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二階堂琴乃・晩春賦


 市立仲本中学(通称・工事中)にも、無論、野球部はある。
 この野球部にこの春入部した或る部員のことで、校内はザワついている。
 その部員は別に、走攻守揃った「期待のルーキー」というわけではない。不良生徒が更正して野球をはじめた、ナンテいう少年漫画的展開でもない。
 その入部希望者は、なんと、
 女子
だったりする。
 彼女は、
 二階堂琴乃
といった。8月23日生まれ。乙女座のA型。身長は144センチ。趣味は読書(漫画含)、音楽鑑賞、プロレス観戦、そして、野球観戦。左投げ左打ち。希望するポジションはファースト。
 小学校の頃、兄がリトルリーグで野球をしていた影響で、自分もやってみたくなり、両親にせがんで、リトルリーグに入った。
 そこで、野球の楽しさを知った。
 練習して技術が向上すると、さらに野球が楽しくなった。
 小学校の5〜6年になると、レギュラーとして試合にも出してもらえるようになり、ますます野球が楽しくなった。リトルリーグのチームメイト――ほとんど男子だった――との友情も育んだ。
 小学校を卒業し、中学に進学して、琴乃は部活選びで迷った。
 本当は野球部に入りたい。
 けれど、中学の野球部は全員男子。かなり気後れする。
 女子ソフトボール部に入部しようかとも考えた。
 しかし、どうしても 
 野球
を諦めきれない。
 リトルリーグで一緒だった仲間たちも、多くは野球部を選択している。
 チームメイトから、
 「三バカ」
とひやかされるほど、仲の良い大泉慶喜や羽山涼も、野球部に入部している。
 色々思い悩んだが、
 ――とりあえず、仮入部だけでもさせてもらおう。
という折衷案が浮かんだ。
 顧問はじめ野球部員たちは戸惑っていた。周りの生徒たちは好奇に満ちた視線を、琴乃に向けた。
 が、たじろぎつつも、初志を貫き、琴乃は野球部仮入部を実行に及んだのだった。
 結果は、といえば、
 上々!
だった。
 確かに練習はリトルリーグより、キツかったが、苦しさより楽しさの方が勝った。体育会系の雰囲気も肌に合った。昔からの仲間、新しい仲間と共に、白球を追うのが嬉しかった。
 最初は「紅一点」の琴乃を持て余し気味だった顧問や先輩たちも、練習を重ねるにつれ、彼女を受け容れるようになっていった。
 ――やっぱり野球部だよなぁ〜。
 琴乃はしみじみと思う。そして、きめた、中学の三年間を野球に捧げることを。

 しかし、問題が生じた。
 琴乃にとっては、野球部「本入部」にあたっての、唯一にして最大の障害だ。
 それは、
 断髪
である。
 仲本中学野球部の部員は、
 丸刈り
が掟だった。
 仮入部から本入部になると、新入部員らは、それまで思い思いに伸ばしていた髪を切って、6mmの坊主頭にしなければならない。
 黒髪を肩まで伸ばしている琴乃は、仮入部期間が終わりに近づく頃になると、髪をかきむしって煩悶する。
 ――丸刈りとか無理だよォ〜!
