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刮目して見よ! 例えば明菜とかを


    (壱)父と。

 修行道場の洗面所、いつものように手早く洗顔を済ませ、池上明菜(いけがみ・あきな)はふと、鏡にうつる自分を、余裕のない時間が許す限り、まじまじと凝視した。
 目は落ちくぼみ、頬は削いだようにこけている。数ヶ月の修行生活で、体重は10キロ近くも減っていた。
 連日の野外活動――野良仕事で、顔も手足も真っ黒に日焼けしていた。黒い痩せ果てた顔、両眼ばかりがギョロギョロと光っている。
 後ろで束ねた長い髪でかろうじては女とわかる。自分のありさまに、思わず苦笑がこぼれた。
 けれど、精悍な顔つきに頼もしさを感じる。逞しさを感じる。乳臭さや女臭さがきれいに追い払われた、修行僧の顔だ。

 この道場に来たときには、こうではなかった。
 ややポッチャリとした、童臭芬々たる少女の顔だった。
 出立の日、着慣れぬ僧衣姿は傍目に見ても、ギコちなく、衣装に着られていた。束ねられた長い髪と、僧衣はどうにもミスマッチだった。
 これから大丈夫だろうか、という不安と、なんでアタシがこんな目に、という不満でいっぱいの面持ちで、
「じゃあ、行ってくるね」
と見送りの両親や妹に言うと、おぼつかぬ、そう、刑場に赴く死刑囚のような足取りで、道場の門をくぐっていった。
 同じような光景は、そこかしこに見られた。

 明菜の場合、そもそもが、求道心も使命感も皆無の出家だった。
 仏教系の私大、八頭大学(通称・バチカブリ大)になりゆきで入学し(親のコネで)、お気楽な学生生活をエンジョイして(親の金で)いるうちに、四年が経ち、ろくに就職活動もしなかったため、卒業後も進路が決まらずにいた。
 そこで、海外留学という選択肢が浮かんだ。
 放蕩生活も続けられるし、なんかカッコイイ。プライドも保たれるだろうと、安直に考えて、父にねだると、
「まだ親の脛を齧る気か!」
 寺の住職で、娘に甘い父もさすがに怒った。
「ブラブラ遊んでるのなら、いっそ、尼僧修行をして来い!」
と命じられ、明菜は驚倒した。
 明菜は三姉妹の次女。
 長女は嫁に行き、三女はまだ高校生。
 そろそろ次期後継のことを真剣に考えねば、と思っていた頃だけに、父は明菜にズブリと白羽の矢を立てたのだった。ダメダメな放蕩娘を、立派な「社会人」にしてやらねば、という親としての義務感もあった。
 無論、
「イヤッ、尼さんなんて冗談じゃないよ!」
と明菜は嫌がり、激しく抵抗したが、父は許さなかった。
「だったら、家を出て行け!」
と生活無能力者の明菜には、最後通牒ともいえる叱責の言をもって迫られるに至っては、明菜は涙を流し、
「わかったよ」
と道場行きを承諾するしかなかった。
 尼僧になって、跡を取ることは了承したが、
「その代わり――」
 明菜はかろうじて、ひとつ条件を出した。
「髪は剃らないよ」
 明菜の髪は肩下10センチ、美しい髪だった。愛着があった。それに、うら若き乙女が、坊主頭なんて死んでもごめんだった。
「ああ、いいとも」
 父は案外あっさりと、娘の希望を容れた。
 それで、厳しいと評判ではあるが、有髪が許された尼僧道場が選ばれた。
 支度は短期間で整えられ、明菜は入門の日を迎えたのだった。
 背中を丸め、道場内へと消えていく明菜の後姿を見送って、
「お姉ちゃん、大丈夫かなぁ」
 明菜の妹・日枝(ひえ)はまだ姉の仏門入りに実感がわかないといった顔だ。漏れ聞くところによれば、これから想像を絶した荒行の日々が待ち受けているらしい。
「まあ、ボウズを免れたのは、せめてもの救いかなぁ」
「だが明菜も――」
 父はニヤニヤ思わせぶりに笑い、
「丸坊主になって戻ってくるだろうさ」
 予言めいたことを口にする父に、
「なんで? ボウズにしなくていいトコなんでしょ?」
「強制されなくても、自発的に頭を丸めるってことさ」
「自発的に? 姉貴が? マジありえねー」
 日枝はケラケラ笑った。あれだけ坊主頭を忌避していた明菜が、自分の意思で剃髪するなど、天地がひっくり返ってもあるわけがない。
「いやいや、夏の一時帰省には、坊主頭の明菜が拝めるだろうな」
 父は自信たっぷりだ。
「いや、姉貴は切らない。切れない。生まれてからショートにもしたことのないチキンだからね」
 日枝は日枝で言い張る。
「アタシ、賭けてもいいよ」
「ホウ、何を賭ける?」
「なんでもいいよ。アタシが勝ったら、プラダのバッグ、買ってもらうよ」
「幾らするんだ?」
 日枝の教える値段に、
「そりゃ、随分法外だなあ」
と父は目を見開いていたが、
「じゃあ、こっちもお前にそれなりのものを要求しよう」
「何さ?」
「ワシが勝ったら、お前も尼になれ」
「ええ?!」
と今度は日枝が目を丸くする番だ。
「八頭大に入って、“研修”を受けて、尼僧の資格を取れ」
「自分の娘、片っ端から尼さんにしてどうすんのよ?!」
「お前が賭けに勝てばいいだけの話だろう?」
「そりゃあ、そうだけどさぁ」
「勝てばプラザだかプラダだかのバックだぞ?」
 そう言われると、日枝も強気を取り戻し、
「OK」
と賭けは成立した。
 しかし父の悠揚迫らぬ態度に、日枝は少し心配になった。

