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メープルシロップ一滴


 これは、まだウォシュレットのトイレが普及する以前、皆がトイレットペーパーでお尻を念入りにゴシゴシやっていた頃の話である。
 当然、順慶さんもゴシゴシやっていたろう。
 ケンコウ寺のトイレは、この当時には汲み取り式で、和式トイレだったから、日に一度の便通癖のある順慶さんは、毎日便器にうちまたがり、ウンウン踏ん張っていたに違いない。ポッチャーン、と「お釣り」がきたりして。
 のっけから尾籠な話で、実に申し訳ない。
 とあるド田舎の温泉旅館に投宿したらば、室のトイレはさすがに水洗だったが、今時珍しい和式便器で、ウォシュレットではなかった。それどころか電球も切れていた。
 暗闇でしゃがみながら、すっかり洋式の便座やウォシュレットに慣れてしまった我が身を省み、ふと昔のことを思い出し、次いで順慶さんのことを思い出した。
 勅使河原順慶(てしがわら・じゅんけい)。俗名・勅使河原寿美子(てしがわら・すみこ)。すげー、漢字七文字の姓名! ケンコウ寺という寺院の尼さんだった。
 この順慶さん、当時、アラフォー、いや、すでにアラフィフだった。年より随分若くは見えたが、それでもシワやくすみはあった。
 けど、かなりハイレベルな美人さんだった。ムダな肉を削ぎ落した、凛々しく、ややキツめの顔立ち。昔は散々男を泣かせてきたんだろうなあ、と容易に想像がつく。
 身体にもムダな贅肉は一切ついていなかった。
 それもそのはず、順慶さん、土いじりが好きで、趣味が高じて、寺の周りの土地を畑にして、自給自足の菜食生活をしていたのだ。
 無農薬なので、健康にもいい、と周囲の人たちに吹聴していた。
「お通じにもよくて――」
 毎日便が出る、とその効能を熱く語っていた。
「ヘンな健康食品よりずっと安全で、効果もあるのよ〜」
とも常々言っていた。
「それに何より、市販のモノより美味しいし」
 確かに順慶さんの野菜は旨かった。サラダにしたり、炒めたり、ぬか漬けにしたり、スープの具にしたり、煮物にしたり、そのベジタリアン料理には俺も舌鼓をうったものだ。
 何故、俺がそんな恩恵に浴しえたかと言えば――
 実は俺、順慶さんと「デキて」いたのだ。
 自分の母親ぐらいの年齢の女性(しかも尼さん!)に「オンナ」というもののイロハを教えられ、発情期の犬の如く、ケンコウ寺に通い、ヤリまくっていた。まあ、美人だし、それに、農作業で鍛えられた身体は、若人の無尽蔵の欲望を十分に受け止め、しかも、すこぶる床上手、
「やっぱり野菜も男も新鮮さが一番ね!」
と床の中、順慶さんはハシャいでいた。歴戦の古ツワモノのみが口にできる台詞かも知れない。
 俺も俺で、「新鮮さ」を求めて、大学のキャンパスで知り合った同級生や下級生と寝てみたが、どうもダメだ、結局、ホーム――順慶さんの許へ帰っていった。いつしか、すっかり順慶さんに飼い慣らされ、若い女の子では満足できない身体になってしまっていた。
 そもそも俺のような省エネ人間の場合、若い女の子との恋愛に費やされる労力、財力、忍耐力の持続が、苦痛で苦痛で仕方なのだ。
 その点、順慶さんはラクだ。黙っていてもメシは出てくるし、風呂の用意はできてるし、わずらわしくない程度に気づかってくれるし、ベッドインもごく自然にできるし、「アンタ、お金あるの?」と小遣いの心配までしてくれるし、会話しなくても、二人TVを観ているだけで和むし、そもそもの相性が良いのだろう。これであと二十才くらい若ければ・・・いや、言うまい!
 作家の里見クも十代のとき、超年上の下女と関係して、そのときの気持ちを「墨汁五合」飲んだような、と形容しているが、俺の場合、「メープルシロップ一滴」舐めた気持ちだ。ほんわか甘い。
 尼さんの「スキャンダル」はヤバイので、俺はうまいこと人目を避け、コソ泥みたく、抜き足差し足忍び足でケンコウ寺に日参している。こうしたスリルも、かえって、逢瀬の甘味を倍増させる塩気になっている。
 裏口から戸をトントン。ぴゅう、と口笛を吹く。
 戸が開いて、
「あら、今日は随分早いのね」
「たまにはな。誰か来た?」
「誰もいないわよ。お腹、空いてる?」
「まあね」
「今夜はマッシュポテトカレー風味と焼きトマトよ」
「いいね」
「カレーは市販のやつじゃなくって、ちゃんとスパイスから調合したのよ」
「相変わらず、こだわるなあ」
「うふふ、さぁ、あがって、あがって」
 さて、この順慶さん、尼さんのクセして髪を伸ばしている。しかも茶髪だった。今は知らないけど、当時は茶髪の尼さんなんて珍しかった。ま、そんな派手な染め方もしていないし、サバサバして明るい性格の順慶さんには、ま、似合っていた。マッシュルームに切った髪は、加齢のため、結構薄くなってきている。茶髪も白髪隠しが目的だ。頭髪の方から老いが始まっている。
 農作業やお盆の檀家回り(スクーターで移動している)の後では、髪が乱れたり、ペシャンコになっていたりで、うまくまとまらず、何度も手ぐしで撫でつけて、整えたり、ボリュームを与えんと悪戦苦闘していた。
 一度、
「いっそ、剃っちゃえよ」
と俺が言ったことがある。割と本気だった。
 凛として美しい、それでいてしっかりと年輪を重ねた顔立ちの順慶さんの坊主頭を想像してみて、マジでかなりイケてると思う。
「う〜ん、考えないわけじゃないんだけど――」
と順慶さんは髪を手ぐしで直し直し、
「なかなか踏ん切りがつかなくてね」
と言葉を濁す。そんな乙女な順慶さんがひどくカワイイ。しかし、スキンヘッドの順慶さんも是非見てみたい。ツルツル頭の順慶さんに「夜のご奉仕」をしてもらいたくなる。妄想膨らみ、軽く勃ってしまった。

