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「清浄化」の周辺で


 某宗某派の総本山は、最近騒がしい。
 Z師の首座就任を契機に、「清浄化」のスローガンの下、さまざまな改革が行われている。
 改革派から、「害悪」と見なされた僧尼は山を追われた。代わって有能な「清僧」「清尼」たちが入山し、ドシドシ重要なポストに就けられた。
 改革によって大小の混乱がおきた。改革派の勇み足も多々あった。
 とにかく総本山は騒々しい。
 そうした山内の喧騒から置き捨てられたように、その学園はあった。
 御仏のいます聖域の一角にひっそりと建つその学園は、生徒数も少なく、生徒たちの品行も悪くなかったので、「清浄化」を推し進める本山の上層部も、クリーニングの対象から外していたのだろう。
 その学園について、ざっと記す。
 歴史は古い。室町時代とも安土桃山時代とも言われるが、遠い昔、僧侶の学問所として創設されたのが学園の前身だ。
 20世紀に入って、新しい学制により、中等部と高等部に分かれ、一般の生徒も受け容れるようになり、男女共学にもなった。
 学園の高等部は四つの学科に分かれている。
 一流大学への進学希望者が切磋琢磨する「特別部」、一般の高校とほぼ同じカリキュラムの「非特別部」、仏教にまつわる文化(仏像、仏画、寺院建築、仏教文学、仏教音楽)などを学ぶ「仏教文化部」、そして、将来僧職を希望する者が仏教の教えを勉強する「宗門部」である。
 宗門部の生徒は全員山内の某寺院に寄宿して、修行生活を送りながら、学園に通い、御仏の教えの何たるかを叩き込まれる。学校生活と修行生活を同時に行うため、スケジュールはぎっしりで、生徒はハードな日常に忙殺されている。
 宗門部の大半は、寺の子女である。中学や高校の頃から、仏教を学ぼうとするだけあって、信仰心や気概、義務感、寺族としての意識は強い(中には素行が悪いため、更正目的で入学させられる者もいるが)。ほとんどの生徒が卒業後、修行道場、あるいは仏教系の大学に進むことを希望している。
 こうして日々、御仏の心に触れ、若きエリート僧侶の卵たちが純粋培養されていくのである。
 宗門部の生徒たちは一応修行僧の端くれなので、坊主頭だ。
 皆、入学前に頭を丸め、山に登ってくる。寄宿寮(寺)で互いに頭を刈り合って(あるいは自分で剃って)、坊主頭の保持に余念がない。
 ただし、宗門部でも女子学生は長髪を許されている。
 少し前までは女子も丸坊主がきまりだったのだが、時代の流れというやつで、女子に限っては有髪が認められた。
 そのこともあり、近年は宗門部を受験する女の子も増えた。
 現在、宗門部には六人の女生徒が在籍中だ。
 六人とも長い髪だった。
「たしかに有髪は許可しているが、ちょっと長すぎやしないか」
と、ある改革派の高僧が、本山行事に袈裟をつけ列席した宗門部の女生徒に、眉をひそめたことがある。
 本山の「清浄化」活動の一環に、剃髪義務の推進がある。僧尼の間でも、半ば強制され有髪から剃髪になる者は多い。
 自然、宗門部の女子の長い髪は、改革派の僧の目をひく。
 この幹部僧の言う通り、宗門部女子の髪は長すぎた。
 目が隠れるほど長い前髪の娘、未開人のようにモッサリとした髪をうず高く茂らせている娘、たしかに「清浄化」進行中の本山には相応しくない。
「仕方ないんですよ」
 宗門部で指導に当たっている教師の僧侶が弁解した。
