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迫水版「かみそり狐」


 昔、東国の片田舎に、
「かみそり狐」
という悪戯好きの狐が棲んでいた。
 この狐、何故、「かみそり狐」などと呼ばれているのかというと、村人を化かしては、頭をツルツル坊主にしてしまうからだった。
 権平は、都から来たという髪結いに、
「どれ、ひとつタダで、アンサンの髷、都風に結うて差し上げまひょ」
と持ちかけられ、
「こりゃあ、ますます女子たちを泣かしてしまうことになるわい」
とウキウキ頭を任せたら、気付けばツルツルの坊主頭にされていた。
 太助は、ある夜、田の畦で美しい女郎に誘惑され、
「これはこれは」
と一物をいきり立たせ、
「我が夜の槍働きを見せてくれん」
と無我夢中で組み付いたら、やはりこれも頭を剃られ、石の地蔵様を掻い抱いて、寝ていた。
 化かされるのは、男ばかりではない。
 村一番の美人と評判の娘、ソヨは他家への使いの帰り、賑やかな笛や太鼓の音に誘われて、フラフラと村はずれの産土神様の裏手の原っぱをのぞいたら、若い男女が大勢踊りに興じている。踊り好きのソヨは、居ても立ってもいられず、ついつい踊りの輪に加わった。夢心地で手足を舞わせた。
 ソヨの帰りが遅いのを案じた家の者が、あちこちを探し回ると、ソヨは青白く剃りあがった頭を振り振り、
「あ、それ、ホイホイのホイ」
と酔っ払いのようなトロンとした目つきで、一人踊り狂っていた。
 若後家のトシは山道で山賊に遭い、
「命ばかりはお助けを〜」
と懇願したら、頭をポカリとやられて気を失い、目がさめたときには、丸坊主にされていた。

 「かみそり狐」の跳梁跋扈に、村人たちもホトホト困り果て、
「何とかならぬものか」
と坊主頭を集めて、相談に及ぶこと三度。
 そのたび、俺が「かみそり狐」を退治してやる、と腕利きの猟師や大力自慢の若者が、名乗りをあげたが、皆化かされ、頭を剃られてしまう有様。
 今日も今日とて、坊主頭が村長(むらおさ)の家に寄り集まり、ああでもないこうでもない、と話し合っていると、こういう場面になると、きまって強気な御仁が現れるもの、
「畜生如きにたぶらかされるとは、情けないのう」
 誰か、と村の衆が目を吊り上げて、振り仰ぐと、立っていたのは梅の花一輪。
「これは、瑠璃様」
 東国屈指の戦国大名、秋月家に属し、この辺りを統べる土豪、丹波家の末娘、瑠璃(るり)だった。
 瑠璃は男勝りの気性で、女ながら武事を好み、剣をとっては華島流の使い手である。
 性格だけでなく、姿も男の形(なり)だった。
 丈長き黒髪を頭上で結い上げ、袴を穿き、毛皮の羽織を着、大小を閂差しにしている。
「せっかく美しいご器量なのに、侍姿などとは勿体なや」
「嫁の貰い手がなくなってしまうわい」
と従者たちは嘆息しているが、そんな声など、瑠璃はどこ吹く風、腕自慢の侍たちを木刀で、ポカリポカリとやっていた。
 それにも飽き、他に何か面白い腕試しの法はないか、と考えていたら、「かみそり狐」の噂を聞きつけた。
 ――これは面白い!
と村長の家を訪ねてみれば、坊主頭がズラリ居並んで、鳩首している。
「その方共も不甲斐ないのう。相手は畜生一匹ではないか。そのようなものに、大の大人が騙され、髪を剃られるとは笑止千万。よせよせ。こうして坊主頭が雁首揃えたところで、妙案が浮かぶわけでもあるまい。せいぜい、頭巾でもかぶって、髪が伸びるのを待つのが上策ぞ」
 瑠璃に嘲弄され、百姓も江戸期と違い、戦働きもする半ば武士のようなもの、黙って嘲られてはいない。
「これはしたり!」
「ならば、姫様は化かされぬ自信がおありなのでしょうな?」
と膝をすすめ、にじり寄る。
「無論よ」
と瑠璃は不敵な笑みで応じた。
「狐如きに不覚をとる妾(わらわ)ではない。見事退治てくれようぞ」
「まことですな?」
「ああ、その方らとは腕も肝も違うのだ。今宵は狐鍋を振舞おう。楽しみにしておれ」
「瑠璃様、どうかおやめなされ。お考え直し下され」
と長老の村長が心配してとめたが、
「なんの」
 瑠璃は耳を貸さない。
「領民の不安を除くも、領主の家の役目だ。腕が鳴るわ。吉報を待て」
と呵呵大笑して、瑠璃は「かみそり狐」の棲家と言われる鎮守の森へと、向かったのだった。

