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地獄の一丁目余話〜高杉徳子を軸として


   (序)地獄

 モノホンの地獄を見たけりゃ、別府なんぞに行かないで御山に登れ
と、古くから、宗門の僧侶たちの間で陰口を叩かれているほどの荒修行で、音にきこえし、G僧侶養成学院のあるY山。

 ――という語りだしで、地獄の一丁目・G学院にまつわる、さまざまな物語は始まった。
 この学院の院生、来栖七海、鈴宮ハルカ、安井沙耶香、安達小夜子、高島田一成、については、何度か言葉を費やしてきた。
 院生たちにもそれぞれ事情があるように、院生たちを取り巻く地獄の一丁目の「住人」たちにもそれぞれに事情がある。
 人に歴史あり。
 ということで、今回は趣向も新たに、とは、あまりならなさそうだが、或る一人の院生を軸に、幾人かの「住人たち」の「事情」を皆さんだけに、コッソリお教えしたいと思う。

    (1)赤鬼

「何度教えればわかるのッ!」
 また「赤鬼」がヒステリーをおこしてるよ、と安達小夜子は肩をすくめる。
 例によって怒られてるのは、高杉徳子。
 G学院の院生たちは全員正座、宗門でも必須の仏教音楽の講義中だ。
 指導するのは、上原益雪(うえはら・えきせつ)。尼僧である。あまりに厳しい教えぶりから、ついた仇名が「赤鬼」。
 些細なミスでも見逃さず、顔を真っ赤にして、怒り狂い、「指導」に及ぶ。
 とりわけ、院生のひとり、高杉徳子はしょっちゅう、叱責され、ときには懲罰を受けていた。
 互いの相性の悪さもあるだろうが、元ミュージシャン(アマチュアだが)の徳子の場合、こと音楽のことになると、無意識にロックシンガーの自我が頭をもたげるようで、ついつい自己流になってしまう。
 だから、いつも、
「何で教えた通りにできないのッ!」
となる。
 今日も今日とて、
「やる気がないのなら、山を下りなさい! 学院から出ていきなさいッ!」
と大目玉。
 怒り心頭の益雪は、剃髪した頭に青筋を浮かべ、手にした扇を、徳子の頭にしたたかに振り下ろす。
 バシィィッ!
 怖ええぇ〜!
と他の院生も粛然とする。
「高杉だけじゃないよッ!」
 赤鬼の災厄は院生全員に飛び火する。
「貴様ら、このところたるんでる! 腹から声を出しなさいッ! 喉から血が出るくらい声を振り絞りなさいッ!」
 院生は赤鬼の怒気に、身体を縮こまらせている。
「全員、罰扇!」
 益雪は居並ぶ坊主頭に片っ端から、扇を振り下ろしていく。
 バシイイィィッ、バシイィィッ、バシイイィッ、
 頭を殴られる徳子や院生たちは知らない。
 出家前のまだ若い頃の、この「赤鬼」が、
 聖子ちゃんカット
だったことを。

 そう、それは、まだ年号が「昭和」だった頃――
「キヨポン!」
 上原益雪、いや、上原益美(うえはら・ますみ)は、ボーイフレンドの笠間潔(かさま・きよし)の許に駆け寄った。
 日曜日の公園の噴水前、フリルのついたワンピースに、花柄のポシェットを肩からさげた益美に、
「や、やあ」
 潔はまぶしそうに笑う。何せ生まれて初めてのデートなので、大緊張、笑顔も若干ひきつり気味。
「エヘヘ、遅刻しちった〜。益美のバカバカぁ〜」
と自分の頭をぶつ真似をして、舌を出す益美に、可愛い〜、と潔は天にも昇る気持ちだった。
 先週、クラス一、いや、学年一の美少女、益美に当たって砕けろとばかりに、告白したら、なんと交際OK! 益美も潔のことを憎からず思っていたのだ。
 女子の中には、「ぶりっ子」と益美の陰口を言う者も少なからずいるようだが、それはモテない女のひがみだと、潔は思う。
 たまたま親戚のおじさんから、映画のチケットを二枚もらったので、日曜日に益美を誘った。
 ビュウウー、と風が吹き、益美のワンピースが翻る。
「イヤン」
とまるで、映画のマリリン・モンローのように、ワンピースの裾をおさえる益美。
 男の悲しい性で、つい益美が隠そうとしている部分に、目がいってしまう。
「イヤ〜ン、キヨポンのH!」
 益美は上目遣いで、口を尖らせる。
「見た?」
 おずおずと訊かれ、
「見てない見てない」
 潔はあわてて首を横に振る。
「見たでしょぉ〜?」
「見てないってば」
「うそぉ〜、見たクセにぃ〜。もォ〜、キヨポンなんて知らないっ」
 益美は、頬をふくらませ、プイッと潔に背を向ける。
「ゴメンゴメン」
 潔は謝った。ここで、ガールフレンドのご機嫌を損ねては、全てが瓦解してしまう。
「お詫びにクレープおごるからさぁ」
「ホント?」
 益美は目を輝かせて、潔を振り仰ぐ。
「約束だよぉ〜?」
「わかってるって。それより早く行こう。映画始まっちゃうゼ」
「うん!」
 満面笑顔の益美は、やはり潔にはまぶしい。

 映画は最低だった。
 アメリカのB級映画で、話は荒唐無稽、俳優も知らない人ばかり、下品なギャグのオンパレード、とても恋人同士のデートで観る代物ではなかった。実際、お互い、口には出さねど、観るんじゃなかった、と後悔した。
 けれどクレープは美味しかったので、益美は満足した。潔とも一緒に過ごせたし。
 帰り道を一緒に歩く。が、両者、歩調はギコちない。言葉数も少ない。
「キヨポン」
と益美は思い切って、潔に声をかけた。
「ん? な、何?」
「手」
と益美は言った。
「手ぇ、つないでいい?」
「ああ、いいよ」
「嬉しい」
 益美は顔をほころばせ、不器用に潔の手を握った。温かい。
「・・・・・・」
 潔も益美の手を握り返した。ドキドキと心音が高鳴る。
 益美も頬に赤みをさしのぼらせ、幸福そうな笑みを浮かべる。
 この少女が数十年後、修行僧尼の頭をシバきまわす女傑になろうとは、道行く初々しいカップルに温かい視線を送る通行人のオジサンオバサンの誰が、想像しえただろうか。

