婆娑(ばさ) と表現した。 軽く言葉遊びをすれば、アタシはもうすぐ、乙女の命を「婆娑」と落として、快適な「娑婆」を後にするのだ。 (2)娑婆 夏休みは間近。 キャンパスの雰囲気は露骨にたわんでる。旅行、バイト、海、アウトドアー、そして、恋。即ち無尽蔵の自由と享楽が彼氏彼女らを手招きしているのだから。 しかしアタシの在籍している八頭大学(はちかぶりだいがく・通称バチカブリ大)宗教学部は・・・ どんより。 色気も華やぎあったもんではない。 女子学生たちは講義終了後も教室の隅に集まって、ヒソヒソと、 「ねえ、やっぱ行く?」 「ウチの親は行けって言ってるんだよね。寺継ぐ継がないはともかく、今のうちに資格取っとけって」 「学生のうちの方がいいらしいよね」 「それ、ウチの親も言ってた。体力的にも時間的にもいいって。多少優遇されるとかされないとか」 「どっちだよ」 「でも丸刈りだよ、丸刈り! 正直カンベンしてってカンジじゃない?」 「だよね〜」 「でもさ、いつかは通らなきゃなんない道だしさ」 「私、今年はパスするワ」 「裏切り者ぉ〜」 「カシマ学院て、たしか女子はボウズじゃなくてもOKじゃなかった?」 「ああ、あそこね、去年から男女問わずボウズ」 「ウソ〜」 「例の事件があってさ」 「『血の水曜日事件』かあ」 「いっそG学院とかどうよ?」 「そりゃ、ありえない(笑)」 「ウチの学生はたいてい研修先、J寺でしょ?」 「うわ〜、なんとかボウズ逃れたいっ!」 「落ち着きなって、緒川ちゃん」 「実はさ」 それまで黙っていた国府田が 「アタシ、もうやっちゃったんだな」 とスルリとウィッグをとって、青光りする頭を御披露目すると、一同、闘牛場の観客のように、うおおおっ、とどよめく。 「国府田、やっちゃったのオ?」 「いや〜、研修行ったらバイク買ってくれるって親に丸めこまれちゃってさ〜」 「で、頭まで丸めこまれちゃった、と?」 夏休み前に「脱バリカン処女」を果たす女子学生は、我が学部の夏の風物詩である。いやな風物詩だよ。 とりあえず尼さんモデルができて、皆、毒気を抜かれる。坊主人生のトップを独走する国府田の頭を熱心に観察したり、逆にキョドッて目をそらしたりと、反応はさまざまだ。 「さ、彩乃も剃っちゃお。ジョリジョリッと」 やめて、国府田! アタシを「そっちの世界」にひきずりこまないでぇ〜! ウチの宗派では、宗門の学生が夏休みを利用して、修行道場に入り、僧侶の資格を取得するため、「研修」を受けることができるというシステムがある。 宗教学部生の大半は寺の子弟で、寺の後継者たちばかりである。アタシも田舎寺の跡取り娘で、他の子たち同様、家族から夏休み研修をすすめられている。 いや、「すすめられている」なんて生易しいもんじゃないね。「行ってこい。じゃなきゃ勘当」ぐらいの圧力かけられてます。 で、親友の由麻と、じゃあ一緒に行くか、って、連れトイレみたいなノリで研修行きを決めたわけだが、う〜ん、やっぱね、タイムリミットが迫るにつれ、ブルっている。 私たちを手招いているのは、肉も遊びも男もない禁欲生活と坊主頭の夏休みなのだ。 (3)七海 「うん、うん、夏休みには帰る。研修にはちゃんと行くけん、手続きばしとって」 『皆、期待しとっとよ。彩乃が決心してくれて母さん、嬉しかよ』 学費も仕送りもストップするって脅されちゃ決心するしかないだろう。 『髪、まだ切っとらんとでしょ?』 「うん」 当たり前だ。日取りがきまったとたん、ビザ申請にいく海外旅行初心者のようにはいかない。 