「清浄化」の周辺で |
某宗某派の総本山は、最近騒がしい。 Z師の首座就任を契機に、「清浄化」のスローガンの下、さまざまな改革が行われている。 改革派から、「害悪」と見なされた僧尼は山を追われた。代わって有能な「清僧」「清尼」たちが入山し、ドシドシ重要なポストに就けられた。 改革によって大小の混乱がおきた。改革派の勇み足も多々あった。 とにかく総本山は騒々しい。 そうした山内の喧騒から置き捨てられたように、その学園はあった。 御仏のいます聖域の一角にひっそりと建つその学園は、生徒数も少なく、生徒たちの品行も悪くなかったので、「清浄化」を推し進める本山の上層部も、クリーニングの対象から外していたのだろう。 その学園について、ざっと記す。 歴史は古い。室町時代とも安土桃山時代とも言われるが、遠い昔、僧侶の学問所として創設されたのが学園の前身だ。 20世紀に入って、新しい学制により、中等部と高等部に分かれ、一般の生徒も受け容れるようになり、男女共学にもなった。 学園の高等部は四つの学科に分かれている。 一流大学への進学希望者が切磋琢磨する「特別部」、一般の高校とほぼ同じカリキュラムの「非特別部」、仏教にまつわる文化(仏像、仏画、寺院建築、仏教文学、仏教音楽)などを学ぶ「仏教文化部」、そして、将来僧職を希望する者が仏教の教えを勉強する「宗門部」である。 宗門部の生徒は全員山内の某寺院に寄宿して、修行生活を送りながら、学園に通い、御仏の教えの何たるかを叩き込まれる。学校生活と修行生活を同時に行うため、スケジュールはぎっしりで、生徒はハードな日常に忙殺されている。 宗門部の大半は、寺の子女である。中学や高校の頃から、仏教を学ぼうとするだけあって、信仰心や気概、義務感、寺族としての意識は強い(中には素行が悪いため、更正目的で入学させられる者もいるが)。ほとんどの生徒が卒業後、修行道場、あるいは仏教系の大学に進むことを希望している。 こうして日々、御仏の心に触れ、若きエリート僧侶の卵たちが純粋培養されていくのである。 宗門部の生徒たちは一応修行僧の端くれなので、坊主頭だ。 皆、入学前に頭を丸め、山に登ってくる。寄宿寮(寺)で互いに頭を刈り合って(あるいは自分で剃って)、坊主頭の保持に余念がない。 ただし、宗門部でも女子学生は長髪を許されている。 少し前までは女子も丸坊主がきまりだったのだが、時代の流れというやつで、女子に限っては有髪が認められた。 そのこともあり、近年は宗門部を受験する女の子も増えた。 現在、宗門部には六人の女生徒が在籍中だ。 六人とも長い髪だった。 「たしかに有髪は許可しているが、ちょっと長すぎやしないか」 と、ある改革派の高僧が、本山行事に袈裟をつけ列席した宗門部の女生徒に、眉をひそめたことがある。 本山の「清浄化」活動の一環に、剃髪義務の推進がある。僧尼の間でも、半ば強制され有髪から剃髪になる者は多い。 自然、宗門部の女子の長い髪は、改革派の僧の目をひく。 この幹部僧の言う通り、宗門部女子の髪は長すぎた。 目が隠れるほど長い前髪の娘、未開人のようにモッサリとした髪をうず高く茂らせている娘、たしかに「清浄化」進行中の本山には相応しくない。 「仕方ないんですよ」 宗門部で指導に当たっている教師の僧侶が弁解した。 彼女たちは毎日、学校と修行でめまぐるしく動き回っている。髪を整えるにも、山内には美容院がない。仮に髪を短くしても、ショートカットは定期的に美容院に足を運ぶ必要があったりと、維持が難しい。