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酷暑也


 暑い! 暑い! 暑っ! 暑い!

 TVニュースは連日日本各所の猛暑っぷりを、映像と解説付きで報じてる。

 雛美(ひなみ)の住む町も、今日は38℃を超えたとのこと。

 今日は、托鉢の尼僧たちの一団とすれ違った。この辺には尼僧堂があるため、修行中の尼さんと遭遇することも珍しくはない。

 今日の尼さん達も、手甲脚絆姿で、クソ暑い中、歩いていた。

 一番後ろを歩いている尼さんは、雛美と同年代の女の子だった。笠の中から顔の下半分が覗く。左頬には、墨汁を滴らせたかのような、大きな黒子と小さな黒子が散っていたのが、雛美には印象深かった。

 坊主頭の尼さんと出っくわして、

 ――この暑さじゃ、ボーズも悪くないな。

などとは1ミクロンたりとも思わない。

 実際、スキンヘッドだと、直射日光をモロに頭皮にくらうから、痛くて痛くてたまらないだろう。

 明日も猛暑、とのニュースの天気予報に、雛美はげんなり。

 あの黒子の尼さんは、明日もまた大汗かいて托鉢に回るのだろうか。ふと思った。全く無関係な人だけど。



 来生雛美(きすぎ・ひなみ)20才、一応OLである。

 「一応」と述べたが、まあ、その略歴をざっと語る。

 中学卒業後、家庭の事情で、昼間はパン工場で働き、高校の夜間部に通った。

 バイト先の工場では、無遅刻無欠勤、せっせと真面目に従事し、上の人々からも目をかけられていた。

 そしてその仕事ぶりを買われ、高校を出たら、正社員にならないか、と打診された。雛美は、はい、と受けた。

 これであの女子社員の制服が着れる〜、と喜んだのも束の間、事務方ではなく、今までと変わらず、作業着での現場勤務。あれやこれやと作業量は増えたが、薄給、むしろアルバイト時代より、手取りの給与は減った。世間で言うところのブラックなんとかかも知れない。

 それでも、やめる気にはなれなかった。

 社交性を余り必要としない職場だったので、人見知りの雛美にとっては居心地が良かった。現場には同世代の女の子たちもたくさんいて、友人も何人かできた。何より小回りのきかない不器用な性格だったので、働きながら他にもっと好条件な仕事先を探して、ホイホイ転職するような要領の良さなど、持ち合わせてはいなかった。

 「OL生活」はなんとか二年目に突入。



 さて、次に、雛美の髪についての話をしよう。

 雛美は子供の頃から髪を長く伸ばしていた。散髪を激しく拒絶した。アニメのサブヒロインの髪型を真似ていたのである。

 アニメの放映が終わってからも、雛美は髪を伸ばし続けた。ずっと、腰下までの髪をキープし続けた。

 メイクやネイルなどには無関心。長い髪のみが、雛美の唯一のオシャレだった。

 その髪も、何の芸もなく、ただ伸ばしてるだけで、後ろから見たら、海苔みたくバラリダラリベタリと彼女の身体に覆いかぶさっているに過ぎなかった。それでも、雛美は満足していた。が、どうにも野暮ったく他人の目には映る。

 しかし、男ってやつは、いつの時代も長い黒髪に弱い。雛美の処女髪に引き寄せられる男の子たちも結構いた。

 ややどんくさい雛美でも男連中の下心を、本能的に察知したが、彼らのアプローチをのらりくらりと――本人は普通人のスピードだと思い込んでいるのだが――かわしている。

 雛美は軽度の男性恐怖症だった。

 物心つく前に、両親は離婚し、母の手で育てられた。なので、雛美は父を知らない。

 幼い頃から、母の去った父への呪詛の言葉を聞かされてきたので、いつしか拭えぬ男性不信が心の奥底にこびりついていた。

 パン工場のバイトも、男性が少ないので、そこを選んだのだった。

 こんな自分が結婚して幸福な家庭を持てるのだろうか。雛美は時折不安に襲われる。一生独身のまま、孤独な死を迎えるのだろうか。そう考えて、頭を抱えたくなることだってあった。