 彼女たちは毎日、学校と修行でめまぐるしく動き回っている。髪を整えるにも、山内には美容院がない。仮に髪を短くしても、ショートカットは定期的に美容院に足を運ぶ必要があったりと、維持が難しい。美容院通いができる環境にない以上、肩にかかる長髪の場合は後ろで結ぶこと、という学園の髪型規定に則って、乗り切るしかないのだ。
 教師のこの説明に、
「やはり、有髪を認めたのは、早計だったのではありませんかね」
と幹部僧は苦笑したが、それ以上、女生徒たちの髪型を云々することはなかった。

 日下部千華(くさかべ・ちか)はそんな女生徒のひとりだった。
 関東のさる寺の長女で、幼い頃から寺院や仏教に慣れ親しみ、自身も尼僧となって、先祖代々の寺を受け継ぎたい、と一念発起して、本山の学園を受験した。
 勿論、髪は長い。
 日頃、背中の半分が隠れるほどの髪を高々と、ポニーテールにまとめている。
 鼻先まである前髪は左右に分けている。お辞儀をしたり、うつむいたりすれば、バサリと顔にかかる。
 両脇のモミアゲは首の下まで垂れこぼれている。
 結いきれなかった後れ毛は、日陰の野草のように、ユラユラ覚束なげに、うなじをまばらに隠している。
 黒々とした見事な美髪だった。
 千華は髪だけでなく、顔立ちも美しかった。
 切れ長の一重まぶたが涼やかで、王朝美を思わせた。高い鼻梁はそこはかとない知性と強い意思を感じさせた。やや薄い唇は慎み深さと無欲さを表しているかのようだった。
 それら、各種の器官が、ミルクのように真っ白な顔に形良く、配置されていた。
 そんな千華に、学園の男子たちの多くが胸をときめかせていたものだ。
 しかし千華はあくまでストイックだった。恋愛を遠ざけ、尼僧になるための勉学と修行にひたすら没頭していた。

 あるいは美人の方が、自分の姿形を変えることに対して、思い切りがいいのかも知れない。
 千華は最近、頭を丸めようか、と思うようになった。
 きっかけは一人の尼僧だった。
 尼僧は田辺西光(たなべ・さいこう)といった。学園で仏教音楽を教えている。年齢はそろそろ三十路にさしかかろうとしていた。
 田辺先生は髪を長く伸ばしていたが、ある日、突然、バッサリと丸坊主にして、教室に現れ、生徒たちを驚愕させた。
「まあ、色々あってね」
と田辺先生は照れながら、青々とした坊主頭をなでて笑っていた。
 どうも、「清浄化」がらみで剃髪したらしいが、千華たち学園生には詳しい事情はわからない。
 しかし、千華の関心は動機より、丸い青剃り頭に向けられた。ひどく惹きつけられるものがあった。
 ――ゆで卵みたい!
と、まず思った。
 次に、
 ――サッパリして気持ち良さそう!
と羨望の念が湧いた。
 自らの長い髪が疎ましくなる。
 硬い髪質でボリュームもたっぷりある千華の髪は、毎日まとめる作業がわずらわしい。洗髪、手入れも大変だ。野放図に伸びた髪は、パッと見、むさ苦しく他人の目に映るかも知れない。
 だから、宗門部の男子の坊主頭を見て、
 ――楽そうだなあ。
と羨ましく思ったりもする。
 しかし、自分も坊主頭になるという発想はなかった。
 けれど、田辺先生の「変身」を目の当たりにして、
 ――丸刈りかあ。
 そういう選択肢もあることに気づいた。
 元々数年前までは女子も剃髪が義務付けられていた宗門部生だ。坊主にしても差し支えなかろう。
 差し支えないどころか、校則には女子の有髪を認めつつも、できれば女子も剃髪か丸刈りが望ましい、と謳われている。
