作品集に戻る


決戦前後


 クラクションが鳴った。
「死んじゃえ!」
と僕が呟こうとしていた、まさにその言葉を、火音(かのん)が横合いからひったくるように、先に言ってしまい、空振りした僕は口をあけたものの、他に言いたい言葉も見つからず、ひどく間抜けな表情(かお)になった。
 火音は、してやったりという表情(かお)で、僕の間抜け面を意地悪くのぞきこむ。
「なんで、僕が言おうとしていた言葉がわかったの?」
 コッソリ読心術でも会得していたのか、と訊いたら、火音はどことなく少年じみた、利かん気そうな目鼻を悪戯っぽく笑ませ、
「キミの思考の流れを推理したんだよ、オーギュスト・デュパン式にね」
「推理? 僕の思考の流れを?」
「そうさ」
「わかるの?」
「わかるよ」
「ちょっと聞かせてよ」
「どうしようかなぁ」
「勿体ぶるな」
「OK。じゃあ、聞かせてあげよう」
 火音は自分の推理を得意げに披露しはじめる。
「まずあたしたちが最後に会話を交わしたのが、だいたい五分前だったね。それから、今まであたしらは沈黙していた。最後の話題は永井荷風のことだったね。荷風といったら、キミならまずきっと、あたしたちの高校の旧棟にある、あのカビ臭い図書室を思い浮かべたろう。ボッチのキミはあそこに通いつめて、古今東西の文学書を読み漁っていたからね。荷風の本もそこで読んでいたに違いない、とあたしは踏んでる。そして、図書室通いの理由は本だけじゃない。いや、もっと大きな動機があったはずだ。ズバリ図書委員のシオリちゃんだ。可愛いからね、彼女。――実際キミは考え事しながら、ニヤニヤしていたよ――ムッツリスケベのキミはシオリちゃん目当てで図書室にせっせと日参していた。間違いない。で、シオリちゃんと言えば、修学旅行のスキー教室での”八甲田山かよ?!事件”。事件のことはさておき、キミの頭の中には尋常じゃないくらいの大雪が降りしきっていたはずだ。中途半端で無駄にロマンティストのキミは、雪原でトナカイの群れと暮らすシベリアの原住民に思いを馳せていた。きっと、そうだ。この間、林奈さんとそんな話をしていたのを、あたしはしっかり耳にしていたのさ。そして、トナカイと言えばクリスマス。そこから連想して、キミは某アイドルグループのことを考えずにはいられなかったろう。去年のクリスマスのYJで、彼女たちがサンタクロースやらトナカイやらのコスプレをして、表紙やグラビアを飾っていて、キミはそれをアホみたいに大絶賛、いや、大大絶賛していたのをよく憶えているよ。周囲の女子たちが”アイドルオタク、きもっ!”と陰で嘲笑してたからね。そうして、その雑誌でミニスカサンタコスをしていたメンバーのナントカちゃんが近々グループを脱退するというニュース、そのニュースをキミは思い出さずにはいられなかったろう。そうして――」
「待て」
と僕は火音の長広舌をさえぎった。
「ひとつも合ってないぞ! 君の頭の中の僕はどんだけ非リア充なんだ! 何がオーギュスト・デュパン式だ。聞いて損した」
 僕は頭痛をおぼえた。不愉快だ。でも、不可思議だ。
「それじゃあ、何で”死んじゃえ”ってワードを、君は先回りして言えたんだ?」
「至極簡単だよ」
 火音は探偵を意識した口調とポーズのまま、シニカルに笑った。
「キミは思考をシャットダウンするときや、させられたとき、必ず”死んじゃえ”って小声で言うからさ。自分じゃ気づいてないみたいだけど。傍から見れば、相当ヤベー奴だよ」
「・・・・・・」
 確かに火音の言う通り、無意識の裡に、いつもそう口走っていたかも知れない。
「もっとも――」
 火音の笑みはシニカルの度を増す。
「誰に死んで欲しいのかは、あたしにゃ皆目見当もつかないけどね」
「・・・・・・」
 僕にもわからない。
 部屋のシャワーがこわれたから、と僕の部屋にフラリとやって来て――「変なことしたり考えたりしたら、殺すからな」とグサグサ釘を刺しつつ――シャワー、そしてドライヤー、と火音は僕の部屋にどっかりと御輿を据えてしまった。
 そして、「決戦」のため、心を静め、気を練り、「戦闘準備」もせねば、とジリジリしている僕の迷惑顔など一向に斟酌せず、乾いた髪をブラッシングすると、僕に結わせた。この戦争の間、ずっと火音のヘアメイクを担当させられてきた僕は、すっかり慣れた手つきで、長い漆黒の髪をシニヨンに編み込んでいった。火音は頭を僕に任せ、テレビをつけた。せわしなくチャンネルを変え、ザッピングしながら、あれこれと異国の番組を視聴している。
 時々、
「おいっ、日本のドラマが放映してるぞ」
とハシャいでいる。
「ああ、『義経物語』か」
と僕が応じると、
「識(し)っているのか?」
「ああ、うん、ちょっと前に放映していた大河ドラマだよ。あれ? 今も放映中だったっけかな? 視聴率は悪くないらしいけど、僕は観てないなぁ」
 話しているうちに、髪型は完成した。それを一瞥して、ハンドミラーを放り出すと、
「あ〜、チャッチャと面倒なこと終わらせて日本に帰りてぇ〜」
 火音はイスラム教徒が礼拝するみたいに、ベッドの上に突っ伏し、
「帰ったら、ソバが食べたい〜」
と子供のようにクネクネしてぐずる。
「コロッケとゴボウ天をトッピングしてさ、七味とネギをたっぷり入れて、熱いのを、フウフウして、ズルズル〜ってさ」
「そんなこと言ってると、死亡フラグが立つよ」
「山人(やまと)はないの? 日本に帰ったら食べたいものとかさ」
「アイスコーヒーだね」
 僕は即答する。
 スペインくんだりまで来て、初めて識ったが、西欧には「つめたいコーヒー」という概念が本来ないらしい。アイスコーヒーは日本人が考案したものらしい。こっちでは、コーヒーと言えば、バルという酒場兼食堂などで出される、淹れたての熱々のものを喫する。当然自販機でも買えない。コーヒーをひやす、コーヒーを持ち歩く、といった発想がないのだ。猫舌でカフェイン中毒の僕には、アイスコーヒーも缶コーヒーもない、この異郷での日々はチト辛い。
「永井荷風も何かの随筆で、”冷やしコーヒー”を批判的に書いてたなあ。あんなものは欧米人は飲まない、って」
との火音の豆知識に、
「あんな偏屈爺さんにアイスコーヒーの素晴らしさがわかってたまるか!」
 そう吐き捨て、僕は戦いの準備に精を出す。得物をせっせと磨く、剣の重さ――物理的な意味でも精神的な意味でも――にもすっかり慣れた。
 五分後、クラクションが鳴った。
「死んじゃえ!」

