二階堂琴乃のいた夏 |
(1)片山津要一 〜人に歴史あり 僕のクラスメイトの二階堂琴乃(にかいどう・ことの)さんは、結構人気がある。 卵型の顔に、パッチリとした大きな目、チョコンとやや低い鼻、目同様大きめの口、がバランス良くおさまっている、いわゆるファニーフェイスで可愛かった。性格も明るかった。しかも胸もかなりあった(笑)。 女友達の相談にも親身になって聞いてあげていた。愚痴にも付き合ってあげていた。 だから同性異性問わず、支持されていた。 しかし、特定の彼氏はいなかった。本人が言うには、今まで男の人と交際したことがないらしい。 「ねえねえ、片山津クン、ここの解答だけどさ」 とよく勉強のことで僕に話しかけてくる。 「ああ、ここはね――」 そこはかとなく漂う甘い香りとフェロモンに、ホワンとなりながら、二階堂さんの質問に答えたものだ。表向きはポーカーフェイスを装って。 「そうなんだ、ありがとう」 と僕に向けられる笑顔が眩しい! 僕の視線は目の前でユラユラ揺れるセミロングのきれいな髪に釘付けになる。 二階堂さんは野球部だった。唯一の女子部員だった。女子野球部員は県下でも数人しかいないらしい。 放課後は毎日、男子に混じって練習していた。 長めの髪を後ろでまとめ、左右のもみあげを振り乱し、顧問にドヤされながら、白球を追っていた。 愛らしい美少女の二階堂さんと、汗臭く、まだまだ男中心のスポーツという組み合わせは、どうにもミスマッチのように、僕には思えた。 しかし、二階堂さんの野球少女ぶりは筋金入りで、小学校でリトルリーグに所属して以来、十年近い経験の持ち主だという。中学、そして高校と「紅一点」状態で野球を続けているらしい。 女ひとりで男子に囲まれた環境にいながら、彼氏がいないというのも不思議な話だが、どうも男子部員間では、二階堂さんを特定の誰かに独占させまいと、互いに牽制し合っているようだった。 僕が二階堂さんにまつわる衝撃的な情報を知ったのは、制服も衣替えとなり季節も夏めいてきた、ある日のことだった。 休み時間、二階堂さんがクラスの女子たちと数人で話していて、女子のひとりが、 「そういえば、琴乃ってさ、中学時代、ボウズだったってホント?」 ――え? と僕は思わず耳をそばだてた。 「え〜! 誰から聞いたの?!」 二階堂さんは少しあわてていた。 「野球部の大泉から」 「アイツかぁ〜」 二階堂さんは、アチャ〜、といった顔で額に指先をあてたが、 「まあね、ボウズだったよ」 と認めた。 「ええ〜っ!」 「マジで?!」 「なんで、なんで?」 無論、周囲の女の子たちは仰天していた。僕も驚いた。 二階堂さんの話によれば、中学校の野球部は丸刈りにするのが原則で、女子部員の二階堂さんは一応、丸刈りを免除はされていたのだが、 「“アタシもやろう”って思って、ボウズにした。バリカンでジョリジョリ〜ジョリジョリ〜って」 言いながら、二階堂さんは頭に拳をあて、バリカンで髪を刈るジェスチャーをしてみせた。 なんだかすごくコーフンした。 クラスきっての美少女の二階堂さんがバリカンで坊主頭にされてたなんて・・・。 「床屋でやってもらったの?」 と訊かれ、 「まあ、一番最初は床屋といえば床屋だね」 と含みのある答えを返していた。 それから中学三年生までお父さんに家庭用バリカンで、丸刈りに散髪してもらっていたという。 僕の心臓はバクンバクンと、極限まで激しく鳴っていた。 人に歴史あり。 今でこそ、豊かでエレガントなセミロングの持ち主の二階堂さんが、以前は父親にバリカンで、ジョリジョリと丸刈り頭にされてたなんて信じられない。 中三の夏で野球部を引退してからは、二階堂さん、爪に火を灯すようにコツコツと髪を伸ばし、美容院に通うようになり、自分でも欠かさずケアして、現在の長い美髪の乙女がここにいるのだ。 