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令泉さん@オンエア中


 某局で毎週放映されている「オシャカ様でも気づくめえ」という番組は、そこそこ視聴率も良い。
 笑いあり涙ありの情報バラエティで、お寺離れがすすむ昨今、改めて仏教について、学びたい、考えたい、知りたい、という趣旨の下、えらいお坊さんにわかりやすく仏の道を説いてもらったり、修行僧の日常に密着したり、普通のお坊さんの生活ぶりを取材して、現代のお寺事情を垣間見せたりしている。お布施など、僧侶の台所事情を探ったりと、下世話な話題も提供している。
 とかく堅苦しくなりがちなテーマだが、バラエティーなので、そこは感動や教訓などを手堅く織り込みつつも、スタジオにはお笑い芸人や女性タレントを座らせ、VTRを観ながら、笑ったり、不謹慎なコメントをして茶化したりする(無論、感動ネタ、教訓ネタでは泣いたり、感じ入ってみせたりもする)。
 最近、番組スタッフが熱心に追っている取材対象は、ある尼僧だ。
 藤枝令泉(ふじえだ・れいせん)。34歳、独身。
 お寺に生まれて、仏教系の高校大学を経て、すんなりと尼僧の道に入った。とりたてて珍しいわけでもない経歴だ。
 しかし、かなりの美人だった。
 髪も長く伸ばしている。
 「現代っ子の美人尼さんの暮らしぶり」という触れこみで、カメラクルーの前で、自身の生活を披露している。
 住職の父と法要に出る。檀家を回る。塔婆を書く。会計などの寺務をこなす。
 そういった僧侶業以外にも、着飾ってフレンチのランチを食べる。着飾って街でショッピングを楽しむ。着飾って女子会でお酒を飲む。・・・というプライベートな部分も撮影され、番組で放映されている。
 長い髪で、ブランド物の私服を着た藤枝令泉は、
「尼さんて誰も気づかないでしょうね」
とゲストのタレントがコメントしたように、一般人に溶け込んでいた。いや、むしろ派手にドレスアップした彼女は、その美しさもあって、人目をひいていた。
 「美人尼僧の日常、表も裏もみんな見せちゃいます」的なコーナーは、主に男性視聴者に強くアピールし、反響も少なからずあった。
 番組はさらに藤枝令泉を追う。
 尼僧・藤枝令泉の目下の重要トピック、それは、
 婚活
である。
 素敵な伴侶に巡り合いたい。
 そこまでは、普通の女性の願いと寸分も違わない。
 しかし、令泉の場合、結婚相手には、僧侶になって一緒に寺を継いでもらわねば、という強い希望があった。
 見た目はまだ若いが、そろそろアラフォーが迫っている。
 ゆえに婚活も熱を帯びる。
 で、そこは生き馬の目を抜く放送業界で衣食している番組スタッフたち、早速、巧言をもって、本人をのせ、
 藤枝令泉さんお見合い企画
を立ち上げ、全国から希望者を募った。
「さあ、この藤枝令泉さんと真剣に交際したいという男性の方、ドシドシご応募下さい!」
 レポーターの松野ススムが呼びかける。
 令泉はカメラに向かい、結婚相手の条件を書いたフリップボードを掲げる。
 真面目な人。僧侶になってお寺をやってくれる人。優しい人。料理がうまい人。頼りがいがある人。動物が好きな人。タバコを吸わない人。ギャンブルをしない人。大学を出ている人。スポーツマンタイプの人。お酒はたしなむ程度に飲める人。ジーンズの似合う人。背の高い人。聞き上手な人。家事ができる人。包容力のある人。etc
「藤枝さん、理想高っ!」
と松野が呆れるほど、令泉が結婚相手に求める希望は多い。
「よろしくお願いします」
と令泉はカメラに一礼する。
「さあ、この藤枝令泉さん、あと四ヶ月で35歳の誕生日を迎えられます。いわゆるアラフォーに突入するわけですが」
と松野は説明し、
「藤枝さん、もし、もしも、35歳までに理想の男性に巡り合えなかった場合、どうしますか?」
「はい、もしも婚活に失敗したら――」
 令泉は裏返しにしたフリップボードを胸も前で持ち、
「ジャカジャン」
という松野の口での効果音に合わせ、ひっくり返す。
 フリップボードには、
 頭を剃る
と力強い筆致で書かれていた。
「ええ〜?!」