 今宵、二千年におよぶ闘争に決着がつく。つけなくてはならない。マドリードのホテルの一室で誓う。そのために、僕らはこの二千年間、転生を繰り返してきたのだから。何度も生まれ、何度も闘い、何度も死んできたのだから。
 しかし、何故だろう、命を賭した戦いの直前だというのに、僕と火音はくだらないおしゃべりに時間を空費してしまっている。でも、その一言一言がとても楽しかったりする。そもそも、火音とは相性がいいのだろう。まだ、お互い「覚醒」する前、普通の高校生だった頃には、同じ学び舎に通う同級生の仲だったから――片やアイドル、片やボッチだったが――共通の話柄も多い。まして、共に死線をくぐり抜けてきた「戦友」だ。恋愛関係までには至らぬけれど、仮に武運に恵まれ、日本に戻ったとしても、こうしてバカ話できる間柄でいたい。
「それにしても――」
 僕は遠い目になる。
「まさか、ラスボスが”岐阜県”とはなぁ」
 そう、表向きは日本の都道府県のひとつといった顔をしている岐阜県。しかし、それは仮の姿、本当は二千年の長きに渡り、人類を裏から牛耳ってきた世界最大の悪魔結社だったのだ。
 この巨魁を斃せば、二千年続いてきた「憐魔(れんま)戦争」は終焉する。世界は救われる。その人柱になる覚悟も決めている。そう、あの少女のために・・・。
 今さっきホテルの前で鳴った、カークラクション、その車は岐阜県が寄越したものだ。僕らはそれに乗ればいい。車は最後の闘場まで僕らを運ぶ。さぁ、はじまる!
「まったくシュールだよなぁ」
 火音はまだ顔の筋肉を弛緩させている。
「マドリードで岐阜県と果し合いなんてさ、神様も天国でクスクス忍び笑いしてるだろうさ」
 ガチャリ、と部屋のドアが開いた。
 いつものように、車椅子に腰をおろし、風花(ふうか)が部屋に入ってくる。やはりいつものように、聡明な表情で。ハーフゆえ、肌の色は雪のように真っ白で、瞳は碧く、髪は黄色い。その黄色い髪は長く、フワフワと柔らかそうで、車椅子ごと彼女の身体を包んでいる。戦いのため、白の巫女装束(神社のそれとは異なる)を身にまとっている。
「カノン、貴女は神の名をみだりに口にし過ぎるわ。慎みなさい」
と風花は思慮深げな目をして、火音をたしなめた。
「はいよ」
 火音も「主君」には従順だ。
「今、岐阜県から迎えの車が参りました」
 風花の車椅子を押している林奈(りんな)さんがおもむろに言う。
「話がつきました」
「よっしゃあ!」
 せっかちな火音はもう、いつの間にか携えていた得物――鎖のついたハンマーを肩にひっさげ、部屋を飛び出さんとしている。
「お待ちなさい」
 風花が火音を制する。
「まだ、決戦の時刻ではありません」
「じゃあ、何時なんだよ?」
 肩すかしをくらい、憮然とする火音に、林奈さんが説明する。
「”月がクアトロ・トーレス・ビジネス・エリアのビルにかかる頃”にここを発つとの、先方の言葉です。それまでに、死に支度をしておけ、と」
「さすがラスボスとなると詩人だね。一般人のように、1時間だの、10分20分だのとチマチマした無味乾燥な時間感覚を超越してやがる」
 火音は首をすくめ、冷笑する。
「今のうちにせいぜい典雅ぶっとけ」
「今日で”憐魔戦争”にピリオドをうちます」
 風花は静かに、しかし、力強く宣言した。
「私たちは戦い、死に、転生して、また戦い、そして死に、ついにこの時を迎えました。今を逃がしてはまた転生のときを待たねばなりません。その間にも世界はさらに蝕まれていくのです。皆さん、勝ちましょう。最悪の場合、敵と刺し違えてでも、彼らによる人類支配を永劫断ち切るのです」
 火音も笑いをひっこめ、戦士の顔に戻っていた。僕も武者震いを禁じ得なかった。
「まだ時間はあります」
と林奈さんが後をひきとった。
「それまで待ちましょう」
 その言葉で場の空気はやや緩んだ。
 僕はそっと風花を盗み見た。風花も僕を見ていた。目が合った。僕はあわてて視線を泳がせた。
 そして、僕はあの日のことを思い返した。この風花と出会った、あの日のことを。

