鬼太郎の話 |
「鬼太郎」にも勿論本名はある。 辻村花穂(つじむら・かほ) という女の子らしい名前だ。 しかし、オレを含め男子たちは、彼女をその本名では呼ばなかった。 鬼太郎はクラスメイトだった。 美しい顔立ちの少女だった。 髪は肩につくくらいの、いわゆるマッシュルームカットで、前髪を長く伸ばしていた。アゴら辺まであった。その前髪を斜めに流して、右眼を隠すようにセットしていた。 その髪型は、水木しげる先生のマンガの主人公みたいで、だからオレたちは、彼女のことを 「鬼太郎」 とあだ名で呼んでいた。 鬼太郎は大人びた女の子だった。言動も落ち着いていたし、身体の方もなかなかのナイスバディだった。 それに長い前髪、教室で一人、図書室で借りた文学書を読んでいる鬼太郎の俯き気味の顔に、ファサリ、と垂れこぼれる前髪、横顔を覆い隠すベールのような前髪、は彼女の美しさを、よりアダルトに、よりミステリアスに、よりアーティスティックに、演出する効果をはたしていた。 鬼太郎の家はオレの家のお向かいさんだった。小さな雑貨屋を営んでいた。 当然、登校班は一緒になる。 オレは遅刻魔で、登校班の連中を待たせることも、多々あり、 「ちょっと、小藪、アンタ、また遅刻?」 と班長の鬼太郎を呆れさせていた。 「ごめん、鬼太郎、許せ、この通り」 と拝む真似をするオレに、 「次、遅れたら、置いてくからね」 鬼太郎は、ズブリと釘を刺した。 班長の鬼太郎は登校班の一番前を歩き、年下の子たちを先導する。 「○×○ちゃん、今度、バレエの発表会なんだって?」 とか、 「×○×クン、また昨日も居残り給食だったの?」 と下級生に話しかける。 後ろに続く班の子たちの方を向きながら、後ろ歩きで通学路を行く。不思議なことに、ずっと後ろ歩きなのに、転ぶことも、つまづくことすらない。電柱や看板、水たまり、車などの障害物も、後ろ向きのまま、ヒョイヒョイかわす。後ろにも目がついてるんじゃないか、と首をひねるほどだ。 本人たちの意思とは無関係に一緒に登校するオレと鬼太郎は、頭の悪い男子軍団の格好の標的だった。 「熱いね〜、お二人さん」 「新郎新婦入場で〜す」 と校門前でさんざっぱら、ひやかされたものだ。 「そんなんじゃねえよ!」 とオレはムキになって言い返していたが、鬼太郎の方はといえば、完全にシカトで通した。そんな鬼太郎に、オレは「大人」を感じていた。 向かいの雑貨屋に、文房具などを買いに行くと、鬼太郎が店番をしていることが、たまにあった。 「あれ、小藪」 鬼太郎は徒然に読んでいた文庫本から目をあげ、 「買い物?」 「だから来たんだろうが」 オレは顔をしかめ、 「ちょっと、ノートを、な」 「アンタ、そんな勉強家だったっけ?」 「う、うるさいよ」 なんていう会話を交わしつつ、会計のとき、 「○○円でいいよ」 と鬼太郎はオマケしてくれる。 「いいのか?」 「同じクラスのよしみだよ」 女の子、それも鬼太郎みたいな美少女に優しくしてもらうのは嬉しいもんだ。 レジをうつ鬼太郎のTシャツの隙間からのぞく白い豊かな乳房、扇情的な半開きの唇、何より顔半分に覆いかぶさる長い前髪、それらが、彼女のバタくさい容貌とあいまって、オレには東欧のモデルか美術学生を連想させた。 春到来。 オレは晴れて、小学校を卒業した。 都会の人々からすれば、まだまだ「保守的」「前時代的」な、この地域の中学校では、未だ、 男子は丸刈り 女子はオカッパ というキマリが厳然と存在していた。 小学校卒業前後から中学校の入学式の間に、新入生たちは一斉に断髪を行う。