と松野が目を瞠って驚く。
「その長い髪の毛、全部剃っちゃうんですか?!」
「はい!」
「坊主頭ですよ? 本当にいいんですか?」
 ド肝を抜かれつつも、確認する松野。放映時には、この辺りで、スタジオの観覧者たちの、ええ〜!というどよめき。ワイプには、「スゲー」と感嘆する男性タレントや、「やめた方がいいって」とあわてる女芸人が抜かれていた。
「はい、こっちも真剣なので」
と令泉は言葉通り、真顔でうなずいていた。
「もし頑張ってダメだったら、尼僧として頭を丸めて一から出直します!」
とかなりの意気込みだ。
 そして、話題は彼女の髪型へと移る。
「藤枝さん、今まで坊主頭にしたことは?」
「ないですね」
「ずっと?」
「伸ばしてます。三十年くらいずっとロングです」
「万が一、婚活に失敗したら、その髪をバッサリいっちゃうわけですね?」
「いっちゃいます」
と言って、令泉はちょっと感傷的な表情になり、長い髪をひと撫でするも、キッと眦を決し、
「お見合いには背水の陣で臨みます!」
 結婚相手が見つからなかったら、剃髪
 令泉は松野に、いや、全国の視聴者にそう公約したのだった。
「これは、ものすごい大ネタだぞ!」
と番組プロデューサーは小躍りした。
 「尼さんが婚活」というだけでも、世間の耳目をひく。そのうえ、失敗すれば頭を丸めると当人が宣言している。どちらに転んでもオイシイ流れだ。
 「女が丸坊主になるなんて」と目くじらをたてる向きもあるだろうが、尼さんが頭を剃るのは、むしろ自然なことなので、苦情も少なくて済みそうだ。

 当の藤枝令泉はといえば、
「やっぱり言い過ぎたかな」
 シャワーを浴びながら、軽く後悔していた。
 元々、結婚できないのなら、いっそ尼らしく剃髪しようかな、と個人的に考えてはいたのだが、それをポロリと口にしたら、現場のプロデューサーが、
「そそそそそれ! そ、それ、公約にしましょうよ!!」
とえらい勢いで食いついてきたのだ。
 そそのかされ、令泉も後には退けず、それに自分を奮起させる効果もあるだろうと、同意した。
 ――死に物狂いで婚約者を探そう、っと。
と改めて決意して、シャンプーと不安を一緒に洗い流した。

 それから数か月、令泉は四回に渡り、番組側が選りすぐった男性とお見合いをした。
 「ゆくゆくは僧侶に」という難しい条件があるにも関わらず、意外と応募者はいるらしい。
 美人の尼さんと結婚したい
 お坊さんになるのも悪くないかも
という男性たちが、令泉との見合いを熱望していた。
 令泉も気合を入れて、見合いに臨んだ。
 結果はといえば、
 ――もうちょっとマシな男はいなかったのォ〜!
と嘆きたくなるほど、「ハズレ」ばかり。
 まあ、令泉の理想が高すぎるせいもあるだろうが、それにしてもヒドイ。なにせ、バラエティー番組、用意してくる見合い相手はどこか「色物」くさい。
 最初の男性は33歳の教師だった。
「生徒たちから“火星人”と呼ばれてまぁすぅ」
と本人が自己紹介するとおり、「個性的な」ルックスと「個性的な」性格で、バラエティー的には大ウケ間違いなしだが、本気で縁を求めている令泉はたまらない。
 勿論、見合いは不成立・・・。
 二度目のお相手は37歳と年上で、ルックスも良かった。
 やれやれ、と安堵していたら、なんと三度も離婚、二度も自己破産しているという。
 ――ワケあり物件ってわけね・・・。
 令泉は落胆する。
「こんな俺ですが、生まれ変わった気持ちで、藤枝さんと一緒になって、一緒にお寺をやっていきたいです!」
と熱っぽく告白されたが、寺の財産を期待しての逆玉狙いという本音がありありと伝わってきた。この見合いも成立せず。
 三度目の見合いは、ぐっと年齢があがって、45歳、自営業の男性。
 いわゆる、ずんぐりむっくりの田舎親爺で、
「今まで女性とお付き合いしたことがありません」
と自己紹介されるまでもなく、退屈男オーラが半端じゃない。
 後日、放送されたVTRでは、「純情男、決意のプロポーズ!」とテロップが出ていた。物は言いようだ。
 令泉のニーズと番組サイドの供給は、甚だしく乖離している。
 ――もしかして、ワザと?
