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バチカブリ大異聞〜Just like a Dream〜


     (1)

 ――まるで夢のようだ。
 笹島達也は思う。八頭大学の一年生である。
 もともと大学に進学するつもりはなかったのだが、
「大学は出ておけ」
という公務員生活22年の厳父の言葉に、
 それなら、
と八頭大を受験した。
「なんでまた」
と家族も友人も訝った。八頭大は仏教系で、自宅から遥かに遠い。他にもっと手頃な一般の大学がありそうなものだ、と、これが達也の周囲の一致した考えだった。
「何故、八頭大に?」
と訊かれるたび、
「これからの時代は福祉だよ」
と達也は胸を反らせたものだ。
 たしかに八頭大は宗教だけでなく、福祉方面にも力を注いでいる。
 しかし、である。
 達也の本心は福祉にはない。

 八頭大学には「研修」というシステムがある。
 毎年、学生の中から希望者を募り、主に夏休みの期間中に修行生活をさせ、僧侶の資格を与える。
 「希望者」といっても、大半は寺の子弟で、実家を継ぐため、渋々頭を丸め、研修に参加しているのが実状である。
 研修には女子学生も参加する。
 彼女らも男子学生同様、剃髪と厳しい修行を課せられる。こうした女子学生たちの夏休み前の「脱バリカン処女」は八頭大の風物詩になっている。

 この「研修」の話を聞いたのは、達也が高校生だった頃。聞かせてくれたのは、バンド活動で知り合った井上という年上のギタリストだった。
「いや、マジでびっくりしたよ」
と井上はビールを飲み飲み、彼の過去の体験を語ってくれた。
「彼女が急に”尼さんになる”っていうからさ、俺、ブッ飛んだよ」
 井上の彼女も八頭大生で、「研修」に参加したという。
「でも、いざ自分の彼女が坊主頭に衣の尼さんになってみるとさ、これが意外にソソられてさ〜」
「へえ〜、すごい話っすね」
 井上の話に達也は表向きポーカーフェイスを装ったが、海綿体に身体中の血液がズドドドッと流れこむのを抑えられなかった。
 小さい頃、親と一緒に、テレビのドキュメンタリー番組を観た。尼寺の映像だった。
 青々と頭を剃りあげ、一生懸命修行に励む作務衣姿の尼さんたちは、製作サイドの意図する「伝統と信仰に生きる聖女たちの感動的な姿」とは裏腹に、背徳的なエロティシズムを幼い達也に感じさせた。
 以来、図書館や書店で尼僧関連の本があれば、手にとった。ネットをはじめてからは、ますます尼僧の画像や情報の収集に熱中した。世の中は広い。達也と同じ趣味をもつ人たちがいることも知った。それは、とても心強かった。
 しかし実際、「尼」というものを目にする機会はほとんどない。今まで二回しか見ていない。しかも二回とも老尼だった。
 けれど、井上の話を聞いて、
 ――八頭大なら!
と心とアソコが奮い立った。
 本物の若い尼さんが見られる。
 見るだけでない。話もできる。井上みたいに尼さんとデートしたり、付き合ったりもできるのだ。
 父親のすすめに渡りに船とばかりに飛びつき、「これからは福祉」という大義名分を隠れ蓑に、晴れて合格、達也は八頭大学の学生になったのだった。