  益美の父が小豆相場に手を出し、破産したのは、このデートの直後のことだった。益美、16歳のときだった。
 益美は家を失い、家族は離散した。
 益美は遠縁の女性が住む尼寺へと、預けられることに決まった。
 全てはあっという間の出来事だった。涙を流す暇(いとま)すらなかった。
 ただ、別れの日、
「益美、尼になるの?」
とおびえたように、父に訊ねた。まだ16の身空で、尼寺に青春を埋もれさせたくはなかった。
「心配ない」
と父は娘に言い聞かせた。
「しばらくの間住まわせてもらうだけの話さ。先方ではお前を学校に通わせてくれると言っている。お父さんが必ず迎えに行くから、それまでの辛抱だから、しっかり勉強しなさい」
「うん」
 益美はうなずくしかない。
 両親や兄に手を振り、尼寺行きの車に乗り込んだ。
 車窓から去り行く街を眺める。
 潔の顔がずっと脳裏に浮かんでいた。

 尼寺に到着した、その三日後、益美の髪は落とされた。
 尼寺側と父との間に、話の行き違いがあったらしい(と益美は信じたい)。
 「学校」に通わせる、というのも、普通の高校ではなく、尼として仏の道を学ぶ尼僧学林のことだった。
 一切は嵐のように、益美を襲った。益美はただ運命に翻弄されるだけだった。
「明日、得度しましょうね」
と住職の老尼に言われ、益美は得度の意味もわからず、
「はい」
と答えるばかりだった。
 「得度」とは、髪を剃って尼になることだと、得度式の当日になって知り、益美の顔から血の気がひいた。
 ――ウソ・・・ウソでしょ・・・。
 しかし、もう猶予はなかった。
 この尼寺を出て、他に行くアテなどあろうはずもない。
「さあ、お髪(ぐし)をおろしましょうね」
と三十代くらいの尼が、益美を日あたりのいい縁側へと連れていった。益美は放心したまま、尼に手をひかれ、従った。そして、縁側に敷かれた座布団に正座させられた。
 尼は水をはった金盥に剃刀をつけると、
 ジャッ
と躊躇なく、益美の聖子ちゃんカットの髪に入れた。
 益美は唇を噛んで、髪と、青春時代と、決別せねばならなかった。
 ジーッ、バサッ、
と最初の一房が切り取られた瞬間、
 ――これで、終わった・・・。
と思った。何が終わったかは、言葉ではうまく説明できない。イノセントな少女時代だったり、普通の女性としての幸せだったり、幼稚園の先生になりたいという将来の希望だったり、そういうものなのだろうか。わからない。
 わからないが、
 ――終わった・・・。
とひとつの大きすぎる人生の節目を感じた。背筋が凍りついた。
 尼は無言で剃刀を動かす。
 クルクルフワフワの髪が、ザクリ、ザクリ、と毀たれていった。
 剃刀は小刻みに運動して、髪が摘まれる。
 摘まれた髪は、脇に置かれた白木の三宝に載せられる。
 益美の頭上を飾る髪と、三宝の上の髪の量は、反比例して、増減していった。
 まずは前額から、頭頂までの髪が剃られた。侍の月代のようになった。
 月代は聖子ちゃんカットを左右に分割していた。左右の髪は、クルリン、フワン、と外向的に、でも虚しく、乙女らしさを主張している。
 尼は左の髪に剃刀をあてた。
 コメカミに剃刀を入れ、後ろにひいた。ジー、と頭皮が刃物と摩擦する音がして、髪が薙ぎ払われる。薙ぎ払われた後には、青白い頭の地肌が覗く。
 ジー、ジー、ジィー
 左の髪が剃り除かれる。一房、また一房、と三宝の上に積もっていく切り髪は、お前はもう普通の女の子ではいられなくなるのだ、と益美に告げているかのようだった。
 激しい喪失感に襲われ、
「うっ・・・ぐっ・・・うっ・・・」
 益美はこらえきれず、嗚咽した。
 涙をこぼす「妹弟子」に尼は、
「貴女は可愛らしい顔をしているから、きっと剃髪も似合うと思うわ」
となぐさめた。
 しかし、そう言われても、益美はちっとも嬉しくなかった。余計涙が流れた。
「泣かないで」
と口ではなだめながら、尼の手はキビキビと、益美の頭から髪を剃り取っていく。
 三宝の上には、こんもりと髪の山ができていた。
 剃髪には一時間以上かかった。
 湿った剃り髪が、頭のあちこちにベタベタと貼りついていた。尼はそれを熱いタオルで、キュッキュッと拭き取って、ようやく益美の剃髪は終わった。
 それまで身につけていた洋服を脱ぎ、僧服を着せられた。
 この期に及んでは、益美も覚悟が定まっていた。自分に与えられた運命を受け容れた。
 鏡で見る初めての尼姿には、ドキリとしたが、ひとつ呼吸を吐き、心を静めた。
 尼になった自分は、髪があった頃よりずっと幼く、あどけなくなっていた。
「まあ、可愛らしい尼さんになったこと!」
 老尼はじめ、尼たちは目を細め、口々に褒めた。
 褒められて、益美は複雑な気持ちだった。
 ――サヨナラ、キヨポン・・・。
 たぶん今頃は教室で教科書をひろげているであろう潔に、心の中、そっと別れを告げた。

