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引き寄せる


 引き寄せの法則
というのをご存知だろうか。
 いや、僕も書店でパラパラと拾い呼んだ程度の知識しかないのだけれど、

 ――曰く、思考は現実化する。

 強くイメージしたこと、強く望んだことは現実になるんだそうな。
 お金を望めばお金が引き寄せられ、恋を望めば恋人が引き寄せられる。
 本当かいな、と我が半生(っていうのは大げさだが)を省みて、はた、と膝をうちたくなる気持ち(立ち読み中なので気持ちだけ)に駆られた。
 なるほど。
 いちいち挙げていけば、きりがないが、確かに僕が自分のフェティシズムを解放してからというもの――単純に言えば、女が髪切られるの見てぇ〜、と切望するようになってから、そういった欲求を充足させてくれる数々の僥倖に遭遇するようになったような気がする。
 それらの体験の中から、まず真っ先に思い浮かんだのは、美杉佐那子先生のことだった。

 美杉佐那子先生は、「先生」といっても学校の先生ではない。
 お寺の娘さんで、実家の庫裏の一室にピアノをおいて、地元の女の子に個人レッスンをしていた。
 僕の姉の雅代は9歳くらいから佐那子先生にピアノを習っていた。
 僕はピアノを習ってはいなかったけど、よく姉にくっついて行って、佐那子先生の部屋で先生の蔵書とおぼしき少女漫画を拾い読みしながら、レッスンが終わるのを大人しく待っていた。
 レッスンが終わると、佐那子先生が姉や僕に紅茶を淹れてくれて、三人で飲んだ。珍しい高価そうな洋菓子も出た。
 最初はお茶やお菓子が目当てだったけれど、いつしか僕の関心は、このささやかなティーパーティーの女主人へと移行していった。
 佐那子先生は当時、二十代だった。
 色白で背はさほど高くなかったが、スラリとスマートな身体つきをしていた。瓜実顔で垂れ目で、雅代姉ちゃんは「佐那子先生、美人だよね〜」と言ってたけれど、僕はそんなに美人とは思わなかった(先生、ゴメンナサイ・・・)。
 でも物腰に品があり、声がメチャメチャかわいらしかった。
 顔だって美人じゃないけど(重ねてゴメンナサイ)、僕の好きなタイプだった。
 正確に言えば、先生の顔が好みだったというより、先生と出合ったことで、先生みたいな顔の女性が僕の好みのタイプに設定されたのである。
 佐那子先生は僕を、マー坊、マー坊、と可愛がってくれた。先生は一人娘だったから、僕のことを年の離れた弟のように思ってくれていたんじゃないだろうか。
 僕も、
「マー坊、マー坊、ってマーボー豆腐みたいに言うな〜」
と表向きは不満を表明しつつ、佐那子先生にベッタリ懐いていた。
「マー坊もピアノ習えばいいのに」
と佐那子先生はよくすすめた。僕は、男がピアノなんておかしい、と勧誘を断った。
「歴史に名を残している音楽家は皆、男なのになあ」
と先生は笑って、僕の頭をポンポン叩くようになでた。
 無邪気を装っていたが実はマセガキだった僕は佐那子先生のふっているコロンの微かな匂いに、トロンとなっていた。雅代姉ちゃんや姉の友人の岩倉理子にはない「大人の色香」に甘く酔った。
 佐那子先生は肩甲骨の下まであるロングの黒髪をうなじでまとめていた。シックな色や柄のシャツやブラウス、セーターを好んで着ていて、その清楚な外見が、いかにも(僕にとっては)「ピアノの先生」って雰囲気だった。下はジーンズのことが多かった。その辺は若者らしくて、落ち着いた上半身と絶妙にバランスが取れていた。

 そして、時は過ぎ、桜咲く或る日の午後、雅代姉ちゃん(と岩倉理子)は中学進学を機に、一気にロン毛を始末され、「家庭のお姉ちゃん」から「地域社会のお姉ちゃん」へ、同年同月同日、僕は「潜在的断髪フェチ」から「自覚的断髪フェチ」へとそれぞれ新しいステップをのぼった。前者は間違いなく格上げだが、後者については何とも言えない。