 入学してから、「研修」にまつわる、さらに色々な情報を得ることができた。
 「研修」を受ける学生はほぼ九割以上が宗教学部の学生。宗教学部生の大半は寺の息子や娘。コネで入学している者も大勢いる。結果、他の学部生より成績、品行は次元違いに低劣。ガラの悪いニーチャン、遊び人風のネーチャンがウヨウヨいる。外見だけで、「あ、コイツ、宗教学部だな」とすぐわかる。仏の道を目指している連中が、俗人の学生よりタチが悪いという有様。
 まあ、そんなことは達也にとってはどうでもいい。
 狙うは、尼。
 それも今年、「研修」に参加する予定の、まだ髪を伸ばしている「尼さんの卵」がいい。
 まだ俗世をエンジョイしている普通の女の子の頃から付き合えば、
 「研修」前の今時の女子大生
 「研修」直前の初々しい剃髪の初心者尼僧
 「研修」を終え、すっかり清々しくなった爽やかな完全尼僧
の3段階が愉しめる。
 「研修」裏情報の中で、特に達也を狂喜させたのは、
 オトしやすきもの 関教授の講義の単位と 「研修」間近の女子学生
という法則だった。
 前者は置いといて、注目すべきは後者だ。
 「研修」を受けるため、彼女らは貴重な夏休みを失う。従って、夏休みにつきものの、出会いやアバンチュール(死語)は当然諦めざるを得ない。
 そして夏休みと一緒に奪われるのが、髪の毛。
 研修が終わっても、髪は急には伸びない。坊主頭OKの彼氏をさがすのは難しい。髪が生え揃うまでの数ヶ月は、自然、恋愛から遠ざかるわけで、
 だから、
 髪がある研修前のあいだに、早いとこ彼氏をつくっちゃえ!
と彼氏のいない尼さん予備軍女性たちは鵜の目鷹の目で、手近の男子学生を物色しはじめる。せっせと合コンに参加したり、意中の男性に猛アタックをかけたり、友人に男の子を紹介してくれるよう頼んだりと躍起になる。研修が近づくにつれ、にわかカップルが増える。まだ彼氏ができない尼さんの卵は焦りに焦る。いわゆる「だめんず」にひっかかってしまう娘も多い。
 中にはヘタすると「本物の処女」を失う前に「バリカン処女」を失いそうな女子学生もいたりなんかして、
「まあ、きれいな身体のまま尼さんになるのも悪くないんじゃないかな」
と友人になぐさめられてたり、と「研修」にまつわるさまざまな悲喜劇が生まれる。
 達也もこの悲喜劇の渦中の人になりたくて、がんばった。
 入学してすぐさま宗教学部の女子学生へのアプローチを開始した。
 彼は容姿にはさほど恵まれていなかったが、話がうまく、マメで、押しの強い自信家だったので、下手なイケメンより遥かに異性交遊は得意だった。ゆえに計画は比較的スムーズに運んだ。
 そして、ついに恋人をゲットした。

 楠本順英(くすもと・よりえ)。

 達也と同じ一年生だった。
 容姿は「中の中の上」、まあ、そこそこカワイイ。
 その他多くの宗教学部生同様、清純派からは程遠い。
 髪を染め、金髪にして長く伸ばしている。服装はストリート系。メイクをすればギャル、スッピンだとヤンキーに見える。
 達也的には、数少ない清楚な娘を希望していたのだが、そういう娘に限って彼氏がいる。彼氏がいない娘でも身持ちが固いといおうか、警戒心が強いといおうか、ノリが悪いといおうか、アプローチは功を奏さなかった。
 ヨリエはけしてベストじゃないが、フィーリングが合う。
 それに、こういう娘の方が案外、優しいし、尽くしてくれる。
 例えば電車の中で、
「ど〜ぞ」
とお年寄りに席を譲る。達也の前だからというわけでもなく、ごく自然な調子で、譲りなれている感じだ。
女友達の相談にも親身になって聞いてあげる。だから友達も多い。
 達也のために早起きして一生懸命お弁当を作ってくれたこともある(正直、味はイマイチだったが・・・)。
 出会ったときは煙草を吸っていたが(未成年!)、達也が嫌がってると知ると、キッパリと禁煙した。
 達也と付き合ってからは、他の異性には見向きもしない。一途な娘だった。
 達也の話に、
「超ウケる〜」
と笑い転げ、達也のちょっとした意地悪に、
「ムカつく〜」
と口をとがらせる、ごくフツーの女子大生のヨリエだったが、今年の夏、「研修」に参加する予定だ。
 ご他聞に漏れず、彼女は寺の娘だった。三姉妹の長女で、住職をしている父親が病気がちのため、早急に僧籍を取得する必要にせまられていた。
「マジやだよ〜」
とボヤいていた。
 しかし、もし父親の身に何かあれば、ヨリエの一家は路頭に迷うわけで、ボヤきつつも、彼女は彼女なりに決意を固めている様子だった。
 ヨリエと肌を重ねるとき、
 ――コイツがもうすぐ尼さんになるのか・・・
 そう思うと達也は興奮する。
 半年前までは、市立図書館でコソコソ尼さん関係の本を借りて、つましく欲望を満たすのがせいぜいだったのに。
 だから思う。
 ――まるで夢のようだ。