 恋愛には興味がないし、毎日のハードスケジュールをこなすのに、長い髪は邪魔だ。頭を丸めて、一心不乱に学問修行に取り組むのも、経験としてアリだろう。いや、「アリ」どころか、尼僧を目指す身にとって、むしろ髪を落とすことはむしろ本望ではないか。
 考えれば考えるほど、坊主欲求は膨らんでいく。
 近頃は田辺先生の例もあるように、坊主頭の尼僧が山内を行き来している。
 このドサクサに紛れるようにして、髪を切ってしまおう。千華はそう決心した。
 でも一人だけ坊主になるのには、抵抗がある。
 仲間が、坊主仲間が欲しい。
 ――女子の中で、一緒に坊主になってくれる人、いないかなあ。
 アテは一応ある。
 寄宿先で同室の伊丹実李(いたみ・みのり)と露口景(つゆぐち・けい)だ。
 二人とも同学年で、数少ない宗門部女子同士、気のおけない関係だ。
 とは言え、二人とも年頃の女の子、坊主頭には難色を示すに違いない。
 ダメ元で話を持ちかけてみた。
「私、坊主にしようかと思うんだ」
と言うと、
「えっ?! 本気なの?!」
と二人は案の定、目を剥いて、ただただ驚くばかりだった。
「本気だよ」
と千華は決意の理由を語った。
「田辺先生が坊主にしたのを見て、私もやってみたいなあ、と思って。ほら、髪長いと色々大変だし、いっそバッサリやっちゃおうかなあ、ってね」
「やめときなってば」
「坊主はやりすぎでしょ〜」
 二人は千華に翻意を促したが、
「もう決めたから」
 千華は聞き入れなかった。
「坊主か〜、たしかにラクだものね、坊主」
と言う実李は千華と同じ、かろうじてポニーテールの形状に保ってはいるが、今にも溢れんばかりの長く多い髪に手をやり、
「アタシも坊主にしよっかなァ」
 何の気なしにひとりごちた。
 実李のその呟きを、千華は聞き逃さなかった。
「じゃあ、伊丹さんも私と一緒に坊主にしようよ。有限実行だよ」
 柔道に例えると、相手の襟を掴んで、むんずと引き寄せるように誘いかける。
 言質を取られて勧誘された実李は、
「う〜ん」
とちょっと考えて、
「日下部チャンが坊主にするなら、アタシも付き合っちゃおうかなァ」
 意外にあっさりと応じた。説得する手間が省けた。
「いい加減、長い髪ウザいしね」
 実李は実李で思うところがあるのだろう。長い髪は手に余るし、周囲は僧侶の卵だらけで、坊主頭についての感覚は、やや鈍磨している。何より、この年頃の女の子はノリが良すぎる面がある。丸坊主、皆でなれば怖くない、という具合に、突き抜けた気持ちになったのだろう。
「絶対だよ、約束だよ」
と千華に念を押され、
「わかってるってば」
 実李は力強く首肯した。
 景の方は、
「やだ、絶対やだ。アタシは坊主になんかしないからね!」
とあくまでロングヘアーに固執していた。これもまた、この年頃らしいリアクションといえる。
 その場で談合が持たれ、三日後の外出日に、門前町の床屋で断髪することに決まった。坊主を拒否した景も、「見届け人」として同行することになった。
 千華の計画は周到だった。いらぬ邪魔が入らないよう、坊主の件は他言無用と、実李と景に固く口止めした。いきなり坊主にして、皆の反応を楽しみたいという悪戯心もあった。
 髪にそっと手をあてる。
 ――この髪ともサヨナラか・・・。
 多少の感傷もあった。物心ついた頃から、ずっと伸ばしてきた髪だ。センチメンタルな気持ちにもなる。
 けれど、
 ――さっさと切ってしまいたい!