 雅代姉ちゃんは中学ではバトミントン部に入った。
 バトミントン部の顧問が懇談会で、部活一辺倒になるより、さまざまなことをして視野を広げて欲しい、だから小学校からの習い事はなるべく続けさせて下さい、と父兄に要望したため、姉のピアノのお稽古は継続された。物分りのいい顧問のお陰で、僕の「佐那子先生詣で」も断絶の憂き目にあわず済んだ。

 もっとも、つい一ヶ月前とは違って、僕は「狼」になっていた。
 ここを、こう、強く、ね? と姉の指導をする佐那子先生の背中で揺れる髪を見つめながら、佐那子先生、髪切らないのかなあ、切って欲しいなあ、と考えていた。もうすぐ夏だし、バッサリと短く、ジョキジョキ、と脳内に開店した美容院で、佐那子先生の髪をカットしてあげていた。

 入学当時、オカッパを初披露した雅代姉ちゃんを佐那子先生は、
「お姉ちゃんになったねえ」
と地域住民の常套句で迎えた。
 その言葉にもすっかり慣れた姉は
「バリカン入れられちゃいました〜」
と照れて笑っていた。
 髪型の話題はティータイムまで持ち越された。姉は、
「佐那子先生はオカッパになるの、嫌だった?」
と訊ねた。
「実はね、先生、中学高校と私立だったから」
 オカッパ経験はない、と佐那子先生は答えた。
「・・・そうですか」
 雅代姉ちゃんの顔が翳った。複雑な表情になった。表情に浮き出た感情を、僕が意訳すると、
 何ソレ、ここら辺の女の子はみんなやってるのに、この人は免れたの? なんか反則っぽくない? まあ、別に私立進学は個人の家庭の事情だからいいけどサ、だけどオカッパにされたこともない女の人に「お姉ちゃんになったねえ」とか上から目線で言われるの、すっごい納得いかない。
――ってトコだろうか(フェチ的な視点込み)。ノンキャリアの現場の人間がキャリア組に向けるような、嫉妬と不満と屈折した優越感が入り混じったオーラが出ていた。
 佐那子先生も姉のダークオーラに気づいたのか、急いで話題を変えていた。

 その出来事からしばらく経ったある日、修正ペンを借りようと勝手に外出中の姉の部屋に入ったら、
「絶対開封厳禁!!」
と貼り紙された小さなダンボールを見つけた。
 そう制止されると開けたくなる。
 どうせコソコソ描いてる漫画の原稿だろう、と肩をすくめながら、中身を見たら、案の定だった。
 中途半端にうまい漫画の原稿群を、おいおい、トースト食わえながら登校する女子学生なんて実際いないから、とダメ出ししつつ、読み散らしていたら、

 カナ子先生の床屋さん

という奇妙なタイトルの漫画があった。
 ピアノ教師のカナ子(二十代後半・独身)が、やめて! やめて!と哀願しながら、床屋に連行され、床屋の店主ミチエにバッサリとロングヘアーを切られ、オカッパにされてしまう、それだけのストーリーだった。
 オカッパにされ、居合わせた客たちに、「かわいくなったね〜」「サッパリしたね〜」と賞賛され(冷やかされ)、エヘヘ、と恥ずかしそうにヒロインが笑っているエンディングに姉のハッピーエンド信仰を感じた。また、ラストのコマ、笑顔のヒロイン・カナ子の横の理髪師ミチエの「次はバリカン入れようね♪」という台詞に、続編への布石を感じた。
 ヒロインのカナ子先生のモデルは100%、「あの人」だ(ちなみに「ミチエ」は毎月姉の散髪をしている我が家の母のファーストネームである)。
 とりあえず、

 姉貴、怖ェ〜ッ!!