「そういえば、ウチの高校の野球部もボウズじゃなかったっけ?」 「そうそう、琴乃、またボウズにしちゃいなよ」 と友人たちにひやかされ、 「ボウズ、ボウズ」 とコールまでおこるが、二階堂さんは、 「いや、さすがにもうボウズは無理だよ〜」 と苦笑いしていた。 僕はその日、ずっと心ここにあらずだった。 バリカンでジョリジョリ〜ジョリジョリ〜って バリカンでジョリジョリ〜ジョリジョリ〜って バリカンでジョリジョリ〜ジョリジョリ〜って と二階堂さんの言葉が脳裏で何度もリフレインしていた。 後日、二階堂さんは「証拠」として、中学時代の写真を教室に持参した。 僕も野次馬にまぎれて、写真を拝見させてもらった。 今では身長は160cmを超え、身体つきも大人っぽいが、写真の中の中学生の二階堂さんは背も低く、ガリガリに痩せていて、大きな両眼ばかりが目立っていた。一緒に写っている野球部の男子部員たちの中に、悪い意味で溶け込んでいた。 なにせ、 「これがアタシ」 と二階堂さんが指さして教えてくれなければわからない、それくらい現在の彼女とは違うチンチクリンな少女だった。 けれど、そのギャップに萌えてしまう僕もいるわけで。 「琴乃スゲー!」 「まるきり別人じゃん!」 と好奇心むき出しの衆目に、「バリカン非処女」の二階堂さんは閉口した様子で、 「もういいでしょ、チョー恥ずかしいんだからね」 とあわて気味に写真を鞄にしまっていた。彼女の中では「黒歴史」なのかも知れない。 そして、 「明日から野球部の合宿だから、その準備もあるし、アタシ、もう帰るね」 そそくさと帰り支度をすると、立ち上がった。 開け放たれた窓から、びゅう、と風が舞い込む。 風にあおられて、二階堂さんの髪が、ふわり、と宙を泳ぐ。髪は初夏の陽光に反射して、キラキラと輝いている。輝きながら揺れている。なんて美しいんだろう! 二階堂さんは、サッと手櫛で髪を直すと、教室を後にした。僕は彼女の背を見送った。 それが僕が長い髪の二階堂さんを見た最後だった。 (2)大泉慶喜 〜我、任務ニ成功セリ 「おい、バカ、押すなって!」 「だって暗いんだもん。懐中電灯だけじゃ怖いよ」 ったく、頼りにならない相棒だよ、お前は、羽山。 確かに夜の学校施設は怖い。俺も少々心細い。 しかし、俺たちは行く。千万人といえども我征かん! 「ここを曲がれば、女子用の部屋だな。・・・だから、袖を引っ張るな!」 「やっぱ引き返そうよ。ヤバいよ〜」 お互い、声を殺しての会話。 ここはウチの高校の敷地にある宿泊施設。運動部などが、もっぱら合宿などに利用している。 我が野球部もこの週末、来るべき夏の大会に向け、合宿中だ。 本来ならば顧問が合宿の監督をし、部員たちの行動に目を光らせていなければならないのだが、新婚ホヤホヤの顧問はコッソリ帰宅し不在中。勿論、職務放棄で規定違反なのだが、お陰で俺たちは、鬼のいぬ間に酒盛りして(お酒は二十歳から! 皆守ろうねっ!)、大いに羽目をはずさせてもらった。 そして、俺と羽山涼は深夜、「決死隊」として寝室を脱け出した。目指すは―― 「電気消えてるみたいだね」 「ああ」 襖に耳をあて、そっと中の様子をうかがう。 二階堂琴乃の寝息が確かに聞こえる。 「すっかり寝入ってるみたいだ」 「琴乃チャン、お酒弱いからね」 二階堂琴乃も酒盛りに加わり、ろくに飲めもしないクセに、浮かれて、発泡酒を二缶もあけていた。当然、グデングデンになり、女子専用の寝室に担ぎ込まれていた。 「ヨッちゃん、本当にやるの?」 羽山涼がおそるおそる訊いてくる。 「ああ」 俺はうなずいた。 「野球部全員の了承はとった。後は実行あるのみ」 息をひそめ、思い切って襖をあける。 二階堂琴乃が布団に包まって寝ていた。前後不覚に酔いつぶれ、眠りこけている。しかし、カワイイなあ、コイツは。たまらんわ。 「ヨッちゃん、確実にエッチなこと、考えてるよね?」 