作品集に戻る


「断髪力」以来の夫婦ネタだけど面白いか面白くないかは作者にもよくわからない


    (T)

 妻の千歳が頭を丸めることになって、夫の伸郎(のぶお)は苦りきった。
 出会ったのは千歳26歳、伸郎23歳。共通の友人を介して。
 すぐに交際がはじまった。
 伸郎は千歳と付き合うまで童貞だった。3歳年上の千歳のリードで筆おろしを済ませた。その数年後、結婚。だから伸郎は千歳以外の女を知らない。元々淡白な性質だったから、本人はそれで不満はなかった。

 結婚して二年後、ふたりの人生に大きな転機が訪れた。
 千歳の父の逝去である。
 千歳の実家は寺で、父は住職だった。
 住職が他界したため、ひとり娘の千歳夫婦に後継話が舞い込んだ。
 本来なら男の伸郎が僧侶になって跡を継ぐのが慣例なのだが、
「俺は坊さんにはならないよ」
 自身の仕事にやり甲斐を感じている伸郎は首を横に振った。
「ならいいわ」
 千歳はあっさり夫の意思を受け容れた。
「アタシが跡を取るから」
 そこは寺の娘、肝が据わっていた。
 早速、仏教系の大学の聴講生となり、得度と修行も済ませた。
 以後、住職として寺の仕事をしている。伸郎も妻と一緒に寺で暮らしながら、毎日、会社に出勤している。
 外から見れば奇妙ながらもうまくいっている夫婦なのだが、内実は倦怠期を迎えていた。
 千歳が尼になってからというもの、夫婦はそれぞれの仕事に没入していき、自然、会話も減った。セックスもしなくなった。
 千歳は僧侶の仕事に熱心だった。
 いや、仕事というより出世、もしくは蓄財に熱心だった。
 上昇志向というべきか、本山の有力な僧に接近した。いろいろな宗門の組織に入って、さまざまなポストや肩書きを得た。事業家としての才能もあった。その才能をフルに使って、せっせと寺を肥らせた。ついでに自身も肥えた。
 そんな妻に伸郎はますます夜の営みから遠ざかっていく。
 それでも一応妻は妻なので、多少の愛情はあった。
 例えば髪。
 千歳が尼になるとき、
「髪は切らないでくれ」
と彼は頼んだ。
 千歳はずっとロングヘアーだった。伸郎は彼女の長い髪を愛していた。長い髪の彼女を愛していた。
 髪があった方が妻らしくて良いと、そう思っていた。坊主頭の妻などありえない、とも思っていた。
 伸郎の希望もあって、千歳は有髪のまま得度し、有髪のまま住職になった。
 普段、ロングヘアーでブランド服を身にまとい、ネックレスや指輪やイアリングをつけ、友人たちとランチを楽しむ。傍から見れば、到底尼僧とは思えない。有閑のブルジョワマダムのように余所目にはうつる。

    (U)

 ところが、である。
 千歳に急遽、剃髪の必要が生じた。
 ある僧侶の修行道場の指導スタッフに推薦されたのだ。
 スタッフといえど、修行僧尼同様、剃髪しなくてはならない。
「おいおい〜(汗)」
と当初困惑した夫婦だったが、
「まあ、仕方ないわね」
 女の方が度胸がいい。千歳はさばさばと髪を諦めてしまった。
 修行のスタッフになれば、宗門の中枢に食い込める可能性も大きいし、新たなコネや人脈も作れる。願ったり叶ったりだ。
 伸郎はそんな妻の俗物性が気に入らない。
 「出家しても髪は剃らない」という約束が、あっさり反故にされたのも面白くない。
 また、単純に妻が坊主頭になるのは、夫として不満だ。
 夕食のとき、珍しく多弁になって千歳の翻意を促したこともある。
「道場のスタッフの件、辞退することはできないのか?」
「あら」
 千歳は軽く目を瞠った。
「なんで? 名誉なことなのよ」
 本山のさる有力者の名前を出して、
「その方がわざわざ推薦して下さったのよ。無下にはできないわ」
「にしても――」
 伸郎は口ごもり、
「剃髪、するんだろう?」
「いいじゃない、尼僧が頭を丸めるのはお釈迦様の時代から、当たり前のことなんだし」
「お前はよくても、俺はイヤだなあ」
「あら?」
 姉さん女房は意地悪な微笑を浮かべた。
「アタシ、まだ需要があったのかしら?」
 皮肉を言われ、伸郎は苦い顔をした。
「あちこちに首を突っ込んでまわるより、この寺に専念すればいいだろうに」
「いいじゃないの、ここはここでちゃんとやってるんだし」
 千歳も少しムッとして言い返した。
「どうせ、スタッフをやってる間、またリョウケンさんに寺のこと、押し付けるんだろ」
 「リョウケンさん」とは隣町の寺の若い坊さんだ。これまでも、寺を空けがちな千歳の代わりに法要などをとり仕切ってくれていた。
「人聞きの悪いこと言わないでよ。リョウケンさんの寺が忙しいときはこっちが手伝うこともあるんだし、お互いさまでしょ」
 千歳は憤然と反論した。そして、
「大体、文句があるのなら、あなたが寺を継いでくれれば良かったのよ」
 痛いところを突かれ、伸郎は黙るしかない。ムッツリと箸を動かした。