 令泉は頭を抱える。
 番組としては、なるべく今回の企画を引っ張りたいのだろう。「公約」の期限ギリギリまで、令泉に見合いをさせ、どうする?どうなる?という視聴者の野次馬心を煽りたいようだ。令泉こそ、いい面の皮だ。
 四人目の花婿候補者(37歳・フリーター)に至っては、
「令泉さんの婿になる、という決意表明として、頭を丸めて来ました!」
と青剃り頭での登場。それだけで、もう令泉はドン引きする。
 しかも、令泉の嫌いな「俺様キャラ」。
「俺さ、夢があるんだよね」
と益体もない夢想を延々語られ、
 ――ちょっとォ、勘弁してよォ〜。
 泣きたくなる。
 四度目のプロポーズを「ごめんなさい」して、
「う〜ん、ちょっと苦手なタイプですね」
と見合い後、謝絶の理由を語るVTRの令泉に、
「あんまり選り好みしてると、セトウチジャクチョウさんみたいなツルツル坊主になっちゃうぞ」
と男性芸人はチャチャを入れていた。
「そうよね、あんまり理想が高いのも問題よね。ある程度妥協しなくちゃ、結婚なんて無理よぉ〜」
と年配の女性タレントも同調していた。
 ――もォ〜、他人事だと思ってぇ〜。
 オンエアーを観ながら、令泉は憤慨する。
 髪を切りたくないから、無理やり、あるいは妥協して結婚を決める、では本末転倒なのだ。
 流石に腹に据えかね、
「あの〜、企画の前に私の理想のタイプ、フリップに書きましたよね? もうちょっと吟味してもらえませんか?」
とディレクターに訴えた。
「ごめんごめん」
 ディレクターは逆らわない。
「次はいよいよ最後のお見合いだからね、最高の男、連れてくるよ」
と令泉をなだめた。
「頼みますよ。こっちも髪と人生賭けてるんですから」

 五回目の見合いは、令泉の35歳の誕生日の一週間前に行われた。
 泣いても笑っても、これが最後のチャンスだ。
 後にこの収録がオンエアーされたとき、新聞のラテ欄には、
 「結婚か丸坊主か? 美人尼僧、運命のお見合い!」
と大衆のゲスな興味を惹くような文句が躍っていた。テレビって残酷なものだ。
 収録当日、引き合わされた男性に、
 ――なんと!
 令泉の目の色が変わった。女豹の目になった。
 モデル並みのルックス。高身長。
 34歳と同年齢。
 優しいし、気配りもできる。
 巧みに、かつさりげなくリードしてくれる。頼もしい。
 学生時代、サッカー部でインターハイにも出場経験があり、今でもフットサルをやっているというスポーツマン。
 会話も上手い。
 愛嬌もある。ギャグセンスもある。必要とあらば道化にもなれる。実際、この日、令泉はこの男性――宮田さんに何度も笑わされたものだ。
 完璧だ。
 宮田さんは、現在は会社員だが、寺に入ってもいいと思い、応募に踏み切ったとのこと。
 非の打ちどころがない。
 ――恐るべし、スタッフの本気!
 やればできるじゃない、と令泉はほくそ笑む。
 宮田さん、距離の詰め方も上手だ。
「令子さんは――」
と令泉のことを俗名で呼んでくれて、女心は浮き立つ。
「動物好きな人がタイプって言ってたじゃない?」
「うんうん」
「てことは、実家で動物を飼ってるの?」
「ええ、室内犬を三匹」
「いいなあ、うちマンションだから、犬飼いたいんだけど飼えなくて」
「そうなの?」
「うん、だから休みの日にはペットショップに行って、四時間ぐらい居ちゃう」
「ああ、わかるぅ〜。ついつい時間を忘れて、ね、可愛い子いっぱいいるから」
「そうそう、癒される〜、みたいな(笑)」
「あははは!」
 ――ああ! これこれ、こういうのをずっと求めていたのよ!