 それから、益美は尼僧「益雪」として、尼僧学林で熱心に学んだ。
 尼僧としての勤めを懸命に果たした。
 特に仏教音楽についての造詣を深めた。
 いつの間にか、僧尼に仏教音楽を教える立場になっていた。
 G学院でも指導にあたるようになって久しい。
 昔の可憐な少女の面影はどこへやら、教え子たちに「赤鬼」と畏怖されている。
 特に、院生の高杉徳子に対しては、辛く当たっているが、実は内心では、
 ――この子は見どころがある。
と評価している。
 声もいいし、熱意もある。才能もある。何より仏教音楽を「自分のもの」として消化しようとする意欲と反骨心(本人は意識していないのだが)を買っている。
 見どころかがあるから、厳しく接する。獅子の谷落としのように。それが益雪の流儀だ。
 さすがに院生全員の頭を打つと、打ち疲れた。
「今日はこれまで」
とこの日の授業を終えた。
 院生たちは顔をしかめ、坊主頭に手をあてている。
「挨拶は!」
「ありがとうございましたっ!」
「よろしい」
 益雪は厳めしくうなずくと、室を出た。
 ――少し、やりすぎたかな?
 割れた扇を見て、ちょっと思ったが、
 ――これも修行。
 憎まれ役になる覚悟もできている。
 ふと、いつも首から下げている守り袋に手をやる。
 守り袋の中には一枚の紙片が入っていた。
 あの日、潔と観た映画のチケット。
 最初で最後の恋人との最初で最後のデートの思い出の品だった。
 いつも肌身離さず身につけている。
 「赤鬼」だって一人の女性、寂しいときもある。感傷に浸りたいときだってある。
「キヨポン、益美頑張るからね」
 誰にも気づかれないように、益雪はそっと呟き、守り袋をなでた。

   (2) 幽霊

 G学院には、何人もの講師、スタッフがいる。それぞれにそれぞれの個性がある。
 その中で、
「高杉ちゃんは誰が好き?」
と庭の掃き掃除をしていて、鈴宮ハルカに訊かれ、
「中岡先生かな」
と高杉徳子は答えた。即答だった。
「え〜? 中岡先生?」
 ハルカは、うえっ、と舌を出し、
「高杉ちゃん、もしかしてズーレーの道に目覚めたのォ?」
「違う違う」
 徳子はあわてた。どうやら、ハルカの質問の「趣旨」を履き違えていたらしい。
「そういう意味じゃなくて、その〜、Loveじゃなくて、Likeの好き、ね」
 まったく女ってやつは、と自分も女ながら、徳子は肩をすくめる。「地獄」に落ちてまで、男の品定めかよ。
「でも、中岡先生、ものすごいテクニシャンという、もっぱらの噂」
 アタシもひとつお願いしてみようか、とハルカは冗談とも真面目ともつかぬ顔で、ひとりごちている。
「おいおい、鈴宮さんや」
 徳子はまたあわてる。
 中岡秀月(なかおか・しゅうげつ)は尼僧である。
 G学院では、院生監督の補佐をしていて、院生の指導にあたっている。
 生真面目で質朴な尼さんだった。
「拙僧は存ぜぬ」
とお武家様のようなしゃっちょこばった話し方をする。その理由について、
「拙僧が学んだ道場では、このような話し方が癖になってしまうのでござるよ」
と話してくれたこともある。
 一見とっつきにくそうだが、まあ、確かにとっつきにくいのだが、気が優しく、面倒見もいい。女性の身体のこともわかっていて、徳子が辛そうにしていると、
「高杉は、倉の清掃をするように」
とさりげなく、楽な役目に回してくれたりする。
 だから院生間では人気がある。
 徳子もハルカに答えたように、秀月を慕っている。
 しかし、徳子も院生たちも知らない。
 出家前の中岡秀月が、
 イケイケのワンレンギャル
だったことを。

 そう、それは世間がバブル景気に浮かれていた頃――
 溝下町で、白昼、「幽霊」を見たという目撃情報が飛び交った。3月も下旬の出来事だった。
 同日、4月からOLとして、働くことが決まっている加賀谷昭子(かがや・あきこ)のアパートの玄関チャイムが、
 ピンポーンピンポンピンポン
とけたたましく鳴った。
 何事かと思って、ドアを開けたら、いきなり白装束の女が長い黒髪を振り乱して飛び込んできたので、昭子は肝をつぶした。
「朱美?!」
 同じ大学をこの春一緒に卒業した親友の中岡朱美(なかおか・あけみ)だった。
「どうしたの、その格好?!」
 ワンレングスのロングヘアーを千千に乱れさせた朱美は、丑の刻参りか!とツッコミをいれたくなるような時代がかった白装束に身を包んでいる。
 昭子の知っている朱美は、ワンレンボディコン姿で、いつも周囲に男を侍らせていた。そういった男どもを、アッシー君だのメッシー君だのミツグ君だの、役割分担して、便利使いしている女だった。
 が、今、昭子の目の前にいる朱美は恐怖に顔をひきつらせ、
「か、か、か、匿ってぇ〜」
とすがってくる。
 とにかく、こんな白装束の女を入り口に放置しては、アパートの隣人に不審がられるので、
「入って」
と昭子は朱美を中に招じ入れた。
 ココアを飲み、やっと人心地ついた朱美から事情を訊いた。
「実はさ〜」
 家、寺じゃない?と朱美は話し始めた。
 確かに朱美の実家は寺だった。三姉妹の三女で、男の兄弟はなく、誰かが尼僧になって後を継ぐべし、との父住職の意向を受け、
「クジ引きしてさ」
 後継者を決めたという。
「クジ引き?!」
 昭子は開いた口が塞がらなかった。大丈夫か、仏教界?
「で、アンタが尼さんになることになったわけね」
「まあね」
 得度剃髪&入門する尼僧道場も決まった朱美だが、いざ臨んだ得度式で理髪師にバリカンをあてられそうになると、あわて取り乱し、恥も外聞もあらばこそ、白装束で逃げ出した。
「その格好でここまで逃げて来たの?」
「うん」
 街を歩く人たちも驚いていた。幽霊だぁ〜、と逃げる子供もいた。
「ねえ、昭子、匿って!」
と拝む真似をしてくる朱美に、
「仕方ないねえ」
と昭子は苦笑した。
「まあ、飲もう」
 愚痴聞いてやるよ、と冷蔵庫の中からビールを出し、すすめると、朱美は嬉しそうにそれを一缶、二缶、とあおった。
 途中、電話が鳴った。
 朱美はギョッと顔を強張らせた。
「親だったら、いない、って言って」
「わかってるって」
 セールスの電話だった。
 朱美は安堵の表情を浮かべ、またビールを飲んだ。すぐ酔いがまわって、
「やってらんないよ〜」
とグチグチとぼやいた。
 尼僧道場の経験者の話では道場の生活は想像を絶するものらしい。
「これからどうするの?」
「わかんないよ」
 朱美は気弱な表情で言った。
「とりあえず緊急避難」
 朱美はへべれけに酔い、悪酔いして、白装束のまま、トイレでゲロを吐いた。そして白装束のまま床に寝転がった。
「仕方ないねえ」
と昭子は朱美に毛布をかけてやった。