という、のたうつような断髪衝動の方が勝っていた。
 もしも、一人で髪を切ろうとしたら、あるいは腰がひけていたかも知れない。
 しかし、断髪希望者が二人いるので、一方が弱気になっても、もう一方がノリノリだったりして、互いに心変わりを阻止できる。
 千華と実李は毎夜、部屋で断髪の話題に興じる。
「この髪、全部切り落としたら、すごく気持ちいいだろうね」
「ジョキジョキ、ってね」
「頭の形、大丈夫かなァ」
「ゼッペキだったりして」
「あはは、頭の防寒対策もしとかなきゃね」
 こんなふうに話しながらハシャいでいると、心の奥底に根強く残っている不安は薄れ、愉快な気分になっていく。
 断髪組ではない景が、どことなく寂しそうにしているのが、千華と実李の優越感を刺激し、二人はますます坊主話で盛り上がった。

 そして三日経った。
 外出日がきた。
 三人は若干緊張気味に門前町へと向かった。
 あらかじめ目星をつけていた床屋が、眼前に迫ってくる。営業中を知らせるクルクルと回る赤青白のサインポールがやけに目に鮮やかで、さすがに足がすくむ。
 この建物の中に入ったが最後、出てくるときには、今日日男の子でも嫌がるクリクリ坊主だ。
 ――今なら引き返せる。
 そんな逡巡が胸をかすめる。
 しかし、ためらいを振り払い、
「行くよ、伊丹さん」
「おうとも、日下部チャン」
 千華と実李はどちらからともなく、しっかりと互いの手を握る。
 「見届け人」の景は所詮は他人事なので、
「はいはい、二人とも早く入った入った」
とグイグイ背中を押してくる。
「ちょっと、露口さん、押さないで〜」
 オシクラマンジュウのように入店。途端、カランコロンとドアベルが鳴り、ドキリと背筋に寒気が走った。
 ツン、と男性用のヘアトニックの臭気が鼻をつく。
 初めて入った門前町の床屋は、
 レトロ
の一語に尽きた。
 何せ、ずっと昔から店を開いている床屋だ。店舗も、年号がまだ昭和の頃、建て替えたきりで、そのまま営業を続けているらしい。元々、営利意識も希薄で、山内では数軒しかない理髪店なので、おのずと殿様商売にもなる。
 床も内壁も白と青のタイル張りで、タイルとタイルの間がところどころ黒ずんでいる。
 理髪台はこげ茶色のレザーが張られていて、無骨な感じ。
 しかも店内では、いわゆる黒電話がいまだに現役で活躍している。平成生まれの千華は黒電話なんて見たのは初めてだった。
 壁にはポスターが二枚貼りつけられている。デザインパーマの男性がアイビールックでキメている時代錯誤な全理連のポスターと、本山の布教用(?)のポスター。貼って貼りっぱなしといった風情だ。  とても女の子が気軽に来店できる雰囲気ではない。
 待合席の本棚には手塚治虫の「ブッダ」や「漫画で読む般若心経の教え」から、本格的な仏教書まで並んでいて、この辺りはいかにも門前町の床屋らしかった。
 店員は二人。五十がらみの痩せた男性と、二十代の若い好青年タイプの男性が白いユニフォームをつけて、待機していた。親子のようだ。
 客はいない。
 ――うわっ!
 千華はあわてる。他の客がカットしている間に、心の準備をしておこうと考えていたのに、予定が狂ってしまった。
「カット?」
 店の主らしき五十男がややぞんざいに訊ねる。
「はい」
と千華は答えた。隣の実李も無言で点頭している。
「アタシは付き添いなんで」
と景はそそくさと待合席に避難した。
「じゃあ、どうぞ」
と手招かれ、千華と実李は並んで、硬い理髪台に腰を沈めた。
 千華のカットは店主、実李のカットは若い男性店員がそれぞれ担当する。
「今日はどうするの?」
と訊かれ、千華はお腹に力を入れ、
「あの、3mmの丸刈りにお願いします」
 すんなりと冷静に注文できて、安堵した。
「いいの?」
 主は形式的に確認する。常日頃、尼僧の頭を剃り慣れているので、千華のオーダーにもさして動じる気配がない。
「はい」
 千華はうなずく。ミルク色の頬が少し赤みがかっていた。
「君も丸刈り?」
と青年理髪師が実李に訊いている。訊かれた実李は顔をこわばらせ、
「い、いえ、あの・・・」
と口ごもり、
「毛先を5センチくらいカットして下さい」
 実李、なんと土壇場で千華を裏切った。
 ――えっ?!
