作品集に戻る


私立バチカブリ大学・春「脱処女」物語〜麻子の場合


「あっ! アクセス規制されてるうっ!! なんだよ、チクショウ! せっかく長文レス書いたのにぃぃ! コノッ、コノッ、コノッ!」
と鬼のような形相で再投稿、再々投稿、再々々投稿、再々々々投稿を試みるアタシの名は黒木麻子、22歳。私立八頭大学(通称・バチカブリ大)の四年生である。ここだけの話、彼氏いない歴=年齢・・・
いわゆる、

喪女

です。
 先日、意を決して、国内最大のネット掲示板22ちゃんねるに

 顔のソバカスで悩んでいます

というスレッドを立てた。

22歳学生です。
顔にソバカスがあり、コンプレックスです。
手術で除去しようか考え中です。
同じような境遇の方、いろいろお話聞かせて下さい。

と。
そうしたら、

 キモい

 ソバカス女は俺の半径5m以内に入るな

 よく外歩けるな

生きてて恥ずかしくないの?

 ぬふほあああ〜〜!! いきなり荒らされてるううう!!
 コンプレックスを解消したくてスレ立てて、思いっきりコンプレックスを刺激されまくってるよ! グサグサと。匿名だからって好き勝手なことを言うな! まあ、アタシも匿名だから好き勝手にスレッド立てたんだけど。
 ああ! 思い起こせば三ヶ月前、密かに想っていた同じゼミの堤クン(優良企業に就職内定)に勇気を出して告ったアタシ(四月からフリーター予定)だったが、
「ごめん、オレ、黒木さんをそういう目で見てなかったから・・・ほんと、ごめんね」
とあえなく撃沈。
「ホント、ごめんね。黒木さんならゼッタイ俺なんかよりもいい男と付き合えるよ」
という堤クン(優良企業に就職内定)の優しい心遣いが心にしみたアタシ(四月からフリーター予定)。縦令、その場しのぎの巧言でも、言霊に癒された。
 でも堤クン、陰では、
「黒木は顔のソバカスが、生理的に受け付けない」
と周囲に漏らしていたらしい。
 それを聞きつけた友人の館林さんが、
「堤のヤツ、麻子のこと、『黒木は顔のソバカスが、生理的に受け付けない』って言ってるらしいよ。許せないよね! 麻子がいないところで 『ソバカスの黒木』略して『ソバ黒』とか蕎麦屋みたいに呼んでるらしいよ。デリカシーってモンがないのかね! あんなヤツと付き合わなくて麻子、正解だよ!」
と憤っていた。デリカシーのない想い人とデリカシーのない女友達をダブルで持ってしまった不幸な自分に泣けた。
 小さい頃からコンプレックスだった。>ソバカス
 不思議なもので本人が気にしていなければ、周りも気にしないのだけど(むしろ「ソバカス可愛い」っていう男の子も多いらしいし)、本人が気にしていると、言わず語らずのうちに、周りにも伝わる。意識される。人によっては攻撃材料にされる。
「手術で消せるんでしょう? だったらやってみようかなあ」
と思わず口に出すと、姉御肌の館林さんは、
「やめときな」
 姉御肌っぽく言下に言った。
「コンプレックスを人工的に取り除いたところで、一時的な解決にしかなんないよ」
「そうかなあ」
「ソバカスが気になる。だからソバカスを消す」
「それで幸せになれるんならよくない?」
「なれない」
「うわっ、断言されたよ!」
「麻子の場合、そうすると、次のコンプレックスをさがしはじめるに決まってるよ。胸が小さい、とか、鼻が低い、とか、息が臭い、とかキリがなくなるだけだよ」
「アタシって息臭いの?!Σ( ̄□ ̄;)」
「い、いや、例えばの話で・・・麻子の息はミントの香りだよ」
 館林さん、フォロー下手にも程ってもんがあるよ・・・。
「と、とにかく、アタシはソバカスなんて気にするだけムダって言いたいの」
「今は口臭の方が気になってるよ・・・」
「と、とにかく問題の根本は麻子自身の弱さなんだから、麻子はもっと強くなるべきだよ。いちいち傷ついてるから、くだらないヤツが面白がって標的にするんだって。強い自分になれば、ソバカスも口臭も気にならなくなるはず!」
「や、やっぱアタシ、口臭あるのぉぉ?!」
「い、いや、だ、だから例えばの話で、麻子の息はミントの香りなんだってば」
「もういいっ!!」
と、まあ、傷口に塩どころかトリカブトをコッテリと塗られてしまった。とりあえず口臭についてはまめに歯磨きすることにした。
 でもソバカス除去の手術については、やっぱり時折頭をよぎる。
 美容整形手術で顔が変化すると運命が変わってしまう
という話も聞くが、就職浪人の決定した三流大学卒、彼氏いない歴=年齢のノーフューチャーな喪女の運が今以上に下降するとも思えない。もし今より下がったら自殺する、絶対。
 それでも匿名掲示板に匿名でスレを立てて、一応世間の民の声を聞いてみる弱気なアタシ。
 そしたら、いきなり荒らされまくり。罵声浴びせられまくり。コンプレックスつつかれまくり。
 なんとか荒らしを諌めようとカキコをするも、アクセス規制に巻き込まれてしまう始末。
 イライラしながらパソコンの前、規制解除を待つ。おかげで半日も空費してしまった。なんという青春の浪費っぷり・・・。
 アク禁されるべきは、どう考えても、現在進行形でアタシのスレッドを荒らしている連中だろうに。歯がゆい。ああ〜っ! チ○コの巨大AA貼られてるううう〜Σ( ̄□ ̄;)
 リアルでもネットでもケチがつきまくっている。
「クソッ!」
規制解除はまだかっ!
「麻子〜」
 父が呼んでいる。
「話があるから、ちょっと来てくれ〜」
「今、取り込み中! 後にして!」
「どうせネットでしょ」
と母の声。鋭い・・・。
「早く来い」
と急かされ、
「わかったよ」
 チッと舌打ち。パソコンの電源をそのままにして、親のいる居間に向かう。荒らし撃退の文章を脳内で推敲しつつ。

