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恋ノ極致


 世間は春。
 我が家も春。
 世間で鳴いているのはウグイスだろうけれど、我が家で今、うるさく鳴いているのは、
 ウイイィィン、

 ウイイイィィン、

 ウイイィィン

 バリカンだった。
 バリカンは愛想もヘッタクレもなく、我が家の長女、倫美(ともみ)の髪に押し込まれ、ジャリジャリと彼女の頭を青〜く、丸〜く剃りあげていく。
 頭を刈られてる倫美のやたら神妙な表情に、私は思わず、プ〜ッと噴き出した。
 けれど倫美も周囲の連中も、シリアスな顔つきのまんま。笑った私が「空気読めてない」みたいな感じになってしまった(汗)なんでだよ〜。倫美がクリクリ坊主になるんだよ?
「倫美、お互い頑張ろうな」
 剃髪中の倫美の傍らの伸也さんが婚約者に声をかけた。この人もすでに坊主頭。

 え〜、春と言えば〜(笑点ぽく)、世間的なキーワードは「入学」とか「花粉症」とか「プロ野球開幕」とか色々あるだろうが、寺社会的には何といっても

「出家」

である。
 雪が融け、桜が芽吹く頃になると、寺族の間でヒソヒソと、どこそこの寺の息子が学校を卒業して四月から僧侶の修行に行く、だの、あの住職の娘さんが尼僧学林に入学する、だのといった会話が交わされるようになる。それがお寺の春。
 ウチの寺でもこの春、二名の修行僧が誕生。
 長女の橘倫美――僧名・倫命(りんみょう)、二十四歳、牡牛座のA型、特技は指の関節をポキポキ鳴らすこと――とそのフィアンセの布施伸也――僧名・啓伸(けいしん)、二十二歳、蠍座のO型、特技はどこででも寝られること――である。
 伸也さんはこの春、仏教系の八頭大学(三流大)を卒業、姉の倫美は家事手伝い(全然家事しないけど)。仲良く揃ってお坊さんになる。
 二人の出会いは八頭大のキャンパス。当時、倫美は三年生、伸也さんは一年生だった。
 倫美は「婿さがし」のために八頭大学に通っていた。
 仏教系の大学だから、寺の子弟は佃煮にするほどいる。そういう連中の中から、継ぐ寺のない次男坊三男坊をつかまえるつもりでいた。
 だが、倫美がゲットしたのは、なんと在家の男子学生。
 伸也さんはごく普通のサラリーマン家庭に育った。別に僧侶になる気はさらさらなく、将来は福祉関係の仕事を目指し、そっちの方面にも力を入れている八頭大に進学。そこで倫美に捕獲されてしまったわけ。
 シークレット情報だが、我が姉倫美に対する伸也さんの第一印象は、
 45点
だったそうだ。酒に酔った時、コッソリ私に洩らしてくれた。
 まあね、倫美、あんまり可愛くないし、性格も良くないし、オタクだし、身なりも構わないし、だから二十一年間、彼氏ができなかったわけで、割とイケメンで温厚で紳士的な伸也さんが第一印象とは裏腹に交際に踏み切ったのは、まさに縁は異なもの、ラッキーだった。
 めでたく処女を卒業した翌年、倫美は大学も卒業した。卒業続きで疲れたのか、家に落ち着き、「笑っていいとも」を見ながら“朝食”をとるカジテツ女になった。
 伸也さんとの関係も良好だった。好人物の伸也さんはオタクの倫美に付き合って、コミケとかコスプレパーティーに行っていた。
 初めての恋人を得て、舞い上がる倫美を私は、
 ふふん
と横目でせせら笑っていた。
 不出来な姉と違って、私は勉強できるし、スポーツもできるし、働き者。ルックスも自分で言うのもアレだが、まあ、美人だし、小学生の頃からモテまくっていた。いま現在、彼氏は三人いる。
 三人の彼氏を巧みに捌き、寵を競わせるという離れ業を見事にやってのけている私にとって、倫美の恋愛など所詮「おままごと」に過ぎない。
 だが、倫美&伸也カップルがこの「おままごと」を社会レベルで承認させようとしたときには、さすがに驚いた。
 結婚を望む二人に住職の父も住職夫人の母もなかなか首を縦に振ろうとはしなかったが、結局二人の熱意に負け、昨年婚約成立。伸也さんは我が寺の婿養子として、この春から僧侶の修行をすることになった。
 ところがそうは問屋が卸さない。
 寺っていうのは結構面倒なのだ。
 特にウチみたいに何百年って格式ある寺だと、檀家にうるさ型のジイサン連中がいっぱいいる。福袋に詰めたいくらいに。
 早速、
「在家の息子では心許ない」
と物言いがついた。婿養子を取るならば、是非、寺院社会の機微に通じている寺の子弟に来て欲しい、との檀家サイドからの強い要望に、倫美の結婚は一時暗礁に乗り上げた。昨年末のことである。
 困惑した両親も婚約を白紙に戻すべきか否かを検討しはじめた。
 さて倫美よ、どうする?
 傍観を決め込む私。
 ここで倫美、
「それなら」
と一世一代の決断をする。
「アタシも尼さんになって、伸ちゃんをサポートする!」
 それならいいでしょ?と。
 倫美の決心に檀家も黙り、騒動は沈静。
 恋に破れて尼さんになるって話はよく聞くけど、倫美の場合、恋を貫くために尼さんになるのである。寺を飛び出すって発想がないところが、倫美ってやっぱり長女気質だ。お陰で私は自由な未来を手にしたわけだが。