 令泉はすっかり夢心地。
 一緒に懐石料理を食べ、古刹を観覧し、名庭を逍遙し、お見合いデートはいいムードで進む。
 そして、いよいよ、
「それでは告白ターイム!」
 リポーターの松野の声が、夕暮れの海岸に響き渡る。
 令泉は渚に佇み、宮田さんの愛の告白を待っている。
「さあ、宮田さん、心は決まりましたか?」
 松野に訪ねられ、
「はい」
 宮田さんもさすがに緊張した面持ちで、首肯している。
 ――告白されたら――
 何と答えよう。令泉は考える。
 よろしくお願いします、が妥当だろうけれど、まだファーストコンタクト、まずは慎重に交際を重ねた方が良いかも知れない。「お友達から」と勿体をつけようかな。
「では、宮田さん、お願いします!」
 松野のゴーサインを合図に、宮田さんは令泉に駆け寄る。
 ――ああ!
 令泉は幸せの絶頂にいる。
 宮田さんがゆっくりと口を開く。
 しかし、次の瞬間、宮田さんが発した言葉は、この海岸に流れる時間を止めた。
「ごめんなさい!」
 ――え?
 深々と頭を垂れる宮田さんに、
「え?」
 令泉は事態が呑み込めず、
「あの・・・え?」
 まさかの展開に、スタッフも令泉同様、「え?」という顔をしている。
「藤枝さんは素敵な女性なんですが――」
 いつしか呼び方も「令子さん」から「藤枝さん」に戻っている。
「今日初めてお会いして、一日一緒に過ごしてみて、なんかテレビで観てた藤枝さんとは違ってて・・・その〜、一緒に暮らすのは難しいかなあ、って。本当にごめんなさい!」
 令泉は足元の砂浜がズザザザザーと陥没し、アリ地獄のように自分の身体が、グルグル渦巻く砂の中、深く深く、どこまでもどこまでも呑み込まれていく錯覚に襲われた。
 まさに天国から地獄へ急転直下!
 オンエアー映像では、この茫然とした表情の令泉の画に、
 坊主決定!!
という心無いテロップがデカデカと入れられていた。
 宮田さんが去り、松野が心配顔で、
「藤枝さん、こういう結果になってしまいましたが・・・」
とマイクを向けてきて、
「まあ、しょうがないですね」
 精一杯、オトナの対応をする令泉だったが、その両眼には、うっすら涙がにじんでいた。
 居たたまれない状態のまま、収録は終了し、ディレクターが令泉の許へ来た。
「藤枝さん」
 ディレクターは詫びた。
「こちらとしても、藤枝さんに幸せになってもらいたいと思って、入念に人選をしたのですが、こんなことになってしまって、ホント、申し訳ありません」
 頭を下げられ、
「まあ、不完全燃焼の感はありますが、仕方ないです」
 多少の皮肉をこめつつ、令泉はディレクターの謝罪に応じた。
「ご縁がなかったってことですね」
「それで――」
とディレクターは狡猾な顔になって、
「“公約”の件、おぼえてらっしゃいますよね?」
「ええ」
 今更、記憶にない、とは言えない。
「お見合いがダメだったら・・・その・・・頭を――」
 バリカンで頭を刈るジェスチャーをしてみせるディレクターに、
「はい、剃るという約束でしたね」
 令泉は苦虫を噛み潰したような顔で、首を縦に振る。
「その決意に変わりは・・・ないですよね?」
と念を押された。令泉に「公約」を果たしてもらわないと、番組的にも困るのだろう。
「わかってます」
 令泉は苦い顔のまま、うなずく。
 実際、頭のひとつも刈りたい思いだった。
 このミジメな気分をサッパリと晴らしたい。自棄っぱちな気持ちもある。「公約」を反故にして、周囲や視聴者に軽蔑されるのも嫌だった。
 令泉の心が変わらないうちにと思ったのだろう、ディレクターは、
「じゃあ、その断髪式の模様をですね、是非撮影させて頂きたいんですよ」
とテキパキとスケジュールや場所、段取りを決めてしまった。きっと、失敗を見越して、あらかじめ準備をしていたのだろう。
 令泉はただ、はい、はい、と番組側の誘導に従うばかりだった。
 松野は、
「藤枝さん、えらいことになっちゃいましたね〜」
と薄ら笑いを浮かべながら、令泉をなぐさめて(?)いた。

 断髪式は約半月後、某有名寺院のそばの床屋を借り切って、執り行われることとなった。
 その半月の間、
 ――ああ〜。
 令泉は少し冷静になり、
 ――あんな公約するんじゃなかったぁ〜。
とちょっと後悔した。
 スタッフから視聴者の反響も送られてくる。
「あんなにきれいで長い髪を剃っちゃう覚悟、藤枝令泉さん、マジハンパねーです!!」(20歳・学生)
「申し訳ないですが、婚活うまくいって欲しいと願いつつも、ボーズの令泉さんを期待しちゃうアタシもいます(笑)」(25歳・OL)
「“女だから“って逃げないで、失敗したら潔く頭を丸めて下さい」(33歳・会社員)
と大半は坊主支持派だ。たぶん、スタッフがそういう意見ばかりを選んで、届けてくるのだろう。令泉の背中を押すために。
「尼さんなのだから、お見合いの結果がどうであれ、ちゃんと剃髪して頂きたいものです」(45歳・農業)
という意見もあった。
 そんな世間の声に、
 ――他人事だと思って、好き勝手言わないでよォ〜!