 その3分後、
「冗談じゃないわよ!」
 アタシはフルシチョフ書記長のように、テーブルをバンバン叩いて、両親に猛抗議していた。自分で言うのもなんですが、アタシ、ものすごい内弁慶なんです。これ、黒木麻子豆知識です。
 それはともかく、
「なんでアタシが荒行なんてしなくちゃなんないのよッ!」
「いや、だってさ、お前、就職決まってないし」
 今一番言われたくないことを父に言われ、
「ぐぬふ」
 ため息と歯噛みを同時にしてしまった。
 今更だがアタシの実家は寺だ。結構由緒ある寺。南北朝時代のえらい武将が植えた杉の木があったりする。
 で、アタシは長女。三人姉妹の一番上。
 就職できないなら修行して尼僧の資格を取って、寺に入れ
と両親が3分前、いきなり言い出した。
 まさに青天の霹靂!
 ただただ 周章狼狽、我を見失うアタシ。
 荒らしとか、もうどうでもいい。っつか勝手に荒せ。

 そう・・・これが近年、バチカブリ大の新名物になりつつある、

 春休み脱バリカン処女

である。
 卒業しても定職に就ける見込みのないダメ息子やダメ娘に因果を含め、坊さん尼さんに仕立てる。そんな住職がチラホラ出始めているらしい。イヤ過ぎる新名物だよ。
 去年、割と面倒をみてもらった園崎先輩(♀)も、就職活動がうまくいかず、親に説き伏せられ、しぶしぶ頭刈って、尼僧学林に入門した。
 そのときは、
「やっぱり不況なんだねえ」
と友人と呑気に言い合っていた。ついでに先輩の坊主ネタで笑っていた。
 が、もはや他人事ではない。
 しかもアタシの場合、園崎先輩と違って、なまじ格式の高い寺に生まれたものだから、生半可な修行では周りが納得しない。「寺格に見合った修行」が要求される。水かぶったり、火の上歩いたりする荒行レベルのやつ。
 無理! 無理です! 荒行とか絶対無理です!
 アタシ、学生時代、ずっと帰宅部だったし、体力も根性もない。
 それに、ああいうのって、すっごい怒鳴られたりするんでしょ? 無理! 昔バイト先の店長にちょっと叱られだけで辞めちゃったアタシには絶対耐えられない。考えただけで胃の中のクリームシチュー(夕食)、戻しちゃいそう・・・。
 無理!
 できない!
 イヤだ!
とゴネにゴネる。黒木ゴネ子と改名できそうなくらいゴネまくった。
 父と母は娘の頑強な抵抗に険しい顔を、一層険しくしている。
 彼らが心配しているのは、単にアタシの進路の問題だけではない。
 実は住職の父が一部の檀家さんとトラブってしまい、今、結構ヤバい状況らしい。「いちだい寺」に寺名が変わりそうなくらい。
 最悪の場合、父は引退も考えているようだ。でも引退しても後継者がいなくては、どうにもならない。
 だからアタシをねじ伏せてでも荒行に参加させなくてはならない。ラ○ウの闘気ばりの凄まじい気迫が、ガシガシ伝わってくる。
 テーブルの上にはすでに必要な書類がすべて用意されている。ひええええ〜っ!
 しかも、説得役には二人の妹も加わっている。
 高校を卒業してすぐ社会人になり、現在独立している次妹は、
 大学まで出してもらったんだから、少しは親孝行しろ
と迫るし、高校生の末妹は、
 「アルバイトしながら就職活動する」と言いながら、毎日ネットばかりやっていてバイト探しすらしていない
とアタシの現状を暴き立てる有様。
 まだ親の脛を齧るつもりか
 いい加減大人になれ
 家族の中で一番役に立っていない
 そのくせ姉妹の中で一番の金食い虫
 甘えるな
 楽ばかりせず少しは厳しい経験も積め
 部屋片付けろ
 ちゃんと無駄毛の処理しろ
 犬の散歩サボるな
 友達多いフリするのやめろ
 とにかく尼さんになれ
 いいから尼さんになれ
と、実は血を分けた兄弟こそがこの世で一番の仇敵ではないか、ってくらい責めに責められた。いつしか吊るし上げの場になっている(汗)
 テーブルの上には書類の他に和半紙が置かれている。

