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きらみお


   (1)呟く


『突然だが出家することになった』


 吉良美央(きら・みお)のTwitter上での、この呟きに、彼女を知る者たちの間に衝撃が走った。新年早々の出来事である。

『マジで?』
『どういうこと?』
と早速反応があった。

 中には、

『「初夢でした」っていうオチじゃないだろうな?』

という半信半疑のリプもあった。

『さっき家族会議で決まったょ(>_<)ウチ寺だけど男の子いないから。。長女だし、アタイが跡を継ぐことになった。四月から修行だょ(ノД`。)』

 当然ながら、

『やっぱ頭剃るの?』

と訊かれる。

『剃るよ〜(´;ω;`)もうすぐ坊主だよ〜(T◇T )せっかく大事にここまで伸ばした髪なのにぃぃ〜。+゚(ノД`)゚+。やだやだ〜o( ><)o』

『大変だと思うけど、ガンバレよ〜』

 とりあえず応援のリプがあった。

『修行先のお寺、朝3時半起床だって(>_<)無理だょ。。もうなんか頭ごちゃごちゃしてる。今日はもう寝る。おやすみ。眠れる自信ないけど』

 以後のmioこと美央の呟きは、出家へと追い込まれていく、寺娘のドキュメントである。
 毎日のように、

『坊主やだ〜』
『修行やだ〜』

と日課の如く呟きつつも、状況は動いていく。

『今日もお経の練習。全然身が入らん。どうにもやる気が起こらない( _ _ )……….o坊主いや! 修行もいや!』

『修行の願書、書いた(書かされた)。ポストに入れた瞬間、もう後戻りできない、と思った(;´Д`)坊主やだぁ〜! 修行いやだぁ〜!』

『衣の採寸をした。流されるまま、尼の道へ向かっています_| ̄|○ 坊主にしたくないっ! 修行に行きたくないっ!』

『親がバリカン買ってたああぁぁ゚ ゚( Д ノ)ノ彡ウソでしょ?! バリカンとか使うの?(*0*;)☆坊主へのカウントダウンはじまってるょ(((((( ;゚Д゚)))))イヤ過ぎる』

『袈裟届いた! やっぱりロン毛に袈裟はバランス悪い(´・ω・`) かと言って頭は剃りたくない。身内の切れ切れ攻撃がウザすぎる(-_-)』

『修行の許可証&案内キタァァΣ三(;゚;∀;゚;ノ )ノ 「修行僧侶は1ミリ以下の丸刈りのこと」だってさ(><) 坊主イヤだよぅ(ノд・。) 』

『家族は「行に入る直前にいきなり坊主にしたら体調を壊す恐れがあるから、早めに頭を丸めろ」というが、これだけのロングヘアー切るのに、どんだけ根性いると思ってんだょ( ̄△ ̄;)』

『「修行中は体罰もフツーにあるよ」と知り合いの坊さんから聞かされた(;´Д`)やめて〜! 知りたくないから_| ̄|○ 不安でいっぱい。。逃げたい。目一杯逃げたい』

『修行まであと二週間を切った。お経全然おぼえらんないょ(;_;)眠れないょ。。坊主イヤ修行もイヤ』

『修行まであと10日(汗) 今日は壮行会(?)キーちゃんとチー介と藁藁で飲む。頑張ってね、と励ましてくれる。やっぱり友情って素晴らしいなあ(*´∀`*) ありがとう!頑張るょ(`・ω・´) でもやっぱり坊主はイヤだよ〜(-。−;)』

『修行まであと一週間切った〜(((( ;゚Д゚))) 来週の今頃は坊主頭で修行してるのか。実感がわかない』

『そろそろ父が「頭を剃るぞ」と言い出しそうでビクビクしてる』

『ドライヤーなう。最近毎晩念入りにヘアケアしてる。もうすぐサヨナラする髪が愛おしい (ノ_・。) 残りわずかな命だから、大切にしよう』

『修行三日前なのに、ついダラダラ。昨日衝動買いした「そよ風ノオト」をポテチ食べながら読んで、現実逃避中\( ‘ω’)/ やっぱり白瀬先生の漫画はオモロイなぁ〜((*´∀`*))ノ゙』

『ついにこれから坊主になりますっ!!! イヤだあああぁぁ〜。゜:(つд⊂):゜。』

『丸刈り中』

『バリカンすげー(゚∇゚ ;)』

『丸坊主なう。尼将軍と呼んでほしい』

『頭寒すぎ((((´=д=`))))) ニット帽買っといてよかった〜。セッちゃん、アドヴァイスありがとね(´∀`*)』

『坊主頭になかなか馴染めない。。』

『坊主は坊主でアリなような・・・気がする。。気のせいかな( ̄〜 ̄;)』

『明後日には修行に突入だぁぁ! 頑張ってきます(≧△≦)ゞ ・・・と呟きつつ漫画読んでる。あ、お父さんが呼んでる。じゃあ、また』


    (2)バリカン

 吉良美央はいわゆる「歴女」だった。
 専門は源平合戦期。
 昨年放映されていた大河ドラマ「義経物語」を観ては、
「義経って本当はこんな美形じゃなかったんだよね。実際は――
「清盛は白河法皇の御落胤っていう噂が当時からあって、それを裏付けるように――
「頼朝の死因については色々謎があってね、『吾妻鏡』には――」
とウンチクを垂れまくって、周囲にウザがられていた。
 特に木曾義仲がお気に入りである。
 倶利伽羅峠、横田河原、といった義仲ゆかりの古戦場を巡った。
 義仲の菩提寺である義仲寺には、もう何度も墓参に訪れている。
 義仲と女武者・巴御前、あるいは、義仲と郎党・今井兼平の「恋物語」を漫画にして、個人誌まで出すといった熱の入れようだ。
 ちなみに「義経物語」の義仲については、
「ミスキャスト! イメージと違う!」
「史実と違う!」
「脚本がひどい! 悪く描かれすぎ!」
と不満タラタラだ。

 自身の出家決定には、その10倍も20倍も不満タラタラだ。
 ◎長い髪からクリクリの丸坊主へ。
 ◎のん気に過ごしている日常から厳しい修行生活へ。
 説き伏せられて、泣く泣く尼の道を選ぶに至ったが、どうにも辛い。
 不満がさらに膨れあがったのは、そう、「アレ」の存在に尽きる。