     (2)

 夏休みが近づき、「研修」の参加者が募られはじめると、ヨリエの決心はグラつきだした。
「やっぱり今年はパスしようかなあ」
などと言い出した。
 「研修」は1〜4年生の間に受ければいいので、3年4年になって受ける学生もいる。
 ヨリエの場合、付き合いはじめた達也と迎える最初の夏休みを、「研修」で失いたくないのだ。達也にとっては皮肉な流れだ。
 当然、
 ――ええ〜?!
 達也はあわてた。
 ギャルゲーのように二つの選択肢が頭の中に浮かぶ。
 A・参加するよう説得する
 B・ヨリエの意思に任せる
 直感的にBを選択した。説得すれば、逆にヨリエはますます意固地になるかも知れない。
 彼女の意思を無視して、フェチ的な欲望を充足させようとするのも、後ろめたいものがある。
 当初は単なるフェチ的欲望の対象にすぎなかったヨリエだけど、彼氏としての愛情は確かに生まれている。
 だから、
「ヨリがそう思うなら、それもアリなんじゃないの。別に急いで受けなくてもいいと思う」
と、ヨリエの覚悟がきまるまで、二三年ぐらいは待つつもりで言うと、
「マジで?」
 ヨリエは目を輝かせた。しかし、すぐ、
「でも今のうちに受けた方はいいかも・・・研修・・・」
 無意識に掌で金髪をなでながら、ヨリエはやっぱり揺れている。
 ――ああ!
 達也は恋人の気持ちに気づいた。
「もしかして俺のこと、心配してる?」
「・・・・・・」
 ヨリエは無言で小さくうなずいた。
「大丈夫、浮気なんてゼッテーしないから」
・ 夏はほぼ毎日、バイト(男しかいないバイト先)の予定をいれる
・ 飲みに誘われても絶対行かない
と約束すると、
「ほんとに?」
 ヨリエは達也の表情を確認するように見た。
「マジだって。俺を信じなさい」
「チョー嬉しい!」
 ヨリエは安堵した様子で、破顔した。

 それから研修の日まで、ほぼ毎日、ふたり、痴戯に耽った。
「今日は法衣の採寸をした」
「ウィッグを買った」
という近況を会うたび聞かされ、達也は一層昂ぶった。
 ヨリエの髪を愛撫しながら、
「ヨリももうすぐボウズになるんだな」
「やめてよ〜」
「いいじゃん。クリクリ頭のヨリ、早く見たいなあ」
「嫌、嫌〜」
と口では嫌がりながらも、ヨリエは達也の昂ぶりに応えた。本能的に達也のシュミに気づいたらしい、いつからかセックスするとき、
「髪、バッサリいっちゃうよぉ〜」
とか、
「頭、剃っちゃうよぉ〜」
と口走るようになった。これから坊主頭になるヨリエにすれば、彼氏の尼萌えは逆に好都合だったろう。
 達也が通俗的な言葉の方に、より昂奮すると察知すると、
「頭を丸める」「一休さんみたいに」「バリバリ刈られる」「つるつる坊主」「クリクリ頭」
といったワードを口にして、達也をさらに昂ぶらせた。
 こうやって毎日、異様なマグアイを続けていくうち、ヨリエも徐々に達也の世界の住人になっていった。
「ほら、見てみ」
と、ある日、達也は、パソコンの動画投稿サイトにアップされていた断髪動画をヨリエに見せたこともある。アジア系の女性が白人男性にバリカンで丸刈りにされる動画だった。
 Oh〜とオーバーに吐息をもらす女性の長い黒髪をバリカンはズババババ〜と刃先に吸い込み、女性はあっという間に丸坊主にされていった。
「バリカンてスゲーだろ? 何年もかかって伸ばした髪も、こんなふうに5分も経たないうちにクリックリの丸坊主にしちまうんだぜ」
「・・・・・・」
「お前ももうすぐこういうふうになるんだよ〜」
 さすがにヨリエも、この動画には少なからずショックを受けたらしい、終始無言で顔をこわばらせていた。動画を見終わった後、不機嫌になり、達也は半日無視された。
「ごめん!」
と達也はあわてて謝った。ちょっと、やりすぎた。