 話が髪から逸れてしまった。

 雛美はバイトの頃から、バイト先の同僚に長い髪を愛でられた。

 仕事上、食品を扱うので、作業中はまとめて衛生帽子の中に押し込んでいるが、終業後、それを脱ぎ、バッと髪をひろげると、女性たちは彼女の髪に触れたがった。三つ編みにして弄んだりして、楽しんだ。

 考えてみれば、もし事務方に回されたりしたら、長過ぎる髪に色々と物言いがついたに違いない。現場では髪型は基本自由だし、雛美にとっては、こんなありがたい職場はない。

 前述したが、そのうち親しい女友達ができた。

 彼女たちは段々と、雛美のロングヘアーの無邪気な愛好者ではなくなっていった。むしろ、そのカマトトっぽい長い髪に、批評を加えるようになっていった。

 曰く、重そうに見える。

 曰く、毛先が痛んでいる。

「ヒナ、長さはそのままでいいケド、毛先の辺りを美容院で梳いてもらったら? そっちの方が軽くてオシャレだよ」

などと、しきりに雛美をそそのかしてきた。

 あんまりしつこく勧められるし、長さは保てるようだし、それならやってみようかという気になった。

 正直、余り強情を張り通して、「親切な」友人たちのアドバイスを拒み、彼女らとの間に溝を作ってしまうのも、マズイと思うし。



 というわけで、雛美は初めて、美容院なる所へ行った。今までは一ヶ月に一回、伸びた分だけ――1cmくらい――母親にカットしてもらっていた。

 全てが初体験なので、雛美は気後れする。

 「社会人」なのに、他人に髪を切ってもらったこともないなんて、確かに相当な変わり種だ。恥ずかしいことのように思える。

 若い美容師さん(♂)とのオーダーについてのやり取りもギクシャクしてしまうし、でも、つまらない見栄をはっても仕方ないので、

「あのぅ・・・実はアタシ、お店で髪切ってもらうの初めてで・・・」

と赤面しつつ打ち明けると、

「そうなの?」

と、それまで仏頂面だった美容師さんも目を瞠り、急に表情を和らげて、

「じゃあ、晴れの大役、謹んで勤めさせて頂きます」

とおどけて笑い、改めて話し合って、髪の長さはそのままに、毛先を10cmばかり、梳き鋏でカットしてもらった。

 シャキッ、シャッ、シャッ――

 そうやって髪の量を随分減らした。

 床に落ちた髪はさほどでもなかったが、雛美にとっては、

 ――うわ〜! きゃあ〜!

 こんなに髪を身体から切り離したことはなかった。

 恐る恐る髪を確かめたら、長さは変わっていないので、ホッ、安堵の胸をなでおろした。合わせ鏡。見た目にも軽やかになって、

 ――いい感じ♪

「似合ってるよ。垢抜けたよ」

と異性の若い美容師さんの自画自賛を交えたリップサービスに、雛美も髪ばかりでなく、男性恐怖症も軽減したかのようで、顔をほころばせた。満足、満足。心も軽快、嬉しい美容院デビューとなった。いっぱしのレディーに化(な)った心持ちがした。

 翌日、職場では、カントリーガール風だった雛美の「変身」に、アルバイトの女の子も、パートのオバチャンもこぞって賛辞を送ってくれた。大好評。皆「かわいい」を連呼してくれた。

 雛美は小躍りして喜んだ。

 このカットとお披露目の二日間で、雛美のヘアカットへの怯懦もだいぶ消えた。



 翌月も同じ美容院で髪を梳いてもらった。その翌月も。

 小躍りしたのは雛美ばかりではない。

 彼女の同性の友人たちもだった。

 雛美が彼女たちの「助言」に従って、美容院に行ったことで、歪んだ優越感に浸る。

 さらにマウントを取らん、と、また雛美の髪に、あーだこーだ、物言いをつける。

 もっと切ったら、明るい色にカラーリングしたら、巻いてみるのもいいんじゃない、と矢鱈勧めてくる。

 カラーリングやパーマは遠慮したが、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、髪を10cmほどカットした。

