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大逆転〜その後の坂元家


 時は四代将軍家綱治世の頃――というから、今から四百年くらい昔のハナシだ。
 島原ノ乱、由井正雪ノ変、と血ナマグサイ事変も終息し、もはや、チャンチャンバラバラの時代じゃない、段々と世の中も「武」から「文」へと移ろいゆき、ヤレ学問だ、ヤレ芸術だ、と穏やかな泰平のときを、我がニッポンも迎えつつある。

 安生藩(あんじょうはん)という藩があった。
 三万石の小さな藩だった。が、モノナリの良い土地で、内福デアル、とウワサされていた。
 そこの藩主は、戦国期、東国でも名をはせた坂元家の嫡流だった。東国一と謳われた名族の裔がわずか三万石とは、チトさみしいが、多くの戦国大名家が滅亡する中、戦国、安土、桃山、徳川、と四つの時代をシブトク生き抜いたのだから、以て可とすべきだろう。
 現在の当主は忠虎(ただとら)という。三十三歳。壮気満ち満ちた殿様であった。
 学問もあり、武芸に優れ、決断力に富んだ人物だった。
 が、エキセントリックと言おうか、奇矯なところもある、果断すぎるほど果断な、名君にも暴君にも転びそうな人格だった。
 世間ではもはや戦国式の独裁タイプはなりをひそめ、上は将軍家綱公から、下は一万石の田舎大名まで、衆議の結果に、「ウム、ソウ致セ」とうなずくだけの、君臨スレドモ統治セズ的なトップばかりになっていたが、忠虎はソコラヘンの君主とは、チト違った。万事トップダウン型だった。これが後に、彼や彼の藩に思いがけぬ災厄をもたらすのだが、先を急がず、噺を続けていこう。
 忠虎は家臣――主に重臣たちに不満だった。大いに不満だった。
「彼奴らは高禄を食みながら、山積する藩内の問題には無為無策。そのクセ、オレが新しい政策を実施しようとすれば、“それは先例になきこと”などとジャマ立てしやがる」
 代々の家禄にあぐらをかき、因循姑息にして固陋、無能のヤツバラじゃ、漢籍に、益ナクシテ厚キ禄ヲ受クルハ窃ムナリ、とある、つまりは禄盗人ジャ、と忌々しく思っていた。
 石頭どもを一掃して、有能なスタッフを組織し、藩政を切りまわしたかった。

 その実現は、思いがけぬ方向からやってきた。
 ご多分にもれず、忠虎にも江戸屋敷に住まう正室の他に、国許に愛妾を囲っていた。愛妾は城の奥に何人もいた。
 その中に浮橋(うきはし)という女がいた。
 浮橋はまだお城にあがったばかりだった。そのせいか彼女は、奥向きの者が御政道のことを口にするのは、固く御法度、というシキタリが身についておらず、ある晩、
「あのぅ、殿」
と閨で囁いた。
「なんじゃ、オレは眠いのだ。くだらぬ繰り言など聞かぬぞ」
「いえ・・・あの・・・そのぅ・・・」
「ええい、申してみよ」
「その〜・・・」
「申せというに」
 短気な忠虎はイライラして、話をうながした。
「お城の御金蔵には大判小判がたくさんあるのでございましょう?」
 浮橋は突然妙なことを言い出した。その無邪気な質問に、忠虎はたじろいだが、
「ああ、あるとも」
と布団の中で胸を反らした。幸い、創藩以来、幕府から意地の悪い金減らしのための課役を命じられることなく、財政にはゆとりがある。
「それを使えば良うございます」
「何に使えと申す?」
 女のとりとめのない話に、忠虎はジレつつ、話を導いてやる。
「根田八幡宮の一件でございます」
「ああ」
 藩内の貴賤から厚き信仰を集めている根田八幡宮の森の木々の伐採をめぐって、問題が生じている。大量の木材を必要としている藩と、由緒ある御神木を切らないでくれ、という根田八幡宮の間で今、大モメにモメている。八幡宮側の嘆願は度重なり、伐採はなかなかすすまない。これには、忠虎は手を焼いている。
 その件に関して、浮橋はいとも容易げに、
「根田の八幡宮様にいくばくかの黄金を与えれば、向こう側も大人しくなるのではありますまいか」
 いわゆる現ナマ作戦である。
 札束で相手の頬を叩く式のやり方は、江戸開府以来、家康秀忠家光の、
 コメこそ経済の基盤!
という農本主義に洗脳されきったサムライたちの頭から追い払われた昨今だが、ナルホド良案かも知れない。
 ――やってみるか。
 目からウロコの忠虎が早速ためしてみると、根田八幡宮、ネコがマタタビを得たかのように軟化、クレームはピタリと止んだ。伐採作業はまたスムーズに進行しはじめた。
 ――女の浅智恵、というが、なかなかどうして――
 浮橋のフレキシブルな現実主義的思考に、忠虎は感嘆した。
 同時にこの程度の知恵も浮かばぬアホ家老どもに対して、ハラワタが煮えくり返った。

