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残寒


 あれは中国との戦争が始まって、世の中が何やらきな臭くなってきた頃の話です。
 当時、私は田舎のある尼寺で寺男をしておりました。
 元々は歴とした旗本だった家に生まれた私ですが、東京の大学の文科に進むと、放蕩三昧、授業には出ず、文学に入れ込んで、酒を飲んでは暴れ、遊郭に通い詰め、荒んだ生活を送るようになりました。
 挙句、下宿の人妻とデキてしまい、ああ、女難は恐ろしい、とうとう放校処分になってしまいました。
 実家からも義絶され、職もなく、金もなく、食い詰めて、諸国を放浪しました。
 飯場暮らしもいたしました。今だから言えますが、怪しげな連中と付き合い、随分と危ない橋も渡ったものです。
 そうした放浪生活の末、身体をこわし――まあ、そのお陰で兵隊にとられることもなかったのですが――とうとう物乞いにまで身を落としてしまったのです。
 わずかな金銭や食べ物を恵んでもらいながら、西へ東へ彷徨い、ついに力果て、ある寒村で行き倒れになって、ああ、俺はもう死ぬのか、と朦朧とした意識の中、観念いたしましたが、これも仏様の御加護でしょうか、偶然通りかかった尼寺の庵主様にお助け頂いたのです。今思えば不思議なご縁です。
 庵主様は仏様にお仕えする方らしく、慈悲深く、私を憐れんで、薬や食べる物、着る物をお与え下さいました。
 やがて体力も戻り、私はその尼寺で寺男として働かせていただくことになりました。
 尼寺は女ばかりで、男手がなかったため、長さん(私のことです)、長さん、と随分重宝して頂いたものです。
 当時、尼寺には庵主様の他、若い尼さんが一人、娘さんが一人と三人でお暮らしになっておれらました。
 若い尼さんは英秋(えいしゅう)さんといい、いかつい顔と身体つきでした。なんでも元士族の家系で、薙刀や柔術に長けた女丈夫でした。
 娘さんは富江(とみえ)さんといいました。
 こちらは英秋さんとはうって変わって、楚々とした美少女でした。まだ十七歳でした。清げでありながら、どこか男心をくすぐるあだっぽさがありました。
 富江さんはその頃、隣町の女学校に通っておられました。
 元は農家の子で、幼い時分に庵主様の養女として貰われ、ゆくゆくは尼となり、尼寺を継がれる予定でした。
 しかし、富江さんは内心では尼になることを嫌がっていました。
「尼さんになんてならないわ」
と、あるとき、こっそりと私にお洩らしになりました。
 富江さんは文学少女でした。
 暇さえあれば、いつも本を読んでいらっしゃいました。
 「鈴女(すずめ)」という筆名で、地元の新聞社や東京の雑誌社に、俳句や短歌を投稿しておられました。
 私も大学の文科に籍をおいていましたから、富江さんとはよく文学の話に花が咲きました。
 ドストエフスキー、モーパッサン、ゲーテ、リルケ、徳富蘆花、伊藤左千夫、古今和歌集、伊勢物語――美しい富江さんと古今東西の文学の話をしていると、私はウットリとなって、時間が経つのも忘れたものです。
 文学の話をするとき、富江さんは目を輝かせ、紅い唇を盛んに動かして、熱っぽくお語りになり、且つ私の拙い話に聞き入って下さいました。
 富江さんに乞われるまま、東京時代の話もいたしました。大学の話、仲間たちと出した同人誌の話、モダンボーイ・モダンガールの話、レビューの話、カフェーの話、地下鉄の話、華族様や文壇にまつわる噂話、さる文士の宅を訪問したときの話・・・。
 富江さんは私の話を、やはり目を輝かせて聞いて下さっていました。
 そして、話の最後にはきまって、
「私も東京に出たいわ」
とため息まじりに仰いました。
「こんな田舎の尼寺なんて真っ平。尼さんになるなんて考えただけでも、ぞっとするわ」
 東京に行って、和歌や俳句を詠んで文学生活を送りたい、と彼女の夢を打ち明けて下さいました。
「お嬢さん」
と私は心配して忠告いたしました。
「そんなこと、庵主様や英秋さんに仰ってはいけませんよ」