 無論吐いた唾は呑めず、倫美の尼僧修行も決定。一ヶ月前には名前も知らなかった尼僧道場の入門願書をせっせと書く倫美。人生一寸先はわからない。
 当然ヘアスタイルも尼僧道場規定の
 「1ミリ以下」
のボウズにしなくちゃならない。

 ロングヘアーに対する倫美の執着は半端ではない。
 私が物心ついたときから倫美はずっと黒髪ロングだった。私は長い髪の倫美しか知らない。
 オカッパが嫌だと駄々こねて私立の中学に入り、本当はハンドボールをやりたかったらしいが、中学のハンドボール部はショートにする決まりだったので、じゃあ、と適当に入った漫研でオタクの道に分け入った。あとは、ライク・ア・ローリング・ストーン・・・。
 実は倫美はすでに得度している。本山の集団得度式で。
 その際、「剃らなくてもいいから、せめて短く揃えろ」という父と衝突。「絶対切んない」と家出までしてヘアカットを拒否した。大学生なのに。
 もしかして「髪は切らない! アタシは自由なんだ〜!」とか甘ちゃんなことを考えてるかも知れないけど、私に言わせりゃ、この人、ロングヘアーの囚人である。ロングヘアーへの固執が、髪型だけじゃなく、倫美の人生の幅を狭めているように思えてならない。
 必要なら髪を切る
っつう柔軟性こそが、人生の選択肢を増やす。人を成長させる。そう私は思う。
 髪を切るきっかけは学校だったり、体育会系の経験だったり、就職だったりする。それら全てを回避してきた倫美はついに大人になり損ねてしまったんじゃなかろうか。
 倫美も美容院には行く。毎月、ロングヘアーの手入れを怠らない。ヤツの唯一のファッション的なコダワリだ。一回三時間、二万円もするケアに余念がない。親の金でだが。
 私は倫美の髪に敵意を抱いてた。
 私は倫美と違って、粛々とオカッパにして地元の中学に行ったし、高校時代は運動部かけもちしてたから、邪魔にならないように自主的に短く切って、でもヘアカタログみて、お洒落な感じにしていた。
 そんな私にとって、倫美のオタクっぽいバージンロングヘアは癇に障るものでしかなかった。ワガママの象徴。カマトト。未熟。不潔っぽい。だらしない。順応性なし。頑固。偏狭。盲目的。不精。臆病。甘ったれ。保守的。閉鎖的。浪費。すねかじり。
 まあ、一言に要約するとしたら、「目障り」。
「倫美、髪カットすれば?」
と何度も言ってみた。
 が、そのたび、倫美は
「うるっさいなあ!」
とそんなに怒んなくても、と戸惑うくらい怒った。
 どうやらこれまでも友人たちからも似たようなことを言われてまくっていたらしい。両親にも結構短髪をすすめられてた。こうした経験が倫美を一層頑なにして、
 髪を切れ
と言われると、発作的に拒絶反応を起こすようになってしまったようだった。

