軍神、清姫 | ||
主家である秋月家に叛き、半年に渡って頑強な抵抗を続けた猿ヶ淵城も、雲霞の如き大軍を前には敵わず、遂に落ちた。晩春の夕刻であった。 城主の正秀はただちに首を刎ねられた。 残る将兵に対しても、 「悉く誅せよ」 と秋月軍の総大将忠清は命じた。 さらに、 「男は申すに及ばず、女子供も斬れ」 と眉ひとつ動かさず命じた。 さらに、 「城中の生あるものは牛馬、犬猫の類まで殺せ。秋月に二心ある者どもへの見せしめと致すべし」 と厳命した。 幾ら乱世とはいえ、あまりに残虐非道である。 しかし敵にも味方にも畏れられている忠清を諫める者はいなかった。秋月の兵たちはわななき、わななき、忠清の下知に従った。 最後に正秀の北の方が捕らえられていたのが、忠清の面前に引き出された。 正秀の北の方は東国でも指折りの美女と評判の女だった。 「これが秋月のやり方ですかッ!」 夫や子供、家来を殺された彼女は夜叉のような形相で、口も裂けよとばかりに忠清を面罵した。 「ああ、そうだとも」 忠清はせせら笑った。 「恨むならば汝の夫の非力を恨め。正秀如き葉武者が秋月に叛こうなどとは、笑止千万、天に唾するが如き愚かしき所業ぞ」 「あなたには武士の情というものがないのですかッ!」 北の方は吼えるように言った。 「なるほど、確かに夫は主君に弓を引きました。成敗されても致し方りませぬ。しかしまだ年端もゆかぬ幼子まで刃にかけるとは、なんと酷いなされようか! 今に天罰が下りますぞ!」 「口の減らぬ女子よの」 「あなたも女子ではありませぬか!」 「黙れ」 忠清はギョロリと目を剥いた。 「ワラワは天罰を恐れぬ。いや、天は弱き者をこそ罰するのだ。現に天は汝の夫を見放したではないか」 「鬼ッ!」 「鬼で構わぬ。この乱世ではな、鬼こそが利を得る。天が味方する」 「忠清さま、いいえ、清姫さま、あなた様はかつては無垢な姫君だったではありませぬか。花を愛で、醜き虫でさえ愛でられ、それはお優しい姫君だったではありませぬか。それが何ゆえ、このような悪鬼と成り下がられたのか!」 そう言うと、北の方はガックリと肩を落とし、身を揉んで泣いた。 ひとしきり泣くと、 「さあ、お斬り下さい」 胸を反らせ、凛とした声で言い放った。 「このような鬼の住処に居とうはありません。一刻も早く正秀殿の待つ冥土へお送り下され」 北の方のその言葉に応じるように、忠清は無言で脇差を抜いた。ツカツカと正秀夫人に歩み寄った。そして、 ぐいっ と夫人の黒く艶やかな髪を鷲掴み、 「汝は易々とは殺さぬ」 と言うや、脇差で、 ズバッ と根元から髪を切った。 「何をなさる!」 「汝は生かしておいて――」 忠清の目が冷たく光った。 「存分に辱める」 見せしめじゃ、との忠清の命で、呪詛の言葉を吐き泣き喚く正秀夫人の頭はゾリゾリと剃りこぼたれ、左側の髪だけが残された。 「城下を引き回し、晒し者に致せ」 兵らは忠清の言う通り、変わり果てた東国屈指の美女を生き晒しにした。女は屈辱に耐えかね、舌を噛み切り果てた。 北の方の自害を聞いても、忠清は顔色も変えなかった。 それよりも、 「兄上」 戦塵も落とさず、直ちに秋月家当主である義正の許へ伺候していた。 「猿ヶ淵城を落とし、正秀の一党を皆、成敗致しました」 「大儀だった」 と義正は妹を労った。が、顔色はすぐれなかった。彼の健康の所為もあったし、謀反人とはいえ先君の代から仕えてきた正秀を悼む気持ちもあった。