 庵主様は富江さんが尼になって寺を継いでくれることを、望んでおられます。そのために、せっせとお金をかけ、愛情をかけ、富江さんをここまでお育てになったのです。もし、富江さんの本心を知れば、どれだけ落胆なさるかわかりません。
 しかし、庵主様の方でも日頃の富江さんの言動から、彼女が本当は尼になりたくないことを薄々気づいていらっしゃったようではあります。

 その頃、村の界隈で不審な者が出没し、女子供をかどわかすという噂があり、富江さんの身を案じた庵主様に頼まれて、私は富江さんの学校の行き帰りに護衛として、お供をするようになりました。
 今にして思えば、これは富江さんの為というだけではなく、私の為でもあったのではないでしょうか。
 何せ私は余所者です。不審者が出た、となると真っ先に疑われる可能性が高い。ですから、富江さんの護衛をさせることで、村の人たちの無用の嫌疑をかわす、そういう庵主様のご配慮があったのではないかと、考えたりもするのです。
 下校の時間になると、私は女学校の門の前に立ち、富江さんを待ちます。
 女学校の生徒の若い娘さんたちの好奇の視線には閉口いたしましたねえ。
 富江さんが門を出てくると、私は富江さんの鞄を持ち、後ろから付き従います。
 富江さんはご友人たちの手前、恥ずかしそうでして、私を無視して、一言も言葉をお発しになりません。頬を紅潮させ、プイと前を向き、黙って、ずんずん歩いていかれます。私も無言で、鞄を抱え、富江さんの後ろを歩きます。
 そっと富江さんの横顔を盗み見します。
 華族様のご令嬢と言っても通るくらいの、美しいお顔です。強い意思と知性と教養がその表情に表れております。どこかあどけなくも、犯しがたい気品があり、尼寺育ちゆえの清らかさと、生来隠し持っている艶気が並び立って、富江さんの中に同居していました。
 それに髪、富江さんの背中で揺れる長いお下げ髪は艶々と光沢を帯び、思わず息をのむほどの美しさでした。
 富江さんにとっても自慢の髪で、朝な夕な梳り、三日おきに、布海苔と卵で丁寧に洗っておられました。
 倹約家の庵主さまは良い顔をなされませんでしたが、洗い髪をほどいて、夜風にさらし、
「あら、長さん」
なんて声をかけられると、あまりの艶っぽさに、胸がときめいたものです。
 しかし、その美しい髪とのお別れの日は迫っていました。
 女学校を卒業すれば、富江さんは尼にならねばなりません。
 富江さんは、もっと学問がしたい、東京の学校に行きたい、と言い募ったのですが、これまで富江さんのワガママを聞き入れてきた庵主さんも、今回ばかりは、富江さんの御希望を頑としてお許しになりませんでした。
 庵主様ももうかなりお年を召しておられたので、早いうちに富江さんに後継者の座についてもらいたく、焦っておいででした。
 英秋さんはいずれはよそのお寺の庵主さんになることが決まっており、跡を取るのは、富江さんしかいません。
 富江さんは出家の話を嫌がり抜きました。庵主様が説きに説いても、どうしても首を縦に振ろうとはなさいませんでした。
 お二人の諍う声が毎晩、襖越しに聞こえました。
 しかし、富江さんはついに説き伏せられ、泣く泣く尼になることを承諾なさいました。
 実際、仏門入りが決まった日、夜通し泣かれたようです。朝、富江さんの泣き腫らした目を見たときは、心が痛みました。
 早速、尼衆学林への御入学が決まり、法衣屋が呼ばれ、御出家の準備が進められました。

  早春、富江さんは無事、女学校を御卒業なさいました。
 今後は尼になる道が控えております。
 尼衆学林への御入門が近づきつつあった、ある日、久しぶりに富江さんと文学談義をいたしました。
 御出家が決定してから、富江さんはすっかり意気消沈なさって、私と話すこともなくなりました。淋しくはありました。しかし、私の方も出家を目前になさった富江さんと、どう接して良いのかわからず、どこか彼女を避けているところがありました。
 ですから、この日、富江さんの方から私に声をおかけになられたときも、実は内心当惑しておりました。
 しかし、ルソーの「懺悔録」や白樺派の小説など、あれこれ話をしているうちに、段々と以前のような気安さを取り戻し、楽しく語らいました。
「長さん」
と富江さんは不意に笑顔を引っ込め、真っ直ぐに私を見つめました。