と戦慄した。
 女の世界は横並び・・・。
 その横並び社会において、特権的なポジションにいる佐那子先生、地域社会の通過儀礼を受けずして大人面をしている佐那子先生に対する姉の、許せねー!っていう怨念が原稿にほとばしりまくっていた。
 表向きはニコニコ教えたり教えられたりしてるのに・・・。女性不信になりそうになった。ヘタなホラー漫画より怖かった。

 佐那子先生は、姉には理不尽な憎悪を、弟には歪んだ欲望を自分のロングヘアーに向けられているとは、露知らず、二年後、姉に続いて中学入学を控える僕の髪をなで、
「マー坊もそろそろ坊主か〜、楽しみねえ」
と本当に楽しそうだった。
 で、実際に丸刈りになったあと、カワイイカワイイと目を細め、レッスン後のティータイム中、「セクハラ」と呼びたくなるような勢いで、何度も僕の頭をさわってきた。
 僕が恥ずかしがって抵抗したはずみに、ティーカップがひっくり返った。
「ああ、もォ!」
と佐那子先生は目を剥いたけど、すぐ、
「でもカワイクなったから許しちゃう〜」
と目尻を下げ、また僕の頭をさすった。結構、しつこい人だ。でも甘〜い気持ちになった。
「も〜、佐那子先生てば、カワイイ物好きだから〜」
と一緒にハシャぐ雅代姉ちゃん。この時点で「カナ子先生の床屋さん」は第六部「お仕置きモヒカン編」まで描き継がれ、もはや姉のライフワークになりそうな大河巨編へと膨れ上がっていた。無論、佐那子先生は知る由もない。


 あるいは僕たち姉弟の邪念が佐那子先生の新たなる運命を「引き寄せ」てしまったのだろうか・・・。


 佐那子先生が実家の寺を継いで尼さんになる、という号外物のニュースが飛び込んできたのは、僕が中学二年生の終わり頃だった。
 来月には尼僧の学校に入学するという。
 にわかには信じられなかったが、檀家役員の祖父が持ってきた知らせだから、ガセではない。
 後で聞いたんだけれど、佐那子先生、実家の跡を取ってくれる婿を求め、親のすすめる坊さんと見合いして、縁談はトントン拍子にまとまりかけたものの、成立直前、頓挫(理由は不明)。両親も関係者も落胆した。
 もちろん一番落ち込んだのは、三十路直前の佐那子先生だった。
 今更、また一から見合いし直す気力も失せ、また、他人頼みの人生設計にも嫌気がさし、結局、
「私が継ぐわよ」
と仏門入りを決意したという。
 間もなく祖父宅で法要があり、住職が次期後継のきまった佐那子先生を伴いお参りに来た。
 尼僧学校入学に先立って、得度を済ませた佐那子先生は法衣姿だったが、未練がましくまだ有髪で、ウチの母に、
「佐那子ちゃん、そろそろ坊主じゃないの?」
と訊かれていた。因果はめぐって、二年前の僕と全く同じ状況になっていた。
「ええ、まあ」
 佐那子先生はあまり触れられたくない話題らしく、曖昧に言葉を濁していたが、バリカン好きの母は
「家で刈ってあげようか? バリカンでバ〜ッって」
と佐那子先生の髪にエアーギターならぬエアーバリカンを入れた。有髪尼僧は檀家のオバチャンの子供じみたイタズラに目を白黒させ、
「やめてくださいよ〜」
と本気で嫌がっていた。坊主の僕をイジって喜んでた先生だったが、自分が坊主頭になるのは激しくイヤなようだった。・・・昂奮した。

「佐那子先生、ボウズ似合うかも」
と雅代姉ちゃんは理子に好奇心たっぷりに話していた。
 一応、先生の顔を知っている理子は、う〜ん、似合うかもね、と自信なさげに同意していた。
「雅也、アンタの愛しの佐那子先生がボウズの尼さんになっちゃうよ〜」
と雅代姉ちゃんは意地悪く僕に言った。
「雅也、佐那子先生のことが好きなの?」
 理子はフッと顔を曇らせた。僕と理子はそのちょっと前から付き合い始めていた。「付き合う」と言ったって一緒に街に映画を観に行ったりする程度だったけど。
「コイツ、ちっちゃい頃から佐那子先生目当てでピアノのお稽古にくっついてきてサ」
 佐那子先生もお気に入りなのさ〜、と雅代姉ちゃんは弟と親友の恋路に水を差してくれやがった。
 理子は、
「へえ、そうなんだ」
と露骨に不機嫌な顔をした。
「そんなんじゃねえよ!」
と僕はあわてて打ち消したけど、理子の機嫌は直らなかった。