    (V)

 道場での修業も迫り、スタッフの千歳も準備をはじめた。
 自分のロン毛を刈るためのバリカンを買った。
 ちなみにバリカンを購入する際、家電売り場の若い男性店員に、
「ロングヘアーでも簡単に丸刈りにできるバリカンないかしら
「いえ、ね、アタシが使うのよ
「いえ、アタシが丸坊主になるのよ」
と相談の結果、
 ラクラクスピーディーバリカン(4860円)
に決めた。
 千歳が店を出た後、応対した男性店員は、
 あんな艶っぽくて、フェロモンむんむんのロングヘアーのマダムがバリカンで丸坊主になるなんて!!
と興奮をおさえきれず、トイレに駆け込みシ○ッた。千歳は容姿は十人並みだが、独特の色香があり、男性によっては激しい欲望をかきたてるものがあった。
 さらに余談だが、数ヵ月後、この電化製品店を訪れた、ある女性客がいた。尼僧だった。
 クリクリの丸刈り頭に質素な作務衣姿の尼さんは、
「前に買ったバリカンが故障したらしくて」
と保証書持参で来店した。なんと、その尼さん、少し前にバリカンを購入した、あのロングヘアーのマダムだった。
 ホントに坊主になってるうぅぅぅ!!!
 しかもメッチャそそられるうぅぅぅ!!!
 店員はいきりたつ下半身をかろうじて制し、接客を終えるやいなや、またもトイレに駆け込んだのだった。

     (W)

 話を本筋に戻して・・・・
 バリカンを買った千歳は帰宅して、箱の中のものをテーブルに並べた。 本体、アタッチメント、コード、オイル、小さな刷毛・・・
 小気味良いほど実務的な付属品に千歳は高揚をおぼえた。初めて手に触れるバリカン。ためしにスイッチをいれてみた。
 ヴィイイイイイイン
 思ったより大きな音と振動。千歳はあわててスイッチを切った。
 これを自分の頭に今日明日中にあてるのだ、と思うと、そのスリルに胸が震えた。スリルは奇妙な性的欲望を伴っていた。
 会社から帰った伸郎はバリカンを見て、複雑な顔をしたが、何も言わなかった。

    (X)