『父さんたら、”彩乃の髪は俺が切っちゃるけん”って張り切っとらすばい』 ぐぇ〜。研修に行く気、三割、いや五割減。 「母さん、今夜、飲み会があるけん、もう切るね」 『飲み過ぎんようにね』 あまり剃髪の話題をひっぱりたくない。電話を切りあげ、お気に入りのキャミソールに着替える。髪をセットし、メイクを施す。アイシャドー、ルージュ、睫毛をカール。しばらくは、こうした女の嗜みとは無縁の生活に入るかと思うと、感傷的になる。 恒例の宗教学部の飲み会。ちょっと遅刻。 この時期になると、夏期限定修行僧が決定した学生たちは、ある者は意気消沈し、ある者は刹那的に浮世を楽しもうとし、酒席の空気も微妙だ。ま、しゃーないな。 別に学部生の皆が皆、坊さん尼さんになるわけではなく、普通の夏休みが約束されている学生も参加していて、一座の明暗は分かれている。たとえば、 ――あ、やっぱ来てるよ、来栖七海。 なんだろーね、あの娘。同じ学部なんだけど、講義で見たことないや。本業が遊び人で副業で学生やってます、みたいな女。セレブっつーの? でっかい寺の娘らしいけど、ブランドで完全武装して、コンパにはチャッカリやってきて、男どもにチヤホヤされて、スゲーむかつく。貧乏寺の娘のヒガミかな。 来栖七海は高島田一成センパイと盛り上がっている。アタシ、高島田センパイのこと、結構気になってんのにさ。センパイも鼻の下のばしちゃって、あ〜あ、来るんじゃなかったよ。今夜はス○ップの特番があったんだよなあ。 栗栖七海も高島田センパイも、実家の寺は兄が継ぐ予定らしい。 お互い気楽な身分ですよね〜、なんて意気投合しちゃって、いいですね。アタシは一週間以内に丸坊主ですよ。クリクリのツルツルですよ。頭丸めなきゃ、学生稼業も続けられない負け組寺娘ですよ。 「ナニ不景気な顔してんのよ」 負け組仲間の恭子がビールを注いでくれる。つーか恭子、言いにくいから、言わないけどさ、 あんた、ヅラって丸わかりの頭だよ? アタシの視線に気づいたバリカン非処女は、 「わかる〜?」 と後ずさる。 「え? なんのこと?」 相手の女心を慮ってやるも、 「トボけないでよ。完全に目ェ笑ってるじゃん。わかってんでしょ?」 と追求されては 「オ○ラさんみたいだよ」 と白状するしかないじゃないか。 「あちゃ〜」 ヅラ越しに頭を抱えているマイフレンドに、 「フフフ、宗教学部の女王陛下もついに年貢の納め時ってわけだ」 「言うな!」 「ヅラ取ってみ?」 「い・や・だ」 「取ってみなって。笑わないから」 「笑うでしょ?」 「笑わないって」 「ホント?」 「マジだって」 「約束だよ」 「わかってるって」 早くしろ、とせきたてると、 「じゃあ、はい」 スルリ。 「ブァッハッハッハ」 爆笑した。そりゃ、そうだ。キャンパス内の男どもを手玉に取ってきた恋多き女恭子が、あはは、ジャクチョウだよ、ジャクチョウ。青空説法してくれ〜。 「笑うなああ!」 プ。真っ赤になって、ユデダコみたい。ストップしてくれ〜、アタシの想像力! ようよう笑いをおさめ、肩で息しながら、ポンポンと昨日「男百人切り」今日ジャクチョウの背中をたたき、 「いや、イケてるよ。ホラ、え〜と、シンニード・オコナーみたいでさ」 ジャクチョウとか全然思ってないから。思うな、アタシ! プププ 「おっ! 姫地、やっちゃったのかあ?」 酔っ払った男子たちがジャクチョウ二世を取り囲む。女の髪には魔力が宿るっていうけど、魔力を失った女は哀れだ。 「コノコノ〜、カワイクなっちゃって〜」 「お前も研修組かあ?」 