 ところがその「必要」が唸りをあげて突っ込んできたね。
 しかも一気にボウズ・・・。まるで今までのツケを一気に払うかのようだ。

 案に相違して、倫美はあっさり剃髪を受け容れた。むしろ本望そうでさえあった。
 たぶん倫美の中で優先順位が入れ替わってしまったんだろう。「髪<結婚」、あるいは「髪<恋人」と。
 幾らロングヘアーを維持できたところで、好きな男との恋が実らなければ、意味がない。
 剃髪修行が好きな男と結婚するために、必要な過程ならば、躊躇わず実行する。倫美にとってそれが喜び、それが幸福なんだろう。だからロングヘアーへの執着をいとも簡単に放擲してしまった。
 聞くだけで背筋が凍るような尼僧道場の修業についても、かなりビビッていたが、翌日から黙々とジョギングを開始してた。プールやスポーツジムに通い、人生ではじめて「身体を鍛える」という行為を行い始めた。
 お経や僧衣の着付け、所作の練習も毎日欠かさずやっている。
 所持していた同人誌(女みたいな男がホモッてるやつ)やコスプレ衣装も、ある日、全部庭で燃やしていた。
 こりゃあ、かなり本気だな。
 倫美は瞬く間に大人の階段を上っていた。

   ただ一度、
「どうせ剃るんだったら、巻き髪とかカラーリング、試しとけば良かった」
とボヤいたのが、唯一の未練だったといえる。
「修行が終わってから伸ばせばいいじゃん」
 それから巻くなり染めるなり好きにすればいい、と私は言った。
 修行期間はなんと三年! 得度を済ませた寺の子弟なら一年でOKなんだけど、在家の伸也さんの場合、二年やらなくてならない。で、檀家を納得させるために、もう一年。倫美も婚約者にならって、俗世間を三年間、留守にする。三年間は坊主だ。髪を伸ばすのは、まだまだ先の話だが、修行後は自由なので救いはある。
 だけど、
「巻き髪の尼さんなんてアリエナイよ」
と倫美は苦笑した。確かにそりゃあそうだな。
「それに――」
と倫美はさびしそうに笑った。
「もう髪、伸ばさないつもりだし」
「ずっと坊主でいるの?」
「坊主でいるつもりはないけど・・・子供ができてお母さんが頭ツルツルじゃ嫌だろうし・・・でも、短くしておこうと思ってる。ベリショぐらいに」
 その方が尼さんらしいし、と長い前髪を愛憎半々、上目遣いで触りながら、倫美は言った。尼さんライフの覚悟を決めているようだった。
 ああ、そうなんだ、と私は倫美を見つめ直した。不意に長い髪の倫美を記憶に留めておきたくなったから。

 伸也さんが修行に行く前日は、ポカポカ陽気のいかにも、春だなあ、って日だった。
 伸也さんは我が家のチャイムを押したのは、午前九時半頃だった。
 伸也さんは長めだった髪をきれいに落として、剃髪にしていた。昨日床屋でやってもらったという。元がいいのでボーズもよく似合っていた。
 倫美は不在だった。午前中に歯医者の予約があったのだ。
 尼僧道場で歯が痛くなっても、歯医者には行かせてもらえない。悪い歯は修行前に全部治療しておく。それが修行尼僧になる者の心得である。その心得に則って、虫歯だらけの倫美はせっせと歯医者通いを続けていた。
 両親は将来の息子に、頑張ってね、とエールを送って、伸也さんは緊張しつつも笑顔で、
「はい!」
と答えていた。
「倫美と一緒になれるんなら、三年でも五年でも辛抱します!」
 ちょっと頼りなげなところのある伸也さんだけど、婚約者のために頑張るという意気込みが伝わってきた。
 この人ならいい兄貴になりそうだな、と思った。