 その翌日――つまり修行の入行日の前夜、千歳は風呂場の脱衣所で、自らの髪を刈り落とした。
 髪が飛び散ってもいいように、まず床にビニールシートをひろげた。
 服を脱ぎ捨て下着姿になった。
 鏡を睨みつけるように見た。
「・・・・・・」
 長い髪の自分に別れを告げる。
 右手にはバリカン。
 ――もう今更逃げ隠れできないところまで来てしまったのだ。
 ――髪ならまた伸びる。
 ――自分はもっと上を目指すのだ。坊主頭くらいでビビッてどうする。
 何十回も自分に言い聞かせる。
 葛藤の末、覚悟をきめ、やや神経質に手櫛で髪をかき分け、さらにかき分け、額の生え際をさぐりあてると、
 えいっ
 思い切って、
 ヴィイイイイイイン
と振動する山型の刃を生え際に差し入れた。力を入れ、ズズズ、と後ろへ押しやった。不器用に生え際がえぐれ、刈り取った不揃いの髪の束が、左手に握られている。
 髪束をビニールシートに放る。パサッ
 勢いに任せ、同じ場所をもっと深く長く刈り直す。後悔が追いつく前に。
 アタッチメントなしのバリカンは、千歳の髪に青白い道を切り開いた。青白い道は左右の髪を真っ二つに分かっている。
「これで、もう後戻りはできないわね」
 千歳は悪戯っぽく含み笑い、生まれて初めてのぞいた青白い頭皮をなでた。ジョリとした感触が彼女の指先を悦ばせた。
 さらに、ヴイイイイイイン、右のこめかみの辺りにバリカンを差し込む。ジャジャジャ、と髪を刈る感触がバリカンを通して伝ってくる。一度バリカンを入れてしまうと度胸がついて、一気に耳の上に青白いラインをひいた。
 横髪が一気に落ち、耳が露わになった。
 バサリ、
 落髪がビニールシートを叩く。
 耳上のラインを橋頭堡にして、バリカンを上へ上へ押し上げる。額からつむじにかけて刈ったラインとの間を合流させるように、せっせとバリカンを走らせる。そうやって青白い部分を広げていく。
 右半分は徐々に坊主頭になっていく。
 黒い豊かな髪は、ボトボトと肩に、ビニールシートに落ちる。
 バリカンのスイッチを一旦切り、バッバッと刈り跡を手で払う。上半身にまとわりつく髪も払う。
 鏡を見たら、奇抜な髪型の自分がいる。感傷よりおかしさが先にたち、思わず笑ってしまった。
 次は左を剃る。ふたたびバリカンのスイッチを入れる。
 ヴィイイイイイン
 バリカンが左耳の真上を渡っていく。
 髪が剥がれ、バリカンの動きに合わせて浮き、ぐるりと丸まって、ボトリと腕に落ちた。
 右ききの千歳なので、左の鬢を刈るのは少々手こずった。
 それでも何度もバリカンを上へと押し上げているうちに、髪がなくなっていき、うまいこと頭は丸くなっていった。刈り残したモミアゲも、ジョリジョリジョリ〜、と削りあげた。
 前、右、左、と坊主頭になった。
 残るは後ろ。
 さて、どうするか。
 千歳は洗面台に手を伸ばし、ヘアゴムをとった。そして肩甲骨の下まである長い後ろ髪をまとめて束ねた。なんだか中国人の辮髪みたいになった。
 とりあえず、
「アチョー」
とカンフーの構えを、鏡の前、とってみた。
 ひとつに束ねた後ろ髪を結び目からバリカンで、
 ヴィイイイイイン。
     ざばばっ
 根こそぎ断った。
 馬の尻尾のような後ろ髪の束が手のうちに残る。それを刷毛のように使って、肩や腕にまとわりつく刈り髪を、サッサッと払い落とした。
 バリカンで後頭部を剃りにかかったが、鏡で確認できないため、悪戦苦闘する。バリカンを逆手に持って、ゾリリッ、ゾリッ、ジャァアア、ザザッ・・・
 とうとう千歳は業を煮やした。
「あなたー、ちょっと来てくれない?」
 伸郎を呼んだ。
 脱衣所に来た伸郎は、千歳のありさまに、
「お前・・・なあ・・・」
としばし言葉を失っていた。
「後ろ、やってくれない?」
 ムザンに刈り散らされた頭を突き出してくる妻に、
「しょうがねえなあ」
 渋々バリカンを受け取り、きれいに刈ってやった。
 ヴィイイイイン
ジ、ジジジジ〜
 ヴィイイイイイン
ジジジジジジジ〜
 ヴィイイイイイイイン
ジャジャ〜、ジ、ジジジジ〜
と順繰りに順繰りに、右から左、下から上へバリカンを遡らせた。
 忽ちのうちに後頭部は黒と青のマダラ状態から、清々しい青一面に変わっていった。
「最初から俺に頼めばよかったのに」
「だって、あなた、アタシが坊主になるの嫌がってたから」
「だからって自分で剃ることはないだろう。床屋にでも行けばいいじゃないか」
「入行したら、みんな自分で頭剃るんだし、その練習にと思ってね」
「ったく」
「知ってる? 修行尼にはMyバリカンは必需品なのよ」
 どんな美女でも例外なく、マイバリを用意して、修行の合間に大急ぎでジャリジャリやる。昨日まで俗世(シャバ)で、髪パックだ、ヘアーマッサージだ、とヘアカタログとにらめっこしていた若い娘も、廊下や流し場で頭(ず)を低くして、マイバリでせっせと坊主頭の保持にいそしむ。
「知らない人が見たら、かなり異様な光景なんだけどね」
 千歳は笑いながら言った。
 その頭に点在する黒い刈り残しを、伸郎は丁寧にバリカンで摘み取っていった。
  ヴィイイイイイン
ジジジジ、ジャジャ〜〜
 千歳が五厘刈りの青坊主になった。
「おおっ!」
と伸郎、坊主頭になった妻にときめくものをおぼえた。
 風呂場で頭を洗うため、下着をはずしにかかった千歳に胸がドキドキした。
 むちっりとした肢体に和風顔の千歳が頭を丸めたら、妖艶な尼僧へと変貌を遂げた。
 これが尼僧の色香か。
 まざまざと実感した。
 この色香、オトナにしかわからないだろうな、とも思った。
 久しぶりに妻に欲情した。

