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Shave Again


 髪が大分伸びた。
 嬉しい!!
・・・はずなのに、心弾まぬ保科敦美(ほしな・あつみ)24歳である。
 今日は久しぶりに美容院に行った。
 ボサボサ頭を整えてもらった。
「これからは、また色々な髪型を楽しめるね」
と美容師さんは笑顔で、シャキシャキと丁寧に髪をカットしてくれた。が、その丁寧さが、今の敦美には、まどろっこしく感じられた。
 ――バリカンで、ガァーッとやっちゃった方が早いんだけどなあ。
と坊主頭を懐かしむ敦美がいる。
 ――あんなに嫌がり抜いた坊主頭なのに・・・。
 自分でも不思議だ。

 ずっと長い髪だった。
 ショートにしたことも、小中学校時代に何度かあるきりで、以後はずっと髪を長く伸ばしていた。巻いたり、染めたり、様々なアレンジを試したりと、普通の女の子と同じように過ごしてきた。
 それが、いきなりボウズ・・・。
 実家が寺で兄が跡を取ることに決まっていたのだけれど、
「万が一のため、お前も尼になれ」
と父に命じられた。
 まさに青天の霹靂で、敦美は泣いて嫌がったが、保科家における父親の権力は余所の家の比ではない。父の言うことは絶対。そんな家風の中、幼い頃から育ってきた。
 だから敦美も最後には泣く泣く承諾する他なかった。
 幸い、修行先のお寺はさほど厳しくなく、有髪も許されていた。
 ――やれやれ・・・。
 一時はパニック状態に陥った敦美も、少し安堵した。

 ところが、である。
 修行が近づいたある日の午前、父に呼ばれた。
 言われた通り、庭にまわると、パイプ椅子が置かれている。父の手にはバリカンが握られている。
「これからお前の頭を刈るから、ここに座れ」
という父の言葉に、
「なんでッ?!」
 敦美は仰天して叫んだ。二度目の晴天の霹靂!
「修行は有髪でもいいんでしょッ!?」
「“坊主頭ではイカン”というわけでもない」
 尼僧になるからには、中途半端は駄目だ、せめて修行中は頭を丸めろ、という厳格な父に、
「嫌ッ!! 嫌ッッ!! イヤよッッ!!」
と敦美は駄々っ子のように首を振った。
「なんでボウズになんなきゃなんないのよッ!!」
「お釈迦様以来の伝統だ」
「イヤッ!! ボウズなんて絶対イヤッ!!」
「いいから座れ」
「イヤッ!」
 押し問答はしばらく続いたが、やはり、父の言うことには逆らえず、敦美はベソをかきながら、椅子に腰を沈めた。
 首にタオルを巻かれ、身体にはケープをかぶせられた。
 ブイィーン、ブイィーン、とバリカンがうなりはじめる。
 バリカンが額のど真ん中にあてられた瞬間、一種名状しがたい戦慄が敦美の身体を貫いた。
 バリカンは容赦なく、敦美の髪を剥ぎ取っていった。
 バリカンの動きに従って、髪が薙ぎ払われ、バサリ、バサリ、とケープを流れ、地面に落ちた。
 まず前頭部の髪が刈られ、両サイドの髪が刈られた。
 庭の生垣越しに、近所の悪ガキ連中が、敦美の断髪の様子を好奇心たっぷりに眺めていた。
「お寺のネーチャン、ハゲ坊主〜」
と悪童連ははやしたてた。
「うるさい! あっち行け!」
と敦美が怒っても、平気の平左で、
「お寺のネーチャン、ツルッパゲ〜」
と、さらにはやした。
「おい、お前ら、あっちへ行ってろ」
と敦美の父が叱ると、さすがの悪ガキどもも退散した。
「お寺のネーチャン、ハゲ坊主〜」
とはやしながら。
 悔しくて恨めしくて、また涙が出た。
「立派な尼さんになって、見返してやればいい」
と父はバリカンを扱いながら、娘を慰めた。
 立派な尼さんになるより、普通の女の子でいたかった。
 バリカンは後ろの髪を、ジョリバリ剃りあげた。
 刈り残した髪をきれいにバリカンで整地して、断髪は終わった。
 ビッシリと0・5mmに刈り詰められた丸刈り頭を洗面所の鏡で確認したとき、
 ――ヒイイィィ!!
 嫌悪ばかりが先に立って、直視できなかった。
 鏡から目をそむけ、ジャバジャバと乱暴に頭を洗った。
「修行先でも頭の手入れは怠るなよ」
と父は修行の荷物にバリカンを押し込んだ。
 ――トホホ・・・。
 暗澹たる気分になった。