美容院通いができる環境にない以上、肩にかかる長髪の場合は後ろで結ぶこと、という学園の髪型規定に則って、乗り切るしかないのだ。 教師のこの説明に、 「やはり、有髪を認めたのは、早計だったのではありませんかね」 と幹部僧は苦笑したが、それ以上、女生徒たちの髪型を云々することはなかった。 日下部千華(くさかべ・ちか)はそんな女生徒のひとりだった。 関東のさる寺の長女で、幼い頃から寺院や仏教に慣れ親しみ、自身も尼僧となって、先祖代々の寺を受け継ぎたい、と一念発起して、本山の学園を受験した。 勿論、髪は長い。 日頃、背中の半分が隠れるほどの髪を高々と、ポニーテールにまとめている。 鼻先まである前髪は左右に分けている。お辞儀をしたり、うつむいたりすれば、バサリと顔にかかる。 両脇のモミアゲは首の下まで垂れこぼれている。 結いきれなかった後れ毛は、日陰の野草のように、ユラユラ覚束なげに、うなじをまばらに隠している。 黒々とした見事な美髪だった。 千華は髪だけでなく、顔立ちも美しかった。 切れ長の一重まぶたが涼やかで、王朝美を思わせた。高い鼻梁はそこはかとない知性と強い意思を感じさせた。やや薄い唇は慎み深さと無欲さを表しているかのようだった。 それら、各種の器官が、ミルクのように真っ白な顔に形良く、配置されていた。 そんな千華に、学園の男子たちの多くが胸をときめかせていたものだ。 しかし千華はあくまでストイックだった。恋愛を遠ざけ、尼僧になるための勉学と修行にひたすら没頭していた。 あるいは美人の方が、自分の姿形を変えることに対して、思い切りがいいのかも知れない。 千華は最近、頭を丸めようか、と思うようになった。 きっかけは一人の尼僧だった。 尼僧は田辺西光(たなべ・さいこう)といった。学園で仏教音楽を教えている。年齢はそろそろ三十路にさしかかろうとしていた。 田辺先生は髪を長く伸ばしていたが、ある日、突然、バッサリと丸坊主にして、教室に現れ、生徒たちを驚愕させた。 「まあ、色々あってね」 と田辺先生は照れながら、青々とした坊主頭をなでて笑っていた。 どうも、「清浄化」がらみで剃髪したらしいが、千華たち学園生には詳しい事情はわからない。 しかし、千華の関心は動機より、丸い青剃り頭に向けられた。ひどく惹きつけられるものがあった。 ――ゆで卵みたい! と、まず思った。 次に、 ――サッパリして気持ち良さそう! と羨望の念が湧いた。 自らの長い髪が疎ましくなる。 硬い髪質でボリュームもたっぷりある千華の髪は、毎日まとめる作業がわずらわしい。洗髪、手入れも大変だ。野放図に伸びた髪は、パッと見、むさ苦しく他人の目に映るかも知れない。 だから、宗門部の男子の坊主頭を見て、 ――楽そうだなあ。 と羨ましく思ったりもする。 しかし、自分も坊主頭になるという発想はなかった。 けれど、田辺先生の「変身」を目の当たりにして、 ――丸刈りかあ。 そういう選択肢もあることに気づいた。 元々数年前までは女子も剃髪が義務付けられていた宗門部生だ。坊主にしても差し支えなかろう。 差し支えないどころか、校則には女子の有髪を認めつつも、できれば女子も剃髪か丸刈りが望ましい、と謳われている。 恋愛には興味がないし、毎日のハードスケジュールをこなすのに、長い髪は邪魔だ。頭を丸めて、一心不乱に学問修行に取り組むのも、経験としてアリだろう。いや、「アリ」どころか、尼僧を目指す身にとって、むしろ髪を落とすことはむしろ本望ではないか。 考えれば考えるほど、坊主欲求は膨らんでいく。 近頃は田辺先生の例もあるように、坊主頭の尼僧が山内を行き来している。 