 しかし、順慶さんが踏ん切りをつけなければならないときが、来てしまった。
 ちょっと説明が要る。
 実は当時、ケンコウ寺の住職位は空いていた。順慶さんは「仮の住職」だった。
 先代の住職――順慶さんの親父さんが亡くなって二年、本来なら順慶さんが跡を取るところなのだが、順慶さん、ある儀式を受けていない。そのため、正式な住職になる資格を有していないのだ。
 この儀式は平安京の時代から続く伝統あるもので、さる女流作家によれば、
「僧侶になる最終試験のようなもの」
なのだそうだ。この儀式を受けない限り、順慶さんは宗門において、「半人前」でしかない。当然、正式な住職の座には就けない(少し後になって、やや緩和されたらしいが)。
 周囲の坊さん連中や檀家衆は、その儀式を、受けろ、受けろ、とせっついてくる。
 だけど、順慶さんはなかなか首を縦に振らない。
 何故か?
 さる女流作家のエッセイの一文を、さらに引けば、謎が解ける。
「この○○(儀式名)を受ける者は必ず坊主に頭を剃らねばならない」
「今年も、前日まで髪を伸ばしていた尼さんが何人か、生まれて初めて坊主頭になって参加していた」
とのことで、順慶さんがこれまで、この儀式を避け続けてきたのは、
 坊主頭になりたくない!
その一心だったらしい。
 元々寺の一人娘だった順慶さんは、有髪のまんま仏門に入り、尼僧となったが、お見合いして、某寺の次男坊を婿に取った。この婿さんが僧侶として、住職になる予定で、れいの儀式を受けた。順慶さんも「半人前」ながら、僧籍があるので、有髪の尼僧として、夫をサポートする、そのつもりだった。
 しかし、その婿さんとは四年前破局。詳しい事情は知らないし、知りたくもないが、どうやら婿さんの女性問題だったらしい、とその頃サッカー小僧だった俺の耳にまで入ってきた。
 婿さんが寺を出て行き、親父さんもこの世を去り、母親は順慶さんが二十代のとき、若くして亡くなっている。子供もいない。
 天涯孤独になった順慶さんは、彼女の人生プランを大幅に修正する必要に迫られた。即ち、自らが住職になることである。
 尼僧としての試験や修行は――無論有髪で――クリアーしているので、あとは「最終試験」を突破するのみだ。
 が、それには剃髪の義務が生じる。
 何年か前までは、頭を丸めるつもりなど毛頭なかった順慶さん、その動揺は計り知れない。
 アラフィフの身ながら、未だオンナは捨てられず、サッパリとした気性に似合わず、グズグズと実行を先送りする。俺との情事に耽り、現実から逃避する。月日は経つ。寺の関係者はジレる。
 坊さんや信徒さんが入れ替わり立ち替わり、ケンコウ寺に来て、膝詰め談判に及び、順慶さんを説得せんとする。まるで借金取りだ。そのたび、順慶さんは言を左右にして、はぐらかし、自らの頭髪の延命をはかる。
 しかし、そんな有髪モラトリアムにも、いつかは終わりが来る。「支払い」をせねばならぬ日は訪れる。
 ある晩、俺の腕の中に抱かれながら、
「ねえ」
と順慶さんは甘い吐息とともに囁いた。
「アタシが丸坊主になっても、アタシのこと嫌いにならない? こうして愛してくれる?」
 どうやら、相当切羽詰まっている様子だ。
 俺は直感した。
 ケンコウ寺550年の歴史と、勅使河原家の命運、そして順慶さんの人生が、俺の返答ひとつにかかっている、と。
 俺は正直に答えた。
「むしろメッチャ興奮する」
「わかった」
 順慶さんがれいの儀式に参加することを、周囲に表明したのは、その翌日だった。残暑がまだまだ厳しい折だった。