妹の行った殺戮にも懐疑はあった。 何より、妹が憐れだった。 「お清」 と甲冑姿の妹を本当の名で呼び、 「わしが病の身ゆえ、そなたには辛い思いばかりさせるな」 「兄さま」 忠清――清姫は兄の前ではあどけない少女の顔に戻った。 「そのようなお気遣いは無用ですわ」 「しかし――」 「それ以上は何も仰らないで下さい。清は秋月の家の役に立てて嬉しいのですから」 若くして秋月の家名を継いだ義正だったが、義正は病がちだった。戦場に出ることなど到底叶うべくもなかった。 清姫は女の身ながら、病身の兄義正に代わって十五の頃から軍勢を率い、戦に明け暮れた。「忠清」と男の名を名乗り、実戦を通して陣立てや大将の心得を学んだ。名将の資質があったのだろう、戦えば必ず勝った。 秋月の士卒領民は清姫を武神の化身のように崇めた。 「如何でございましょう?」 と、ある老臣が清姫に耳打ちしたことがある。 「兄君に取って代わって、秋月の家督をお継ぎあそばしては」 清姫はその場でその老臣を斬った。 兄の為に働くことに喜びを感じている身に、老臣の言葉はひどく汚らしく響いた。 許せぬ! と思った次の瞬間には、白髪首が宙を飛んでいた。 兄さまの御為 と思えばこそ、矢弾の中に身をさらせた。 兄さまの不為 と思えば躊躇うことなく人も斬れた。 薬湯を口に運ぶ義正に清姫は、 「正秀の裏切りの裏で糸をひいていたのは坂元家です」 ズバリと言った。 「確かか?」 「はい」 「坂元か・・・」 昨日の友も今日は敵だな、と義正は力なく呟いた。 「坂元は我が領国を虎視眈々と狙うております。おそらくは我が領内の金山が欲しいのでしょう。ゆえに離間の策をもって正秀を篭絡し、秋月を内から切り崩そうと謀ったのです」 「坂元と戦わねばならぬのか」 義正はため息をついた。 「勝てるか」 「勝ちます」 清姫はキッパリと言った。 「坂元家はもはや下り坂。先代の頃より坂元の武名を高らしめてきた千軍万馬の宿老どもも、今はおりません。日の出の勢いの我が軍勢の敵ではありません。むしろ我らから先手を打って戦を仕掛け、坂元を滅ぼすが上策と存じます」 「惟虎殿と戦うのか」 義正はそう言って、清姫の顔をじっと見据えた。 かつて清姫に坂元家の当主惟虎との縁組の話が浮上したことがある。 故あってその縁談は立ち消えになったが、夫になるかも知れなかった男と干戈を交えることになる清姫が兄には痛ましく思える。 「これも乱世の習いですわ」 清姫はそんな兄の心を察して、つとめて朗らかな口調で言い、微笑してみせた。 「秋月に仇なす者は誰であろうと討つ。それが私の務めと心得ております」 言い切ると、清姫は兄に一礼して、去った。 「お清・・・わしの為に女を捨てるのか。わしの為に鬼になるのか」 義正は唇を噛んで、今まで清姫が座っていた場所を見、そして天井を仰いだ。 秋月家と坂元家が全面的に抗争に突入したのは、猿ヶ淵城落城から二月と経たぬ猛暑の頃だった。 まず坂元家が仕掛けた。 重臣の中津大膳が兵五千騎を擁し、国境にある秋月の城砦を攻めたてた。ひとつ、ふたつ、と城は落ちた。 「坂元の犬どもめ、鏖(みなごろし)に致さん!」 清姫は「忠清」となって、甲冑に身を固め、白鹿毛に跨ると、四千の兵を率い、砂塵を巻き上げ、馬蹄を轟かせ、坂元軍の背後に迫った。 「秋月の雌猿が山猿をぞろぞろ引き連れて来よったわ」 敵の総大将の登場に、大膳は武者震いして軍を反転させた。 両軍は真正面から激突した。 