 母が買ってきた駅前の洋菓子店(結構有名なトコ)のケーキを皆で食べていたら、倫美のスクーターの音がした。テレビで某ローカル番組がやっていたのを覚えているから、まだ十一時にはなっていなかったんじゃないかな。
 倫美は初めて見る伸也さんのお坊さん姿に目を瞠っていた。
「ワオ!」
と嬉しそうに叫んだ。
 そりゃ嬉しいだろう。
 恋人の僧形は、

 絶対お前と一緒になってみせるゼ!

っつう無言の結婚宣言なのだから。
「似合ってる、似合ってるぅぅ〜!」
 倫美、大ハシャギで伸也さんの頭をなでまくる。
「そうか?」
 伸也さんは照れくさそう。
「伸ちゃん〜! 絶対結婚しようねぇぇ〜!」
「おう!」
 二人とも余所目をはばからず、イチャイチャベタベタ。熱い熱い。お父さん、悔しそうな顔で咳払いしてた(笑)
「トモ、あんたの分もあるから、食べな」
 頃合を見計らって母がケーキをすすめた。
「ああ、後で食べる」
と倫美は言った。
「アタシも頭剃った後で」
 この発言には一同、仰天した。
 倫美の尼僧道場行きは十日先。有髪でいられる時間はまだ十分ある。本人も家族もそのつもりで、剃髪予定日を九日後、即ち出立の前日にしていた。
 が、我が姉貴、なんとスケジュールを一気に繰り上げてしまった。
「まだ、いいさ」
 父は娘の機嫌をとるように言った。ギリギリまで娘を長い髪のままにしておきたい父心だ。
「やだ、今、剃る」
 倫美は言い張った。
 出家が決まってから、
「アタシ、坊主似合うかも
「早めに坊主にして慣れておいた方がいいかな
「バリカン、もう買ってあるんでしょ?」
と何気に剃髪したがっている倫美は、父にとって脅威だった。
「そんなに急ぐこともないだろう」
としきりに言っていた。
「なんでぇ〜?」
と倫美は口を尖らせていた。
「昔から切れ切れうるさかったくせにさ」
 そう、以前とはまったく逆の状況。
 ロン毛の倫美をつかまえて、「ユキみたいにサッパリした髪型にしろや」と私を引き合いに出して、叱っていた父だったが、流石に1ミリ坊主の娘は見たくないらしい。サッパリするにも限度がある、といったトコか。

 倫美は今すぐ坊主になると言って聞かず、
「ダーリンがボーズになってんのに、アタシだけノホホンとロン毛チャラつかせてる場合じゃねえんだよ」
 剃らせやがれ、などと、べらんめえ調で啖呵きってた。
 伸也さんの剃髪姿は倫美のハートに火をつけてしまったようだった。
 彼が旅立つ前に、同じ僧形になってみせて、
 アタシも結婚したいよ! だから頑張ろうね!
って婚約者にスペシャルな返答をしたかったのだろう。珍しい愛の表現だ。しかし百億のメールより互いの胸に響くはずだ。
「まあ、どうせ、坊主にしなきゃなんないんだしねえ」
 女親の方が肝が据わっていて、母はバリカンを取りに席を立った。
 その場で倫美を尼僧スタイルに変える作業が行われた(お陰で昼ごはんが遅くなった)。
 母はバリカンの説明書を読んで、伸也さんは畳に新聞紙を敷いて、私はキッチンから肘掛のある木製の椅子を運んできて、倫美は自ら首にタオルとカットクロス(バリカンとセットで売ってた)を巻き、父はオロオロして(笑)、剃髪準備は完璧に整った。

