履歴書と六法全書 〜Truth is stranger than comics〜 |
ガクン と体が後ろに引っ張られる感覚がいて、新幹線が動き出す。 「不公平だよなあ」 と龍法(たつのり)は何度も言った。 「男女平等だろうに」 「タッチャンはいいじゃない」 と私は反論する。 「男の子なんだし、生まれたときからお寺の子でさ。アタシなんて女の子なのに、得度だよ? お坊さんなんだよ?」 「別に得度してからって、頭丸めるわけでもないし、生活も今までと変わらないだろ?」 やっぱり不公平だ、と龍法は唇を尖らせる。 「いいじゃん、ボウズくらい」 「じゃあオマエもボウズにしてみろよ、莉穂子」 「私が男だったら、潔くさっさと丸めるね」 龍法がチッと舌を鳴らした。ようやく二つのことに気づいたようだ。 いくら目の前の「妹」に苦衷を訴えても、坊主頭は免除されないこと、そして、冷酷な「妹」は彼の境遇に対する冷淡な態度を、改めないであろうことを。 「うおぉ〜、嫌だ〜! ボウズなんて!」 サラサラの黒髪に手をやり、スタイリストの「兄」が突っ伏すのを横目に、持参したマンガ雑誌に没頭する。いいね〜、フワフワロングの美少女ミヤビとサワヤカ系「王子様」キョウヤのすれ違いの恋。来月号が最終回! ヒロイン、ミヤビの想いは成就するのかなあ? 明後日、京都の本山で得度式がある。宗門の寺の子弟が集団で得度を受け、僧侶になる毎年恒例の行事で、今年は、ずっと参加をいやがっていた龍法も父住職の説き伏せられ、渋々、本山にのぼることとなった。それはいい。いや、むしろ実家の安寧と、本人の実りある将来にとっては慶祝なのであるが、莉穂子、ついでだからお前も龍法と一緒に得度を受けてきなさい、と火の粉が飛んで、思わぬトバッチリを蒙ってしまった。 得度者は剃髪するのがきまりである。が、それは男性に限っての話で、女性の剃髪は個人の意思に任されている。つまりは「自由」だ。本山側は女性もできれば剃髪が望ましい、と坊主頭を推奨しているが、たった一日の儀礼的な得度のために、わざわざ頭を丸める烈女はなかなかいないらしい。私も勿論、信心よりも女心を優先させる。 女ではない龍法は坊主決定だ。だから剃髪を免れた私に八つ当たりする。 だが私の身にもなってくれ、マイブラザー、と云いたい。 そりゃあ、頭は剃らなくて済むけれど、私だって貴方に付き合わされて、行きたくもない遠くの本山に行って、参加したくもない堅苦しい得度式に参加して、なりたくもないお坊さんになるのだ。アンタがちゃっちゃと早いうちに得度を済ませておいてくれれば、こんな羽目にはならなかったのだ。 母が現在の父と再婚して、もう五年になる。 母から再婚話を打ち明けられたときは、 ――私、お坊さんのムスメになるの?! と仰天した。 父になる男性がどんな人間か、という心配より、お寺で生活する、という途方もない我が身の変転に戸惑い、お経をよまされるのか? 肉は食べられるのか? 早朝に起きなければならないのか? と母を質問攻めにして、困惑させた。 「大丈夫よ」 と母は娘の取り越し苦労を笑った。 「お寺っていっても普通の家と変わらないのよ」 アナタと同い年の息子さんがいてね、と母は私の不安を取り除こうとして、龍法のことを口にした。 血のつながらない若い兄妹が一つ屋根の下同居・・・。なんだかドラマチックだ、などと、少女マンガのヒロイン気分に浸ったりもした。 新しい実家は大きな寺だった。 坊主丸儲けとはよく言ったもので、それまでの母ひとり子ひとりの慎ましい生活から一転、私は寺娘としての裕福な暮らしを享受した。 欲しい物は何だって買ってもらえた。ベッドもパソコンも室内犬も。大好きなマンガも本棚にギッシリ揃える。 