 理子に悪いと思いながらも、佐那子先生の最後のレッスンに姉のお供をしてしまう僕である。
 この日、恒例のティータイムはなかった。
 先生は尼僧学校の入学準備で忙しかったからだ。
 頑張ってくるね〜、と佐那子先生と姉が話しているのを横目に、何気なくカレンダーを見たら、今月の最終土曜日の日付が赤ペンで囲んであって、
 尼僧学校入学式
と書き込まれていた。
 いよいよか、と密かに胸をときめかせる。
 さらにその二日前にも赤丸がしてあって、

 佐那子剃髪

としっかり書き込まれていた。
 この五文字に、僕は昂奮のあまり鼻血が出そうになった。
 佐那子先生が自分で「佐那子」なんて書くわけがないので、親御さん、字体からして母親が書いたのだろう。先生に自主的にテキパキ剃髪する覚悟ができているならば、わざわざこんな記載をするはずもない。いざとなって剃髪することに腰が退けている娘に暗にプレッシャーかけてる感じ。佐那子先生、毎日カレンダー見るたび、ブルーになってんだろうなあ。
 色々妄想してしまった。
 剃髪予定日まであと三週間足らずか。
・・・などとかわいいマー坊が不吉な計算をしていることも知らず、佐那子先生は、
「雅代ちゃん、マー坊、お茶出せなくてごめんね。コレ、お家で食べて」
と箱詰めのシュークリームをくれた。僕は、
「先生、頑張ってね」
とこれが見納めになるであろうロングヘアーの先生を心に焼き付けた。・・・・・・・・・・・・後でギャップを楽しむために。
 ほんと、ごめんね、先生。これは善悪のレベルを超えて、もう、「業」って呼んだ方がいいかも。
「頑張るね」
と坊主17日前の先生は握りこぶしをつくって応じてくれた。
 高校に入ってから髪を伸ばしはじめた雅代姉ちゃんは、
「大丈夫だって、先生。髪なんてすぐまた伸びてくるから」
と「バッサリの先輩」としての上から目線で先生を慰め、佐那子先生はさすがに高校生相手に泣き言を言うわけにもいかず、
「そうだね」
と作り笑顔で首肯していた。
 ピアノの前、三者三様の思惑が入り乱れていた。

 それから17日間というもの、僕は、一日、一日と過ぎるたび、ああ、あと16日で佐那子先生が坊主頭に、あと15日で、あと二週間で! さ、さ、佐那子先生〜が、あのロン毛をバ、バッサリいっちゃって、ま、ま、丸坊主にィィ〜! み、見てえェ〜! と超外道なカウントダウンをして、108の108乗くらいの煩悩にまみれた日々を送ったのだった。
 表向きは、おう、小山内、球走ってるゼ、絶好調だな、と健全な野球部員を装っていて、丸刈りのクセにモテていた。
 モテてはいたが、勿論、僕は理子一筋。佐那子先生が剃髪するはずの日も理子とデートしていた。ああ、こうして年上の彼女のショッピングに付き合わされている間にも、日本の尼僧人口は確実に、アップしている。今頃、先生は・・・、と悶々としながら。

 夕暮れ、帰り道、
「あれ?」
と理子が指差した先に、奇跡。
 また、「引き寄せ」てしまったらしい。
 商店街の裏路地にひっそりとある理髪店。車一台が通れるくらいの幅の道路を隔てて、理髪店の専用駐車場があって、
「あそこ、あの床屋さんの駐車場にとまってる車」
「ああ!」
 佐那子先生が普段乗っている黒のカローラがとめてあった。ナンバーもよくおぼえてないけど、なんか先生の車のナンバーと同じような気がした。
 理子と目配せを交わす。
 理子も好奇心いっぱいの目でうなずいた。
 心拍数があがる。抜き足、差し足、タタタタと小走り。
 せーの、
で二人一緒に中をのぞいたら――

 やっぱり佐那子先生だった!