 千華は反射的に実李を振り仰いだ。実李は千華の刺すような視線を避けるように、目を伏せている。後で、
「あんなカッコイイお兄さんに“坊主にして下さい”なんて言えないよォ」
と弁解していた。
 ――裏切られたぁ〜!!
 カァーと頭に血がのぼる。
 ポニーテールにまとめていた髪がほどかれ、コームで梳かされている間も、千華は呆然として自らを失っていた。
 主はいつの間にか、大きな業務用バリカンを握っている。
 ブイイィィーン
 けたたましい機械音が鳴り始める。
 ――最初っからバリカン使うのォ〜?!
 ダブルショックで千華は目を白黒させるばかり。
 ――やっぱり私も坊主にするのやめよ。
と思った瞬間に、業務用バリカンは額の髪の生え際に食らいついていた。ジャッ!
 ――きゃっ!!
 千華は思わず顔を歪めた。
 ジャジャジャ、髪はバリカンに押しのけられ、のけぞって、頭の頂までめくれあがった。「ひとり坊主」決定だ。
 業務用バリカンの威力は、千華に目眩をおこさせた。
 まるで脆弱な要塞にありったけの火力をブチこんだように、ロングヘアーの一角が、ズボリと陥没していた。陥没箇所は荒れた芝生みたいになっている。
 ――きゃああっ!
 頭の中が真っ白になる。
 バリカンの刃に、刈り取られた髪がしんなりとブラ下がっている。ブイイィィン、ブイイイィィィン、バリカンは刈り髪をブラ下げたまま、問答無用に今度は右額の生え際に挿し入れられる。刃先の髪が、ペチャリと右瞼にあたった。千華はとっさに目を閉じた。ジャジャジャアジャァァ――
 本拠地を失った右の前髪が全て、バラバラバラと落ちる。落髪は千華の鼻や頬や口元を舐めながら、ウォータースライダーに興じる子供のように、ケープを滑っていく。
 ブイイイイイイイィィン、ブイイイイイィィィィィン
 バリカンは、闘争心旺盛な猟犬がさらなる獲物を求めて吼えるが如く、店内いっぱいにモーター音を響き渡らせる。
 主はその咆哮に応えて、ふたつの荒れ芝生を結合させるべく、その間の黒い茂みを刈り払う。バリカンは頭皮に密着しながら、せっせと長い髪を引き剥がしていく。
 そんな機械の無粋な仕事ぶりに、千華は興ざめする思いだった。
 隣の理髪台の実李は、いつしか青年理髪師と古着の話で盛り上がっている。
「ああ、麓の町にもありますよね、古着屋さん」
「バスターミナルの近くの?」
「そうそう、大きくて結構掘り出し物とかありそうなカンジで」
「あそこで、こないだ良いメンズのボトムス買ったよ、500円で」
「うわ〜、いいなァ〜」
「駅の方にも古着屋多いよ。レンタルビデオ屋だったのが潰れて、そこに最近古着屋がオープンしてさ」
「あぁ〜、行ってみたいなァ」
 話しながらも、青年理髪師は繊細な鋏さばきで、実李の髪の先を整えていく。
 1mにも満たない距離で隣り合わせて座っているのに、左右で明暗はクッキリ分かれている。
 千華は恨めしそうに鏡にうつる落ち武者頭を見据える。
 ――これで本当に良かったのかな・・・。
 自問自答せずにはいられない。




 バリカンに千華の気持ちを汲んでやるデリカシーなどない。断髪は進行中だ。
 すでに前頭部は刈りあがっている。
 久しぶりに覗いた眉は三日月形で、だいぶ凛々しげ、柔和な顔立ちにピリリといい塩梅でアクセントになっている。今のところ、救いはそれだけだ。
 バリカンはブインブインと刃を鳴らし、右サイドの髪を丸齧りしている。ジャジャジャジャ〜。
 主は勢いよく、千華の髪をはさむ。勢い余って、刈られた髪がアトラクションのイルカのように、ブワッと反り返って宙を舞う。バリカンも頭からはみ出して、宙を刈る。この運動が二度三度と繰り返される。そして、四度! ブワッ! ブイイイイィィィン――
 髪が消えた右の首筋に、立春の冷気を感じる。
 冷気は3mmに刈り詰められた毛をすり抜けて、頭皮にも差し込んでくる。
 ――寒い!