 残暑の季節も過ぎ、俺らの住む世界が冷え冷えになってきた時分――
 儀式の日まで、もう一週間を切っているのに、順慶さんは頭を丸める気配はまったくない。むしろ最近また髪、染め直してるし。
「まだまだ大丈夫」
などと、この期に及んでも余裕をかましている。いや、
 剃髪
という事実と向き合えない順慶さん、未練タラタラ、どうにも煮え切らず、自他ともに任じている「サバサバ系」の化けの皮がはがれかけている。
 俺はイラつく。潔くバッサリいって欲しい。
 順慶さん待ちじゃ埒が明かないので、俺は俺で、知人からコードレスのホームバリカンを安値で買い取り、着々と、マイスイートハートの頭髪を刈る準備を進めていた。
 愛する女の髪は、俺の手で始末してやりたい。たとえ恨まれようとも。
 この感情はなんだろう。変種の愛情なのか。奇妙な欲望なのか。その両方がない交ぜになっているのか。名前の見あたらぬ、不思議な感情。

 そして、儀式の前々日、一向に髪を断とうとしない順慶さんに、俺はついに伝家の宝刀(=バリカン)を抜くに至った。
 安ホームバリカンを握り、風呂上がりの順慶さんを、脱衣所に襲撃。バリカンテロである。
「もう四の五の言わせやしねえ。その茶髪、全部剃ってやるぜ!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ!!」
と順慶さん、いきなりのバリカン登場で、目ン玉飛び出そうなくらい周章狼狽、なりふり構わず、脱兎の如く、素っ裸で逃げ出す。
 俺は後を追った。
「待って! 待って! 待ってええぇ!! アンタ、ちょっと、お、落ち着いて!! 落ち着いてってば!!」
「いいや、待てねえ! お前も尼なら覚悟決めて、スッパリ坊主になれや!!」
「イヤイヤイヤアァ!!」
 素っ裸の順慶さん、髪を振り乱し、逃げる、逃げる、逃げまくる。だだだだだだだだだ!と廊下を走り、茶の間へ、本堂へ、客間へ、仏間へ、狭い寺の中を猛ダッシュで、あちこち逃げ回る。
 人家からポツンと離れたところにある寺なので、いくら騒ぎ立てても、誰も気づかない。まるで、ホラー映画のワンシーンのようだ。その手の映画を好んで鑑賞している俺にとっちゃ、たまらないシチュエーションだ。
 だから、興に乗って、追う、追う、追いかけ回す。だだだだだだだだだ!
 追いつ追われつ――とうとう順慶さん、逃げ場を失い、廊下の突き当りにある便所に駆け込んだ。籠城をきめこむつもりだろう。
 だが、タッチの差で、俺の手は、勢いよく閉まろうとする戸をつかんでいた。懸命に戸を閉めようとする順慶さんと、力をこめ戸を引き開けようとする俺。決死の攻防。向こうも毎日の農作業で筋力は相当にある。しかし、やはり女、体力持て余した若い男のパワーに抗すべくもなく、俺は便所に押し入った。そして、目的の人物の身柄を確保。
 確保されたターゲットは、
「もォ!! イヤイヤイヤイヤアアァァ!! やめてってば!! ケーサツ呼ぶわよッ!!」
と駄々っ子のようにわめきたてている。
 が、俺は構わず、便所の中、年上の恋人を組み伏せ、ホームバリカンのスイッチをONにした。
 ウイイィィーン
「やだやだやだやだ! やめ、やめてやめてやめて、やめてええ〜!」
と最後の抵抗を試みる順慶さんだが、俺も興奮していて、
「うるせえ! 泣き言なんざ聞きたくない!」
と順慶さんをしめあげ、その額の生え際ド真ん中にバリカン、ブチ込んでいた。
 ジャリジャリジャリ〜!!!
 風呂上がりの濡れ髪が、便所の床板の上、ボタボタ落ちた。茶色のサバンナに青い一本道開通〜!
