作品集に戻る


地獄の一丁目で恋に落ちなかった話


 今年のG学院は尼僧の新入生が多いらしい、との情報(ソースは明かせない)をキャッチした俺は、早速、Y山に急行した。
 残念ながら、休暇がとれたのは、学院入学式の前日、たった一日だけ。仕事やめようかな〜。
 とりあえず、G学院付近の床屋の入り口が見えるサ店で、朝からコーヒーをおかわりして粘る。張り込みの刑事のように。
 素人(なんだ、それは?)ならば、入学式当日を狙うだろうが、前日の方がむしろ狙い目だ。
 入学当日になって床屋の世話になる連中は、実は少ない。モタモタして入学日早々、遅刻したら、悪名高い鬼の棲家、どんなメにあわされか、わかったもんじゃないからだ。
 遠方からの新入生は、家族とともに、入学式前日、郷里を出発して、学院のそばに一夜の宿をとる。入試みたいなものだ。
 たいていの駆け込み剃髪組は、宿についてすぐ、翌日に備え、地元の床屋に直行する。
 その「尼さんの一夜漬け」が漬けあがる現場に、是非立ち会いたい。本気で見たい。思いあぐねて幾星霜、ついに実行に及んだ俺である。

 サ店のウインドー越しに床屋の入り口を見張る。

 待ち人来たらず。男ばかりだ。

 女だ! 女が来た。  サビサビの金髪にヤマンバメイクのコギャル風の娘。まだ、こんなのが生息しているとは・・・。
 G学院には明らかに不釣合いで、とても新入生には見えないが、作務衣を着てる。間違いない! 明日、入学する女子院生だ。
 母親らしき年配の女性に付き添われて、ふくれっ面で床屋に入っていく。
 扉をくぐる前、チョーやだ、とヤマンバギャルの唇が動いた。
 突入するか?
 いや、まだだ。
 もっとマシな女が光臨するかも知れない。それに家族と一緒では、接触(する気かよ!)が困難だ。チャンスは一回きりしかないのだ。

 50分後。
 ぼんやりコーヒーをすすってると、床屋から二つの人影が出てきた。
 一瞬、誰かと思った。
 付き添いの母親のおかげで、かろうじて先刻の娘だとわかる。
 クリクリ坊主にされたうえ、「新入生サービス」だろうか、ヤマンバメイクをきれいに拭き取られ、すっかり「小坊主さん」に変貌していた。
 ベソをかいていた。
 入店前のふてぶてしい態度は鳴りをひそめていた。新米尼はベソをかきながらも、捨てられかけた犬のように、母親にくっついて、俺の目の前を歩き去っていく。まだ実感がわかないのか、何度も新鮮な坊主頭に手をやりながら。
 う〜む。この元ヤマンバ小坊主も、チョー体育会系の学院で、みっちり学問作法を仕込まれて、やがて、自らの頭を自らの手でゾリゾリ剃りあげるような、タフな尼僧となるのだろう。で、悟りすました顔で「人生は一生が修行、全てはわが師」とうそぶきつつ、学舎を卒業することだろう。合掌。

「できたて小坊主」と入れ違いに、また作務衣の女が現れた。すごい美人だ。
 よっしゃ! と勢いこむが、美女はすれ違った小坊主に、自分の恐るべき未来を重ねたらしく、かなりビビッた様子で、そそくさと床屋の前を素通りして行ってしまった。
 なんだよ。
 おぼえず舌打ち。
 バカだね〜。今日逃げたところで、難題はまた明日、持ち越されるだけなのに・・・。
 まあ、明日がんばってね、とおざなりなエールを送っておく。
 せっかく高い交通費使って出張ってきたのに、収穫がヤマンバのビフォー&アフターだけかよ。しっかり写メに撮ったけど。

 なかなか女はこない。

 タバコを一箱吸ってしまった。何杯目かのコーヒーを注文する。
 はい、と注文を受けた店主が、胡乱臭げに俺を見る。視線に負け、空腹でもないのに、サンドイッチを頼んでしまった。
 ヤバイ。そろそろ勝負をかけないと・・・。
 焦りまくってたら、女!
 おそらく十代後半から二十代前半。大学生くらい。容姿は・・・60点ってトコ。髪、けっこう長い。肩下20センチ。
 女が店に入った!
 本当はさっきの美人が良かったんだけどな〜、どうしようかなあ、と躊躇するが、贅沢は敵だ。
 心の中の機動隊長が警棒をふる。
 突入! 
 運ばれてきてもいないサンドイッチを含めた勘定を支払い、サ店をあとにする。そ知らぬ顔で床屋に飛び込む。カランカラン。