 翌朝、目覚めた朱美は自分の風体の異様さを気にする余裕もでき、
「昭子、替えの服貸して」
「その前に顔洗ってきな」
「あいよ〜」
 朱美は洗面所へ。それから二十秒としないうちに、
「ちょっとォォ! 何コレ?! 何コレ?!」
 洗面所から朱美の悲鳴が聞こえてきた。
 ダッダッダッと床を踏み鳴らし、朱美は血相を変え、猛然と昭子の許に。
「昭子ッ!! コレやったのアンタでしょ!!」
 朱美の髪の分け目に幅6、7センチほどのバリカンのラインがあった。
「ああ」
 昭子は涼しい顔で応じた。
「恋人のマイバリがたまたまね、手元にあったんでね」
「どういうつもりよッッ?!」
「うふふ」
「酔ってイタズラしたわねッッ!」
「イタズラじゃないよ。アンタが尼さんになるために背中を押してあげたんだよ」
「この裏切り者ッッ!!」
「朱美」
 昭子は友人を睨み返した。
「私は人生からの逃亡者を匿う気はさらさらないよ」
 逆モヒカンにされた朱美は泣きそうな顔をして、うなだれた。
「尼さんになる踏ん切りついた?」
「・・・・・・」
「アンタも摘芙垣女子大の女なら覚悟決めて行ってらっしゃい」
「もォ、いいよッ!」
 朱美は名前通り、顔に朱を注ぎ、
「わかったよ! 修行して来ればいいんでしょ! 行くよ、行ってやるよ! 尼さんになってやるよッ!」
と昭子からバリカンをひったくるようにして借りると、洗面台に行き、自らの頭を刈った。
 気持ちを落ち着けるため、
「タバコちょうだい」
と昭子から一本もらい、二分ほどふかした。
 そして、バリカンを握りなおすと、スイッチオン。
 ウィーン、
 すでに刈られた逆モヒカンのラインを中心に、右、左、とバリカンをあて、髪を除去し、切り通しの幅を拡げていった。
 青々とした地肌が徐々に露わになる。
 自慢だったワンレングスのロングヘアー、それに朱美はバリカンを入れていく。
 サイドの髪にとりかかる。
 ジャリ、
とバリカンを髪と頭皮の間に、這い入れる。一気に後ろへ押し進める。
 ジザザザアアァァ、バササッ
 髪がはじけ、飛ぶ。ディスコやバーなどで、取り巻きの男たちと談笑しながら、いつもかきあげていた美髪が、虚しく白装束に落ちかぶさる。
 朱美はせっせとバリカンを走らせ、自分を尼へと作り変えていく。
 享楽の限りを尽くしたイケイケギャルとしての「過去」も、厳しい修養生活を送る尼僧としての「未来」も、彼女にはなく、ただ自らの頭を丸めるという、「今」の作業にひたすら没頭していた。それだけ、ロングヘアーからセルフカットで丸坊主へとの過程は骨が折れる。
 トゥルルル、トゥルルル、
 電話が鳴った。
「もしもし、加賀谷ですが」
と昭子が応対すると、案の定、朱美の父からだった。
「ああ、はい、朱美ならウチに来てますよ。ええ、昨日いきなり訪ねてきて、ええ、驚きました(笑)え? 朱美ですか? 朱美なら今――」
 昭子は洗面台の方に目をやり、
「バリカンで尼さんになってます」
 昭子と父のやりとりは、しっかりと朱美の耳にも届いている。
 朱美は、何ともいえない気持ちで、バリカンを逆手に持ちかえて、後ろ髪を刈りはじめている。
 バサアアァ、と6〜70センチはある長い髪が落ちていく。
「あ、はい、わかりました。はい、大丈夫です。朱美も尼さんになる決心がついたみたいです。はい、じゃあ、お待ちしています」
 昭子は受話器を置いた。
「朱美、これからお父さんが迎えに来るって」
「ああ、そう」
 朱美は今はそれどころではない。
 何度も襟足にバリカンを滑りこ込ませ、
「こんな髪! こんな髪はね、こうして、こうして、こうしてやるんだからね!」
と立ち退きを拒むロングヘアーと格闘している。
 バックの髪はなかなか刈り込めない。バリカンは長い髪を持て余し、髪は思ったようにスムーズになくなってはくれない。長い髪がバリカンにひきつれて痛みが走る。
 それでも、
「グッ、うっ・・・痛っ!・・・な、なんの、これしき!」
 人生最大のド根性を発揮し、朱美はバリカンを髪に突き挿す。
 ジジジ・・・ジャアアァァァ
 ザザザァ・・・
 バサッ、バサッ
 昭子はそんな朱美に気圧され、断髪の手伝いを買って出ることもできなかった。
 長い後ろ髪がバリカンの刃によって断ち切られ、その動きに合わせ、メリメリと浮き上がる。ジャアアァァ――
 苦労の末、自剃りのコツをつかんだ朱美は、みるみる坊主頭になっていった。
「ちょっと、バリカン貸してみな」
 ようやく昭子は口を挟めた。
 そして、青と黒のマダラになっている頭を、きれいに丸坊主に仕上げるべく、バリカンで全体を満遍なく刈ってやった。
 ジャアアァァ、ジジジジ、ザザザザアァァ
 朱美は見事、青光りする頭になった。
「ヘンじゃない?」
と不安そうに訊かれ、
「逆に色っぽくなったよ」
と昭子は言った。
「ウソだぁ」
「いやいや、ホント、ホント」
 白装束に青い頭の朱美はワンレンボディコン時代より、かえって艶めいている。それでいて、太い眉毛のせいで、凛々しくもある。殿様に仕えるお小姓のような色香があった。
 ピンポーン、とチャイムが鳴った。朱美の父が迎えに来たのだろう。