「すっかり小坊主じゃん」 デリカシーなどという単語をすっかり忘却してしまったらしい酔漢たちに、坊主頭をグリグリされ、いいようにイジリたおされる元女王の哀れな姿に、少し同情する。 あらあら、恭子にこっぴどくフラれた小柴クン、いいSっぷりじゃない。ノリノリで「復讐」してるよ。恭子も恭子で、 「触らないでよ!」 と頭上タッチ攻撃に猛抗議してはいるものの、もはや、喪失した「バリカン処女」の品格は取り戻せず、まるで先輩にイタズラされかけている男子寮の新入り状態だ。 「彩乃、笑ってられるのも今のうちだからね」 明日は我が身だからね、とイヤ〜な捨て台詞を吐いて、二次会では ♪髪を切った私に違う人みたいだと と松田聖子の「夏の扉」を熱唱して、喝采を浴びる恭子。 「ホントに違う人みたいだぞ〜」 と予定通りのツッコミを頂いて、 「うるさいなあ」 とむくれつつ、目が喜んでいた。もう開き直るしかない、とフッ切れたのだろう。 対抗意識が芽生える。 パラパラと曲目リストを物色し、 「1705の02・・・と」 と曲番号を入力する。 順番がまわってくる。前奏が流れ、画面にタイトル。 加藤いずみ『髪を切ってしまおう』 大爆笑。 「佐藤、ナイス!」 という声があがる。 ――よっしゃあ! ガッツポーズ! 残念ながらタイトルのみでの選曲のため、肝心の曲の方は歌えなかった。グダグダ。出オチってやつだ。 七海がツボにハマッたらしく、大ウケしている。おのれ、ぬるま湯寺娘! 自虐ネタに走るしかない研修組のツラサが、アンタにわかってたまるか。今に臍噛むゼ。 (4)背信 「今日はどうすんの?」 理容師が由麻に訊いている。横柄なオッサンだ。 「あの・・・こんなふうにお願いします」 由麻が理容師に、あらかじめ用意していた雑誌の切り抜きを見せている。 切り抜きにはパンクファッションのスキンヘッドの女。 ――やるな、由麻。 「あくまでファッションで切るんですよ、尼さんとかじゃ全然ないっすよ」的な虚栄心がセツナイ。尼さんのクセに。 「バカなこと考えてんじゃないよ」 オッサンは古風な人間らしく、由麻の突飛な注文に眉をひそめ、 「昔から髪は女の命って言ってな、最近は平気で坊主頭にする女もいるようだけど、まったく情けない話でさ、アンタもそのクチかい?」 「い、いや、その・・・」 由麻は進退窮まって、耳まで真っ赤になっている。カッコつけた報いだ。 「考え直しな」 考え直させてくれるんなら、考え直したいよ、アタシらも。でもね、「いや〜、床屋に断られちゃって」とか言ってヘラヘラ、ロン毛で研修行ってみ? 顔の形変わるよ? 考えただけでチビりそうだよ。 こりゃ床屋のチョイス、間違えたな。 飲み会の数日後。由麻と約束して、やはり連れトイレの如く、「丸坊主ふたりでなれば怖くない」とばかりに床屋の扉をくぐった。 生まれて初めての床屋に、南無三! と飛び込んだら、 ガラ〜ン 客がいない。 ――うおおお! いきなり坊主コース二名様ご案内〜!だよ。心の準備をする暇もない。 「三回勝負だよ」 「OK」 入り口で必死の形相でジャンケンをはじめる小娘二人に、店の主人もあっけにとられ、口を開けて見守っていた。 由麻がたてつづけに二連敗し、この店で第一号の女坊主になる栄誉を獲得した。夏風邪でダウンしてレポートの提出期限に間に合わなかったり、甲斐性なしの彼氏に散々貢されたり、よくよく不幸体質の女だとは思っていたが、この娘のツキのなさは筋金入りだ。 「こういうのはね、先に済ませちゃった方が気が楽なんだよ」 なんて口では強がっていた由麻だったが、顔が強張っていた。 ――がんばってね〜。 