 店内は坊主工房と化していた。
 人生二十五年。こんなに坊主頭が大量生産される現場に遭遇した経験はない。
 さっきの若い女が待ち合い席の隅っこで、小さくなっていた。
 学院指定の作務衣ではなかった。
 ジーンズにパーカー。
 まさか一般人? 早まったか?
 いや、勇み足ではない。
 この時期、こんな小汚い床屋にフツーの女がヘアカットに来るものか。
 だいたいこの女。
 キャップかぶってるじゃん。
 おもいっきり「アフター坊主」の準備できてるよ、オイ。
 どうせ、「坊主頭に作務衣」っていう、いかにもなスタイルで歩いて、道行く人々の「あ、尼さんだ」っていう好奇の視線浴びるのがイヤで、ムダな抵抗をしてるんだろう。
「G学院の新入生の方ですか?」
 と女に声をかける。
「はあ」
 女がうなずく。いきなり話しかけられ、思い切り目が泳いでる。色が透けるように白い。ブスではないが十人並み。雑踏ですれ違っても、どうってことないレベルだが、一重まぶたが涼しげで、妙にそそられる。口元の小さなホクロが白い肌とコントラストをなしていて、色っぽく、地味な顔立ちに、いい感じにアクセントになっている。
 この女性がもうすぐ尼さんに、と思うと、また趣きもちがってくるというものである。
「じゃあ、ボクの先輩ですね」
「そうなんですか?」
「来年、入学予定です」
 嘘八百である。
「どんなカンジの学院なのか、遠くから見るだけでも、と思って、休暇を利用して来ました」
 休暇うんぬん以外は、これまた嘘である。
「実家、お寺なんですか?」
 と向こうが訊いてきた。
「イエ、在家です」
 調子に乗って、ハイ、寺です、なんて言ったら、何処の何という寺か?とツッコまれたりして面倒だ。
「お寺のお嬢さんですか?」
「はあ、一応」
「実家を継がれるんですか?」
「まあ、そうです」
 平凡な容姿にふさわしい平凡な理由だ。
「なんで、わざわざ厳しいG学院に?」
「その〜、親のすすめで」
 流されるままか。だろうな。気概のある尼さんなら、もうとっくに剃髪を済ませて、「臨戦態勢」のはず。入学直前までズルズル有髪の時点で、覚悟の程が知れる。
 気の弱そうな娘だ。ガンガン攻めたら、ひたすら受身になるタイプだ。豊富なキャリアで(失笑)直感した。
「でも女の子が出家なんて、思い切ったね〜」
「そうですか?」
「男なら頭丸めるのも、そんな抵抗ないけど、女の人だとツライでしょ?」
 いきなり核心に迫った質問を投下してみた。
「う〜ん、まあ、キマリですから」
 キマリだから仕方がない、キマリだから仕方がない、キマリだから仕方がない。そうやって自分を納得させようとしてるのが、ありありと伝わってくる。
「でも頭剃るの、イヤでしょ?」
「はぁ・・・まあ・・・イヤですよ、そりゃ」
「憂鬱?」
「・・・うん・・・憂鬱です」
「男の俺だって、来年、頭剃るのかって考えたら、ちょっと感傷的になるもんなあ。剃髪しなくてもいい宗派もあるのにね〜」
 別に来年も剃髪などしないけど。嘘は人生のスパイスだ。俺だけしか美味しくないが。
「でも・・・まあ・・・皆やってることだし・・・」
 けなげなことを言うが、今日まで剃髪を先送りにしてきたという、トホホな事実の前には、説得力も失せようものだ。
 実際、彼女、順番が近づいてくるにつれ、落ち着きがなくなってきている。
「床屋初めて?」
「いや、初めてじゃないですよ。ちっちゃい頃はよく行かされた」
「行かされた」って表現に、「強制的に」「他律的に」というトーンがある。三つ子の魂百まで。育ちというのは恐ろしい。長じてからも、こうして多分に他律的に、床屋の扉をくぐる羽目になってしまう。
 そもそも「幼女の散髪」と「尼さんの剃髪」では、まるで質が違う。尼さんの場合、なくなる髪と残る髪の比率は十:ゼロだ。
「でもバリカンは初めてでしょ?」
「いや、美容院でもシェーバーって使いますよ。産毛剃ったり」
 待て。剃髪とはそんな甘いものじゃないぞ。
 たかが10センチカットした程度で、今日は随分切ったね〜、と勇者扱いされる美容院とは次元が違うのだ。
「ヘェ〜、じゃあ、大丈夫なんだ?」
「イエ・・・その・・・もう心臓、バックンバックンいってます」
 ほらね。本音がでた。
 ちなみに、この会話、しっかり録音されている。
「あ〜、帰りたい」
 一度、本音が出ると、芋づる式だ。
 やれ、本当は有髪の道場に行きたかっただの、やれ、G学院なんかに入ることになったのも自分を嫌ってる継母の差し金だだの、とめどがない。
「義母は私が音をあげて、学院を逃げ出すのを期待してるんですよ〜。ゼッタイそう。それで、異母妹に婿とらせて、寺を継がせるつもりなんですよ」
「大変だなあ、お寺っていうのも」
「マジ勘弁してくれってカンジですよ」
「尼さんなんかになりたくないんだ?」
「うん、なりたくない。もう、泣く泣くってカンジ」
「キレイな髪だもんね〜。勿体ないよ。剃るの勇気いるんじゃない?」
「すんごいコマメに手入れしてたんですよォ。毎月、ヘアサロン通って、ヘアケアしてもらって・・・ああ、切りたくない」
 髪を「切る」という動詞を使う。意識的に「剃る」「刈る」という直接的な言葉を避けているのではないだろうか? 穿ちすぎ?
「そっか〜、もうすぐ坊主かって考えたら、そりゃあ凹むよね〜」
「はぁ」
と彼女が嘆息している間に、また新たな坊主が産声をあげる。
「そっか〜、もうすぐ坊主だもんなあ」
「あの・・・同じこと何回も言わなくていいですから」
 ビビッてる。ビビッてる。