というか行わされる。 入学を控えた女子たちの断髪に、オレは性的な昂奮をおぼえていた。 きっかけは二年前、近所のかわいいお姉さんが、中学入学のため、ロングヘアーだったのを、バッサリ切って、オカッパ頭になったことだった。 編んだり結んだり、さまざまなヘアーアレンジを楽しんでいたお姉さんが、ダサダサの「メスガキ」に転落したムザンな姿に、オレは「性の目覚め」を経験した。 以来、女性が髪を切る行為に、昂ぶるようになってしまった。 オレは変態だ、と孤独感を抱いたりもしたが、後にネットで自分と同じ趣味の人々が結構多くいるのを知り、意を強くしたものだ。 さて、春休みの間、オレは村はずれにある大垣理髪店にほぼ毎日通い、新入生の女子が髪を切られるのを、見物していた。 ラッキーなことに、この大垣理髪店の店主は、オレの親戚だった。 だから、日参しても、 「おっ、ター坊、また遊びに来たのか」 と子供のいない店主に歓待された。 これから入学する中学には、男女とも「学校指定の理髪店」で髪をカットしなくてはならない、という反資本主義的な規定があった。 ブザケタ規定だが、決められているものは仕方ない。 もしかしたら、 「へへへ、校長様、今年も是非、ワタクシめの店を学校指定にして下さい。これは些少ではございますが、どうかお納めを」 「うむ、大垣屋、お主も悪よのう、クックックッ」 といった癒着の構図があるのではと勘繰ってしまう。 これは、裏情報だが、中学も上級生になると、女子たちの中には、床屋を嫌がって、こっそり街の美容室でヘアーカットする者も多いらしい。 が、新入生が仮に同じことをしたら、上級生にシメられる。 「アタシらも下級生の頃は我慢したのだから、オマエらも上級生になるまで我慢しろ」 それが上級生女子のスタンスである。 ゆえに、入学前の女の子たちは、各家庭か学校指定の理髪店――そう、大垣理髪店で髪をバッサリいくのだ。 大垣理髪店の店内には、老人客の社交場にと、畳敷きの座敷がしつらえてある。 その座敷はオレにとっては、またとない「特等席」になった。 特等席に陣取ったオレや悪ガキ連は、昔のヨーロッパ貴族が処刑見物をするように、女子たちの悲劇を、眼福とばかりに楽しんでいた。 村に一軒きりの学校指定の床屋なので、自然、殿様商売になり、しかも相手は子供なので、オヤジさんの接客もセルフィッシュだ。 かわいい娘には、 「せっかく伸ばしたのに勿体ないね」 とか、 「悲しいだろうけれど、規則だからね」 とか、 「オカッパの方が似合うじゃないか」 などと、なぐさめの言葉をかけてやるが、ブスとか無言で情け容赦なく刈られてた・・・。 冷淡に、事務的に、髪を刈られるブスにそそられることも、意外にある。 特に、色気づいて長い髪で容姿を誤魔化していたフェロモン系のちょいブスが、ズッパリとオカッパに刈り詰められ、残念な顔を晒し、もはや逃げ場のない状態に追い込まれるさまなど、たまらなく昂奮する。 逆にかわいい娘の場合、そこそこマシな感じに着地するので、フェチ的には面白くなかったりする。 ちなみにオレは早めに頭を丸めた。 「中学生らしい髪型」になって、少女たちの断髪を、上から目線で眺めたいので。 元々短髪だったので、丸刈りへの移行もスムーズだった。 店内では毎日のように、入学バッサリをめぐり多様な人間模様が繰り広げられている。 中には断髪によって、「女を上げる」客もいる。 例えば岡江。 