 「妙済」

と無駄に達筆でしたためられている。
 アタシの法名だという。
 お膳立ては完璧に整っている。家族の総力をあげて整えられている。あとはアタシ待ち。
 四対一の膝詰め談判は三時間にも及んだ。身内四人がかりのプレッシャーに三時間抵抗したアタシもすごい。この間、アタシのスレッドには40の荒らしレスがついていた(半数近くがチ○コの巨大AA)。
 結局、孤軍奮闘虚しく、アタシは両親と姉妹の前で荒行参加の書類を書かされた。ベソをかきながら書いた。捺印もした。
 最後に誓約書に署名した。文面にビビった。
 何か条もあったが、要約すると、
 一切の自由と権利を放棄します。煮るも焼くもご存分にして下さい。死ぬことがあっても自己責任なので諦めます。
という一種の奴隷契約だ。まあ、いちいち行者の自由と人権と安全を顧慮していては、荒行にならないわけなのだろうが、でも、流石にすんなりと署名するのは躊躇われる。
「どうした? 早くしろ」
「い、いや、ね・・・ちょっと内容を確認して――」
「いいから早く名前書け」
「やっぱ来年じゃダメ・・・もうちょっと考えさせ・・・」
「いいから早く名前書け」
 なんか家族に売り飛ばされるような心境になる。
 後で末妹が、
「姉貴の顔、蝋燭みたいに真っ白だった。人間、本当に恐怖したときは顔、真っ青じゃなくて真っ白になるんだね」
との新知識を得たほど、アタシは怯えに怯えていた。
 唯一救いがあるとすれば、アタシがやる茂神明神(通称)の荒行は、有髪でも入行できるらしいということ。
父に確認したら、
「ああ、確かに茂神明神は長い髪でも入行できる」
「わかったよ」
 芋ロング
と陰口叩かれていても、この長い黒髪は喪女であるアタシの最大の財産。数少ないウリのひとつだ。それなりに手入れもしている。月一回美容院でメンテナンスも欠かさない。親の金でだが・・・。
「切ったら?」とショートをすすめる美容師がいて、あんまりしつこかったので、その美容師を指名から外した。それくらいこだわっている髪だ。簡単にハサミを入れさせるわけにはいかない。
「早くサインしろ、妙済」
「げええっ! もう法名で呼ばれてるぅぅ!!」
 有髪OKという蜘蛛の糸にすがりつくが如く、自分を納得させ、30分粘った末、誓約書に自分の名前を書いた。黒・・・木・・・麻・・・・・・子。手が震えて変な字になった。そして、捺印。
 これで書類は全て揃った。
 アタシの進路も決した。
「確かに茂神明神は長い髪でも入行できる」
「それが不幸中の幸いだね」
「ただ入行後、一ヶ月すれば有髪の行者も頭を丸めなくちゃならん」
 ええええ〜Σ( ̄□ ̄;)
 何その意味のない一ヶ月の猶予!!
「お父さん! 麻子姉ちゃんが失神してる!!」
「心理的ショックで失神する人、ドラマ以外で初めて見た!!」