 母がバリカンのスイッチを入れた。
 バリカンの音を間近で聞いたのは、はじめてだけど、うるっさいね、アレ。ウインウィン、ウインウィン、部屋中に鳴り響いて、ビビッた。
 倫美も、
「いきなりバリカン?!」
ってド肝を抜かれていた。まあ、今までのヘアーカットは「枝毛チョキチョキ」レベルだったからね。いきなり「バリカンでウイィィン」はね、焦るよね。
「短く切ってからの方がいいかな」
とバリカンのスイッチをきりかける素人の母に、
「あああ! いいよ! バリカンで、最初からバリカンで、いいよ。バリカンでお願い。いいよ、バリカンで。バリカンで一気にやって! だから、バリカン、バリカンでいいってば!」
 ものすごい勢いでバリカンカットを要求していた。あんまりダラダラ散髪されたくなかったんだろう。倫美の口から、バリカンて散髪用品の名前がこんなに連呼される日が来るなんて、私、去年の今頃は夢にも思わなかったよ・・・。
「わかったわよ」
と母はバリカンを倫美の額の生え際にあてた。
 倫美がスッと真剣な表情になった。
 年下の恋人と添い遂げてみせる!
っていう気迫がビンビン伝わってきた。
 ジャ、と髪が啼いた。母親は、迷いなく、グーーとバリカンを後頭部に達するほどに押し進めた。
 ジョリジョリジョリ〜、と髪が頭のてっぺんまで運ばれて、母の巧みなスナップにより、
 はさっ
と新聞紙に振り落とされた。落髪が一面を飾る総理大臣の顔を隠した。
 ちょっと、伸也さん!と私は義兄になる人を睨んだ。
 これ、今日の新聞じゃん!
 伸也さん、婚約者の突然の剃髪に相当テンパっていたんだな・・・。
 そんなミスを指摘するには、あまりにもシリアスな雰囲気。
 引き返せない感100%の婚約者に
「倫美、ごめんな。俺、死ぬ気で頑張るからな。頭剃ったこと、後悔させないからな」
「伸ちゃん、泣かないでよ〜、アタシ、幸せだよ」
と愛の言葉を交し合っている間に、二度目のバリカンが入れられる。
 さっきの刈り跡の左隣、青白い部分と黒い部分をまたぐように、ゆっくりなめるようにジャリ、そして、一息にグイーと黒髪をめくりあげた。
 恐るべしバリカン・・・。
 ふた刈りでこれまでの倫美のカットヘアー量記録を更新。興ざめするくらいの利便性だ。
 倫美は涼しげにバリカン散髪を受け容れている。
 非常に男前な顔だった。
 逆モヒなのに、ここまでカッコイイなんて・・・・「サムライガール」と呼びたい。
 あまりに男前すぎて、うっかり笑ってしまったが、完全にスルーされた。恥ずかしい〜(汗)
 倫美は私に笑われても、平然としていた。状況としては倫美の方が、圧倒的に恥ずかしいはず。なのに何故私が気まずい思いをする?
 見下していた倫美に「眼中になし」とばかりにシカトされたのは、軽く屈辱だった。
 倫美の左のもみ上げにバリカンが差し込まれ、ジョリリ〜と上へ刈られる。
 ばさっ
と落髪で総理の写真、もう見えない。さらにバリカン、またバリカン。片鬢が剥ぎ取られた。耳が出た。白い耳。産毛が光っていた。
「倫美の耳、福耳だなあ」
 こりゃ将来、一財産できそうだな、と泣き笑いの伸也さんに、耳たぶをモミモミされ、
「やめてよ〜」 とこの時ばかりは倫美も、男前から年頃の女の子にシフトチェンジ。座が結構和んだ。
「男の子ができたみたいだねえ」
と母も嬉しそう。  倫美はくすぐったそうに笑い、ふたたび真剣な顔で宙を見据えた。