学校ではいつも男子を追いかけ回していた彼女は、ニヤニヤと断髪を見守るオレたちに、 「こっち見るな、ハゲ坊主ども」 とはじめのうちは悪態をついていたが、長い髪を、バッサバッサと切られ、オカッパに仕上げられる頃には、 「うっ、うぅ・・・」 涙を流し、大泣きしていた。 あの男勝りの岡江が髪を短くされて泣くなんて・・・やっぱり岡江も女の子なんだなァ、と胸がキュンとなったりもする。岡江株は急上昇する。 反対に、3月まで委員長をしていた木元――優等生らしく早々に髪を切りに来店した――は地味で委員長のクセに目立たない女子だったが、断髪中ずっと涼しい顔で、マンガを読んでいて、オレたちの好奇の視線にも、まったく動じる気配がなかった。 普段お下げにしていたセミロングの髪をハサミの餌食にされ、オカッパが完成すると、はじめてマンガ本から目を離し、中学生の髪型になった自分の姿を一瞥、 「ああ、いい感じ。ありがとうございます」 と淡々としたトーンで、オヤジさんにお礼を述べていた。 日頃いるのかいないのかわからないような地味っ子の木元の潔さに、オレたちは感服した。 木元カッコイイ!と彼女に一目置かざるを得なかった。こういう「女の上げ方」もあるのだ。 かわいそうだったのは、岸田信子。 元クラスの序列ではB級グループに属し、木元ほどではないが、あまり目立たない存在だった。マット運動が得意な文学少女、という印象ぐらいしかなかった。髪は長かった。背中の真ん中まであった。 待合席にいるときは、カッコつけて持参したロシア文学の文庫本をひろげていたが、ずっとソワソワして、不安そうな顔色を浮かべていた。 いざカットの段になると、オヤジさんに、 「新入生の子だよね?」 と確認され、答える間もあらばこそ、中学校の規定の長さに髪を切り落とされていた。容赦なく、冷淡に、事務的に。いわゆるひとつの「ブスコース」だ。 岸田信子は、自己の容姿はまあまあイケていると自負していたフシがあったので、このオヤジさんの対応に、鼻っ柱を折られた様子で、屈辱を噛みしめるように、唇を歪め、鏡を睨みつけていた。 ハサミは右から左へ、岸田の頭を半周して、長い髪――それは、彼女にとって「最後の砦」のようなものだ――を断っていった。 チャッチャッチャッ、とハサミがリズミカルに鳴り、岸田の髪は揃えられる。 「そういえば信子」 オレと共に岸田の断髪式を観覧していたユキ君(岸田の家のお隣さん)が岸田に声をかけた。 「お前んトコ、昨夜、赤飯だったろ」 「!!」 ユキ君の言葉に岸田は憐れなほど狼狽し、カァーッと頬を紅潮させた。 「赤飯?!」 わっ、とオレたちは色めきたった。 当時のオレたちには「赤飯」の意味はわからなかったが、同じ年頃の女子が「赤飯」というワードに過敏な反応を示すことは知っていた。 「赤飯! 赤飯!」 と座敷から赤飯コールが巻き起こった。 「ちょっと、男子やめなよ」 「そうだよ、信ちゃんに謝んなよ」 「ホント、男子ってデリカシーがないね」 と待合席でカットの順番を待っている女子連が苦情を申し立てた。だが、彼女らもこれからヘアーカットに及ぶ自分の件で頭がいっぱいなので、抗議の勢いも弱々しく、赤飯コールを食い止めることはできなかった。 岸田は耳まで真っ赤にして俯き、オカッパ頭になっていった。 オヤジさんは、 「身体も“お姉ちゃん”になったんだから、髪の毛も“お姉ちゃん”にならないとなぁ」 と奇妙なロジックで岸田をなぐさめていたが、当然フォローにならず、岸田はますます恥ずかしそうに、唇を噛んでいた。目にはうっすら涙が滲んでいた。 岸田は眉間の上に、やや大きめのホクロがあって、今まで前髪を伸ばしてずっとそれを隠していたが、オヤジさんは嫌がらせのように、丁度ホクロが露わになるラインで前髪を切り詰めていた。 