お寺の子になったら、肉が食べられないのではないか、と気を揉んでいたが、まるきり逆で、高そうなステーキハウスや焼肉屋さんに行くのは日常茶飯事。最初の頃は贅沢な外食に無邪気に感激していたが、今ではそれが当たり前になってしまった。 新しい父も義理の娘の機嫌をとるためか、あるいは突然できた女の子が可愛くてたまらなかったのか、しょっちゅうお小遣いをくれた。龍法には内緒だぞ、と耳打ちして。 今年の誕生日にはキャッシュカードをプレゼントしてくれた。やはり、龍法には黙っておくように、と念を押された。 その義理の兄、龍法との関係は一応良好である。 同じ中学に通い、一緒の高校に進学した。 寺に来た当初はギコちなかった。それは当然で、違う環境で育って、ある日いきなり、お前たちは兄妹だから、とパッケージされても、お互い思春期なこともあり、そう簡単に打ち解けられるものではない。 それでも、お墓がコワイという私のために、夜中、トイレについてきてくれる龍法に、チャラけた外見に似合わず親切な男だ、と好意をもった。 龍法はマンガの世界から抜け出してきたような美少年だった。初対面のとき、私は、 ――きっとモテるんだろうなあ。 とボンヤリ考えていた。 私の第一印象は正しく、龍法は女の子にモテた。 私はよく女の子たちから龍法への手紙や誕生日プレゼントや、バレンタインチョコの受け渡しを依頼された。私はちょっと得意だった。アイドルのマネージャーにでもなった気がした。 ファンの女の子が幻滅してしまいそうな、アイドルの楽屋裏も日々、目にしている。部屋がメチャメチャ汚かったり、日曜は一日中パジャマだったり、抜け毛を気にしていたり、パソコンでHな画像をみてたり、あと、少女マンガをコッソリ愛読してたり。 私の部屋に無断で入って、黙ってマンガを借りていくのには、閉口した。特に川村○香のコミックを持ち出されたときには、 ――あちゃ〜。 ヒロインの女の子が突然、お寺に住むことになり、同居人の寺の息子と反発しながら、家族のように暮らし、やがて両思いになるラブコメだった。まだ龍法と暮らす以前から所有していたものだった。 思春期の自意識ってやつは厄介で、私はそれから数日、龍法の顔をまともに見れなかった。 龍法はあのマンガを読んで、何を思ったのだろう・・・。 夕食時、さりげなく龍法の様子をうかがった。龍法は平素と変わらず、テンション高く、夏の高校野球大会に向けての意気込みを語り、せわしなく箸を動かしていた。 そう、もうすぐ高校野球の季節。 龍法は野球部だった。 中学では丸刈り強制の野球部を嫌がって、バスケ部に籍をおいていた彼も、長髪が許されている高校の野球部に勇んで入部し、二年生ながらエースとして活躍している。美男子で愛嬌があって、そのうえエース、しかもニックネームがタッチャンとくれば、大抵の女の子は浅○南のポジションになりたがる。その輝かしい席はひとつしかないため、皆、必死だ。 私はその椅子取りゲームに参加できない。龍法の一番近くにいるのに・・・。「妹」だから・・・。何言ってるんだろ、私・・・。別に参加する意思もないのに・・・。 龍法は父と賭けをしていた。 大会において、もし一勝以上できなければ、今年の夏休みに得度を受ける、と。 不幸なことに、一回戦の相手は甲子園常連の県下有数の強豪校。どうやらホトケサマは兄をえらく気に入ってしまったらしい。 ――ケケケケ 残念だったね、と試合前から意気消沈する弱小校のエースに、心中冷笑しつつ、 「タッチャン、私を甲子園に連れてってね〜」 とひやかすと、ヘタレ投手は 「うるせーよ」 と憮然としていた。 そして試合当日。大方の予想通り、我が校のエースは面白いくらいに、ポカポカ敵の猛打を浴びた。 