 その後、朱美こと、中岡秀月は尼僧道場で、身体中の脂が全部抜け落ちてしまうような厳しい行をやり遂げた(ちなみに、その道場は後に有髪が許されることになったが、あまりに過酷な修行に、行中、頭を丸めてしまう尼僧がほとんどだという)。
 その修行先で秀月は仏の道に覚醒した。
 どうも、仏の教えだけでなく、「夜の愉しみ」にも目覚め、その道の「妙技」も伝授されたらしい。まあ、それはおいておく。
 満行後も、父が健在なので、実家の寺は父に任せて、自身は仏道を究めるべく、数々の荒行に挑んだ。
 こうした実績を買われ、本山はじめあちこちの寺で、修行のスタッフをしている。
 で、近年はG学院で、後進の指導にあたっている。
 徳子もハルカも彼女を敬慕している。ハルカの場合、秀月を話の肴にしていたりする。
 箒をブラブラ振りながら、
「中岡先生は私も好きだけど、生き方までは真似したくないねえ」
と言う。
「あんなに綺麗なのに独身なのは、不思議だね」
と徳子も首を傾げている。
「修行三昧で婚期を逃したんだね」
 それに――、とハルカは続ける。
「“拙僧は〜”っていう女の人をお嫁にする男はいないよ。“おかえりなさいアナタ、ご飯にする? お風呂にする? それとも拙僧?”とか、嫌すぎるよ(笑)」
「コラコラ(笑)それにしても勿体ないなあ」
「あと、なかなか消えないズーレー疑惑。それじゃ男も近寄らないって」
「鈴宮さん、やめなさいって」
「これ、鈴宮、高杉、何を遊んでいるのでござるか。ちゃんと手を動かしなされ」
 噂をすれば影、背後に秀月が立っていた。
「も、申し訳ありませんっ!」
 二人はあわてふためいて、庭掃きを再開するが、
「今更取り繕ったところで、駄目でござるよ」
 秀月は怖い顔。
「懈怠には罰をもってあたる、が当学院のきまりでござる」
 二人に相応の罰を与える、という。いつになく厳しい中岡先生だ。もしかしたら、今の噂話が耳に入ってしまったのか?
「この場で拳固、か、今宵拙僧の部屋に一泊するか――」
 どちらかの罰を選べ、と秀月は言う。顔にはいつしか、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
 徳子とハルカは同時に答えた。
「じゃあ、ゲンコツで」
 秀月に坊主頭を献上しながら、ちょっと惜しかったかも、と徳子は思ったりもする。

    (3)卒業

 G学院では月に二回、「生け花」の授業がある。
 女子だけでなく、男子院生も武骨な手つきで、花をいじっている。
「お前たちを葬式坊主にはさせん」
 これが院生監督・太田垣賢了の言である。
「僧侶たる者、一個の師表として仰がれる人格者でなくてはならない。ここを卒業するまでに、お前たちを一流の人間に磨きぬく。それが当学院の役割だ」
 それゆえ、院生たちは仏教以外にも、茶の湯や踊りなど、色々なことを学ばされる。
「まるで花嫁修業だね」
と安井沙耶香は、徳子相手に冷笑してみせる。
 そうしたら、
「その通りだ」
 振り向くと、賢了が仁王立ちしていた。二人、アチャ〜、と首をすくめる。
「ここの女子院生は一流の人間であるだけでなく、一流の花嫁になれる。下手な花嫁スクールより、遥かに安上がりで効果的だ。素晴らしいことじゃあないか」
 言いながら、沙耶香の坊主頭をポカリとやっていた。
 生け花の授業も、そうした「一流の人間」製造プロジェクトの一環として、厳然と存在している。
 徳子はこの生け花の授業が大の苦手だった。
 素性を洗えば、エレキギターをかき鳴らして、シャウトしていた身、生け花のような、しとやかなカルチャーは性に合わない。
 本日も冷や汗を流しながら、花と格闘していたら、
「あら、高杉さん」
 講師の下仁田蓮花(しもにた・れんか)に注意された。
「あきまへんよ。こないな乱暴な生け方したら、お花が“痛いよう、痛いよう”って泣いてますえ」
「すみません」
「ここをこうして、な? こないな感じに。そうそう、ええ」
 蓮花が徳子の花を手直ししていくと、魔法のように花が生き生きと、花器の中、その姿態を誇りだす。「生け花」とはよく言ったものだ。
「ほれ、こないな感じに、な?」
「はい」
「高杉さんはもっと精進が必要やね」
「はい」
 下仁田蓮花もやはり尼僧である。学院外部の人間で、月二回、院生に生け花を教えるため、Y山に登ってくる。
 小柄な身体に僧衣をまとい、頭もきれいに剃髪している。
 年齢はわからない。アラフォーではないかという話も聞くが、シワもシミもなく、肌はつやつやして、二十代前半に見える。
 はんなりとした瓜実顔の別嬪さんで、そこはかとなく清らかな色香が匂う。物腰も柔らかく、常に微笑を絶やさない。
 特に男子院生に密かに人気がある。
「明日は下仁田先生の授業だな〜」
「楽しみだなあ」
と蓮花の来院を心待ちにするファンも多い。
 あの堅物の賢了ですら、
「私も下仁田先生にお花を教えて頂こうかな」
などと蓮花に軽口を叩いて、彼女の歓心を得ようとしている気配がある。
 徳子はこの蓮花が苦手だった。
 肩越しに、
「高杉さん、随分上達しはったわね」
と声をかけられると、ゾクリと背筋が凍りつく。
「あら、挿し口にしまりがありまへんなあ」
 スッと手を添えて教えられると、やはり怖気が走る。
 何故かはわからない。もしかしたらこの人とは、前世で何かあったのだろうか。
 ぶっちゃけ、男子どもにもてはやされている蓮花に反感をおぼえてもいる。まあ、これは純粋に嫉妬だけど。
「大切なのは愛情どすえ」
と蓮花は教える。
「お花を愛でる心、美しいものを素直に美しいと感じる心、生命を慈しむ心、仏様の道に通ずるところがありますなぁ」
 男子院生たちは鼻の下を伸ばして、蓮花のありがたいお言葉を傾聴している。
 なんだかなァ、と徳子はそっとため息をつく。生け花も苦手だし、蓮花も苦手だ。
 しかし、徳子も院生たちも知らない。
 出家前の下仁田蓮花が、
 レディース
だったことを。