そして、 「お釈迦様みてーだな」 とユキ君にひやかされていた。 岸田は涙目で料金を払うと、連れ立ってカットにきた友人たちを置いて、ふてくされた様子で帰っていった。よほど居たたまれなかったに違いない。 春休み中、連日、女の子たちの「変身ショー」を楽しみながら、オレの頭の片隅には、いつも一人の少女の顔が去来していた。 鬼太郎だ。 アイツは髪を切りに、ここに来るのだろうか。 それとも、もう自宅で断髪を済ませているのだろうか。 オレの中には矛盾した気持ちがある。 鬼太郎が髪を切られるのを見たいという気持ち。見るのが怖いという気持ち。 理髪店の特等席で、鬼太郎の来店を期待する反面、どこかで、それを恐れている。 あの艶めいた前髪にハサミが入る場面を想像すると、色んな意味でドキドキする。 悪友連中も鬼太郎のことが気になるらしく、 「オジサン、鬼太・・・辻村って娘、髪切りに来た? ほら、雑貨屋の女の子」 とオヤジさんに訪ねていた。オヤジさんの返答によれば、来ていない、とのこと。 オレの心は千千に乱れる。 見たい。見たくない。見たい。見たくない。やっぱり見たい。いや、やっぱり―― 入学式の日は近づいてくる。 悪童軍団も大垣理髪店での「営業妨害」的行為に飽きてくる。せっかくの春休みでもあるのだし、一人減り二人減り、いつしかオレだけになった。 入学式をあと二日に残した夕暮れ、客もいなくなったし、そろそろ帰ろうかなァ、と思っていたら、 カランカラン ドアベルが鳴った。 もしや、と入り口を振り仰いだ。 果たして、鬼太郎だった。 白と青の横縞のシャツに辛子色のパーカーを羽織り、ジーンズをはいていた。相変わらず前髪は長い。最近、大学生にナンパされたと、女子たちが噂していたが、なるほど、パッと見、女子高生、女子大生に見える。 オヤジさんも出現した女性客の年齢をはかりかね、 「中学の新入生かな?」 と自信なさげに確認していた。 「はい」 鬼太郎は少し含羞んで、小鼻をチョイチョイとかきながら、うなずいていた。 「じゃあ、ここに座って」 「はい」 鬼太郎は入店してからずっと、オレに気づいていたが、無視をきめこんでいた。恥じらいがあったのだろう。 そんな鬼太郎の態度は、オレを少なからず傷つけた。 傷つくと同時に、鬼太郎を特別視する気持ちも失せた。 彼女を性的な欲望の対象にすることへの罪悪感も軽くなった。 鬼太郎はオヤジさんに招かれるまま、こげ茶色のレザーをはった古めかしい理髪台に腰を沈めた。 オヤジさんはすかさず、鬼太郎の身体にクリーム色のケープを巻きつけた。 「まあね、悲しいだろうけど、昔からの規則だからね、こういうのは、パッとやっちゃおうね」 とオヤジさん、美人系の鬼太郎相手に、リップサービスに余念がない。 「はあ」 鬼太郎はやや気圧されたように応じる。 オヤジさんは鬼太郎の髪を、霧吹きで、シャッシャッと湿していった。 オレは固唾をのんで、断髪の行方をガン見している。 オヤジさんはまず、横の髪から切りはじめた。 シャキシャキシャキ、シャキ、 と肩に届く髪を下アゴの辺りで揃えていく。 バラバラと数センチの切り髪が、ケープに落ちる。 ナチュラルにオシャレにキメていた髪が切り落とされ、いかにも床屋カットのトレードマークである、スッパリとした直線の切り口に整えられる。 「お姉ちゃん、大人っぽいねえ。胸も大きいし、ホントに新入生?」 オヤジさんはこないだまで小学生だった鬼太郎に、セクハラ発言をかます。 「新入生ですよ」 「彼氏とかいるの?」 