 あれは桜の季節だった。
 僕はヘルニアで入院中の叔母を見舞い、他に特に用事もないので、興の向くまま、広大な敷地をもつホスピタルの桜並木を、ゆったりと歩いていた。桜の花々は僕に、サエない高校生活も含め、果たして生きる値打ちがあるだろうかと考えてしまう陰鬱な日常を、束の間忘れさせてくれた。
 ヒラヒラと花びらが制服の肩に舞い落ち、しかし花に酔い気味の僕は構わず、歩き、並木道を何度も往復して、歩き疲れて、気が付けば一本の若木の下に佇んでいた。三寒四温。まだちょっと肌寒い。けれど、僕にはそんな冬の残滓が心地好かった。
 ビューッ、と一陣の風が吹き抜け、桜がまた舞い散る。
 ふと人の気配がした。
 振り返ると、少女がいた。
 少女は車椅子に座っていた。僕と同い年くらいだ。淡いピンクのパジャマの上から、コットンの水色のカーディガンを羽織っている。膝に緋色のブランケットを掛けている。この病院の入院患者なのだろうか。黄色い髪と碧い眼、外国人かハーフだろう。それにしても、なんて綺麗な顔立ちをしているのだろう。こうして半径1m以内の距離にいることすら奇跡と思えるくらいの、この世ならぬ美しさを天から授けられた美少女だった。
 オクテの僕は桜を眺めるフリをして、この美しい侵入者との間に堀を穿ち、やり過ごそうとした。今までもこうやって生きてきた。見えないフリ、聞こえないフリ、識らないフリ。
 しかし、車椅子の美少女は一向にそこを動く気配がない。
 いつまで立っても、微動だにしない少女に僕の方がたまりかね、勇を鼓して振り返り、訊いた。
「君も桜を見に来たの?」
 少女は表情ひとつ変えなかった。僕を見上げ沈黙している。吸い込まれそうなほど深く、はじき返されそうなほど強い瞳が、僕に向けられていた。日本語が通じないのかな、と僕は狼狽した。
「ハ、ハロー」
とどもりつつ挨拶した。が、次の瞬間、少女は薄い唇を開いた。
 彼女の言葉はあまりにも予想外で、僕を激しく動揺させるものだった。
「跪きなさい」
 相手が王侯でも従ってしまいそうな、有無を言わさぬトーンがあった。高貴で、清雅で、傲慢で、不遜で、無垢で、荘重で、甘美な響き。何故か僕の耳には懐かしい響きだった。
 僕は反射的に、セルバンテスが「ドン・キホーテ」で嘲弄し否定し去った古き美しき騎士道物語の主人公のように、地に膝をつけ、「ヒロイン」の足元にぬかずいた。逆らう気など毛頭起こらなかった。ブランケットの赤が目の前を占有した。
 ヒロインは僕の頭に手を伸ばした。その指が僕の髪に触れる。心臓が破れそうなほど、鼓動はパンキッシュに鳴りまくる。
 少女は僕の髪についた桜の花びらを摘むと、ホラ、というように僕の目の前で微かにふってみせ、宙に放った。そして、はじめて咲(わら)った。
 僕は放心状態で、お礼を言うのも忘れ、膝を屈したままだった。
 そんな僕を見やり、少女はふたたび微笑して、そして、車椅子の向きを変え、長い髪を春風になぶらせつつ、その場から去っていった。
 僕は花の中、取り残された。
 それだけだった。