アタシは数十分ほどの有髪モラトリアムを手に入れ、読みたくもないコロコロコミックを広げた。あ、ポケモン載ってる。 「やめときなって。さっきも言ったが髪は女の命で(ぐだぐだ)」 しつこいオッサンだ。 「ソコをお願いしますよ〜。坊主にしてください」 と由麻。 本当なら百万円もらってもなりたくない坊主頭。それを3800円のカット料金(オッサンの説教込み)を払って、「坊主にしてください」って懇願せねばならない状況。やりきれんな〜。 「オジサン、切ってあげてよ。アタシらも色々事情があってさ」 コロコロコミックから目を離し、由麻に加勢してやる。 「そうかい?」 オッサンも何事かを察したらしく、態度を軟化させる。 「わかったよ。そこまで言うなら切ってあげるよ」 なんで恩に着せられにゃならん。 由麻は交渉がまとまって、ホッとしていた。自分の人生において、坊主にしてやる、と言われて、胸をなでおろす日がくるとは思ってもみなかったのではないだろうか。 オッサンは由麻のミデイアムシャギーをシュッシュッシュッと霧吹きでしめらせる。バリカンが、恭子の髪を美味しく食せるための調味料だ。 まるで野菜でも切るように、 ザクリ と恭子のオシャレヘアーに鋏が入れられる。 破壊ってのは一瞬だ。いっくら伸ばして、シャンプーを選んで、枝毛対策して、ヘアカタログとにらめっこして、マメに美容院に通って、気の遠くなるような金と時間を注ぎ込んでも、オシャカサマ以来の伝統の前には鎧袖一触、ハナクソみたいなもんである。 由麻のいまの髪型、美容院で「松嶋○々子みたいに」と注文したという。数十分で松嶋○々子からジャクチョウ。女として、これ以上の転落っぷりは、ちょっと他に思いつかない。ジャクチョウ先生には申し訳ないが。 オッサンはザクザクと野菜、じゃなくって由麻の髪を刈っていく。暴力を想起させるヘアーカットだ。サイドもバックも短く詰められる。オッサン、「髪は女の命」とか力説してたくせに容赦がない。 由麻は アレ? アレ? という顔をしている。ヘアースタイルの超スピーディな変化に、ついていけてないのだ。 あれよあれよという間に、クルーカットにされる由麻。男顔なので、すげーハンサムだ。学ランとか着せたら似合いそう。写メとってやろうかと思いついたが、自分の番になってお返しされるのはごめんなので、やめておいた。 由麻は辛気臭い顔で、オトコマエになった自分と相対している。アフレコをかぶせるなら、 もうこれくらいでカンベンしてもらえませんか? ってトコ。 もちろんカンベンしてくれないのが、イッツ・ア・ブッダワールド。 ヴイィィーン ――出た! バリカン! あ〜、由麻、せっかくクルーカット似合ってたのにな〜。 バリカンが由麻の襟足に吸い込まれていく。 ――うわ〜! マジで坊主にされちゃう三秒前! 2、1・・・ ジャリジャリジャリ 由麻、脱バリカン処女! 松島○々子から転落した女が唇を歪めている。無理して笑おうとしているのだが、ショックがでかすぎて、だんだん伏目になる。時折、チラチラと上目で鏡を確認し、その度にオッサンに頭の所有権を、一時的に譲渡しているという事実をまざまざと思い知らされ、ほろ苦い微笑はすぐに引っ込む。 ガー、ガー、とバリカンは縦横無尽に由麻の髪の毛を追い払っていく。無心に眺めたら、爽快な情景かも。 メールが入った。 チェックする。 たまたまサークルで知り合った同郷の女友達からだった。 『ヤッホー彩乃\(#⌒0⌒#)/ いまヒマ? これから○○大生と合コンあるんだけど、 人数が足りないんだ 来てくんない? 頼むっ!