 店内は一応、暖房をきかせているのに。
 失いかけて改めて髪の毛の防寒効果を実感する。
 が、もう遅すぎた。
 断髪は後頭部に及んでいた。
 背を覆うバックの髪が、ズモモモモ〜、と右から左へ刈り取られる。バリカンが千華の頭を半周していく。
 後頭部から剥がれた髪が、ひとまとまり、ふたまとまり、と群れ集まって、ケープを伝い、瀑布のように、ドシャアアア、ドシャアアアァァ、と雪崩落ちる。
 「見届け人」の景が息をつめ、両掌を胸で組んで、痛ましそうに断髪の行方を見守っているのが、鏡の端、目に入った。
 景の表情や様子から、千華は本日自分が仕出かしてしまったことの大きさを、嫌でも思い知らされずにはいられなかった。
 刈られるそばから、頭が寒くなっていく。
 刈られるはしから、頭が軽くなっていく。
 カット開始から、まだ5、6分。それなのに鏡の中の自分はほとんど坊主頭。
 千華は、あれよあれよという間の自分の変貌に、ただただ当惑し、店主の理髪技術に、ただただ圧倒されるばかりで、新しく誕生しつつある尼さん頭を受け容れかねていた。
 最後に左横の髪が残された。
 コメカミ辺りから、胸の真ん中くらいまで垂れ下がる何筋もの髪は、千華の17年間の有髪時代を無言で証言する最後の部位だった。
 主は惜しげもなく、その髪を刈った。
 ジャジャッジャアアァァ〜、髪がうねりながら、頭上に押し運ばれ、転がり落ち、バサリ、バサリ、とケープの上から肩を打つ。
 左耳がはっきりと露出した。
 それでも耳の横にかろうじて残っている7cmほどの、ささやかなモミアゲ部分は、忽ち刈り取られた。  主はそのまま、残り髪を刈りはじめた。
 首筋でピンピンと跳ねる襟足の生き残り、右頭頂部の切り詰め損なった5mm髪の茂み、耳の後ろで息をひそめ隠れているチョボチョボとした毛、それらをバリカンは容赦なく摘み取った。
「最近は御山でも、坊主頭の尼さんが増えてきたからねえ」
 残務処理をしながら、主がようやく口をきいてくれた。
「そうですね」
「でも、アンタみたいに若い女の子を坊主にしたのは初めてだよ。学園の子?」
「はい」
「学園の女の子は坊主にしなくてもいいんだろう?」
「ええ、まあ、でも、自発的に髪を切ろうかなと思って」
「すごいなあ」
 バリカンの音が止んだ。
 鏡の中には丸刈り頭の美少年がいた。頬を上気させて、こっちを見ている。
 千華は自分の初姿に、白い歯をこぼして、はにかみ笑いを浮かべた。
 そして待ちかねたように頭をさすった。ザリリ、と6mmの髪が掌を刺す。その感触はえもいわれぬ心地よさだった。頭に残っていた毛屑が掌にくっつく。両手をこすり合わせて、毛屑を払い落とした。
 今まで千華の頭部を飾り立てていた長い髪は、理髪台を取り囲むように、床のタイルに黒々と散っていた。猟奇的なほどに、おびただしい量だった。
 主が箒で刈り落とされた髪を掃き集め、店の奥に捨てに行ったときはさびしかった。けれど、切った髪を持ち帰って後生大事にするようなナルシズムは、持ち合わせていない。なので、店側が処分するに任せた。
 うなじに剃刀があてられる。シェービング。首筋の産毛が一気に剃られる。ジー、ジー。バリカン同様、初めての経験だった。シャンプー台に移動して、頭を洗ってもらい、ドライヤー。短すぎる毛はすぐに乾きあがった。
 かくして断髪終了。
 待合席で景と座って、実李の長い髪がドライヤーで乾かされるのを待った。なんだか釈然としない。  しかし当初の目的は達成されたし、許してあげることにした。
 三人揃って店を出る。
「寒いっ!」
と千華は首をすくめた。山の風が丸刈りにした頭に染みる。
 その風にのって、床屋特有の洗髪剤やローションの匂いが自分の周囲に撒き散らされているようで、床屋臭い女の子って、ちょっと恥ずかしい。
 断髪後の寒さと視線対策のため、用意したニット帽をかぶる。
 しかし、千華は帰路、何度もニット帽をはぎとって、
「あ〜、やっちゃったよォ」
とどこか誇らしげに丸刈り頭をなでていた。
 坊主頭を、
 ――見せたくない!