    (弐)指導員と。

 修行の助手をつとめる八木独泉(やぎ・どくせん)は、道場に参集した尼僧の卵たちを、いかめしい顔で出迎えていた。
 修行尼たちも大変だろうが、修行スタッフも大変だ。
 これから彼女らとともに、しばらく「シャバ」とおさらばだ。
 酒も飲めないし、肉も魚も食べられない。テレビも見れない。外界との接触も制限される。
 色々義理もあり、修行の助手を引き受けたが、先々のことを考えれば、気が滅入る。
 尼僧の卵たちは続々とやって来る。
 二十代くらいの者が多い。潔く坊主頭になっている者もいれば、有髪尼も結構いる。
 おや、と独泉の目はそんな中から、ひとつの卵に釘付けになる。
 ポッチャリとした女の子だ。透けるような白い肌、クリクリと大きめな目、蕾のような愛くるしい唇、とりたてて美人ではないが、独泉の好みのタイプだった。
 後で調べたら、池上明菜という娘だった。
 髪は、長い。胸まであるのを、後ろでまとめている。
 僧衣を頼りなくまとっている。見た目、いかにも生熟れで、普通の女の子が僧侶のコスプレをしているかのようだった。まだ修行前の段階なので、無理もないのだが。
 目をかけてやろう、と独泉は決めた。
 この道場で「目をかける」というのは、相撲部屋の「かわいがり」と同義だ。シゴきにシゴいてやる。しかも、独泉はかなりのドSだった。好きな女の子だから、イジメたくなる。小学生の論理に近くもある。
 これで行中の楽しみができた。憂鬱な気分は一掃された。
 「目をかけ」られた明菜こそ、災難だ。
「おらっ、池上! モタモタすんな! 走れ! 走れえええッ!」
と始終追い立てられる。
「この馬鹿もんがッ!」
 扇でバシィッと頭をシバかれる。
 独泉は明菜にさまざまな「罰」を与えて、内心喜んでいた。
 足が溶けるほど、長時間正座させた。
 ときには、庭の大石の上、正座させたり、さらにその両膝の上に漬物石をのせたりして、
「うぐっ、クッ・・・クッ・・・な、なんのこれしき・・・」
 硬いゴツゴツとした石の上で、ポロポロと涙を流しながら、歯を食いしばって、「拷問」に耐える明菜に、独泉の嗜虐心は満足する。
 明菜はいわゆる「喪女」だった。男にあまり縁がなかった。それに、女ばかりの環境なので油断しており、で、腋毛の処理を怠っていた。
 水行。サラシに腰巻という半裸で、せいやああ、せいやああ、と掛け声をかけて、頭から冷水をかぶるとき、モロ見えになる、こんもりとした明菜の腋の茂みは、独泉のフェティッシュな欲望を刺激した。Sっ気をかきたてられた。
「池上だけ、あと十回、水をかぶれ」
 独泉に命じられ、明菜は嗚咽をこらえながら、腋毛も露わに、バシャバシャと一人、水を浴び続ける。その虐待ショーに、独泉は絶頂すらおぼえる。
 水に濡れた長いモミアゲが、白い頬にはりつく。恨みを含んだ目つきで、明菜は独泉の横暴に忍従する。
 こうした日々を重ねるにつれ、温室育ちで、体力面精神面で劣弱だった明菜は、心身ともに鍛えあげられていったのだった。