(*・人-*)』 ――○○大生?! 金持ちのボンボンが集まる名門ではないか。しかも 『チョーイケメンばかりだよ〜(≧▽≦★)=3 レベル高すぎ』 アタシは頭を抱えた。 坊主にしてからでは全てが遅い。今ならまだ間に合う。最悪なような、絶妙なようなタイミング。 ――どうしよう! 由麻の頭は七割方剃りあがっている。迷ってる時間はない。 ――よし! 「許せ、由麻!」 マンガを放り出して立ち上がると、床屋を飛び出す。 「ちょ、ちょっと?! 彩チャンっ?! どこ行くのよっ! 裏切るのォ〜?!」 半剃り由麻の、悲鳴にも似た声が追いかけるが、 ――すまん、由麻。 友情は大切だ。しかし人間、世の中を渡っていくうえで、時として、友情に背いてまでも為さねばならぬことがあるのだ! 「彩チャ〜ン(TwT)」 この敵前逃亡劇が後にアタシを窮地に立たせることになる。 (5)幕間 結局、「本戦」はフランチャイズに持ち越されることに。 新幹線の中で由麻からのメールを受け取った。 『彩チャン、ウラミマス( ̄Д ̄メ)』 というメッセージとともに、痛々しいヤッチャッタ系のスキンヘッド女の写メが・・・。 ――ホントごめん・・・。 友情を裏切ってまで参加した合コンはサイテーだった。詳細はあえて言わないでおく。友人を見捨てた罰が当たったのだろう。もしくは、いい加減、世俗の快楽を切りあげて、頭丸めろってお告げなんだろうな。 「彩乃、父さん、通販でバリカンば買ったタイ」 帰郷一日目の夕食の際、オヤジが上機嫌で言った。 「彩乃ならカワイイ尼さんになるタイね」 と母も父に乗っかる。やめてくれ、ご飯がマズくなる。 生返事しながら、茶碗に顔をうずめる。そうやって、のしかかる剃髪へのプレッシャーをシャットアウトする。我ながら往生際が悪すぎる。 ――カツラ買わないとな。 (6)贖罪 『由麻〜 おとといはマジでゴメンネ\(^^;) 許してネ(はぁと)』 送信、と。 由麻とは入学当初からの親友だ。100%こっちが悪いしな。一応仁義っつうか筋は通しとかんと。後味が良くない。 着メロのaikoが鳴り響く。返メールが届いた。なになに? 『絶対許さん!(-`ω´-メ)』 ――アチャ〜、由麻、メッチャ怒ってるうぅぅ〜! 頭を抱える。 『ゴメンってば〜(>人<) アタシもこれからボウズなんだヨ〜』 バリカン片手の写メを添付して、再度送信、と。 また返メール。 『ワビを入れたら考える』 ――ワビ? イヤ〜な予感がした。まさか、指つめろ、とか言うんじゃないだろうな? しゃ〜ない。ためらいつつもメールをうつ。 『OKっす。ワビ入れます』 しばらくして、また返メール。 ビクビクしながら携帯画面をスクロールする。 『仲直りの条件。 今すぐそのバリカンで断髪式。 セルフカット←重要! 証拠としてその動画をメールに添付して送れ。 ひと刈りで許してやろう』 ――どひいいいぃぃ!! 震えあがった。 なんつうドS女だ。 さらにスクロール。 『ちょこっとカットとかはナシだからね。 女は度胸。真ん中からガッとイケよ。 P・S 修行道場のイジメってマジでツライらしいよ〜( ̄ー ̄)』 ――ひぇ〜っ!! 追い詰められてるよ・・・。また頭を抱える。 まあ、どうせ、ボウズにしなきゃなんないんだし、仕方ない、やるか。研修先でハブられたりしてはかなわない。このまま、絶交状態でいるのもな〜。OK、ケジメつけてやるよ。見てな、由麻。アタシだって、やるときゃやる女だよ。 メールを送信する。 『了解です』 正座。片手にバリカン。もう片手にケータイ。動画作動中。 