 ヒップまでの超ロングヘアーから、腰までの超ロングヘアーになった。ただし、もうこれ以上は、1mmだって切るつもりはない。



 彼氏もできた。

 廣岡大樹(ひろおか・たいき)23才。まだまだヤンチャな鳶職の青年だった。

 ヘアカットによって、洗練され、自信を得、度胸もつき、男性恐怖症も鳴りをひそめ、そのタイミングで出会い、告られ、二人の関係はスタート。春には自宅から大樹のアパートに移り、同棲をはじめた。



 そうして同棲して四か月後、空前の猛暑到来。

 皆、ヒイヒイ言ってる。

 とりわけスーパーロングの雛美は大変だ。夏には超絶不向きな髪型だ。

 Tシャツにジーンズという軽装は「夏」といった風情だが、作業でボサボサになった長くボリューミーな髪を振り乱し、汗だくになりながら、彼氏との愛の巣へダッシュする雛美に、友人らの視線は厳しい。

「見てるコッチまで暑苦しくなるよね」

「いい加減、バッサリ切れよな」

と陰でヒソヒソ話している。が、彼氏に夢中の雛美の耳には届かない。



 しかし、その夜、猛暑に拮抗するような熱烈な交情の後、大樹は雛美の髪をなでながら、

「お前、こんな髪長くて暑くないのか?」

と訊いた。明らかにネガティブなトーンがあった。

「そりゃあ、暑いよ」

と雛美は答えた。

「切れよ」

 大樹は一言いった。

 雛美の耳を疑った。顔は思い切りひきつった。

「え? え? イヤ〜」

 拒絶反応を示す雛美に、

「切れよ」

と大樹はまた言った。「サッパリとさ」

「だって、大樹、アタシの長い髪が好きって言ってくれてたじゃない」

「言ったっけ?」

「言ったよ! 何度も言った! なんで今更、切れとか言うの?」

「飽きた、長い髪」

 残酷な言葉に雛美は傷つく。でも、しかし、大樹のこの「俺様」なトコに、雛美は惚れに惚れぬいているわけで。

 結局、押し問答になったが、いつものように雛美が一方的に押されまくり、

「わかったよ! 切ればいいんでしょ、切れば!」

とキレ気味に叫んだ。

 美容院未経験の頃の雛美なら、死んでも拒んでいたろうが、髪を切る、あのスリル、あのワクワク、あの爽快感、悦び、充足感を知ってしまっていた。

 そして、今、大樹によって変身願望を大いに刺激されてしまった。そう、女の子には誰しも、大なり小なり変身願望があるのだ。

 それに愛する大樹に尽くしたいという「服従」、いや、「献身」の気持ちもあった。

 何より、暑い!!

 短く切ってサッパリするが吉か。決心は一夜でついた。ついてしまった。



 翌日はタイミングよく(?)休日(平日休み)。

 雛美は十五年に及ぶロングヘアー時代に、終止符を打つべく、美容院に行った。

 今朝、大樹には出がけにも、

「バッサリ短くしてこいよ」

と釘を刺されている。

 美容院の扉が、いつもより重く感じられた。

 鏡の前、カットクロスを巻かれ、

「今日はどうするのかな?」

とオーダーを訊かれ、一瞬ためらったけど、

「短くしたいんだけど・・・」

と思い切って言ったら、

「短く?」

 案の定、美容師さんは目を丸くして、

「いいの?」

「うん、いいの」

「何かあったの?」

「彼氏の御所望」

「そういうわけね」

 美容師さんは事情をロマンティックに受けとめ、

「雛美チャンの恋のお手伝いができて光栄だよ」

とニッコリ笑った。

 カタログを開き、美容師さんと相談しながら、新しい髪型を決める。ドキドキワクワク。

 数ある候補の中から、雛美が選んだのは、目のすぐ上で不揃いに切った前髪に、襟足を長めにとり、肩上でユルフワと毛先を遊ばせた今風のオシャレなショートヘアーだった。髪色は雛美のこだわりで、黒のまま染めずにおくことに。