    (参)旧友と。

   盛夏。
 土曜の昼過ぎ。
 OL一年目の小塚原絵美(こづかはら・えみ)のアパートを訪れる者があった。
「頼もう! 頼もう!」
とインターホンを押し、道場破りみたいに連呼され、絵美が、何者か?とチェーンをつけたまま、小さくドアを開くと、僧形の人が立っている。
 てっきり寄付でも求められるのではないか、と絵美は恐れ、
「間に合ってます」
 とっさにドアを閉めようとしたら、
「絵美どの、拙僧の顔をお忘れかな?」
 しゃがれているが女性の声、尼さんだ。
 しかし、尼さんの知り合いなどいない。
「どちら様ですか?」
 やや詰問口調で訊ねると、
「池上と申す」
 尼僧は答えた。
「明菜ぁ〜?!」
 絵美は腰を抜かしそうになった。
 目の前にいる尼僧と、絵美の知っている池上明菜はまるで別人だ。
 身体中の贅肉という贅肉を全て削ぎ落とした痩せた体躯、真っ黒に日焼けして、だから、こぼれる白い歯が眩しい。白くポッチャリした、あどけない顔だったのが、黒くなり、ひきしまって、すっかり凛々しくなっている。猫背気味だった背も、スッと竹のように真っ直ぐ伸びている。
 何よりずっと慈しんでいた髪を、残らず刈って、目にも鮮やかに青々と坊主頭になっている。
 どこからどう見ても、いっぱしの修行尼だ。
「ホントに明菜なの?」
 あまりの変わりように、絵美は確認せずにはいられない。
「嘘など申さぬ」
「寺、継いだんだ」
「まだまだ修行中の身でござる」
 明菜、しゃべり方まで変になっている。
「とりあえず、あがってよ。今お茶淹れるから」
「お気遣いは無用にござる」

 明菜と絵美は大学時代の友人だった。
 お互い「喪女」で、「喪女」同士、いつもつるんで遊んでいた。
 当時の明菜は月20万円という実家からの仕送りで、優雅に暮らしていた。
 街に出ては、ろくに袖も通さないであろう、ロリータ系の服を、ゴッソリ買い込んできて、気の向くまま、ゴスロリファッションで大学の授業に現れ、悪い意味で衆目を集めていた。
「アタシもそろそろダイエットしようかな」
が口癖で、そのくせ、毎日、モキュバーガーを食べないと気が済まなかった。ハンバーガー以外にも、甘い物に目がなかった。雑誌で紹介されているオシャレで高級なカフェに行きまくり、パフェやケーキなどを口にし、写メを撮って、自身のブログやtwitterにアップしていた。
 ブログを埋めつくすのは、ロリータ系ファッションをまとい、ナルシスティックなポーズをきめた自己画像と、高価なスイーツと、そして、メンヘラアピール――「オクスリ飲まなくっちゃ」とか「精神状態サイアクで、三日連続で吐いちゃった」とか、「ほんのちょびっとだけリスカしちゃった」という、記事や呟きを一日に何度もアップしてみせる、典型的な「構ってちゃん」だった。
 神経科で処方された薬を、大量に飲んで、酩酊状態で絵美にTELして、わけのわからないことをまくしたてたりもした。
 そんな明菜を女子たちは冷笑し、男子たちも敬遠していた。
 当然、彼氏はできない。
 たまにコンパに出席すれば、意識的な変人ぶりと、無意識的なKYで、男子たちから、ますます距離をおかれていた。
 しかし明菜は気にかけなかった。気にかけまいとした。
 自分は「個性的」だから、「凡人」には理解されないのだ、と、そう開き直っていた。
「そこら辺の男子って、女からすればオコチャマで、相手するの疲れるわ〜」
などと放言することで、自尊心を保っていた。
 で、絵美とモテない女二人、遊び回っていた。
 ファッション感覚でアニメを観た。コスプレイヤーの真似事もした。
 二人でコスプレして街を歩きさえした。