 「儀式」
の話題が出たのは、夏休みも近くなった頃だった。
 「研修」に臨むにあたり、達也がヨリエの頭を剃る。
 提案者はもちろん達也だった。
 ヨリエは意外なほどあっさりOKした。すでに達也の嗜好はわかっているし、彼女も同じ嗜好に染まりつつある。それに「儀式」で達也の気持ちをガッチリ繋ぎ止めておけるなら、やすいものだと思っているふしがあった。
 日にちは研修の前々日、場所は達也の下宿で、と話はまとまった。

     (3)

 その日がきた。
 まず二人して近所のホームセンターでバリカンを選んだ。
 素人でもラクラク
 ご家庭で
 水洗いOK
 充電式交流式どちらでも
 アタッチメントで刈り高さ調節
 ケープ付き
という、坊ちゃん刈りの子供が笑顔で散髪されているパッケージの「パワフルホームバリカン」――なんかネーミングもパッケージも時代錯誤な印象――を購入した。4500円。
 レジのオバチャンが、
「あら、彼氏の髪、やってあげるの?」
と笑いながら訊いてきて、
「ええ、まあ」
とヨリエは舌で頬の内側を押しながら(彼女が嘘を吐くときの癖だ)、曖昧に笑ってごまかしていた。
 ホームセンターを出ると、ゲームセンターに寄った。そこで一緒にプリクラを撮った。ヨリエの有髪最後の記念に。
 プリクラには、

 これからボウズ!!

と落書きした。
 準備は万端。
 いよいよ髪を落とすときが来た。
・・・と思いきや、ヨリエはいざとなると、グズグズしている。
「ヨリ! 早くここに座れよ」
と達也がせかしても、
「ちょっと待って」
とケータイをいじっている。自分のブログにアクセスしている。
 朝、アップした、

