元彼に、 |
急行が停まらない小さな駅で、高城雪菜(たかしろ・ゆきな)は電車を降りた。 ちょっと遠回りして、北口に出た。何度も降りた駅だけれど、北口方面を歩くのは、ほとんど初めてだった。 小さな駅なりに、駅前は賑わっている。 商店街もある。スーパーもあれば、マクドナルドやスタバもある。 理髪店、美容院の類もチラホラ目に入る。中には全国に展開している有名美容室の店舗もあった。 ――大丈夫かなあ。 こんな地域で、豊樹はサヴァイヴしていけるのだろうか。もはや他人事だが、いらぬ心配をしてしまう。 開発されていない南口を歩く。 人通りは、グッと少なくなった。 昔からの住人が暮らす民家が立ち並んでいる。 老舗っぽい鰻屋があった。店開きしたばかりの頃、いつか金が貯まったら、ここの鰻重を食べようよ、と豊樹が言ってくれた店。その「いつか」はもう来ない。フッと淋しさが胸をよぎる。 鰻屋から30mほど歩くと、見えた、赤白青のサインポール。 豊樹の店だ。 スタンド看板には、「アザレア」という店名。雪菜が好きだった花の名前を選んでくれた。今となっては豊樹は店名のこと、後悔しているだろうか。そして、アザレアの花言葉は、「愛される幸せ」「恋する喜び」。皮肉なものだ。 この店がオープンするとき、雪菜も、荷物を運んだり、電気や水道料金の契約をしたりと、奮闘したものだ。すごく遠い過去のように思えた。 豊樹の店は、年季の入ったこの辺りの家屋とは、うって変わってモダンだった。けれど落ち着いた外観なので、周囲の風景と調和がとれている。その佇まいは、どこか店の主と似ていた。 雪菜は「アザレア」の前で躊躇った。 深呼吸を五回すると、思い切って店のドアを押した。 ピンポーン、ピンポーン とチャイムが二回鳴った。 「いらっしゃい!」 と人懐っこい笑顔で入り口を振り仰ぐ吉本豊樹(よしもと・とよき)だったが、雪菜を見て、幽霊にでも遭遇したように、ギョッと目を瞠った。 「よっ」 と雪菜は意識して明るく軽い調子で、再会の挨拶をした。 「ああ、久しぶり」 豊樹も顔をこわばらせながらも、応じた。 沈黙。 互いにギコちなくなっている。当然と言えば当然だ。 「どうしたの?」 と豊樹が訊いた。会話の糸口ができて、雪菜はホッとして、 「今日はね、お客として来たんだ」 「お客」 「あの・・・ね、カットをね、お願いしたいんだよね」 「カット? じゃあ、座って」 「お客さん」として、彼の前に再出現した雪菜に、豊樹も「商売人」として、カット台に招いた。 雪菜は誘(いざな)われるまま、カット台に腰を沈めた。 「まさか、君の髪を切ってあげることになるとは思わなかった」 豊樹は感慨と多少の皮肉をこめて言う。 確かにそうだ。 髪を整えてあげるよ、という豊樹の申し出を、かつての雪菜は頑なに断ってきた。いくら近しい関係でも、床屋さんに髪を切ってもらうのには、抵抗があったからだ。 「床屋といったって、今は昔と違って大分オシャレになってきてるんだってば。女のお客さんだっているし」 と豊樹は説得してきたが、雪菜は聞く耳を持たず、美容院で髪をカットしてもらっていた。 「どういう心境の変化だい?」 ひやかすように豊樹に訊かれ、 「もうすぐ修行だから」 と雪菜は苦笑して答えた。 「そうか・・・」 豊樹は表情を曇らせた。 「そんな顔しないで」 雪菜は少し戸惑った。 「二人で決めたことでしょ」 「ああ・・・」 「それにね、最近は頭を剃らなくても、修行ができるようになったんだよ」 「坊主にならずに済んだの?」 豊樹は安堵した様子だった。 「ただし、髪は短く切らなくちゃなんないんだけどね」 「それでオレの店に?」 「そうだよ」 「でも、オレたち――」 「わかってる」 雪菜は遮るように言った。 「別にアテツケじゃないよ。それはわかって欲しいの」 「じゃあ、なんで・・・」 「ケジメ、かなあ」 「ケジメ?」 「私、やっぱり豊樹のこと、忘れらんなくてサ。