「私、東京に行きたい」
「それは――」
 私は口ごもりました。
「長さん、私を連れて逃げて」
 富江さんの唐突なお願いに、私はやはり返答に窮しました。
「二人で東京に行きましょうよ。東京で暮らしましょ。小説や詩や歌を書いて、生活の糧にするの。貧乏でもいいわ。私、耐えられるから、だから、ねえ?」
 少女らしい純真さで、そう言われて、私は戸惑いました。美しい富江さんと二人きりで暮らす。考えただけで甘美な選択です。
 しかし、彼女よりも大人の私は、現実的にならねばなりませんでした。
 私は放浪生活が祟り、身体を壊しております。世間の男並みに働くのは無理です。お嬢さん育ちの富江さんに極貧生活が辛抱できるとも思いません。二人ともいずれ窮死するのは目に見えています。それに、時局もますます切迫しており、暢気に文筆活動するなど、もはや許されない状況です。
「お嬢さん、落ち着いて下さい」
と私は富江さんをお諌めしました。事情を噛んで含めるように富江さんに話し、彼女の翻意を促したのです。
 富江さんはご不満そうでした。
「長さんの意気地なし!」
と罵られました。私は黙って、駆け落ちを決行に及ぼうとする自己を抑えつけていました。
「わかったわ」
 富江さんは肩をすくめ、仰いました。
「どうやら、私、もう尼さんになるしか道はないのね」
「お嬢さん、お辛いでしょうが、運命から逃げずに立ち向かって下さい」
 富江さんはしばらくうなだれておいででしたが、やがて、
「じゃあ」
と意を決したかのように、口を開かれました。
「長さん、私にキッスして」
「え?」
 私は思いがけない言葉に、間の抜けた顔になりました。
 しかし、富江さんは真剣でした。
「尼さんになったら、もう男の人とお付き合いも結婚もできないのよ! キッスもしないまま尼さんにならなきゃいけないなんて、嫌よ! だから、長さん、お願い!」
 言いながら、富江さんはかなり昂ぶっているご様子でした。
 私は迷いました。もし庵主様に知れたら、尼寺を追い出されるかも知れません。
 けれど、出家を前に、せめてキスだけでも経験しておきたい、と願う富江さんをいじらしく思いました。応えて差しあげたいと思いました。
「お嬢さん」
 私は富江さんの両肩に手を置きました。そして、グッと力を入れ、
「本当にいいんですね?」
と確認しました。
「ええ」
と答える富江さんの身体は硬直し、微かに震えていました。
 私も富江さんのような初心(うぶ)な処女との口づけははじめてで、緊張いたしました。
 富江さんは目を閉じました。
 私はゆっくりと富江さんに顔を近づけ、富江さんの薄く紅い唇に自分の唇を重ねました。富江さんは不器用に私の唇を受け容れました。緊張して、カチカチと小さく歯を震わせておられました。今時の娘さんと違って、というとお叱りを蒙るかも知れませんが、あの頃の娘さんは、それはもう純情可憐だったんですよ。
 キスは一瞬で終わりました。
 ですが、唇を離すと、富江さんは御自分がとんでもない「破廉恥なこと」をしてしまったとお気づきになったのでしょう、顔を真っ赤にして、私にクルリと背を向け、走り去ってしまいました。
 私もしばらくぼんやりと木偶の坊みたいに、その場に突っ立っていました。

 その夕刻のことです。
「長さん、ちょっと」
と庵主様に呼ばれました。
 もしや昼間のことが露見してしまったのではないか、とビクビクしながら、庵主様の許へ行くと、
「長さん、アンタ、ちょっとこれからひとっ走り、金子さんのところへ行ってくれないかい」
「金子さん?」
「ほら、あの村外れで床屋をやってる」
「ああ」
 そう言えば村外れに床屋があったなあ、と私が頭の中で村の地図を描いていると、
「それでさ」
 庵主様は少し声をおひそめになり、
「バリカンを借りてきて欲しいんだよ」
と私に五銭玉を握らせました。
 あッ!と私は背筋に冷たいものを感じました。
 いよいよ来るべきときが来た、といった気持ちでした。
 富江さんがとうとう髪をおろすのです。
 あの美しい髪
 丹念に洗っていらっしゃった髪
 知らず知らずのうちに私が目で追っていた髪
 その髪がついに、未来永劫、奪われる日が来たのです。
