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地獄の一丁目余話〜安達小夜子かく語りき


 鈴宮ハルカのことを、
「鈴宮」
と自然に呼び捨てにできるようになったのはごく最近のこと。地獄の一丁目、G学院での修行が折り返し点になった頃だ。
 G学院の女子院生では、唯一同じ年なわけだし、そもそも向こうは最初から、
「安達」
って呼び捨て。なのに私はずっと
「鈴宮さん」
と、さん付けで彼女のことを呼んでいた。ときには、「そうッスよね」なんて格下口調になることもあった。これもキャラの違いというものだろう。
 小さい頃から継母の許、いい子でいなくちゃ、と磨り減るくらいに神経を使ってきた苦労人の私と、両親に甘やかされて奔放に生きてきた自由人の鈴宮ハルカでは、人間関係において、どうしても私の方が鈴宮ハルカにリードされてしまう。
でも、半年以上、毎日一緒にシゴかれて、シゴかれて、シゴかれまくって、同じ釜のご飯を食べて、普通の女の子には想像すらつかない体験を共有している。彼女との関係はすでに単なる「友人」ってレベルを遥かに超えてしまっている。
 だから、親愛の情をこめて、
「鈴宮」
って呼ぶ。
「何さ」
 呼ばれた鈴宮は私を振り返る。
 G学院の午後の廊下、いつの間にか凛々しくなった鈴宮の面差しに、ドキッと心臓が鳴る。
 出会ったときの鈴宮ハルカは、実年齢よりずっと子供っぽかった。
まるで猟師に生け捕りにされた子狸みたいに、不安げで頼りなげで、落ち着きがなく、そのくせやたら排他的だった。
まあ、鈴宮の場合、思惟する時間も十分与えられないまま、突然こんな地獄に放り込まれたのだから、仕方ないといえば仕方ない。
精神の未熟さが顔全体に浮き出ていた鈴宮だけど、今ではすっかり大人びた顔つきになっている。他人の成長はよくわかる。
 鈴宮ハルカを鏡に、きっと自分もこういう風貌になっているんだろうな、と思う。
「今度の馳経の口頭試験だけど」
「ああ、そろそろ“泰象界行“だからね、アタシは徹夜しなきゃなんないかも」
「私もそうかな」
「“泰象界行”が終われば、“大四食”だから、ひと息つけるよな」
 ニカッと笑う鈴宮の白い歯が、目に焼きつくほど眩しい。いつの間にか、専門用語が互いの口から、ポンポン飛び出すようになっていた。
「とりあえず目の前の試験をクリアーしないとな」
 そう言う鈴宮には、すでに坊主頭が似合っている。いや、精悍な修行尼僧の面構えになってしまった鈴宮には、もう坊主以外の髪型は似合わないだろう。
 それは、たぶん、私も同じだろう。

 G学院に入る話が出たとき、初めて父親に反抗した。
 ボウズなんて嫌だ、絶対似合わない!と優等生の仮面をかなぐり捨てて、泣きじゃくり、駄々をこねる私に父は、
「修行が終わる頃には、坊主頭の似合う顔になっとる」
 皆そうだ、と半分慰めるように、半分叱咤するように言った。
 確かに父の言う通りだ。
 まあ、それも当たり前か、と苦笑する。
 だって、軍隊並みの過酷な環境で、24時間体制で僧侶としての知識や心得を叩き込まれているのだ。女性なら誰だって「尼さんの顔」になる。ならない方がおかしい。尼さんの顔になれば、当然、坊主頭が一番しっくりくる。
 入院当初は、違った。
 頭はきれいに剃っていても、どの尼僧候補生の顔も普通の女の子の顔だった。
まだあどけなく、俗世の匂いを漂わせた顔に坊主頭はミスマッチだった。
 法衣を脱ぎ、お風呂に入ると、違和感はますます鮮明になった。