いつも豊樹のことばっかり考えてて・・・でも、自分の将来とも、ちゃんと向き合わなくちゃならないし・・・だから、自分の中で区切りをつけたくて・・・豊樹に髪を切ってもらって、そうすれば前に進んでいけるかなあ、って」 「雪菜・・・」 豊樹は言葉を失っていた。 雪菜が豊樹と出会ったのは、四年前。 その頃、豊樹はある理容店で一店員として働いていた。将来は自分の店をもちたい、といつも熱っぽく夢を語っていた。 雪菜は寺の娘だった。けれど、付き合った当初は、豊樹には秘密にしていた。 雪菜が寺の子だと知ると、皆、肉を食べてもいいの?とか、お寺って儲かるんでしょ?とか、将来は尼さんになるの?とか、興味本位に質問してきて煩わしく、いつしか寺に生まれたことに引け目を感じるようになっていた。 だけど、豊樹は違った。 雪菜の出自を知っても、 「色々大変なこともあるんでしょ」 と言ったきりで、特別視せず、フラットに交際してくれた。 夢中で愛し合った。どんなときも一緒だった。勿論諍いもあった。でも、すぐに仲直りした。 しかし、そんな蜜月にも終わりはやって来た。 丁度、豊樹が彼の実家の援助もあり、念願かなって、自分の店をオープンした矢先だった。 雪菜の父が病床についたのだ。 幸い、命には別状なかったが、満足に五体を動かせず、横たわるのみ。これでは住職の務めが果たせない状態だった。 周囲は、婿養子だ、跡取りだ、と騒ぎ立てた。 一人娘の雪菜は辛かった。それまで考えもしなかった寺の跡取り娘としての責任を、いきなり突きつけられ、あわてふためいた。 豊樹と別れて、寺を継いでくれる婿を迎えるのは、絶対に嫌だった。 だから、豊樹に自分と結婚して、寺を守って欲しい、と頼んだ。 だが、豊樹は難色をしめした。 それはそうだ。十代の頃から苦労して、ようやく夢だった店を持てたのだ。全てを捨てて、僧侶になるなどできない。 二人で何度も話し合った。雪菜は何度も泣いた。豊樹も目を潤ませていた。二人とも、別れたくはなかった。でも、豊樹が自分の店を捨てられないように、雪菜も生まれ育った寺を捨てられなかった。 だから、最後には、 「別れよう」 と結論を出した。 別れたからといって、すぐに後継者候補の男性と見合いをする気にはなれなかった。 しかし、悠長に構えている時間はない。状況は切迫していた。 雪菜は悩んだ末、自分が尼になって、父親の代わりを務めることを決意したのだった。 「尼になる」といっても、近頃は頭を丸めずともOKらしい。女性の僧侶の増加に伴い、本山でも規制が緩和されたという。 ――助かった・・・。 剃髪を免れて、雪菜は胸をなでおろした。 ただし、修行に際しては、「尼僧は短髪」と定められている。 肩下10cmのロングの髪を長年慈しんできた雪菜としては、気が重い。 が、 ――ボウズよりはマシか。 と前向きに考えることにした。 出家を決めても、豊樹のことが忘れられずにいる。 初めてのデートで起こったハプニングとか、ベッドの中で囁いてくれた言葉とか、冗談めかして語らい合った結婚の話とか、つい思い出してしまう。 夕食にタケノコの煮物が出れば、 ――豊樹、タケノコ好きだったなあ。 と考えてしまう。 スーパーで買い物をしていて、BGMに某アーティストの曲が流れれば、 ――豊樹の部屋でこの曲聴いたなあ。 とまた考えてしまう。 豊樹の笑った顔、怒った顔、悲しそうな顔が、例えばお経の稽古をしているときも、脳裏にフラッシュバックする。 ――こんなんじゃいけない! 雪菜は頭を抱える。仕切り直さなきゃ、と思う。だけど、豊樹への未練が断ち切れない。忘れなくちゃ、とあがくほど、未練は膨らむ。 あがいている間にも、修行の日は近づいてくる。 そんなある朝、洗顔をしながら、 ――髪切らなきゃな〜。 物憂げに長い髪をかきあげて、 ――そうだ。 と不意に思い立った。 ――豊樹の店で・・・豊樹に・・・髪を切ってもらおう。 修行前に豊樹に髪を切ってもらうことで、この思いを清算したい、尼僧として、新たなスタートを切りたい、と。 