このドサクサに紛れるようにして、髪を切ってしまおう。千華はそう決心した。 でも一人だけ坊主になるのには、抵抗がある。 仲間が、坊主仲間が欲しい。 ――女子の中で、一緒に坊主になってくれる人、いないかなあ。 アテは一応ある。 寄宿先で同室の伊丹実李(いたみ・みのり)と露口景(つゆぐち・けい)だ。 二人とも同学年で、数少ない宗門部女子同士、気のおけない関係だ。 とは言え、二人とも年頃の女の子、坊主頭には難色を示すに違いない。 ダメ元で話を持ちかけてみた。 「私、坊主にしようかと思うんだ」 と言うと、 「えっ?! 本気なの?!」 と二人は案の定、目を剥いて、ただただ驚くばかりだった。 「本気だよ」 と千華は決意の理由を語った。 「田辺先生が坊主にしたのを見て、私もやってみたいなあ、と思って。ほら、髪長いと色々大変だし、いっそバッサリやっちゃおうかなあ、ってね」 「やめときなってば」 「坊主はやりすぎでしょ〜」 二人は千華に翻意を促したが、 「もう決めたから」 千華は聞き入れなかった。 「坊主か〜、たしかにラクだものね、坊主」 と言う実李は千華と同じ、かろうじてポニーテールの形状に保ってはいるが、今にも溢れんばかりの長く多い髪に手をやり、 「アタシも坊主にしよっかなァ」 何の気なしにひとりごちた。 実李のその呟きを、千華は聞き逃さなかった。 「じゃあ、伊丹さんも私と一緒に坊主にしようよ。有限実行だよ」 柔道に例えると、相手の襟を掴んで、むんずと引き寄せるように誘いかける。 言質を取られて勧誘された実李は、 「う〜ん」 とちょっと考えて、 「日下部チャンが坊主にするなら、アタシも付き合っちゃおうかなァ」 意外にあっさりと応じた。説得する手間が省けた。 「いい加減、長い髪ウザいしね」 実李は実李で思うところがあるのだろう。長い髪は手に余るし、周囲は僧侶の卵だらけで、坊主頭についての感覚は、やや鈍磨している。何より、この年頃の女の子はノリが良すぎる面がある。丸坊主、皆でなれば怖くない、という具合に、突き抜けた気持ちになったのだろう。 「絶対だよ、約束だよ」 と千華に念を押され、 「わかってるってば」 実李は力強く首肯した。 景の方は、 「やだ、絶対やだ。アタシは坊主になんかしないからね!」 とあくまでロングヘアーに固執していた。これもまた、この年頃らしいリアクションといえる。 その場で談合が持たれ、三日後の外出日に、門前町の床屋で断髪することに決まった。坊主を拒否した景も、「見届け人」として同行することになった。 千華の計画は周到だった。いらぬ邪魔が入らないよう、坊主の件は他言無用と、実李と景に固く口止めした。いきなり坊主にして、皆の反応を楽しみたいという悪戯心もあった。 髪にそっと手をあてる。 ――この髪ともサヨナラか・・・。 多少の感傷もあった。物心ついた頃から、ずっと伸ばしてきた髪だ。センチメンタルな気持ちにもなる。 けれど、 ――さっさと切ってしまいたい! という、のたうつような断髪衝動の方が勝っていた。 もしも、一人で髪を切ろうとしたら、あるいは腰がひけていたかも知れない。 しかし、断髪希望者が二人いるので、一方が弱気になっても、もう一方がノリノリだったりして、互いに心変わりを阻止できる。 千華と実李は毎夜、部屋で断髪の話題に興じる。 「この髪、全部切り落としたら、すごく気持ちいいだろうね」 「ジョキジョキ、ってね」 「頭の形、大丈夫かなァ」 「ゼッペキだったりして」 「あはは、頭の防寒対策もしとかなきゃね」 こんなふうに話しながらハシャいでいると、心の奥底に根強く残っている不安は薄れ、愉快な気分になっていく。 