私は観客席で試合を観戦していた。 大量点をあげられた兄は悄然として、マウンドに立ちつくしていた。 「タッチャン! 根性見せろ!」 私は夢中で叫んでいたらしい。後で一緒に応援していたクラスメイトから聞いた。自分でもよく憶えていない。賭けとか得度とかどうでもよかった。崩れそうな龍法を見ていられなかったのだ。 結局、龍法は途中で降板し、試合は五回コールドで惨敗。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ その頃、真山家では・・・ テレビで試合を観戦し終えた真澄の父が 真澄の父「やっぱ、高校球児は坊主が基本だよなあ。坊主はいいよなあ。サッパリして。夏は坊主が一番だなあ」 真澄「ゼッテー、髪切らねーからなっ!」 ・・・・・・・・・・・・・ 高校球児としての龍法の夏は終わったが、新発意龍法の夏はまさにこれから幕を開けようとしている。 そして私は龍法によって、甲子園の開会式ではなく、本山の得度式に連れていってもらえることになった次第である。アーメン。 本山はそばには伯母の実家がある。そこに泊まって、式に備えるのだ。 龍法はまだ長髪。向こうで剃るから、と往生際悪く剃髪を先延ばしにしての出発だった。 普通、高校球児といえば、大会前に頭を丸め、大会後に髪を伸ばすものなのだろうけれど、龍法は逆のコースを歩んでいる。 本山は一秒ごとに近くなる。 「美樹チャンにフラれちゃったよ。『ボーズはちょっと・・・』って」 真由チャンにも、と龍法は悄然と、ペットボトルをくわえている。 「そりゃあ、残念♪」 「いいじゃねーか、ボーズくらいでさあ」 「美樹ちゃんも真由ちゃんも、見た目にこだわる娘だからね〜。相手が悪かったね♪ いいじゃない、坊主好きの娘、探せば。『エ〜ッ、ボウズ〜? ステキ〜(はぁと)』みたいな娘をさ。まあ、オシャレなボウズならともかくスキンヘッドじゃねェ〜。難しいかなあ♪」 「なんか嬉しそうだな」 「そう?」 本当だ。なんで私はハシャいでいるのだろう。 椅子取りゲームの優勝者候補たちが次々、ゲームを降りてしまった。満員の通勤電車の中で偶然、空いている席を発見した小心者のサラリーマンのように、スイマセン、と片手拝みに腰をおろしてしまいたくなる。座らないけど。 ――「妹」だからな〜。 「女は得だよな〜。ボウズ免除されて」 龍法はしつこい。 ――ホント、手のかかる子だねぇ〜、キミは。 苦笑して、 「でもさ、男にしたって女の人に坊主頭になって欲しくはないでしょうに」 「そうでもない」 龍法の意外な返答に、 「そのココロは?」 「別にボウズの女が好きなわけじゃないが・・・」 龍法は自分の考えを整理しながら、 「ボウズにできる女は好きかな。うん、好きだな。根性がある。勇気がある。凛とした心意気を感じる。孤高の気高さも。それに、両性具有的なセックスアピールを感じるな。特に若い女の場合だと、可愛らしさと艶っぽさと清潔感の三者が複雑かつ絶妙に同居していて、えも言われぬ色香がある。まっ、別にボウズの女が好きってわけじゃないんだけどな」 「・・・そう」 龍法は坊主女フェチだ。本人は認めたくないだろうけど、立派なマニアだ。ドン引きした。しかし心の片隅で、 ――てことはボウズにすれば・・・。 という恐ろしい囁きがする。聞こえない、聞こえない。 「あれっ? あれっ?」 タクシー乗り場で、オロオロとポケットやバッグをまさぐっている私に、 「どうした?」 と龍法が尋ねる。 「財布落とした」 私は蒼白になっていた。財布には、現金やキャッシュカードが入っていた。 「何処で?」 「わからない」 「それじゃあオマワリに届けようがないなあ」 諦めろ、と頼りにならない兄は云った。 