 瑠璃が森の中を、用心して歩いていると、木々の間を何やら、獣の影が見え隠れしている。
 ――まさか!
と思ったら、はたして狐だった。劫を経た古狐だ。尻尾が裂け、二股に分かれている。
 ――あれが「かみそり狐」か?
 瑠璃は息を殺し、気配を消して、狐の様子をうかがった。今斬りかかっても、逃げられてしまう。気配を消したまま、佩刀の柄に手をかけて、ゆっくりと間合いを詰めていく。
 狐は「討手」の存在に気付いていないらしい、ヒョコヒョコと木々の間をぬって、小走りで森の奥へ奥へと入っていく。瑠璃もその後を追う。
 すると、いつの間にか、もう一匹、痩身の雌狐が現れた。二匹は寄り添い合って、歩いている。どうやら夫婦らしい。
 ――「かみそり狐」は一匹ではなかったのか。
 ケン、と雄が鳴いた。
 そして、空中で一回転すると、たちまち身分の高そうな娘に化けた。
 ――これは、これは・・・。
 瑠璃は狐が化けるところなど、勿論初めて見た。見事なものだと、敵ながら感心した。
 今度は雌狐の番。
 ケン、と鳴いて、一回転、侍女に化けた。
 姫君と侍女の組み合わせに変じた狐どもは、うち揃って、優雅に歩き出した。
 ――これは見ものじゃ。
 好奇の虫が疼き、瑠璃は狐の後を尾行(つけ)た。
 どれくらい歩いただろう、大きな屋敷まで来た。
 姫と侍女はその屋敷に入っていった。
 ――この屋敷は・・・。
 隣の里を束ねる土豪の住まいだった。
 ――領主を騙すとは、大胆不敵にも程がある。
 瑠璃は呆れた。
 しかし呆れっぱなしになっているわけにはいかない。すかさず狐の後に続こうとしたら、
「待たれよ」
と門番に誰何された。
「どなたかな?」
「隣里の丹波家の者だ。主どのに火急の用じゃ。取次ぎは無用!」
 言い捨てて、強引に邸内に闖入した。
 座敷では、領主の孫三郎が、娘の姫と談笑していた。侍女もすまし顔で、傍らに控えていた。
 そこへ、
「御免」
 瑠璃は押し入った。
「主どの、お気をつけ召され、こやつらは狐でござるぞ!」
「何じゃ、そなたは!」
と目を白黒させている孫三郎を無視して、
「この悪狐め! 妾に目をつけられたが運の尽き、成敗してくれん!」
 叫ぶなり、姫を袈裟懸けに斬った。
 姫は、
「きゃっ」
と悲鳴をあげると、血しぶきを噴き上げて、絶命した。
「汝(うぬ)もこうしてくれる!」
と瑠璃は返す刀で、侍女の首を刎ねた。
 そして、血塗られた刃を悠々と懐紙で拭った。してやったり、と誇らしげな気持ちだった。
 同時に、
 ――悪名高い化け狐もこの程度のものか。
と拍子抜けしてもいた。
 孫三郎はあまりに突然な出来事に、しばらく呆然としていたが、やがて悪鬼のような形相になり、
「この狼藉者! 生きては帰さぬぞ!」
 者共、出合え、出合え!と叫び狂った。
 それを、
「お待ち下され」
 瑠璃は冷ややかに制した。
 血の海に倒れ伏す、二つの骸を指差し、
「こやつらは、狐でござる」
「なんと!」
「我が領内にて、悪行を働き、領民を悩ませておりましたが、まさか、隣の里の、しかも領主どのの邸にまで出没するとは、はてさて、恐れを知らぬとはこのこと。畜生の血で、邸内を汚したことはお詫びいたす」
「狐と申すか?」
「左様、こやつらが貴家の姫御前と侍女に化けて、邸内に入るまでの一部始終を目にいたしておりました」
「偽りを申すな! どう見ても当家の娘じゃ! 当家の侍女じゃ!」
「嘘ではござらぬ。何なら妾の素性を明かして進ぜる。妾は丹波家当主の娘、瑠璃と申します。村人を困らせる狐を討たんと、ここまで参った次第」
「丹波家の者か!」
「このまま時が経てば、こやつらも狐の正体を現しましょう。しばし、お待ち下され」
「まことじゃな?」
 孫三郎はふりあげていた刀をおろした。押っ取り刀で駆けつけた家来たちも、さがらせた。
「悪狐の正体、篤とご覧ぜよ」
 瑠璃は涼やかに微笑した。