「ホントにいいんだね?」

と二度も念を押された。

「この暑さだしね、短いのも悪くないって思うの」

「そう? まあ、オレとしてはカットのし甲斐があるけどサ」

と美容師さんは言い、雛美の髪をレザーで大胆に切っていった。昨日の同じ時刻には夢にも思わずにいた髪型に、これからなる。

 ジャッジャッジャッジャ――

 バサバサと長い髪の毛が削ぎ落とされていく。

 それらがカットクロスに、店の床に、積もってゆく。

 耳のそばで鳴る髪を切る音に、バッサリ処女の雛美はわななく。

 ジャッ、ジャッ、髪がレザーで圧し切られ、一片の骸となり、一片一片が積み重なり、散り、くねり、カット台を取り囲んでいる。

 髪は全て肩上で切られた。

 美容師さんは、今度は様々なハサミを使って、髪の長さを調節し、動きをつけていく。シャキシャキ、シャキシャキ。ボリュームも調整していく。シャキシャキ、シャキシャキ――

 ゆっくり時間をかけて、髪は雛美の望み通りの形になっていった。

 鏡の中、異性の手によって変貌を遂げてゆく自己の姿に、雛美は恍惚となった。なんか「オトナ」って感じ。

 成人式のときよりも、「オトナ」になったなあ、という実感が湧いた。

 カタログと同じ髪型になった。

「軽〜い」

 雛美は咲(わら)った。

 それに涼しい。切って良かった。今となれば、あんなに長過ぎる髪に固執していた自分が、バカみたく思えもする。

 サーッ、サーッ、と切られた髪が掃き集められている。

 長い年月を共にしてきた髪、たくさんの思い出が詰まった髪、それがゴミ扱いされ、捨てられて、ちょっと胸が痛む。

 でも今時のフレッシュで、それでいて落ち着きのある上品なオシャレショートになったウキウキの方が勝る。

「最高だよ、雛美チャン!」

 美容師さんもベタ褒め。雛美は足取りも軽く帰路についた。

 今まで頭や肩にかかっていた負荷が消え、背筋も伸びる。なんだかモデルを意識した歩き方になる。モデル歩きのまま、スーパーで夕食の食材を買った。



 部屋に帰る。

 大樹の喜ぶ(驚く)顔が早く見たい。

 そんな望みを神様が叶えてくれたのか、雛美が帰ってすぐ大樹も帰宅した。

 期待に胸ふくらませ、

「じゃ〜ん」

と大樹の前でターンして、ショートヘアーをお披露目した。かなりのドヤ顔で。

 しかし、大樹のリアクションは雛美の期待していたのとは、まるっきり違っていた。

「ふーん」

と大樹は白けた顔で、雛美のオシャレショートをクシャクシャとかきまぜ、

「まだ切れるっしょ」

と冷ややかに言った。

 ――え?

 雛美はフリーズした。大樹の口から出た言葉の意味が、一瞬わからなかった。頭の中が真っ白になった。

「切り直し」

「え? え? なんで、なんで?!」

「俺はもっとバッサリいって欲しいんだよなあ」

 足元の床が抜けて、そのまんまブラジルまで落ちていきそうなショック。

 そんな雛美を放置して、大樹は奥の部屋に引っ込み、出てきて、

「これ」

と一枚の封筒を、雛美に突きつけた。

「もう一回美容院に行って、この封筒を美容師に渡して、この中の写真みたいな髪型にしてくれって、頼むんだ。いいな? 中身はゼッテー見るなよ。 わかったな? もし、またそんなチャラチャラした髪で戻ってきたら、ゼッテー部屋には入れねーからな」