 忠虎の実験が始まった。
 毎夜、奥で寝るたび、同衾の妾に、政治向きのアドバイスを求めた。
 繰り返しになるが、奥の人間が政事に口を差しはさむことは、厳しくイマシメられている。
 なので、妾たちは黙して語らなかった。が、忠虎は容赦しなかった。尋問するように執拗に意見を求めた。
 それに音をあげ、女たちはおずおずと口を開いた。
「奥の女子が着なくなった古手(古着)を、京の都でお売りあそばせ」
という妾がいた。
 武士たる者が商人(あきんど)の真似事など恥にござる、と家老たちは止めたが、ブローカーを見つけ出し、売ってみたらば、さすがは京の着倒れ、かなりの収益となった。
「七曲川に橋をおかけになっては如何でしょう。領民も随分と助かりましょう」
という妾もいた。
 幕府の許可を得て、とりあえずは急ごしらえの橋をかけてみたらば、領内の者は大いに喜び、だけでなく、旅人の往来も盛んになった。旅人がお金を落としてくれるので、これまた藩内は潤った。ちゃんとした大橋にすれば、より人の往来も増え、ますます藩にとってメリットになるだろう。
「夏の踊りをお許し賜りとうございます」
と訴える妾もいた。
 百姓たちの盆踊りは、風儀上よろしからず、と藩上層部によって禁止されていた。それを強いて解禁したらば、百姓たちは歓喜し、村々は活気を取り戻した。
 倹約倹約、と念仏のように唱え立てて、弁当食って帰るだけの家老連中とは大違いで、愛妾たちの発想は自由で、柔軟で、現実的で、新鮮で、忠虎はカンプクした。
 愛妾たちも自分の発案が殿様の役に立てて嬉しく、今では自発的に意見を申し述べるようになっていた。
 無論、実を結ばない献策もあったし、そりゃムリだわ〜、と忠虎がドン引きする荒唐無ケイなアイディアもあった。具申されたものに忠虎がアレンジを加えることもあった。
 が、概ねうまくいき、藩は勢いづいた。
 少なくとも、倹約と増税と前例のことしか口にせぬバカ重臣よりは、はるかに有意義だった。
 忠虎は実験の結果に満足した。