 ところが、である。
 いくら時が経っても、二つの死体は人間のまま、一向に狐に戻る気配がない。
 豪気な瑠璃もさすがに、焦りをおぼえはじめた。
「どうしたことじゃ!」
 孫三郎は怒り出した。
「狐になどに、ならぬではないか!」
「もうしばらく、お待ちを」
 そう孫三郎をなだめながらも、瑠璃も不安になってきた。
 さらに時が経った。
 が、姫も侍女も尻尾ひとつ現さない。
「この慮外者め! ワシを騙しおったな!」
 孫三郎は怒り心頭、目を血走らせ、刀の柄に手をかけた。
 ――これは、まさか――
 間違ったか、と瑠璃は自信を失った。
 そして、恐ろしい考えに、思い至った。
 ――もしや、狐に嵌められたか?!
 顔が蝋のように蒼白になった。
 二匹の狐は、瑠璃が見ていることに気づいていて、あえて彼女の目の前で、姫と侍女に化けた。そして、連れ立って、孫三郎邸の門をくぐり、そのまま逃げ去ってしまった。そうとは知らず後を追って、自分は狐と勘違いして、本物の姫と侍女を斬ってしまった。そうではないか。
 そう考えて、瑠璃は慄然とした。目の前が真っ暗になった。
 取り返しのつかないことを仕出かしてしまったという、恐ろしさがあった。
 初めて人を斬ったという、恐ろしさもあった。
「丹波家と合戦じゃ!」
と孫三郎は怒号している。
「主どの、許されよ!」
 瑠璃は狼狽して、ガバッと平伏した。
「当方としては、ただただ狐に化かされそうになっている御身を救わんが為の勇み足、これこの通り、幾重にもお詫び致す」
「いくら頭をさげられても、我が娘は戻らぬ! 本気で詫びるというのなら、この場で腹を切れ!」
「は、腹を?!」
 瑠璃の顔はますます青ざめる。
「その侍の姿も酔狂でしておるのではあるまい。武士(もののふ)らしく切腹して詫びよ!」
「そ、そればかりは何卒ご容赦を!」
 瑠璃は恥も外聞もなく、平身低頭。いくら剣を極め、腕を誇っていても、所詮は若い娘、死ぬ覚悟などできてはいない。
「馬でも黄金でも、絹でも銭でも差し上げられるものは、皆差し上げまする。ゆえに、どうか、切腹はお許し下さいませ!」
「ならぬ! 自分で腹が切れぬというなら、儂の太刀の錆にしてくれようぞ。その方を軍神の血祭りにして、丹波一党を滅ぼしてくれん!」
「どうか、どうか、お許しを・・・うっ、うっ」
 瑠璃は身を揉んで、泣き出した。屋敷に乗り込んできたときの、颯爽とした若武者ぶりは、もはや見る影もない。
「いいや、許さぬ」
 とうとう孫三郎は太刀を抜いた。
「ど、どうか、ご、ご堪忍を」
 瑠璃は泣きながら、懸命に命乞いをする。
「どうも邸内が騒がしいと思えば、これは一体何事です?」
 いつの間にか古びた袈裟をまとった僧が立っていた。
「これは清空上人」
 初老の僧の出現に、孫三郎は驚き、やや平静を取り戻した。
「これはまた、凄まじきこと」
 二つの血まみれの骸を前に、僧は悲しげに首をふった。
「そこな娘御の仕業かな?」
「いかにも」
 孫三郎は肩をいからせた。
「ただ今、成敗するところにござる」
「孫三郎殿、しばらくお待ちあれ」
 僧は孫三郎をなだめ、さめざめと泣いている瑠璃に向き直った。
「娘御、拙僧は清空という旅の僧。諸国を流れ流れて、今はこの孫三郎殿の屋形の客として、軒下をお借りしておる」
 清空上人のことは、瑠璃も知っている。都でも貴賎問わず敬われている名僧である。廻国修行のため、日本中を行脚しているという生き仏のような存在である。まさか、こんな形でその姿を拝するとは、思ってもみなかった。
「かような殺生をいたしたのにも、それなりの理由があるのであろう? 聞かせてみなされ」
「は、はい!」
 瑠璃はこれまでの経緯を、涙ながらに語った。
「このような仕儀と相成り、まことに申し訳なく思うております。いかようにもお詫びします。それゆえ、命ばかりは何卒お助け下さいませ」
「ならぬ! 斬る!」
といきまく孫三郎を、
「孫三郎殿」
 清空上人は、いかにも名僧に相応しい沈毅な態度でなだめた。
「娘御もこうして、過ちを悔いておる。それに、まだ若い。若い命をあたら奪うは、御仏の教えに適いますまい」
 だが、孫三郎の怒りはおさまらない。
「こちらは何の罪科もない娘と家の者を殺されたのです。いくら上人のお言葉でも、聞き入れるわけには参りませぬ」
「この娘を斬ったところで、亡くなったご息女も侍女どのも、生き返りはしますまい」