 それだけだったはずなのに、僕が少女――風花と再会し、彼女のもと、「憐魔戦争」を戦うことになったのは、それから間もなくだった。
 運命に導かれ、自己に宿る未知の力に目覚め、逃れえぬ宿命を知り、「騎士」の道へと踏み入った。闘争に闘争を重ねた。同じ星をもつ火音や林奈さんとも邂逅し、共に戦い続けた。

 ここで、今更ながら、「憐魔戦争」について、ざっくりと説明する。
 この戦争は正義と不正義、光と闇、人間と悪魔、といった二元論に立脚している。
 一世紀の間に一度、或いは二度、両者は激烈な死闘を繰り広げる。
 その戦いにおいて、人間側はパーティーを組む。パーティーは巫女、侍従、闘神、騎士、の四人から成る。
 巫女は前世からの記憶を唯一もち、「同志」を見極める能力を有している。天上界と人間界との媒介となり、パーティーの中核となる。
 侍従はもっぱら巫女を助け、守護し、ときに軍師的な役割を果たし、ときに交渉役として敵に臨み、ときにナースとして傷ついた味方の身体を異能力で癒す。
 闘神は戦闘においてリーダーシップを発揮する。戦場での駆け引きに長じ、敵の中心へと切り込んでいく。
 騎士は巫女や闘神の命じるままに、当たるを幸い、敵をなぎ倒し、戦いの露払いをつとめる。
 風花が巫女、林奈さんが侍従、火音が闘神、そして僕が騎士だ。この21世紀のマドリードにおいては。
 四人は結束し、世界を牛耳る悪魔の組織――即ち岐阜県に敢然と挑み、超能力ウォーズを繰り広げるのだ。
 しかし、正義は、光は、人間は、常に、いつだって挫かれてきた。
 僕たちはこの二千年の間、何度も戦場に屍をさらしてきた。それでも、転生して、己の使命に目覚め、超能力に目覚め、巫女のもとに集い、戦争を繰り返してきた。
「前回の“憐魔戦争”は20世紀半ば――オリンピック前夜のTokyoだったわ」
と風花は以前回想していた。そして、
「みんな死んだわ。・・・私も・・・」
といたましい表情(かお)と低声で言った。
 僕にはそういった前世の記憶はない。けれど、風花といるとき、ひどく懐かしい気持ちになる。林奈さんといるときは、心から安らげるし、火音とはお互い胸襟を開いて付き合える。これも、二千年来の「同志」関係の賜物なのだろうか。
 最後の決戦の舞台・マドリードに到着してから、もう一週間になる(渡航や滞在についての一切は、林奈さんがとりしきってくれた)。その七日の間に、岐阜県が差し向けてくる異能の刺客たちを、もう幾人斃してきただろう。