 そして、一ヶ月があっという間に経ち、いよいよ旅立ちの日。下手すれば死出の旅になる道行。
 荒行からのリタイアが許されるのは死んだときのみ。
 満行か、死か。
 まさか自分の人生で本当にDead or Alive的な状況に追い込まれるとは・・・。一ヶ月前には夢にも思わずにいたよ、とほほ。
 緊張と不安のあまり、昨晩今朝と立て続けに戻してしまった(汗)
「いよいよだな、妙済」
「父さん、法名で呼ばないで。なんか馴染まないから」
 遠い目でそう言うアタシは、最下級の僧侶の衣に、ロングヘアーを後ろで束ねている有髪修行尼スタイル。
「麻子姉ちゃん、結局頭剃らなかったね」
「『どうせ剃らなきゃならないなら潔く荒行前に丸める』って毎日宣言してたくせに、口ばっかりだったよね。昔から口先だけの人だったけど」
「う、うるさいよ(汗)」
「二人とも妙済お姉ちゃんを責めちゃダメよ」
「か、母さんまで法名はよして・・・」
「妙・・・麻子も昨日、覚悟をきめて駅前の床屋に行ったのよ。でも怖気づいて、床屋のそばのド○ールでミルクティー飲んで、本屋で立ち読みしただけで帰ってきたのよ」
「母さん、それは言わないで!」
「姉貴、あまりにもチキンすぎ!」
「いや、だって、行こうとしてた床屋、ガラス張りで外から丸見えなんだもん。坊主にされるトコ、通行人に見られるのイヤだよ」
「自意識過剰だよね」
「頭も剃れないで尼さんになるなよ」
「じゃあ、ならないよ」
「なれ!」
 なんだかひどい言われようだ。何故アタシがこんな目にあう? だって別に血縁的にはアタシでなく、妹のどちらかが尼になっても問題ないはずなのに・・・。父がトラブんなきゃ、こんなことにもならなかったわけだし・・・考えてみれば、就職浪人を口実に、家族によってたかって、責任を押し付けられたと言える。
 釈然としない。
 まあ、でも、末妹の
、 「『華と夢』は毎月買っておいてあげるから」
との心配りは嬉しかった。
いざ、出発! ・・・この場合、いざ、出家かな?