「ああ、俺は今、湧き上がる性的欲望と懸命に格闘しているところだ」 泥酔して眠る目の前の琴乃を抱きしめたい、チュッチュッしたい、そして、○×○×したい! だが、目先の欲求を満たしている場合じゃねえ。理性、理性、と。 「涼」 俺は羽山涼に向き直った。 「何、怖い顔して?」 「俺たちが今からやろうとしている行為は純然たる違法行為だ。“傷害罪”という罪になる。けど俺はやる。断固としてやる。でもお前は古馴染みの俺に付き合って、ここまで来ただけだ。今ならまだ間に合う。男子部屋に引き返して、他の連中と寝てろ」 「いや〜、ここまで来ちゃったしね、もう後にはひけないよ〜」 俺と涼と琴乃はリトルリーグ時代からの仲だ。よく三人でくだらない話して笑ってる。「三バカ」と俺たちを呼ぶヤツもいる。 さて、そんな俺と涼が今、決行しようとしている重大任務、それは、 二階堂琴乃を丸坊主にする ことだ。 本人にとって、丸刈りだった歳月は、なかったことにしたい過去かも知れん。 俺たち中学の頃からの部活仲間が、冗談半分で、部室にあるバリカンをチラつかせながら、 「二階堂、散髪しよ、バリカン入れよ」 と言うと、琴乃はひきつった笑顔で、 「いや、無理。無理だから。もう絶対ボウズにはしないから」 と首をブンブン振っていた。 だが、俺は思う。 二階堂琴乃の丸刈り姿は至高だ! と。 確かに、丸刈り時代の琴乃は本人が否定したがるように、一般的な感覚からいえばイケてなかった。 しかし、坊主頭でトコトコとランニングしている琴乃は、坊主頭でヒョコヒョコとボールを拾う琴乃は、坊主頭でスコスコとスパイクを磨く琴乃は、表層的な美醜を超えて可愛かった。 そんな「弟のような女の子」で、中坊の俺はシコシコしていたもんだ。 中学の頃の野球部仲間たちの中には、琴乃のせいで、俺同様、坊主女フェチに目覚めちまったヤツも多い。 高校に入って、琴乃は髪を伸ばし、どんどんキレイになっていった。俺にはそれがさびしかった。 しかし、こうも思う。キレイになった今だからこそ、琴乃には坊主になってもらいたい。中学のときより、さらにバージョンアップした丸刈り琴乃が拝めるハズだ。そんな期待がある。琴乃は絶対坊主になるべきだ! 中学の野球部から一緒のヤツらも、俺の意見に一も二もなく同調している。 が、琴乃は頑として再坊主を拒否し続けている。 だから、俺としても強引な手段に訴えるしかない。 大体、琴乃のやつは、中学時代のストイックさはどこへやら、最近ますますチャラけてきている。 ここは一発気合いを入れてやらにゃあならん。 中学からの部活仲間を軸に、部内での根回しは済ませている。中には「かわいそう」「せっかくカワイイのに」「ヤバいんじゃないの」といった慎重論も多々あったが、説得と取引を重ね、沈黙させた。一年坊主二年坊主などには、無論口出しさせない。俺は野球部では主将の新藤は別格として、一番の権力者なので、最後には皆、俺の言い分を聞き入れるに至った。 かくして、「二階堂琴乃を丸坊主にするプロジェクト」は今宵、敢行されようとしている。 琴乃は自分の運命も知らず、正体もなく熟睡している。セミロングの髪が枕にニョロニョロと這っている。 「よし」 用意の工作バサミを取り出す。 「ねえ、本当にやるの? やっちゃうの?」 涼は及び腰だ。 「まだ言うか。だから、イヤなら部屋に戻れよ」 そう言いながらも、俺もかなりビビッている。 琴乃の髪に触れる。湿っていた。 風呂→酒盛り→酔っ払って就寝、という流れだったので、ドライヤーをかける間もなかったようだ。こっちとすりゃ、好都合だ。 涼に懐中電灯で照らさせ、俺は作業に取りかかる。 琴乃の左側の髪をそっと持ちあげると、工作バサミを跨がせた。 その状態で十秒ほど迷った。 口では、 「やるぞ〜、やるぞ〜、やっちまうぞ〜」 と繰り返しているが、心臓が早鐘をうっている。