「な、ナンナン、ナンシタラッポ!!」
 順慶さんは奇妙奇天烈な悲鳴をあげた。おそらくは、「ナニしてるのよッ!!」と罵声を放つつもりが、動転のあまり、噛みまくってしまったのだろう。
「お前がいつまでも、こんな髪伸ばしてるからだろ!! 尼さんは皆辛くても、式の前には涙堪えてボーズにしてきてんだよっ! 甘えんなっ!!」
と怒鳴りつけると、順慶さんの身体から、ヘナヘナと力が抜けていくのがわかった。俺の説教より、バリカンによるファーストカットの方が効いたようだった。
 バリカンは、もっと、もっと、とせがむように、鈍いモーター音を響き渡らせている。
 ウイイィィーン、ウイイィィーン
 勿論俺も躊躇せず、二発目のバリカンをブチ込む。
 ジャリジャリジャリ〜!!
 さすが前もって、刃を替えただけあって、すんげえ切れ味だ。しかもアタなし。
 たちまち、大量の髪が持っていかれる。
 タタミ一畳半ほどの狭い汲み取り式便所の中、ケンコウ寺二十一代目住職(予定)の剃髪は続行される。
 順慶さんを四つん這いにさせ、頭を便器に押し付けるようにして、その髪を刈りまくる。
 ジャリジャリジャリ〜
 刈られた髪の毛は、ボトボト便壺の中に雪崩れ落ち、その底で、臭いものにまみれ浮き沈み、掃除する手間が省ける。
「うぐぅ・・・うぐぐ・・・こ、こんな臭い剃髪なんてイヤ〜!」
「自分が出したモンだろうが」
「アンタが出したものもあるでしょ!」
「つべこべ言うな。おとなしく刈られろ」
 ウイイィィーン
 ジャリジャリジャリ〜
 ボチャボチャボチャ
 ひと刈りごとに、巻き込まれるように髪が次から次へと消え、順慶さんの髪の層は薄くなっていく。
 前を刈る! 横を刈る! 後ろを刈る! テッペンを刈る!
 俺は何かに憑かれたかのように、衝動のおもむくまま、無我夢中でバリカンを上下左右に走らせた。たまらねえ!!
 たちどころにズル剥け頭になる順慶さん、いや、寿美子。
 刈られた髪は排泄物の中、目も当てられぬ有様。
 まだ、これで終わりではない。
 俺はポケットから、これも事前に準備していたT字剃刀を取り出す。二枚刃だ。その刃を寿美子の頭頂に、ガリッ、と噛ませ、グイと力いっぱい引いた。
 ジャアアアァアアァア
「痛ッ! 痛いッ!!」
 寿美子は悲鳴をあげた。クリームなしの二枚刃はさぞ痛かろう。それでも無視して、剃刀を頭中引き回す。
 ジャアアアァアアァア
 ジャァァアアァアア
 寿美子は、
「ちょ、ちょっと!! 痛い!! 痛いってばッ!!」
と悶え苦しんでいた。
 あんまり寿美子が痛がるので、仕方なく、
「少し待ってろ」
と風呂場に行き、石鹸を持ってきた。風呂場にあった高そうなシャンプーとリンスは、なんかムカついたので、中身全部捨てたった。
 汲み取り式便所で、剃りかけの坊主頭、全裸、四つん這いの熟女、という、どんなエロ漫画家も即却下しそうなマニアックなザマで、寿美子は律儀に俺が戻って来るのを待っていた。
 石鹸で頭全体をこすり回し、また剃る。
 ジャアアアァアアァァ
 ジャアアアァアアァアァァ
 それでも、
「痛ッ!!」
と痛がる寿美子。
「痛くない、痛くない」
と俺は今度は子供をあやすようなトーンで、応えるが、
「痛いッ! 痛ッ!」
「大丈夫、大丈夫」
 ジャァァアアァァァアア
 ズル剥け頭をさらに引ん剥く。青々した地肌がご開帳!
 寿美子にフレッシュさを求めたことなど、一度としてないが、この頭の青さは、新鮮で、初々しく、瑞々しく、目にも眩しく、こたえられないものがあった。