 荒行に入ってからの一ヶ月は、
 荒行という名の「合法的な虐待」を受けるのに、長い髪がどんだけ邪魔になるか
を骨の髄までわからせてくれた一ヶ月だったといえる。
 水行のとき、
 せいやああッ!
 せいやああッ!
と掛け声をかけ、キ○ガイのように冷水をバシャバシャかぶりまくる。暦は春だけど、山の中はとても寒い。アタシも含め荒行尼僧たちの身体からは、モワモワ湯気が立つほど。
死ぬかも・・・と思う。
 水行が終わっても、濡れた髪がベットリ肌にくっついて、冷たくて冷たくて仕方ない。坊主頭だったら、ササッと拭けば済むところを、ドライヤーもなく、濡れ髪のまま、ガチガチ歯を鳴らして震える羽目になる。
 睡眠時間はナポレオン並み。
 髪が長いアタシは他の尼さんより早く起きて、髪をセットしなければないない。別にオシャレでしているわけでなく、ちゃんと髪をまとめてないと指導員の坊さんに怒られるのだ。
 行中は激しく動き回るので、しっかりまとめておかないと大変だ。
 ちょっと髪をなおしているところを見つかれば、やっぱり怒られる。指導員によっては、小突かれる。
 お風呂にもほとんど入れない。シャンプーもリンスもない。石鹸のみ。仕方ないので石鹸で髪を洗う。
 こんなふうな状態だから髪が傷む。傷みに傷む。次第にブラシも通りづらくなるし、悪臭を放つようになる。脂も滲む。フケだらけになる。たまったもんじゃない。
 段々、
 髪ウゼー(><)
と思うようになる。
 ボウズの方が楽だし、衛生的だ。
 5分多く寝れる
というだけでもボウズは魅力的だ。
 第一、荒行に参加している周りの尼さんはみんな坊主頭。
 髪を伸ばしているのはアタシひとりだけ。
 他にもいるだろう、まさか自分だけってことはないだろう、とタカをくくっていたら、他の尼さんは全員丸坊主で、
ええええ〜!!(゜▽゜;)
と驚いた。
 たぶん他の尼さんは事前に親や師匠から、アタシが絶賛体験中の有髪デメリットを聞かされていて、さっさと丸めてしまったのだろう。
 なんだか気まずかった。別に違反ではないのだが、思いきり浮いてしまう上、いかにも潔くない。
「私は頭剃れませんでした!」と自分のチキンっぷりを外見で喧伝してるようなもので、カッコ悪い。キチンと剃髪している尼さんに引け目もおぼえる。アタシを見る他の尼さんたちの目も冷たいような気がする。
 とにかく肩身が狭い。
 部屋や洗面所に髪が落ちていたら、100%アタシなので、薬莢拾いの兵隊さんのように、目を光らせ、落ちた髪を神経質に拾ってまわる。気が休まることがない。
 仲良くなった同室の尼さんたちから、
「黒木さん、坊主は楽だよ〜」
としょっちゅう笑顔で冷やかされていた。
 本当に楽そうで羨ましかった。
 同期生たちは三日に一度くらいの割合で、頭にバリカンやシェーバーをあてていた。こんな環境にいれば、
 女が坊主頭はありえない
というごく当たり前の常識が揺らぎに揺ぐ。むしろ常識的な髪型の自分が「異分子」のように思えてくるから、慣れって怖い。
 たまに、
「麻ちゃんの髪の毛剃ってあげよっか?」
とバリカンをチラつかす荒行仲間もいた。
 チラつかされるバリカンが、砂漠を放浪する旅人に差し出される一杯のコップ水のように思える。ああ、剃れば、余計な苦労から解放れるぅぅ〜。この髪、バリカンでバ〜ッと全部刈り落としたら、すごい快感だろうなあ。
 が、断ってしまう。やっぱり抵抗がある。まだほんの少し、シャバの価値観が残存中。それに砂漠の放浪者にも放浪者なりの意地がある。けど、明らかに意地の張り場所を間違えてる。それが喪女クオリティ。
 常識が揺らぐといえば、縦社会もそう。
 指導するスタッフの権力ときたら、まさしく奴隷主。
 みんな、それぞれにおっかない。
 中でも厳章さんという三十歳くらいの坊さんが怖いのなんの。名前の通り厳しい厳しい。
 アタシは何故かこの厳章さんに目ェつけられてました。
 水行のときは、
「黒木がちゃんと水をかぶってなかった」
とイチャモンつけてきて、他の尼さんより十杯は余計に水かぶらされた。
 瞑想行のときも、
「集中せいっ!」
と喝棒で背中が腫れあがるほど、ビシバシ叩かれた。他の尼さんの三倍はシバかれていた。
読経のときも、
「黒木の声が出ていない」
とやっぱりイチャモンをつけられ、全員やり直し。みんな、すっかり奴隷根性になっていて、横暴な厳章さんではなく、アタシに恨めしげな目を向ける。
 ことあるごとに打たれた。何かといえば罰を与えられた。
 厳章さん、たまにアタシの名前を忘れて、
「そこのソバカス尼」
とか言われた(汗)
 シャバで言われていたことは、携帯番号のポータビリティー制度のように命がけの修行の場にさえ持ち越されてしまう。
 不思議なことに、指摘されることはポータブルされたが、指摘を受けるアタシ当人はポータブルされなかった。
 Dead or Aliveの状況で自分の面相など気にしている暇もない。
 毎朝洗顔の際、鏡の中の自分と対面するが、うまく言えないけれど、ある種、デトックスされたような清々しさをおぼえ、
 この顔なら坊主の方が似合うかも
とふと思ったりもする。自分の顔が丸ごと好きになっていることに気づく。そうなると、そばかすも単に自分の「付属物」とごく自然に割り切れるわけで、むしろ、あるべきものだという認識にさえ至る。コンプレックスだったものと自分との主従関係が、いつしか逆転していた。これを人は自信と呼ぶのか?
 「コンプレックスをいちいち排除するより、受け容れる強さを持て」という館林さんの言葉がようやく腑におちた。

 さて、そんなこんなで髪を落とす日が来た。
 入行一ヶ月目に、宗派の中興の祖と言われている昔のえらい坊さんの廟にお参りするのだが、そのときには全員、剃髪で参拝するのが慣わしになっている。
 だから参拝前日が有髪猶予の期限だ。

 期限が迫る頃には、アタシはもう長い髪を持て余しまくって、

 さっさとキレイサッパリ丸めてしまいたい!

という気持ちになっていた。とにかく有髪で得することなど、ここでは何ひとつない。あんなに気合い入れてケアしていた髪も、今ではフケの温床となっていた。あ〜、頭かゆっ!