と、またセクハラ質問。 「いませんよォ」 鬼太郎は苦っぽく笑う。 「中学に入ったら、どの部活に入るの?」 と質問はまともになった。うちの中学では生徒は全員、何らかのクラブに所属することが義務付けられている。田舎の中学は本当に面倒くさい。 「華道部に入ろうかと思ってるんですけど」 「えー、こんなに背が高いのに勿体ない。運動部入りなよ、運動部。バレー部とかバスケット部とかさ」 「そうですか?」 鬼太郎は明らかに「かわいい女の子コース」――オヤジさんとの会話をわずらわしがっていた。 けれど、現在、頭髪を自由にできる権限はオヤジさんが有している。邪険にすると、変な髪型にされてしまうかも知れない。実際、オヤジさんは、生意気娘には前髪をうんと短くしたり、後ろを刈りあげたりと「お仕置きカット」で対応している。ひどい話だが、一軒きりの「学校指定」の床屋なので、「お仕置きカット」にされた娘も泣き寝入りするほかない。いきすぎた管理の弊害である。 鬼太郎の髪は徐々に、オカッパになっていく。 下アゴのラインに沿って、左をジャキジャキ、左をチョキチョキ、後ろもザクザク、とコンサバティブに仕上げられていく。 切られている髪の量こそ多くはないが、今まで自然な感じに流していた、せっかくの髪なのに、「人工感」がハンパじゃない。 オヤジさんはいよいよ、鬼太郎の前髪にとりかかる。 前髪をコームで、シャッシャッと梳った。鬼太郎の顔が全て見えなくなるくらい、前髪は長い。 オレの心臓は早鐘をうっていた。 鬼太郎の前髪、大人っぽい前髪、洗練された前髪、神秘的な前髪、オレがいつも密かに目で追っていた前髪。 その前髪にオヤジさんは何ら躊躇うこともなく、左のコメカミ辺りから、二枚の刃を跨がせる。 ハサミが閉じた。 ジャ、 と前髪が辞世の句(?)を残し、バラリ、と鬼太郎の頭から離れ、落っこちた。 鬼太郎の表情は髪に隠れて見えない。見たい、と思う。彼女の悲しげな顔を期待して。 ゾリ、ゾリ、とハサミは鬼太郎の顔を横切っていく。 切り髪がハサミを伝い、雨だれのように、バサバサと滴り落ちていく。 オレの昂奮は、その極に達していた。 オレの昂奮をよそに、 「こんなに長い前髪だと、鬱陶しかったろ?」 オヤジさんはデリカシーがない。 「う〜ん、まあ、たまに・・・」 と鬼太郎は髪の隙間から、不得要領な返事をしていた。 ハサミの進行に伴って、鬼太郎の白い顔が露わになる。いつも隠していた右眼もはっきりと外界に露出する。 鬼太郎はちょっと眉間にシワを寄せていたが、割合平静な表情だった。まるで、覚悟をきめて道に入る得度者のような落ち着きぶりですらあった。オレは拍子抜けした。 オヤジさんはさらに2センチほど、前髪を短く切り詰めた。 ジョキジョキ、ジョキ 鬼太郎の右眉がのぞいた。左眉も出た。パッツンに切り整えられた。 カットは終了した。 オカッパになった鬼太郎は以前とは別人と錯覚するくらい、変貌を遂げていた。大人っぽさに代わって、あどけなさが、洗練に代わって、野暮ったさが、神秘性に代わって、田舎臭さがが。美少女の面影は、雰囲気は、一気に、根こそぎ、覆された。 この残酷な収穫に、 「鬼太郎っていうより、金太郎だなあ」 とオレは照れ隠しに、ひやかした。事実、鬼太郎はもう「鬼太郎」ではなかった。 「そう?」 鬼太郎ははじめてオレに反応した。恥ずかしそうに、頬をほんのり染め、鏡を見つめ、ペロリと舌を出した。その子供じみた仕草も、今のオカッパ頭には相応しく思えた。 中学に入ると、オレと鬼太郎は疎遠になった。