 すでに粗切りは済んでいた。
 姉のミスだらけのピアノに「雅代ちゃん、家でちゃんと練習してる?」とイラつき気味に佐那子先生がかきあげてた黒髪は、床やケープに、クッタリ、散らばっていた。南無三。
 佐那子先生は「ピアノ先生」から「女子プロレスの新人」、あるいは「競艇選手の卵」、あるいは「ヨゴレ女芸人」、あるいは「肝っ玉おっかさん」といったブラウスよりジャージの似合うベリショ・・・いや、タンパツにされて、坊主頭になる下ごしらえをキッチリされていた。
 佐那子先生の文化系お嬢様ロングから、漢前な体育会系タンパツ(どうしても「ショート」とは呼びたくない)への変身にドキドキした。そして、もうすぐ宗教系剃髪に・・・。
 理子は、
「ウシシシ」
と無防備に楽しんでいる。
 これは余談だが、オカッパ校則経験者は二種類に分かれる。
 反動で短髪アレルギーになる者、短髪にハマり散髪大好きっ娘になる者。
 前者は雅代姉で後者が理子だった。
 短髪信者に生まれ変わった理子にとっては、自分のヘアーカットは勿論、他人のバッサリも無上の悦びなのである。「自分も皆もサッパリした頭になること」が理子の快感なのだ。
 しかも散髪されているのは、親友によって「恋敵」との刷り込みをされてしまっている佐那子先生。
 また、理子は以前、雅代姉ちゃんから佐那子先生がこの地域では滅多にいない「バッサリ処女」と聞いて、
「そりゃあ、ダメだよ」
といっていた。何がダメなのかはよくわからないが、「一回は短くしないと」「雅代がそれとなく切るようにすすめてみなよ」と雅代姉ちゃんにしきりに、まるで狂犬病接種をうけていない犬の飼い主を責めるが如く、力説していた。

 佐那子先生より年下っぽい床屋のお兄さんが髪を短くされまくった先生にティッシュを渡している。
 涙を拭くのか、と思っていたら、鼻をかんでいた。
 うんうん、と理子は満足そうにうなずいている。
 理子は、
 いよいよ貴女もね。大丈夫よ、最初はつらいだろうけど、慣れちゃえば平気なんだから。ウフフフ。
といった経験者が未経験者に向ける慈愛に満ちた上から目線で、三十路を前に「はじめてのバッサリ」「はじめての床屋」「はじめてのバリカン」と初めて尽くしの先生を見守っている。
 たびたび持ち出して恐縮だが、
 僕の断髪フェティシズム
 雅代姉ちゃんの横並び意識
に加え、
 理子の短髪信仰
がこの佐那子先生のヘアーカットを「引き寄せ」たのかも知れない。イヤな地域である(特に雅代姉ちゃん、誰にも見せられない門外不出の超大作「カナ子先生の床屋さん」実写化実現である。作者冥利に尽きるのではないだろうか)。
 そして佐那子先生はこれから、理子も雅代姉ちゃんも、たぶんこの地域の女性が誰一人として未だ踏み込んだことのないレベルの断髪を執行されようとしていた。
 僕は固唾をのみ、理子は喜色満面で、床屋のガラス越し、先生の過酷な運命を見守っている。
 床屋のお兄さんがカット代の引き出しを開けて、来るか、と予想していたら、やっぱりバリカンを握っていた。
「尼さんでもバリカン使うのか〜」
 理子は妙な感心をしていた。
 床屋のお兄さんがバリカンのスイッチを入れた。
 佐那子先生は不貞腐れたような表情で目を閉じていた。
 床屋のお兄さんも何故かムスッとしていた。
 お兄さんは佐那子先生の側頭部の髪の生え際に容赦なくバリカンを入れた。
 バリカンを入れられた瞬間、佐那子先生が目を閉じたまま、
 ひぃ、
といったふうに小さく顔をしかめた。
 スーとバリカンがすすんでいって、止まり、押し上げられた髪がバサリと床に落ちた。