 ヒョロッとした虚弱そうな身体、ポッチャリとしたカロリー過多の身体、青白い肌に包まれた身体、どの娘の身体も俗世にいた頃の運動不足、気ままな食生活、異性を意識したプロポーション作り、といった俗臭を放っていて、修養生活とは程遠いものだった。水泳で鍛えていた私の身体は例外に近かった。
 そうした坊主頭の女性の群れが浴槽につかっている光景は、僧侶の修業道場というより、アウシュビッツを連想させた。

 拷問のように身体を酷使する修行生活、しかもヘマをやれば鬼のような指導員に容赦なく叱責される。ときには体罰をふるわれることもある。
 さらに恐ろしいことに、ここでは、「連帯責任」という旧社会的な悪弊が大手をふってまかり通っている。
 できない人がいれば、本人だけでなく周りの人間も罰を受ける。
 だから、皆、仲間に迷惑をかけまいと必死になる。他人のためというより、迷惑をかけて仲間の恨みを買うのが恐ろしいのだ。
 来栖、安井という学院きっての劣等生と同室になってしまった私は、自分の不運を呪った。
 二人とも学院ではトップクラスの美人だったが、何をやらせてもミスばかり。お経も所作も満足におぼえられない。本当に寺の娘なのかと訝るほど、仏教にくらかった。
 ワガママで自己中なところは、なるほど、確かに「お寺のお嬢さん」ぽかった。
 自分のせいで他の同室の人間――て言うか私が迷惑を蒙っているのに、負い目を感じている様子など微塵もなかった。
 来栖さんは毎晩「帰りたい」と泣いていた。
「なんでぇ、なんでこんなトコにいなくちゃなんないのォ」
と周囲もはばからず子供のように泣き声をあげていた。私まで気が滅入った。
泣くのは来栖さんの勝手だけど、来栖さんは院生各自に義務付けられている課題もろくにできなかった。
できなければ連帯責任で罰なので、仕方なく私が来栖さんの分の課題も、代わりにやる羽目になった。
 今だったら、
「その代わり、牛乳一本ッスよ」
と巧みに取り引きするのだけど、学院生活に慣れていない当時の私は、想定外のノルマにヒイヒイあえぎ、死にそうになっていた。
「安達さん、ごめんねぇ〜」
と来栖さんはいつも甘ったるい声で、申し訳なさそうに謝ってきた。
 ――憎めない人だなあ・・・
と甘え上手な来栖さんに肩をすくめた。俗世では、こうやって男の人にいろいろオネダリして、いい思いをしてきたんだろうなあ、とボンヤリ考えたりした。
 来栖さん、悪い人じゃないんだけど、かなり図々しくて、人間関係でなるべく波風を立てたくないという私の弱みを、本能的に見抜いていて、
「安達さん、いい人だね。ありがとう」
と面倒な課題をドシドシ押し付けられた。非常にストレスだった。
 下界にいたときも私はこんな調子で、友人から体よく利用されているところがあった。頭を丸め、出家生活に入っても、そういう負の関係を紡いでしまう。うんざりする。
 もう一人のルームメイト、安井さんの方はもっと厄介だった。
 とにかくコミュニケーションがとれない。
 同室の私たちともまったくしゃべろうとせず、話しかけても「ああ」とか「うん」とかばかり。いつも暗い表情で、虚空を見つめていた。
 しゃべらないのは、これも安井さんの勝手なんだけれど、ここでの修行生活はどうしても院生同士の横の連携を必要とする。
 安井さんのせいで、連絡が行きわたらなかったり、安井さんだけチグハグなことをやっていたり、やるべきことをやらなかったり、わからないことがあったら周りの人間に訊けばいいのに、訊かないでミスやらかすことも、しょっちゅうで、