 私の心は激しく動揺しておりました。
 金子さんは村で唯一の床屋でした。四、五銭でバリカンを貸してもおりました。
 私は揺れる心を抑えつけ、床屋へ使いに走りました。
「バリカンをねえ」
 金子さんはバリカンを私に手渡し、
「富江さんもいよいよ尼さんになるのかい? あんなに美人なのに、不憫といやあ不憫だねえ」
と腕組みして、嘆息していました。
「でも、まあ、あの尼寺も跡取りができて万々歳かな」
「はあ」
 私は曖昧に答えるのみでした。
 バリカンを借り、尼寺へと帰る道すがら、何度も夕空を見上げ、富江さんのことを考えました。昼間の口づけの、あの感触を思い返しました。
 そして、手にしたバリカンを見つめました。
 この刃がもう間もなく富江さんの髪に入る。富江さんの美しい髪を、根こそぎ収奪する。そう想像すると、得体の知れぬ興奮がありました。

 庵主様はバリカンを持つのは初めてで、私に扱い方をお訊きになりました。私も覚束ないながらも、あれこれお教えいたしました。
 一通り説明を聞くと、庵主様はバリカンをそっと文箱におしまいになりました。
 剃髪は明日か、と私は察しました。

 その夜ふけ、便所に行こうと廊下に出たら、富江さんとバッタリ出くわしました。
 富江さんは私を見ると、頬を赤らめました。そして、顔を俯かせ、足早に私の横をすり抜けて行かれました。私も富江さんの顔を直視することができませんでした。
 すると、
「ねえ」
 背後から富江さんがお訊きになりました。
「夕方、どこへ行ったの?」
「庵主様のお使いで・・・・檀家さんのお宅へ伺いました」
 私は振り向けず、背中をむけたまま、答えました。富江さんに初めて嘘を吐きました。
 富江さんは明日、御自分が坊主頭に剃りあげられることを知りません。
 本当のことを話そうか話すまいか、ちょっと迷いました。
 が、私が迷っているうちに、
「おやすみなさい」
と富江さんはいなくなってしまいました。

 あの日の出来事は、何十年も経った今でも、忘れられません。
 空は青く晴れ渡っておりましたが、まだ肌寒い春の朝でした。
 私は裏庭の掃除をしながら、落ち着かない気持ちでした。
 そこへ、
「嫌ッ! 嫌ッ! 嫌ッッ!!」
 富江さんの声です。
 続いて、バタバタと廊下を走る音がして、
「嫌ッ! 嫌ッ! 堪忍! 堪忍してぇ!!」
 富江さんが恐怖に血相を変え、裏庭に面した廊下を走ってきました。紺絣の袷を着て、半幅帯を巻いていらっしゃいました。
 その後ろを、
「お待ちなさい!」
と庵主様が追いかけます。片手にはバリカンが握られていました。
「嫌ッ! 嫌ッ! 坊主頭なんて嫌よッ!」
 そう叫んで富江さんは逃げます。
 後で聞いたのですが、剃髪については富江さんも嫌々ながらも、覚悟をお決めになっていたのですが、やはりうら若き乙女、いざバリカンを持ち出されると、決心も吹き飛び、泡を食って剃髪の室から逃げ出されたとのこと。
 このまま逃げても廊下は行き止まりです。
 逃げ場を失いそうになり、富江さんは、えいや、とばかり裸足で裏庭に飛び降りました。
 裏庭には私がいます。
「長さん!」
 富江さんはものすごい形相で叫びました。
「やっぱり私、東京へ行く! 歌詠みになる! だから、そ、そこを、そこをどいてぇッ!!」
 私は反射的に富江さんに抱きつき、彼女を押しとどめました。
「なんでッ! なんでよッ、長さん! 私を裏切るのッ?!」
 私の腕の中でジタバタと儚い抵抗を試みる富江さんですが、私は彼女を捕らえて離しませんでした。
「お嬢さん」
と私は富江さんの耳に口を近づけ、
「もう、ここまできた以上、諦めて下さい! 運命と向き合って下さい!」
と言い聞かせました。
「今はお嬢さんの望みが叶う時代じゃないんです!」
 本当に嫌な時代でした。現在のように自分がなりたい職業を選べる時代ではなかった。
 家業を継がずに文学を志す者などは当時、「非国民」と白眼視され、迫害されたものですよ。
 だから、私は尼の道から逃れようとする富江さんを、制止するより他なかったのです。
 富江さんが私の腕の中でもがいている間に、英秋さんが裏庭まで出てきました。