『 今日はこれからダーリンにバリカンでボウズにしてもらいます♪
 研修頑張るぞ〜 』

とのブログ記事に友人たちから応援コメントが殺到していて、一人一人にいちいちコメントを返していた。
「お前、そういうの後にしろよ」
 ちょっとイラッとする。
「う〜、ボーズやだよ〜」
「ここまできたら仕方ないだろ」
「わかったよ! わかりましたよ!」
 逆ギレされてしまった。
 とりあえずは、まずフローリングのキッチンに置いた丸椅子にヨリエを座らせた。切った髪が飛び散ってもいいように、床にはビニールのシートを敷いてある。
 バリカンにおまけで付いていたクリーム色のケープを、ヨリエの身体に巻く。
「達也さあ、人の髪、切ったことあんの?」
「あるとも」
「いつ? 誰の髪?」
「あれ言ってなかったっけ? 俺、中学高校と野球部だったんだよ」
「それは知ってる」
「部員は丸刈りがきまりだったから、部室のバリカンで仲間や後輩の頭、よく刈ってやったもんだ」
 坊主刈りに関しちゃエキスパートなんだぜ、と請け負う達也に、ヨリエはもはや頭を預けるしかない状態。
「丸刈りのコツはな、スゲー簡単だ」
「コツ?」
「刈る。ひたすら刈る。刈って刈って刈りまくる」
 ビーーーーン
「い、いきなりバリカンっすか?!」
 目を白黒させるヨリエに四の五の言わせず、バリカンの刃を、ザックリとド真ん中――額の分け目にあてる。
「ちょwwwwwいきなりバリカンっすか?!」
 黙殺。
 ジャッ、
と髪と刃が当たり、はじけるような音がした。一気につむじに向け、豪快に刈った。ジジジジジイイイィィィィ。
「ぬはっ」
とヨリエが首をすくめたところに、
 バサッ
と黄色い髪がケープに落ちた。
「あ〜」
 アタッチメントなしのバリカンが走ったあとは、金髪をクッキリと青く分断している。
「ああ!」
 達也の脳裏に閃くものがあった。
「風の谷に伝わるあの予言」
「・・・何ソレ?」
「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし。失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地に導かん」
「?」
「青い衣はバリカンの轍。金色の野はヨリの髪。清浄の地とは『研修』先の寺」
「・・・・・・」
「つまり、あの予言はヨリがバリカンで金髪を刈り落として、『研修』に行く、という意味だったんだよ!」
「な、なんだtt・・・ウゼー!! 微妙に古いし!!」
 逆モヒカン状態で、怒るヨリエ。
「お遊びはこれくらいにしておこう」
 ビイイイイーン
「ちょwwwwwwwだから、なんでいきなりバリカンなのwwwwwwww」
「お前、”いきなりバリカン””いきなりバリカン”てさっきから同じことばっか言ってるな。言いながらも顔笑ってるし」
「いや、あまりに突然だったから・・・髪切るのにバリカンとか初めてだし・・・なんか笑った・・・」
 ――いたなあ、こういうの。
 野球部時代を思い出す。いざ断髪になると、あれこれ抗弁して潔くない後輩に問答無用でバリカンを入れていた、つい去年までの達也である。ヘタレ後輩とヨリエがかぶって仕方ない。
「早いトコ丸めちまおうぜ。もう100%後戻り不可能なんだし、いい加減覚悟決めろ」
と言うと、ヨリエの返答も聞かず、さらにバリカンを入れた。ジジジジイイイイィィィィィ、バサッ、ジジジジイイイイィィィィ、バサッ、ギャル系なのかヤンキー系なのかわからない金髪をまずは右へ右へと順々に刈る。ジイイイイイィィィィ、バササッ、髪が剥きあげられる。ヨリエの前頭部から右サイドにかけて、薄緑色の坊主頭になった。次は左へ左へ順々に、ジジジジイイィィィ、バサリ、ジジジジジジイイイイイイィィィィ、バサッッ、ビイイイィィーン・・・薄緑色の部分が、バァーッと広がっていく。
 達也のケータイが鳴った。
「もしもし」
と応対しながらも、電話中、話しながら、あいている手でメモ帳に落書きするように、
「ああ、西園先輩。どうしたんスか?」
 左手のケータイで会話しつつ、右手のバリカンですでに剃った部分をジョリジョリ撫で回して遊ぶ。
 会話の相手は西園麻理。宗教学部の3年生。ヨリエを通じて知り合った。しっかりと彼氏がいるので浮気の心配はない。
『ヨリエに用があってさ〜』
 ヨリエ、最近、携帯番号変えたらしくて、連絡が取れなくてさ、番号変更の連絡もなかったし、もしかしてアタシ嫌われてる?と若干ネガティブモードの西園麻理。
『ヨリエの新しい番号知ってる?』
「本人に訊けばいいじゃないですか」
『学校に行ってもいないし、あの娘、この『研修』前の大事な時期に・・・今頃どこで何やってるのかねえ』
「俺の部屋で、バリカンで尼さんになってる最中です」
『ええ〜?!』
 西園麻理が素っ頓狂な声をあげる。
「今、3分の1くらい尼さんカットです」
『い、いよいよ臨戦態勢って感じだね』
「”いきなりバリカン?””いきなりバリカン?”ってうるさくて」
「達也! 余計なこと言わなくていいから!」
 落ち武者が顔を赤くしている。
『あ〜、わかるわかる』
 電話の向こうで麻理が笑った。彼女も1年生のとき、「研修」を済ませている。
『”バリカン?! マジっすか?!”ってなるよね。アタシもそうだったよ。笹島クンが刈ってあげてんの?』
「ええ、まあ」
『彼氏自らバリカンを入れてくれるなんて、尼さん冥利に尽きるよ。ヨリエも幸せ者だねえ』
「なんか、さっきから俺にガン飛ばしてますが・・・・・・。代わりましょうか?」
『いや、いいや。バリカン中じゃ、しょうがないや。また後でで。邪魔しちゃったね』
「いえいえ」
『”ヨリエのボウズ楽しみ”って伝言しといて』
 さすが「脱バリカン処女」経験者の余裕だ。