「困るよ!」 「帰りの新幹線のチケットは?」 「バッグに入ってる」 「ならいいだろう」 得度式なら身ひとつで十分だし、宿の心配もない、という龍法の暢気な言葉は、たしかにそうなのだが、 「でも・・・」 習慣ってやつが身に染みついていて、文無しで外出、しかも遠出など私にとっては、ありうべからざる窮地である。 「金が必要な時は貸してやるぞ」 「タッチャン、幾ら持ってるの?」 「二千円ちょいかな〜」 「ちょっと! 昨日、もらったお金は?!」 「アイポッドを買った」 「バカ兄貴!」 結局、タクシーで伯母の家まで行き、ペコペコ頭をさげて、伯母に不足分を補ってもらった。顔から火が出そうだった。 得度式前日、床屋に行こうとしている龍法を、 「行ってらっしゃ〜い。ツルッツルになって帰ってきなさい」 と伯母宅の玄関先、ニヤニヤと見送っていたら、 「莉穂子ちゃん、アンタも髪切ってきなさいな」 と伯母が私の背中まであるロングヘアーにケチをつけた。 「え? 女は別に頭、剃らなくても・・・」 あわてふためく私に、 「剃らんでもエエけど、せっかくの晴れの御得度に、そない、だらしない髪の毛で参列したらアカンよ。短う切って、スッキリしてらっしゃい」 伯母は世間によくいる「ロングヘアー切らせたい畑」の人間らしい。 「ロングヘアー切らせたい畑」の人は未成年の長髪を敵視し、単に個人の視覚的な嗜好に過ぎないくせに、何かと理由をつけては、短くさせたがる。もうお姉ちゃんなのだから、入学式だから、夏だから、プールの授業があるから、運動部なのだから、自分で手入れできないのなら、○○ちゃんも切ったから、と、よくもまあ、色々と断髪させるための理由が浮かぶものだと感心してしまうが、他人事ではない。 ついに私も、得度だから、とその被害を蒙ってしまった。 龍法も道連れができたとばかりに、 「莉穂子も切れよ〜。切っちゃいなよォ〜。ホトケサマもショートの女の子が好みだと思うな〜。尼さん見てみ?」 と私を断髪組に引き込もうとする。 「いや、でも私、お金落としちゃって・・・」 財布を落としてラッキーだった。心から思った。だが、 「散髪代なら伯母さん、出したげるがな」 と伯母は私に強引に五千円札を握らせ(龍法にも同額渡していたらしい)、 「お釣りは取っといてエエから」 と恩を着せ、 「日ィ暮れんうちに、はよ、行ってき」 トボトボと市街を歩く私に、先を歩く龍法は飄々と 「床屋はどこや?」 むかっ腹がたつ。類焼続き。この兄が得度も剃髪もスムーズに完了しておいてくれたならば、こんな見知らぬ土地で髪を切らされるハプニングは回避できたのだ。 「美容院ないのォ〜? 美容院! ヘアーサロン! カットハウス!」 いつも、それなりの美容院にちゃんと予約を入れて、髪をカットしてもらっていた。一回のカット代は五千円じゃあ足りない。 「莉穂子はどのくらい切るんだ?」 「そうだな・・・」 「短く」というスポンサーの意向は汲まねばならないが、 「とりあえず肩の辺りで揃えてもらうよ」 伯母がすすめてくれた床屋の前で、アタシ、床屋なんて絶対イヤだからね、美容院がいい、と駄々をこねる私を放置して、龍法は何やら腕組みし、考えこんでいる。 「どうしたの?」 「ここはやめよう」 「なんでよ?」 「もっと安い床屋にしよう」 「はあ?」 「散髪代浮かして、うまいもんでも食おう」 と龍法は顔面の右側を歪めた。本人はウィンクのつもりらしい。 「え?」 私はしばし棒立ちになった。 龍法の企ては、私に懐かしい思い出を呼び起こした。 そうだ、まだ母と二人暮らしだった頃、渡された散髪代を倹約して、隣町の安い美容院まで遠征して、その差額で駄菓子を買うのが、とても楽しみだった。