 いよいよ、順番。
 小夜子ちゃん(名前とかいろいろ聞き出した)、理髪台に座る。
 せめてもの救いは、武骨者っぽい店主のオヤジではなく、洒脱そうな、割とイケメンの若い店員の理容師が、彼女の剃髪を担当することだろうか。
 しかし、この若い店員、風邪をひいてるらしい。
 ずっとゴホンゴホン咳き込んでいた。たまりかねたオヤジに
「杉崎、お前、明日は休め」
と言われていた。
「大丈夫ですよ」
「客の新入生が入学早々、風邪でダウンしたらマズイだろう。明日は俺ひとりでやる」
「スンマセン」
 三途の川の渡し守も大変だ。
「学院の新入生だよね?」
とその杉崎サンが安達小夜子、二十歳、6月21日生まれ、A型、大学生(哲学科)、趣味はアロマテラピーと水泳、特技も水泳(地区大会で準優勝の経歴)、初体験は十九歳でバイト先の高校生と、現在の悩みはお経が全然憶えられない―に訊いている。
「ハイ」
「じゃあ・・・やっちゃうよ」
「う〜ん・・・」
 女ってのは、いつの時代も老若男女問わずイケメンに弱い。
 小夜子ちゃんも、ごたぶんに漏れず、杉崎サンに媚びた態度をとる。
「あ〜、ボウズやだな〜」
 などと優しいお兄さんに対するように、甘ったれてゴネている。
「大丈夫だよ。学院に入っちゃえば、みんな坊主頭なんだから」
 杉崎サンは希少な女性客をなだめつつ、ジャキッ、ジャキッ、ジャキッ、と小夜子ちゃんの長い髪に、ハサミをいれていく。
「あ〜」
 小夜子ちゃんは、高所恐怖症の人間が、乗り込んだジェットコースターがガタンと動き出したときののように、体を強張らせ、顔をしかめている。
「一回やっちゃえば済むんだから」
と言って、杉崎サン、でっかいバリカンをとりだす。
 ヴイィィーン・・・ジジジジ・・・
 豪快にトップの分け目にバリカンが当てられ、
 ヴイィィー・・・ザザザザ・・・
 小夜子ちゃんの頭に青い傷跡を刻印する。
 この傷跡はわずかなものだが、小夜子ちゃんにとっては人生最大の衝撃であろう。
 ぬくぬくとした小夜子ちゃんの俗人生活の「卒業制作」がスタートする。
「あ゛〜」
と丸坊主人生への第一歩を踏み出した女が、渋面で、何とも言えない声を発する。