と命じられ、雛美はベソをかきながら、家を出た。

 まだまだ暑い屋外、フラフラとおぼつかぬ足取りで歩く。

 さっきの美容院にはどうにも行きづらい。仕方なしに反対の方向へ。

 団地の建ち並ぶ谷間のような場所に、小ぢんまりとした、いかにもオバハンやメスガキ御用達といった風情のパーマ屋があった。

 考えるのも億劫で、雛美は、さっさとその店に入っていた。

 室内もショボかった。変な臭いもした。

 若作りしようとして失敗している小汚いババアが、店の中をウロウロしていた。美容師らしい。来店した雛美を見ると、

「あら、いらっしゃい」

と不愛想にアイサツした。

「ほんとは、もう店を閉めようと思ってたんだけどね」

と恩に着せるように言いながら、雛美をカット椅子に座らせた。

「こういう髪型にして下さい」

と雛美は大樹に持たされた封筒を、ババアに渡した。気が気ではない。当然だ。どんな髪型にされるのか、当の本人は皆目わからないのだ。

 ババアは封筒の中から紙片を取り出す。雑誌の切り抜きらしい。

 それを見て、

「へえ」

とババアは感嘆詞を口にし、雛美の髪を眺めやり、妙な表情(かお)をしたが、面倒だったのか、ろくに確認もせず、

「じゃあ、切るよ」

とさっさと雛美の髪を霧吹きで湿しはじめた。

 ――やっぱりいつものお店にしとけばよかったな。

 雛美は後悔した。

 ババアは雛美の長めのユルフワショートを、あちこちブロッキングしていく。

 耳の周り、後ろ、頭のテッペン、と髪が留められる。

「この髪、切ったばっかりでしょ?」

「はい。今日」

「どこの美容院で切ったの? ありえない。デタラメもいいトコ。ひどい仕事するわねえ。ほんと、ありえない」

 ババアは「ありえない」を連発し、雛美の行きつけの美容院のカットを謗る。この髪型を大いに気に入っている雛美としては、心外だ。

 まず前髪が切られはじめる。

 ジャキジャキ! ジャキジャキ!

 ――うげぇ〜!

 ババアの手荒いカットに、雛美の背筋は凍りつく。

 一気に眉上5cm以上も、パッツンに切り揃えられてしまった。

 ――ウソ!! ウソでしょッ!!

 バカみたいに短くされた前髪に、雛美はパニックになる。ありえないのはアンタだよ、とババアに言いたい。大樹のヤツ、一体どんな髪型を発注したのだ?!

 ほとんど整えていない眉が露わになる。

 剥き出たオデコが店の照明に照りかえっている。

 雛美の動揺などお構いなしに、ババアは右から髪を刈り込んでいった。

 ジャキジャキ! ジャキジャキ!

 ジャキジャキ! ジャキジャキ!

 ボタボタと水気を含んだ髪が落ち、ケープを叩く。

 ふんわり遊ばせた毛先は、容赦なく切り払われる。

 耳の周りもビッシリと、揉み上げが消えるまで刈り詰められた。

 エルフのようだ、と昔アニオタの知り合いに形容された、尖った大きな耳が露出する。

 左サイドも同様に、切られに切られ、耳が世間へと引っ張り出される。

 ――ちょっと!! これじゃ男の子じゃないかっ!!

と泣き叫びたくなるが、今更止めるわけにもいくまい。

 雛美は血が出そうになるほど、唇を噛みしめる。

 ババアは涼しげな顔で、トップの髪を、

 ジャキジャキ! ジャキジャキ!

と切り落とす。

 極めつけは襟足。

 何度も何度も何度も、ハサミとコームが乱暴に入れられ、上下する。

 ジャキジャキ! ジャキジャキ!

 ――か、か、か、刈り上げられてるううぅぅ!!!