 うわ〜、
と理子が声にならぬ悲鳴をあげた。顔は半笑いだった。
 佐那子先生は眉間に皺を寄せ、でも丸刈り中の自分を見る勇気はないらしく、目は閉じたままだった。
 理髪師がまたバリカンを入れた。ジョリリ〜、とコメカミ付近の髪がもっていかれ、青白い部分が広がった。
 先生がさらに顔をしかめた。剃髪の精神的苦痛と、それに怖いもの見たさで、鏡の中の今の姿を確認したい、っていう衝動に耐えてるようだった。衝動に逆らって、ギュッと強く目を瞑る佐那子先生に代わり、僕が剃りかけ頭を凝視する。
 清純派知的女性・佐那子先生とバリカン・・・。
 そのチグハグさがなんともたまらない。

 僕の脳裏に佐那子先生との思い出が走馬灯のように甦る。
 優しかった佐那子先生、ピアノのうまかった佐那子先生、八重歯のかわいい佐那子先生、その八重歯に青海苔つけてた佐那子先生、ブラの肩紐が見えてた佐那子先生、お腹の調子が悪かったらしくレッスン中、トイレにたち、なかなか戻ってこなかった佐那子先生、ティータイムのとき、子供相手にイエスとかマーク・ボランとか洋楽の話を延々と語って聞かせてくれた空気の読めない佐那子先生、あんまりできてないのに、「まあ、いいか」とバイエルに○をつけて次の練習曲にすすめた大雑把な佐那子先生
 ・・・と、なんだか佐那子先生がダメな人みたいだが、それは違う。先生は立派なレディーである。僕が他人の悪い部分ばかり拾ってしまうダメ人間なのだ。

 佐那子先生は誘惑に耐え切れず、ゆっくり閉じていた両眼を薄目がちに開いた。この段階でバリカンを七回入れられ、残り髪が見苦しく感じられる。
 ショックを受けたようだったが、うん、と強引に自分を納得させていた。納得する以外ないんだけど。
 さらに二回バリカンが入って、片鬢剃り上げられたとき、床屋の店内を覗く僕たちに気づいて、
 ――あ!
と口を開けていた。ジョリ。
 驚く先生に僕たちは気まずそうな笑顔で応えた。
 先生は、見ないでよ、というふうに渋面をつくった。僕たちは、いや〜、すいません、という笑顔で床屋の店先に居座り続けた。鏡経由のこの表情のやりとりが何度もあって、先生はあきらめて、散髪を見物させていた。恥ずかしそうだった。
 ほんのり頬を染めながら、うなじを刈られる先生。青い頭が艶かしい。
 佐那子先生は僕たちに向けて、眉を動かしたり、口を尖らせたりしてみせて、
「ああ、アレ、ついやっちゃうんだよね〜」
 切られてる間、間がもてなくて、と理子は激しく共感していた。
 暇、照れ隠し(虚勢)、サービス精神が三大原因だという。
 でも十代少女みたく頬をプ〜と膨らませてたのは、ちょっといただけなかった。自意識過剰すぎだ。
 先生はたちまち頭頂部の髪をパイナップルみたいにされた。ここの辺りの床屋では新中学生の男子が初めて丸刈りになるとき、「お遊び」で一旦、こうしたモヒカンにする店もあるという。床屋のアンちゃんもついいつものクセ遊んでしまったらしい。
 男子中学生向けのお遊びを加えられてしまった佐那子先生は、
 あら?
という間の抜けた顔になり、すぐに屈辱に顔を歪め、呪うように自らのモヒカン頭を睨みつけていた。やがてモヒカンがきれいに刈り落とされると、やや安堵したふうにいからせた肩を落とした。
 シェービングされる先生。疲れきった顔をしていた。
 剃髪が完了すると、先生は理髪師に何かことわって、店の奥に入っていった。
 トイレかな、と思っていたら違って、それまで着ていたブラウスを脱いで、紺の作務衣に着替えていた。首から下もさっぱりと尼僧っぽくなった。
 会計しながら、理髪師と二言三言、会話を交わしていた。風邪ひかないでよw、なんてからかわれていたのだろう。
 店を出ると、モジモジしている僕たちに、
「見てたわね」
と破顔した。そして、剥き玉子のような坊主頭をなで、
「寒〜」
と首をすくめ、
「マー坊より短いな」
と自嘲して、また笑った。
 プ〜ンと床屋臭が鼻をつく。あのしっとりとしたコロンの香りが懐く、寂しい気持ちになった。
 それから佐那子先生の車で理子と二人、家まで送り届けてもらった。
 短髪&バリカン好きの理子はありえないくらいのバッサリをやってのけた先生にすっかりリスペクトモードで、
「たまんねッス。鼻血出そうッス」
と、まるでエロ男子高生のように、何度も剃りたての坊主頭にタッチしていた。
 先生はどこの誰かもよく知らない小娘におとなしく頭を触らせていた。
 僕はといえば、車内に充満する床屋臭に、興奮と寂しさが入り混じった心境だった。
 途中、乗用車の下手な割り込みに、舌打ちする先生が一瞬、「その筋の人」に見えてしまったのは内緒だ。
 ちなみに帰宅した佐那子先生、服装まで尼僧にチェンジしたのが仇となって、人間違いされ、実家の犬に吠えられたそうである。