断髪組ではない景が、どことなく寂しそうにしているのが、千華と実李の優越感を刺激し、二人はますます坊主話で盛り上がった。 そして三日経った。 外出日がきた。 三人は若干緊張気味に門前町へと向かった。 あらかじめ目星をつけていた床屋が、眼前に迫ってくる。営業中を知らせるクルクルと回る赤青白のサインポールがやけに目に鮮やかで、さすがに足がすくむ。 この建物の中に入ったが最後、出てくるときには、今日日男の子でも嫌がるクリクリ坊主だ。 ――今なら引き返せる。 そんな逡巡が胸をかすめる。 しかし、ためらいを振り払い、 「行くよ、伊丹さん」 「おうとも、日下部チャン」 千華と実李はどちらからともなく、しっかりと互いの手を握る。 「見届け人」の景は所詮は他人事なので、 「はいはい、二人とも早く入った入った」 とグイグイ背中を押してくる。 「ちょっと、露口さん、押さないで〜」 オシクラマンジュウのように入店。途端、カランコロンとドアベルが鳴り、ドキリと背筋に寒気が走った。 ツン、と男性用のヘアトニックの臭気が鼻をつく。 初めて入った門前町の床屋は、 レトロ の一語に尽きた。 何せ、ずっと昔から店を開いている床屋だ。店舗も、年号がまだ昭和の頃、建て替えたきりで、そのまま営業を続けているらしい。元々、営利意識も希薄で、山内では数軒しかない理髪店なので、おのずと殿様商売にもなる。 床も内壁も白と青のタイル張りで、タイルとタイルの間がところどころ黒ずんでいる。 理髪台はこげ茶色のレザーが張られていて、無骨な感じ。 しかも店内では、いわゆる黒電話がいまだに現役で活躍している。平成生まれの千華は黒電話なんて見たのは初めてだった。 壁にはポスターが二枚貼りつけられている。デザインパーマの男性がアイビールックでキメている時代錯誤な全理連のポスターと、本山の布教用(?)のポスター。貼って貼りっぱなしといった風情だ。 とても女の子が気軽に来店できる雰囲気ではない。 待合席の本棚には手塚治虫の「ブッダ」や「漫画で読む般若心経の教え」から、本格的な仏教書まで並んでいて、この辺りはいかにも門前町の床屋らしかった。 店員は二人。五十がらみの痩せた男性と、二十代の若い好青年タイプの男性が白いユニフォームをつけて、待機していた。親子のようだ。 客はいない。 ――うわっ! 千華はあわてる。他の客がカットしている間に、心の準備をしておこうと考えていたのに、予定が狂ってしまった。 「カット?」 店の主らしき五十男がややぞんざいに訊ねる。 「はい」 と千華は答えた。隣の実李も無言で点頭している。 「アタシは付き添いなんで」 と景はそそくさと待合席に避難した。 「じゃあ、どうぞ」 と手招かれ、千華と実李は並んで、硬い理髪台に腰を沈めた。 千華のカットは店主、実李のカットは若い男性店員がそれぞれ担当する。 「今日はどうするの?」 と訊かれ、千華はお腹に力を入れ、 「あの、3mmの丸刈りにお願いします」 すんなりと冷静に注文できて、安堵した。 「いいの?」 主は形式的に確認する。常日頃、尼僧の頭を剃り慣れているので、千華のオーダーにもさして動じる気配がない。 「はい」 千華はうなずく。ミルク色の頬が少し赤みがかっていた。 「君も丸刈り?」 と青年理髪師が実李に訊いている。訊かれた実李は顔をこわばらせ、 「い、いえ、あの・・・」 と口ごもり、 「毛先を5センチくらいカットして下さい」 実李、なんと土壇場で千華を裏切った。 ――えっ?! 