 でも、夜の勤行が終わって、指導員の満啓さんに、
「黒木さんはこれから散髪するから残るように」
と名指しで言い渡されたときは、
 ――いよいよ来たか・・・。
 ゾワッと身体中が総毛だった。
 剃りたい、と思う気持ちの反面、剃りたくない、という乙女らしい執着もいまだに心の片隅にあるみたい。
 いよいよ
と思ったのはアタシだけでなく、すでに坊主頭にしている尼僧たちも、同じらしい。ワクワク感いっぱいの視線がアタシの髪にブスブスと突き刺さる。
 そんなイジワルな視線に見送られ、満啓さんに付き従う。
「まあ、一応決まり事だからね」
と満啓さん。
 満啓さんがハサミを入れてくれるのかな。かなりドキドキする。満啓さん、結構好きなんだよね。特にイケメンではないけれど、指導員の中では一番物腰が柔らかい。女の子の気持ちわかってくれるし、頼りになるし、ポイント高い。アタシの中で「剃られたい男」NO1です。
「ここで散髪するから」
と案内されたのは、別棟にあるこじんまりとした一室。ここが断髪式の式場のようだ。
 待っていたのは・・・
「おう、来やがったな」
 げえっ、厳章さん?!
「何故顔をしかめる?」
「し、しかめてないですっ!」
 バリカン片手の厳章さん、
「ここに座れ」
と手前の丸椅子をさす。
 あっ、と気づいたときにはアタシの身体は命じられるまま、椅子に腰をおろしていた。毎日の奴隷教育の賜物だ。
 満啓さんはといえば、
「じゃあ、厳さん、あとよろしくね」
と言い残し、さっさと行ってしまった。
 迷子のような気分のアタシに、
「ったく、余計な手間かけさせやがって」
 あいかわらず高圧的な厳章さん。現在「剃られたくない男」NO・1の王座をキープし続けている。
 言われるままに髪ゴムをとる。解かれた髪が、ドバ〜ッと、ダムの放水のように、肩に背に垂れこぼれる。
 厳章さんはガサガサとナイロンの散髪用ケープをアタシの首に巻く。にしても、ケープ汚いな! 変色してるし、カビ臭いし。やっぱり素直に仲間に切ってもらえば良かった。
 厳章さんはそんなアタシの気持ちも知らず、まあ、知ったところでこの人のS心は逆に満たされるんだろうが、さっさとバリカンのスイッチを入れていた。
 ムウウウウウゥゥゥ
とバリカンがこもった声で唸りはじめる。さすがに緊張する。
「ブス尼は頭丸めてなんぼだぞ」
 わかってるな!と叱責するように大声を出す厳章さん。
「はいっ!」
 アタシもつられて大声で返事をしてしまった。実は半ギレしてた。今まで我慢してきたけど、厳章、マジでムカつく!! 死ね! 血がいっぱい出る死に方しろっ!
「なんで怒ってる?」
「お、怒ってないっすよ」
 あわてて抵抗より忍従を選ぶソバカスの女奴隷。
 まさかこの三年後、この人の子供産むことになろうとはね・・・。人生はミステリアス・・・。
「と、とにかく、長い髪、本気でウザいんで、バ〜ッと刈っちゃって下さい」
「言われなくてもそうする」
 前髪をガッサーと掴まれ持ち上げられて、額髪の根っこに、
ムウウウウゥゥゥゥ
と不気味に鳴るバリカンが挿し入れられる。
 ザジッ
と髪が鉄にあたって弾ける音。ぬふへっ! これがバリカンの感触か! この感触を知らずに一生を終える女の人も普通にいっぱいいるんだよな。そう考えると、アタシはラッキーなのかアンラッキーなのか。
 じゃあああああ〜っ
とバリカンの刃の感触が、額の生え際から、まっすぐ頭の頂あたりまでのぼりつめる。
 初めてのバリカンの感想は、テレビなんかで他人(♂)が刈られてるの見ながら、想像していたのとほとんど同じだった。
 でも少し痛い。
 バリカンのせいではなく、髪のせい。この一ヶ月、手入れもシャンプーもできずにいて、モッサモサのグッシャグシャだから、バリカンの刃が少々入りにくくなっていた。
 ふた刈り目のバリカンが差し込まれる。最初に刈ったところの右隣に。
 ズッ、ズズ・・・ズイイイイイイイイィィィィィ
 深くえぐるようにバリカンが走る。
 ボトッ