あの頃は百円や二百円のために、どこまでだって歩けたっけ。母に、その髪、山下サン(母の指定した美容院)でやってもらったの?とか怪しまれて、あわてたりなんかして。 龍法の提案によってこじあけられた記憶の扉から、忘れていた少女の頃のエモーションが、奔流のように沸きあがる。 「乗った!」 思わず大きな声が出て、通りかかった外回りのサラリーマンが、ビクッと振り返っていた。 床屋とか美容院とか、もう構わない。あの頃みたいに、そして今は龍法という「共犯者」を得て、私は高揚していた。 ――なんだろう、このワクワク感。 ハックル・ベリー・フィンに口笛をふかれ、真夜中、自宅を抜け出すトム・ソーヤも、きっとこんな気分だったに違いない。 ハックル・ベリー・フィンと知らない街を歩く。 駅のほうに行ってみようか、と龍法。なんだか頼もしい。そして愉快だ。龍法の後ろにくっついていけば、楽しいことが、おいでやす、と三つ指ついて出迎えてくれそうな気がする。 ――タッチャンの背中大きいなあ。 オニイチャン(はぁと)ってガバリと後ろから抱きつきたくなる。 足を棒にして歩く。暑い。明日は絶対筋肉痛だ。繁華街。 「あそこはどうだ?」 ハックが指さした先に 1000円カット の看板。十分で仕上げます、だって。 「うげぇ」 と舌を出す私に 「四千円浮くぞ」 「・・・オッケーです」 四千円って金額が途方もない大金に思えた。 扉をくぐる。 ――すごい! 機能的すぎる。 徹底的に切り詰められた店内の様子に、圧倒される。オシャレじゃない。なんというかさっさと髪切ってカエレ みたいな断髪機能だけで構成された空間。 私の行きつけの美容院のような、コーヒーのサービスなど、のぞむべくもない。 「さてと」 龍法はさすがに観念したようで、待合席に腰かける。 「あのさ」 「なんだ?」 「その〜、アタシもね、タッチャンに付き合ってあげてもいいかな〜って」 「付き合うって?」 「だから〜・・・あのね、その、ぼ、ぼ・・・」 「ぼ?」 「ボウズにしても・・・いいかな〜って」 龍法にくっついて歩き回っているうちに、龍法の背中を追いかけているうちに、いつしかそんな心境になっていた。 「やめとけ」 龍法は言下にいった。喜んでくれると思ったのに・・・。肩すかしをくわされた気分だ。 「女がボウズになるこたーねーよ」 「で、でもさ、明日得度する女の人の中には頭剃って来るヒトもいるんでしょ?」 「ほんの一握りだよ」 「でもいるんでしょ?」 なんで私、こんなムキになってるんだろ。坊主頭になんか本当はなりたくはないのに。 「やっぱりさ、せっかくの一生に一度の得度なんだし、ちゃんとしたいかな〜、とか思ったり」 「無理すんなって」 「別に無理してないよ。中途半端がイヤなだけ」 「じゃあ勝手にしろ」 「勝手にする」 私、根性あるでしょ? 勇気あるでしょ? 凛とした心意気と孤高の気高さを感じない? 可愛らしさと艶っぽさと清潔感の三者が複雑かつ絶妙に同居していて、えも言われぬ色香があるボウズ女に、私、なっちゃうよ? 龍法と隣り合わせて、カット台に腰をおろす。 全部剃っちゃってよ、明日得度だから、と龍法が注文している。私もすかさず、 「隣と同じようにしてください」 「お客さんも得度?」 「そうです」 「わかりました」 さすが本山の麓の町、話が早い。 ジャキ、ジャキ、ジャキ、ジャキと肩下二十センチの髪の毛が、バッサリと切り落とされる。後悔はない。むしろ解放された気分だ。ジャキジャキジャキッ。OK、認める。私は龍法が好きだ。ジャキン。だらしなくて、チャランポランで、お調子者の兄貴が、タッチャンが好きだ。ジャキッ。