 ヨリエの長い後ろ髪は達也にとって、なかなか刈りごたえがあった。
 まずゴムでひとつに束ねた。
 束ねた根元から、やっぱりバリカンでビイイン・・・ズズズズ・・・・・・・ザバッと切断した。
 バッと首筋を取り囲む不揃いの残り髪を、下から上へブィンブィン剃り上げた。黄色い髪が裂け、跳び、落ち、ケープを滑って、床のビニールにうず高く積もった。
「ヨ、ヨリ!」
 達也はもう我慢できない。
「ヨリ〜!」
 ガバッと背後から抱きついた。
「ちょ、ちょ、ちょっと!!」
 トラ刈り頭のヨリエはあわてふためき、
「こういう変態っぽいのはイヤアァ〜!」
と抵抗したが、バックから(以下略)
 刈り落とされた金髪にまみれ、くんずほぐれつ、抜かずの二発。
「ああ〜・・・ああ・・・」
 トラ刈り頭でヨガリ声をあげるヨリエ。彼女ももはや立派な変態だ。ようこそ、フェチワールドへ。
 お釈迦様の時代以来、無数の尼僧が誕生したが、出家時の剃髪中にヤッちゃった尼さんて、たぶんヨリエが唯一で無二だろう。
 ようよう、ことを終えて、散髪を再開する。
 ブザマなトラ刈りをきれいに、ジジジジィィィ、ジジジジィィィィ、と刈ってあげる。
 坊主頭が完成した。
「あ〜、やっちまったよ〜」
 ヨリエは薄緑色の丸い頭を撫で回して、情けなく笑いつつ、尼さん頭になった自分の顔を確認している。
 坊主頭に似合わないので、ギャル風の厚化粧も洗面所で落とした。
 これも嬉しい。
 せっかくそこそこカワイイのに、ありきたりなメイクで無個性になってしまっているヨリエに達也はずっと不満だった。こうして髪を落とし、スッピンになると、なかなかどうして、古都の似合う愛らしい小坊主さんだ。
 さらに、
「ちょっと着替えるから」
と言って、達也の目の前で、ストリート系の服を脱ぎ、下着になると、安そうな鼠色の作務衣を上下着た。ヨリエの坊主頭はスッピン&作務衣のお陰で、一気にしっくり馴染んだ。
「結構イケてるかも」
 そう言って、ヨリエはハシャいだ。「順英(ヨリエ)」という本名より、音読みで「順英(ジュンエイ)」という法名の方が相応しい外見になった。
 だが、
 ――まだまだ〜
 達也の視覚は十二分に満足したが、嗅覚は満足しない。
 ヨリエがいつも身体にふっている香水の匂いが、尼僧姿に反し、ギャル臭い。
 シャワーを浴びさせた。香水の香りはきれいに流し落とされた。
 ヨリエがシャワーを浴びている間に、大急ぎで散った髪をかき集め、ビニール袋に入れて、押入れに秘匿。
 いろんな意味でさっぱりした風呂あがりのヨリエを抱いた。
 作務衣の中の豊かな胸を、ほっそりした腰を、そして、剃りたての頭を心ゆくまで愉しんだ。
「浮気しちゃヤダよ」
と甘ったるい声を出すヨリエに、
「大丈夫」
と耳元で囁いた。
「待ってるから」


    (4)

 近未来・・・
 東京の、とある老舗のデパートで、
「楠本順英尼の世界」
という展示会が催された。
 18歳で出家して以後、数々の荒行を満行し、数多の著書を世に問い、見事な書や画を残し、後進の尼僧たちを育てた不世出の宗教家、そして文化人であった楠本順英尼が先頃遷化した。
 尋常な死に方ではなかった。
 近年の国家の有り様や宗門の腐敗を悲しみ、その浄化を祈って、
 即身仏
となった。
 食を断ち、生きながら土中に入り、自身をミイラ化する究極の行である。
 現在では国法により禁じられているが、順英はあえて秘密裡に決行した。女性で唯一、近代以降でも唯一の即身仏だった。
 彼女のこの行為は、社会に大きな衝撃を与えた。見事な最期だ、という者、狂っているという者、賛否両論があった。
 順英の行いを支持する人々が、彼女の遺徳を偲び、その人柄、足跡、業績を世間の人々に知ってもらうため、短期間、開催されたものだった。興味本位の者も含め、訪問者がひきもきらなかった。
 さまざまな展示物の中には、

 もうすぐボウズ!!