と令泉は慨嘆する。
 しかし、反面、
 ――もう、剃っちゃえ!
という投げやりな気持ちの方が勝っていた。
 婚活なんて、もうどうでもよかった。
 仏様の花嫁として、初心に帰ろう。仏様の花嫁――尼僧には、剃髪こそ相応しい。
 剃髪尼僧にはオシャレは無用、と膨大な量のブランド物の服やバッグやアクセサリーは皆、ネットオークション等で売り払ってしまった。今後は法衣や作務衣で通そう。これまた投げやりな気持ちも手伝っていた。

 かくして、剃髪式の日は到来。
 前述の通り、式会場の床屋は、有名寺院の付近という場所柄、僧尼の客も多く、尼僧令泉の髪を剃るにはうってつけの店だった。
 かなりの老舗で、店内も殺風景、いかにも1970〜80年代の雰囲気がする。
 店のオヤジは、現れた令泉に、
「テレビで観てるよ」
と開口一番言った。テレビで観るより美人さんだね〜、とサインまでせがまれた。 「お見合い、ダメだったんだねえ」
 気の毒そうに言われた。令泉にしてみれば、まだ完治していない傷をつつかれたような思いだ。しかし、気を取り直し、
「今日はよろしくお願いします」
「せっかくの長い髪なのにねえ」
とオヤジは一応同情しつつも、
「でも、まあ、尼さんだしね、サッパリ剃っちゃった方が、それっぽくていいよ」
「そうですかねえ」
と応じながらも、令泉は釈然としない面持ちでいる。
 そして、収録は開始される。
 まずは店の前で、レポーター松野とのやり取りから。
「さあ、藤枝さん!」
 松野はムダに元気だ。
「いよいよ、公約通り、これから頭を剃るんですが、どうですか、今の気持ちは? 大丈夫ですか?」
「ドキドキしますね」
 令泉も半年間の経験で、テレビ向けのコメントができるほど、テレビ慣れしてしまっている。
「本当にいいんですか? 決心に変わりはありませんか?」
 いいんですか?と問われても、ここまでお膳立てされては、もはや否も応もない。
「はい、もうバサッといきます」
 キッパリと言い切って、髪に手をやる。ちなみに、束髪に僧衣というイデタチ。
 次に松野は、
「今回、藤枝さんの髪を切って下さる床屋さんはですね、この道三十年の大ベテラン、今まで何百人というお坊さんの頭を剃ってきた草野さんです」
と理髪師のオヤジを紹介し、インタビューに及ぶ。
「草野さん、どうです? 今から髪を剃るのは、若い尼さんなんですが?」
「もっと若い女の人の頭も剃ったこと、何人もありますよ」
 草野氏は自慢げに語る。
「中には泣いちゃう娘もいてね」
「まあ、髪は女の命って言いますしね」
 草野氏は令泉の髪の毛に目をやって、
「剃り甲斐あるねえ」
と目を細める。そう言われても、令泉としては、1ミリも嬉しくない。
 その草野氏とスタッフに引き据えられるように、令泉は理髪台に座らされた。
「藤枝さん、今の心境を一言!」
 松野の声は弾んでいる。
「え? あの、え? え〜と、まだちょっと心の準備が・・・ああ、でも、でも、もう、早いトコ、済ませちゃいたいです〜」
 令泉、かなりテンパっている。緊張と不安と含羞の入り混じった、ひきつった笑みを顔に貼り付けている。
「じゃあ、やっちゃうよ〜」
と草野氏は、バリカンを引っ張り出す。
 ――うわっ!!