と思いつめる。
 「三バカ」の大泉慶喜などは、
「琴乃、勿論お前も坊主にするんだよなぁ?」
とかデリカシーのないことを言ってきて、
「ん〜・・・」
 琴乃は返事に窮する。追いつめられた気持ちになる。
 毎晩、布団の中で丸刈りのことを考える。
 この髪にバリカンが入って――
 髪が全部ジョリジョリ切り落とされて――
 一休さんみたいなクリクリ坊主に――
 髪に触れるバリカンの感触や、坊主頭にセーラー服の自分の外見を想像する。憂鬱になる。嫌悪感に襲われる。
 怖いし、みっともないし、恥ずかしい。
 琴乃だって、そろそろお年頃、思春期の女の子らしい洒落っ気や恥じらいも、芽生えつつあるのだ。
 野球はやりたい。
 でも坊主はイヤだ。
 この間、
「ボウズはさすがに無理かな」
と弱気な本音を口にしたら、
「なんだよ、お前」
 慶喜が目を吊り上げた。
「俺たちを裏切るのかよ?」
 この一言は結構こたえた。
 せっかく築いた、あるいは築きかけた友情を、失ってしまうのは悲しい。
 野球と髪の毛
 仲間と髪の毛
 胸の内で天秤は揺れている。どっちを選ぶのか。
 本入部が迫ったある日、思い切って顧問に、
「先生、あの・・・アタシも・・・その・・・ボ、ボウズにしなくちゃダメですか?」
 おそるおそる訊ねた。
 変り種部員の質問に、顧問はどうやら今までそのことを考えていなかったらしく、ちょっと思案するふうだったが、
「さすがに女子を坊主頭にはさせられんよ」
と笑った。
 琴乃は、ホッと胸をなでおろした。あっさり坊主を免れ、拍子抜けさえした。あんなに悩んで損をした。
「ただ――」
 顧問は厳しい顔になって、
「髪は短く切れ」
 結局、断髪はしなくてはならないらしい。琴乃は鼻白んだが、
「はい!」
と返事をした。
 内心では、
 ――どうせ、切らなくちゃいけないんなら、ボウズもアリだったかも。
などとヘソ曲がりな考えが明滅していた。
 不思議なもので、「しろ」と言われると、拒絶反応が起きるが、「しなくていい」と言われると、ちょっと、してみたくなる。チャンスでも逃したような気持ちになる。
 そんなこんなで、仮入部は終了し、新入部員たちは次々と頭を丸めてくる。
 全員が坊主頭になるには、少しタイムラグがある。
 潔くさっさと髪を切った者は賞賛され、長髪で粘っている者は迫害される。
 「三バカ」は未だ髪を伸ばしたままだ。
 慶喜や涼は上級生に「指導」され、来週中には切ってくるので、と借金取りに応対する債務者みたいになって、断髪を先延ばしにしていた。
 練習後、「三バカ」は、グラウンドの隅でヒソヒソと話す。
「そろそろ頭、丸めんとなア」
 慶喜がボヤく。
「そうだねえ」
と涼もため息をつく。
「いいじゃん、男なんだから、度胸きめて、バア〜ッとボウズにしちゃいなよ」
と琴乃は傍観者をきめこんで、二人にハッパをかける。
「大体、慶喜ン家って床屋さんでしょ? 床屋さんの息子がいつまでもボウズにしないなんて、なんか、ねえ」
「これを世間では”紺屋の白袴”という」
「言い訳は見苦しいよ」
「琴乃、お前はいいよなァ、丸刈り免除されて」
 慶喜に反撃され、琴乃はたじろいだ。
「いや、そりゃボウズは免れたけど、アタシだって髪は切らないといけないんだからね」
「じゃあ、なんでまだ切ってないんだよ」
「そうそう、琴乃チャンだって他人のことは言えないよ〜」
 二対一になり、琴乃は言葉に詰まる。
 劣勢になったところへ、慶喜が嵩にかかって攻めかけてくる。
「琴乃〜、やっぱお前も坊主にすべきだと、俺は思うぜ」
「えッ? えッ? なんでなんでッ?!」
 琴乃は大きな両目を、さらに大きく見開いた。
「皆が丸刈りにしてんのに、一人だけ髪を伸ばしてたら、なんっつうか、異分子感がハンパねえぜ。大体、顧問も先輩も”女だから”ってお前を特別扱いしすぎなんだよ。お前もそれにホイホイ甘えてたら、いつまで経っても他の男子部員との壁はなくならねえよ」