 髪の短い絵美がブレザーやズボンという「男装」で、明菜はアニメのロリキャラ風の服を着、周囲の視線を楽しむように、街中を闊歩したものだ。
 けれど、普通のサラリーマン家庭に育った絵美は、親からの多額な仕送りで贅沢三昧する明菜と違って、もっと現実的になる必要があった。
 早くから、水面下で就職活動を続け、小さな企業の事務職として内定をもらった。
 明菜としては、友人の進路決定を喜ぶより、裏切られた、という気持ちの方が強い。二人で卒業後も、グダグダとぬるま湯的な生活を送りたいと望んでいたのに。
 とりあえず、
「“社畜”にはならないようにね」
と皮肉や負け惜しみを込めて、光さす道を歩む絵美に忠告(?)してやった。
 大学を出て、二人の交流はパッタリと止んだ。お互い、電話もメールもしなくなった。
 絵美は新人OLとして、多忙な毎日を送っている。
 そのうち、ひょんなことから彼氏ができた。
 仕事にも慣れ、恋もし、いつしか大学時代は彼女にとって、遠い過去になっていた。
 明菜のことも気にはなったが、忙しさにかまけて、それにまた嫌味を言われそうだし、明菜との思い出は、社会に出て働きはじめてみれば、痛々しいものばかりだし、だから放置状態になってしまっている。
 そうしたら、突如、「過去の亡霊」が出現。しかも、尼さん姿で。
 聞けば、修行先から休暇で実家に帰省中で、所用あって、この近所まで来たので、立ち寄ったとのことだった。
 「亡霊」は、出されたコーヒーを一口飲み、それきり口をつけなかった。
「いつも水か白湯ばかりで、コーヒーなどは久しく飲みつけないのでござるよ」
「そのしゃべり方、どうにかならないの? “るろ○に剣○”みたいだよ」
「許されい、これも日頃の生活の産物ゆえ」
「髪切ったんだね」
「長い髪は修行の邪魔になるゆえ、バリカンで刈り申した」
 そう言って、明菜は青い頭に手をやり、
「男子か女子か見分けがつかなくなってしまい申した」
 クルリ、と撫でた。
 絵美の喉がゴクリと鳴る。
「ねえ、ねえ、触らせて、触らせて!」
と明菜の許可を得て、彼女の頭にタッチする。ザラザラして気持ちいい。
「明菜、クリクリだぁ〜」
「くすぐったいでござるよ」
と明菜は初めて笑った。
 その清々しい「イケメン」オーラに、絵美はドキッとした。
 例えば、高校球児たちが時折見せる、表層的な美醜を超えた格好良さと似たものを、絵美は明菜から感じた。美しい。しぼりあげられた身体から、マイナスイオンが出ているようにすら感じる。癒される。
 人とはこんなに変われるものなのか、と絵美は改めて瞠目する。
 有髪だった頃は、ゴスロリファッションやコスプレ衣装に合わせ、髪をクルクル巻いたり、ブラウンに染めたりしていたのに、
「さっぱりしたでござるよ」
 頭をさすられ、明菜はゆるゆると微笑している。
「明菜、男前だよォ〜」
 絵美は変貌を遂げた旧友にすっかりメロメロ、
「今夜泊まってって! ねえ、泊まってって!」
と引きとめ、モキュバーガーにデリバリーの電話をして、
「明菜の好きだったモキュバーガーだよ、食べて食べて〜」
ともてなした。
 明菜は目の前のジャンクフードに手をつけかねていたが、絵美の好意を無碍にはできず、
「かたじけない。では頂く」
と強引に口につめこんだが、しばらくして、
「少々、厠を貸して下され」
とトイレで戻していた。
 長いこと、主食が粥ばかりの菜食の生活を続けていたため、肉が受け付けない体質になってしまったらしい。
「大丈夫? ごめんね」
 絵美は嘔吐する明菜の背をさすって、介抱してやった。
「なんのなんの、平気でござるよ」