「どうぞ」
 とオヤジが俺に言う。
 小夜子ちゃんの隣の理髪台に腰をおろす。
「学院の人?」
「いえ」
「今日はどうするの?」
「そうだなあ・・・。あんまり短くしないで下さい。毛先揃えてくれれば、いいや。いま、髪伸ばしてるから」
 隣で
「う゛〜」
という恨めしそうな低いうめき声。
 まあ、そりゃ、そうだな。1メートルしか離れていないのに、こっちは天国、向こうは地獄だ。
 隣のバリカンのモーター音が生々しい。「手術中」のランプみたいに「剃髪中」を告げている。音が止んだら、修行尼が一名、この世界に誕生する。
 杉崎サンは見事なバリカンさばきで、修行尼僧製作に没頭している。
 小夜子ちゃんの頭上を占拠してる黒い物体を、せっせと押しどけて、青光りしているスペースを広げていく。
 ドサドサドサ。髪がケープをたたき、
 ツツーと斜面を滑り、
 バサッ、バサッと床に落ちる。
「出家」というか「出荷」だ。
 野菜のように、キレイに皮(髪&メイク)を剥かれ、包装紙(作務衣or法衣)にくるまれて、スーパー(学院)に送られる。
 大学を休学して修行にきた、と小夜子ちゃんが話しているのが聞こえた。
「そう、実家継ぐんだ」
 ウイイーン、ウイーン・・・ジジ・・ザザ・・ジャリジャリ・・・バサバサ・・・
「やっぱ親孝行したいし・・・。何て言うのかな〜、ミホトケにご飯を頂かせてもらってる身だから、御恩返ししたい」
 テメー、小夜子!(呼び捨て)イケメン相手だからってカッコつけんな!
 そんなカッコつけても、
『ああ、私、こんなんになっちゃってるよ〜。なんで女に生まれて、ボウズになんなきゃなんないのォ〜。これ何て罰ゲーム? 私、ボウズにしなきゃいけないような失策やらかした? 今日日、高校球児だって頭丸めてないヤツだっているご時世なのにさ〜。もお、サイアク! 剃髪も修行もヤダヤダヤダヤダ! 同い年の女の子は今頃、コンパ行ったり旅行したりテレビ観たりしてるんだよ。なのに、なんで私ばっかり、こんなキッタナイ床屋で頭、ジョリジョリ刈られてんの? メチャメチャ納得いかないんですけど。あ、右サイドもいっちゃいます? いっちゃいますか、そうですか。もう戻れないですもんね。行き着くとこまで行くしか仕方ないですよね、うん。人間、諦めって肝心だよね。でも、もし生まれ変われるとして、二度とこういうのはカンベン』
って顔に書いてあるぞ。クッキリと。
てか、さっきから隣の二人、いいふいんき(何故か変換できない)ではないか?
 好きなタレントは? から始まって
「彼氏とかいないの?」
「付き合ってた人がいたんですけど、半年前に別れちゃった」
 ウイイーン、ウイーン・・・ジジ・・ザザ・・ジャリジャリ・・・バサバサ・・・
「学院はさ、男女共学だから、意外とカップルが成立したりするんだよね。君ならモテるんじゃないの?」
 ウイイーン、ウイーン・・・ジジ・・ザザ・・ジャリジャリ・・・バサバサ・・・バサッ
「そんなことないですよォ〜」
 ウイーン・・・ジジ・・ジャリジャリ・・・バサリ
 バリカンの音を背景音に交わされる男女の会話。いやなBGMだな。
 杉崎サンは、小夜子から親離れできずにチョロチョロ生え残っている幾筋もの髪の毛を、刈り取ってサッパリと丸めてしまうと、
「似合ってるじゃん」
「やっぱボウズですよね〜」
 小夜子も気が大きくなったらしく
「男でロン毛の人とかいるじゃないですか? あれとか、どうなんですかね〜?」
 あからさまな俺へのアテツケだが、所詮は坊主女の遠吠え。シカトした。
 凸凹の頭にシェービングクリームがほどこされる。
「オニイサン、カッコイイですね」
「そう?」
「カッコイイですよ」
 ゾリッ、ゾリッと剃刀が小夜子の頭上で前に後ろに運動する。これからの学院生活で、彼女が日常的に味わうことになる感触だ。
「あの・・・入学してからも、この店来ます」
「外出日に?」
「たま〜にコッソリ脱け出して遊びに来るかも。フフッ」
「それはやめた方がいいな」
 杉崎サンは妙に愉快そうに、
「去年も学院を忍び出して、夜遊びしてた子が何人かいたけど、上の人にバレて、もうボッコンボッコンだよ。顔真っ赤に腫らしててね」
「た、体罰禁止じゃないんですか?」
 小夜子の声がうわずっている。
「勿論、建前上は禁止だけど、日常的にまかり通ってるね。長年の伝統はなかなか改まんないもんさ。ちょっとミスったら、すぐビンタが飛んでくるよ。その点じゃ、自衛隊より厳しいんじゃないかなあ」
「・・・・・・」
 小夜子の顔から完全に笑顔が消滅した。
「長年の伝統で、体罰も巧妙になっててねぇ、単純に殴る蹴るだけじゃなくって、『勉強会』って称しちゃ何日もぶっ通しで眠らせてもらえなかったりさ。修行って名目のシゴキやイジメが横行してるんだな、コレがさ」
 杉崎サンの声は弾んでた。他意はなく、この人どうやら天然らしい。
「そうですか・・・」
 小夜子は言葉もなくうなだれていたが、「ボウズ効果」だろうか、ジョリジョリやられているうちに、ふたたびテンションがあがってきたらしく、
「あの・・・オニイサン」
「ん?」
「彼女いるの?」
 小夜子、ラブハンターと化している。大人しい顔して、よくやるよな。男と別れて修行行く尼さんはいるだろうけど、フツー、修行に行く直前に、男作る尼さんがいるか?
「いないけど」
「じゃあ付き合って下さいよ」
 小夜子が持ち金全てをはって、勝負に出た。
「イヤ、彼女はいないけど、嫁さんがいるから」
 ジョリ、ジョリ・・・ジョリ
「・・・・・・・・・・・・・・そうですか」
 身包みはがれカジノから放り出された小夜子は、百万光年遠い目をして、言った。
 仏教伝来以来千五百年、剃髪中にフラれた尼さんは、この寺娘が唯一にして無二ではなかろうか。
 凄まじい現場に居合わせちゃったよ、俺。
 小夜子は焦点の定まらぬ目で、ぼんやりと頭をツルツルに剃りあげられている。
 沈黙がたちこめる。
 ゾリゾリという剃刀の音と、ゴホゴホという杉崎サンの咳のみが聞こえる。
 小夜子は、俺やこれから仲間になる新入生たちの手前を取り繕わねば、と焦りはじめ、
「いや〜、フラれちゃったな〜。参ったなあ〜。オニイサン、ハンサムだからもしかしたら、結婚してるだろうな〜、とは思ったんだけど、ちょっとからかってやろうかな〜、とか考えてさ〜。まあ、私、地元に好きな人いるしね〜」
と自己フォローのため、別人みたく饒舌になったが、目が死んでいた。空回ってた。痛々しかった。
「ああ、そう」
と杉崎サンは苦笑しながら、フッた女の頭を剃りあげ、キュッキュッとタオルで拭いている。