「お前ら同じ部屋の者同士、何故、助け合わんのか!」
 バカモノッ!といつも連帯責任でお灸を据えられていた。
 自分のせいで私たちまで被害が及んでいるにも関わらず、安井さんは自分の殻にこもりっぱなしで、謝りもしなかった。
 同室の二人のおかげで、私は地獄の業火の火力をさらにアップされる形となった。
 そのくせ、来栖さんも安井さんも男子の院生に滅法人気がある。絶えずアプローチされている。別にモテたいとは思わないけど、なんだか、ひどく不公平に思えた。
「大変ねえ」
とG学院には珍しい年配の尼僧候補生の鞍馬さんは同情してくれた。
「鞍馬さんと同じ部屋だったら良かったのに」
と私は心の底から嘆いた。
来栖安井の劣等生コンビとこれから一年以上、一蓮托生の関係が続くかと思うと絶望的な気持ちになった。
脱走したいとまで思いつめた。
だけど、継母と義理の妹のいる実家に戻る気には到底なれなかった。
くじけそうになると、いつも頭に手をやる。
ザラリとした頭皮の感触が掌に、掌の温もりがむき出しになった頭皮に伝わる。そのたび、
――こんな頭になっちゃ、ここで頑張るしかない。
 そう自分に言い聞かせた。
僧職を得れば、道も開ける。結局、ここで死ぬなら、それまでの運命なのだろう。
坊主頭はいつも諦めに似た覚悟を私におこさせた。

 入門して一週間ちょっと経った頃だった。
院生監督の賢了さんが院生全員を正座させ、怒気を満面にみなぎらせて、私たちの身だしなみについて、散々叱りつけたことがあった。
お説教も山場となり、
「特に尼僧!」
と賢了さんは声を張り上げた。
「ちゃんと頭の手入れをせい! 見苦しい!」
 ギクリとした。全身に冷や汗が流れるのを感じた。
 私も含め、いつの間にか坊主頭が黒々と伸びてきている尼僧がチラホラ見受けられる。
 一応、剃髪を保つため、シックの二枚刃をまとめ買いしたのが荷物にある。
 だけど、入院してから、まだ一回も使っていない。
 剃髪が習慣になっていないのだ。
 男子院生とか入院のずっと前に剃髪をすませた尼僧は、すでに日課として、浴場や自室で頭を剃っている。彼ら彼女らの頭は、いつも清清しく保たれていた。
 ギリギリまで髪を切れず、入院直前に、学院のそばの床屋でロングヘアーをバッサリ刈り落とした私みたいな「駆け込み剃髪組」はそこら辺、未練がましい。
 なにしろ一週間ちょっと前まで、髪を長く伸ばしていた。カットは美容室、セルフカットするなら前髪や枝毛をチョキチョキ程度だった。
 剃髪するときも全部床屋任せだった。
 それが二回目からは自分で剃刀を使って、わずかな時間で、頭全体をゾリゾリ剃らなければないない。
 技術的にも怖いし、気持ち的にも抵抗がある。
外側ばかり尼さんになっても、内側にはまだ丈長き髪の乙女がいる。
 心は長い髪の乙女のまま、下界にいた頃のように無防備に髪をかきあげようと、頭に手をやる。指先がザリと坊主頭に触れ、ハッとなる。
周りに人がいれば、
「あ、髪なかったんだっけ」
と笑い飛ばせるが、誰もいないとき、言いようのない喪失感に襲われる。その不意打ちの喪失感は、初めて坊主頭の自分と対面したときより、激しく私を動揺させる。暗澹とさせる。
心の中に棲む乙女は、剃髪の必要を感じている僧侶の私に、さりげなくブレーキをかける。
 うっすら伸びはじめた髪を、
「そろそろ剃らなきゃマズイな」
と剃刀の必要を感じる尼僧の私と、
「なんかもったいないなあ」
と惜しむ乙女の私が、いつも洗面台の鏡の前でケンカしている。そして、
「明日剃るか」