 はじめてマドリードに来た日――もう夕暮れだった――風花は旅装も解かず、ホテルの窓から暗くなった街を見下ろしていた。静かに、そして幾分もの思わしげに、幾分けだるそうに、飽きもせずずっと。
「何を見てるの?」
と訊くと、風花は髪で隠れた横顔を僕に向けたまま、
「あれ」
 僕は窓際に近づき、風花の傍らに寄り添うようにして、風花が指さす方を見た。
 暗い道路はカーライトで充満していた。首都の一日は終わろうとしている。
 ごった返すカーライトの群れを眺めながら、
「映画で観たわ。このロケーション」
と風花は言った。
「なんて映画?」
「おぼえてないわ。けれどスペインの映画だった。映画のオープニングは、こんなふうに夕暮れの道路はカーライトでいっぱいで・・・車が何列にも渡って渋滞していて、その車たちをカメラはこんなふうに高い場所から見下ろしてるの。タイトルすら忘れちゃったけど、そのオープニングだけは何故か心に残っているわ」
「その映画は、その〜・・・ハッピーエンドだったの?」
 僕はちょっとした辻占みたいな気持ちで訊ねた。
「おぼえてない、って言っているでしょう?」
 風花は物憂げに、そう言って小さく首を振り、
「でも、こんなふうなオープニングだったってことは記憶に残ってる」
と同じことを繰り返した。
 他愛ない会話だったが、僕は風花と二人きりで話せてうれしかった。そして、密かに思った。もし日本に帰れたら、レンタルショップに行って、スペイン映画のDVDを片っ端からチェックしてみよう、と。