 ジャァァアアァアア、ジャアァァアァアァ――ゴリゴリ!
「い、今、ゴリって、ゴリゴリっていったわよね?!」
「いってない、いってない」
 俺は誤魔化そうとしたが、
 血がダラダラ。うっかり地肌まで削ってしまった(汗)
「ブッチャー、流血!」
とおどけてフォローしようとしたが、
「もォ、何やってんのよ!」
 寿美子はだいぶオカンムリ。
「ごめんごめん」
徐々に「普段の関係」に復旧しつつある俺たち。
 とりあえず、トイレットペーパーを傷口にあて、血を拭う。
「き、傷口に石鹸が沁みるうううぅぅ〜!」
「まあ、もう少しだから我慢してくれよ」
 俺は仕上げにかかる。
 ジャァアァアアァアァァ
 ジャジャアァアアアァァア
 寿美子はスキンヘッドになった。
 思った通り、「完全体の美人尼僧」になった。有髪の頃より、さらに凛々しくなった。それでいて、グッと色香が増した。それでいて、爽やかでもある。坊主頭の傷口に貼られた絆創膏が、ちょっとお茶目で、思わず吹き出しそうになる。
 俺は一大事業を成し遂げたような心持ちになった。生来の省エネ野郎としては、人生でこれほど情熱を傾けて何事かをやり遂げたことはなかった。やり遂げたことの善悪は置いといて。
 が、充実感に浸ってばかりもいられない。
 「ドメスティックバイオレンス」の償いはせねばならない。
 小娘みたくムクれている寿美子にバリカンと剃刀を渡し、服を脱いだ。
「さあ」
と促すと、
「え?」
 寿美子はキョトンとしていた。
「俺の頭剃っていいぞ。お前だけボウズにはさせねえ。俺もボウズになる」
「アンタ」
と俺を見上げた寿美子の瞳は潤んでいた。そして、いつものサバサバ系の調子に戻り、
「よーし、刈っちゃうぞォ〜」
 バリカンと剃刀で、たっぷりと意趣返しされてしまった。
「ヒリヒリして痛え! このヘタクソ!」
「あーら、お互いさまよ」
 ともあれ、スキンヘッドのカップルが産声をあげる丑三つ時。
 大きな姿見鏡の前、二人並んでそれぞれの坊主頭を吟味する。
「ペアルックならぬペアカットね」
と寿美子は冗談を言う。いつの間にか僧衣を着けている。それが、この上なくスキンヘッドに馴染んでいた。
「日本一綺麗な尼さんになったな」
 俺は心の底から褒めた。けれど寿美子は、
「ウソウソ、ちっとも可愛くないわ。こんなオバサン尼なんて」
と自分のナリをクサしていた。が、言葉とは裏腹に、満更でもない微笑をたたえていた。
「アンタも坊主頭似合ってるわよ」
「そうかい? じゃあ、坊さん目指そうかな」
「それがいいわ。アタシんトコに婿入りして、一緒にお寺やっていこうよ」
「考えとく」
「嬉しい」
 そう言って、寿美子は坊主頭を俺の肩にのせてきた。剃りたての頭、もうすでに微かにジャリジャリする。髪の成長はすごい。休み間もなく、黒服の新兵を最前線に送り出してくる。
 我慢できず、寿美子を僧衣姿のまま抱いた。
 寿美子は、
「なりませぬぅ〜、なりませぬぅ〜」
とふざけつつ、俺の愛撫を受け容れた。この生臭尼め。
 生臭尼の身体を思う存分堪能した。肉はやはり腐りかけが美味、だ。
 寿美子の方でも、
「髪を落としても、アタシ、やっぱりオンナは捨てられないわ! こんな罪深い破戒尼を抱いて! 抱いてえええぇぇ!」
と俺の首にかじりついて、嬌声をあげ、激しく俺を求めた。
 寿美子の頭を舐めた。ジョリ、と細かな毛が舌とこすれる感触。頭は汗ばんでいた。ちょっとしょっぱい。でも心は甘く満たされた。
 そうやって、二人、夜明けまでハイテンションで、愉しみ合い、睦み合い、愛し合った。