とつい不精してしまう。二度目の剃髪を先送りにしてしまう。
 こういう自分、あまり好きではない。潔くない感じがする。
 ナンテいう地味な葛藤が幾日も続いていたところに、賢了さんの大目玉。
「修業尼僧の頭が伸びてるのは、堕落の証拠だっ! みっともない! だらしない! 恥を知れっ!」
 大喝され、居たたまれない気持ちになる。
「今年の女子院生は特にひどいぞ!」
 賢了さんの怒りはおさまらない。この辺りでまだ未練たらしくシャバ気分を引きずっている尼僧の卵どもに、ヤキをいれてやろうと考えていたのだろう。
「わかっとんのか!」
 一番前列で正座している女子院生の一之瀬がいきなり叩かれた。彼女の頭も伸び放題の真っ黒けだ。
 一之瀬はまだ十代。元ギャルらしい。
 こういう集団だと大抵「叱られ役」というのがいる。全員を叱るより、とりあえず一人をガツンと叱ってみせて、士気をひきしめる。
 後に鈴宮ハルカが入院してくるまで、一之瀬が女子院生の叱られ役だった。
 この日の叱られ方は、とりわけ凄まじかった。
 いつもはポカリで済むのだが、賢了さんは相当ヒートアップしていて、ポカリだけではおさまらず、いきなり一之瀬の胸倉をつかんで、
「頭剃る気がないのか! ええ?! 半端な頭しくさりやがって! 剃りたくないんなら出て行けッ!」
 私を含め、剃髪をサボッていた尼僧は息を殺し、身を縮こまらせ、生きた心地もない。
「別にそんな浮ついた心構えで嫌々修行されたって、こっちが迷惑だ! 髪を伸ばしたいのなら、他の道場に行け!」
一之瀬はボロボロ泣いている。かろうじて泣き声だけは立てず、唇を噛んで耐えていた。
オラ! 出ていけ!と、とうとう一之瀬は畳を引きずり回され、足蹴にされた。
この地獄では目上の僧侶には、
「はい」
以外の返答は許されない。
 理不尽な命令にも、
「はい!」
 叱られても、
「はい!」
 罵詈雑言を浴びせられたって、
「はい!」
が鉄則だ。
が、一之瀬もさすがにヤクザまがいの暴行に耐えかね、
「す、すいません! そ、そ、剃ります! 剃りますッ!」
と泣きながら悲鳴をあげた。
 ようやく副監督の鉄山さんが執り成しに入り、賢了さんも
「わかっとるな!」
 名残惜しそうに一之瀬を踏みつけながら、私たちに向き直った。
「もし明日、一人でも学院の恥さらすような頭しとったら、女子院生全員、『ホトトギス』だからなッ!」
 「ホトトギス」とは便器なめの刑のこと。脅しではなく、長年の伝統として日常において執行されているらしい。
 女子院生は顔面蒼白になっていた。
どの顔も、
早く剃らなきゃ!!
と切迫していた。私もきっと同じ顔をしていたに違いない。

 その日の浴場は戦場さながらの騒ぎだった。
 入浴は交代制。時間は十五分しかない。
 そのわずかな時間で生まれて初めてのセルフシェービングに挑む尼僧の卵たち。
 湯煙の中、血まみれの坊主頭がゾロリと並んでいた。あわて者の一之瀬などはガリリと後頭部を削ってしまい、
「ぐおお」
と悶絶していた。
鏡がすぐ湯気で曇ってしまい、
「もぉ〜!」
とイライラと手で拭き拭き、剃刀を使っている尼さんもいた。
 仲間同士、
「どう? 剃り残しある? ある?」
とチェックし合ってる尼さんもいた。
傍から見れば、かなりシュールな光景だったが、そんな自己を省みる余裕などない。とにかく、ちょっとでも剃り残しがあったら、明日どうなるかわからない。