 出家

という語に美央の歴女脳に浮かぶのは、北条政子や建礼門院といった中世の女人たち。
 清僧たちの読経の中、侍僧にかしずかれ、仏前に着座する白装束の姫君。
 厳かな雰囲気のうちに、高徳の老僧が、おもむろに剃刀をとる。
 しずしずと剃刀が動き、少しずつ髪が削がれていく。
 凝と瞑目し、両掌を合わせる女人の覚悟と決意に満ちた表情。
 ハラリとこぼれ落ちる丈なす長い黒髪が、白木の三宝に一房、また一房とのせられる。
 すでに信仰に生きる道を選んだ女人の口元には、仄かな笑みすら浮かんでいる。
「これで良いのですな?」
 戒師をつとめる老僧が問う。
「はい」
 女人は小さく、でも凛とした声で答える。
 自作漫画の中の、義仲死後の巴御前の出家シーンも、そんなイメージに基づき、荘厳で、儚くも美しく描いた。
 自分の出家に際しても、このイメージが漠然と頭の中にあった。

 しかし、である。
 出家を控えたある日のことだった。
 友人と遊んで帰宅したら、居間に家族の姿がなかった。
 ――出かけたのかな?
と思い、自室へ一歩二歩と行きかけ、
 ――あれ?
 もう一度居間を覗く。
 テーブルの上にビニールの袋が置かれている。
 ――お菓子かな?
 食いしん坊らしい期待から、中身を見ようとする。
 家電店のビニール袋だ。
 ――な〜んだ。
 アテが外れて、ちょっとガッカリ。でも、一度確かめかけた中身なので、何の気なしに引っ張り出してみると、
 ――ひいいいいぃぃ!
 バリカンだった。
 『お家で床屋さん』
というチャーミングな名前のホームバリカン(充電式・水洗いOK・4980円)だ。
 パッケージには、小さな男の子が笑顔で母親に散髪されている写真が、プリントされていた。
 ――うわああぁぁ〜!
 どう考えても、自分の頭に使用されるブツだ。
 ――バリカンはないでしょっっ!
 「出家の美学」がガラガラと音を立てて瓦解する。

 バリカン【bariqaudフランス】(その製作所名bariquand et marreに基づく)髪を刈る金属製の器具(広辞苑) 

 バリカンと聞いて、思い浮かぶのは、TVのバラエティなんかで、ヘタレ芸人が「お仕置き」でジョリジョリ〜、とか、野球小僧がお母さんにジョリジョリ〜、とか、体育会系のむくつけき男が「大会に向けて気合い入れました」とブログなどで自己顕示欲たっぷりに披露する坊主頭とか。
 ダサい。男臭い。汗臭い。格好悪い。野暮ったい。
 ネガティブな形容ばかりが湧き上がる。
 でも、
 ――これが現実。
 中世風の典雅な「落飾」など望むべくもないようだ。
 手間隙省かれ、ジョリジョリ〜、とやられて尼さん一丁あがり!
 文明の進歩が恨めしい。自己のロマンを冒涜された気分だ。
 美央は思わず髪に手をやる。指で髪を梳る。
 大切な髪の毛。
 ずっと慈しんでいた髪の毛。
 皆から「綺麗」と褒められた長い髪の毛。
 この髪の毛に間もなくバリカンが入れられる。徹頭徹尾、事務的に刈り落とされる。
 想像して目の前が真っ暗になった。深い谷底にどこまでも落ちていくような錯覚をおぼえた。
 ――いやだああぁぁ〜!!

 美央は二日間悶々と過ごした。
 三日目、ようやく父親に、
「ねえ、お父さん」
と恐る恐る訊ねた。
「バリカン、買ったの?」
「ああ、買ったよ」
 父はこともなげに答えた。
「私の使っているシェーバーだと、お前のその長すぎる髪は剃れんからな」
「剃刀で剃るんじゃないの? ナイフみたいな和風の剃刀」
 さりげなく剃刀での剃髪を希望してみるが、
「素人には難しいな」
 父はにべもない。
 危険だし、時間がかかる。初めて剃髪する美央の柔らかな頭皮を傷つけてしまうだろう。それに、修行寺の規定は、剃髪でなく「丸刈り」なので、バリカンの方が確実で安全で、遥かに効率が良い、といった理由を、父は娘に縷々説明した。
 美央は沈痛な面持ちでうつむくばかり。

「バリカンなんて買うの初めてだから、どれにしていいかわからなかったわよ」
 夕食の席で母は言う。
「そう・・・」
 美央はずっと箸が進まずにいる。
「そうしたら、たまたま相川さんトコの慎吾君がいてね」
「えっ?!」
 美央は顔をあげた。
「慎吾先輩が?!」
 相川慎吾。美央の一年先輩で、中学高校と同じ学校だった。
 顔良し、性格良し、成績も良し、運動神経も良しで、今でも美央の「憧れの君」だ。
 その「憧れの君」が、
「“美央の頭刈るから”って言ったら、一緒にバリカンを選んでくれてね」
と母はアッケラカンと楽屋裏を明かす。
「バカァッ!」
 美央は頬を真っ赤に上気させて、母を詰った。
「なんで慎吾先輩まで巻き込んでるのよっ!」
「何怒ってるの?」
 母は娘の怒気にキョトンとしている。
「ああ、もォ〜!」
 美央は髪をかきむしって、テーブルに突っ伏した。
「お母さん、わかってないなぁ」
 美央の秘めた思いをちゃっかり知っている妹の筑紫(つくし)は、ニヤニヤ笑っている。
 ――あの慎吾先輩が・・・
 自分の髪を刈るためのバリカンを、母とあれこれ選んでいる様子が、美央の脳裏に明滅する。
 慎吾先輩も、美央を出家へと引きずっていく周囲と「共犯関係」にあるのだ。美央がクリクリ頭の尼さんになることに、何の抵抗も、何の感傷もないのだ。
「ああ〜!」
「何が気に食わないんだ?」
 父に問われ、
「バリカンよっ!!」
 美央は怒鳴った。
「頭を丸めるのは、お前も承知しているだろう?」
 父も母もわかっていない。
 仕方ない。
 「剃刀で落髪」
というロマンチシズムはあくまで、美央個人だけのもの、家族に共有しろというのも、無理な話だろう。
 わかってはいるが、女心はおさまらない。
「もういいっ!」
 美央は食卓を後にし、自室に籠もった。