 そうなっては重臣どもも黙っちゃいない。自分らの存在意義がなくなってしまうからだ。
 口々に、
「側室の言などお取り上げになっては、藩政に乱れを招きますぞ」
「“東国一の弓取り”と称えられたご先祖の坂元出雲守様も、女子のご政道への口出しを固く戒めておりましたぞ」
とタテマエ論や前例を持ち出して、忠虎を諫めた。そんな給料泥棒連が、忠虎はますます煙たい。憎い。煩わしい。
 こりゃ、ガツンとした改革が必要だゼ、と改めて思った。
 胸中にはすでに、ソザツながら改革の青写真ができつつある。
 もっとも、さすがに果断な忠虎も、それを実行に移すのはためらわれた。
 機を待った。
 否々、待てなかった。
 ある会議の席上、重臣たちのグズグズ煮え切らない態度に、忠虎はとうとうカンシャク玉をハレツさせた。
 立ち上がり叫んだ。
 否々、叫ぼうとした、が、
「おっ・・・おっ、あっ・・・」
とどもった。キレると言葉が出てこなくなるのだ。
 ようやく叫んだ。
「表と奥を入れ替えるぞ!」
 列座の重臣たちは、
「?」
となった。
 表ト奥ヲ入レ替エル?
 一体殿は何を仰せになっておられるのか??
 忠虎はついに強権発動、言葉通り奥の愛妾たちを政治の場に引き出し、重役連を奥へと追いやってしまった。前代未聞、空前絶後、古今未曽有の出来事だった。
 城内はてんやわんやの大騒ぎ。安生藩大激震。
 しかし、忠虎は鬼神もこれを避く気迫で、断行した。エキセントリックで果断な独裁タイプの面目ヤクジョである。

 緊張で全身を張り詰めさせ、広間に居並ぶ愛妾たち。震えている者もいる。しかし、華やかなること、この上ない。百花リョウランの趣がある。
「こりゃイカン。昼間から目の毒ジャ」
と忠虎は彼女らの緊張を解くため、おどけて眩しがってみせた。そして、キリッ、と仕事モードに切り替わると、
「では評定に移るといたそう」
と威儀を正した。
 「新重臣」たちは思いもかけぬ未知の状況にかしこまっていたが、愛しの殿様に促されると、ポツリポツリと各々意見を言上し始めた。
 忠虎にとっては、新鮮な意見ばかりだった。新鮮さ、それが忠虎を大いに満足させた。楽しげで軽やかな室内奏でも聴いているような心地になる。
 ヒサンなのは、奥に押し込められた「元重役」たちである。
 毎日やることもなく、白粉くさい奥御殿で、碁をうったり、将棋をさしたり、書物を読んだり、茶を立てたり、カルタをしたり、居眠りをしたり、無聊の日々をかこっている。
 奥御殿の女人とは接触を禁じられている。もし、「間違い」があれば、
「切腹申しつけるからな」
と主君よりブスリと太いクギを刺されている。
 サムライとして、こんな屈辱はない。
 これが他藩の場合なら、
「一命を賭して、御諫め申し上げる」
という硬骨の士が、ニ三人、いや、七八人、いやいや十人二十人はいるはずだが、安生藩の士風は穏やか過ぎて、
「ま、どうにかなるでしょ」
「どうせ、表に居たときも暇だったし、堂々とノンビリできて、かえってありがたいわい」
などというフニャけた連中ばかり。
 彼らが関心事は、藩政の行方より、
「先祖代々頂戴している家禄はそのままであろうかのう?」
の一点のみ。こんな連中に仕えられていたのでは、忠虎ならずともムカッ腹が立つだろう。

 さて、「表」の世界に話を移そう。
 第二次坂元忠虎政権発足後、藩政は軽快に動き出した。
 「新重臣」たちも忠虎の寵を競うように、様々なアイディアを出しまくった。良案あらば、忠虎が即座に取り上げ、実施に及んだ。城内も城外もにわかに活気を帯びた。政権支持率もウナギのぼり。忠虎の改革への意欲は増すばかり。
 が、忠虎にはただひとつ不満があった。
「落ち着かぬ」
ということだ。
 髪を島田に結い、化粧をこらし、美々しき衣装をまとった女性たちが評定の席に並んでいれば、行楽気分、さらには淫蕩気分がムラムラと沸き起こってきて、しょうがない。
「はてさて、どうしたものか」
 忠虎、また考える。
 そして、れいによって、また突飛でカゲキな案を思いついた。
「お前たち、元服セヨ」
 命じられて側室たちはキョトン。「元服」?? 意味が分からない。
 忠虎は重ねて、
「月代を剃り、裃をつけ、袴をはいて、帯刀して男の姿(なり)となれ」
 あまりの奇想天外な命令に、女どもは口をあんぐり、言葉も出ない。それも当然だ。
「御無体な」
「それだけは御勘弁下さいませ」
 ようやく言葉を取り戻し、泣いて懇願するも、
「何事もカタチからじゃ」
と忠虎は自分の考えにご満悦、聞く耳もたず、
「衣装やら刀剣やらはオレが用意して遣わす。三日間の宿下がりを許す。その間に男姿になれい。命令違反は重罪だからな。ハリツケの刑だからな」
とスゴまれては、君命でもあり、女子衆も泣く泣く従わざるをえない。