 朝起きたときには、腰までのロングヘアーだったのに。

 ババアは鼻歌まじりに、執拗に後頭部を刈り上げていく。腹立たしい。

 そして、ついにはバリカンで刈られた。ジョリジョリ~、とボンノクボ辺りまで。

 ジョリジョリ〜、ジョリジョリ〜、ジョリジョリ〜、と八回もバリカンは上昇、雛美にとっては、耐え難い精神的拷問だ。短い毛がケープの内側に入って、首がチクチクする。

 雛美は男も顔負けの超短髪になった。

 さらに、あろうことか、ババアは染髪剤を取り出し、雛美の黒髪をブリーチし出した。

 ――ど、ど、どういうことォ〜〜?!

 もはや全てが想定外過ぎて、雛美は卒倒寸前。いい加減解放して欲しい。切に願う。

 が、願い虚しく、雛美の髪はギンギラギンの金髪に。

「完成よ」

との言葉に雛美は我に返る。

 鏡の中には、金色の超短髪になった自己の姿・・・。

 ――クレイジーすぎる・・・。

 呆然とする雛美。ショックの余り、右の鼻の孔から鼻血が出ていた。ババアはティッシュもくれない。自分のハンカチを出して、鼻血を拭った。

「まあ、もうこんな時間! じゃあ、店閉めちゃうから、お金払って」

 カット椅子から降りる。

 ワゴンの上に、持参したれいの切り抜きが置いてあったので、よーく見た。金髪ベリショの欧米女性のフォト。モデルかな、と思ったら、ケイティ・ペリーというアメリカの人気歌手だという。

 ――大樹・・・なんてムチャさせやがる・・・。

 恋人のアホさ加減に、雛美はガックリと崩れ落ちる。

 いくら髪型は同じでも、こっちはコッテコテのモンゴロイド顔、似合うわけがない。どう見ても、ヒール役やらされてる若手女子プロレスラーだ。

 腰砕けの状態で、追い出されるように店を出た。

 日はもうとっぷりと暮れている。

 長い髪が恋しい。黒い髪が恋しい。

 明日職場で何と言われるのだろう。

 ――行きたくね〜!

と頭を抱える手の平を、短い髪の先端がチクチク突き刺す。

 モワ〜、と蒸し蒸しした暑気がアスファルトからたちこめている。

 今夜も熱帯夜になりそうだ。

 認めたくはないが、確かにこの頭は涼しい。

 ――大樹は喜んでくれるかな。

とぼんやり考え、金髪をクシャリ。

 しかし、雛美は自分の心の中の欺瞞に、気づき始めている。

 大樹を喜ばせたい、というより、大樹に嫌われ、去られるのが怖いのだ、自分は。父に捨てられた母のようになるのが恐ろしいのだ。

 トボトボと歩く。

 ひとつの看板が目にとまった。プレハブの大きな建物。キックボクシングのジムだった。大下ジム、初心者大歓迎、とある。明かりがついている。練習中なのだろう。

 ――入会しようかな。

 唐突に思った。身体を動かしたいし、ダイエットにもなるし、何だか今のアグレッシブな髪型に相応しい場所に思えるし、

 ――とりあえず腕力つけよ・・・。

 雛美は吸い寄せられるように、ジムへと入っていった。




(了)



    あとがき

 ある超ロングヘアー嬢に刺激を受けて書き始めました(けして「モデル」ではありません)。
 7月からの猛暑で、髪を切る女性も増加しまくってるんじゃないでしょうか?
 しかし、暑い(汗)。迫水が子供の頃は30℃超えると大騒ぎだったのに、今は当たり前のように連日40℃近く。。
 今回はかなり気楽に楽しく書けました。個人的にとても気に入っている作品です♪
 皆様、お楽しみ頂けたでしょうか?
 だとすれば嬉しいです(*^^*)
 皆様もどうか暑さ対策して、お身体大切にして下さいね!
 では!




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