ハサミを握る手が、不覚にも震えた。 「やるの〜? やるの〜? やっちゃうの〜?」 涼も小さく繰り返している。だいぶおびえている。 「よし、やる!」 ハラをきめ、ゆっくりとハサミのグリップに力をこめた。ハサミの刃が閉じる。 ジョキリ 俺の手は、切り取られた琴乃の髪束を握りしめていた。 「うお〜、やっちゃった! やっちゃったよ!」 「ヨッちゃん!」 ふたり、いざり寄って、互いの肩を抱き、声を押し殺して、「戦果」に身震いする。髪は頬の辺りで、スッパリと切断されている。髪で隠れていた琴乃のオトガイが露わになりかけている。これで、もう後戻りはできない。 「よし、続きをやるぞ」 「戦利品」を枕の脇に置くと、俺はさらにハサミを入れた。今切った隣の髪を切る。ジョキ、ジョキ・・・ 琴乃のオトガイが完全に露出した。白い。未踏の雪野原のようだ。 琴乃は自分が丸刈りへの第一歩を踏み出しているなど、露知らず、スースーと寝息をたてている。 そんな無防備すぎる寝顔に、俺は嗜虐的興奮をおぼえる。 出鱈目に、しかし、琴乃を起こさぬように細心の注意を払いつつ、俺は琴乃の髪を切り刻んでいった。ジョキ、ジョキ、ジョキ・・・ 左の髪を、二房、三房、と切り取った。ガタガタの不揃いのオカッパスタイルになった。 右の前髪をつかんで、ジョキジョキと切り離した。頭頂の右の髪にもハサミを跨がせた。何度か切り詰めると、地肌が見えるほど短くなった。 全体を切る必要はない。もう坊主になるしかない、と諦めがつくくらい、何か所かを超短く切ってしまえば、それでOKだ。 「琴乃チャン、ごめんね」 アバンギャルドなヘアスタイルになった琴乃に、涼が謝っている。 「ん〜」 琴乃が声を発した。俺は、ギョッとなって、座ったまま、後ずさった。 が、琴乃は目覚めることなく、寝返りをうっただけだった。危ない危ない。心臓に悪いな。 寝返りをうって、顔が左を向いた。お陰で手つかずだった右の髪が、俺の目の前に。 トドメとばかりに右の髪をカットする。ジョキ、ジョキ、ジョキ――ジョキ、ジョキ、ジョキ、と二束ほど切り取る。右の耳がクッキリと出た。甘噛みしてえ! 俺と涼は目配せを交わすと、 「撤収〜」 と足音を忍ばせつつも早足で、部屋を脱出した。男子部屋に向けて、一目散に駆けた。 我、任務ニ成功セリ 明日が楽しみだ。 (3)新藤海人 〜天使光臨! 合宿最終日(といっても一泊二日だが)は、二階堂琴乃の絶叫で幕をあけた。 「きゃああアアア!!」 耳をつんざく悲鳴。 「何コレ?! 何コレ?!」 とあわてふためく声が男子部屋まで響いてきた。 後で聞いたところによれば、二階堂は自身の状態を把握するまで、ちょっと時間がかかったようだ。 目覚めて、寝ぼけ眼で周囲を見たら、枕元に黒いものがたくさん散っている。 何だろ、コレ、と寝起きの頭で考え、どうやら人毛であることがわかった。最初、演劇部の付け毛だと思ったらしい。 そんなものが、なんでこんなところに?とボンヤリ首をひねりながら、洗顔のため床を出ようとした瞬間、まさか!と不吉な直感に背筋が凍りついた。とっさに髪に手をやったら、直感は的中! 狼狽して、ハンドミラーで確認したら、前衛的な髪型にされた自分が、大きな目をさらに倍くらいに大きくして、こっちを見ている。 二階堂は文字通り、飛び上がって驚いたという。 そして、絶叫。 悲鳴がやむと、ドタドタと床を踏み抜かんばかりの勢いの足音が、男子部屋に迫ってきた。犯人の目星はついているようだ。 「ちょっと!! コレ、どういうこと!!」 襖をあけるなり、ものすごい剣幕で噛みついてくる二階堂だが、 パーン パーン といきなりオレたちにクラッカーを浴びせられ、一瞬だじろいだ。 部屋には、 「二階堂琴乃断髪式〜17歳乙女、決意と気合いの丸刈り」 という即席の垂れ幕がかかり、床には新聞紙が一面敷きつめられている。 