 これから丸坊主になるのだ、という実感がMAXになった。
 ジリジリジリジリ
とバリカンがぶっきらぼうに唸りはじめる。もはや、待ったなしだ。
 草野氏は武骨な指で、ガサガサと令泉の前髪をかき分け、持ち上げると、額の生え際に、バリカンの刃を突っ込んだ。
 ジジジ、ザザザ
 髪が鉄の刃と接触し、摩擦音が店内に響く。
 ザザザザザアアアァァァァー
 髪が刈られる音。撮影クルーの音声マイクも、しっかり拾っているだろう。
 バリカンは雪原を滑走するソリのように、令泉の頭を突っ切り、豊かな髪を縦一文字に切り裂いた。
「あっ! あっ! ああ〜!」
 松野が目を見開き、やや大仰なリアクションで、驚いている。
「藤枝さん、ついにやっちゃいましたぁ! もう後戻りはできません! ど、ど、どうですか、どうですか、今の気持ちは?!」
 松野の存在が少々ウザい。感傷に浸る間もないではないか。
「爽快です」
 憮然とした表情の令泉に代わり、草野氏が答えた。この人もデリカシーがない。
「ああ、もう、せっかくの乙女の髪が・・・ねえ・・・」
 松野は刈り髪を拾いあげ、
「今修復しますから」
とプラモデルみたいに、ピタリと逆モヒカンの部分にくっつける。
「これで元通り、大丈夫、大丈夫」
「全然大丈夫じゃないですよ!」
 令泉は顔をしかめ、笑うしかない。
「じゃあ、食べちゃお」
 さすがマニアックな笑いで売っている松野、刈り髪を口に押し込んで、
「美人の尼さんの髪なんて、超レアですよ」
とモゴモゴ噛んでいたが、
「マズッ!」
と店の奥のゴミ箱に、ペッペッと吐き捨てていた。
 令泉は笑った。だが、心では泣いていた。
 草野氏は遠慮なく、バリカンをさらに前頭部に入れた。入れまくった。
 ザザザザアアアァァァ
と黒髪がバリカンに一気に押し運ばれ、
 バサッ、バサッ
とケープに落ちる。
 順番にいえば、
 まず額のド真ん中が刈られ、
 続いて、その左隣の髪が刈られ、
 そして右隣の髪が刈られ、
 また左隣の髪にバリカンが挿入され、
 坊主部分が拡張していく。
「藤枝さん、小栗栖で土民に襲われる明智光秀みたいじゃないですか」
と松野がまたマニアックなギャグをかましてくる。
「“おのれ、羽柴筑前”って言ってもらえます?」
「言いません」
 苦笑いで拒否しながら、
 ――この姿が・・・。
 全国放送で流れるのかと思うと、目眩がする。
 スタッフは(令泉視点だと)意地悪そうな笑顔を浮かべ、坊主頭になっていく令泉をカメラにおさめていく。
 草野氏は右の鬢にバリカンを挿し込んだ。コメカミにブルブルとバリカンの振動を感じる。その振動は横へ横へ、後頭部まで達する。
 ザザザ・・・ザザザザアアアァァァ
 横髪がバリカンによって切断され、ハラリハラリと床に落ち積もっていった。
 鏡の向こう、みるみるうちに、丸まっていく頭に、クッキリと露わになる輪郭に、
 ――やだあ!
 思わず目を背けたくなる。
 松野は松野で、「仕事」をしなければならない。
「いや〜、尼さんが頭を剃るっていうから、ねえ、なんか、こう、儀式っぽく、ねえ、お坊さんたちがお経を唱えて、ねえ、剃刀で、シャッシャッみたいな厳かな雰囲気になるかと思ってたら、これじゃ野球部の男子と変わらないですよねえ」
とか、
「あ〜、なんか、元相方の山澤が昔、深夜番組の企画の罰ゲームで、バリカンで坊主にされたの思い出すなあ」
とか、
「藤枝さん、いい感じに丸まってきてますよぉ〜」
とか、さかんにレポートを続けている。
 後頭部の頭皮にも、バリカンのバイブレーションを感じる。バイブレーションはうなじから頭の頂へ向けて、ジリジリジリジリ移動いていく。
 バラバラバラ〜、と長い髪が土砂降りの雨のように、こぼれ落ちていった。
 髪は10分足らずで、全て刈り落とされた。バリカンのパワーは凄まじい。
 スッと頭が軽く、寒くなる。
 見慣れない丸刈りの自分を、鏡のこちら側、令泉は受け容れかねている。
 ――やだあ! ナニ、この頭?!