 本気で議論すれば、琴乃は慶喜には敵わない。論理的に屈するのではない。いや、慶喜の言うことは大抵、暴論だったり極論だったり、屁理屈だったりするのだけれど(今もそうだ)、威圧感に押されまくられる。圧倒される。蹂躙される。慶喜はヘビになり、琴乃はカエルになる。慶喜は琴乃を呑み、琴乃は慶喜に呑まれる。もし、慶喜に銀行強盗の計画を持ちかけられたら、一緒に「金を出せ」と犯行に及んでしまう自信(?)がある。そういう相性なのだろう。
「なア、どうせ髪を切るなら、いっそ坊主にしちゃえよ」
 そんな論敵の囁きに、琴乃は、
「いや〜、それはちょっと・・・ねえ・・・」
と渋る。
 坊主頭になるのには、抵抗がある。
 しかし、慶喜の暴論にも一理ある。
 慶喜が口にした「異分子」というワードが心にひっかかっている。
 確かに、他の皆が頭を丸めているのに、自分だけ髪を伸ばしているのは、肩身が狭い思いをしそうだ。現にどこか引け目を、感じている琴乃がいる。
 それに、丸刈りを免れて以来、
 ――せっかくだから、ボウズなっても良かったかも〜。
 ――ボウズにしたら、気持ちいいかも〜。
と心の奥底で、例のヘソ曲がりな好奇心が鎌首をもたげ、蠢いている。
 周囲に坊主頭が増えるほど、引け目と好奇心は膨らんでいく。
 そんな琴乃の心の揺れを見抜いたのか、慶喜は、
「なあ、琴乃も坊主にしようゼ〜。絶対その方がいいって」
とすごんだり、そそのかしたりして、あまりのしつこさに、
「わかったよ! ボウズにすればいいんでしょ!」
 とうとう琴乃は音をあげた。説得されてしまった。で、その気になった。
「わ〜い、琴乃チャンも坊主だ〜」
 まだまだ幼さを色濃く残す涼は、無邪気にハシャいでいる。
「じゃあ、三人で一緒に頭刈ろうゼ」
と話は次の議題に移る。
「月曜の放課後、ウチの店に来い。タダで刈ってやるから」
 慶喜が言う。琴乃が心変わりして、脱落するのを防ぐための「連れ坊主」提案だろう。
「え〜、ホントにタダでいいのォ?」
「特別サービスだ。しかも店は定休日だから、俺たち三人の貸切だ」
「せっかくの休みにいいの?」
「いいんだって!」
 慶喜に押し切られ、琴乃と涼は彼の提案に乗った。話の流れ上、乗らざるを得なかった。

 ついに月曜日が来た。
「じゃあ、琴乃ちゃん、また明日ね〜」
「うん、バイバイ」
と友人のアーちゃんと手を振り合って別れながら、
 ――アーちゃん、明日驚くだろうなあ・・・。
 なにせ、次に会うときには、友人は坊主頭になっているのだから。
 琴乃は慶喜の家――「ヘアサロン山茶花」に向かって歩き出した。「三バカ」は一蓮托生、「裏切り者」になるのは回避したい。
 とは言え、足取りは重い。半ば無意識に遠回りしたり、途中のコンビニに用もなく立ち寄ったりして、時間稼ぎをしてしまう。
 それでも約束の時間には、ヘアサロン山茶花に着いてしまった。
 店の前に誰かいる、と思ったら、本日の「貸切客」の涼だった。
 涼は琴乃の到着を待っていたらしい、琴乃の姿を見とめると、
「琴乃チャ〜ン」
と小走りで駆け寄ってきた。
「よかった〜。もしかしたら、来ないんじゃないかって、心配したよ〜」
「涼チン、先に店に入っとけばよかったのに」
「一人じゃ怖いよ」
「相変わらずだらしがないなぁ」
 そう言いながらも、琴乃も安堵していた。涼と会わなかったら、もしかしたら、回れ右して逃亡していたかも知れない。幸か不幸か、涼がいたおかげで、店に入る勇気を得た。
 店はカーテンが閉められ、ドアには、
 本日定休日
という札がかけられていた。
「大丈夫かな? やってるのかな?」
「電気がついてるから、やってるんじゃないの?」
 琴乃はドアノブに手をかけた。カギがかかっていてほしい、と内心願いながら。
 ガチャリ、カランカラン
 願いも空しくドアは開いた。
「いらっしゃい」
 慶喜が出迎えた。なんと、フライングして丸刈り頭になっていた!