 あれは出家が決まった直後だった。
 一緒にテレビを観ていて、
「嬉しい」
と倫美はポツリと言った。
「結婚が内定して?」
と訊く私に、
「それもあるけど」
 倫美はテレビ画面から目を離さず、
「好きな人と同じ苦労ができて」
 嬉しい、と倫美は繰り返した。
「そう?」
 私は適当に相槌をうったが、倫美は真面目な表情で続けた。
「もし、ね、伸ちゃんだけがお坊さんになって修行に行ってたとしたら、結構キツかったかも」
 こうしてテレビを観てても「あの人、今頃どうしてるかなあ」って考えてしまうだろう。「自分ばっかりのんびりテレビ観てて申し訳ないなあ」って思ってしまうだろう。そう倫美は言った。
「お肉を食べるときも考えちゃうよ」
「修行中の伸也さんはお肉食べれないのに自分だけ悪いなあ、って?」
「うん」
とうなずく倫美に、
「トモ、意外に純情だね」
 私は冷笑で応じた。
「アタシなら”男なんだから頑張って来い”って思うけどね」
「アタシはお互い頑張りたいよ」
 相手にばっかり苦労を背負わせるのは嫌だ、と倫美は言った。
「じゃあ、一緒に坊主になれて嬉しいんだ」
とからかうと倫美は生真面目に首肯した。
「さっきの話の延長で言えばサ、美容院に行って鏡と睨めっこしてる間も、鏡の向こうの自分を詰っちゃう。”恋人が坊主頭で苦しい修行してるのに、アンタこんなトコ何してるの?”って」
 伸ちゃん、アタシ以上にお洒落だったから、と言う倫美に、
「バカだね〜」
 私は肩をすくめた。
「恋人には一緒にボウズになってくれるより、綺麗でいて欲しい、って男なら思うはずだよ」
「そうなんだろうけど・・・」
 釈然としない顔つきの倫美に、
「だからアンタ、モテなかったんだよ」
とつい余計な世話を焼いてしまった。
「モテる女ならどう考えるの?」
「”苦労を背負ってくれてありがとう”って素直に感謝する。感謝して、帰ってくるのを待つ」
 罪悪感より感謝だ、との私のモテ女理論に、
「なるほどね」
 倫美は腑に落ちた様子だったが、すぐにゲラゲラ笑い出した。笑いながら、
「でももう遅い」
 尼さんになるって決めちゃったから、と笑い崩れた。
「不器用だね」
「仕方ないよ」
 倫美は首をすくめた。
「アタシはアタシの流儀で幸せを掴むまでさ」
「ご勝手に」
 倫美に付き合っていたら、さっきのクイズの答えを見逃してしまった。ちょっとムカついた。

 こうやってロングヘアーにバリバリとバリカン入れるのが「倫美の流儀」なんだろう。
 伸也さんは嬉しそう。
 ってか、
「倫美、かわい〜、かわい〜よ」
 なんかコーフンしてないか? たまんね〜!!、って顔してるけど。確かに「尼さんプレイ」も悪くないかも知れないが、これからは「尼さんプレイ」オンリーだよ? いいの?
 とは言え・・・
 この幸せ者め、と未来の兄を心の中で祝福してあげた。
 好きな女が自分と一緒になりたい一心で女の命をバッサリ切って、尼さんになってくれるなんて、男としちゃあ、結構グッとくるのかもなあ。
 倫美の流儀も莫迦にはできない。
 この幸せ者、と今度はジャガイモみたいな頭になっていっている姉に視線を向ける。
 頭剃って厳しい修行をしてまで一緒になりたい!と思える男に巡り合えて良かったじゃん。
 尼僧になるつもりなど毛頭なく、寺の子弟を求めて大学に通っていた寺娘・・・。
 僧侶という選択肢など微塵もなく、福祉職を目指していたサラリーマンの息子・・・。
 チグハグな二人。
 ウチくらいの寺格なら、婿養子に来たいっていう坊さんはいくらでもいる。実際そういう坊さんとの見合いの話もあった。僧侶と結ばれれば、倫美も尼さんにならず済んだ。大事な髪も剃らずに済んだし、左団扇でお気楽な生活を続けられたに違いない。
 伸也さんにしたってそう。
 成績だって優秀だったし、倫美と知り合わなければ、坊さんにならずに済んだ。夢を捨てることもなかった。
 まったくややこしい。迂遠だ。不器用すぎる恋。
 旧約聖書によれば、預言者モーゼに率いられたユダヤの民は数ヶ月で行けるはずのカナンに、38年間という気の遠くなるような歳月をかけ、辿り着いたそうだ。だけど、その艱難辛苦の放浪の旅は彼らの絆を深め、強いものにしたという。
 倫美と伸也さんもきっと同じなんだろうね。
 あるいは恋の極致なのかも知れない。