 そう、それは、深刻な不況が日本中を覆いはじめていた頃――
 世間の閉塞感などどこ吹く風、関東の片田舎で、レディースチーム『爆火邪無威悶(ばかじゃないもん)』の親衛隊長・下仁田蘭花(しもにた・らんか)は、特攻服をなびかせ、族車を走らせて、その悪名を轟かせていた。
 先日もコンビニの駐車場で、チンピラをフルボッコにしたばかりだ。
 ヘラヘラとナンパしてきたので、肩にかけられた手を邪険に振り払ったら、
「なんだ、コラ、こっちが下手に出てりゃ、付け上がりやがって!」
と凄んできたので、
「やんのかァ、上等じゃねえかッ!」
と手に持っていたコーラをチンピラの顔にぶちまけた。
「わっ」
と相手がひるんだところに、頭突きを食らわせた。
 バッと鼻血が飛び散った。蘭花は容赦しない。さらに木刀で殴りつけた。倒れ伏した相手を、
「この野郎、女だと思ってナメてんじゃねえぞッ」
と何度も何度も木刀で打ち据えた。蹴りも入れた。流血がコンクリートを染めた。
「蘭花さん、ヤバいって! マジで死んじまうよ!」
と一緒にいた仲間の浦チャンが止めてくれなければ、
「ポリにパクられて年少行きだったゼ」
と後で笑っていた。
 サエナイ男の子三人組が、特攻服の蘭花をもの珍しげにジロジロ見ていたので、
「何見てんだ、コラアァ!」
と襲いかかり、全員裸に剥いて、土下座させ、唾をひっかけたりもした。
 敵対していたチームの幹部とタイマンで喧嘩して、病院送りにしたこともあった。
 金曜や土曜の夜に、仲間たちとけたたましい騒音を撒き散らしながら、近隣を走り回るだけでは物足りず、少し離れた山のつづら折れにしばしば現れ、族車でブッ飛ばしていた。
 ヘアピンカーブを猛スピードで走りぬけるとき、蘭花は言いようのない昂奮を感じていた。
 スピードと暴力。
 この二つが蘭花の血を騒がせる。たまらない充足感をおぼえさせる。
 今日は総長から呼び出し。
 総長宅に行く。
 族車をとめ、ヘルメットをぬぐ。
 蘭花は長い髪をブリーチして金髪にしていた。そして、前髪を常にリーゼントにセットしていた。
 ヘルメットをかぶると、前髪が崩れかける。だから、いつも櫛を胸ポケットに入れている。今日もトレードマークのリーゼントを、バイクのミラーで確認しながら、念入りにセットし直す。
「蘭花、お前最近チョーシ乗りすぎなんじゃないの?」
 総長の「メデュウサ・オシダリ」こと、忍足一美(おしだり・かずみ)は髪をばっちりキメて参上した蘭花に、眉をひそめてみせる。
「カタギ連中にまでヤキぶっこんでるらしいじゃん。走り屋どもにもチョッカイかけてるみたいだしさ」
「誰がチクったんスか?」
「今は関係ねえだろうが!」
と一美は苛立って、爪を噛み、
「チームの名前に傷をつけることがあれば、アタシが許さないよ」
と言い渡す。
 が、
「そんな怖い顔しないで下さいよ」
 蘭花は馬耳東風、
「一美さんも心配性ッスねえ。大丈夫ッス。自分、その辺の加減はわかってるんで」
と総長の懸念を受け流した。
 その足で、峠に向かった。もう夜は更けている。
 真夜中のつづら折れを蘭花は激走する。
 右、左、とハンドルをきる。
「トロトロ走ってんじゃねえよッ!」
と前を走る一般車両を軽く追い抜く。
 身体に轟々とあたる強風が心地よい。
 ――もっと! もっと!
とスピードをあげる。サイコーだ。
 陶酔感に浸り、ハンドルを切った、その瞬間、
「あっ!」
 蘭花はバランスを崩した。
「うおおおおぉぉっっ!!」
 バイクはガードレールに激突。ガシャアア!
 蘭花の身体はバイクから放り出され、ガードレールの外側――断崖に舞った。
「きゃあああぁぁっっ!」
 死ぬんだ、と思った。
 死にたくない、と思った。
 蘭花は深い崖の底へと落ちていく。
 フッと意識が途絶えかけたとき、

 死ンデハナラヌ。生キヨ。

 何者かの声がした。

 我ガソナタヲ守ッテヤロウ。

 声は言った。
 ――あんた、誰さ?
 蘭花は声の主に訊いた。

 人ハ我ヲ仏ト呼ブ

 薄れゆく意識の中、蘭花は確かにその声を聞いた。――
 ・・・・・・・・・・・・・・・
 ハッと目覚めたら、病院のベッドだった。
 ――アタシ・・・・・・生きてる・・・・・・。生きてるの?
「奇跡だ」
と両親も医師も口々に言った。
 崖から落下した蘭花だったが、木々がクッションになって、一命をとりとめた。どころか、ほぼ無傷の状態だった。
 泣いて喜ぶ両親を見つめながら、蘭花は「あの声」のことを思い出していた。
 ――仏さんがアタシを助けてくれたっていうの? まさかねえ・・・
 不思議なことに、蘭花の所持品も無傷だったが、ただひとつ、お地蔵様のキーホルダー(後輩から修学旅行の土産にもらった)だけがパックリと真っ二つに割れていた。
 ――まさか! まさか・・・ホントに? ホントに仏さんが身代わりになって・・・アタシの命を救ってくれたの?!
 気がつけば、蘭花は床に跪き、掌を合わせていた。
 ――仏様、ありがとう・・・ありがとうございます!
 脳裏に、電光のように、ひとつの考えが閃いた。
 ――私、尼さんになります! 仏様にお仕えして、このご恩をお返しします!
 パッと新しい道が開けた。
 蘭花の回心
と後に族仲間の間で伝説として語り継がれることになる出来事である。