 今回の一連の出来事の端緒となった浮橋は、久々に実家に戻り、家の者たちに事情を話した。
 家の者たちは驚き、呆れ、
「殿様はものにでもお狂いなされたか」
と憤慨したが、追っかけるように、裃や大小が届けられると、すっかり毒気を抜かれてしまった。安生武士はホントに不甲斐ない。
 三日目、浮橋は「元服」した。
 地にまで届く長い髪を、ブツン、と切り、剃刀でヒタイから頭のテッペンまで、ジャリジャリ剃り上げた。
 剃刀が髪を剃りのけ、剃りのけ、頭の上を這う。
 ハラリ、ハラリ、と剃り髪が畳に舞い落ちる。
 髪を剃られる浮橋はさめざめと泣いている。
 母は髪を拾いあげ、懐紙に包み、そして、
「これ」
と娘を叱った。
「そなたもかつては東国一を謳われた坂元家に仕える身、これしきのことで泣いてはなりませぬ」
「泣かせておあげなさい」
と祖母が涙ながらに言った。
「髪は女子の命、さぞ辛かろうて。泣くがよい、泣くがよい」
 浮橋は声を忍んで泣いた。
 剃刀を持つ下女も泣いた。泣きながら剃刀を引き回した。
 ジジー、ジジジー、ジッ、ジジー
 フサフサとした髪が剃り落とされ、青光りする頭の地肌が露わに出る。清々しくも艶めかしい。
 ジジー、ジー、ジッ、ジジジー、ジッ、ジジー
 剃刀が髪を削る音がナマナマしく響く。
 剥きあがった頭頂にあたる風、すでに秋来るを感じる。
 月代ができた。
 銀杏髷に結いあげられた娘に、父も、
「まるでオノコのようじゃ」
と冗談めかして泣き笑いして、そうして、キッと背筋を伸ばすと、
「そなたも今は藩政を預かる身、女を捨て、殿の御為、しっかりと御奉公致せ」
と訓戒を与えた。
「はい」
と浮橋は深々と丁髷頭を垂れた。

 評定の座に、ズラリと居並んだ青々とした月代頭に、忠虎は、
「これはこれは」
と相好を崩しっぱなしで、
「皆、涼しげである。いやはや、かえって艶めかしいぞ」
と大ハシャギしていた。君主にとって、自分の威令が行き届いているさまを見ること以上の喜びはあるまい。
 頭を剃りあげた側室たちは「同僚」と目配せを交わし――浮橋同様、泣き腫らした目もたくさんあった――頬を染め、恥じらいつつも、ほんのり微笑している。
 そして、最古参のお喜代の方が代表して、
「このように姿形も改まり、我らも身命を賭して、坂元の御家の為、死力を尽くし、万難を排して、改革をやり遂げる所存にございます」
と述べ立て、一同平伏。ズラリ、と垂れ下がった月代頭に、忠虎は上々の機嫌で、
「新しき治世に相応しき新しい姿ジャ。オレも藩主となって十年、今日ほど嬉しき日はないぞ」
と何度もうなずいていた。
 男姿になってしまうと、中身も変化するのか、
「ソレガシは〜でござる」
「あいや、しばらく待たれい」
「ウム、なかなか良いぞ」
などと側室たちは古武士の如き武張った口調になっていった。
 悪ノリした忠虎は、奥に押し込めた旧重役に、女の格好をするよう命じた。
 これには、さすがのボンクラ連も、
「それは敵わぬ」
「御酔狂にも程があるわ」
と次々と辞表を提出するに至った。
 もっとも、辞表を出す勇気のない者もいて――ほとんどが妻帯しておらず、隠居しても跡継ぎのいない十代二十代の若衆だった――彼らはカモジをつけ、化粧をこらし、紅をさし、打掛をまとって女装し、こちらも、
「あれぇ〜、いけませぬ」
「おほほほ、〇〇様ってばイケナイ御方なのですねえ」
と婦人の言葉になり、奥御殿の中をシャナリシャナリと行き来している。
 中には男には勿体ない美貌の若衆も何人もいて、衆道の心得もある忠虎、早速閨に呼び、伽を命じた。
 表と奥は完全に逆転してしまった。