クラスも別になり、登校班もなくなり、もう言葉を交わすこともなくなった。それに、オレはなんとなく鬼太郎の店で買い物をするのを避けるようになっていた。 校内で鬼太郎を見かけることはあった。オカッパにセーラー服姿だったが、制服の下の身体は、ムチムチと発達していて、そのアンバランスさにそそられもした。が、それだけだった。 別々の高校に進学し、鬼太郎の姿を目にすることも絶えてなくなった。 あれは高3のときだった。 塾から帰る電車の中で何年かぶりで鬼太郎を見かけた。 鬼太郎は派手なメイクをしていた。制服をだらしなく着崩していた。長い髪を染め、パーマをかけていた。絵に描いたような不良娘だった。 一緒にいる男に媚態をつくって、ベタベタしなだれかかり、ケラケラ笑っていた。 鬼太郎がオレに気づいた。ハッという顔をした。 オレはとっさに目を背けた。 見てはいけないものを見てしまったという気持ちだった。 鬼太郎と一緒にいた男は、大垣のオヤジさんだった。 鬼太郎と大垣のオヤジさんが駆け落ちしたのは、それから二ヶ月も経たない頃だった。蜩が鳴いていた。 家庭のある大垣のオヤジさんをたぶらかして、と鬼太郎を悪し様に言う村人は多かった。鬼太郎の家族も居たたまれなくなったのだろう、やがて店を畳み、どこかへ引っ越していってしまった。 小学校の同窓会が開かれて、そこでも鬼太郎の噂でもちきりだった。オレは沈黙を通した。 大人になった現在でも、ふと鬼太郎のことを思い出したりする。 脳裏に浮かぶ鬼太郎は、いつも小学生の頃の鬼太郎だ。 オレの遅刻に眉をひそめる鬼太郎、見事な後ろ歩きで通学路を行く鬼太郎、買い物するとオマケしてくれる鬼太郎、大人びた身体、笑顔、不機嫌な顔、石鹸の匂い、揺れる長い前髪、その髪を切ったあの春休みの日。 ひとつひとつが懐かしく、眩く、オレはしばし甘酸っぱい感傷に浸る。 あの頃にはもう戻れない。戻りたいとも思わない。 鬼太郎にも会いたいとは思わないし、きっと、もう会うこともないだろう。 ただ、鬼太郎は今どうしているのだろう、とぼんやり考えることはある。 そして、この胸にある小さな思い出を、いつまでも抱きしめていたくもある。 思い出の中の鬼太郎がまた笑った。 とてもカミさんには言えやしない。 オレは肩をすくめた。今じゃ女房も子もある身だ。 今日は家族でドライブ。ちょっと遠出して、隣県の牧場に行く。オレとしては、せっかくの休日、家でゆっくりしていたいのだが。 「ちょっと、アナタ、こっちはもう準備できてるわよ〜」 妻の声がオレを呼ぶ。 「はいはい」 オレは煙草をもみ消し、立ち上がる。 蛇足だが、妻の旧姓は岸田という。 (了) あとがき 迫水です。 最近急激に増えた「入学バッサリ物」です。 昔友人のバイト先(デパート)にマッシュルームカットで前髪を片目に垂らしている女性がいて(すごい美人でした)、友人が「僕は“鬼太郎”って呼んでるけど」という会話から着想を得て、以前から書きたいと思っていました(その女の人がモデルではありませんよ〜)。 断髪小説で王道(?)の「学校指定の床屋」ネタを初めてやってみました。さすがに21世紀の現在では絶滅危惧種でしょうね(危惧はしていないか)。結構、人を(生徒だけじゃなくて商売する側も)バカにした規則だと思う。 最初は年下の男の子の目線で、書いていたのですが、なんかそのパターンも飽きたな、と手詰まり感があったので、ボツにし、これまた以前から考えていた「床屋で同級生女子のバッサリを見物する男の子」ネタと混ぜて、書き上げました。 結構好きなお話です。 |