 修行に入ってみれば、坊主頭は自分だけ。他の修行尼たちは髪を伸ばしたまま、入行していた。
 ――なんでアタシだけ・・・。
と呪わしい気持ちだった。
 ところが、である。
 いざ行が始まると、修行の監督も指導員も敦美にはどこか優しい。他の尼僧より優遇されているような気がする。失敗しても、どやされることもない。わからないことがあれば、親切にフォローしてくれる。
 ――なんでだろう?
と訝ったが、接しているうちに理由がわかった。
 有髪が許されているにも関わらず、あえて頭を丸めて参加した敦美に、スタッフ陣は皆、好感をもったらしい。その真剣さとけなげさ(けして本人の意志ではないのだが)に感動すらおぼえ、指導するにもつい手心を加えたくなるようだ。
 思わぬ坊主効果に、
 ――ツイてる〜!
 敦美は内心ガッツポーズする。
 坊主効果は他にもある。
 とにかく慌しい修行生活では髪は邪魔になる。
 その点、坊主頭は楽だ。早起きしてまとめる手間も省け、コマネズミのように動き回っても、髪の乱れを気にする必要もない。入浴しても乾かさずに済む。バシャバシャ洗って、ゴシゴシタオルで拭けば、それでOK。
 ――楽チ〜ン♪
 坊主効果を実感するにつれ、坊主維持に熱心になった。父から持たされたバリカンを毎晩、頭にあてるようになった。ジョリジョリ、セルフで頭を刈る。自然、セルフバリカンカットの技術も上がる。
 同室の尼さんたちも敦美の坊主頭を羨ましがって、
「私もボウズになろっかなあ」
と言い出す者が現れ、敦美、
「じゃあ、アタシが刈ってあげるよ」
と長髪の尼を二人、坊主頭にしてやった。この二人も坊主頭の恩恵に与ったものだ。

 さて、行を終え、
 ――これで髪を伸ばせる。
と思ったが、喜びよりも物憂さの方が先に立った。
 坊主頭の快適さを知ってしまったから。
 シャンプーやリンスもいらない。抜け毛もない。手入れも楽だ。美容院に通う必要もない。
 ――このままボウズを続けるのもアリだなあ。
と思う。
 外出するときは、ウィッグを使えば問題ない。
 実際、実家に帰ってきてから、ウィッグを3つも買った。
 黒髪ロングのストレート、ダークブラウンの巻き毛、明るいブラウンのショート。その日の気分に合わせ、付け替えている。オシャレへの欲求はそれで十分満たされている。

 とは言え、「女の坊主は変」というコモンセンスに従い、バリカンでのセルフカットをやめた。やめたら、髪は伸びる。自然の理だ。
 一月経たぬうちにシャンプーが泡立つようになった。三ヶ月経つと寝癖がつくようになった。
 それでも気持ちは浮かない。
 ――ボウズの方が楽なんだけどなあ。
 ぼんやり考える。
 恋人や好きな人がいれば、蓄髪にも張り合いが出るのだろうけど、生憎今は恋愛する気分でもない。
 伸びかけのイガグリ頭はコワイ地毛のため、ピンピン跳ねて跳ねて、まるで歌舞伎の法界坊のようで、気に入らない。鏡を見るたび、憂鬱になる。
 ――やっぱりボウズだよなあ。
 坊主頭のさっぱり感を脳裏に思い浮かべ、ため息をつく。
 それでも惰性で髪を伸ばす。四ヶ月、五ヶ月、半年・・・。
 ボサボサ頭を持て余し、修行後はじめて美容院に行った。で、なんとか体裁を整えて、マッシュルームカットにしてもらったわけ。
 一応は満足したけれど、坊主頭への渇望の念は、敦美の心の中でくすぶり続けている。
 季節は夏。
 坊主に最も適した時候だ。
 ――暑い!
 猛暑がゴワゴワと敦美の背中を押す。
 ――ボウズにしたら気持ちいいだろうなあ。
 反面、
 ――せっかくここまで伸ばしたんだしな〜。
と髪を惜しむ乙女心も、敦美の中に確かに存在している。