 その夜、明菜は絵美の部屋に泊まった。二人、枕を並べて寝た。
 絵美は明菜の美僧ぶりに、心を奪われている。上気して、彼女の臥所に、スルリと這い入った。
 明菜は絵美を抱き迎えた。
 絵美は明菜の逞しい身体に抱きすくめられた。
 そこに、「浪費家の寺娘」「メンヘラの構ってちゃん」「屈折した喪女」の面影は微塵もなかった。
 明菜のアリエナイほどの「妙技」に、絵美は何度も果てた。頭が真っ白になった。坊主頭を使った「妙技」もあった。
「道場では、たまにこうして――」
 尼僧同士、慰めあって性欲を処理しているのだ、と明菜は話してくれた。
「女子には女子にしかわからぬ悦びがあるゆえ――」
と明菜は言う。
「拙僧も随分仕込まれ申した」
「彼氏とするより、全然いいわぁ〜」
 絵美は昇天して、恍惚状態。
「この儀はくれぐれも内密に。あまり人様には申せぬことゆえ」
「またしてくれたら、黙っててあげる」
と絵美は夢心地の中、明菜の汗ばんだ坊主頭を撫でた。
「しょうのない娘御よのう」
「ねえ、明菜、お願いがあるの」
 絵美はあることを思いついた。
「何かな?」
「前に魔法少女のコスプレ、したことあるでしょう? 『魔法少女クルクルクルミン』の」
「ああ、そんなこともあったでござるな」
「あの衣装、まだウチにあるんだけどさ」
「ホホウ、それはそれは」
「着て」
「拙僧がでござるか?」
 明菜は少々驚いた。
「そう、着てよ〜」
「流石に、こんな頭になってしまっては着れないでござるよ」
 明菜は断ろうとしたが、絵美は許さず、
「ねえ、着て、今用意するから」
と強引に明菜に衣装を着せてしまった。
 フリルやスパンコールがこれでもかとついているピンクのミニスカドレス、白のブーツ、胸には蝶々結びのリボン、手には魔法のステッキ、とどこから見ても愛らしい魔法少女だ!
 ・・・とはいかず、坊主頭となっては是非もなく、かなり色物的な姿に、そう、一種の辱めのような有様になってしまった。以前は長い髪をツインテールにして、この衣装でキメて、あちこちの会場で写真を撮られまくっていたものだが・・・。
「これは・・・懐かしい・・・というか・・・恥ずかしいというか・・・」
 明菜は姿見の前、あまりのミスマッチぶりに当惑気味だ。
「ねえ、写メ撮ろ!」
 絵美はすっかりご満悦で、スマフォを丸坊主の魔法少女に向ける。
 パシャ
「いやはや、どうにもこうにも・・・」
 明菜は苦笑いしながらも、絵美の求めに応じ、片足をあげたり、人差し指を頬にあてたりして、ポーズをとった。かなり無理があった。
「法力少女マルコメアッキーナ!」
と絵美にひやかされ、
「はてさて」
 明菜はやっぱり苦笑している。