衝動に突き動かされるように、雪菜は豊樹の店に向かったのだった。 カットクロスが巻かれ、髪が湿される。 「どんな感じにする?」 と豊樹に訊かれ、 「ん〜、ボーイッシュに」 と答えと、豊樹は、 「ふふ」 と含み笑った。 「私、何かおかしいこと言った?」 「いや、新鮮なオーダーだなァ、と思って」 「フフフ」 雪菜も笑った。 確かに床屋さんで「ボーイッシュに」なんて注文する客はいなさそうだ。お互い、固さがとれてきた。 「“短髪”って決まりなんだけど、具体的にどれくらい短くすればいいのか、わかんないんだよね。中途半端な長さで、修行先に行ったら怒られるだろうしさ、いっそ、うんと短くしちゃおうかな〜、って。だから、男の子みたいに、お願い」 「雪菜は相変わらず度胸がいいよなァ」 「誰かさんと違うからね」 総領の甚六というやつで、おっとりとした(優柔不断な?)豊樹に代わって、あれこれと店の外交面を切り盛りしてきた雪菜だ。 その店で、客として髪を切る。感慨深いものがあった。 「じゃあ、バッサリいっちゃうよ」 豊樹が大きなカット鋏を持つ。 ちょっと心細くなる。 豊樹は雪菜の不安に気づかず、鋏をいきなり、頬の辺りの髪に跨がせた。 ――え? え? いっちゃうの? いっちゃうの?! 土壇場になって、あわてる雪菜だが、 ジャキ! と鋏は雪菜の長い髪を、切り落としていた。そして、ジャキッ、ジャキッ、ジャキッ、ジャキッ、とロングヘアーが勢いよく、リズミカルに刈られた。 バサッ、バサッ、バサッ、バサッ、と尋常ではない量の髪がカットクロスに落ち、床へと流れさっていく。 豊樹の性格に似合わぬ大胆なカットに、あっという間に形を変えていく自身の鏡像に、雪菜はただただ目を丸くするばかり。名残を惜しむ暇もない。 忽ち、マッシュルームカットにされた。 ――ああ〜! 無論、これは序曲に過ぎない。 これから、さらに短くされるのだ。 ヘアクリップで髪がブロッキングされる。 豊樹は腰のツールバッグから、色々な鋏を使い分けながら、粗切りのときとは異なり、繊細なカットで、まずは右サイドの髪を切っていく。 シャキシャキ、シャキシャキ。 雪菜は「仕事中」の豊樹の真剣な顔に、自分の髪のことも忘れ、挽きつけられる。思わず見惚れてしまう。 ――ダメ! ダメだってば! 「別れの儀式」のはずが、惚れ直してどうする。 でも、男の人の働く姿って、すごく素敵だ。そういえば、豊樹の働いているところ、付き合っていたときでさえ、こんなに間近で見たことがなかった。 右耳がクッキリと出た。ピアスの穴が目立つ。あまり修行尼には相応しくない。 続いて左の髪がブロックされ、 シャキシャキ、シャキシャキ 豊樹は巧みに鋏を使って、雪菜の髪を短く短く仕上げていく。 豊樹の手によって、自分が変貌を遂げていく。豊樹のワザで、新しい自分に生まれ変わっていく。くすぐったさと恍惚感があった。 シャキシャキ、シャキシャキ―― 「ちょっと、短く切りすぎじゃないの?」 という元カノのクレームに、 「そうかな?」 豊樹は平然としたものだ。 「これじゃ、男の子だよ」 「“ボーイッシュに“ってリクエストしたのは誰だっけ?」 「むぅ」 雪菜はふくれる真似をした。本当は、キビキビと鋏を動かす豊樹に、頼もしさを感じているのに。 会話している間にも、左耳も露になって、今度は襟足が詰められる。チャッチャッチャッチャッ、と鋏が喜んでいるかのように、鳴っている。 こんなに髪を短くしたのは、生まれて初めてだ。のぞいた耳が、うなじが、外の空気に触れて、落ち着かない気持ちになる。 「やっぱり短すぎるよォ〜」 再度のクレームに、 「大丈夫、オレに任せて」 と自信たっぷりの豊樹。寺のことも、「オレに任せて」って言ってくれれば嬉しかったのに。 シャキシャキ、シャキシャキ 内側の髪から襟足が切られていく。そして、ヘアクリップが外され、外側の髪がバサリと短い髪を覆う。そのまだ長い髪を豊樹は、内側の髪、両サイドの髪に合わせ、ボリュームを抑え、短く切る。