この状況に字幕をつけるとしたら、 ドッキリ大成功! といったところか。 実際、二階堂はドッキリにハメられた芸人のように、毒気を抜かれ、しばし呆然となっていた。 この「企画」の発起人である大泉慶喜は、満足そうにニヤニヤ笑っている。 この男に今回の悪だくみを持ちかけられて、野球部主将としては、それはマズいだろう、とGOサインを出すのはためらわれた。 が、新藤海人個人としては、 ――アリだな。 と心が動いた。 俺も大泉同じく、坊主頭の二階堂琴乃には思い入れがある。 大泉や二階堂とは中学で一緒にボールを追いかけた仲だ。 坊主頭で白球に向かっていく二階堂はとてもキュートだった。それでいて凛々しかった。清々しかった。 部室などで結構キワドイ話もしたりなんかして、相手は女の子だけど、少年のような丸刈り頭の二階堂だと、こっちも気安く接することができた。 高校になり、髪を伸ばして、「高嶺の花」へと登りつめてしまった二階堂に、オレは以前のような親しみを感じられなくなった。 まあ、これを「成長」というのだろう。いつまでも無邪気なままではいられない。仕方ない。 ・・・と諦めていたら、大泉、策謀す。 オレは立場上渋ったが、「丸刈り二階堂」の誘惑に勝てず、最終的には大泉の計画に乗った。 大泉主導で計画を練りながら、 ♪二階堂琴乃を〜丸刈りにさせ〜たい 写真ではわからない〜愛らしさがあ〜るから〜 とブルーハーツの「リンダリンダ」の替え歌が脳裏でリピート再生されていた。 全てを悟った二階堂は、 「ちょっとカンベンしてよ〜」 とだいぶトーンダウンして、みっともなく刈り散らされた頭を抱え、ヘナヘナと床に崩れ落ちてしまった。芸人のリアクションっぽかった。そして、しばらく途方に暮れていたが、 「さっ、琴乃、バリカンバリカン」 と大泉が部室のバリカンを振りかざすに至って、 「ったく、わかった、わかりましたよ。アタシ、ボウズにするよ。すればいいんでしょ」 一切を諦め、受け容れ、体育会系のノリを取り戻し、我々に乙女の髪を自由にする権利を譲り渡したのだった。 「いいのか?」 主将として一応確認するオレだが、いいも何も二階堂の髪は、もう坊主以外にどうすることもできない状態だ。 「あ〜、もォ、バサッとやっちゃって」 二階堂は早口でまくしたてた。 早速、断髪式が執り行われた。 ウィーンウィーンウィーン バリカンは二階堂のザンギリ頭に押し込まれた。 まずは、まさに野球部流、額のド真ん中から一直線にツムジが消えるほど、一気に長く深く刈りすすめられた。 三年ぶりのバリカンに二階堂は、 「うわ〜〜」 と顔をしかめていた。くすぐったそうに身をよじらせていた。 バリカンを握る大泉はさすが床屋の息子、うまい具合にバリカンを操って、今度は左の耳の辺りから、ツムジのあった場所までまた一直線に刈る。ジャリジャリジャリー。そして右サイドにバリカンをあてると、これまたツムジ跡へと押し上げる。ジャリジャジャジャリ、バサバサッ、さらに襟足の真ん中にバリカンを挿し込み、頭頂部まで遡らせる。ジャリジャリジャジャジャリジャ〜。 切り拓かれた四つの道が交差し、二階堂の頭に十文字のラインがひかれている。 「なんか、ネジみたいだな」 プラスのドライバー持ってきて〜、という大泉のギャグに皆、どっとウケていた。こういうお遊びも部内刈りの醍醐味なわけだが、 「ちょっと! 遊んでないで真面目に刈ってよ!」 二階堂はオカンムリ。 「わーったよ」 と大泉は、十文字のラインで四分割された二階堂の髪を順繰りに刈りはじめた。 「琴乃チャン、ごめんね」 羽山に手を合わせられ、 「知らない」 二階堂は頬を染めて、プイと横を向いた。子供みたいだ。 「コラ、頭を動かすな」 と大泉に叱られ、ふてくされ気味に頭を元に戻していた。 左の前髪と鬢がゾリゾリ刈り落とされる。バラバラと落髪が新聞紙を叩く。