「富江さん、あまり見苦しい真似をしてはいけませんよ」
 英秋さんは、むんずと富江さんの腕を掴むと、柔術で鍛えた腕力と体捌きを持ってして、富江さんを連れ、目の前の廊下に引き据えました。
「長さん、英秋さん、ありがとう」
と庵主様は仰り、その場で富江さんの髪はおろされました。
 英秋さんが裁縫に使う大きな裁ちバサミを、庵主さんに手渡しました。
 庵主様はその裁ちバサミで、まず長いお下げ髪を根元から切り取っていかれました。ジョキジョキ、ジョキジョキ。
 右のお下げ髪が無情にも断たれ、次に左のお下げが引きちぎるように切られました。ジョキジョキ、ジョキジョキ、ジョ、キ。
 無残な収穫の後には、不揃いの歪な髪の切り口が残されました。
 富江さんは唇を噛み、俯いておられました。目には薄っすら涙がたまっておりました。
「ほら、富江、これがお前の俗世にあった頃の形見だよ。ちゃんとお礼を言いなさい」
と庵主様は切り取った二本のお下げ髪を富江さんの膝の上に置きました。富江さんは、うっ、と思わず髪から目を背けていらっしゃいました。
 お下げ髪を断つと、庵主様は今度はバリカンを手にとりました。
 耳の辺りから、髪を刈りはじめました。
 カチャカチャ、カチャカチャ
とバリカンが鳴り、富江さんの髪は浮き上がり、頭から離れ、バサッ、と廊下に落ちました。
 庵主様はもう一度同じところを、さらに深く長くお刈りになりました。
 バサバサッ、とまた髪が廊下に落ちました。
 右の鬢がなくなりました。
 短く刈り詰められた髪が露わになります。
 庵主様は情け容赦もあらばこそ、坊主頭になった右側のコメカミからバリカンを上から横へ滑らせ、前の髪もろともツムジのところまで刈り進めます。
「痛ッ、痛いッ!」
 長い髪がバリカンの刃にひっかかり、富江さんは悲鳴をおあげになりました。
 しかし、庵主様は聞く耳持たず、問答無用に、前の髪、てっぺんの髪、を刈り取っていかれます。自分の代で由緒ある尼寺を廃寺にするわけにはいかない、一刻も早く富江さんを尼に、後継者にしなければ、という焦燥が、せっかちなバリカンさばきから、ヒシヒシと伝わってきます。
 カチャカチャ、カチャカチャ、とバリカンは富江さんの自慢の髪を食み、頭から除かれた髪がバサッ、バサッ、と廊下に靴脱ぎ石に、富江さんの身体につもっていきます。
 富江さんは髪に食い込むバリカンの痛さに耐えかね、
「痛いッ! 痛いッ!」
と何度も悲痛な声をおあげになり、いやいや、というふうに身体をねじりました。
 私にはそれが、女としての幸せを強引に剥奪される富江さんの庵主様に対する、せめてもの抵抗のように思えました。
「動くでないよ。じっとおし!」
 庵主様は英秋さんに命じて、富江さんの身体を身動きできないように、押さえつけさせると、ご自分は富江さんの頭を押さえつけ、微塵の躊躇もなく、勢いよくバリカンをお走らせになりました。
 前髪が落ち、頭のてっぺんの髪も落ち、富江さんの頭はどんどん少年のような丸刈り頭になっていきました。
 カチャカチャ、カチャカチャ、バリカンは富江さんの後頭部にも版図を広げます。
 カチャカチャ、カチャカチャ、襟足から上へと何度も何度も遡ります。
 カチャカチャ、カチャカチャ、バサッ、バサッ、と髪が落ちていきます。
 カチャカチャ、カチャカチャ、後ろの髪もみるみるなくなっていきます。
 カチャカチャ、カチャカチャ、後ろの丸刈りの部分と頭のてっぺんの丸刈り部分が合併して、ああ、あの美しい髪は無情にも消え、残すは左の鬢のみです。
 富江さんが夢見る文学少女だった頃の最後の遺構にも、容赦なくバリカンが差し込まれます。カチャカチャ、カチャカチャ。
 富江さんはポロポロと涙をこぼし、歯を食いしばって、バリカンの痛みに耐えます。精神的苦痛もさることながら、肉体的な苦痛も並大抵なものではありません。
 バリカンの刃の動きに合わせ、髪がゆっくりとめくれ、一房、二房、三房と落ちていきます。富江さんは文学少女から修行尼へと変貌を遂げていきます。
 私は丸刈りにされる富江さんから目が離せませんでした。