「♪人間なんてララーラララララーラー」
 火音は一昨日マーケットで6ユーロで買い叩いてきたボロボロのアコースティックギターをかき鳴らし歌っている。ボブ・ディラン、ニルヴァーナ、ゆず、YUI、そして吉田拓郎と気の向くまま、数フレーズずつ弾き語りしている。そこそこ上手い。さすが我が母校きっての才女。
 僕は破邪の剣を素振りする。数多の妖魔を斬ってきた、この剣とも今宵でお別れだ。
「さァ、リンナ、私たちも準備をはじめましょう」
 風花は林奈さんを促す。
「どこでやりましょう?」
「ここで」
「はい」
 林奈さんは一旦退室すると、すぐに戻ってきた。その手にはカットクロス、ハサミ、櫛など散髪道具一式があった。そして、風花の身体は車椅子ごと、カットクロスにくるまれた。
 僕は素振りをやめ、火音はギターを弾く手をとめた。
「フーちゃん、一体何をしようっての?」
 火音が訊く。口調は抑え気味だったが、内心動揺していた。僕もそうだ。
「髪を切ります」
と風花は淡々と答えた。
「見りゃあわかるよ。でもなんだっていきなり髪を切るのさ? 決戦の前にイメチェンってわけでもないだろ?」
「天上から御助言がありました。髪には妖魔の気が宿りやすいそうです。妖魔の気が充満している最終戦場では、髪が悪しき気を吸収してしまい、そうなれば天上界との交信がさえぎられ、巫女としての役割を果たせません」
「だから髪を切るってわけね」
「御納得頂けましたか?」
「まあ、髪はまた伸びるからね」
 火音は快活を装う。風音に髪が伸ばせる未来があることを信じて。
「ではお願いするわね」
 風花は背後の林奈さんを顧みて言い、ゆっくりと目を閉じた。
「わかりました」
 林奈さんは散髪バサミを手にして、そのグリップに指を入れた。
 そうして、風花の黄色い髪を、まず、肩のところで断ち切っていった。ジャキ、とハサミが鳴った。シャキシャキ――
 ハラリ、ハラリ、と柔らかなバージンヘアーが羽毛のように、カットクロスに舞い落ちる。あの日の桜をふと思い出す。パサリ。甘い芳香が鼻をくすぐる。風花の髪の匂い。大好きだった匂い。
 林奈さんはそのおっとりとした物腰とは裏腹に、結構大胆にハサミを入れる。そのまま、横に横に切りすすめ、風花の髪は肩上で切り揃えられた。
 風花は瞑目したまま、身じろぎもしない。端然と林奈さんのハサミに、一切を委ねている。まったく、いつもながら潔いこと、この上ない。
 林奈さんは美容師顔負けのカットテクニックで、オカッパ髪にハサミを入れ、もっと短く、さらに短く切り込んでいく。ときに繊細に、ときに思い切りよく、切って、切って、風花を段々とショートカットに変えていく。軽やかに梳き、涼やかに詰め、風花の足元に黄色い草原を茂らせていく。
 うなじがサッパリと刈りあがった。その白さ、清らかさに、僕はときめく。
「耳も出るように」
という「主」の指示に、林奈さんは従う。そして、両耳ともスッキリと出た。前髪も眉がクッキリと見えるほど切り詰められた。
「林奈さん、いい腕してるね。あんた、“憐魔戦争”にケリがついたら、美容師目指しなよ。超一流のカリスマ美容師になれるよ。そんで、代官山とか表参道とかに自分のお店開いてさ」
 火音の賞賛に、
「あら、そういうのって死亡フラグっていうんじゃありません?」
と林奈さんは軽口で応じ、うふふ、と笑った。「精神年齢的にはパーティー最年長」の余裕がうかがえる。火音も苦笑している。
 シャキシャキ、パサッ、シャキ、シャキシャキ、パサリ、パサリ
 黄色い草原は嵩を増し、その範囲を拡げていった。
 風花は依然、マネキンのように、不動。けれど、無表情ではなくなっている。自分の髪に触れる金属の感触を味わうかの如く、ウットリと目を細め、口元には、悦ぶかのような、恥じらうかのような、不思議な笑みをたたえている。頬もほのかに染まっていた。
 ふと風花のこんな表情(かお)をいつかどこかで見たような気がした。しかし、いつだったのかも、どこだったのかも、思い出せなかった。
 たぶんきっと、転生以前の遠い過去世の淡い記憶なのかも知れない。こんなデジャブを風花に対し、火音に対し、林奈さんに対し、僕はしばしばおぼえることがある。
 今目の前で行われている断髪の儀式も、記憶となり、来世の自己へと引き継がれるのだろうか。
 シャキシャキ、シャキシャキ、
 ハサミの音で我に返る。
 もうすでに、風花の身体を取り巻いていた髪はなくなっていた。実に4/5の髪が切り落とされていた。
 風花は美少年になった。柔らかな髪はうまくまとまり、中性的なフェロモンが僕を髪を切る前よりドキドキさせる。
 カットクロスが取り払われる。
 その下の「巫女装束」と少年みたいな短い髪は、不思議と相争うことなく、ギリギリのバランスで見事に調和していた。
 林奈さんが黄色い草原を回収しはじめる。
「フーちゃん、あんただけに辛い思いはさせないよ」
 直情径行な火音は短剣をひき抜くと、シニヨンに結った黒髪の根元にあて、
 ブッツリ!
と断ち切った。そして、ザンバラ髪を振り乱し、窓を開け放つと、その黒髪のかたまりを、ずっとエンジンをふかし続けている敵の車の方角へ投げつけた。
「挑戦状代わりだ! 受け取りやがれ!」
 返答はなく、ただエンジン音だけが不気味に聞こえていた。
「カノンってば。相変わらず向こう見ずね」
 風花は微苦笑した。
 短すぎるほど短いベリーショートヘアーになった風花は、鏡を見ようともしない。
「ねえ、風花」
 愚かとは知りつつも、僕は問いかけずにはいられなかった。
「なに、ヤマト?」
「この戦争が終わったら、風花はしたいこと、何かあるの?」
「私?」
 風花はちょっと目を見開き、ちょっと考え、
「私、大人になりたいわ」
「大人に?」
「だって私たち、この二千年の間、一度も大人になったことないんですもの」
 そう、僕たちはいつだって巨悪の魔手によって、少年少女のまま、命を絶たれてきたのだ。
 学校を出て、仕事をして、酒を飲み、車を飛ばし、結婚し、子供を産み、育て、家庭を築く、そんなごく普通の人生を経験することなく、千年経ち、二千年経った。今生こそ、そのささやかな幸福を手に入れたい。それが風花の切なる願いなのだろう。
 僕はどうなのだろう。自問自答する。
 「未来」について、本気出して考えていたら、クラクションが鳴った。
 いよいよ、始まる。
 武装して、四人は部屋をあとにする。