「蘭花、尼さんになるってマジか?」
 一美に訊かれ、
「はい」
 蘭花はキッパリと答えた。
 髪型こそ金髪のリーゼントだが、すでに作務衣姿だ。
「昨日、菩提寺に行って、住み込みで仏様の教えを勉強することになりました。折をみて、得度させて頂けるとのお話です」
 まるで憑き物でも落ちたかのように、穏やかで爽やかになっている蘭花の顔や口調に、こりゃ、マジもマジ、大マジだな、と一美は説得を諦めた。一時の気の迷いではなさそうだ。
「大変だなア、頭も剃るんだろ?」
「いえ、このままで良いそうなので、剃りません」
と晴れやかに笑う蘭花。
 途端、
「馬鹿野郎ッ!」
 「メデュウサ・オシダリ」のカミナリが落ちる。
「え?」
 蘭花の笑顔も固まる。
「そんなキンキラキンのトサカ頭で仏門に入るつもりかッ!」
「いえ・・・その・・・」
 予想外だった総長のお怒りに、蘭花はしどろもどろになる。
「お、和尚さんが、“そのままで良いよ”とお許し下さったので・・・そのォ〜・・・一応、黒く染めようかなあ、とは、あの・・・思ってるんですけど・・・」
「和尚が許しても、アタシが許さないよ! ハンパな真似してんじゃねえよッ! 尼になるつもりなら、ちゃんと頭を丸めろ!」
 厳しい縦社会である族の世界においては、総長の言うことは絶対。まだ正式に「卒業」していない蘭花は、言い返すことができず、うつむくばかり。
「頭丸められないんなら、尼さんなんかにはさせないよ!」
 どうする?とメデュウサ・オシダリに詰め寄られ、
「わかりました」
 蘭花も腹をくくった。たしかに本気で尼僧になるのならば、剃髪して、自身の内外で区切りをつけるべきだろう。そう思った。
「よっしゃ!」
 一美は満足そうにうなずくと、
「それなら、善は急げだ。アタシらが今からお前の断髪式をしてやろう」
 ――ええ〜?!
 さらに予想外の展開に、蘭花はあわてふためき、
「いえ、あの、その・・・床屋でやってもらうので・・・」
「何か言ったか?」
「いえ・・・お願いします」
 総長の言うことは絶対なのだ。

 かくして爆火邪無威悶の主だったメンバーが集合をかけられ、一美の母親がやっている美容院で閉店後、蘭花の「卒業」を惜しみ祝す断髪式が行われた。
 蘭花は店の鏡の前、ケープを身体に巻かれ、だいぶ緊張の面持ち。
 最初にバリカンを入れるのは、無論、一美だ。
「蘭花、頑張れよ。アタシが死ぬときは、お前にお経読んでもらうからサ」
 やさしい声音でそう言われると、蘭花の目も潤んだ。蘭花を取り囲む面々も、しんみりとして、感慨深げだった。
 ウィーン、ウィーン
とバリカンのモーター音が鳴り始める。
「ウリウリ〜」
と一美は左のモミアゲにバリカンをあてると、
 ザザジャアァァ〜
と上に向けて一気に刈り上げた。
 パラパラと金色の髪が落ちた。クッキリと青の道が一本、右側頭部にひかれていた。
 続いて、副長や特攻隊長といった幹部連がバリカンを執る。
「リーゼントのトコは残せよ」
と一美は命じる。どこか面白がっている節がある。
 かくして、前髪――リーゼントの部分だけは残して、まずは両鬢が刈り込まれた。
 ジャアアァァ〜
 ザザ・・ザ・・ジャアアァァ〜
 県下屈指の一大勢力、爆火邪無威悶きっての武闘派、下仁田蘭花は徐々に丸坊主になっていく。
「姐さん、仏門に入ってもアタイのこと、忘れないで下さいよ」
と可愛がっていた妹分のユッコがタオルで涙を拭きながら、バリカンをあててくれた。
 かと思えば、
「頑張れよっと♪」
 明るくノリノリでバリカンを入れてくる幹部もいる。
「はい、頑張りますっ!」
「お蘭、なんかキャラ変わっちゃって、気味が悪ィなぁ」
と言いつつ、蘭花と並んで爆火邪無威悶の四天王と称されて(自称?)いるエビ子は後ろの髪に、二度三度とバリカンを挿し入れた。
 たちまち後頭部の地肌が覗く。
「なんだか、頭の後ろがスースーする・・・」
という蘭花の一言が、一同の悪戯心に火をつけ、皆、我も我もと競うようにして、後ろ髪を刈った。
 蘭花はよってたかって坊主頭にされていく鏡の中の自分のありさまに、ちょっと、いや、かなり引いていた。
 引いている間にも後頭部も側頭部も青くなっていった。
 横の髪、後ろの髪が完全に刈られ、リーゼントの髪だけが、どん、と坊主頭の中央部に、鎮座ましましている。青い珊瑚礁に浮かぶ島のように。
 そんな珍妙な髪型の蘭花を中心に、皆で記念写真を撮った。他のメンバーが指を立てたり、カメラにガンを飛ばしたりする中、蘭花は合掌ポーズ。ウンコ座りで。
「っつうかさ、お蘭、別にチーム辞めなくてもよくねえ? 尼さんのレディースがいたっていいじゃん」
とエビ子は蘭花に残って欲しがっていたが、
「これもケジメだよ、蘭花の」
 一美に言われ、黙った。寂しそうだった。
 自慢だったリーゼントにバリカンが入る。バリカンを握るのは、一美。これも総長の特権だ。
 一美、欲張って、ド真ん中からバリカンを挿し込み、メリメリと根こそぎ剥がしとり、左右にジグザグ動かして、「大漁」を狙う。
 ザザザザアアアァァァ
 リーゼントがゴッソリと収奪された。
 その切り取ったのを、
「蘭花、お前の俗世の形見だ。大事に取っておけ」
と一美は蘭花に手渡す。
 手渡されても、正直、困惑する。
 ヘアスタイリング剤を大量に含んだ髪は、心もちネットリしているような気がして、何故だろう、頭上に生えていたときには、普通に触っても、むしろ誇らしく愛おしい気持ちだったのに、切除されて手の内にあると、薄汚い野良猫でも抱いているような気持ちの悪さをおぼえる。どうにも落ち着かない。放り出してしまいたい。
 刈り損ねたリーゼントの遺構が、チョボチョボと取り残されているのを、一美はバリカンですくいとる。
 ザザザ・・ジャアアアァァ
 ジジジ・・・ジアァァー
 青白い坊主頭の女が頬を紅潮させて、蘭花を見つめていた。
 眉毛を極細に整えすぎているため、宇宙人か能面みたいだ。
「ブラボー!」
とエビ子がおどけて拍手。これも、ひとつの思いやりだ。
「姐さん・・・ホントに尼さんになっちまうんですね」
 ユッコは大泣きしている。
「蘭花、坊主結構似合うじゃん」
 一美はバリカンの刃先についた細かな髪を、フゥーッと口で吹き払いながら、褒めてくれた。
「皆、ありがとう」
 蘭花は坊主頭を一撫でして、微笑んだ。・・・つもりが、ポロリ、と涙が一粒こぼれ、
「あれ?」
とキマリ悪そうに、目尻を指で拭った。
「蘭花、立派な尼さんになれよ」
「尼さんになっても、アタシらダチだからね」
「チームのことはウチらに任せとけ。爆火邪無威悶は永遠に不滅だからサ」
 皆、それぞれ別れの、そして門出の言葉を蘭花に贈った。それが余計に蘭花の涙腺を緩ませた。
 いつしか蘭花はポロポロと涙を流していた。