「きゃあ」
 初めて見る坊主頭の慶喜に、琴乃は思わず黄色い声をあげた。
「慶喜、ボウズだぁ〜!」
 いつの間にボウズにしちゃったの?と訊かれ、
「さっき親父に刈られた」
 慶喜は憮然とした顔で答えた。
「慶喜、いいよォ。似合う、似合う」
 お姉さん気取りの琴乃に、無遠慮に頭をなでられ、慶喜はムスッとふくれて、
「うるせい、お前らもこれから、こうなるんだよ」
と言うと、ガチャガチャと店の鍵をしめていた。まるで、お前らも道連れじゃ、逃がさねーぞ、とでも言うように。
「で、お父さんは?」
 キョロキョロと店内を見回す琴乃と涼。
「今しがた、オフクロと出かけた」
「え?」
 琴乃はキョトンとして、
「いつ帰ってくるの?」
「夫婦水入らずで、温泉センターに行くっつってたから、帰りは遅くなる」
「そんなに待てないよ」
「待つ必要はない」
「どうゆうこと?」
「二人とも俺が刈ってやる」
「え〜〜〜?!!」
 思わぬ展開に、琴乃も涼もソプラノ声を張り上げ、絶叫する。
「ナニ、ムンクの絵みたいになってるんだ」
「いや、だってさ・・・」
 二人とも度肝を抜かれまくって、パニックになっている。
「大丈夫だって!」
と慶喜は力説する。
「仮にも床屋の息子だぞ。従兄弟の髪を切ってやったこともある。大体バリカンで坊主にするくらい、素人だってできる。任せとけ!」
と主張し、不安がる琴乃・涼ペアと押し問答の末、まず涼の髪を刈ってしまった。
 たしかに自分で太鼓判を押すだけあって、器用にバリカンを扱っていた。
 女顔で色白で身体も小さく華奢な涼は、頭を丸められてしまうと、尼さんみたいになった。
「うわ〜」
と坊主頭に照れて、頬を赤らめているさまなど、どう見ても可憐な少女尼で、女の琴乃もおぼえずドキドキしてしまうほどだった。

 「三バカ」の過半数が丸刈りになった。
 最後の一人も頭を丸めねば、もはやこの場は収まらない。
「さあ、琴乃、座った座った」
 慶喜は店に入ってから、ずっとソワソワとキョドッている琴乃を、理髪台に引っ立てた。
「わかった! わかったから、腕掴まないで、痛いってばっ」
 強引に理髪台に座らされた。
 そして、首の周りにタオルが巻かれ、次にカットクロスが身体にかぶせられた。
「ちょっと、このタオルもカットクロスも、今、涼チンに使ってたやつじゃない!」
「エコロジーだよ」
「意味わかんないよ!」
 無論カット用具も洗浄せず、そのまま続投される。いかにも
 体育会系的
といった感じの、粗雑なヘアカットに、琴乃は始まる前から閉口させられる。
 慶喜が
 バリカン
のスイッチをONにした。
 ドゥルルルルルルRRR・・・
 業務用のバリカンがドリルのような音をたてはじめる。
 その機械音に、
 ――うわっ!