と落書きされたプリクラもあった。
「これが順英師の俗世の形見のプリクラか」
「あの名尼僧にもこういうヤンチャな過去もあったんだねえ」
 来場した人々は感慨深げにプリクラに見入っていた。そして、プリクラの隣に展示された、白布に横たわる長い金髪の束にも、同様に彼女の意外な過去に思いを馳せていた。
 展示会の最終日、会場をそっと訪れた老紳士がいた。
「笹島先生」
 展示会の主催者が老紳士に近づき、頭を下げた。
「今回は貴重な品々のご提供、ありがとうございました」
「いやいや」
と老紳士は微笑して言った。
「あれは本来、順英尼さんのもの。私の家にひっそりしまってあるより、こうして世間の方々の目に触れた方が、彼女の人間を知るヨスガになるでしょうから」
「順英師とは同じ八頭大学の御学友でいらっしゃったのでしょう?」
「昔の話です」
 老人は眼鏡の奥の目を細め、笑った。少し寂しそうな色があった。
「まさか、あの当時は彼女がこんなふうになるとは思いもしませんでした」
「そうでしょう」
「あの夏を境に彼女は生き仏の道へ。私は俗世をウロウロとさまよう我利我利亡者に成り果てた」
 お恥ずかしい限りです、と苦く笑うのを
「何をおっしゃっているんですか」
 責任者はやや気色ばんで首をふった。
「我が国が世界でも最高水準の社会福祉制度を整備できたのも、笹島先生のお働きがあったればこそです」
「いやいや、彼女の憂いた今の政治に関わっていた者としては、責任を感じずにはいられません」
 結果的に、と老人は言った。
「順英尼を死に至らしめた原因の一端は私にもあるのですよ」
 老人は孫娘を連れていた。彼女は大人たちの会話が退屈らしく、
「お祖父様」
と老人の袖をひいた。
「ああ」
 それを潮に老人は、
「では」
と会話を切り上げた。

 ちょっと待ってなさい、と老人は孫娘をその場において、会場の奥へと進んで行った。
 そこには楠本順英の遺体がガラスの向こう側に安置されていた。
 遺体は骨と皮だけでミイラ化していた。茶色く変色していた。しかし尚も生けるが如く、法衣を着、頭は丸められ、結跏趺坐していた。
 ――ヨリ・・・・・・
 半世紀ぶりの再会だった。
 ――こんなになってしまって・・・・・・
 ガラス越しに老人――達也はミイラになった、かつての恋人に話しかける。
 ――お前、本当にこれでよかったのか?
 即身仏は答えない。
 かつて、このミイラを抱き、愛撫した。
「超ウケる〜」と笑い「ムカつくぅ〜」と拗ね、「いきなりバリカン?」と目を剥き、オシャレやショッピングが大好きな普通の女の子だったヨリエが長い人生の果て、辿り着いたのが、
 ――この姿なのか・・・・・・。
 やりきれない気持ちになる。
 そして、
 ――まるで夢のようだ・・・・・・
と思う。ヨリエと過ごした青春時代、即身仏となった順英との対面を果たした老残をかこつ現在、どちらが夢かはわからなかった。

 孫娘は達也に言われたとおり、おとなしく待っていた。
「お祖父様」
 孫娘が訊いた。
「これ・・・え〜と、プリクラ?・・・っていうの?」
「ああ」
「写っていらっしゃる男の人はお祖父様?」
「ああ、そうだよ。いい男ぶりだろう?」
「今のお祖父様の方がカッコ良くてよ」
と黒目がちの瞳で見上げられて、
「そうか」
 老人は笑った。笑いながら、
 ――コイツは将来、相当男を泣かせる女になるかも知れんな。
 心中肩をすくめた。
「隣の女の人は誰? お祖母様じゃないわよね。この女の人、誰?」
「お前がもう少し大きくなってから話してあげよう」
 そう言って、達也はプリクラの中で笑顔でVサインしている昔の恋人に、
 ――俺ももうすぐそっちに行くよ。
としばしの別れを告げた。あの世で話したいことがいっぱいあるような気がした。




(了)



    あとがき

 ご無沙汰してます。迫水デス。
 一年ぶりのバチカブリ大学ネタです。以前から書きたかったバチカブリ大学「研修」制度の裏話、諸設定、悲喜こもごもを盛り込んでみました。結構、ネタの宝庫のような気が。。。  こういう大学に通ってみたい!という作者の願望もこめつつ(笑)
れいによって、色々遊び過ぎな断髪シーン・・・反省してます・・・(汗)  ちょっぴりほろ苦な「即身仏エンド」も割と気に入っています(^^  お付き合い下さり、ありがとうございました♪



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