弓張ヶ原の合戦 と後世に伝えられる戦いである。 攻防は一進一退。 しかし、手薄だった左の備えが崩されると戦況は徐々に、数に勝る坂元軍に有利に展開しはじめた。 「御注進!」 苦戦の報は本陣の清姫の許に、矢継ぎ早にもたらされる。 「先鋒の豊後守殿、御討ち死に! 先鋒軍も崩れたって御座います!」 「宮内の手勢を差し向けよ!」 「申し上げます! 左近殿の軍勢、敵方に激しく攻めたてられ、旗色よろしからず!」 「半歩も退くなと左近に申し伝えよ!」 「御注進! 佐渡殿も手傷をおわれ、総軍引き揚げを御進言なされております!」 「不覚人の泣き言など聞くに及ばず! 佐渡が戦えぬのならば、采配は佐渡の倅にとらせよ!」 駆け込んでくる使い番たちの血まみれの姿や殺気立った目が、自軍の敗色濃厚を言葉よりも雄弁に物語っている。 各部将たちは伝令を通じ、総大将の清姫に退却を求めた。 けれど清姫は許さなかった。 床几に腰を据えたまま、激しく軍を鼓舞した。 「此度の戦は秋月だけではなく東国の命運を決する大戦ぞ! 者共、かかれや、かかれ! 死ねや、死ね! 狂えや、狂え! 秋月武者の意気地を坂元の犬めらに教えてやれ!」 清姫の言うとおり、もしここで軍を退けば、勢いづいた坂元軍によって秋月領は蹂躙されてしまう。負けることの許されぬ合戦だった。 とは言え、劣勢は如何ともしがたい。 「御大将!」 側近くに控えている若武者の薄田昌謙はたまりかね、悲鳴をあげるように言った。 「もはやこれまでに御座います! どうか退却の御下知を!」 しかし清姫は首を縦に振らなかった。 「退かぬ」 「御大将ッ!」 気色ばむ昌謙を黙殺し、 「蒸す」 と清姫は燃える天を見上げ、独り言のように呟いた。 「は?」 と聞き返す昌謙に、 「蒸す」 とだけ言い、兜の緒に手をかけた。ゆっくりと兜を脱ぎ、近侍の小姓に預けた。 清姫の美しい髪は汗をたっぷりと吸い、ベットリと潰れている。 「昌謙」 「はっ」 「ワラワもな、そなたらのように月代を剃るぞ」 「えッ?! なんと仰せで?!」 「この髪では真夏の戦は乗り切れぬ」 頭が蒸れて仕方ないわ、と清姫は忌々しそうに乱髪に手をやり、言った。 もしや激したあまりに錯乱されたか、と昌謙は狼狽した。が、当の清姫は幾分か平静を取り戻したかのようだった。 「清姫さま、今は戦の最中ですぞ」 昌謙は大将の心の内をはかりかね、やはり困惑し、うっかり「清姫さま」と軍陣では禁じられている呼び方で呼んでしまったほどだった。女が月代を剃るなどという話も、戦いの最中に髪の形を変えるなどという話も聞いたことがない。 しかし、 「早う、剃れ!」 と軍神とも戦鬼とも畏怖される清姫に叱咤され、 「ははッ!」 やむなく、近侍の武者から剃刀を受け取り、盥に水を用意させた。 「何分陣中のことゆえ、行き届かぬこともありましょうが、どうかご容赦下さいませ」 「構わぬ」 「では」 と、昌謙は恐る恐る清姫の額に剃刀を入れた。 ジッ と臆病に剃刀が鳴った。 「昌謙!」 清姫が叱った。 「その方も秋月侍であろう! なんじゃ、その性根の据わらぬ剃刀の使いようは!」 指が震えておるぞ、と叱責され、 「はッ!」 昌謙は今度は覚悟を決め、えいや、とばかりに剃刀を深く清姫の髪に入れた。 ジッジッ、ジジイーッ と髪が薙がれ、払われ、額からつむじにかけ、瓜のように青白い地肌がのぞいた。 昌謙はさらに剃った。 ジジーッ、ジジー、と剃刀によって髪が削がれ、ハラリ、ハラリ、と地に落ちていった。 