つい一週間前まで、シャンプー、リンス、ドライヤー、ブラッシング、髪パック、ヘアワックス、ヘアスプレー、ヘアマッサージを欠かさなかったレディーたちが素裸で、頭皮まで剥ぐような勢いで、頭を剃りあげていた。
青々とした剃髪に戻った女の子たちは頭をなでながら笑っていた。満足そうな笑顔だった。
わかるような気がした。
最初、あれよあれよという間に他人によって剃られた頭は、拒絶感ばかりが先に立つ。しかし、二回目は自力で一生懸命剃りあげた坊主頭だから、例えば不恰好でも自分手作りの小物入れに感じるような愛情を、達成感とともにおぼえるのだろう。
初めて作ったお手製のケーキのお焦げを、ご愛嬌と感じるように、
「ブッチャー流血〜」
と古いギャグで、傷だらけの頭を自虐的に笑い飛ばしてみせる尼さんもいた。
 二人一組になって剃り合いをしている尼さんもいた。これまで人の頭を剃った経験のない娘たちだから、剃り方も見よう見真似、
「ちょっとォ〜」
「いいじゃん、いいじゃん」
なんていうやり取りが見受けられた。
で、剃り合っているうちに、だんだん親密になってきて、
「ボウズにする前は結構長かったんだよ」
「どこでボウズにしたの?」
「檀家さんが床屋をしててね、そこでやってもらったよ」
「バリカンでブイーンて?」
「そうそうそう!」
「アタシもだよ〜」
「泣いた?」
「泣いた泣いた! チョー泣いた」
「泣いちゃうよね」
といつしか初剃りの体験談で盛り上がったりしている。
女の園とワイルドさが自然に同居している、この雰囲気はどこか女子部活動の合宿風景を連想させた。
 私も観察している場合ではない。
 剃る場所を空けてもらい、風呂椅子に座る。
頭を低くさげる。
用意のシックをまずは頭頂部にあてる。
やや躊躇いがちに前にひく。
 ジー
という摩擦音がする。摩擦の感触を頭皮と剃刀を持った指、双方に感じた。
 腋毛を手入れする要領で、丁寧に剃刀をあてていく。
四回くらいひいて、剃刀を洗面器のお湯に浸し、ジャブジャブとかき回す。剃り髪が粉のようになって、お湯の中、くるくる浮き沈みする。
几帳面な性格が剃り方にも反映されている。お陰で流血の被害は避けられている。が、少々スローペースだ。
「貸してみな」
と剃刀を取り上げられた。顔をあげると鞍馬さんが苦笑していた。
「そんなノロノロやってたら、次の入浴組が来ちゃうよ」
 そう言って、鞍馬さんは、恐縮する私の頭をさっさと剃り始めた。
鞍馬さんは二日おきに剃髪しているので、私よりは剃刀の扱いがうまい。だから安心して頭を委ねた。
「剃髪は尼僧の身だしなみだよ」
と私の耳を前にひっぱり、その裏をジョリジョリと掻き出すように軽く剃った。
 襟足を剃りおろすとき、えも言われぬ爽快感があった。剃髪で初めて快感をおぼえた。
「男子院生に瀬名って子、いるじゃない?」
と鞍馬さん。
「ああ、いますね」
「結構いい男だよね」
 鞍馬さんがしゃべるたび、うなじに鞍馬さんの息があたる。それが心地よい。
「そこまで観察する余裕ないッスよ」
と言うと、鞍馬さんは、あはは、と笑った。やっぱり、うなじに息があたった。
「安達さん、アタックしちゃえば?」
「ははは・・・」
「いいじゃん、尼さんだって女なんだよ」
「鞍馬さんはなんで尼さんになったんスか?」
 話題を変えた。年配の尼僧に対する好奇心はずっとあった。
「あたし?」
 鞍馬さんは剃刀の手を休めず、
「ホントはなりたくなかったんだけどね〜」
とおどけた口調で言った。
「旦那が住職だったんだけどね」
 去年の終わり頃、急逝されたという。子供はおらず、寺を継ぐ人がいなかった。後継者をめぐって、色々あったらしい。