「え〜、どうも。親友裏切ったサイテー女、佐藤彩乃で〜す。この度はどうも申し訳ありませんでしたっ」 深々と土下座。音声は入るの かな? 「え〜、今回の不始末に関して、鈴木由麻サンに対し、早速、ワビいれさせていただきます」 親指をバリカンのスイッチにあてる。ゴクリ。 ――GO! スイッチをONにスライドさせる。 ジリジリジリジリ カチッ。スイッチを切った。 ――できねええぇぇー! 畳に突っ伏す。 てか自分で自分にバリカン入れる根性があったら、とっくにこんな貧乏寺なんか、おん出て、自立してるっつーの! 無理、無理! 絶対無理! 髪をかきむしり、ゴロゴロとのたうちまわる。 しかし、ここまできたら、気合だ気合! 逃げちゃダメだ。いいじゃないか。運命を自分の手で切り開く、いや、刈り開くのだ。ビビるな、アタシ! 再チャレンジ。 ――その前に・・・。 タバコを一服つける。修行に向けて禁煙していたが、五日目にして失敗。すげえ、ストレスだ。胃に穴があきそう。落ち着け、落ち着くんだ。スパ〜 着メロ。 『まだ?』 由麻から督促のメール。やりますっ、やりますってばっ! たった二文字でアタシにプレッシャーをかけるとは、由麻、アンタも剃髪済ませて、だいぶ迫力出てきたね。 タバコをもみ消し、ふたたびバリカンを手にとる。 ――いきます。 スイッチを入れる。 ジリジリジリジリ うおお〜! この音と振動で、もうくじけそうだ。 ――ひるむな! アタシの中の突撃隊長が踏みとどまるよう、怖気づくアタシを叱咤する。ここまできたら行くしかない。 ――行け、行け、行け、行け! こないだ作ったばかりの前髪をもちあげる。その生え際にバリカンの刃先をあてる。 ジャッと髪とバリカンが接触して、耳障りな音をたてる。パラパラと毛くずが鼻のあたまにあたる。 ――ら、楽勝・・・楽勝・・・。 そう、このままグイと押せば、アタシはラクになれるんだ。由麻に対して、ケジメがつけられ、すんなりとボウズへの移行を果たせる。いいことずくめじゃないか。 しかし、理屈と恐怖心はなかなか折り合いをつけてくれない。 ドックン、ドックン、ドックン、ドックン。アタシの内なる乙女が心臓を乱打する。 バリカンに力を入れた瞬間、アタシはジャクチョウ。 ――できない! できないよっ! バリカンを握る手が汗ばむ。 今日五度目のaikoが鳴り響く。もう見る必要はない。由麻からのロングヘアー佐藤彩乃の自主廃業の催促だ。 ――やらなきゃっ! 「うっしゃあああ!」 裂帛の気合いとともに、バリカンを押し込む。 ジャリジャリジャリ。 バリカンはビックリするくらい滑らかに、頭上をすべる。さすが父のお墨付きのバリカン。 ――うぎゃあ〜! やっちまったあ! 今のナシにしてえぇぇ〜! 無論ナシにはならない。バサリと落ちる髪が天からの返答だ。 一瞬ためらって、つい力を加減してしまったため、鏡で確認したら、頭はまだ黒々している。たしかに前髪から頭頂部にかけて、うっすらバリカンをひいた跡があるが、パッと見、そんなに甚大な被害ではない。「分け目」だと言い張れば言い張れないことも・・・ ――ねーよっ! ジョリ、ジョリ、ジョリとバリカンで髪を薙ぐ。つのだ☆ひろの「メリー・ジェーン」をテキトーに口ずさみながら。アタシは軽く壊れていた。 デタラメにバリカン道をひく。バリカン道とバリカン道の間に、さらにバリカン道を・・・。 「開通式〜」 「ちょっと、彩乃! アンタ、何ばしよっとね?!」 部屋を覗きにきた母が、娘の狂態に狼狽しまくっていた。 アタシはようやく自分のバカさ加減に気づいた。 