清姫は瞑目し、昌謙に頭を預けている。 御大将が本陣において、悠々と月代を剃っておられる との報は各部隊に直ちに伝わった。 「流石は御大将、肝が据わっておられるわい!」 と諸将は軍神の化身の大胆な振る舞いに感嘆し、落ち着きを取り戻した。 同時に清姫の覚悟を知った。本陣の総大将を置き去りにして逃げるわけにはいかない。 退くに退けなくなった秋月兵たちは猛り立った。死勇を奮って、敵へと突進していった。 忽ちのうちに、秋月勢が盛り返しはじめた。 清姫は未だ月代を剃っている。目を閉じたまま、 「月代は広く剃れ」 と命じた。 「ははっ」 昌謙は汗を拭い拭い、無骨な手つきで剃刀を動かした。動かすたび、乱れ髪が除かれて、青々とした若い地肌が露わになっていった。昌謙の手元が狂い、何度か頭皮を傷つけたが、清姫は声ひとつたてなかった。 髪を落としながら薄目をあけ、敵勢を遠望した。そして、心の中、この戦の張本人である惟虎のことを思った。心に浮かぶ惟虎は少女の頃、密かに思い描いては胸をときめかせた凛々しい若武者のままだった。 ジリリ、とまた剃刀が鳴った。 清姫の月代が剃りあがる頃には、秋月勢は窮地を脱し、各所で坂元の兵を追い立てていた。 清姫は月代の自分を盥に張った水面で見た。 「涼しい」 風を感じるぞ、と瑞々しい月代に触れ、満足げに笑った。 「兜をおかぶりあそばしませ」 という昌謙の忠告もきかず、剃りあげた頭を真夏の天にかざし、采配をふるった。 「敵は浮き足立っておる! 今こそ攻めよや、攻めよ!」 秋月手強し、と見るや中津大膳は兵を退いた。秋月方の勝利だった。 「勝ち鬨をあげよ!」 と清姫が言ったのは、合戦がはじまって四刻後、すでに陽は西に傾いていた。その頃までには初めて剃った清姫の頭は、炎暑にさらされ続けたせいで、火ぶくれしていた。 本陣に集まってきた諸将たちに、 「痛い。ひりひり致すわ」 と清姫は真っ赤になった頭をなでながら笑った。 「よき男子振りにございますなあ」 「遅まきながらの元服でござるか」 と将たちも軽口を飛ばし、大いに笑った。 男の髷で帰城した秋姫と引見した義正は、 「その頭は如何した?」 と目を丸くした。 「昌謙に剃らせました。この方が侍らしゅう御座いましょう?」 と清姫は茶目な顔をつくって、おどけてみせた。 「そうか」 義正も微笑で応じた。そして、 「此度の戦い、よくやった。見事な働きである」 と主君の顔になった。 「ははっ」 と平伏する清姫。 「ついてはそなたに褒美を与えようと思う」 「褒美などご無用ですわ」 「なんの、信賞必罰は我が家の家訓だ。遠慮せず受け取るがよい」 「では頂きます」 「そなたに婿を授ける」 「えっ」 と仰天して顔をあげる清姫に、 「薄田の伜だ」 「まあ、昌謙を?!」 「なかなか良き武者ぶりだ。あれは行く末、秋月の家の柱石となる男だ」 そなたの良き伴侶となるであろう、と意地悪く冷やかされ、 「イヤッ、もう兄さまったらご冗談ばかり! 清は嫌ですよ。昌謙の妻になるなど真っ平ですわ」 「昌謙は案外、大器者ゆえ、そのような男髷の女房でも愛してくれよう」 「兄さまの意地悪っ」 頬を赤らめ小娘のようにドタバタとはしたなく御前から逃げ出す妹の様子に、 「脈はありそうだな」 と義正は呟き、ふふっ、と含み笑った。 思ふには忍ぶることぞ負けにける 色にはいでじと思ひしものを (古今和歌集 詠み人知らず) |
|