 廊下に出た途端、坊主頭が四つ、小走りに駆けてきた。
「霞、ウチらの部屋って何号室だっけ?」
「いい加減おぼえなよ、雫」
「真雪先輩、遅いっすよ、ダッシュダッシュ!」
「もう深夜なんだから、静かにしなきゃダメよ〜」
「日本の恥になるぞ、ナマクラ坊主」
「霧子、黙れ!」
 キャッキャ、と日本語を交わしつつ、自分たちの部屋へと向かうスキンヘッドの女子集団。僕らと同じ年代だろう。しかし、なんでまた剃髪してるんだろう。
 お互い、異形なので、鉢合わせして、ギョッとなる。
 しかし、それもほんのわずかな間だった。坊主ガールたちは部屋へ、僕たちは外へ。
「腕が鳴るゼ」
と火音。
「世界のために」
と風花は呟くように言った。自分に言い聞かせているふうでもあった。
 猫の子一匹いないロビーを抜け、扉をくぐる瞬間、僕はハッと気づいてしまった。
 「死んじゃえ」とその死を望んでいた者、それは――

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 翌日、マドリード近郊の森で、日本国籍の少年少女が四人、自動車の中で冷たくなっているのが発見された。
 四人は車中で練炭を燃やし、死亡していた。状況から推測して、集団自殺と警察は断定し、発表した。遺書などは残されていなかった。
 ショッキングな事件だったにもかかわらず、何故かマスコミは腫れ物でも扱うように、そのニュースを簡単に報道するだけにとどめた。
 そして、この異常な事件のことは、日々起こるその他の異常なニュースに呑み込まれるように埋没し、すぐに忘れられた。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 ・・・ソレデモ、マタ、甦ル・・・


(了)





    あとがき

 今回のあとがきはちょっと長くなります(とあらかじめお断りしておいて)。
 まずは岐阜県民の皆さま、ごめんなさいm(_ _)m本作品はあくまでフィクションであり、他意はございません。「君の名は。」でスポットがあてられたこと、真に喜ばしく存じます。岐阜県サイコー!!
 ・・・と謝ったところで、さて、さて、本作は実に「構想十年」の作品でございます。けして誇張ではなく、本当に2007年から頭に浮かび、案を練っていました。周囲にも吹聴していました(「断髪小説」ということは伏せて)。
 選ばれし少年少女たちが時代や場所を変え、何度も転生して悪と戦うファンタジーストーリー、それに断髪をからめて、みたいな欲張った内容のものでした。けど、壮大な物語になりそうなので、自分の手には余り、後回しにされてきました。でも、いつかは書きたいという気持ちはずっとありました。
 そうして、それとは別に、今年も「春小説」書きたいなぁ、と思っていました。「春小説」というのは、迫水が勝手にカテゴライズしている作品群で、「春めく」「四十億年?」「春寒」の3作品がそれにあたります。条件としては @春先に発表。A舞台が春。B桜が出てくる。C非坊主モノ。Dシリアスな青春モノ、といったふうなジャンルで、その四作目が書きたいと思っていて、ふと棚上げしていたファンタジー小説のことを思い出しました。そのファンタジー巨編に「春小説」の要素をブッ込んでみたらよくね?と。 「ファンタジー」+「春(桜)」+「断髪」という欲張るにもほどがある発想から今作が生まれました。結句、一番犠牲になったのが「断髪」(T T)
 自作ではかなり珍しいバッドエンドです。死亡フラグ立ちまくってたからなあ。毎回似たようなラストになってしまうのも何だし、でも、一粒の希望を残しつつ幕をひかせて頂きました。
 そうそう、何故、長い間実現しなかったかというと、自分、ファンタジーに関しては門外漢なのです(汗)ファンタジーにはまったく精通してません(汗)
 なので苦吟して苦吟して、結局あまりファンタジーしてない(^^;) バトルも魔法もなく、基本、登場キャラたちがホテルで会話しているだけ、とも言える「雰囲気ファンタジー」に着地しました(偶然ですが、今回発表した3作のうち2作がホテルでの断髪だ。。)。
 出来については、割と好き♪♪です! 個人的には及第点以上です(←自分に甘いヤツ)。内容等、粗いトコは多いですけど、とっても良い経験をさせて頂きました。明日へとつながる一作になったと思っています!! 何事もチャレンジ、チャレンジ!
 最後までお付き合い下さり、本当に本当にありがとうございました(*^^*)次回作にも是非ご期待下さいね♪♪
 では!




作品集に戻る


inserted by FC2 system