 ケータイがメールを受信した。
 彼氏二号のユースケから。
 今夜暇?とデートのお誘い。
 ユースケは・・・、とふと考えた。私のために、ミュージシャンの夢をあきらめてお坊さんになってくれるだろうか? 頭丸めて修行してくれるだろうか? 
 答えはきっとノーだろうな。
 彼氏一号のミツハルも、三号のヤッシーも同じだろう。
 薄情者、と彼らを責めるつもりはない。私だってヤツらのために尼さんになる気はないのだから。
 目の前のカップルが羨ましくなった。
 生まれて初めて倫美に負けたと思った。

 倫美はもうすでに坊主頭。
 仕上げの段階に入っている。坊主頭にバリカンが這い回っている。
 二十年愛情とお金と時間をかけてきた髪は、新聞紙の上、山となって積もっていた。
「バリカンってすっごい便利」
と感嘆していた。
「ボウズいいよ〜」
と完成した1ミリの頭に手をやって撫で回し、その感触を楽しんでいた。
「えらい、えらい」
 伸也さんも恋人の坊主頭を撫でた。足を交差させて、前が膨らんでいるのを隠していた。おいっ(汗)
 野暮ったいロングを刈っちゃうと、倫美はなんだか洗練された感じになった。清らかで、それでいて艶かしく、両性具有的な危うさが同性から見ても、こう、ソソラレルものがあった。
 それから倫美もトレーナーとジーンズを脱いで、自分の袈裟をつけ、伸也さんと並んで、二人、お揃いの坊主頭と袈裟で記念写真を撮った。デジカメで撮影したのはアタシ。
「伸ちゃん」
 倫美はニッと伸也さんに笑いかけた。
「クーリングオフはなしだからね」
「当たり前だろ」
 惚れ直したぜ、と伸也さんは倫美にややディープなキスをした。

 夜は伸也さんの壮行会。
 倫美も「坊主エプロン」で腕を振るっていた。
と言っても、この人、ハンバーグしか作れない・・・。一応家事手伝い二年やってたんだけどなあ。
 その恋人の手作りハンバーグを
「倫美のハンバーグはサイコーだよ!」
 うめ〜!と伸也さんは何個もおかわりしていた。
 これから尼僧道場に行くんだから避妊はしとけ、それと明日に響くから程々にな、との父の忠告だったが、三年間離れ離れになる恋人同士、前者はともかく、後者は守られるはずもなく、しかもなんか、お互いの坊主頭に昂ぶってたみたいで、
「変態っぽくね?」
とか言いつつ、その背徳感に余計昂奮して、 明け方までゴソゴソやってた。私と倫美の寝室は隣同士だから、聞こえる聞こえる。こっちも眠れないっつーの!