 床屋を出る。
 小夜子と同時に。
 ホテルに誘ったら、あっさり了承された。
 自棄になっていたのだろう。あるいは剃髪を済ませた高揚感。またあるいは、明日から修行生活に入る身ゆえの刹那的な享楽的気分。
 小夜子がキャップに俗服だったのが幸いした。尼さんスタイルじゃ、ホテルに入れなかった。
 街のホテルで出来たてホヤホヤの尼さんを抱いた。
 剃髪後一時間もしないうちに、行きずりの男とセックスした尼僧も、この女くらいではなかろうか。
 小夜子はまるで、絶食を前にドンブリ飯をかきこむかの如く、恥じらいも躊躇いも捨て去り、乱れまくった。生臭坊主め。
 ちなみに上はツルツルだが、下はボーボーだった。
 ホテル代、割り勘にしようと、それとなく提案したら、
「もういいです」
と半ギレで全額払ってもらってしまった。セコイ男でスマン。今回のY山行きの出費、本気でシャレにならないんだ。小夜子ちゃん、アンタ、今日、菩薩行しまくりだよ。 俺の中ではすでに瀬戸内寂聴を超えたね。
 この借りは絶対返そう。君の寺に入檀しようじゃないか、一族引き連れて。
 寺の名前を聞こうとしたら、もう彼女の姿はなかった。
 もしかしたら彼女は素人童貞の尼マニアに、カミサマが使わした春の妖精だったのやも知れぬ。サヨナラ・・・ありがとう・・・。
 ワン! ワン! ワン!
 あ、春の妖精だ。なんだよ、裏路地にいたのかよ。どうりで急に消えたはずだ。
 忍び足で裏路地に入った我が妖精は、散歩中の犬に吼えられ、すっかりパニクっていた。無意識のうちにかぶってるキャップをおさえてるところが泣けるな、オイ。
 飼い主のオジサンは、スイマセンね〜と謝りつつ、余所者らしき女の帽子の中身が気になる様子だった。
 オジサンの視線に、妖精は顔を赤くして早足でその場から逃げていった。修行が足りん。見なかったことにしよう・・・。