と清空上人は助命を頼むが、
「得心いたしかねます」
 孫三郎は首を横に振った。
「ならば、こうしてはどうかな?」
と清空上人はとりなし顔で言った。
「こう、とはどうです?」
「この娘を出家させる」
「出家、とな?」
「尼にさせ、死んだ者たちの菩提を弔わせる。それで如何かな?」
「な、なります!」
 瑠璃は泣き腫らした目をあげて、叫ぶように言った。
「尼になります。姫御前たちの菩提を弔って、生涯を過ごします!」
 命を助かりたかったし、斬った者への贖罪の気持ちもあった。そのような思いでいっぱいで、瑠璃は度を失い、清空上人の言葉にしがみついた。
「娘御、よく決心したな」
 清空上人は慈愛に満ちた眼差しで、瑠璃を見た。
 そして、
「孫三郎殿、如何?」
 重ねて訊ねた。
「ええい、仕方ないわ!」
 孫三郎は太刀をおさめた。
「尼になって、娘らの供養をするとの言葉に、二言はあるまいな?」
「は、はい! なります! 尼になりまする!」
 瑠璃はひたすら頭をさげ、約束した。
「ならば、この場で得度を執り行おうぞ」
と清空上人は、自ら剃刀をとって、瑠璃の髪を剃る。
 髪を剃る前に、
「よいかな、娘御?」
と覚悟を問われた。
「はい!」
 瑠璃は凛とした声で答えた。
「尼として一生、御二人の墓守をして暮らしまする」
「では、剃る」
 清空上人は、まず瑠璃の髷を元結のところから、剃刀をあて、一気に断ち切った。ザクリ、ザクリ。武骨な刃が、髪を奪っていく。
 髷が切り取られた。
 バサリ、と髷を失った髪が頬や首筋に垂れる。瑠璃は切禿(きりかむろ=おかっぱ)にされた。
「自分の髪にしかと別れを告げるがよい」
と清空上人は言い、切った丈長き髷を、瑠璃に手渡した。
 瑠璃は無言でそれを受け取り、膝の上にのせた。
 ゾリ、ゾリ、と剃刀は動く。
 瑠璃は目を閉じ、合掌して正座したまま、身じろぎひとつしない。
 が、痛い。
 清空上人の剃刀さばきは、温雅な風貌に似合わず、手荒い。
 その乱暴な剃刀使いで、頭を剃り散らされ、
 ――ぐっ、ぐぬ! な、なんの!・・・ぐっ、痛っ・・・なんの!
 瑠璃は歯を食いしばって耐えた。
 頭頂がまず剃られ、河童の皿のようになった。
 そして、清空上人は瑠璃を前かがみにさせると、皿の部分を起点に、剃刀を滑らせ、前の髪を全て剃り落とした。
 バラバラと髪が、目の前をこぼれていく。
 瑠璃は言いようのない淋しさをおぼえた。
 しかし、これも償いなのだ、と自らに言い聞かせた。
 剃刀は次に右の鬢にあてられた。
 ゾリゾリ、ジジジィー、ジジジージー
 髪が剥がれ落ち、バサリ、と床板を叩く。
 瑠璃が肉体的、精神的苦痛をこらえている間に、頭髪はみるみる消え去っていく。消えたそばから、清水のような頭皮が露になる。
 ゾリ、ゾリ、ジー、ジッジッ
 剃刀が後ろ頭を剃り上げていく。
 痛みはいよいよ激しくなるが、瑠璃は懸命に我慢した。
 ゾリッ、ゾリ、ジイィー、ジッジッ、ジイー
 里芋の皮でも剥くみたいに、後ろ髪が削がれ、ハラハラと床に降り積もった髪は、収穫された藁束のよう。
 ゾリッ、ゾリッ、ジジー、ジー、ジー
 全ての髪がおろされた。
 淫靡なまでに青白い坊主頭が、燭台の灯火に照らされ、大入道の如き影が、壁板に、ユラリユラリと浮かんでいた。
「さあ、娘御よ、剃り終えたぞ。次は装束を変えねばの」
 清空上人はそう言うと、奥の間に行き、尼僧の衣を持ってきた。瑠璃は皮羽織も小袖も、袴も脱ぎ、与えられた僧衣を着た。初めて着る僧衣は、ガサガサして肌に合わなかった。が、苦情を申し立てるわけにもいかない。着るうちに慣れるだろう。
「これは、これは、清げな尼になったものかな」
 清空上人は惚れ惚れと、尼僧姿に変じた瑠璃を眺めている。
「うむ。娘の仇とはいえ、見事な心ばえじゃ」
 孫三郎も腕を組み、感じ入った態。
「では、まず、この二人が成仏できるよう、経を手向けようぞ」
と清空上人は、姫と侍女の遺骸の前に座ると、経文を誦しはじめた。
「はい!」
と瑠璃も清空上人の横に正座し、手を合わせ、
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」
 経を知らぬので、念仏を唱えた。一心不乱に唱えた。
「なんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶ――」