 心の何処かで仄暗い情欲のようなものが、燃えていました。そして、その燃えているものを認めたくない、蓋をしたい、という「良識」の枷も存在しておりました。
 富江さんは左鬢も刈り取られ、寒々とした坊主頭を早春の陽光に晒していました。
 庵主様は、見苦しく点在する黒い浮島をバリカンで丁寧に摘んでいかれました。その作業には時間がかかりました。憐れな収穫でした。
 富江さんは一分刈りの坊主頭にされました。つい先程までの長い髪の美少女のお姿は、もはやありませんでした。
 最後に剃髪です。
 英秋さんが用意した蒸したタオルが、富江さんの頭にのせられました。
 熱っ、と富江さんが顔をしかめました。
 富江さんの丸刈り頭が蒸されている間、庵主様は砥石で普段、御自分がお使いになっている剃刀を研ぎます。私には、黙々と剃刀を研ぐ庵主様のお姿が、安達ヶ原の鬼婆に重なって見えました。
 頃合を見計らい、庵主様は富江さんの頭に剃刀を入れました。額の生え際から剃っていきます。
 ジジジージー、短い髪が薙がれ、唐物の陶磁器のような青い地肌が浮き出て参ります。
 富江さんは放心したように、端座なさっておられます。
 庵主様は流石、日頃頭を剃りなれているだけあります。手首を巧みにお使いになり、まずは前から、頭のてっぺんにかけて、剃刀を動かしていきます。
 ある程度剃ると、湯をはった金盥に剃刀をつけ、付着した毛を素早く流し落とします。湯の中で、細かな毛屑がくるくると踊りながら、浮き沈みしておりました。
 ジー、ジー、ジ、ジジー、富江さんの頭はあれよあれよという間に、青く剃りあげられていきます。
 ジー、ジー、ジ、ジ、ジージー、庵主様は左手の五指でもって富江さんの頭を固定させ、最初は前頭から頭のてっぺんまでが剃られ、次に左右の毛が剃られました。ジー、ジー、ジー。
 剃刀の動きに従い、短い毛は頭から剥がれ、ピカピカ光る刃にベットリとくっつきます。そして、刃の黒ずんだ剃刀は金盥へ。この繰り返しです。
 最後に襟足が剃られました。真っ白なうなじと青い後ろ頭の調和には堪えられぬものがありました。
 剃りあがった頭を先程のタオルでゴシゴシ拭き、ようやく剃髪は終わりました。
「さあ、できたよ」
と庵主様は英秋さんに鏡を持ってこさせ、富江さんにお渡しになりました。
 鏡越しに初めて坊主頭の御自身と対面なさった富江さんは、衝撃のあまり、
「これが・・・私・・・」
と言葉を失っておられました。言葉の代わりに、ハラハラと落涙なさいました。
「さあ、涙をお拭き」
と仰って、庵主様は富江さんを奥へと連れていかれました。
 英秋さんはその場に残り、剃髪の後始末をしていました。二本のお下げ髪は、仏前に捧げられました。後々、俗世の形見として取っておくそうです。残りの髪はひとまとめに屑籠に捨てられました。
 その捨てられた髪を、欲しい、と思いましたが、変に勘繰られるのが嫌なので、諦めました。
 やがて僧服を身にまとった富江さんが姿を見せました。
 その新発意ぶりに私は思わず見とれてしまいました。
 私の視線に、富江さんは、
「長さん、あんまりジロジロ見ないで。恥ずかしいわ」
と頬を赤らめていらっしゃいました。
 まだ頼りなげな初々しい尼姿。髪があった頃は美しかったのですが、髪がなくなると、美しいというより、可愛らしい、愛くるしい、といった形容が相応しく思えました。
「頭がスースーするわ」
と富江さんは青く丸い頭をなでて、さびしそうに笑っていらっしゃいました。
 その坊主頭は、富江さんにとっては旅立ちの、私にとっては青春の終わりの象徴のように思われました。

 あれから幾星霜、様々なことがありましたな。
 アメリカとの戦争、敗戦、戦後の混乱。
 苦しい時代が続きました。
 尼寺も時代の波に翻弄されました。
 富江さんは後継者として、老齢の庵主様に代わり、女の細腕で尼寺を守り抜かれました。まことに立派な尼僧様におなりになられました。
 私も微力ながら尼寺の護持に尽くさせていただきました。
 やがて庵主様が遷化され、富江さんが新しい庵主様となられました。世間が好景気に沸き立っていた頃のことです。
 富江さん――新庵主様はお優しく、村の教化発展に尽力なされ、近郷近在の人々に慕われました。