シャキシャキ、シャキシャキ、パサッ、パサッ―― 最後に前髪が断たれた。 鼻先まで垂れた髪を、ザクザクと切り揃えられた。 「パッツンは嫌」 という雪菜の注文に、 「了解」 豊樹はきめ細かい手さばきで、オシャレな感じで不揃いにしてくれた。なんだか魔法みたいに思える。 気がつけば、鏡の向こうに腕白小僧がいた。利かん気な顔をして、少し頬を赤らめて、こっちを見ていた。 できあがった男の子顔負けのベリーショートの髪に、 「短っ」 とのけぞってみせながらも、腕白小僧は微笑んでいた。 なんだか照れ臭い。 同時にこれまでの迷いが、霧が晴れるように消えていくのを感じた。いつしか、ゴールでもありスタートでもあるラインに立っている自分がいた。 シャンプーをしてもらう。 ゴシゴシと髪に、頭に触れる豊樹の手を実感する。力強い手、働き者の手、優しい手。 ドライヤーをしながら、 「髪に整髪剤、つける?」 女の人でも大丈夫なスタイリング剤もあるけど、と気遣ってくれる豊樹に、 「やめとく」 雪菜は首を振った。 「せっかくだから、セットしてあげるのに」 「修行僧にオシャレは禁物なの」 豊樹は黙った。雪菜も黙った。 ドライヤーが終わると、豊樹は、 「ごめんね、雪菜」 と俯き気味で詫びた。 「お寺の婿さんになってあげられなくて」 「こっちこそ、ごめんね」 雪菜も謝った。 「床屋のお嫁さんになってあげられなくて」 でもね、と続けた。 「最後は“ごめんね”じゃなくて、感謝の言葉で終わりたいな」 「そうだね」 豊樹もうなずいた。 「ありがとう、豊樹」 と雪菜は破顔した。 「私、これで前に進める」 「こっちこそ、ありがとう、雪菜。出会えて良かった。最後に雪菜の髪、切ってあげられて、本当に嬉しい」 二人は顔を見合わせて笑った。 「お互い、頑張ろ」 「そうだね」 料金を払おうとしたが、豊樹は受け取ろうとしなかった。 「お布施だよ」 って。豊樹の気持ちに甘えることにした。 店を出ようとしたら、来店してきたお客さんとハチ合わせした。 小学校の低学年くらいの男の子を連れた、大人の女性だった。子供のヘアーカットに来た母親らしい。 「吉本さん、今日もお願いね」 「ええ、任せて下さい。おっ、コウちゃん、背伸びたなァ」 豊樹は雪菜との再会の余韻に浸る間もあらばこそ、次の仕事に取りかかる。 豊樹の店も小さいながらも、着実にお客さんを増やしているようだ。豊樹の腕で、豊樹の人柄で。 ――良かったね、豊樹。お店、続けていけるといいね。 元彼の幸せをそっと願った。 雪菜も歩き出す。未来へと踏み出す。一歩、また一歩。 駅へ向かう雪菜は、一度も後ろを振り返ることはなかった。 (了) あとがき どうも、迫水です。 今回ずっと頭の中にあったお話を、小説にしました。なんと二日で書けた! ここ最近は、ホント、豊作だった。 最初はヒロインが坊主頭になる予定でしたが、今回は短髪にとどめようかなあ、と。たまには剃らない尼さんもアリかなあ、と思いまして、書いてみました。 結果、「二階堂琴乃」→丸刈り、「かみそり狐」→スキンヘッド、「姫百合の・・・」→オカッパ、本作→ベリショ、とうまい具合に分散してくれて、嬉しかったです♪ 今回たくさんの小説をアップすることができて、嬉しいです。 本作に登場する理髪店「アザレア」(や、その周辺地域)にはモデルがあります。一族の男の子がオープンしていた美容院です。そこの開店前、遊びに行って、うっかり断髪小説の下書きをしていたノートが入ったバッグを忘れ、どうも読まれてしまったらしい・・・(大汗)一族の間で、「迫水家の野亜はおかしな小説を書いとるド変態じゃ」という噂が囁かれてたら、どうしよう・・・(汗) ちなみに、もうその店は今は持ち主が変わっています。店主だった彼は故郷に帰り、そこでまた新たに美容院を営んでおります。 ・・・と話がそれてしまいましたが、書き上げてみて満足しています。 お付き合い下さり、どうもありがとうございました〜!! |