千華は反射的に実李を振り仰いだ。実李は千華の刺すような視線を避けるように、目を伏せている。後で、 「あんなカッコイイお兄さんに“坊主にして下さい”なんて言えないよォ」 と弁解していた。 ――裏切られたぁ〜!! カァーと頭に血がのぼる。 ポニーテールにまとめていた髪がほどかれ、コームで梳かされている間も、千華は呆然として自らを失っていた。 主はいつの間にか、大きな業務用バリカンを握っている。 ブイイィィーン けたたましい機械音が鳴り始める。 ――最初っからバリカン使うのォ〜?! ダブルショックで千華は目を白黒させるばかり。 ――やっぱり私も坊主にするのやめよ。 と思った瞬間に、業務用バリカンは額の髪の生え際に食らいついていた。ジャッ! ――きゃっ!! 千華は思わず顔を歪めた。 ジャジャジャ、髪はバリカンに押しのけられ、のけぞって、頭の頂までめくれあがった。「ひとり坊主」決定だ。 業務用バリカンの威力は、千華に目眩をおこさせた。 まるで脆弱な要塞にありったけの火力をブチこんだように、ロングヘアーの一角が、ズボリと陥没していた。陥没箇所は荒れた芝生みたいになっている。 ――きゃああっ! 頭の中が真っ白になる。 バリカンの刃に、刈り取られた髪がしんなりとブラ下がっている。ブイイィィン、ブイイイィィィン、バリカンは刈り髪をブラ下げたまま、問答無用に今度は右額の生え際に挿し入れられる。刃先の髪が、ペチャリと右瞼にあたった。千華はとっさに目を閉じた。ジャジャジャアジャァァ―― 本拠地を失った右の前髪が全て、バラバラバラと落ちる。落髪は千華の鼻や頬や口元を舐めながら、ウォータースライダーに興じる子供のように、ケープを滑っていく。 ブイイイイイイイィィン、ブイイイイイィィィィィン バリカンは、闘争心旺盛な猟犬がさらなる獲物を求めて吼えるが如く、店内いっぱいにモーター音を響き渡らせる。 主はその咆哮に応えて、ふたつの荒れ芝生を結合させるべく、その間の黒い茂みを刈り払う。バリカンは頭皮に密着しながら、せっせと長い髪を引き剥がしていく。 そんな機械の無粋な仕事ぶりに、千華は興ざめする思いだった。 隣の理髪台の実李は、いつしか青年理髪師と古着の話で盛り上がっている。 「ああ、麓の町にもありますよね、古着屋さん」 「バスターミナルの近くの?」 「そうそう、大きくて結構掘り出し物とかありそうなカンジで」 「あそこで、こないだ良いメンズのボトムス買ったよ、500円で」 「うわ〜、いいなァ〜」 「駅の方にも古着屋多いよ。レンタルビデオ屋だったのが潰れて、そこに最近古着屋がオープンしてさ」 「あぁ〜、行ってみたいなァ」 話しながらも、青年理髪師は繊細な鋏さばきで、実李の髪の先を整えていく。 1mにも満たない距離で隣り合わせて座っているのに、左右で明暗はクッキリ分かれている。 千華は恨めしそうに鏡にうつる落ち武者頭を見据える。 ――これで本当に良かったのかな・・・。 自問自答せずにはいられない。 バリカンに千華の気持ちを汲んでやるデリカシーなどない。断髪は進行中だ。 すでに前頭部は刈りあがっている。 久しぶりに覗いた眉は三日月形で、だいぶ凛々しげ、柔和な顔立ちにピリリといい塩梅でアクセントになっている。今のところ、救いはそれだけだ。 バリカンはブインブインと刃を鳴らし、右サイドの髪を丸齧りしている。ジャジャジャジャ〜。 主は勢いよく、千華の髪をはさむ。勢い余って、刈られた髪がアトラクションのイルカのように、ブワッと反り返って宙を舞う。バリカンも頭からはみ出して、宙を刈る。この運動が二度三度と繰り返される。