 時間が経つと、心はやや落ち着いた。
 バリカンについても、
 ――しょうがないか・・・。
と諦めかけている。
 とは言え、今夜も、

『坊主イヤだ〜。修行イヤだぁ〜』

とTwitterで呟く美央だ。

『バリカンで坊主とかマジ勘弁して〜(>_<)』

 返信があった。

『mioがあの長い髪をバリカンで全剃りするのかと思うと胸熱』
『女で坊主なんて滅多にできない経験なんだから、むしろ羨ましかったりもするなァ』
『ぶっちゃけmioのボーズが楽しみになってきた。すまん(-人-)』

 最初のうちは皆同情していたが、いつまでも可哀想がってはくれない。段々野次馬根性を露にするフォロワーも出てくる。
 中には、

『剃髪した尼さん萌えの者です。mioさんに興味があります。友達になって下さい』

と接近してくるマニアまでいて、即行でブロックした。
 ――何よ! 他人事だと思って!
 慰めの言葉を期待していた美央は、また不機嫌モードになる。
 気分転換にテレビをつける。眠い。最近バリカンショックもあり、眠れない日が続いている。
 映画が放映していた。
 ――ちょっと観てみるか。
 暗闇の中、ヒロインらしきブロンドヘアーの美女が、恐怖に顔をひきつらせている。
 ――ホラーかな?
 次の瞬間、金髪美女は牢屋みたいな場所で、長い金髪をバリバリとバリカンで刈られていた。泣きながら。
 ――どひゃあああああぁぁ!
 眠気などいっぺんに吹っ飛んだ。見たくない! 見たくない!
 ――ちゃ、チャンネル変えなきゃ!
 とっさにリモコンを探すが、ない。
 ――あれっ? あれっ?
 周章狼狽しまくる美央を嘲笑うように、画面上、ブロンド美女は丸刈り頭になっていく。
 ――うわっは〜!!
 美央は目をつぶった。しかし、ヴイイイン、ヴイイイン、というバリカンの音が耳に入ってくる。現実から逃げるな、お前も近いうちに同じ目に遭うんだぞ、と言わんばかりに。
 たった1分にも満たないシーンだったが、美央の精神状態をドン底に叩き落すには十分すぎるほどだった。
 ――アタシももうすぐ、こんなふうに・・・か、考えたくないっ! 考えたくないよっ!
 リモコンはティッシュの陰にあった。
 だが、時すでに遅し。
 美央はすっかり虚脱して、死んだ魚のような目で、それでもなんとかチャンネルを変えた先のバラエティ番組をぼんやりと観ていた。
『美川ケンイチさんはね、こうやるんですよ』
と物真似タレントの芋コロッケが歌手の顔真似を、出演者に指南している。
 スタジオから笑いが起こる。
 でも美央は笑えずにいた。


   (3)妹よ

 美央はロングヘアーに非常にコダワリがある。
 今日日珍しく、染めもせず、パーマもあてず、黒髪のストレートロングだった。しかも、腰下まで伸ばしている。
 歴女の美央は古の姫君たちに憧れ、似たような髪型を目指した。
 本当は地にひきずるくらい伸ばしたいのだが、流石にそれは思いとどまった。
 けれど、かなり理想形のヘアースタイルだ。
 同性や異性問わず羨む者、褒める者は多かった。女性として、美央の自尊心は満足したものだ。
 たまに自尊心を満足させない者もいた。
 少し切ったら、とか、染めたら、という彼氏や友人がいて、しかし美央は一切耳を貸さなかった。
 あまりしつこくすすめてくる彼氏とは別れ、友人とは距離をおいた。
 だが、伏兵がいた。

 僧衣が届いた。
 前々から注文して、法衣屋に仕立ててもらっていたものだった。
 父母にせっつかれ、浮かない気分で袖を通す。
 そんな気分が外見にも影響するのか、
「似合わないなぁ」
 僧衣姿を鏡で確かめ、美央は首をふる。「着られている感」が半端じゃない。
「段々と馴染んでいくさ」
 父は鷹揚としたもの。
 すると、
「やっぱりお姉ちゃん、髪切るべきだよ」
と筑紫が言い出した。
「ロン毛に袈裟が似合うわけないじゃん。お姉ちゃん、髪切りなよ、いや、絶対切るべき!」
とお節介を焼く妹に、美央はげんなりする。
「袈裟にはやっぱ坊主っしょ。お姉ちゃん、いつまでも未練がましくロン毛にしてないで、もうそろそろ坊主にすべき!」
「筑紫、黙れ」
 しかし、筑紫は黙らない。
「坊主がイヤなら、せめてショートにしなよ。ベリショ! ベリショにして寒さに慣れといた方がいいって。さっさと髪切るべき!」
「べきべき五月蝿いよ。ベッキーって呼ぶぞ」
「まあ、筑紫の言うことにも、一理ある」
と父は妹の肩を持つ。
「行に入る直前にいきなり坊主頭にしたら体調を崩す恐れがあるからな、早めに丸めて慣れておいた方がいい」
「いいってば、まだ大丈夫だってば」
 美央にとっては、面白くない話の流れになる。
 ――筑紫め・・・。
 彼氏や友人ならば遠ざけることができるが、一つ屋根の下で暮らす身内を遠ざけるのは物理的に不可能だ。
 彼氏や友人たちの場合は「善意」から断髪(や染髪)を勧めたのに対し、筑紫は姉が困惑するさまが楽しくて、断髪を口にするから、タチが悪い。
 バリカンを持って現れ、
「お姉ちゃん、まだ坊主にしないのォ〜? 筑紫、坊主になったお姉ちゃん、早く見たいなぁ〜」
と猫なで声で近づいてきて、
「ちょ、ちょとォ〜、やめてよ〜」
と美央が嫌がって顔をしかめると、嬉しそうにしている。
 この間、
「お姉ちゃんが修行に行く前に、モキュバーガーおごるよ。お姉ちゃん、モキュ好きでしょ?」
と珍しくご馳走してくれるというので、雨でも降るんじゃないか、と訝りつつも、連れ立って外出したら、店内で、
「しかし、お姉ちゃんが尼さんになるなんてね〜。アタシ、まだ信じられないよ」
とか、
「お姉ちゃんもいよいよ丸坊主かぁ〜」
とか、わざとらしくでかい声で、詠嘆してみせ、お陰で周囲の熱い、あるいは冷ややかな視線を一身に集めてしまった。
 居たたまれず、そそくさと店を出た。
 運の悪いことにその帰路、
「美央ちゃん!」
「あ、ミッキー!」
 高校時代の元カレに遭遇してしまった。
 髪、ボブくらいに切ってみれば、と勧められて、すぐにフッた相手だ。
「元気?」
とギコちなく二、三会話を交わす。
 ミッキーは言いにくそうに、
「美央ちゃん、尼さんになるんだって?」
「うん」
 美央は無理して笑顔をつくる。
 ミッキーはさらに言いにくそうに、
「じゃあ、髪も・・・」
「うん、切るよ」
 明るいトーンで手をチョキにして、髪にあててみせる。「切る」という表現も、鋏のジェスチャーも美央の悲しい虚栄だ。
「まあ、間もなく――」
と筑紫が割って入ってきて、手をグーにして、姉の髪にあて、
「ウィーン、と丸坊主です」
とバリカンで刈る真似をしてみせたら、
「プ」
とミッキーはつい吹いてしまっていた。あわてて、
「あ! ご、ごめん」
と謝ってくれたが、
「・・・・・・いいよ、別に・・・」
 美央は憮然としていた。

