女弁慶、こっちが本家? |
これは「もはや戦後ではない」というフレーズが、人々の心を明るく灯し始めた頃のお話です。 「コラアッ! この糞ガキども!! 何やっとんねんッ!」 お日様がカンカン照っている畑で、お百姓のコンさんの胴間声が響き渡ります。 コンさんが精魂こめて育てたスイカは、すでに悪童たちのお腹の中。 「逃げろっ!」 食べごろのスイカを食べられるだけ食べ散らかし、ガキ大将のオニユリの号令一下、悪童たちは一目散に駆けだします。 「待たんかい! 今日という今日は許さへんぞ! シバきたおしたる!」 とコンさんはものすごい剣幕で追いかけますが、時すでに遅し、です。 「畜生! 待て! 待たんかい!」 オニユリはクルリと振り返り、 「間男しとるオッサンの作ったスイカは、水っぽくて食えたもんじゃないわい! もっと精出して野良仕事せえや!」 と逃げながら悪態をつきます。 「口の減らんメスガキやな! そないな言葉どこでおぼえた! お前とこの庵主さんに言うて仕置きしてもらうからな!」 コンさんは地団駄踏んで怒りますが、もう、後の祭り、です。 「アッハッハッハッ」 オニユリは哄笑します。 計画通り、散り散りに逃げ、悪童連はいつもの河原に再集合します。 「なあ、オニユリ、次は何しよ?」 子分の一人がオニユリにお伺いをたてます。 オニユリは首を傾け、 「そうやなあ」 と少し考え、 「長者ヶ原の又三んとこに天誅を加えたろか」 と悪戯のターゲットを定めます。 「あそこの親爺は、金持ちのボンやお嬢にはヘイコラして、ウチらには犬猫みたいな扱いして威張りくさりよる。面白うない。ひとつアソコの家の井戸に、何やかやギュウギュウ詰め込んで、使い物にできなくしたろ」 「そら、ええな」 悪童たちの表情が、パッと輝きます。 「こらしめたろ」 「天誅や、天誅!」 「ほな、行くでえ」 悪童連たちはオニユリに率いられ、砂ぼこりを巻きあげ、走り出します。 「楽しいなあ、楽しいなあ」 オニユリは愉快そうに呵々と笑います。 オニユリは本当の名前は、鬼塚小百合(おにづか・さゆり)といいました。 元は農家の生まれです。貧しい家でした。 そのうえ、兄弟が八人もいて、到底養いきれず、いわゆる「口べらし」のため、山一つ越えた、この里の尼寺に入れられたのでした。 ゆくゆくは尼になる運命を与えられています。 小百合は同じ名前を持つ銀幕のスター女優とは、正反対のキャラクターでした。 粗暴でアマノジャクでイタズラ好きで、勉強嫌いで、でも頭は良いのですが、その知能は全て、手伝いをサボること、大人を困らせることに、注がれています。 仏の道そっちのけで、里の悪童たちを集め、ガキ大将となり、悪戯の限りを尽くしています。 田畑を荒らしたり、隣村の悪童たちと喧嘩したり、度を越した悪行の数々、それで今ではすっかり里中の持て余し者です。 尼寺の老庵主さまは、何度も何度も小百合を叱り、更生を促しましたが、小百合は鬼の耳、いや、馬の耳に念仏で、一向にその素行を改めません。 「困った娘や」 と老庵主さまはため息ばかり。ホトホト手を焼いています。 小百合はますます増長し、最近では歴史の本を読んで――意外や、小百合、なかなかの読書家なのです――幕末維新の志士たちが使っていた「天誅」という語を気に入り、自らの悪戯を「天誅」と称し、志士を気取って、大暴れしています。 悪行三昧の尼寺の跡取りに、老庵主さまも弱り果て、或る夜、 「もう愛想がつきた」 と弟子の尼に漏らした。そして、打ち明けた。 「小百合を郷里(さと)に帰そか」 と。 「ああも乱暴では、行く末が案じられる。恐ろしわ。仏さんの許で薫育すれば素行も改まるやろ、と思てたけど、あれはアカン。お手上げや」 「お寺の手伝いもようせんと、里の悪ガキ引き連れて、暴れ回って、里ではすっかり鼻つまみ者ですワ」 弟子尼も言います。 「お経もろくにおぼえようともしまへん。仏さんへの御奉仕も怠け放題。仏弟子には向いてまへん」 「幸いまだ小百合は得度させとらんし、今のうちに郷里に帰そ帰そ。また新しい養女探そ」 「それが一番やと思います」 この夜更けの密談を盗み聞きしていたのは、誰あろう、当の小百合本人でした。 ――えらいこっちゃ! たまたま御不浄に立って、庵主さまの部屋に灯りがついていたので、ちょっと気になって、聞き耳をたててみれば、縁組解消の話。 これには、さすがのお転婆娘もビックリ仰天。 心の底から、 ――嫌や〜! と思いました。 今更ノコノコ実家に戻ったら、大酒飲みでバクチ狂いの父から、 「この阿呆が!」 と激しく折檻されることでしょう。そうして食うや食わずの極貧生活に逆戻りです。 それならばそれで我慢もできますが、お寺の養女となって、家を発つとき、母は小百合に、こう言いました。 「お前、お寺さんをしくじって帰ってきたら、赤線に・・・遊郭に売るしかないんやで」 ユーカク、というのがどういう所なのか、小百合は今もまったく知りませんが、母の表情や語調から、ひどく恐ろしい処であるように幼女の耳には響きました。 ――このままじゃユーカク行きや。 母の言葉が、胸のうち、甦ります。小百合は怖気をふるわせます。夜の闇が怖さを倍増させます。 ガタガタ。ブルブル。 ――こりゃ敵わん! 何とかせねば、と小百合はあせります。 布団に入っても怖くて仕方ありませんでした。 ――どうしよ・・・。 夜が明けて、朝の勤行やご飯のときも、庵主さまや他の尼僧の様子を、チラチラうかがいます。 しかし、庵主さまたちは普段と同じ顔で、箸を動かしています。 まるで昨夜の「ヘンゼルとグレーテル」の冒頭を連想させる「子捨て」のヒソヒソ話など、忘れてしまったかのようです。 でも、小百合が小学校に行くときも、いつもなら、イタズラするな、ケンカするな、早く帰って来い、と口やかましいのに、今朝はニコニコ顔で、 「気ィつけてな」 と麦飯のお弁当を持たせてくれます。その笑顔が、かえって小百合の不安に拍車をかけます。 ――こりゃあ今日中に何とかせなアカン。 小百合は知恵を絞ります。 ――なんとか寺を追い出されんようにせな。 今頃真面目になろうとしても遅すぎです。 実際、今まで、前非を悔い悪事はやめる、といった約束を何十回も破っている小百合です。 追い詰められた末、ひとつの案が浮かびました。 ――しゃあない。 小百合は腹をくくりました。 授業が終わってから、悪童らが小百合の周りに集まってきます。 「オニユリ、今日は誰に天誅くらわしたろか」 「俺の近所の医者、ヤブのくせに里で一軒だけの医院やから、それをエエことに、ええ加減な診察して、患者から金巻きあげとる。その金で豪邸の庭に池作らせて、仰山、鯉を飼っとる。どや、その鯉、盗んで喰うたろか」 「そら、エエなあ」 「一丁やったろうや、オニユリ」 「やかまし。ウチは今天誅どころやないねん」 と小百合は蠅でも追うように、物憂げに手を振って、 「武やん、確かアンタんとこにバリカンあったよなあ」 「おう、あるで」 「ソレ貸してぇな」 「バリカンをか?」 「せや」 「何に使うんや?」 「ええから貸して」 「親父にドツかれへんかなあ」 「ゲンコツの一つや二つ我慢しいや。ウチは人生かかっとんねん」 「何かえらい深刻なんやな。シェースクピアの台詞みたいや」 「シェースクピアやないシェークスピアや。ええから、すぐ帰ってバリカン持って来。いつもの河原で待っとるからな」 小百合は河原で武やんを待ちました。 いつも魚を獲ったり、泳いだり、悪戯の計画を練ったりしている河原です。 川辺には葦が生い茂り、その茂みの中、小百合は、ドッカリ、大あぐらをかいています。 その周りを子分の男の子たちが取り巻いています。付いてくるな、と言ったのに、くっついてきました。 小百合以外の皆、これからこの河原で何が行われるのだろうと、訝り顔でいます。 日差しは柔らかく、もう秋です。 「おーい、オニユリ〜! 持って来たでー!」 武やんが猛スピードで駆けてきました。手に古ぼけたバリカンをかざしています。 「オウ、待っとったで」 と小百合はひったくるように、バリカンを受け取ると、それを持って川の方に歩いていきました。 他の連中も女親分の後を、無言でゾロゾロ付き従っていきます。 小百合はお下げにしていた髪をほどきます。 