「動画とるの・・・忘れちゃったヨ・・・」 空想の金ダライがアタシのアバンギャルドな頭上にガーンと落下した。 アタシはその場で、父の許にしょっぴかれ、 「なんね! そぎゃんにお父ちゃんに頭ば刈られるのがイヤだったんね! こん跳ねっかえり娘が!」 と庭で父に叱られながら、丸坊主にされた。 回覧板をもってきた隣のオバサンが、この地獄絵図に遭遇して、 「あら〜、彩乃ちゃん」 と目を丸くしていた。 「アンタ、いよいよ、お父さんの跡ば継がれるとか? 立派タイね〜」 ウチん康平に彩乃ちゃんの爪の垢ば煎じて飲ませてやりたか、というオバサン。 ――立派なもんかよ! ベロを出す。好き好んで頭丸めるわけじゃないっての。ジロジロ見るな! メッチャ恥ずかしいっ! 「じっとしとかんか」 グイと頭を抑えつけられ、ジョリジョリとバリカンを走らされる。「男の散髪」だ。 耳の裏やうなじにタバコ臭いオヤジの息があたり、ちょっと興奮した。不覚にもオヤジに「雄」を感じてしまった。 その夜、勇を鼓して風呂あがり、脱衣所の鏡で坊主頭の自分と初対面を果たした。 ――きもっ! 眉毛はイジリすぎて「マロ」(平安貴族)になってるし、一重まぶたのモンゴロイド顔なので、無表情だとまるで宇宙人だ。 だが剃っちゃったものは仕方がない。 ――トホホ・・・。 坊主頭に手をやる。当分はこの頭だ。 両腕を首筋にまわす。一応Dカップの胸を強調し、鏡を前にセクシーポーズをとる。 ――小坊主ヌード・・・なんつって。 「アンタ、何ばしよっとね?」 バスタオルを持ってきた母が呆れ顔してる。 「うわっ! なんでもなかよ!」 ううっ・・・見られてしまった・・・。なんで、この人はいつもいつも急に入ってくるかなあ。 「うえ〜、バスタオルが頭にひっかかるぅ〜」 坊主頭にすると、意外な発見が多々ある。とりあえずスースーする。 「すぐ慣れるタイ」 母は飄々と言う。 部屋に戻ったら、由麻からの怒りのメールが十五件も届いていた。 ――参ったな…。 さっき会得した小坊主ヌードの写メで手をうってもらおう。 (7)花時 「久しぶりじゃん」 と声をかけると、 「あ、綾乃チャン!」 イガグリ頭、もといベリーショートの由麻が振り返った。 「中途半端だねえ」 伸ばすか剃るかどっちかにしな、と忠告すると、 「いま迷ってる」 とのこと。 小坊主ヌードが思いのほかウケて、由麻も矛をおさめ、和解がなった。だから数年後の現在も、こうして学び舎で談笑してる。 春が出し惜しんでいた温もりを、ようよう解禁しはじめたのが、数日前。キャンパスの桜も新学期に合わせたかのように満開だ。アタシらももう四年生。 「おお新入りどもが来る来る」 校舎の窓から初々しい学生群を見下ろす。 「やっぱ今年、研修受ける娘もいるのかな」 「ウチらは一昨年済ませたからな。気楽なもんだね〜」 成人式にはギリギリ、自前の髪が間に合った。由麻はといえば「即戦力」として、実家の手伝いをさせられて、それだと剃髪の方がウケがいいので、なかなか髪を伸ばすタイミングがつかめず、宙ぶらりんのまんまだ。実家の寺が地元だと大変だ。 「じゃあ、由麻はそのまま実家継いじゃうんだ?」 「見習いだけどね。綾乃チャンは違うの?」 「アタシ? まあ、まだ父さんが元気だからね。普通に就職するよ」 「へえ、それじゃ、今年、就活じゃん」 「も〜、マニュアル本読みまくりっすよ」 「地元で?」 「いや、こっちで」 当分は学校には顔は出せない、というと、親友は、そりゃあ大変だね、と肩をすくめた。 「そういや、来栖さんの噂、知ってる?」 