 筑紫の「姉イジリ」はエスカレートしていく。
 ステージはネットにまで及ぶ。
 実家の寺のHPの作成や管理は全て筑紫が担当している。
 というか、他の家族や檀家衆は全くノータッチで覗きすらしない。訪問者は月に10人程度だ。
 それをいいことに、筑紫は「これから尼さん」という新しいページを立ち上げた。

『我が寺の長女の美央(24歳)が寺の後継者として尼になる為、今春より修行に出ます』

と姉の写真を複数、デカデカとアップした。編集して、「頭丸めま〜す」「立派な尼さんになります!」と言っているフキダシを写真にコラージュした。
 それだけでは飽き足らず、美央のページのアドレスを、国内最大のネット掲示板22ちゃんねるの「尼さん好きな人集合せよ!」というスレッドに貼った。

『これはノーチェンジ!』
『いや、チェンジだろwww』
『この長い髪を剃るとこを想像したら起っきしてしまったお(^ω^)』
『早く尼さん姿が見たい。できれば剃髪式の様子も見たい。』

・・・とかなりの反響があった。
 美央の名前と存在は全国の尼さんマニアの間に、一夜にして広まったのだった。

 さらに、筑紫は暴走、Yahee知恵袋で、

『姉を今すぐ丸坊主にさせたいのですが』

と不特定多数のユーザーに助言を求める始末。

『実は姉が尼僧になることになりました。これから修行に出ます。勿論頭も坊主にします。バリカンも購入済みです。
しかし姉は一向に髪を切ろうとしません。
修行直前に頭を丸めたら風邪をひくなどして、身体を壊してしまう恐れもあるので、「今のうちから坊主頭にして耐性をつけておいた方が良い」と家族は説得しているのですが、姉は意固地になって髪を伸ばし続けています。
私としてはとても心配です。
姉に早めに剃髪してもらうにはどうしたらいいでしょうか?』

 複数の回答の中から、筑紫がベストアンサーに選んだのは、

『尼僧になるのに長髪で粘っているなんて、不甲斐ないお姉さんですね。
せっかく妹さんはじめ家族の方が心配してあげているのに、部外者ながら腹立たしいです。
こうなったら最終手段として、無理やり押さえつけてでも坊主にしてしまうのも、アリかな、と思います。
坊主頭になったらお姉さんの覚悟も定まるのではないでしょうか。
修行に行かれるそうですが、お姉さんの甘ったれた根性をビシビシ叩き直してもらいたいものです』

という美央に容赦なく厳しい回答だった。
 この回答をプリントアウトして、
「お姉ちゃん、これが世間の声だよ〜」
と筑紫は苦りきる姉に突きつけていた。

 今日も今日とて、バリカンの箱を携え、
「お姉ちゃん、修行までもう後2週間だよ? もう坊主にすべきだよ! しようよ!」
「うるさい、うるさいっ」
 美央はロングヘアーを翻し、妹とバリカンから逃げ回っている。


   (4)セッちゃん

 ネットは便利だ。
 ネットは素晴らしい。
 ひと昔前だったら絶対出会えなかった人と出会い、繋がっていられる(出会いたくないヤツと出会ってしまう場合もあるが)。
 ネットのお陰で、美央は自分と同じ寺娘たちと知り合うことができた。
 中でもセッちゃんとは無二の仲良しだ。
 セッちゃんは寺の一人娘、美央と同い年だ。
 隣県に住んでいるので、一緒にご飯を食べたりする。
 セッちゃんは整った顔立ちで、背も高く、モデルみたいだった。
 モツ鍋や鉄板焼き、フレンチなど美味しい店に詳しくて、美央はよくその恩恵に預かったものだ。
 セッちゃんもこの春、出家する予定だ。
 美央とは違って、本人の強い意思で出家を決めた。
 セッちゃんが尼さんになると知り、
「セッちゃんはスゴイなあ」
 美央は手を叩いて褒めた。
 内心、
 ――変わってるなぁ〜。
と思った。自主的に尼を目指すなんて、当時の美央には到底理解できなかった。
「美央も尼さんになれば? 親孝行にもなるよ」
とセッちゃんは冗談めかして誘ってきたが、
「アタシは無理!」
 美央はブルンブルンと首を横に振った。
「尼さんとかマジ考えらんないよ〜。無理、絶対無理!」
 首をすくめ、遠慮申し上げた。自分の未来も知らずに・・・。

 翌年、美央も出家が決定。
 正月早々の美央の出家報告tweetに、

『ワ〜イ、仲間ができたぞ〜\(^o^)/』

とセッちゃんは大喜びしていた。
 Twitterで坊主や修行についてネガティブな発言を繰り返す美央に、

『辛いよね。でも頑張ろうよ! 桜の季節にはお互い、スッキリした頭になろうねd(ゝc_,・*)』

と呟き返していた。
 ハッパをかけられ、美央は余計に意気消沈する。
 セッちゃんのtweetは出家に対して、前向きだ。
 お坊さんや仏教学者のtweetをしばしばRetweetしてたりする。仏教が心底好きなのだろう。
 剃髪についても、