 その翌々日、儀式へと向かう寿美子を、新幹線のプラットホームに見送った。
 この日の朝も儀式に備え、寿美子の頭を剃り直して、ピカピカのスキンヘッドにしてやっていた。
「あとでお腹が空いたら食べてね」
と寿美子は、手製のベジタブルサンドイッチを渡してくれた。
 寿美子、いや、順慶さんの尼僧ぶりに、この二日やられっぱなしの俺は、夢見心地でサンドイッチを受け取った。
 発車のベルが鳴った。
「じゃあ、行かなくちゃ」
 順慶さんは新幹線に乗り込んだ。そして、乗車口でくるりと俺を振り返り、
「では勅使河原二等兵、お寺の為、出征したします!」
とおどけて敬礼ポーズをして、しゃちほこばってみせた。俺は笑って、
「頑張ってな〜」
と手を振った。走り出す新幹線。それが見えなくなるまで、ホームで恋人を見送った。
 ――尼さんの婿ってのも悪くないかもな。
とぼんやり思いながら。
 そして、儀式は終わり――

 ――おっと!
 オンボロ旅館のトイレの中、俺は思い出の世界から引き戻される。真っ暗だ。窓からサラサラと渓流のせせらぎが聞こえる。
 和式トイレにしゃがみながら、いつの間にか回想にふけってしまった。
 あの後も色々あったような、なかったような、そして、忘れたいこと、忘れたくないものが未整理のまま、頭の片隅に積み重なってある。それらの記憶の群れたちは、俺を甘酸っぱい気分にさせる。ときに居たたまれない気持ちを呼び起こす。
 今は多くは語りたくない。
 ただ、儀式から半年後、ケンコウ寺のトイレが水洗式になったことだけ述べて、この冗長なノロケ話を幕にさせてもらう。

     20XX年 旅先の宿にて。


(了)






    あとがき

 どうも〜!
 まずはタイトルで、甘くハートフルな癒し系の作品を想像して読んで下さった方、いらっしゃいましたら、臭〜いお話でごめんなさいm(_ _)m
 今回、「惟虎」「大逆転」と間口の狭い作品が続けざまに出来てしまい、せっかくなので、次のアップロードはマニアックな作品群でいこう、と思い、本作を書きました。
 結構な冒険をしたなぁ、と読み返しながら思います(^^;)ヒロイン、アラフィフだし(今までの中で最年長ヒロインか? 汗)。その他諸々、ウルトラマニアックです(^^;)
 「洋子ちゃん」で描いた「昭和な世界」をまた書きたくなり、書きました(今の時代についていけてないせいか??)。
 うまく言えないんですけど、この小説が「今自分の居る地点」のように思えます。なんとなく、ですけど。。
 な〜んか、歯切れの悪いあとがきになってしまいましたが、こうして、好きな小説を好きなように書ける状態でいられること、とても幸せに思っています♪♪♪




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