 次に、たっぷりと時間をかけて、頭が剃られた。
 一番短い丸刈りの頭がタオルで蒸され、シェービングクリームが塗りたくられ、年季の入ったレザーがあてられる。
 ジ、ジジ、ジーッ、ジー、
 ジジー、ジジジッ、ジー、
 草野氏の手際は、その道三十年というだけあって、見事なものだ。鮮やかな手さばきで、令泉の頭を剃りあげる。
 剃刀がスライドし、極短の髪が薙ぎ払われていく。砂粒のような髪がクリームもろとも刃に付着する。草野氏はそれを貸し切り客の首に巻いたタオルで、拭い取る。
 襟足を剃りおろされたときなど、
 ――あ・・・ああ〜・・・
 えもいわれぬ気持ちよさに、ポワ〜ン、となった。
 以前、剃髪している先輩の尼さんに、
「令泉さんも頭、剃ったら? すっごい気持ちいいわよ」
とすすめられたことがあって、そのときは、丁重にお断りしたのだけれど、なるほど、確かに、
 ――気持ちイイ! 美容院では味わえない爽快さだわ!
 剃髪の快感を知ってしまった。
 快感とは裏腹に、装飾物をすっかり剥ぎ取られ、裸んぼになった頭の鏡像に、
 ――やってしまった・・・。
と情けない気分を味わってもいる。
 松野はリポートのネタも尽きたのか、疲れたのか、はたまた剃刀による剃髪の荘重さに気圧されたのか、口数も少なくなり、
「ボク、ちょっと、お手伝いしますね」
と箒で落髪を掃き集めてまわって、レポートをサボっていた。まあ、こういう地味な(?)シーンは後で編集で、省かれてしまう箇所なのだろう。
 しかし、松野、令泉の頭が剃りあがると、
「藤枝さん、後ろから見ると、白瓜みたいですよ!」
と令泉の細長い坊主頭をひやかしていた。
「やだ、もォ!」
 あまりの恥ずかしさに、顔を歪めて笑うしかない。
 やはり、頭はヒリヒリする。
「うん、うん」
と草野氏は自身の製作品を掌でピタピタ叩きながら、
「だいぶ良くなった、だいぶ良くなった。こっちの方が尼さんらしい」
と満足げ。
 ケープをはずされ、ようよう解放されると、なるほど、確かに僧衣には剃髪の方がしっくりくる。なんだか、このまま、京都あたりに直行しても、古都の風物に馴染みそうだ。顔立ちも美しいので、道行く人も振り返る尼僧ぶりに変身した。
「藤枝さん、なんだか、すごい艶っぽさが増したような気がするんですけど? ボク、マニアックな道に目覚めてしまいそうです!」
 松野は本当に陶然とした目つきになり、今にも抱きついてきそうな勢いで、マイクを向けてくる。
「いや〜、そうですか? 頭がスースーします」
と受け答えながら、令泉は落ち着かない気分でいた。どうにも、坊主頭に慣れないでいる。
 最後に剃髪終了後の様子を撮りたいとの、スタッフの要望で、右に松野、左に草野氏と三人並んで、「坊主最高!」とピースサインの画を撮った。スタッフたちに丸坊主の頭を撫でられて、はにかんで笑う画も撮った。
 それから、移動して、自宅周辺の商店街を歩かされた。
 令泉を子供の頃から知っている商店街のオジサンオバサンは、
「あら、令ちゃん!」
と目を丸くして仰天していた。
「お見合い、残念だったね」
と言われまくった。見合いでフラれて丸坊主。一種の「晒し者」の観があった。令泉の羞恥はその極に達した。
 さらに実家へ。
 父親は案外冷静で、むしろ嬉しそうに、
「なんだ、似合うじゃないか」
と言い、
「俺と同じ頭になったな」
と顔を笑み崩していた。
 こうして、撮影は幕を閉じ、令泉の長い一日と長い髪は終わった。

 あとはオンエアーを待つばかり。
 ――せっかく、恥を忍んで撮影に協力したのだから――
 編集で短縮しないで、長尺で放映して、と令泉は望む。
 そうしたら、オンエアーまで後三日という間に、
 番組司会者の嶋山車助(しま・だしすけ)が黒い交際の件で、突然引退
 番組内での「やらせ」発覚
 松野ススムの泥酔しての不祥事⇒謹慎
と立て続けに問題がおき、「オシャカ様でも気づくめえ」は急遽打ち切りとなったのだった。
 ――あら?