 琴乃は怯む。
 慶喜は空いている左の手で、琴乃の前髪を持ち上げる。
「さア、琴乃、やっちゃうぞ〜」
 慶喜の声は弾んでいる。弱虫の子が予防接種を受けるみたく、恐怖に顔を歪める琴乃のリアクションを楽しむように、ゆっくりゆっくりバリカンを髪に近づけていく。
「もォ〜、やるならやってよ! イジワルしないでぇ〜」
と琴乃は肩をいからして、クレームをつけた。
 ようやく、額の生え際にバリカンが触れた。
 ジャッ
と接触音がした。
 ――うぐっ!
 琴乃は思わず首をすくめた。
 ジ、ジ、ジャジャジャ、ジャアア
 バリカンは緩やかに頭皮を滑り、髪が割れた。根こそぎ断たれた髪は、バリカンに押し運ばれ、グニャ、と折れ曲がって、
 バサッ、
とカットクロスに落ちた。
 髪が一刀両断され、琴乃は、
 逆モヒカン
になってしまった。
 鏡の向こう、情けない頭になった自分が、恨めしげにこっちを見つめている。
 慶喜は躊躇なく、二回目のバリカンを最初の刈り口の右隣に、突き刺した。ジャジャジャ、ジャリジャリジャアア。
 さらに今度は左隣にバリカンが突き立つ。勢い任せに、刈られる。グアアッ、と髪がバリカンの刃の動きに合わせて、押しのけられる。除かれた髪は、バサバサとカットクロスを叩き、シャアーッ、と床へと流れ落ちていく。
 6mmの切り通しが、琴乃の髪を左右に裂いて、開通している。
 慶喜は、
「いや〜、面白ェ〜」
とノリノリで、バリカンを右、左、と巧みに操って、切り通しの幅を広げていく。
 ――なんだか・・・。
 琴乃は思う。獄門首のようだ。月代の部分もそうだが、カットクロスで首から下が覆われているため、余計、晒し首っぽい。
 ――やっぱりボウズなんかにするんじゃなかったぁ〜!!
 激しい後悔に襲われる。が、もう遅い。完全に遅い。
「琴乃、いいよ、いいよ〜。もうすぐクリクリだよ〜」
 慶喜はそう言って、嬉々としてバリカンを走らせる。
 琴乃はこれ以上、頭髪を刈られていく自己を、直視できない。グッと目を閉じ、歯を剥きだしにして食いしばっている。
「ぐぅ、うっ、ぐ、ぐ・・・」
と小さく唸りながら。
 そんな琴乃のザマに、すでに「通過儀礼」を済ませた慶喜も涼も、ゲラゲラ笑っていた。
「まだまだ! 容赦しねえぞ〜」
 慶喜は有言実行、ひたすらズバズバと、バリカンをサイドの髪に挿し入れていく。ドゥルルルルRRRRRR――ジャ、ジャ、ジャリジャリジャリ〜。髪が勢いよく、飛び散った。バッ!