「来栖七海がどうかしたの?」 「あの人、ウチの大学中退して、G学院に入学したらしいよ」 「マジ?! あの『地獄』に?!」 ガセじゃないのォ?と疑念を差し挟むアタシに、 「まあガセだろうね」 中退したのは本当らしいけど、と由麻も半信半疑といったふうだった。 「確か、アイツ、今年の春休みはバリ島に旅行にいくって、前に誰かに話してるのを聞いたけど」 来栖七海がG学院入学なんてアリエナイ。アタシがモー娘。入りの方がまだ信憑性がある。あの女ならばきっと今頃、バリのビーチで逆ナンしたオトコにサンオイルでも塗らせてるに違いない。 「それよりさ、花見しない?」 「いいねえ」 「ここら辺だったら稲荷公園かなあ」 「言い出しっぺが幹事だよ〜」 「幹事やってやるから、檀家の若いオトコ、何人か見繕って連れてこい。どうせ、チョイ チョイつまんでるんでしょ?」 「つまんでないよ〜」 「仕方ないねえ。恭子か藤道あたりを撒き餌にして・・・」 「恭子ちゃんは彼氏いるし、藤道さんも色々大変らしいよ」 「たまには男抜きで騒ぐか」 「それも面白いかもね」 いつまでもこうしていたいと思う。くだらないことで怒って、笑って、泣いて・・・。そうやって来年も再来年もそのまた来年も、この場所で同じ仲間と同じ桜を見ていたい。 けれどいつまでもここに留まってはいられない。単細胞のアタシだってわかってる。青春は石油と一緒で有限なのだ。 いくらあがいたってアタシたちも、やがてババアになる。諸行無常。ま、それもいい。ババアになって拝む桜もまたオツなもんだろう。 「ブアックション」 でっかいクシャミが出て、せっかくすり寄ってきた窓の桟の花びらを吹き飛ばしてしまった。 「なんか頭がボーッとする」 「彩チャン、花粉症じゃないの?」 「かな」 「花粉症デビューおめでと〜」 就活のため、髪を黒く染めなおさなきゃ、と思う。自分の髪の毛なのに、外側の都合で剃ったり染めたり、世の中はままならないモンだ。 今日はこれから美容院に行こう。 「さて、と! 気合い入れてい・・・ヘックシュン!」 (了) あとがき う〜ん。長い! 今まで書いた尼バリ小説の中で一番長い! しかも長い割に大したコト書いてない! 最近の迷走ぶりには(「ろるべと」とか)我ながらツライものがあります。 さて、はじまりました「バチカブリ大シリーズ」。 このシリーズの発端はですね、私の学生時代に遡ります。同じ下宿に寺の息子がいたんです。その人が夏休み明け、いきなり坊主頭になっていて、「どうしたの?」と理由を訊いたら、僧侶の資格をとるために修行をしてたという。「へ〜」と驚きました。「お坊さんてそんな簡単になれるんだ〜」って。 色々調べてみたところによれば、寺の子弟が大学在学中に夏休み期間を利用して、僧職の免許が取得できるシステムが本当にあるらしい。このシステム、結構多くの宗派で導入されてるようです。 尼僧剃髪マニアの迫水がこのネタをスルーできるはずがありません! 女子大生がひと夏だけ修行僧ですよ? すごい話ですよ いつも教室で「ちょっと山田、ノート貸してよ」「単位マジヤバイ」とか言ってるアノ娘が夏休みにはクリクリの尼さんですよ? 興奮を禁じ得ません。 今回のシリーズはそういった「今時の出家事情」を描いていけたらな、と。 「波乱の人生を送ってきた悲劇の女性が発心して出家」というモチーフは源氏物語の昔から繰り返し文学に取り上げられてきましたが、今作のように「フツーのネーチャンがなんとなくなりゆきで夏季限定修行僧」って小説は絶無かも知れない。面白いと思うんだけどな〜。 |