後には6mmの頭髪が残される。 一年生、二年生たちは複雑な顔をしている。 なにせ、散々オナペットにしてきた「憧れの二階堂先輩」の優美なセミロングが、バリカンで跡形もなく、摘み取られていくのだ。首謀者の大泉に逆らえず同意したものの、悲しんでいる者も多かろう。 大泉、 「これでお前も野球部のマスコットガールを卒業だ」 これからは一部員として精進せい、と訓戒を垂れつつ、右の髪の生え際にバリカンを挿し入れる。 「アタシ、今までマスコットガールだったんだ」 と二階堂は苦笑いしている。そこへ、バサッバサッ、と長い髪が落ちてきて、 「ひゃっ」 と小さく歯を食いしばり、首をすくめた。 左のコメカミにバリカン。髪は切られるはしから次々と反り返って、ゆっくりと頭から離れたかと思うと、バシャバシャと雨だれのように、新聞紙をうち鳴らす。二階堂の「モテ期」の終わりを喧伝するかの如く。 二階堂も美少女人生の途絶を自覚しているらしく、 「せっかく今年の夏に賭けてたのに」 と口を尖らせていた。「夏に賭けて」いるというのは、野球部の躍進ではなく、いわゆる個人的な「ひと夏の経験」だ。地区大会早期敗退を前提に、夏の予定を立ててやがる。まあ、ウチの野球部が弱いのは、レギュラーのオレたちが不甲斐ないからなので、クレームは控える。 「今年の夏はオレらと夏季大会の大反省会だ!」 大泉よ、お前も負けるの前提で夏のスケジュールを組むんじゃない。 そうこうしている間にも、二階堂の髪はバリカンの餌食となっていく。 ズバババ、と残された鬢の残党も始末し、前頭部と両サイドは丸刈りになった。 「二階堂、いいよ、いいよ〜」 「いい具合にハゲてきてるぞ〜」 三年部員の中から囃す者も出はじめる。 二階堂は、 「ちょっと〜、ひやかさないでよ〜、恥ずかしいよ〜」 と肩を揺すって、やはり苦笑していた。しかし、 「ま、久しぶりにボウズもいいかもね。夏だし、ラクだし」 と、つい30分前には思いもよらなかった状況を受容していた。 大泉は二階堂の頭頂にバリカンをあてると、ツムジの辺りを起点に、右の後頭部にスライドさせた。ジャリジャリジャリ・・・髪が剥がれ落ちる。バササッ・・・そうやって後頭部の半ばまで剃りこむ。ジャジャジャジャリリ・・・そして襟足にバリカンを潜りこませると、丸刈りの部分に合併させるべく、上へ上へと遡らせる。ジャジャジャリジャリジャ・・・後ろの髪が、ぐわああ、と引き裂かれ、バリカンの刃の動きに従って、上昇し、飛び散った。バッ! 「お前ら何してるんだ!」 顧問が部屋の入り口で、眉を逆立て、仁王立ちしていた。 うおおぉぉ〜!!お早いお帰りで。想定外だ! オレたちは石像のように固まった。 ・怒りに任せてシゴかれる(体罰覚悟?)。 ・「不祥事」のペナルティとして夏の大会出場辞退。 暗黒のビジョンが頭をかすめる。 「お前ら、こんなことしてただで済むとは思うなよ!」 顧問は怒り心頭だ。 もはやこれまで、と恐れおののいていたら―― 「あの――」 二階堂がおずおずと口を開いた。 「アタシが頼んだんです、“丸刈りにして欲しい”って」 ――え? オレたちの視線は、一斉に二階堂に注がれる。 「何だと?」 顧問もちょっとたじろいだ。 「今回が最後の大会ですし、皆と一緒に坊主頭で臨みたいし、それに自分に活を入れたいとも思って、新藤主将や大泉クンたちにお願いして、こうして断髪式を開いてもらったんです」 二階堂・・・・こんな目にあってるのに、「加害者」のオレたちをかばってくれるなんて、なんという天使!! 大泉はじめ部員たちはキラキラした感動の眼差しで、3/4坊主の二階堂を見つめている。両掌を組んで祈りのポーズをとっている者までいる。 「そうか」 二階堂のとりなしで顧問の態度も軟化する。 「しかし女子が坊主頭なんて、行き過ぎだろう」 「大丈夫です。