「やだあ!」
 琴乃は目を閉じたまま、悲痛な声をあげた。
「ボウズなんて、やだよォ〜!」
「今更未練がましいぞ」
と慶喜が言う。
「琴乃チャン、戦わなきゃ、現実と」
と涼も言う。
「それとも、ここでやめとくか?」
と慶喜が意地悪く、バリカンのスイッチを切った。
「あ、いや・・・え? え?」
 琴乃はうろたえる。
 狼狽したはずみに、つい目を開けてしまった。そうしたら、ムザンに刈り散らされた前衛的な髪型の自分が、視界に飛び込んできて、
「ひゃい!」
とのけぞった。
「はい、おしまい」
 撤収、撤収、と慶喜はバリカンを片付けようとしている。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って、ちょっと待って!」
 琴乃はあわてふためく。坊主はイヤだが、今の有髪以上坊主未満の髪型は、もっとイヤだ。
「慶喜〜、わかった、アタシが悪かった。謝るから、イジワルしないで最後まで刈ってよォ〜」
と哀願する。
「坊主になりたいか?」
「・・・・・・うん・・・」
「じゃあ、“お願いします。坊主にして下さい。慶喜様”と言え」
「ぐっ」
と琴乃は屈辱に身を震わせたが、
「・・・します。・・・して下さい・・・様・・・」
「聞こえない!」
「お願いします! ボウズにして下さい! 慶喜様ぁ!」
「ふむ、わかればよろしい」
 慶喜はふんぞり返って、ふたたびバリカンのスイッチを入れた。ドゥルルルルルルルRRRR。断髪再開。




 バリカンは左側の髪を切除する。ジジジャジャジャジャアア。髪がめくれ、頭の頂近くまでせりあがる。そして、バサリ、とカットクロスに。落髪は肩に乗っかって、カットクロスの上にとどまる。
 こんなふうにして、いつの間にか、肩、首に黒い襟巻きができている。
「琴乃、いいよ、いいよ〜。野球部です、っていう頭になってきてるよ〜」
 慶喜はやはりハシャいでいる。
「クッ、ぐ、ぐぅ・・・」
 琴乃もやはり歯を食いしばり、苦悶の表情を浮かべている。
 ドゥルルルルルRRR
 ジャジャジャジャジャアアア
 後ろの髪にも、バリカンは入る。
 襟足から頭のてっぺんへと、バリカンが押し上げられる。
 バアァッ、と後ろ髪が真っ二つに分裂する。またバリカン。ドゥルルルルRRR、ジャリジャリジャリ、裂け目が大きくなる。バラバラと髪が雪崩落ちる。
 右のコメカミにバリカンがあてられ、ぐるり、と右後頭部へ。後ろ髪の上の部分が生え際から、ゴッソリと刈られる。
 同様に、左のコメカミから、ぐるり、と後頭部まで刈られる。
 頭に懸命にしがみついていたバックの髪は、切り込まれ、力尽きたように、クッタリと床に向け、落下していく。バサッ、バサッ。
 頭からみるみる黒い部分が消えていった。
 顔面が剥き出しになる。
 ――うわ〜、何コレ!
 生まれて初めて坊主頭にされて、琴乃は凹みに凹んだ。しかし、いくら凹もうが、いくら嘆こうが、どうにもならない。
 最後に慶喜は刈り残しがないよう、丸まった頭全体を満遍なく刈り回した。そして、ドライヤーで、頭に残る毛屑を吹き飛ばした。
 それから、シャンプー。同じ年頃の男の子に頭を洗ってもらうことなどないので、かなりドキドキした。
 坊主頭にした結果はといえば、涼とは真逆で、男の子みたいになってしまった。田舎っぽかった。
「よっ、琴乃チャン、男前!」
と涼が褒めてくれた。
「いいじゃん、琴乃。頭の形も悪くねえし」
 慶喜も褒めるが、
「う〜ん・・・」
 琴乃は釈然としない気持ちで、刈りあがった頭をなでまわしていた。そして、店の鏡の前、しきりにアングルを変え、坊主頭のチェックをしていた。
 琴乃の思いを尻目に、慶喜は床に散らばった髪を、フロアブラシで掃き集めていった。
 ひとまとめにされる髪を見て、ちょっと心が痛む。
 ――せっかくだから・・・
 切った髪、記念に持ち帰ろうかな、という乙女心が湧き上がるが、慶喜は興味津々に、琴乃の髪を拾いあげると、鼻に近付け、
「なんか、“琴乃の家の匂い”がするなあ」