 駅へと歩く。
 おや、と立ち止まる。
 床屋から逃げた美女が公衆電話でしゃべっていた。まだ長い髪だ。
 学院は当然ながらケータイ禁止なので、ホテルか外の公衆電話しか連絡手段がないのだ。
「うん、明日。大丈夫だよ」
 家族とでも話しているのだろうか。
「うん。持った。兄貴は?」
 うん、うん、とうなずいて
「エ? あ、頭? そ、剃ったよ〜。剃ったにキマってんじゃん。アタシだってやるときはやるよ。バカにしないでよ〜」
 少しテンパっている彼女の足元に、手帳が落ちている。
 手帳を拾い上げ、
「これ、アンタの?」
「あ、どうも」
 女は軽く会釈して、落し物を受け取り、また受話器の向こう側と交歓している。その背中に
「明日は逃げないで、ちゃんと頭刈ってもらえよ」
と声をかけると、女はギョッと俺を振り返り、ダイエット中の盗み食いを見つかったみたいな顔をしたのだった。

 地元にとんぼ返り。
 有意義な一日だった。ただ惜しむらくは、
「NANAMIチャンか〜」
 手帳の表紙には、彼女の名前がローマ字で記入されていた。
「見たかったなあ、NANAMIチャンの・・・」
 また来年、あの床屋へいこう、と思う。


                 (了)


    あとがき

エ〜、「地獄の一丁目」シリーズ三部作(なのか?)の棹尾を飾る作品です。
この作品はですね、もともと「地獄の一丁目で恋に落ちた話」のあとがきのために用意したネタを発展させたものです。
前二作とは打って変わって、非常に散文的かつアンチロマンティック、かつ、ヒロインに優しくない、作者好みの作品になりました。満足してマス。
でも発表するの恥ずかしい。
「モテない変態の妄想」全開なので・・・。

物語の語り手の最低男はちょっと、管理人のうめろう氏のイメージが入ってるかも知れない。飲み会なんかで、初対面の女性でも物怖じせず、ガンガン話しかけ、女の口を割らせ、情報を引き出すタイプ。うらやましいな〜(フォローしとくけど、うめろう氏とは、あくまでも行動が似ているのであって、人格は似てない)。
対するヒロイン小夜子は、たまに世間で見かける「カンちがいしやすい女」「ツッコミどころの多い女」「不器用なため、胡散臭い相手にも愚直にとりあってしまう女」「要領悪い受身タイプのくせに、たまに張り切っちゃって自爆する女」・・・ってまるっきり自分じゃないか! ああ、どうりで今回のヒロインには親近感おぼえたはずだ。
作風的には「女弁慶」「鈴宮ハルカ」の系譜に属する「超トホホ路線」です。
「甘尼路線」の「外伝」とバランスをとるため、同時に発表させていただきました。では。




作品集に戻る


inserted by FC2 system