 ドタバタしているうちに、参勤交代の時期になった。
 忠虎は江戸に参府せねばならない。
「後はくれぐれも頼んだぞ」
と城代家老格に任じたお喜代の方に、何度も念を押した。
「ご安心召されい。留守はソレガシどもがシカと守りますゆえ、殿は江戸にてのお勤めにお励み下されい」
「何かあれば、すぐ飛脚で報(しら)せよ」
「承知仕った」
 お喜代の方に力強くうなずかれ、忠虎は、意気揚々と江戸へと向かった。

 忠虎は江戸では「平常な暮らし」を送った。
 正室や子供と久しぶりに会い、江戸家老からの報告を聞き、登城して将軍の尊顔を拝した。
 国許からの飛脚はほとんど来なかった。
 たまに来ても、書状の内容は、時候のアイサツと、こちらは大過なくやっている、とのソッケナイ文面ばかりだった。
 まあ、よい、と忠虎は一応安堵して、江戸での務めをこなし、都会ライフを楽しんだ。
 一年が経った。
 国許に帰る日が近づいてきた。
 将軍に暇乞いのアイサツに登城すると、酒井雅樂頭(さかい・うたのかみ)が、
「これは坂元殿、ご苦労にござる」
とニコニコ顔で歩み寄ってきた。
 「下馬将軍」と陰で呼ばれている幕閣一の権勢家は、笑みを絶やすことなく、しかし、その笑いはどこかイジワルげにも思えた。
「そろそろご帰国かな?」
「左様でござる」
 忠虎は用心深く答えた。
「国許でも色々おありになるようだが、公儀としては坂元殿の忠誠、片時も疑うことはござらぬゆえ、安生に戻られても、いよいよご政務に励まれたし。坂元家は名門の御家柄、ゆめゆめ舵取りを誤り給うなかれ」
 そう言うと、雅樂頭は笑顔のまま、去っていった。
 忠虎は急に不安になった。
 スパイ政治は徳川幕府のお家芸である。全国津々浦々の大名領などに、隠密を放ち、情報を集めている。そうして、反幕的な大名家や藩政のよろしくない大名家があれば、容赦なくお取り潰しとなる。
 あの「下馬将軍」も砂山を踏み潰すように、数多の大名家を潰してきた男だ。あの笑顔が逆に薄気味悪い。
 不吉な予感に襲われる。
 一刻も早く国許に帰らねば、とそんな焦燥感に駆られる。
 忠虎は江戸を発った。