 その後、佐那子先生は尼僧学校での修行を終え、地元で住職見習いとして頑張っている。
 お盆には住職の代わりに、我が家にお参りに来た。
 尼僧らしくなった先生に母も、
「もう、『佐那子ちゃん』なんて呼べないわねえ」
 副住職さん、て呼ばなきゃ、と嬉しそうだった。
 先生の朗々とした読経を聞きながら、甘酸っぱい気分になった。
 とりあえず、一句、

 初恋の 彼女が今年 盆参り

 その初恋の佐那子先生に、僕が筆下ろししてもらったのは16歳のときである。
 当時、理子とうまくいってなくて、クサっていた頃で、つい出来心で・・・まあ・・・ね・・・でも、初体験の相手が尼さんて・・・どうなのかな・・・(汗)
 佐那子先生はやっぱり優しかった。身体からはお香の匂いがした。ことが終わったあと、
「まさかマー坊とこうなっちゃうなんてねえ」
と感慨深げだった。
 ヤラせてもらったうえに、
「コレで彼女にプレゼント買ってあげな」
 ちゃんと仲直りするんだよ、と小遣いまでもらってしまった。すっかり「姐さん」の貫禄があった。
 そのお陰もあり、僕と理子はその後復縁した。先生、ありがとう(涙)
 そして、佐那子先生は結婚した。
 婿さんはあの床屋のお兄さんだった。先生の初剃りを担当した人。意外なチョイスだ。
 もしかしたら、と思う。
 自分の道を自分自身で切り開こうとした佐那子先生の決意が、彼女のその後の未来を引き寄せたのではないか、と。
 さらに思う。
 僕も引き寄せたい、と。
 ――幸福を。
 ――強い自分を。
 ――本当の意味で優しい自分を。

 引き寄せの法則の本を書棚に戻す。
 書店を出たら、小雨がパラついていた。
 春雨じゃ、濡れていこう。
 雨の中、傘もささず歩く。
 静かに降る雨の向こう側で、佐那子先生の弾くソナチネが朧に鳴っているように思えた。
 しばらくセンチメンタルな気分に浸った。



(了)



    あとがき

「岩倉理子」から「妙久さん」の間の頃――2008年の末から2009年の前半あたりに書いた小説です。
一時期、興味があった引き寄せの法則にからませたりしてます。
それと迫水も子供の頃、ピアノを習ってたんですが、ピアノの先生(すごい美人)がある日、肩下まであった髪をボブ、さらにショートにした時はすごい興奮しまして、その経験も基になっているのかもです。
例によって年上の女性のバッサリで、その後の「妙久さん」シリーズに通じるところがあるなあ、と読み返していて思いました。
「岩倉理子」のキャラで「妙久さん」っぽい内容をやった感じです。書き上げる直前になって、主人公の語り(話の進行)が冗長だし、、それに安易な続編もどうかと思い、一旦お蔵入りになりました。
しかし読み返してみると、結構面白かったので、今回、こうして発表させて頂くことにしました。
楽しんで下さると嬉しいです(^^




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