『坊主になるの、かなり楽しみです(*´∀`*)』

とむしろ嬉しがっている。
 ――変わってるなぁ〜。
とやっぱり思う。自分とは精神の出来が違うみたいだ。

 そして、美央の許に僧衣が届いた翌日、セッちゃんから、爆弾tweetが投下された。

『剃髪なう』

 ――うわあああぁぁぁ〜! セッちゃん、ついにやっちゃったかああぁ〜!
 流石、セッちゃん、早々に頭を剃ってしまった。
 しかも、画像つき。
 怖々クリックしたら、パッとスキンヘッドに変身したセッちゃんの画像が、視界に飛び込んできた。合掌ポーズだ。ツルツルの頭が電灯にあたって、テカテカ光って、神々しい。
 長い髪の頃はモデルっぽかったが、坊主になっても美人はやっぱり美人だ。しかも、なんとなく有髪のときより艶かしく見える。見事な尼僧ぶりだ。
 ――美人はいいよなあ。
と妬ましい。
 ――アタシが坊主にしたら、珍念だよォ・・・。
 断髪に対し、ますます腰が引ける。

『千円カットの床屋さんでやってもらいました』
『頭が寒いですwww』

とセッちゃんは呟く。
儀礼上、スルーもできず、

『すごい似合ってるょ〜(*´ω`*)』

とリプしたら、

『次はmioの番だよ〜(笑)期待してるよ( ´艸`) 坊主画像もアップしてね♪』

   ――うわあぁ〜!
 以後、セッちゃんは渋る美央に、しきりに断髪を促すリプを飛ばすようになった。

曰く、『坊主快適だよ〜d(≧∀≦)b 楽チンすぎるwwww mioも早く坊主にしなよ〜m9っ( ̄ー ̄)』
曰く、『mioもそろそろバリカンの時期でしょ(* ̄m ̄)』
曰く、『カラオケに行く暇があったら、さっさと髪を切りなさい(`・ω・´)』

 通過儀礼を万端済ませた者と済ませずにいる者、両者の間にヒエラルキーが生じる。
 セッちゃんはどんどん上から目線で絡んでくるし、美央は親友に対し卑屈になる。
 内には筑紫、外にはセッちゃん。
 苦境に立たされる。

『坊主にしたら寒い! ニット帽が手放せない。mioもニット帽用意した方がいいよ〜』

とのセッちゃんのアドヴァイスに従い、ニット帽を買いに、ファッションショップに足を運ぶ。
 あれこれ試着してみる。
「今こういうクラシカルなのが流行ってるんだよね〜」
と頼みもしないのに、店員(♀)が寄ってきて、色々セールストークしてくる。
「こっちのシンプルなタイプも結構人気あるのよね」
「そうですねぇ」
と帽子を選んでいる、この超ロングヘアーの女性客が坊主対策のため、ニット帽を買い求めんとしているとは、店員、夢にも思うまい。
「これなんか、お客さんみたいなロングの髪に似合いますよ」
とプッシュされ、
「はあ、そうですか・・・いいですね・・・」
 美央はションボリと、無駄に高くて無駄にオシャレなニット帽を買わされたのだった。


   (5)帽子の中

 ついに来るべきときが来た。
 修行まで三日を残した小春日和の午後だった。
 漫画に没入して、現実逃避していた美央は、父の呼ぶ声で、裏庭に面した濡れ縁に顔を出した。
 すでに断髪の支度は整えられていた。
 美央が、ミヤビとキョウヤの恋の行方に夢中になっている間に、バリカンの充電も完了していた。
 美央は往生際が悪い。この期に及んでも、
「坊主イヤだよォ〜」
と愚図愚図ゴネていた。
 しかし、
「いいから座れ」
と強引に縁先に引き据えられた。
 首に散髪用のケープを巻かれ、
「ホント?! ホントにやるの?!」
 すっかり取り乱している。
「当たり前だろう」
と父は握ったバリカンのスイッチを入れる。
 ヴイイイイイィィン
 『お家で床屋さん』(充電式・水洗いOK・4980円)が唸りをあげ、額の髪の生え際に、
 ジャッ
と突き刺さる。
 美央はおぼえず、ギュッと目を閉じた。
 ――いよいよ珍念になるか?!
 バアアアァァッ、と前髪が裂けた。
 ジャジャジャアアアアァァァ〜〜
とホームバリカンは泥濘の中を疾走するモータースポーツマシンの如く驀進し、美央の髪を掻き切った。
 生まれて初めて髪に接触するバリカンの衝撃に、
「ひっ」
 小さな悲鳴が口からこぼれた。
 バリカンは唸り続ける。
 また前頭部に挿し込まれる。
 髪が剥ぎ取られる。
 ジャアアアァァァァ〜〜
 バササッ、バササッ
 長い髪がケープに落ちる。
「坊主イヤだよォ〜」
 美央は泣きベソをかく。
「いい加減、覚悟を決めろ」
 ヴィイイイイィィィン
 三度目のバリカンが這い入る。
 四度、五度、とバリカンは前頭部を直進して、すっかりトラ刈りになった。
 バリカンの破壊力に舌を巻く。
 あまりの事務的さに涙も引っ込んだ。
 スマフォを取り出し、Twitter上で自分の断髪を実況する。