そして、四度! ブワッ! ブイイイイィィィン―― 髪が消えた右の首筋に、立春の冷気を感じる。 冷気は3mmに刈り詰められた毛をすり抜けて、頭皮にも差し込んでくる。 ――寒い! 店内は一応、暖房をきかせているのに。 失いかけて改めて髪の毛の防寒効果を実感する。 が、もう遅すぎた。 断髪は後頭部に及んでいた。 背を覆うバックの髪が、ズモモモモ〜、と右から左へ刈り取られる。バリカンが千華の頭を半周していく。 後頭部から剥がれた髪が、ひとまとまり、ふたまとまり、と群れ集まって、ケープを伝い、瀑布のように、ドシャアアア、ドシャアアアァァ、と雪崩落ちる。 「見届け人」の景が息をつめ、両掌を胸で組んで、痛ましそうに断髪の行方を見守っているのが、鏡の端、目に入った。 景の表情や様子から、千華は本日自分が仕出かしてしまったことの大きさを、嫌でも思い知らされずにはいられなかった。 刈られるそばから、頭が寒くなっていく。 刈られるはしから、頭が軽くなっていく。 カット開始から、まだ5、6分。それなのに鏡の中の自分はほとんど坊主頭。 千華は、あれよあれよという間の自分の変貌に、ただただ当惑し、店主の理髪技術に、ただただ圧倒されるばかりで、新しく誕生しつつある尼さん頭を受け容れかねていた。 最後に左横の髪が残された。 コメカミ辺りから、胸の真ん中くらいまで垂れ下がる何筋もの髪は、千華の17年間の有髪時代を無言で証言する最後の部位だった。 主は惜しげもなく、その髪を刈った。 ジャジャッジャアアァァ〜、髪がうねりながら、頭上に押し運ばれ、転がり落ち、バサリ、バサリ、とケープの上から肩を打つ。 左耳がはっきりと露出した。 それでも耳の横にかろうじて残っている7cmほどの、ささやかなモミアゲ部分は、忽ち刈り取られた。 主はそのまま、残り髪を刈りはじめた。 首筋でピンピンと跳ねる襟足の生き残り、右頭頂部の切り詰め損なった5mm髪の茂み、耳の後ろで息をひそめ隠れているチョボチョボとした毛、それらをバリカンは容赦なく摘み取った。 「最近は御山でも、坊主頭の尼さんが増えてきたからねえ」 残務処理をしながら、主がようやく口をきいてくれた。 「そうですね」 「でも、アンタみたいに若い女の子を坊主にしたのは初めてだよ。学園の子?」 「はい」 「学園の女の子は坊主にしなくてもいいんだろう?」 「ええ、まあ、でも、自発的に髪を切ろうかなと思って」 「すごいなあ」 バリカンの音が止んだ。 鏡の中には丸刈り頭の美少年がいた。頬を上気させて、こっちを見ている。 千華は自分の初姿に、白い歯をこぼして、はにかみ笑いを浮かべた。 そして待ちかねたように頭をさすった。ザリリ、と6mmの髪が掌を刺す。その感触はえもいわれぬ心地よさだった。頭に残っていた毛屑が掌にくっつく。両手をこすり合わせて、毛屑を払い落とした。 今まで千華の頭部を飾り立てていた長い髪は、理髪台を取り囲むように、床のタイルに黒々と散っていた。猟奇的なほどに、おびただしい量だった。 主が箒で刈り落とされた髪を掃き集め、店の奥に捨てに行ったときはさびしかった。けれど、切った髪を持ち帰って後生大事にするようなナルシズムは、持ち合わせていない。なので、店側が処分するに任せた。 うなじに剃刀があてられる。シェービング。首筋の産毛が一気に剃られる。ジー、ジー。バリカン同様、初めての経験だった。シャンプー台に移動して、頭を洗ってもらい、ドライヤー。短すぎる毛はすぐに乾きあがった。 かくして断髪終了。 待合席で景と座って、実李の長い髪がドライヤーで乾かされるのを待った。