 狐退治に出かけた瑠璃が一晩経っても帰って来ないので、彼女の身を心配した村人たちは、早暁から、森の中、山の中、と捜し回った。
 何やら女子の声がするので、声の方へと行ってみれば、
「あ、あれ?! ありゃあ、瑠璃様じゃあ!」
 丸坊主になった瑠璃が、素っ裸の上から木の葉をベタベタ貼り付けて、
「なんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶ」
 両掌を合わせ、無我夢中で念仏を唱えていた。その前には二つの藁人形が転がっていた。
「なんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶ」
 村人たちは驚いた。
 だが、前日の瑠璃の自信たっぷりの態度を思い出すと、袖を引き合って笑わずにはいられなかった。
「瑠璃様も、“かみそり狐”には敵わなかったようじゃなあ」
「はははは、こりゃあ、見事な坊主頭じゃこと」
 そんな村人の嘲笑にも気付かず、瑠璃は神妙な顔で坊主頭を垂れ、
「なんまんだぶなんまんだぶなんまんだぶ」
 素っ裸でひたすら念仏を繰り返していた。

 それからも、「かみそり狐」は出没した。
 坊主頭はひとつ、またひとつ、と増えた。
 しかし程なくして、現れなくなった。
 死んだか他所の土地に行ったのだろう、と村人たちは噂し合った。噂しながら、どこか淋しそうでもあった。