「寺を出ていっちゃっても良かったんだけどね、せっかく旦那が一生懸命築きあげたものを捨てちゃうのも寂しくてさ」
 在家の出身ながら僧侶となり、寺を継ぐと決めたそうだ。
 女性の鞍馬さんが後継するのに反対する人もいて、特に檀家のえらい人たちがその急先鋒だった。
揉めに揉めた末、
 どうしても継ぐつもりなら
と出された条件がG学院での修行だった。
「嫌がらせだね」
と鞍馬さんは言う。
「あたしが地獄の生活に音をあげて僧職を諦めるのを期待してるんだよ」
 鞍馬さんの身の上が自分の境遇と似ていて、驚いた。

私も継母の差し金で、ここに入れられた。
 継母は私が厳しい修行から脱落することを望んでいる。
 もし私がここを逃げ出せば、継母は得たりとばかりに、
「小夜子には僧侶は無理よ」
とすかさず代わりに実の娘を後継者に推すだろう。
義理の妹は僧侶の婿をとって、寺を継ぐ。それが継母のシナリオだ。
実家の寺は彼女と彼女の実の娘に乗っ取られる。後継者から転落した私は、もはや厄介者でしかなく、実家に私の居場所はなくなる。
 G学院には入りません、僧侶にはなりません、大学を卒業すれば実家を出ます、お寺は貴女方のご自由に、とさっさと跡取りの座をあの人たちに明け渡してしまえば、こんな苦労、せずに済んだはずだ。
でも、私は悩んだ末、地獄行きを決めた。
本音を言えば、特に僧侶になりたいわけでもない。寺だってどうでもいい。
ただ、ここでの修行をやり遂げ、僧侶になることで、あの人の鼻をあかすことができるのなら、たまらなく愉快だ。
そして跡継ぎとなって、寺の実権を握れば、これまで私を苛め抜いてきたあの人に思う存分仕返しができる。
その一念で私は正座に耐え、体罰に耐え、自己中な同室の尼たちに耐え、連帯責任を甘受している。
 お堂で読経するとき、本尊様を見上げる。
 私を見つめる本尊様の眼差しは冷たい。私の歪んだ復讐心を見透かすかのように。
 ――お前のような仏弟子はいらん。
 本尊様のそんな声が聞こえる。
 だからいつも読経のときは、目を伏せ、本尊様の顔を見ないようにしている。
私のあげるお経は聞かせる相手もないまま、堂内を彷徨し、何も生まず、何物とも交わらず、虚しく空に溶け、消えてゆく。
「どうしたの? 怖い顔して」
「い、いえ、何でもないッス」
 鞍馬さんの声に我に返り、あわてる。湯気で曇った鏡を掌で拭く。
くっきりと丸く薄緑色の頭が目に染みるくらい鮮やかに、視界に飛び込んできた。
 なんて可愛らしいんだろう。
 驚愕と恍惚。
 ナルシズムではなく、無心に驚き、素直にうっとりした。それぐらい鏡の中の私は圧倒的に清清しく、圧倒的に子供っぽく、そこはかとなく艶かしかった。その艶かしさはオンナの持つ艶かしさではなく、美少年が有するそれと近似値だった。
 鞍馬さんは剃り残しのないよう、念を入れ、万遍なく頭に剃刀を長く深く滑らせた。
至れり尽くせりの剃刀さばきに、ジー、ジー、ジー、と坊主頭が喜んでいる。
「安達さんのボウズって、なんかH」
「そうッスか?」
 ちょっとうろたえた。
「エロカワだよ」
 今時の言葉を使ってみせて、鞍馬さんは私の身体越しに鏡を見つめた。鏡の中で目が合った。
「ホクロ」
と鏡の中の鞍馬さんの唇が動いた。
「え?」
「口元にあるね」
「ああ、だからHっぽく思われるのかも」
 口元のホクロって艶っぽいって言うし、と自嘲気味に笑う私に、
「このホクロにチュッチュッしたい」
と鞍馬さんは囁いた。いやらしくは聞こえなかった。どことなく、お母さんが赤ちゃんに頬ずりしながら、食べちゃいたい、と表現する愛情語に通じる響きがあった。