と髪がケープ越しに肩をたたき、畳の上の新聞紙(修行の場なのに何故かスポーツ紙)に垂れ落ちる。脂でギトッとして、なんか匂いそう。黒い、重い、臭い、脂っぽい、フケっぽいの五拍子、男のオタクの髪みたい。自分の髪なんだけど、正直あんまり触る気になれない。
 ムウウウウウウウウゥゥゥゥ、
ズブ、とまたバリカンが挿され、びいいーん、と髪が除かれる。
 ぬふぃっ! 右側メチャ涼しい! 早く触りたいっ! きっとジョリジョリするんだろうなあ。
そういえば中学のとき、クラスメイトの金子って男子がボーズにしてきたことがあった。
クラスの中心的女子グループが坊主頭を触らせてもらっていたので、アタシも便乗して触らせてもらおうとしたら、
「は? なんで黒木が触んの?」
と白けきった表情で言われた。女子たちも沈黙して同意してた。触ろうとあげた手を戻せないまま、自分の席に退却した。軽いトラウマ。金子といい堤といい館林さんといい、もしかしてアタシの場合、トラウマを増やすために生きてるようなものなのか?
 まあ、いい。金子の坊主頭なんてどうでもいい。自分の坊主頭を思う存分触って、あのときの埋め合わせをする。江戸の仇を長崎で討ってやる!
 ムウウウウゥゥゥ
と額ド真ん中からツムジにかけて振動が走る。
 ベチャッ、ボタッ
と髪が落ちる。気持ち良すぎる。
 さらにバリカン。ひと刈り、ふた刈り、右から左へ。
 頭がみるみる軽くなる。
 減った頭上の重みの分だけの髪が、新聞紙の上にどんどん堆積していく。何百グラムかはわからないが、相当なもんだ。よくこんなモン頭にかぶって、これまでコマネズミみたいに動きまわれたものだ。我ながら驚く。やっぱボウズだよ、ボウズ。ロングで荒行とか、ほんと仏の道、ナメてたわ。
 両鬢も余さず刈りあげられた。下から上へ、じゃあああ〜っ、下から上へ、じゃああああ〜っ、と。
「今まで何度か有髪の尼の頭を刈ってやったが、こんなに長い髪のヤツは初めてだ」
と厳章さんは憎まれ口をたたきなながら、後ろの髪をウィンウィン刈り上げていく。多少悪戦苦闘していた。半ばサディストで半ば奉仕者のようだ。厳章さん、性格は置いといて、指導僧侶の中で一番のイケメンだし、案外ラッキーだったかもね。
 15分くらいでクリクリにされた。サッパリ! スッキリ!
 今日からアタシも荒行カット。
 心の底からせいせいした。
「うはっ、サッパリしたあぁ」
「バカッ、頭をこすりまわすな! フケが飛ぶだろ! 後は俺が片付けておくから、さっさと頭洗え。毛屑とフケを落としてから、部屋に戻れ」
「はいよ」
と、うっかりナメた返事をして、ポカリとやられた(汗)
 流し場で丸刈り頭を、じゃぶじゃぶ洗う。裸頭に水の冷たさを感じる。頭皮にたまりにたまったフケや汚れを、きれいに流し落とす。爽快の一語に尽きる。
 トイレの鏡で坊主頭の顔を確認した。なんというか、
「セクスィーなカツオ」
という感じだった。微妙だ・・・。微妙だが、
 あり!
と気合いで全肯定してやった。
 それにしても、ナニ、この軽さ?!
 ナニ、この空気抵抗のなさ?!
 ナニ、この一皮むけた感?!
 歩くスピードも早くなる。足取りも軽い、軽い! リストバンドをはずした悟空のような気分。  ついには、タ〜ンタララ〜ン、とバレリーナの真似をしながら部屋に戻った(途中で指導員のFさんに見つかって、「廊下でふざけるな」と扇子で頭をはたかれた)。
 部屋に戻るなり、待ち構えていた同室の尼さん連中に、
「カワイイ」「似合う」「「よくやった」「そっちの方が尼さんぽい」「男前になった」「切るのが遅いぞ」「これで坊主仲間」「うちの弟に似てる」「見てる方も胸のすくような思い」「もう一生坊主で通せ」「触らせて」「とにかく触らせて」
などの上から目線の賛辞を浴びせられた。かなり照れ臭かった。
「どちらさまでしたっけ〜?」
なんてニヤニヤしながら、すっとぼける尼さんもいた。
「黒木だよ、黒木! ほら、ソバカスあるでしょ? よく見て!」
と負けずに切り返してやった。