長く強(こわ)い髪は、ザラリ、と小百合の頬や首や肩に零れ落ちます。 そして、小百合は川の流れに、頭を突っ込み、髪を浸し、ジャブジャブと洗いました。 子分たちは首をひねります。 「なあ、オニユリ、何するんや?」 「こうするんや」 と小百合は額の生え際にバリカンをあて、 「えいっ!」 とばかりに猛然と濡れ髪に突き込みました。 カチャカチャカチャ、 バリカンは力強く小百合の髪を掻き分け、直進。 バサリ! と濡れた髪が石の上に落ちます。 「オニユリ!!」 と仰天したのは悪ガキ連。 「何しとんねん!!」 「気ぃでも違うたんか!!」 「ウチは至って正気やで。こうでもせんと、もう寺には置いてもらえんねや」 そう言いながら、小百合はまたバリカンを前髪に突き入れ、 カチャカチャ、カチャカチャ、 とすごい勢いと気迫で突き動かします。 バチャ、 落髪は、今度は川面に落ち、ユラユラと流れていきました。 さらにひと刈り。 カチャカチャ、カチャ、カチャ、 「お〜、痛〜!」 バリカンの刃が長い髪に喰い込んで、小百合は顔をしかめます。 内心小狡く算段しています。 ――頭を丸めてしまえば―― 庵主さまたちも、出て行け、とは言いづらいでしょう。更生する覚悟も、言葉を費やすよりも示せるでしょう。 「エイッ! エイッ」 と裂帛の気合いをこめ、小百合はバリカンを動かします。 ズズズ、 と髪の一角が崩れます。一筋、二筋、ともつれ合って、 バサッ、 と河原に散ります。段々と丸坊主に近づいていきます。 ですが、痛くて痛くてたまりません。バリカンはボロだし、自刈りでは思うように切れません。まさに悪戦苦闘です。 それでも、根性で、小百合は自らの髪を、引きちぎるように、荒々しく刈り払っていきます。 ユーカクに売られるよりは遥かにマシだ、と自分に言い聞かせています。 必死にバリカンを操っています。 前頭部の髪の毛を刈り終えました。 川面に顔を映し、確かめると、すっかり落ち武者のような有様になっています。 毒気をゴッソリ抜かれ、呆然と立ち尽くす子分どもに、 「アンタら、なに薄ボンヤリ見てんねん! 手伝わんかい!!」 小百合は焦れて、怒鳴りつけました。 ガキ大将の一喝に、子分も我に返り、渡されたバリカンを回しっこして、皆で寄ってたかって、姐御の日に焼けて茶色がかった長い髪を、バッサバッサと刈り込んで、丸刈り頭にしていきます。 その痛みたるや、筆舌に尽くしがたく、 「痛っ! 痛っ! 痛い言うとるやろ、このド下手! もっと上手くやらんかい!」 小百合は悲鳴をあげ、子分たちを叱りつけます。 子分たちはオロオロと、 「おいっ、正吉、そっちの髪はお前に任せたで」 「バリカンて初めて使うたけど、扱いにくいモンやな」 「髪長いから、刈りにくいんや」 と言いながら、出鱈目にバリカンを入れまくり、姐御の髪をむしり獲っていきます。 「おらっ、動くなっちゅうとるやろ!」 「お前とお前は手足押えとけ!」 「よっしゃ!」 「動くな言うとるやろ! おいっ、ちゃんと押えとけや!」 「こらっ、わめくなや!」 「おとなしくせいっ!」 と何やら性犯罪の現場みたいな騒ぎです。 「ク・・・ククッ・・・クゥ・・・」 あまりの痛さに小百合の両眼からポロポロと、大粒の涙がこぼれます。鬼の目にも涙、です。 川面を吹き抜ける風が、坊主になった部分に染み入ります。 ようやく、トラ刈りの坊主頭に、小百合がなった頃には、陽はだいぶ傾いていました。 川に頭をつけ、洗うと、 「ひっ」 水の冷たさは有髪のときより桁違いで、思わず首をすくめる小百合です。 刈り落とした髪は全て川に流しました。 「これで、まあエエやろ」 と小百合は満足げに丸まった頭を撫でまわし、ひとり頷きました。 そして、 「ウチはもう、アンタらとは遊ばん。これからは真面目に尼さんの勉強する」 と絶縁宣言しました。子分たちは魂でも抜かれたかのように、呆けた顔で突っ立っていました。 一路、尼寺へ。 黒い毛が点在している坊主頭を深々下げて、 「庵主さま、今まで迷惑おかけして、ほんまにすんませんでした。この通り頭を丸めました。仲間とも縁切りしてきました。