 鞍馬さんの頼もしい好意は、冷え冷えとした私の胸のうちに、温かく染みこんでいった。チュッチュッして欲しい。幼子のような気持ちで思った。

 部屋に戻って仰天した。
「来栖さん! ああ、安井さんも!」
 なんと同室の二人の頭はまだ黒々としている。二人ともさっき一緒に入浴したはずなのに、まったく気づかなかった。
「ごめんねぇ〜」
と来栖さんは顔の前で両手を合わせた。
「道具は持ってるんだけど、電気シェーバーだから」
 安井さんも電気シェーバー組らしい。
「明日早く起きて剃る」
という二人に、
「ダメっすよ!」
 私は入院以来初めて大声で異を唱えた。「早く起きて」って、毎朝四時前の起床もおぼつかない二人なのに無茶無理無謀なことを言う。
「と、とにかく手伝いますから、早く剃っちゃって下さい!」
 焦りに焦っていた。
 軍隊的組織の中で、一番の罪悪はたぶんマイペースなのだろう。二人を見て、今更ながら嘆息する。
 俗世にいた頃は「かわいいなあ」と恋人を苦笑させたであろう来栖さんや安井さんのマイペースのせいで、明日、十数人の女子院生が便器とディープキッスすることになりかねない。
 同室である以上、私も上に責任を問われる。仲間には恨まれる。
 寝たいとゴネる来栖さんを布団から引っ張り出し、座らせた。電気シェーバーの説明書を読みながら、散髪を開始。
 ウィーンと鳴るシェーバーを襟足にあてると、
「くすぐったいっ!」
と来栖さんは両肩をあげた。敏感な性質らしい。
「動かないで下さい」
 私も人の頭を剃るのは初めて、緊張している。
 ジョリジョリ、ジョリジョリ、
と襟足からさかのぼって後頭部を剃る。
首に巻いたタオルに、パラパラと毛屑が散り、来栖さんの青白い頭皮が露になった。あまりに容易くて、拍子抜けした。
 まず右、それから左と、後頭部を順々に剃る。
耳の後ろも丁寧に剃る。
塵もつもれば、で剃り落とされた毛屑は、タオルを真っ黒にしている。昔、理科の実験に使った砂鉄を思い出した。
前にまわって、今度は前頭部を剃る。顔を覗きこむようにして剃る。
来栖さんのモデルのようなファニーフェイスをこんなふうに間近で見たのは初めてだった。
――なんて綺麗な顔なんだろう・・・。
思わず見とれる。
なんだか自分が、無垢なお姫様に悪いイタズラをしている森番の少年みたいに思える。
「まだぁ?」
 至近距離で、子供みたいに訊かれ、
「ま、まだ半分しか剃ってないッスよ」
 そう言って、私は額の上にシェーバーをズズズーと走らせる。
シェーバーの刃の幅だけ一本、清やかな青く白い切通し。その切通しを中心にむさ苦しく伸びた髪が左右に分かたれている。
 青白い部分と左側の黒い部分にシェーバーを跨がせ、ズズズズ、と押し進めた。押し進めた先まで、黒い部分が消え、瓜のような瑞々しい青がクッキリと、私の目を楽しませる。
ブルブル振動するシェーバーを通して、バチッバチッと髪がはぜる感触が伝ってきた。想像した通りの感触だった。
素人だから多少、まだらになる。剃り残しを丹念にシェーバーでこそげ落とす。
 刈り手の鼻先が坊主頭にくっつきそうな距離で散髪され、敏感な来栖さんは、
「くすぐったい〜! 息、息がくすぐったいよォ!」
と笑いながら、身悶えして、やりにくいといったらなかった。
「じっとしていて下さいよ」
となだめたりすかしたりして、やっとのことで散髪終了。
「あはは、安達さん、器用だね〜」
と丸い頭をなでまわす来栖さん。