なんだか釈然としない。 しかし当初の目的は達成されたし、許してあげることにした。 三人揃って店を出る。 「寒いっ!」 と千華は首をすくめた。山の風が丸刈りにした頭に染みる。 その風にのって、床屋特有の洗髪剤やローションの匂いが自分の周囲に撒き散らされているようで、床屋臭い女の子って、ちょっと恥ずかしい。 断髪後の寒さと視線対策のため、用意したニット帽をかぶる。 しかし、千華は帰路、何度もニット帽をはぎとって、 「あ〜、やっちゃったよォ」 とどこか誇らしげに丸刈り頭をなでていた。 坊主頭を、 ――見せたくない! という気持ちと、 ――見せたい! という相反する気持ちが自分の心の中に並立してあった。 「日下部チャン、頭触らせて〜」 景はしきりに千華の頭をタッチしてくる。千華も触られることに悦びを感じていた。 実李はずっと気まずそうで、発言を控えていたが、千華が怒ってないとわかると、胸をなでおろし、景と一緒になって、 「日下部チャン、超カワイイ!」 と坊主頭の触り心地を堪能していた。 校内きっての美少女の突然の丸刈りに、学園や寄宿先は大パニックになった。 「どうしたんだ、日下部?!」 「なんで、なんで、日下部チャン?!」 「千華さん、何があったの?!」 皆、肝を潰し、あわてふためいていた。 「ちょっと心機一転て気持ちでやっちゃった」 と千華は照れ笑いして答えた。 教師連も驚きつつも、 「少し前までは女子もこんなふうだったんだよなあ」 懐かしいなあ、と初々しい坊主頭をなでてくる。 宗門部の男子も自分たちと「同類」になった千華の頭を、親しげに触ってくる。 仏教美術の講師をしながら趣味で仏像を製作している山形先生(56歳・♂)は、千華の「美僧」ぶりにハートを鷲掴みされ、是非今度彫る仏像のモデルになって欲しい、と熱望した。千華は困惑したが、学園の許可をもらい、山形先生のアトリエに通った。 山形先生会心の木彫りの地蔵菩薩像は、ある有名なコンクールで入賞した。学園側も大喜びで、地蔵像は学園昇降口のガラスケースに展示された。 千華も登校するたび、自分がモデルの地蔵像と対面する羽目になった。 「すごいじゃん、日下部チャン」 と実李や景に褒められ、 「いや、すごいのは私ではなくて、山形先生なわけで・・・」 「でも、このお地蔵様、日下部チャンそっくりだよ」 「そうかな?」 ガラスにうつる自分の坊主頭と、丸い頭の地蔵菩薩を見比べる。確かに似ていると思う。 ――私が学園を卒業しても、このお地蔵様はずっとここで学園の生徒たちを迎えるのかな・・・。 そう考えると、ちょっと背中がむずがゆい。 (了) あとがき 押忍! 迫水ッス! 空手三段っす! 嘘ッス! 適当なことばっか言ってスイマセン! でも謝るつもりはないです。やっぱり謝りますゴメンナサイ! 今回のお話は、以前書いた「清浄化」のサイドストーリー的な一篇です。 元々、バチカブリ大学ネタの高校生版――「女子大生が尼さんに」というパターンから更に踏み込んで、「女子高生が尼さんに」というお話はできないか、とずっと考えていて、色々調べた(?)のですが、そういう高校って、ほとんどなく、仕方なく、かなりの部分をデッチあげました(笑) 「入学前に規則で坊主」にしても良いような気もしてるのですが、それはまた次回に譲ろうかな、と。 去年あたりから、断髪描写、頑張ってみてはいるのですが、なんかパターンが同じのばっかりになってしまってる(汗)少し禁欲が必要なのかもです。 最後までお付き合い下さり、本当にありがとうございました♪♪ |