    (Y)

 その夜、伸郎は千歳の布団に身体をもぐり込ませた。
 千歳を抱いた。
「ちょっと、あなた!」
 千歳は狼狽した。
「ナニ、女房の坊主頭にコーフンしてんのよッ! このド変態!」
と最初はあわて拒絶していたが、すぐに伸郎の愛撫に身を委ねたのだった。
「こたえらんねえなあ」
 尼僧の色香に開眼した伸郎は心ゆくまで、妻との行為を愉しんだ。丸めた頭に舌をはわせた。千歳も久方ぶりの情事を悦んだ。
 明日からの千歳の不在が急に残念に思えた。
 妻が留守の間、自由を満喫するぞ〜、とついさっきまではウキウキしていたのに。

    (Z)

 数ヵ月後、千歳が帰ってきた。
 山の空気と菜食と規則正しい生活のせいで、いい感じに痩せ、いい感じに清げになっていた。言い方を変えれば、ほどほどにグラマーで、ほどほどに艶めいていた。
 以前のような毒々しい悪女っぽさ――それはそれで魅力的なのだが――はきれいに洗い落とされていた。
 そんな妻に伸郎は思わず言った。
「お前、これからそれでいけよ」
 以来、千歳は坊主頭を続けている。
 本人も坊主頭が気に入っている。・・・というか、伸郎が坊主頭に昂奮すると知って、それなら、と坊主刈りを保つ気になったようだ。
 普段着は作務衣になった。外出するときには、ウィッグをつけ洋服を着ることもある。
 千歳の頭にバリカンをあてるのは伸郎の役目だ。
 ヴィイイイイン
 ジジジジ〜
 ヴィイイイン
 ジジジジ〜
と毎朝きれいに刈ってやる。
 妻の短すぎる髪がジョリジョリと夫の手を愉しませる。
 頭に触れる夫の掌の、指の感触に、妻は悦びと幸福を感じる。
 スタッフ経験で得た人脈もコネも、もはや不要となった。
 千歳が初めての赤ちゃんを身ごもったから。
「双子なんですって」
 病院から戻ってきた千歳は言った。
「どちらかがお寺を継いでくれるかしら」
 お腹をなでながら笑う。
「子供ができたら――」
 伸郎は喜びつつも、未練そうに、
「髪は伸ばさんとなあ」
「当分は丸めておくわ」
 子供がある程度大きくなるまで、と言い、千歳は頭を、ジリリ、となでた。
「とりあえずは、うちの寺一本に専念するわ」
 出世欲や権力欲をあっさり放擲してしまった。それだけ子供の存在が大きいのだろう。

 男親にとっても子供の存在は大きい。
 毎日、千歳のお腹に耳をあて、
「お〜い、聞こえるかあ? パパでちゅよ〜」
と囁いたりしている。
「子煩悩な父親になりそうね」
「お前こそ」
 ふたり笑った。
 人間万事塞翁が馬。
 こうして笑顔を向け合っているのも、坊主効果なのだろう。
「坊主刈りさまさまよね」
「ああ、まったくだ」
 伸郎は千歳を抱き寄せると、ぶちゅう〜、と坊主頭にキスをした。
 その途端、庭のブッポウソウが鳴いた。
 はじけるような笑い声が寺の外まで響き渡った。




(了)



    あとがき

タイトル通り、「断髪力」以来の夫婦物です!
「年上の女性の断髪」という点では同時に発表させていただいた「物の怪、黄猿」と表裏をなしている感じです。
これは割と長いこと、構想、というかネタとして自分の中にあって、自家栽培していたイラスト集を元にしてます。
清純な乙女の断髪も勿論好きなんですが、こういう高齢バリカン処女(酸いも甘いも噛み分けた人生経験豊富なんだけど、バリカン&坊主は生まれて初めて)もいいなあと個人的には思う。まあ、千歳の場合、「高齢」っていっても、三十代前半〜中盤くらいなんですが。
お付き合い、感謝です♪




作品集に戻る


inserted by FC2 system