    (肆)仲間と。

 話は二ヶ月ほど前に遡る。
 夜の尼僧部屋でのことだ。
 明菜は艶を失いバサバサになった山姥のような乱れ髪を、背に肩に垂れこぼし、サラシに腰巻の半裸姿で、どっかりと胡坐をかき、両腕を組み、
「やって」
と同室の尼を促していた。
 同室の尼はバリカンを握っている。
「いいの?」
と最後の確認をされ、
「ええ」
とうなずく明菜の顔は、「漢」の顔だった。
 薙髪を拒んで、長い髪のまま行に入った明菜だった。どんなことがあろうと、絶対髪は切らない! そう心に決めていた。
 しかし、スパルタ式の生活に長い髪はマイナスにしかならないと、この数ヶ月で心底思い知らされた。
 分刻みのスケジュールの中、髪の手入れをしなければならない。朝は夜明け前に起きて、髪を整える。髪をちゃんとセットしてないと、指導員に怒られるのだ。
 それでもコマネズミのようにあわただしく動き回るので、しょっちゅう髪が乱れる。反射的になおす。それを指導員に見られようものなら、特にそれが独泉だったりすると、
「行に集中せいッ!」
と扇でバシィッとやられる。
 満足に入浴もできず、ヘアコンディショナーなどもあるはずもなく、髪はハリやツヤがなくなり、傷みに傷む。フケも出る。
 道場内にも序列がある。
 剃髪尼僧は有髪尼僧より、全てにおいて優先される。それがシキタリだ。
 ほとんど女ばかりの生活で、長い髪で異性にアピールする機会など皆無に近い。
 何故髪を伸ばしているのだろう、と虚しくなる。
 だから、有髪で入門してきた尼僧たちの中にも、頭を丸める者がチラホラ現れる。
 しかし明菜は頑張った。
 長い髪で粘り続けた。
 有髪可というので、剃髪必須だが比較的ゆるい道場を避けて、わざわざ厳しいこの道場に入ったのだ。髪を剃ったら、何の意味もないではないか。
 だが、有髪での修行のストレスはすさまじい。
 長髪が鬱陶しくて仕方ない。
 坊主頭になった方が楽だ。
 周りは女坊主ばかりなので、女坊主に対する拒絶感も薄らいでくる。
 何より、何ヶ月もの修行生活で性格も、ラフに、体育会系に、男っぽく、潔く、なった。
 そうなると、
 ――ボウズにするか。
と自然に思えた。
 同室の尼が自前のバリカンを持っていたので、断髪を頼んだ。
「池上さんも、いよいよボウズかあ」
と同室の尼――六条河原梅松(ろくじょうがわら・ばいしょう)は「坊主仲間」が増えるのが嬉しいので、ホクホク顔だ。
 坊主(短髪)の人って、長髪の人に比して、他人にも自分の髪型をすすめたがる傾向にあるようだ。
 この梅松もご多聞に漏れず、
「池上さんも頭、ボウズにすれば?」
 ラクだよ〜、アタシがやってあげるよ〜、としきりに勧誘してきた。
 その都度、明菜は断ってきたが、今宵ついにあれほど執着してきた髪を、梅松のバリカンの餌として、差し出すことに。
 ちなみに梅松は元オタクで、明菜とはアニメなど共通の話題があり、仲が良かった。
 出家前は腰まであるロングヘアーだったという。
 明菜同様、実家の寺を継がされるハメになり、出家が決定。気が変わらぬうちに、と家族や檀家さんに取り囲まれ、押さえつけられるようにして、
「問答無用でバリカンでボウズにされたよ〜」
と凸凹頭に手をやって笑っていた。
 しかし、現在では毎日せっせとマイバリで、坊主頭の保持管理に余念がない。
 さらに他人の髪まで刈りたがる。
 念願叶って、同室の明菜の髪が供物として捧げられ、満面の笑みを浮かべている。
 部屋の畳に風呂敷を二枚ひろげ、その上に明菜は僧衣を脱いで座らせられた。
 センチメンタルな気持ちにはならなかった。
 ジリジリジリ、とバリカンが頭にあてられ、グッと髪に挿し込まれたときも、明菜は眉ひとつ動かさなかった。
 むしろ、これで、寝不足やフケ、抜け毛や煩わしさ、差別から逃れられるという解放感が胸に満ち満ちていた。
 ――ああ、気持ちいいっ!
 ゾリゾリとバリカンは勢いよく、スピーディーに明菜の頭を縦断し、右サイドの頭髪を刈っていく。
 長い髪にバリカンが入り、押し進められ、髪が裂ける。ボトボトと滴みたいに落ちていく髪は、すっかり傷んで、先の方が赤茶けて、枝毛だらけになっていた。
 一瞥して、
 ――こんな髪なら、頭に乗っけていても意味ないな。
 刈って正解だった。しみじみ思う。
 明菜剃髪のニュースを聞きつけ、他の部屋の修行尼たちも見物に訪れる。
 彼女らはニヤニヤと明菜の断髪を見守っていた。
「池上さん、ようやく決心がついたようでござるな」
「拙僧も最初はチト抵抗があったが、慣れるとこれほど快適な髪型もござらぬぞ」
 剃髪した尼たちは、この道場特有の武家言葉みたいな話し方になっている。こんな口調になっている自分を想像すると、明菜はあまりぞっとしない。
「うんうん、いい感じいい感じ。池上はボウズ似合うと思うよ」
 梅松は普通の女の子のしゃべり方、でも上から目線で、明菜の髪をどんどん刈る。その手さばきには、微塵の容赦もない。
 指で首筋の髪をかきわけ、襟足の生え際にバリカンを挿入。