アタシ、中学の野球部でも三年間ボウズだったんで」 「わかったよ。そろそろ朝食だから、終わったら食堂に来るようにな」 そう言うと、顧問は部屋を出て行った。 顧問が去るなり、オレたちは「水戸黄門」の小悪党のように、へへ〜!と二階堂の周りで平伏した。 「二階堂、ありがとう!」 「二階堂先輩、恩に着るッス!」 「アンタは野球部の観世音菩薩だ!」 「付き合って下さい!」 ドサクサまぎれに土下座告白する者もいた。 二階堂は微苦笑を浮かべながら、 「いいって、いいって。野球部は一蓮托生だよ」 と鷹揚に手を振り、 「それより早く最後まで刈っちゃってよ」 かくして断髪式は再開される。 最後に残された左後頭部の髪が刈られる。 ウィーンウィーン、ジャジャジャジャリジャリ〜 大泉も神妙な態度になり、丁重にバリカンを動かす。 ジャ、ジャ、ジャリジャリ バサッ、バサッ、バササッ ジャリジャリジャリ〜、ジャジャ、ジャリジャリ〜 バササッ、バサッ、バサッ 二階堂の頭はビッシリと6mmの丸刈りにされた。 彼女が三年かけてコツコツ伸ばした髪は、無惨に新聞紙の上に散っている。 二階堂はその黒い草原の真ん中、座っている。 「この感触、懐かし〜!」 とハシャいで、丸い頭を撫でまわしながら。 中学の頃の二階堂琴乃だ! とオレは感無量だった。 いや、中学のときより、二階堂琴乃は顔つきも身体つきもすっかり大人びている。中学時代の面影を残しつつ、美人度、セクシー度は当時と比較にならないほどで、丸刈り姿はさらにグレードアップしている。 「なんかエロいなあ」 と部員の誰かがコメントしていたが、オレも同感だった。 「さあ、メシ食うぞ〜!」 二階堂はすっかり体育会系モードで、部屋を飛び出さんとしている。 その背中に、 「メシの前に頭洗えよ〜」 とオレは声をかけた。 (4)角倉高校野球部 〜ちょっとした幕間 (5)羽山涼 〜敗者の見る景色 ヒュ〜〜、パンパン! ヒュ〜〜、パンパン! 夜の静寂(しじま)に響き渡る音。 ヒュ〜〜、パンパン! ヒュ〜〜、パンパン! 夜の闇を照らし出す光。 今夜は近所の神社の夏祭り。 いっぱい食べた。いっぱい遊んだ。いっぱいハシャいだ。 甲子園では今日も白熱したゲームが繰り広げられているが、もうボクらには関係のない話だ。 夏の大会、ボクらは大方の予想通り、一回戦敗退。勝者の栄光の代わりに、自由な夏休みを手に入れた。 海に行った。キャンプに行った。カラオケに行った。ちょっとしたバイトもした。 海水浴客の去った砂浜で、水平線の向こう、溶けるように沈んでいく夕陽を、野球部だった仲間たちとジャレ合いながら、くだらない冗談を飛ばし合いながら、眺めた。敗者には敗者にしか見ることのできない光景だってあるのだ。多少負け惜しみもあるけど。 今夜の夏祭りも最高に楽しかった。 ハシャぎ足りなくて、仲間たちと学校のグラウンドに忍びこんで、花火をした。 ヨッちゃんなんて、 「八つ墓村〜」 とか言いながら、花火を二本頭の両側にあてて、走り回っている。 ヒュ〜〜、パンパン! ヒュ〜〜、パンパン! ロケット花火が時間差で次々と夜空に放たれる。 その光が二階堂琴乃の横顔を、鮮やかに浮かび上がらせる。 琴乃チャンは浴衣姿、片手に団扇をもって、朝礼台に腰かけている。坊主頭に浴衣って、かえって艶めいて見える。着ているのが琴乃チャンだからか、それともボクの感覚が女性の坊主に対して麻痺してしまっているからなのか、あるいは、その両方なのかはわからない。 女子球児が丸刈りに! というニュースに琴乃チャンの周りにはメディアが押し寄せた。3分ほどだけれど、全国ネットのテレビニュースでも琴乃チャンの映像が流れた。 「キモチイイです♪」 と琴乃チャンは坊主頭に触れながら、カメラに向かって笑顔でVサインしていた。 琴乃チャンは地元で、ちょっとした有名人になった。 