『丸刈り中』

『バリカンすげー(゚∇゚ ;)』

 ピンポーン・・・ピンポーン・・・
 玄関のチャイムが鳴った。来客らしい。
「誰かしら?」
 娘の断髪に付き添っていた母が応対に出た。すぐにアタフタと引き返してきて、
「お父さん、芝崎さんがみえられたわよ」
と父に告げた。
「芝崎さんが?」
 ヴイイイィン、ヴイ・・・
 父はバリカンのスイッチをきった。
 芝崎さんは檀家総代だ。
 現在、寺のことで父とトラブっていて、父は腫れ物に触るように、芝崎さんの機嫌をとっている。
 父はあわて気味に、
「一旦、中断するよ。部屋に戻っていなさい」
と一方的に娘に言い置くと、大急ぎで母と二人、応接に向かった。
「ええ〜?! ちょ、ちょっと待ってよ〜!」
 トラ刈りのまま置き去りにされて、美央はオロオロする。
 ――え? え? ウソ?! ウソでしょ?!
 呆然となる。
 頭頂に手をやる。怖々触ってみる。
 ジョリ
という感触が指先に伝わり、
「ひゃっ」
 とっさに手を引っ込める。
 ケープを外し、部屋に駆け入った。
 見たくない、見たくない、と思いながらも、怖いもの見たさに背中を押され、そーっと鏡台の前に座る。
 ――うげえぇぇぇ〜!!
 前頭部が無残にも刈り散らされていた。
 ――これじゃ、落ち武者だよ〜!
 歴女としては、明智光秀あたりを連想してしまう。
「おのれ、羽柴筑前!」
とか光秀になってみる。
 が、歴史ロマンに浸っている場合ではない。
 すぐに、買ったばかりのニット帽をかぶった。丸刈りの部分が隠れ、ホッと胸を撫でおろす。
 そこへ、
「美央」
 母が顔色を曇らせながら、部屋まで来た。
 申し訳なさそうに、
「ちょっと、宝船屋に行って、羊羹を買ってきてくれない?」
「ええ〜ッッ?!」
 美央は目を皿のようにして仰天する。
「今、お菓子切らしちゃっててね、芝崎さんの大好物なのよ、宝船屋の羊羹。芝崎さんとは、込み入った話になりそうでね、お母さんも家を出れないのよ〜」
「そんなこと言われても・・・この頭じゃ・・・」
「帽子かぶってるから大丈夫でしょ。はい、これお金。お願いね」
 ――ちょっとォ〜! 勘弁してよ〜!

 スクーターを駐輪場にとめ、駅前を歩く。
 ドキドキする。
 地に足が着かない心地だ。
 傍から見れば、どこにでもいるニット帽を目深にかぶったロングヘアーの女の子。
 しかしニット帽の下は落ち武者ヘアー・・・。
 ――こんなスリル、全然いらないから!
 刈り込まれた坊主の部分が、毛糸とチクチクと触れ合う。
 どうしても挙動不審になってしまう。
 宝船屋の主は買い物にやって来た美央を、上機嫌で迎えた。
「いらっしゃい、美央ちゃん! 久しぶりだね」
「ど、どうも」
「相変わらず長くて綺麗な髪だねえ」
 主はロングヘアー愛好者で、昔から美央の長い髪のファンだった。
「そ、そうですか?」
 美央はひきつった笑みを浮かべる。無意識に、ニット帽をさらに目深に引き下げた。
「ウチの十和子(主の娘・高校生)も、美央ちゃんの長い髪羨ましいって、いつも話してるよ」
「そ、そうですか? う、嬉しいです・・・」
「十和子、最近髪短くしちゃってさ〜、さみしいんだよね。また髪伸ばすように、美央ちゃん、それとなく十和子に言ってやってよ」
「いや〜、それは〜・・・皆それぞれ事情があるんだろうし・・・」
「やっぱり女の人は長い髪が一番だよ、美央ちゃんみたいに」
 主は知らない。
 彼が愛している美央のロングヘアーが、今日中に一本残らず、頭から除去されることを。
 そして、今現在、羊羹を買っている美央のニット帽の中身は、すでに坊主刈りだということを。
「オシャレな帽子、かぶってるね」
 ギクリ、とする。
「ははは・・・そ、そうですか?」
「オジサンも毛糸の帽子かぶることあるけど、脱いだら天辺の髪の毛がペッタンコになっちゃうんだよね」
「そ、そうなんですよねぇ」
 ペッタンコになる天辺の髪は、もはや存在しない。
 美央は逃げるように店を後にした。

 寺に戻ると、芝崎さんはすっかり酔っ払っていた。
 墓地のトラブルの件で、いきり立って乗り込んできて、挙句には、酒出せ、とかワガママ言って、すっかり出来上がってしまったらしい。
「和尚さんよォ、檀家に一言の相談もなくヒドイじゃねえか」
と散々クダを巻いている。
「すいませんねえ」
 こちら方にも非があるので、父も低姿勢だ。それをいいことに、芝崎さんはますます嵩にかかって、父を責め立てる。
 せっかくの羊羹も、
「酒に甘いものは合わない」
と見向きもしない。
 ――おいおい・・・。
 何のために、あんな恥ずかしい思いをして買ってきたのだろう。美央は憤懣やるかたない。
「お嬢」
 芝崎さんの絡み酒は美央にまで飛び火する。
「部屋の中で帽子をかぶって客に応対するなんて、礼儀がなってないぞ」
「いえ・・・これにはちょっと事情がありまして・・・」
「帽子をとれ、帽子を」
「それは・・・ちょっと・・・勘弁して下さい」
「いいから帽子とれ! 無礼だろうに! どんな教育を受けてるんだ」
「いや・・そのォ〜・・・」
「帽子をとれ!」
「いや〜、ちょっと・・・あの〜ですね・・・」
「帽子をとれって!」
「わかったよッ!」
 美央はついにブチ切れして、頭からニット帽を剥ぎ取った。
 現れた尼さんなりかけの美央の髪に、芝崎さんは毒気を抜かれ、沈黙した。
 やがて、おずおずと、
「そういうことなのね」
 事情を察したらしい。
「こういうことです」
 美央は丸刈りの部分を、芝崎さんの鼻先に突きつけ、ジリジリと指でこすってみせた。
 芝崎さんはそれまでの威勢はどこへやら、すっかり酔いも醒め、シュンとなってしまい、
「いや〜、跡取りもできて、うちの寺もこれで安泰だねえ」
と気弱く追従笑いなんかして、結局、父とも和解したらしい。これも、坊主効果・・・なのか?