 尼僧道場に入るまでの十日間で、倫美の髪は少し伸びた。
 青かった頭が黒ずんできた。
 出立の日、頼まれて、アタシは倫美の頭をお風呂場で散髪してやった。アタなしのバリカンで道場規定の長さに仕上げてあげた。
 大嫌いだった倫美の髪にバリカンを走らせる。丁寧に剃りあげてやる。ジー、ジー、ジー、とバリカンが通過するたび、また青い地肌が浮上する。
 こんな芝生みたいになっちゃった倫美の髪。今は愛おしく思える。
「あ〜、気合い入るワ」
 倫美にとって、最早バリカンは生活必需品、気持ちよさそうに妹に頭を預けている。
 ミリ単位の短い毛屑がお風呂場の床に、倫美の白い肩や背に散っていった。
「一丁あがり〜」
 ことさらに冗談めかして、できあがった坊主頭をペシッとはたくと、
「おいっ」
と倫美にツッコまれた。
 数秒間の沈黙のあと、
「トモ姉」
 私は初めて倫美を姉と呼んでみた。
「なに?」
 倫美はその呼び方を受け容れた。
「まあ、その・・・アレだ、せいぜい修行頑張んなよ」
「アリガト」
「トモ姉の生き様、アタシ、ちゃんと見てるからさ、しっかり幸せになるんだよ」
「ラジャー」
と姉は妹を振り返り、敬礼のポーズで微笑した。
「この1ミリ坊主にかけて幸せになることを誓おう」

 姉が三年間の修行に旅立ったのは、それから一時間後だった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 姉と伸也さんが修行から帰ってきて、もう三年近い月日が経つ。
 帰ってきてすぐ結婚し、子供が生まれた。女の子だった。

 聖美(きよみ)

と名付けられた。
 子供が生まれても、姉貴は坊主頭を保っていた。毎朝、伸也さんと二人で刈り合っていた。
 髪を伸ばすことをすすめる私に(まさかあの倫美に髪を伸ばせと言うことになるとは・・・)
「聖美が小学生になるまでは、このままでいい」
 姉貴は笑顔で断った。
「それにね」
と恥ずかしそうに付け加えた。
「旦那がこっちの方が昂奮するって・・・」
「このヘンタイ夫婦め」
 まあ、それはそれでアリなのかなあ。むしろ僧侶と尼僧のカップル的には望ましい性癖なのかもね。
 私はと言えば、大学で経営学を勉強した実績を生かし、実家の会計を任されることになった。姉妹で寺院を守り立てている。

 聖美はお転婆だ。
 すっかり私に懐いている。
 んば、んば、と私に抱くようにせがむ。
「聖美、ダメだよ。叔母ちゃん、今取り込み中だから」
「んば、んば、んば」
「あなた、聖美を茶の間に連れていって」
「倫美、ちょっとやりすぎじゃないか?」
「いいの」
「でもさ〜」
「ユキも了承済みです」
 ね、ユキ?とバリカンを繰る姉貴に同意を求められ、
「仕方ないッス」
 髪の毛ジョリジョリ刈られながら、うなだれる私。
 先月、檀家の男との不倫がバレ、
「ケジメつけなさい」
と姉貴に怖い顔で迫られて、私、明日から某山寺で一年間、小僧生活に入ることになりました。
 モテるからって調子コキすぎました。
 巻き髪を剃り、ブーツを草鞋に履き替えて、男断ちして、小坊主さんやってきます。
「しっかりやれよ」
と姉貴にバリカン、容赦なく入れられて、
「わーったよ」
「ナニ、その口の聞き方?」
 バリカン、ぐりぐりやられました。
 結局男は量より質なのかなあ。今更だけど。
 とりあえず山寺で坊主女フェチの坊さんでもゲットしてきます。
 冬の風が初めての坊主頭に染みた。
 ハックション!!



(了)



    あとがき

三年ほど前に書いてずっと寝かせておいた小説です。
何故かというと、これを脱稿した後、「倫美視点の小説を書いてそっちの方をメインにして、この小説を外伝にしよう」と思い、倫美視点のストーリーを書き始めたのですが、遅々として進まずリタイア。結果、この稿もパソコンの中に埋もれて、それきりになってしまったんですね。
しかし、自分としてはそんなに悪い出来とも思えず、「せっかくだから」と今回陽の目を見るに至りました。
なんだか自伝の断片のような部分もあり・・・まあ、サイトの大半のストーリーが自伝の断片のような気がしなくもないか。
エピソードを挟みすぎて、断髪シーンが途切れ途切れになってるのが、ちょっと難です(汗)
ともあれ、発表できて良かったデス(^^)
お付き合い下さり感謝です♪♪




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