今夜も皆で夜店をまわっていたら、 「ホラ、あの娘、あの娘」 「テレビに出てたよね」 「角倉高校の野球部の」 「ほんとにボーズだ」 「女子がボーズってすごい勇気だよねえ」 と女の子の集団が袖をひきあって、ヒソヒソ話しているのが聞こえた。 琴乃チャンは朝礼台に座って、無心に足をブラブラさせて、賑やかに、でも儚く夜の中に消えていく花火をもの思わしげに見つめている。 夏が終われば、ボクたちは新しい進路に向けて、準備をはじめる。 受験勉強をする人、専門学校の情報を収集する人、就職活動をする人、色んな人がいる。 琴乃チャンは東京の大学を受験するらしい。 ヨッちゃんはなんとアメリカに留学するそうだ。 ボクはといえば地元に残って、デザイン関連の専門学校に入学するつもりだ。 だから、この夏が「三バカ」が一緒に過ごす最後の夏になる。 小学校の頃から、当たり前のように一緒に過ごしてきた三人も、もうすぐバラバラになる。 さびしい。いつまでもこのままでいたいのに、と思う。 「た〜まやぁ〜!」 と主将、いや、元主将の海人君がおどけて、ロケット花火に掛け声をかける。 皆、大声で笑った。ヨッちゃんも、そして琴乃チャンも笑っていた。 ボクも笑った。不安や迷い、苛立ち、焦燥、やるせなさ、もどかしさを心のポケットにそっとしまって。たぶん、他の皆もボクと同じだと思う。 「琴乃チャン」 ボクは訊いた。 「大学に入っても、野球、続けるの?」 「う〜ん」 琴乃チャンは両手で団扇をもてあそびながら、少し考えて、 「わかんないや」 と答えた。 「まずは大学に入れるかが、目下の重大事だからね」 大学に入学できてから考えるよ、と破顔した。ハッとするくらい美しい笑顔だった。思わずドギマギしてしまったけど、それを押し隠すように、 「大学で野球続けるとしたら、また坊主にするの?」 とひやかしたら、 「アハハ、涼チンまでそれを言うか〜」 琴乃チャンは伸びかけの坊主頭をすくめた。 「もうボウズは十分堪能したからね、普通の女の子に戻りま〜す」 「そっか」 二人並んで、夏の星座を横切っていくロケット花火を眺めた。沈黙は心地よかった。 「これでラストだぞ〜」 と海人君が噴水花火に点火する。 シャアアアアアアアアア と噴水花火は盛大に火花を噴き上げた。 花火はやがて消える。でも、花火をした思い出は残り続ける。思春期もやがては終わる。でも、思い出は残る。泣いたこと、笑ったこと、苦しかったこと、楽しかったこと・・・たくさんの思い出が。そう自分に言い聞かせつつも、まだまだ割り切れないでいるボクだけど、いつか折り合いはついてしまうのだろう。 光の洪水の中、ボクはそっと琴乃チャンの顔を盗み見た。そして、光が照らし出す彼女の横顔を心に焼きつけた。 二階堂琴乃と過ごした最後の夏を、一生忘れないように。 (了) あとがき 2013年最初の小説です! 1月半ばには脱稿していたのですが、結構発表がずれ込んでしまった(^^; 坊主の女の子のbeforeの姿を知って、「昔はこんなに髪長かったんだ〜」と萌えるのが通常でしょうが、それを逆転させて、「きれいな長い髪の乙女が実は昔、坊主だったら」、それはそれでかなり萌えるんじゃないか、と思いまして。 複数の語り手によるストーリー構成は、「水魚の交わり」「From LostWorld」に続く三作目ですが、だんだん劣化しているような気がする(汗)今回も四者の個性や目線にさほど差異がなく、時系列も単純で、わざわざ語り手を複数にした意味があまりないような。。。 今回のお話の大筋は十代の頃に描いた絵物語を元にしています。寝てる間に髪を切られてしまい、坊主に、と。 あくまで予定ですが、2013年は今回のヒロイン、二階堂琴乃を一年間かけ、じっくりネチネチと、色々な形で坊主(orショート)にしていこうかな、とも考えています。 最後までお付き合い下さり、ありがとうございました♪ |