   (6)尼将軍

 芝崎さんも退散し、ようやく断髪再開。
 こうなってしまうと、
 ――さっさと坊主にしちゃってぇ〜!
という気持ちだ。
 父はトラブルも一段落して、機嫌よくバリカンを走らせる。
 ヴイイイイイィィィン
 バリカンも父の上機嫌が伝染したらしく、モーター音を四方八方に轟かせて働く。
 ジャアアアァァァ
 モミアゲにブルブルとバイブレーションを感じる。バイブレーションはツムジに向け、上へと遡っていく。
 サイドの髪が一気にバリカンに持っていかれる。持っていかれ損なった髪は、頬にひっかかる。ケープから手を出して、頬にひっついた髪を払う。
 髪はバリカンの刃を伝い、ズルズルと瀑布の如く雪崩落ちていった。
 髪がどんどん伐採されていき、頭がみるみる剥きあげられる。
 そのさまに、いつしか小気味よさをおぼえる美央がいた。
 やるべきことをやって、せいせいした心持ちだった。
 スッキリと軽くなる頭。
 クッキリと開ける視界。
 ハッキリと頭皮に感じる外気。
 未知の世界に突入していることを、肉体が感受する。
 そして、ジッとうなじにあたるバリカンの温かさ! 後頭部がキャッチする機械的振動!
 父はヒップまで届きそうなバックの長い髪を、一束、二束とバリカンで摘んでいく。巧みで豪快な手さばきに力強さと頼もしさをおぼえる。
 父の息が首筋にあたる。
 お父さん子の美央はドキドキと、胸をときめかせる。
 そこへ、
「ああー!」
とデカイ声。
 筑紫が立っていた。
「筑紫、どうして?!」
「サークルの合宿じゃなかったのか?」
「うん。でも、お姉ちゃんが坊主になるトコ見たくて、居ても立ってもいられなくて、途中で帰ってきた」
 ――いやな妹だよ。
 美央はため息を吐く。
「やっぱり帰ってきて正解だったよ〜。危うくお姉ちゃんの断髪式、見逃すところだった」
と筑紫は丸刈り中の姉をためつすがめつして、
「お姉ちゃん、ガッツリ刈られてるねえ」
とニンマリ、早速スマフォで美央の写メを撮り始める。
「撮らないでよッ!」
 美央は顔を真っ赤にして抗議する。
「いいじゃん」
 妹は涼しい顔で、
「女子が坊主になる画像なんて相当レアだよ。しかも超ロングから一気に丸坊主って、どんだけお宝画像なのよって話だよ」
と今度は動画で、美央のヘアカットを撮影し出す。
「後でニコ動(ニコヤカ動画)にあげるからね〜」
と言いつつ。
「やめて! やめてぇ〜!」
 美央は哀願する。そんな羞恥プレイ、耐えられない。中世の出家女性のロマンから、果てしなく遠ざかっているぞ。
「ホラ、美央、動かない」
と父。
「筑紫もお姉ちゃんをからかうんじゃない。お姉ちゃんはお寺や家族のために、こうして頭を刈って、修行に行くんだからな」
 たしなめられて、筑紫は、
「わかってるって・・・でも、二年間、就職決まらなかったお姉ちゃんも悪いんじゃないの」
 ボソリと呟きながら、撮影を続行する。
 ――筑紫、ムカつくぅ〜!
 筑紫の登場は、せっかくポジティブになった美央の気持ちを、ふたたびグラつかせた。
「坊主イヤだよォ〜」
「許せ、美央。恨むなら就職難のご時世を恨め」
 美央の頭にしがみつくように残っている数筋の髪は、バリカンの刃によって鎧袖一触、根元から跳ね飛ばされる。
 後頭部も瞬く間に、芝生のように刈り詰められていく。
「お姉ちゃん、珍念になっていってるよ〜」
 筑紫はニヤニヤと姉の情けない有様を、動画に収めている。
 後に美央に無断でニコヤカ動画にアップされた、この動画、

『タイトル・珍念誕生
 説明・うちの姉が出家するため、丸坊主になりました』

は、かなりの再生回数を叩き出した。

『女が坊主ってwwww』
         『コレ何の罰ゲーム?』
   『尼さんになるのも大変だね』
『そこそこカワイイのに勿体ない・・・』
           『ごめん、なんか笑えるwwwww』
  『女子プロレスの髪切りマッチ思い出したw』

・・・と無責任なコメントが寄せられた。
 美央のトホホな断髪模様は全国津々浦々に発信されたのだった。

 全ての髪が刈り落とされた。
 耳に、首に、肩に、背にいつもサワサワと触れていた髪の感触がきれいさっぱりと消えた。
 あまりの頭の軽さに立ちくらみさえした。物心ついてから一度も、こんなに頭が軽く思えたことはない。無重力空間にいるみたいだ。
「寒っ!」
 頭の寒さもハンパじゃない。
 美央は思わず頭をさする。摩擦熱で頭を温めようと、強くこすり回す。
 ザリザリ、という手触りが心地よく、でも、
 ――これでアタシ、もうフツーの女の子じゃなくなっちゃったんだな・・・。
 激しい喪失感に襲われる。
 けれど、
「お姉ちゃん、フケが飛んでるってば」
 筑紫の無神経な指摘に、乙女らしい感傷も粉砕された。頬がまた朱に染まる。
「坊主頭にすれば、フケが出るのもしょうがない」
と父はフォローしてくれたが、
 ――おのれ、筑紫ィ〜。
 恨めしい気持ちで坊主頭を撫でる。アンタがお気楽に学生生活を送れているのも、アタシがこうして「人柱」として、寺を守ると決意したからじゃないか!
 怒声の代わりに、
「ヘックション」
 クシャミが出た。
 北条政子も初めて頭を剃ったときは、こんなふうにクシャミをしたのかな、などと考えてしまう歴女脳が自分でも怖い。政子が出家した日付は旧暦の1月28日だから、まだまだ寒い時期、今の自分みたいに、さぞ頭が冷えたことだろう。
 ――こうなったら、いっそ尼将軍レベルの尼さんになるかな。
ナンテ不相応な野望をたぎらせたりもする。

切った髪はまとめて、ご本尊様にお供えして、修行の無事を祈った。翌日には躊躇なく捨てられていた。
「捨てるか、フツー?」
と美央は長年のトレードマークの扱いに不満顔だったが、
「取っておいてどうするのさ?」
と言われれば、反論もできず、ゴミ袋に押しこまれる骸を、見送るのみだった。

 鏡にうつる自分に、誰?!と一瞬ビックリする。
 有髪の頃の癖で、無意識に髪をかきあげようとして、ジョリッ、と指が坊主頭に触れ、ドキッとなる。
 心臓に悪いヘアスタイルだ。