 きっかけはあっさり到来した。
 ある朝、髪をセットしていて、どうしても思い通りにならず、
 ――ああ! もォッ!
 敦美はとうとう癇癪をおこした。
 ――やっぱりボウズに刈ろう!
 矢も盾もたまらず、自室に取って返した。そして、修行後、ずっと押入れに眠らせていたバリカンを握り、ふたたび洗面所へ。
 電源プラグをコンセントに差し込む。
 バリカンのスイッチをONにする。
 ブイイイィィィン
とバリカンが鳴り出す。
 一瞬ためらったが、迷いを振り捨て、左手で前髪をすくい上げた。
 そしてバリカンを額のど真ん中にあてた。
 ――えいっ!
と勢い任せに、バリカンを前髪の根元に差し入れ、一気に押し進めた。
 ジャジャジャジャアアァァ
と髪が裂け、めくれあがった。
 頭皮が久しぶりのバリカンのバイブレーションに悦んでいる。
 ――そうそう、この感触!
 バサッと刈られた髪が洗面台に落ちた。
 アタッチメント無しで刈ったので、切り開かれた幅5cmほどの小道は青い。その小道の右隣に二度目のバリカンを差し込む。
 ブイイイィィィン
 ジャジャジャジャジャアアァァ
 ・・・・・・バサリ
 さらに、その右隣にバリカン。
 ブイイイィィィン
    ジャジャジャジャジャジャアアアァァ
 ・・・・・・バサリ
 みるみるうちに丸刈りの部分は広がり、髪の山はうず高くなる。
 丸刈りの部分を指で触れる。ジッという感触。
 ――キモチイイッ!
 思わず顔がほころぶ。
 今度は前頭部の左側にバリカンを入れる。左へ左へ順々に刈っていく。
 ブイイイイィィィン
     ジャジャジャジャジャジャアアァァァ
バサバサッ
 ブイイィィィン

   ジャジャジャジャアァ
バサッ、バサッ
 ブイイイイィィィン
    ジャジャジャジャジャアアアァァァ
 ・・・・・・バササッ
  ブイイイィィン
     ジャジャジャジャアアアァァ
バサバサバサッ
 バリカン9回で、額が露わになった。刈り跡は後頭部にまで達している。
 右側の鬢も刈る。
 もみあげにバリカンを差し入れ、上に押し上げる。
 ブイイイィィン
  ジャジャジャアアァァ
バサリ
 それまで髪に隠れていた耳が少し覗いた。
 その耳の上にバリカンをあて、後頭部へと引き回す。バサバサと髪が削がれ、耳が完全に露出した。コメカミにバリカンをあてる。ジャジャジャアアァァァ、と髪が薙がれる。
 ――うふふっ♪
 黒い頭が忽ちのうちに青く白く変わっていくさまが、小気味良い。
 そこへ――
 ピンポーン
 玄関のチャイムが鳴った。訪問者出現。
 ――ちょっと!
 敦美は少しあわてた。父と兄は寺の用事で不在、母は町内会の旅行で留守で、この家には今、敦美しかいない。
「保科さ〜ん、すいませ〜ん、宅急便です〜。お留守ですかあ?」
 ピンポーン
 仕方なく、シャツについた髪を払い、玄関に向かう。
「すいません。お待たせしました」
「いえいえ・・・あれ??!!!」
 宅配のおじさんは白昼幽霊にでも遭遇したように、目を見開き、口をあんぐり開けていた。
 それはそうだ。
 家の奥から頭が半分坊主状態の虎刈り娘が現れたのだから。
 おじさんは肝を潰し、
「あの・・・ここにサインを、お、お願いします」
と言うのが精一杯のようだった。
「あ〜、ハイハイ」
 敦美がさらさらとサインをすると、おじさんは逃げ腰になりながらも、
「あの、れ、冷凍庫で保存しておいて下さい」
 さすがプロ、そう言い残すとそそくさと保科家の玄関から消えた。
 宅配物を確認する。
 送り主は北海道の親戚。中身はどうやらカニのようだ。
 ――今夜はカニ鍋か?
 坊主記念にいいかも知れない。鍋をつつきながら熱燗を、グイッと。普段は発泡酒を飲んでいるが、坊主になると何故か日本酒が飲みたくなる。