龍法がボウズの女が好みだというならば、ボウズになる。ジャキ、ジャキ。龍法には私の気持ち、届かないかも知れない。とんだピエロになってしまうかも知れない。ジャキン。構わない。ジャキッ。これは自己満足だろうか。でも構わない。ジャキッ、ジャキッ。 豪快に髪をブツ切りにされる。その音が耳朶を心地よくうつ。音が鳴るたび、私は龍法好みの女に変貌していくという快感に、心的躍動感をおぼえる。 ツンツンの短髪にされた。坊主頭への踏み切り台。 ――うわあ! サルみたい! 羞恥と驚愕と感傷と興奮がないまぜになる。こんなに髪を短く切ったのは、生まれて初めてだった。 でもやっぱり ヴイイィーン というバリカンのモーター音が響き渡ったときには、身体が硬直した。 こんな無粋な機械に我が頭を委ねることに抵抗を感じるのは、当然の乙女心だ。同時に好きな男のためにバッサリ髪をカットすることに、限りない恍惚をおぼえるのも、また乙女心だ。 バリカンによるファーストカットの衝撃に備え、グッと唇をかみしめる。 あっという間だった。 でっかいバリカンはいとも容易く私の頭上に、青い轍を開通させた。ジャリジャリジャリと柔らかな髪と軋轢音を起こしながら。 バサリと髪がケープをたたいた。 ――ああっ! バリカンは私の頭上を滑る。行く手をさえぎる黒い障害物を、機械ゆえのぶっきらぼうさと的確さで排除して、思わず目をそむけたくなる青を刻印していく。 前頭部から、両サイドから髪が運び去られる。 「妹だから」と龍法の周囲の女の子たちに抱いていたクダラナイ優越感や、「妹だから」と龍法への気持ちを封印してきたクダラナイ世間体、そういう自分の中の生臭さが、髪と一緒に消えていくような感覚をおぼえた。 ケープはレインコート代わりになって、髪の毛の土砂降りを受け止めてくれる。 でもやっぱりボウズになるのは女の子としては、悲しくて・・・。 不意に胸に迫るものがあった。 ポロリと涙が一粒おち、 「あっ」 あわてて目頭に指をあてる。 反射的に隣でカットしてもらっている龍法を見る。目が合った。横目で私の様子をうかがっていたのだ。 ――泣いたトコ、見られたあ〜! ものすごくキマリ悪い。十分って意外と長い。 襟足を刈られる頃には、最初は気持ち悪かったバリカンの振動が心地よくなっていた。刈られるそばから、頭が軽くなり涼しくなった。 龍法と同じ感触を、振動を感じている。そう思ったら、なんか妙にくすぐったい嬉しさがあった。でも泣いてるトコを見られたのは不覚だったな。 理容師のオニイサンの無骨な手が、ゴシゴシとデビューしたての私の青白い頭皮を撫でまわす。 ――やっちゃった・・・。 初々しい性別不明の坊主頭が、喜怒哀楽、どういった感情を表に出していいのかわからず、ひどく不器用な表情で、鏡の向こう、私を睨み返している。 坊主頭がふたつ、床屋から出てくる。 「シャンプーしてくれないんだね」 「だから安いんだろ」 ボウズになった龍法は急に無口になって、頭髪だけでなく雰囲気も、まるでいつもと別人みたいで、私はひどく戸惑った。 「儲かっちゃったね」 美味しいもの、食べよ、という私が機嫌をとるように話しかけても、 「おう」 と背中を向けたままで、その背中は先程と違って、私を拒んでいるかのように思えた。 大声でワンワン泣きたくなった。私はバカだ。勢いでボウズにしちゃって、龍法にひかれてしまった。 ――そりゃ、そうだ。 新幹線の中での龍法の坊主女論を真に受けてしまったが、坊主頭の好きな男なんているわけないじゃないか。ホント、バカだ、私。 日差しと道行く人たちの視線がボウズ頭に突き刺さる。もう死にたい! ココにしよう、と龍法が選んだお好み焼き屋に入る。 重い沈黙が仕切られた座敷に垂れ込める。 