 ジッとバリカンの刃が髪と交わって、はぜる音がして、ズババババ、と後頭部の頭皮が露出する。
 左半分が青、右半分が黒になった。
 のぞいた頭の肌に、クッキリと夜風を感じた。
 ――ああ〜、涼しいっ!
 この時期には、暑さ対策にもなる。一石で何羽も鳥が落っこちる。坊主さまさまだ。
 半裸の肩に背に膝に、刈り髪が落ちる。
 汚ならしい、と明菜は顔をしかめる。自慢の髪だったはずなのに。
 ジリジリジリ、ジャジャジャジャジャアアア
 ジャジャジャ、バサバサッ
 バリカンは黒い部分を侵食していく。ジッと咥えこみ、食らいついたまま、長い髪を引っぺがし、左へ左へ移動していく。
「池上さん、今宵はお愉しみでござるな」
と見物尼の一人にひやかされたときは、明菜も頬を赤らめた。
 同室の尼たちもウムウムと首肯して、
「池上さんも晴れて、我々の真の仲間になるのでござる」
「池上さんは仕込み甲斐があり申す」
 この道場では、剃髪した尼のみが夜の「秘め事」を許されるという裏の掟がある。
 男子禁制の尼僧道場なので、性的な欲求不満を解消するため、尼たちは女同士、慰め合う。
 その道の「秘技」も継承されていく。
 こういう愉しみと「連帯」があればこそ、厳しい日常を乗り越えられるのであろうか。
 明菜はたびたび愛し合う同室の剃髪尼たちのヨガリ声を聞きながら、恐怖と羨望を同時に感じていた。
「池上さんには拙僧が手ほどきして進ぜよう」
「いやいや、拙僧が」
 同室の尼たちは競って、新しく誕生する剃髪尼の「指南役」を申し出る。中には、つい数ヶ月前には、
「有髪OKで良かったよね〜。頭剃ったりなんかしたら、ダーリンが泣いちゃうわぁ」
とのたまっていた剃髪尼僧も混じってたりもする。
 そんな尼たちを、
「ダメよ」
 梅松は制した。
「池上には私が教えてあげるの」
 剥き出しになったぼんのくぼに指をあて、
「満行するまでには、ここがこの子の一番の性感帯になるぐらい、坊主テク、バリカンテクをみっちり仕込んであげるからね」
 同輩で、しかも二歳年下の梅松に「この子」呼ばわり。明菜は軽い屈辱をおぼえた。反面、腰巻の中の秘壷が期待に潤んだ。ジュン。
 ――ちょっとォ〜! もしかしてヤバい世界に入りかけてるぅ〜?!
 「快適」を求めて頭を丸めたが、「快楽」はちょっと怖い。
 でも、もう引き返せない。
 明菜が当惑している間にも、梅松は手を休めず、後頭部は全て刈り込まれた。
 バリカンは後ろから頭頂部を通過して、前髪もバリバリ落とされた。明菜はとっさに目を閉じた。
 最後に左の髪が剪まれた。
 ジャッと髪が啼き、ザザザザア、とバリカンが髪を掻き分け掻き分け、左即頭部を遡り、ボタボタと刈り髪が剥がれ落ちていった。
 梅松は、長い髪の残存を許さず、執拗にバリカンを明菜の頭に滑らせた。
 明菜は1mmの坊主刈りになった。
 女子大生だった頃(ついこの間だ)、大学の柔道部員たちの五厘刈りの頭を、「青くてキモい」「野蛮人ども」と軽蔑し嫌悪していたのに、彼らより短い髪にされてしまった。
 しかも、梅松、断髪が済んでも物足りないのか、
「サービスだよ」
と腋毛まで刈られた。バリカンで1mmに。
 ――嘘ぉ〜!
 明菜は目を丸くして言葉も出ない。
「いくら男子禁制でも身だしなみは大切だよ」
と梅松。
「左様、左様」
と他の尼たちも同意する。
「正直、池上さんのそばに寄ると、チト匂ったでござる」
「うむ、腋臭が少々」
 ――ええー!!
 明菜は激しい羞恥に襲われた。カアーッと頬が熱くなる。
 しかも、
「あ、襟足がちょっと残ってる」
と腋毛を剃った刃先で、ジョリジョリやられた。
 ――うわっ!
 明菜は目を白黒させ、首をすくめる。
 完成した坊主頭を鏡で見る。皆、明菜の反応を意地悪くうかがう。
「頭青っ!」
と明菜が頭に手をやると、皆、手を拍って笑った。
「似合う似合う」
「頭の形も悪くござらぬ」
「うむ、見事だ」
 明菜もこれまでシゴきをくぐり抜けてきた身、今更坊主頭に涙するという、けなげさなど持ち合わせていない。
「軽い、軽い」
と頭をさすりさすり、破顔していた。
「気持ちいい!」
とハシャいでいたら、
「もう消灯なのに、何を騒いでいる!」
と独泉登場。
 独泉は丸坊主の明菜を見て、ちょっと複雑そうな顔をしたが、いつものように、
「もう寝ろッ!」
と扇が割れるほど強く、頭をぶたれた。バシイィッ。
「クッ・・・」
 髪がなくなった頭に、打擲は骨に染みるほど痛かった。
 しかし数分後には、鼻歌を歌いながら、風呂の焚口に刈った髪(と腋毛)をまとめて放り込む明菜がいた(注・修行道場では原則としてゴミを出さない。だからゴミ箱がないのである)。後生大事にしてきた髪が、明日には風呂の焚きつけになるのだ。そんな感傷も2秒で消える。随分とタフになった。
 そして、その夜、明菜は梅松はじめ同室の尼たちによって、未知の遊戯、未知の悦び、未知の世界を教え込まれた。
 めくるめく快楽に、明菜は坊主頭を振りたて、乱れに乱れた。
 髪ヲ断ズルハ愛欲ヲ断ズルナリ、と仏典にあるが、明菜は髪を断って、新しい愛欲の道に目覚めてしまったのだった。