 そして、それからひと月の間、アタシは同室の尼さんたちに、全員がかりでセルフ坊主のワザを仕込まれ、バリカンなしでは生きていけないほどの丸刈りクリ子に生まれ変わらされてしまったのだった。よっしゃ! 今日も剃るぞ!

 初めての散髪を請け負ってくれた厳章さんとは、この夜を境に親密になりはじめた。
 後で聞かされたが、厳章さん、ソバカス女性フェチ(?)でアタシのこと、初めて会ったときから好きだったらしい。
 でも下手に贔屓すれば、アタシが仲間に嫉妬されるし、元々好きな娘をイジメてしまいたくなる嗜虐嗜好だったため、わざと意地悪く接していたそうだ。ありがた迷惑というか、迷惑だけどありがとう、というか・・・。
 結局アタシとしては、後者の気持ちが強くなって、厳章さんの側もアタシの気持ちに呼応して、鞭だけでなく飴もいっぱいくれるようになった。
 いつしか完全に両想い。
 満行の日、麓の町で落ちあい、肌を重ねた。
 荒行で死ぬほど疲れ果てていたが、それはそれ、恋愛は「別腹」だ。
 厳章さんはことが終わっても、
「かわいいよ、麻子・・・」
とソバカスに唇をあてて、愛撫してくれた。荒行中とはうって変わって、シャバでは優しい男性だった。

 実家に生還。
 玄関で出迎えた妹、最初アタシが誰かわからなかった。
 出発したときには、無職、彼氏イナイ歴=年齢、芋ロングの喪女だった姉が、爽やか系の剃髪尼さんとなり、しかも婿候補の男同伴で帰還したのだから、無理もない。ある種、お伽話的な展開だ。
「どうよ? 満行してやったゼ!」
と胸を反らせる坊主頭のアタシに、
「ご、ご苦労さまでしたっ!」
 家族一同、玄関で三つ指ついてねぎらわれた。厄介者から一気にサクセス! ある種、水戸黄門的な展開だ。
 威張るのはその辺にして、以後は真面目に寺の仕事を手伝う。
 バリバリ働き、バリバリ頭も剃る。その合間にきっちり恋も楽しむ。
 少しは休んだ方がいいよ
 髪も伸ばしなよ
 もっと遊べばいいのに
と親や妹たちは出家前とはうって変わって、気をまわしてくれたが、葬祭ビジネスに興味を持ち始めたアタシには尼僧業が楽しくてしかたない。現在、霊園墓地をやらないか、という話をもらい、父の代理で八方飛び回っている。ちょっとした女性実業家だ。
 厳章さんとは交際半年で婚約成立。
「髪伸ばさないのか?」
と厳章さんも家族と同じことを言う。
「これもビジネスの小道具なんだよ」
 剃髪の尼僧の方が葬祭業者も信用してくれるのだ、と丸い頭をなでながら、答える。本当は快適だからしてるんだけど。
「大丈夫、厳ちゃん以外の男には剃らせないから」
「そ、そうなのか?」
 厳ちゃん、何故か嬉しそう。いつしか手玉に取られ、尻に敷かれていることに気づいてない。
 全ては順風満帆♪

 霊園経営のことで調べる物があって、ネットサーフィンしていたら、
 ――おお!
 一年以上前に立てた掲示板のスレッドに辿り着いた。

22歳学生です。
顔にソバカスがあり、コンプレックスです。
手術で除去しようか考え中です。
同じような境遇の方、いろいろお話聞かせて下さい。

一年前の自分と再会する。
懐かしい。
スレはすっかり過疎って、一ヶ月に一回、思い出したようにポツポツとコピペがある程度。

 過去の自分を嗤う気にはなれなかった。
 このときはこのときで精いっぱい悩んで、懸命にあがいていたのだから。

>>1へ

と過去の自分にレスをつけた。

大丈夫、きっとうまくいくから。
本当だよ。
絶対うまくいくから。
大丈夫!





(了)



    あとがき

今年になって初めて書いた小説です。
前々から何度か書いていた「ポジティブな剃髪」ストーリーです。
精神的なポジティブではなく、
野暮ったいロングの非モテ系のネーチャン→凛々しく爽やかなモテ系尼さん
ロング、邪魔くさい→坊主にしてサッパリ
っていう外見的なポジティブ剃髪!
このお話は「図書館では教えてくれない〜」や「エリカお嬢様」同様、まずイラストを書いて、そこから小説にしました。
長い割に結構地味な話のような・・・(^^;
最後までお付き合い下さりありがとうございました!




作品集に戻る


inserted by FC2 system