 一年ぶりの安生藩だ。
 領内に入った途端、忠虎は退廃の匂いを嗅いだ。
 出府した頃より、領国も領民も様変わりしているかのようだった。
 百姓たちの顔には生気がなく、田畑は荒れ、物乞いの群れも多く見かけられ、街も城も明らかに空気がたわんでいた。
「お帰りなさいませ」
と出迎えた側室たち――現重役たちも一年前と同じ月代に裃姿だったが、ドイツもコイツも丸々と肥え太り、面貌も卑しげになり、まるでムジナのようだった。
 忠虎は帰国したその日から、藩政に取りかかった。
 そうして、恐るべき事実に、目まいを起こしかけた。
 「表」に出た現重役たちは、すっかり舞い上がり、鬼の居ぬ間に洗濯、政治などうっちゃらかし、享楽にウツツを抜かし、華美にふけり、その浪費はすさまじく、御用商人と結託して私腹を肥やす者あり、家中のサムライと密通する者ありで、安生藩のモラルはコッパミジンに崩壊して、誰もが金と色に狂い、藩財政は破綻寸前、そのツケは農民に押しかかり、農民たちは重税にあえぎ、農村は疲弊し、逃散する者、物乞いに身を落とす者が後を絶たず、さらには、側室どもの間では派閥が生じ、各派が足を引っ張り合い、角突き合わせ、ついには、刃傷沙汰にまで発展する始末。
 忠虎は怒るよりも呆然とした。そして、絶望した。改革どころか、わずか一年で彼は、歴代最悪の暗君に転落してしまった。全て自分の蒔いたタネだ。
 蒔いたタネは自らが刈り獲らねばならない。
 とは言っても、大量処罰を行えば、幕府も黙ってはおらず、「藩政よろしからず」で改易の憂き目に遭う。
 ――ともかくも――
と忠虎は現重役を全て罷免した。
 中でも、かばいきれぬ罪状の数々を「自白」したお喜代の方や浮橋ら五名に、死罪を申し渡した。
 ――オレの人生とは一体何だったのか!
 忠虎は叫びたかった。
 藩を富ませる、という気概に燃えていたのに、あっという間に藩を潰しかけてしまった。旧に復すためには、十年、いや二十年はかかるだろう。
 忠虎は一切を投げ出したくなった。何もかもがイヤになった。
 が、由緒ある坂元の家を自分の代で終わらせるわけにはいかない。そう考えれば、石に齧りついても、藩再建を貫徹せねばならない。
 まずは城内の表と奥を元に戻した。
 女どもを奥に帰し、男どもを奥から表へ引っ張り出した。
 家臣一同を大広間に集め、
「すまぬ」
と一言詫びた。そして、倹約をモットーとして、藩の再建に全力を尽くす旨、宣言した。
 そんなことはお喜代の方も浮橋も知らない。
 彼女らは文字通り、クビとなって、七曲川の川べりの獄門台に並んで、その月代を天日に晒していた。
 五つの獄門首には蠅がたかり、栄枯盛衰の儚さを、見る者に知らしめているかのようだった。誰のはからいだったのだろう、首たちの唇には、さりげなく紅がさしてあった。
 忠虎が本当に「すまぬ」と詫びねばならなかったのは、彼によって運命をもてあそばれた、この五つの首に対してだったのかも知れぬ。


(了)





    あとがき

 「乱世東国戦記」シリーズの後日談的な位置づけの作品でございます。同時に発表した「坂元惟虎の最期」と同様、「迷君」モノです。「迷君」メドレー(笑)
 「お菊」「清姫」「黄猿」の系譜に属する「チョンマゲ物」でもあります。
 今回は意識して、色々実験を試みていますが、あんまり成功していないな(汗)次につながる一作になればありがたいのだけれど。。。
 元々はかなり前に、絵師のコウキさんが「男女逆転幕府」というネタで、この迫水めに、「書いてくれないかな〜」的なことを仰っていて、試しにコッソリ「封建時代の男女逆転物」を書いてみたのですが、難しくて十行ほどで頓挫(汗) それを今回、最後まで書き上げ、脱稿に至った次第です。
 ツッコミどころ満載の内容(断髪シーンも微妙だし)ですが、勘弁しておくれやすm(_ _)m まあ、「小説」というより「オハナシ」として楽しんで頂ければ、と。
 なんだかんだ言いながらも、完成にこぎ着けられて、満ち足りた気持ちでございます。
 お読みいただき、感謝感謝です〜(*^^*)




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