 瑠璃は、と言えば、「かみそり狐」に頭を剃られて以来、すっかり武芸自慢に懲りて、男姿もやめ、武事からも遠ざかった。普通の娘になった。
 どういうわけか、「かみそり狐」の一件から、幸運が重なるようになった。そして、秋月家中でも有力な武将、野際左近の妻となった。
 果報者よ、と人々は羨み、瑠璃自身も、果報者だ、と我が身を思った。
 あるいはこれは、「かみそり狐」の功徳かも知れない。夫との間に生まれた嫡男を抱きながら、ふと、そんなことを考えたりもした。
 そして、「かみそり狐」への感謝の念をこめ、屋敷の内に、お稲荷様を祀った。
 長い歳月の間に、屋敷はなくなってしまったが、お稲荷様の祠は今でも、「かみそり狐」の言い伝えとともに、ひっそりと残っているという話だ。




(了)



    あとがき

 全国に伝わる「かみそり狐」の民話を基に書いたお話です。民話ベースの話は「嘘つき小僧」に次いで二作目です。「乱世東国戦記」の第五弾でもあります。
 最近寝る前に、某動画投稿サイトで、「まんが日本むかし話」を観るのが楽しみなんですね。やっぱ民話はいいわ〜。基本的に笑い話が好きです。怖い系は苦手。
 当然、「かみそり狐」の動画も観ました。
 このお話には思い出があるんですね。
 小学校の低学年のとき、地域のクリスマス会があって、近所の子供たちと、このお話の紙芝居をやったんです。と言っても、何分まだ子供なので、五六年生の女の子たちが紙芝居を読む役で、迫水は年上の女の子たち(男ひとりでした)に言われるまま、絵に色を塗ったりしただけなのですが。でも何故、お姉さんたちが「かみそり狐」の話をチョイスしたのかは謎です。もっとロマンチックだったり、派手なお話、クリスマスっぽいお話はいっぱいありそうな気がしますが。
 そういえば妹も、小学校高学年のとき、「ちび○るこちゃん」収録のオカッパの話を、友人たちと紙芝居でやっていた。そろそろ色気づきはじめた女子にとって、「髪を切る(剃る)」というテーマのストーリーは興味をそそられるのでしょうか。もしかして、十代の女の子って、潜在的な断髪フェチ予備軍なのかな?
 今回の話は、うちの時代劇にしばしば登場する男装の麗人がヒロインです。お蔦の方、秋姫、清姫、緋鳥、と結構多いなあ。
 以前から頭の中にあったネタを、小説化しました。
 自作を振り返ってみて、男装の麗人はカッコ良く描くんですが、たまにはお間抜けな男装ヒロインも面白いのではないか、と考えています。
 最後までお付き合い下さり、感謝感謝です♪♪




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