 令泉は茫然となる。スーッと周囲の世界が遠のいていくような感覚をおぼえた。
 思わず坊主頭に手をやる。ツルリ。
 ――何のためにこの頭にしたんだろう・・・。
 お蔵入りになってしまったあの日の映像は、陽の目を見ることなく、半永久的にテレビ局の倉庫で眠り続けるのだろう。
 また坊主頭をひと撫で。ツルリ。掌が頭を滑る。これがリアル。番組が、スタッフが、視聴者が煙の如く消えて、丸坊主の自分だけが日常に取り残される。これが逃れようのない現実。
 ――もしかして――
 究極の「剃り損」をやらかしてしまったのか。
 意識が遠くなる。
 ――なんてこと! なんてことなのよ!
 憤ったりもしたが、
 ――とりあえず・・・。
 洗面所に行き、頭をバシャバシャ洗った。文字通り頭を冷やした。そして、シックでゾリゾリと頭を剃り直した。すでに剃髪が身についてしまっている。嫌なことがあると、こうやって頭を剃って、気分転換している。
 ――剃髪さまさまね。
 番組のことは諦めた。
 これからは普通の尼僧に戻って、地道に働こうと思った。

 きっかけはあっさりやって来た。
 中学校の同窓会に行った。
 剃髪に僧衣の令泉は皆に驚かれ、異彩を放っていた。
 そこで、ある元男子クラスメイトと再会。お互い、独身ということもあり、交際がスタートした。
 こういうものらしい。
 欲しい欲しい、とガツガツしていると得られず、まあどうでもいいや、と肩の力を抜くと、ポンと手に入ったりする。
 交際は順調。
「寺、継いでもいいよ」
と彼は言ってくれる。
「ホント!」
 令泉は嬉しい。
 見た目はさえないし、背も高くない。運動音痴だし、社交性もないし、どこか頼りない。
 ――なんでだろう?
 理想とは、まるで正反対のはずなのに、
 ――好きなんだよなぁ。
 令泉は顔をほころばせる。
 付き合ってから、また髪を伸ばしはじめた。剃髪も捨てがたいが、そこはやはり女心、長い髪で彼氏のハートをがっちりキャッチしたい。
 髪がショートカットくらいに伸びた頃、デートして、海のそばのレストランで食事した後、あてどなく海辺を歩きながら、他愛ない話をして、その会話もやがて途切れた。
 彼は今夜ずっと、何か大事なことを言おう言おうとしていて、何度も口に出そうとして、何度も呑み込んでいた。
 令泉は辛抱強く、彼の心が定まるまで、笑顔を絶やさずにいた。
 月明かりが波間に反射して、キラキラと光っている。潮風が心地よい。右向こうにはヨットハーバー。たくさんのヨットたちが並んで、静かに身体を休めている。
 彼は意を決した様子で、恋人を振り返った。
「令子」
 すごく真剣な顔。すごく真剣な目。
「はい」
「俺と・・・その、俺と・・・」
「うん?」
 令泉は幸福そうに微笑して、彼の次の言葉を待っている。



(了)



    あとがき

 書いてて、「長っ」と焦った作品です(笑)
 純粋に「こういう番組観たい!」と思いながら書きました。なんか、「尼僧の剃髪」というと、厳粛で、わけありで、涙涙の扱いになりがち(と思う)ですが、こんなふうに、バラエティーのノリで、過剰な感傷に浸ることもなく、半ばイジられながら、剃髪される方が個人的に好きです。
 今作品は迫水のパソコンのケーブルが使えなくなり、取り寄せに四週間くらいかかったため、家族の目を盗んで、家族のパソコンで執筆という、変則的な形で出来上がりました。初めての経験です。
 書き終えてみて、満足しています(^^)
 最後までお読み下さり、ありがとうございます♪




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