これからは、立派な尼さんになれるよう、心を入れ替えて修行します。せやから、どうか、このお寺に居(お)らせて下さい。お願いします!」 と庵主さまたちに謝り、懇願しました。 「そないな頭にされては、しゃあないわ。寺に置いてあげまひょ」 庵主さまは驚き、呆れ、諦めて、小百合の望みを聞き入れてくれました。 「しっかり精進しなはれ」 「はい!」 そして、その夜、ささやかな得度の式が、急遽とり行われました。 トラ刈りの頭を剃刀で、 ジー――― ジー―――― ジー――― と綺麗に剃りあげてもらい、新たな仏弟子が誕生したのでした。 後で、 「まるで武蔵坊弁慶やね」 と先達の尼さんが笑って言いました。 あの怪力で知られた義経の家来、弁慶も「鬼若」と呼ばれた幼少の頃、比叡山に入門したのですが、そこで乱暴狼藉の限りを尽くし、師僧たちから見放されかけ、これはいかぬ、と自分で自分の頭を剃って、僧となり、「弁慶」の法号を名乗ったのだそうです。 以来、小百合は「弁慶ちゃん」と尼寺で呼ばれるようになりました。 「弁慶ちゃん、水汲んできて」 「弁慶ちゃん、この手紙、郵便局まで届けてんか」 「弁慶、しっかり集中しなさい」 ありがたくないニックネームをつけられ、小百合は不満でした。 が、毎日コマネズミの如くお寺の手伝いをし、勉学に励んでいます。 ずっと洋服だったのですが、坊主頭には合わないので、作務衣を着るようになりました。 もうガキ大将の「オニユリ」ではありません。下っ端でも歴とした尼僧です。 そうして歳月は過ぎました。 小百合は里の人々から敬慕される老庵主さまになっていました。 自分に厳しく、他人に優しい立派な尼さんです。 社会運動や福祉活動にも参加しています。たくさんの仏教関連の書籍も上梓しています。 役場だったり御本山だったりから、幾たびも褒章されそうになったのですが、本人は、 「出家の身として当然なことをしたまで」 と固辞し続けています。 そんな素敵な老尼に憧れて、弟子になる女性もいます。 その弟子の一人である若い尼さんと、今夜は檀家さん宅へ枕経をあげに訪れました。その家のご隠居さんが亡くなられたのです。 穏やかな死に顔をしみじみ見て、老庵主さまは、 「武やんも逝ってもうたか。皆、ウチを置いていってしまう。寂しいわなぁ」 と呟いていた。 枕経を終え、その帰途、 「ご隠居さんがまだ元気な頃、お話しして下さったのですが――」 と弟子尼は訊いた。 「庵主さまは子供のとき、手のつけられないお転婆のガキ大将で、ご隠居さんたちと一緒に毎日悪戯ばかりして、里の方々は大弱りしていたとか」 「武やんがそう言っとったかね?」 「本当の話なのですか?」 昨年まで都会でOLをしていたという若尼の質問に、 「ふふふ」 老尼は含み笑い、肯定も否定もせず、歩き出しました。 月が老尼の小さな身体を照らして、その影はクッキリとコンクリートの上にのびています。 「庵主さま、待って下さい。今、車出しますよって」 とご隠居さんの長男のあわて声が背中を追いかけてきますが、 「エエて、エエて、たまには歩かせてえな。乗り物ばかり使うとったら足腰が弱るばっかりや。月も出とるしな」 とそう言って、老尼は自動車を断り、若尼と二人夜道を行きます。 「さてと――」 老尼は、それこそ不良少女を彷彿とさせる不敵な笑みを、ニカと浮かべ、若尼に言いました。 「ウチもそろそろ昔話にふけってもエエ年やろ」 思いがけぬ「暴露話」が聴けそうで、若尼の胸は躍ります。 (了) あとがき どうも迫水野亜でございます♪ 今回のタイトルについてですが、まだサイトを開設するずっと前に、「女弁慶」というタイトルの小説(断片的なもの)が幾つかあって、今作もノートに数行書いた雑文を基にしているのです。 ずっと頭の片隅にこびりついていたストーリーだったので、今回ちゃんと物語化して、お披露目に漕ぎ着けられて、とてもとても嬉しいです!! 最近、昭和の喜劇映画にハマっていて(森シゲ久彌さんとかが主演してる)、その頃(前夜?)を舞台にしてみました。 書き終えて満足しております♪♪ 最後までお付き合いいただきありがとうございました〜!! |