   (伍)妹と。

 明菜から絵美の許に、一年以上ぶりにメールが届いた。
『一筆啓上申上げ候。薫風滴緑之候時下益々御清祥之段御慶び申上げ候。拙僧儀此度○○行無事満行致し――』
ではじまり、
 『明観九拝』
で〆られる漢字だらけの長文を、「修行オワタ\(^0^)/」とようやく解読した。
 文章はゴリゴリに堅いが、メールでお知らせというところが、やはり明菜も現代っ子だ。
 早速お祝いのレスを、怪しげな敬語で書いて(うって)送った。
 それから双方メールで連絡を取り合った。友情が復活した。
 明菜は満行を機に、戸籍名まで尼僧名の「池上明観(いけがみ・みょうかん)」に変更していた。だから、もう、「池上明菜」という女性はこの世にはいない(同姓同名はおいといて)。
 絵美にしてみれば、親友が姿形や性格が変わっただけでなく、名前まで変わってしまい、ちょっとさみしい。
 それはそれとして、今度会おう、という話になった。
 食事して、
 お酒を飲んで、
 絵美の部屋に泊まって(←これ重要)、
 旧交を温めようと、話はまとまった。
 ダメ喪女同士だったが、一方は彼氏持ちのOL、もう一方はお寺の住職見習い、とお互い、前へと進んでいる。
 でも、たまには過去に戻りたい。
 「法力少女マルコメアッキーナ」のニューバージョンの写メも撮りたい。(←これ重要)
 約束の四日前、待ち合わせ場所の件で確認をしたくて、絵美は明菜、いや、明観にTELした。メールで済むのだが、彼女の声を聞きたかったから。あの夏の日以来、まだ直接話していない。結構ドキドキする。
 トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、トゥルル・・・
『はい』
 七回目のコールでつながった。イッツオートマーティッ
『絵美どのか?』
 明観の声は少ししゃがれている。
「あ、明菜・・・じゃなくて、明観さん? 久しぶり」
『久しいのう』
「実は今度会う待ち合わせの場所のことで――」
『すまぬ、絵美どの・・・じゃなくて、ごめんね、絵美、拙僧・・・じゃなくて、アタシ、今取り込み中で。夜にでもこちらからかけ直すから』
 思わぬ肩すかしに、絵美は軽い失望をおぼえたが、普通の女の子の言葉に戻ろうと頑張っている明観はちょっとかわいかった。
『今、妹の髪を切ってるところでね』
と明観が事情を説明する。
「前髪でも切ってあげてるの?」
『いや、バリカンで全剃り』
「ええ〜?!」
 素っ頓狂な声をあげる絵美。それはそうだ。
「なんでなんで?!」

 明観の妹、日枝は父親と、「もし、姉が坊主頭になって修行先から帰ってきたら、八頭大学に入学し、“研修”を受けて尼になる」という賭けをして、見事に負けた。
 が、日枝にも行きたい志望校があり、
「バチカブリ大だけはカンベンしてぇ〜」
と泣きが入ったため、
「ならば――」
と体育会系(修行フェチ?)に生まれ変わった明観の提案で、隣村の山寺で「小僧さん」として、修行させられることになった。これから、高校に通いながら、仏の道を学ぶのだ。
 小僧修行にあたって、体育会系(バリカンフェチ?)の明観に、
「仏弟子になるのだから、当然ボウズだな?」
と有無を言わさず、巻き巻きしていたブラウンのロングヘアーを、アタなしのバリカンで、バサッといかれ、青坊主にされた。
「ああ〜」
と情けない顔で、青光りする丸い頭を抱える日枝だ。
「この頭で学校行くのォ〜?! 彼氏逃げるよッ!」
「尼僧好きの男子と付き合えばよかろう」
「そんなディープな男子、嫌すぎるよ!」
「そもそも修行中の身に男は無用なり」
「姉貴のバカバカ! ふぇ〜ん(><)」
 かくして現役女子高生の剃髪尼さんという、レアな仏弟子が誕生。

 ことの経緯をTELで聞き、
「ムチャするなあ、アンタも」
『拙僧・・・いや、アタシをダシにして賭けなどするのがいけないのでござ・・・いけないんだよ』
 あるいは、自分も明観の「魔手」にかかるのではないか、そんな一抹の不安が、絵美の胸をよぎる。
「あき・・・明観さんは、今ボウズなの?」
『今後は伸ばす所存』
 現在は五分刈りくらいの長さまで伸びたという明観に、
「そうだね、それがいいよ」
 「法力少女ゴブガリアッキーナ」を妄想しながら、絵美はうなずく。
『では、断髪の続きがあるゆえ、ひとまずこれにて』
「ああ、ゴメンゴメン」
 つい話し込んでしまった。これも女の性(さが)か。
 この会話の間中、日枝は落ち武者のような頭のまま、風呂場に放置されていたという。
「じゃあ、またね、明観さん」
『あ、絵美』
「ん?」
『“明菜”でいいよ』
 明観の、いや、明菜の染みとおるような微笑が、スマフォの向こう側から伝わってくる気がした。
「うん」
 絵美もはちきれんばかりに微笑した。



(了)



    あとがき

 また書いてしまった。。。という気持ちです(汗)
 イラストや妄想している数々のネタを元に書きあげました。長い! マニアック! 色々詰め込みすぎ!な「チラシの裏」系のお話です。「理想と現実」「かしましい」「麻子の場合」などの系譜に連なる修行道場バッサリネタでございます。
 その「麻子の場合」とだいぶカブッてしまった感もなきにしもあらず。・・・というか、「麻子の場合」でやりきれなかったことを、再構築してやってみたという感じです。
 通常の迫水作品ですと、バッサリ→成長(幸福)なのですが、今回は成長(洗脳?)→バッサリ、と順序を入れ替えてみました。
 個人的にはギャル系の出家より、いわゆる「喪女」系の出家の方が萌えます。
 でも次はギャル系でいってみようかなあ。
 最後までお付き合い、感謝感謝です♪




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