『坊主頭になかなか馴染めない。。』

とtweetする。

『段々慣れるよ(^0^)』

とセッちゃんから楽天的なリプが来た。

『坊主画像ヨロ(^○^)/』

とせがまれたが、あまり公開したくない。


   (7)お稽古

 丸坊主になった翌日、切り髪も処分され、浮かない気分で、自室でグダグダしていたら、
「お〜い、美央、洗面所まで来なさい」
と父に呼ばれた。
 今日は何だ?と物憂いが、階下へ降りる。
「何、お父さん?」
「これからバリカンで自分の頭を刈る練習だ」
 セルフカットの技術を身につけよ、という。
「なんで?」
「“なんで?”って、お前、修行先で頭どうするつもりなんだ?」
 父は呆れ顔で、練習の趣旨を説明する。
 修行中は、「じゃあ皆さん、2時から3時までは剃髪の時間なので、お願いしますね」・・・なんていう計らいは間違ってもない。
 ビッチリ詰め込まれたスケジュールの合間を盗んで、わずかな時間で手早く髪をカットしなくてはならない。他人頼みにはできない。
 常に規定通りの長さに坊主頭を保たねばならない。
 ちょっとでも怠ると――
「ビンタが飛んでくることだってある」
 ゆえにスピーディーなセルフ散髪のスキルが必要だという。
 昨日は3mmの丸刈りにしたが、今日は自分で2mmに刈ってみよ、と父に命じられ、
 ――うわあ〜。
 クラリ、意識が遠のく。
 しかし、とにかくやらなければならない。
 首にタオルを巻く。
 初めて握るバリカン、意外に軽い。
 鏡の向こうには、直視したくない野球小僧みたいなムサい頭の自分が、不安そうにこっちを見つめている。
 アタッチメントを調節する。
 バリカンのスイッチをONにする。
 ヴイイイイイィィン
 その振動は指に、掌に伝わる。あまりぞっとしない。
 だが、ためらっている場合ではない。明後日からは修行に入るのだ。
 美央は意を決し、バリカンを自分の頭にあてる。
 まずは側頭部を刈る。
 ヴイイイイイイン・・・ジャ・・ジャ・・ジャアアァァ〜〜
 神妙な顔でバリカンを走らせる。
 が、
「あれ? う〜ん・・・あれ?」
 ぶきっちょな美央は短い毛を何度も刈り損ない、
「あれ? もォ〜、ちょっと・・・あれ? あれ? う〜ん、ムズいなぁ〜」
 丸刈り頭を縦に横に傾け、悪戦苦闘している。
 ヴイイイィィィン・・・ジャジャ・・ジャジャジャ・・・
 鏡の中、鹿爪らしい顔で、坊主頭をバリカンで引っ掻きまわしている自分の姿が、なんとも滑稽に映る。
 つい数ヶ月前には、0・1秒たりとも想像すらしなかった現在。
 父は娘の不器用さに焦れ、
「こういうこともあるから、だから早めに頭を丸めろと言ったんだ」
とこぼしていた。
 筑紫は呼びもしないのに、チャッカリ姉の傍らに寄り添って、
「お姉ちゃん、そこ、右、右が全然刈れてないよ」
とコーチしてくる。
「え? どこ? どこ?」
 美央は懸命にバリカンを頭に滑らせる。
 ジャジャジャ・・・ジャ・・ジャアアァ・・・ジャ・・
 真剣になればなるほど、間が抜けて見える。
「プププ」
「笑うな、筑紫!」
「美央、いいから散髪に集中しなさい」
「わかってるってば」
 ヴィイイイイィィィン・・・ジャジャアァァ・・・ジャ・・・ジャ・・・ジャジャ・・・
 ――何やってるんだろ、アタシ・・・。
 青と黒のストライプ状の頭に、バリカンをスライドさせながら、我に返る。
 昨日までは、異性の気を引き、同性には羨ましがられた長い黒髪の所有者だったのに、今では坊主頭を保持するため、必死でバリカンを動かすハナタレ尼僧。最悪だ。

 見かねた父と筑紫が手伝ってくれて、ようやく2mmの坊主になれた。
「夕方また練習するぞ。次は1mmな」
 ――うえ〜。
 辟易するが、もはやセルフバリカンをマスターするより他に道はない。
「お姉ちゃん、ガンバ、ガンバ!」
と筑紫に上から目線で2mm頭に掌をのせられて、ああ、この先毎日、こうやって頭のお手入れをする生活が、手ぐすね引いて待ってるんだなあ、と胃がキリキリ痛んだ。
 ――修行が終わったら――
 坊主頭に袈裟姿で義仲寺に参詣しようと思う。
 義仲様の墓前にお経を手向けよう。
 実は義仲寺には、もう一人、日本史上のビッグネームの墓がある。
 俳聖・松尾芭蕉だ。
 美央と同じく義仲ファンだった芭蕉の遺言で、弟子たちが義仲の墓の隣に師を埋葬したのだ。
 そんな芭蕉に、

 木曾殿と背中合わせの寒さかな

と弟子の又玄(ゆうげん)が一句を手向けている。
 美央も俳人モードになる。
 あれこれと、五・七・五をひねくり、Twitterに書き込む。自虐的な句が次々と浮かんだ。

『職就けず 頭は寒し 寺娘』
『中世の 浪漫虚しく 珍念に』
『バリカンの 跡生々し 尼姿』
『超ロング 全部刈ったら 寂聴似』


(了)





    あとがき

 どうも♪♪迫水です!
 このお話は自作のイラストを元に書きました。
 れいによって長いです。普通、長いお話は「結果的に長くなってしまった」というものなのですが、今回初めて「長いの書くぞ」と確信犯的に書きました。「ネチネチと書くぞ〜」と(笑)長いストーリーってかなり偏執的になりがちです(汗)
 ネットツールを活用するヒロインというモチーフは、以前、発表させて頂いた「沙羅双樹、畢生の傑作」と似てるように思います。「沙羅双樹」はブログで今作はtwitter。当時を思えば隔世の感があります。twitter、長文野郎の迫水には不得手なツールです(汗)ゆえにノータッチです。しかし、今回、色々調べて(?)、twitterならではのリアリティというか、臨場感というか、そういったものが伝われば嬉しいなあ、と思っています(^^)
 あと、今作もそうですが、ここ数年、「麻子の場合」「恋ノ極地」「このアタシがマイバリを持つ」「刮目して見よ」と迫水作品の中で繰り返される「サエない文科系寺娘が跡を継ぐため、黒髪のストレートロングをバリカンでバッサリ(大抵生意気な妹がいる)」というモチーフは、完全に個人的な趣味です(笑)こういう娘の剃髪に萌えるんですね。「理想の女子」です(^^)今後とも追求していきたいなあ、と思っています。
 最後までお読み下さりありがとうございました♪♪




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FX
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