 そのコメントに興ざめする。と同時に、カーッと恥ずかしくなった。持ち帰る気が失せた。

 坊主頭にセーラー服
というシュールな姿で帰路に着く。
 周囲の視線が、一斉に自分に向けられるのを感じた。
 すごく恥ずかしい。
 鏡を見なくても、顔が赤らむのがわかる。
 驚きの視線、好奇の視線を撥ね返すかのように、琴乃は、グッと口をへの字に曲げ、胸を反らせ、家路を歩いた。
 6mmに切り詰められた髪をすり抜けて、春の終わりの暖気が頭皮に触れ、夏近きを知る。

 家族には事前に、「ボウズにするかも」と話していたが、いざ坊主頭になって帰宅すると、
「お前は何を考えてるんだ」
と父も母も呆れていた。
 兄だけは、
「おっ、琴乃! お前、なかなかいい根性してるなあ」
と頭をなでてくれた。
「エヘヘヘ」
と琴乃はくすぐったい気持ちだった。
 以後、父が琴乃のヘアカット担当になった。
 高校野球部の兄と一緒に、縁側でバリカンをあててもらう。
「男の子がもう一人増えたみたいだ」
と父は苦笑していた。
 学校では、となると、それはもう大騒ぎになった。
 アーちゃんはじめ、友人たちは驚いた。いや、学校中が驚いていた。先生も生徒も、顧問も野球部の皆も、目を丸くして、ブッ飛んでいた。
 知り合いには、
「ねえねえ、なんで?! なんでボウズにしたの?!」
「どこで髪を切ったの?」
「丸刈りってどんな感じ?」
「もう髪伸ばさないの?」
とさんざ質問攻めにされた挙句、頭を触られまくった。
 知らない生徒たちには奇異な目で、ジロジロ見られる。
 しかし、一週間も経つと、周りも本人も慣れた。丸刈りの女子野球部員は、校内に定着したのだった。

 「三バカ」は今日も健在。
 スパイクを磨きながら、駄弁っている。
「夏の大会、いよいよ来月だね」
と琴乃。毎日の練習ですっかり日焼けして、肌が小麦色になっている。お陰でますます男子か女子かわからない。
「まあ、今年はベンチ入りは難しいかな〜」
 涼が言う。彼も少し日焼けしている。
「俺は狙ってるけどな、ベンチ入り」
 「三バカ」の中では一番の有望株の慶喜は、エヘンと咳払いせんばかりに胸を張る。
「まあ、せいぜい頑張ってね、秋田先輩の腰巾着君」
「琴乃、お前最近言うようになったじゃねーか」
「おおっ、怖っ」
「それにしても、お前、少し髪伸びたな。あとで部室のバリカンで刈ってやるよ」
「間に合ってます」
 散髪なんてしてもらって慶喜とウワサになってはかなわない、くわばらくわばら、琴乃は肩をすくめる。今日帰ったら、父に刈ってもらおう。
 肩をすくめたまま、夏の空を見上げた。どこまでも広がる青い空。白い雲。
 月並みだけれど、雄大な眺望に、琴乃は目を細める。
 ふと、耳をすませば、空の彼方から、真夏の熱戦を盛り上げる観客たちの歓声が、聞こえてくるような気がす・・・
「おい、くっちゃべってないで、さっさとやれ!」
 聞こえたのは、先輩の叱声だった。
「はい! すいません!」
と三つの丸刈り頭がさがる。
「怒られちゃったね」
 琴乃は苦笑いしながら、ペロリと舌を出してみせた。
 琴乃の茶目っ気に、慶喜も涼も声を殺して笑った。
 昭和二十年十月十六日の事である(嘘)



(了)



    あとがき

 「二階堂琴乃」シリーズの二回目です。
 前回予告した通り、2013年はこのヒロイン、二階堂琴乃嬢をさまざまな形で、断髪させていこうと考えています。
 とは言え、なんか本作、過去作品の焼き直しのように思えます。こういうの前にやらなかったっけ?というデジャ・ビュをおぼえます。断髪描写も最近パターン化しているような。。。
 でも、かなり好きな作品です(^^) ヒロインの琴乃嬢にも愛着はありますし、これからも、このシリーズ、続けていきたいと思っています♪
 お読み下さった方、本当に感謝です(*^_^*)




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