 蘭花が得度して、正式な尼僧になったのは、それから四ヵ月後のことだった。
 「蓮花」という法名を頂いた。
 得度後、関西の或る尼寺に入門して、本格的に尼僧としての勉学に励んだ。
 この尼寺で生け花と出遭った。
 尼寺では収入源のひとつとして、生け花教室を開いていた。
 最初は、独り立ちして食べていけるために、と学んだ生け花だったが、その奥深さ、美しさ、楽しさに魅せられ、気がつけば生け花の世界でひっぱりだこになっていた。
 G学院からも、講師の依頼が舞い込んだ。
 ゆえに、こうして才能も情熱もない生徒にも、
「高杉さん、もう少し奥行きを出した方がええですよ」
と心をこめて教授する。
「はい」
 徳子は口では素直に返事をするものの、目が死んでいる。特別授業において、こうしたやる気のない院生、反抗的な院生は、講師が院生監督などに伝え、懲罰の対象にしてもらうのが、常道なのだが、蓮花はそういうことは一切しない。自発的にやる気になってもらうまで、根気よく教えるつもりだ。
 そんな蓮花の温厚さに甘え、徳子はつい手抜きをしてしまう。
 適当に花をイジりながら、そういえば、と徳子は思い出す。
 以前、学院きっての情報通、ハルカが、
「下仁田先生って、昔ヤンキーだったらしいよ。レディースの幹部ですっごい悪さしてたんだって」
と話してくれたことがある。
「まっさか〜」
と徳子は一笑に付した。
「だよね〜、あの下仁田先生が元ヤンなんて、ありえないッスよ」
と一緒にいた安達小夜子も信じなかった。
「確かに。こりゃガセネタだね」
 情報提供者のハルカ自身も肩をすくめて、この話はそれきりになった。
 下仁田先生がバイクを飛ばしている姿など、想像すらできない。自転車に乗せても危ういイメージなのに。
「集中せんとあきまへんよ」
と蓮花に注意され、徳子はハッと我に返る。
「す、すみません」
 あわてていて、つい花器を倒してしまった。
 バシャッ
と水が飛び散る。
「あらあら、まぁまぁ」
「申し訳ありません(汗)」
 徳子や蓮花、周りの院生たちは大急ぎで、畳を拭く。
 蓮花の法衣の袖にも水がかかり、したたかに濡れている。
「あらあら」
と蓮花は微笑しつつ、袖をまくった。
「!!」
 徳子は見てしまった。
 蓮花の二の腕に残る無数の
 根性焼き
の跡を。
 ビシィッと思わず背筋が伸びる。
「高杉さん」
「はいっ!」
 上官に対する二等兵の如く、緊張し硬直する徳子だった。
「お水を――」
「はいっ! 入れて参ります!」
 先程までとはうって変わって「意欲的」になる徳子に、蓮花も嬉しそうで、
「さっきも言うたけども、もっと奥行きを、な?」
「はいっ!」
 徳子は震える手で、懸命に花を生けた。
 生けあがった徳子の花に、
「まあ」
 蓮花は顔をほころばせた。
「お花が笑うてはるわ」
 徳子はどっと疲れた。心地よい疲れでもあった。でも、思う。やっぱりこの人は苦手だ。



(了)



    あとがき

 長っ!! 通常の二倍の長さになってしまった(汗)
 今回のアップロード作品はマニアックな長尺物ばかりだ(汗)
 できちゃったものは仕方ない、と居直ってのアップロードです。
 今回は「清浄化」に続くメドレー物、列伝物です。以前から頭の中にあったネタや、書きかけていた断片とかをコラージュして、ひとつのお話にしました。
 各章のいわば蝶番的役割を果たしてもらっている高杉徳子嬢、ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、迫水のオリジナルではありません。
 当サイトに多くの素晴らしい作品を提供して下さっている断髪絵師のあのコウキさんが何年も前、描いて下さった「ファニーロック」という作品のヒロインです。
 G学院の女子院生という設定で描いて下さって、「断髪中、トイレでウ○コ」いう情けない状況に陥ってしまう娘です(笑)
 「丸刈りコンシューマー」というサイトで掲載なさっています。素晴らしい作品なので、是非そちらと合わせて、楽しんでいただければ嬉しいです♪
 徳子嬢、いつか、自作に登場させて頂きたいなぁ、と思っていたのですが、そもそもG学院シリーズそのものを、ずっと書く機会がなく、時は過ぎ・・・だから、今回念願を果たせてすごく嬉しいです(^0^)
 「赤鬼」益雪の「ぶりっ子」ぶりとか、難しかった〜。こっちは昔のラブコメ漫画(自分より上の世代なんだけど結構好き)を念頭に置きつつ書きました。
 あと、蓮花(蘭花)章とかね、ヤンキー文化に疎いので、ほんと、ヤンキー漫画なども全然読まない人間なので、かなり苦労しました。結構書き流して誤魔化しているトコも多いです(汗)
 書いてる間は、こりゃ駄作じゃないか、と不安になりましたが、書き上げてみて、結構お気に入りの作品になりました♪
 お読みになられる方は、「清浄化」同様、ざっと目を通して、好みの部分があれば、そこを重点的にお読みになられたら良いように思います(←最初にそう言え!)
 最後までお付き合い下さり、本当にありがとうございました(-人-)




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