という気持ちと、
 ――見せたい!
という相反する気持ちが自分の心の中に並立してあった。
「日下部チャン、頭触らせて〜」
 景はしきりに千華の頭をタッチしてくる。千華も触られることに悦びを感じていた。
 実李はずっと気まずそうで、発言を控えていたが、千華が怒ってないとわかると、胸をなでおろし、景と一緒になって、
「日下部チャン、超カワイイ!」
と坊主頭の触り心地を堪能していた。

 校内きっての美少女の突然の丸刈りに、学園や寄宿先は大パニックになった。
「どうしたんだ、日下部?!」
「なんで、なんで、日下部チャン?!」
「千華さん、何があったの?!」
 皆、肝を潰し、あわてふためいていた。
「ちょっと心機一転て気持ちでやっちゃった」
と千華は照れ笑いして答えた。
 教師連も驚きつつも、
「少し前までは女子もこんなふうだったんだよなあ」
 懐かしいなあ、と初々しい坊主頭をなでてくる。
 宗門部の男子も自分たちと「同類」になった千華の頭を、親しげに触ってくる。
 仏教美術の講師をしながら趣味で仏像を製作している山形先生(56歳・♂)は、千華の「美僧」ぶりにハートを鷲掴みされ、是非今度彫る仏像のモデルになって欲しい、と熱望した。千華は困惑したが、学園の許可をもらい、山形先生のアトリエに通った。
 山形先生会心の木彫りの地蔵菩薩像は、ある有名なコンクールで入賞した。学園側も大喜びで、地蔵像は学園昇降口のガラスケースに展示された。
 千華も登校するたび、自分がモデルの地蔵像と対面する羽目になった。
「すごいじゃん、日下部チャン」
と実李や景に褒められ、
「いや、すごいのは私ではなくて、山形先生なわけで・・・」
「でも、このお地蔵様、日下部チャンそっくりだよ」
「そうかな?」
 ガラスにうつる自分の坊主頭と、丸い頭の地蔵菩薩を見比べる。確かに似ていると思う。
 ――私が学園を卒業しても、このお地蔵様はずっとここで学園の生徒たちを迎えるのかな・・・。
 そう考えると、ちょっと背中がむずがゆい。



(了)



    あとがき

 押忍! 迫水ッス! 空手三段っす! 嘘ッス!
 適当なことばっか言ってスイマセン! でも謝るつもりはないです。やっぱり謝りますゴメンナサイ!
 今回のお話は、以前書いた「清浄化」のサイドストーリー的な一篇です。
 元々、バチカブリ大学ネタの高校生版――「女子大生が尼さんに」というパターンから更に踏み込んで、「女子高生が尼さんに」というお話はできないか、とずっと考えていて、色々調べた(?)のですが、そういう高校って、ほとんどなく、仕方なく、かなりの部分をデッチあげました(笑)
 「入学前に規則で坊主」にしても良いような気もしてるのですが、それはまた次回に譲ろうかな、と。
 去年あたりから、断髪描写、頑張ってみてはいるのですが、なんかパターンが同じのばっかりになってしまってる(汗)少し禁欲が必要なのかもです。
 最後までお付き合い下さり、本当にありがとうございました♪♪




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