 ふたたび、洗面所に戻った。
 ――さて、と。
 バリカンを握ると、スイッチを入れ、右の鬢を残らず刈った。
 そして、左鬢も右鬢と同じ要領で刈る。
 側頭部を鏡に向け、横目で確認しながら刈る。
 モミアゲを削り、耳を出し、縦に横にバリカンを動かす。
 ブイイイイィィィン
 ジャジャジャジャジャジャアアアアァァァ
 ブイイイィィーン
 ジャジャ、ジャジャ、ジャジャジャアァ
 ――いいね、いいね、いい感じだね〜。
 ニンマリする。
 去年の今頃は、通販で1万円以上するトリートメントを購入して、
 いいね、いいね、いい感じだね〜
と髪のケアに余念がなかったのに、それが一年後、嬉々としてバリカンで丸坊主になっている。変われば変わるものだ。
 髪が雪崩れのように落ち、もはや会うこともないかと思っていた修行尼僧の眞光(しんこう・敦美の僧名)との再会を果たしつつある。
 左の鬢もきれいに落とし、最後に後頭部を刈り上げた。
 自分で自分の後ろ髪を刈るのは難しいが、敦美のセルフカット技術は修行時代の経験でかなりのもの。最初は普通の持ち方で、おおまかに刈ると、次は逆手で丁寧に刈った。
 ブイイイイィィィン
    ジャジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャジャジャアアアァァァ
 しぶとく粘っている残り髪も入念に刈り込んだ。
 ブイイイイィィィン
    ジャジャジャジャ
 ブイイイィィィン
     ジャジャ、ジャ、ジャ、ジャ
 敦美は見事に自身で自身の頭を丸坊主にしてしまった。
 ――久しぶり!
と鏡の中の坊主頭に微笑みかける。笑顔には一点の曇りもなかった。
 ――やったなあ。
という満足感があった。
 ――涼しい〜!
という爽快感があった。
 ジャバジャバと洗面台で頭を洗い、飛び散った髪をかき集めて、ゴミ箱に放り込んで、敦美はたった一人の断髪式を終えたのだった。
 頭を撫でる。
 ジョリジョリして、
 ――この感触、懐かしい! たまんね〜!
 心ゆくまで、さすりまくった。

 当然ながら、家族や友人など周囲の人たちは、突然、再坊主を敢行した敦美に驚いた。
 父だけは、
「尼僧はやっぱり坊主頭だよなあ」
とニヤニヤ笑っていた。
 とりあえず再坊主にした夜は、ガッツリとカニを堪能した。
 お猪口をなめなめ、
 ――やっぱボウズには熱燗だあねえ。
と満足&満腹する敦美だった。
 一週間に一度くらいの割合で、頭を刈る。
 ――快適、快適。

 そのうち彼氏ができた。
 最初はウィッグでごまかしていたが、初Hのとき、ウィッグがはずれてバレてしまった。
 フラれるか、と覚悟したが、案に相違して彼氏は坊主頭を受け容れてくれた。むしろ、尼僧を抱く背徳感に昂奮していた。
 有髪の頃の写真を見せても、
「今の敦美の方が、好きだなあ」
と言ってくれる。
 だから、敦美は坊主頭を続けられている。
 ちなみに彼氏はロン毛。
 現在同棲中のアパートの洗面台にふたり並んで、敦美はせっせと坊主頭にバリカンをあて、彼氏は長い髪をセットしている。奇妙なカップルだ。
 でも、
 ――これはこれでアリでしょ。
と思う。
 剃りあげた頭皮に冬の訪れを感じつつ。



(了)



    あとがき

 結構久しぶりの新作です♪
 今回の尼さんは「剃髪にハマる尼さん」です。
 ブイイィィン、ジャジャジャアァ、バサバサ、で行数稼いでないか?とのツッコミもあろうかと思いますが、そんなことはありません(汗)
 ただ、最後まで書いてみて、「あれ、最近ストーリーの流れがパターン化してないか?」という不安はあります。マンネリというか。。。
 最初は必要に迫られて渋々坊主頭にしたけど、楽なので続けてます、という尼さんも結構いらっしゃるみたいで(?)、そういう話を書いてみたくなりました。
 で、実際書いてみたものの、なかなか上手くいかず、何度もリライトするハメになり、四月、ようやく脱稿。
 こういう、ドラマもスリルも感動もない「有り難味のない尼僧剃髪」、結構好きです。
 「髪ウザいし坊主にしちゃえ〜」的なノリの話をもうちょっと突き詰めていきたくもあります(需要はあるのか?)。
 最後までお読み下さり、感謝感謝です!!




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