龍法がトイレにたった。 ――ハア〜・・・。 ションボリと鉄板の上のお好み焼きを引っくり返していると、不意に背中に体重と体温がのしかかった。 「チクショ〜、かわいいなあ!」 龍法だった。愛しくてたまらぬように、目を細め、背中越し、私を抱きしめている。 「莉穂子ォ〜、マジ似合ってるぞ。かわいい! スッゲーかわいい!」 と私に頬擦りする。そして剃りたての私の坊主頭に、唇をあてる。どうやら、私の「変身」が眩しくって、照れくさくて、それで床屋を出てから、ずっとツッケンドンな態度をとってきたらしい。 「くすぐったいよ」 と私は笑った。笑ったはずがポロポロ涙の雫が頬を伝って、鉄板の上に落ちた。ジュッと涙が蒸発する。水蒸気があがる。水蒸気は私の五年分の鬱屈を連れて、宙に消える。 散髪代を浮かせたお金で食べたお好み焼きは、ひどく美味しかった。 「泣いてたろ?」 と、からかわれ、 「ウルサイ」 「はははは、泣きベソ小坊主」 「タッチャン」 「なんだ? 深刻な顔して」 「私ね・・・」 気持ちを伝えよう。 龍法は私の目を、ジッと見据えている。ツーアウト満塁のターニングポイントで、キャッチャーの出すサインを瞬時に了解するエースの眼差しで。そしてゆっくりと口をひらいた。また泣いてしまいそうなくらい優しい声だった。 「言わなくていい」 「じゃあ言わない」 共通の気持ちを無言で確認する。目を閉じて、ゆっくりと唇を近づけ、コワゴワ重ねる。 ヒロインが坊主頭で、王子様も坊主頭で、ファーストキスはお好み焼きのソースの味で、そんなマンガの原稿、出版社に持ち込んだら、頭おかしいんじゃないの、と突き返されるだろう。でも、いい。今起こっていることは格好良くなくたって、まぎれもないリアルで、リアルはどんなドリーミーなフィクションをも凌駕してしまうのだから。 そして坊主頭のヒロインは坊主頭の王子様とキスを交わしつつ、考えている。 家に帰ったら、行くところが二つある、と。 バイトの面接と、図書館。 自分の力でお金を稼いでみたい。苦労をしなければ、また、こんなふうに美味しいお好み焼きを食べることはできないから。 それから図書館に行って、法律を調べる。血のつながっていない兄妹は結婚できるのかということを。 (了) あとがき ちょっと詰め込みすぎたな〜、失敗したな〜、と途方に暮れながら書いていたら、それなりにまとまって、ホッとした作品です。ただし、せっかく登場させた千円カットの店の描写が手抜き。行ったコトがないから・・・_| ̄|○ 他の断髪小説のサイト様の作品を拝見していると、断髪と恋愛をからめている作品が結構あって、非常に読後感が良く、しかし自分には向いてなさそうな気がして、躊躇していました。そもそも「恋愛物」というジャンル自体が苦手で、甘さと苦さの匙加減が全然わからない・・・。 でも「さわやかラブストーリーが書いてみたい!」という誘惑に、つい・・・。 書き手と読み手の不幸な関係の最たるものは、「作者が一生懸命シリアスに書いてるのに、読者が爆笑」ってパターンである。これはツライ。今回の作品も、個人的にかなり気に入っているのだが、恋愛物に通じた方には、ギャグ一歩手前(あるいは完全にギャグ)にうつってしまうかも知れない。 今回、困ったのはヒロインをイジメられなかったこと。断髪よりも恋愛の方に重心をおいたため、なるべくソフトに、さわやかに、という配慮が働き、ヒロインに手心を加えてしまった。 そういうとき、心の中で繰り返す呪文があって、「自分の書いてるのは『断髪小説』じゃなくって『断髪描写のある小説』だ」というもの。実際、自分のほとんど全部の作品がそうしたエクスキューズを必要としている。今は結構開き直ってます。 |