 私はそんな新庵主様を陰からお支えいたしました。
 生涯を尼寺で寺男として終えるつもりでしたが、前の庵主様が亡くなって、三年ほど経った頃、大規模な開発がありました。尼寺が所有していた土地も、莫大な金額で買い上げられました。
 新庵主様はそのお金の一部を私にお渡しになり、
「このお金で自由にお暮らしなさい」
と仰いました。
「できません!」
 私はとっさに首をふりました。
「私はこれからも、この寺で寺男として庵主様にお仕えするつもりですので、そのようなお気遣いは御無用です」
「長さん」
 庵主様は微笑なさいました。
「気持ちは嬉しいし、長さんがいてくれた方が何かと助かるけれど、そろそろ長さんも自分の幸せを考えなくちゃいけないわ」
「しかし――」
 私が言い募ろうとするのを、庵主様はお制しになられ、
「私は今の人生に満足しているわ。一生この尼寺を守っていきます。長さんには今まで散々、このお寺のために働いてくれて、本当に感謝してる。だから、このお金はせめてもの恩返しのつもり」
「お嬢さん・・・」
 つい昔の呼び方が出てしまいました。
「結婚してちゃんとした家庭をお持ちなさい。それから、ご実家の方々とも和解なさい。ね、長さん」
と庵主様は一瞬、昔の富江さんに戻って、茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせました。
 結局、私はそのお金を頂き、隣町で古本屋をはじめました。
 何よりも本が好きな私には、うってつけの商売で、やり甲斐がありました。お陰さまで、店はそこそこ繁盛いたしました。
 一年後には遅まきながら、今の妻を娶りました。子供も二人生まれました。二人とも男の子でした。
 実家の義絶も解け、長い間、会えなかった親兄弟とも再会いたしました。父母に孫の顔も見せることができました。
 全ては庵主様のお陰です。
 庵主様は時折、私の店をお訪ねになりました。
 気に入った文学書があれば、手に取ってページをめくっておられました。昔のように文学の話をすることもありました。
 年をお召しになるにつれ、庵主様としての貫禄がお出になられていきましたが、本の話題になると、富江さんの頃に戻って、私も青年時代に返って、夢中で語り合ったものです。
 その富江さんも二年前、亡くなりました。
 葬儀には大勢の僧尼や村人が集まり、庵主様の遺徳の大きさが改めて偲ばれました。
 私もそろそろお迎えを待つ身です。
 子供も立派に育ちあがり、古本屋をたたんで、今は妻と二人、楽隠居の境遇です。
 老いてみて懐かしく思い出すのは、尼寺での日々です。庵主様のこと、英秋さんのこと、そして、富江さんのこと。
 なかんずく、富江さんが髪を落とされた日のことは、つい昨日の出来事のように脳裏に甦りますな。
 あの日、髪を剃られる富江さんを見つめながら、私の胸に沸々とわきあがった、あの奇怪な情欲の正体は一体なんなのでしょう。よくわかりません。わからない方が良いのかも知れません。そんな気がします。
 今日は一日中、老人の昔話にお付き合い下さり、どうもありがとうございました。
 勝手を言って申し訳ありませんが、ちょっと眠くなって参りました。今日のところは、どうかこれでご勘弁下さい。ええ、あの一件の話はまた別の機会に譲って、失礼させていただきます。



(了)



    あとがき

 これまたずっと昔から構想していたお話です。
 手動式バリカンでのカットは自作であまりないなあ。電気バリカンもいいですが、手動式のバリカンもなかなか趣きがあるなあ、と思います。
 相変わらず苦手な断髪描写なんですが、濃厚に書いてみようとチャレンジしてみましたが、どうだろ。。。自分の限界を思い知らされています(― ―;
 全編、ですます調のストーリーは初めてで、敬語に苦労しました。
 最後の方、「早く終われ〜」と思いながら、キーボードを叩いてました。
 でも、書きあげてみて、満足しています。
 最後までお読み下さり、ありがとうございました!!




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