惚れ惚れとするくらい綺麗な坊主頭だった。
 鞍馬さんではないけれど、チュッチュッしたい。そんな衝動に駆られた。

 次は安井さん。
「安井さん、起きて下さい。剃りますよ〜」
 いつの間にか寝息をたてている安井さんを揺さぶる。
「寝かせて」
 私だってさっさと寝てしまいたい。
 手のかかるルームメイトを二人ももったがゆえに、一秒でも無駄にしたくない睡眠時間を削って、散髪屋の真似事をする羽目になってしまった。この二人とは前世でどんな関係だったのだろう。知れるものなら知りたい。
 そんな散髪屋の鬱屈も知らず、
「アタシはいいよ、いいってば!」
と安井さんは布団をかぶって面倒がって、始末に終えない。
「ああ、もう!」
 私は業を煮やし、安井さんを寝かせたまま、彼女の頭にシェーバーをあてた。
 ブイイイーン
 ジョリジョリジョリ
 横臥する安井さんの髪がきれいに剥けた。
左耳の真上から、後頭部に達する青々としたラインが横一文字にひかれた。その上にもう一本、平行してラインをひく。ジャリジャリジョリジョリひく。
 安井さん、伸びかけの坊主頭の左サイドに二本のラインを入れられ、滑稽な頭になった。
「安井さん、オシャレっすね。エ○ザイルのメンバーみたいッスよ」
思わずクックッと笑う私。
来栖さんも、ヘン、チョーウケる、と笑い転げている。夜も更け、妙なテンションになっていた。
 アタシもやりたい、やらせて〜、と来栖さんがうるさいので、シェーバーを渡した。
「安井ちゃん、お眠でしゅか〜? ツルツルにしましょうね〜」
と来栖さんは安井さんの耳元でふざけながら、シェーバーを耳上から一気に縦に剃りあげた。
コメカミの部分が刈りとられ、最初に引いた二本のラインと交差した。さらに平行してジョリジョリジョリと、縦一直線に剃りすすめる。
安井さんの右側頭部に



型のラインが完成した。
 安井さんの間抜けな髪型に、私と来栖さんはゲラゲラ大笑いした。
 とても尼僧の就寝部屋とは思えない。
 この手の悪ふざけは、体育会系の男子寮の名物だ。友達が寝てる間に、仲間内でジョリジョリと面白がりながら坊主にしてしまう剃髪遊戯。
10日前のロングの乙女な私ならばきっと、
野蛮な
と上品ぶって顔をしかめていたはずだ。
 けれど郷に入っては郷に従えで、坊主頭でタコ部屋生活をやっていれば、エレガントな振る舞いも莫迦らしくなる。ノリも自然、汗臭くなる。
「安井ちゃん、ハゲ〜」
「うっさいっ、あんたもハゲでしょ」
 剃られてる安井さんも半分起きている。でも眠いので剃らせるに任せている。
睡眠>乙女の命だ。
どうせ剃らなくてはならないのだし、今更剃髪にメソメソしてみせるほどのしおらしさは、もうない。
 左サイドをお遊びみたく剃られ、
「は〜い、安井ちゃん、次は右剃るからね〜」
と言われると、
「あいよ」
と寝返りをうち、素直に散髪に協力していた。そういう安井さんにまた大笑い(しかし、考えてみれば、夜中にこんなに騒いでいてよく怒られなかったなあ、と不思議だ)。
 後で知ったのだけど、安井さんは入院前は腰までの黒髪ロングヘアーだったという。普段はピンハ系のファッションを好んで身につけて、いわゆる「オタク」だったらしい。
 私と同じ、「駆け込み剃髪組」で、入院当日、れいの床屋で人生初のバリカンを入れられ、バッサリ丸坊主になったそう。
 超ロングをなびかせ、フリフリのドレスを着て、いかにも乙女然としていた文化系少女の安井さんが、10日足らず後の夜には同室の修行仲間に遊ばれながら坊主頭を剃られていた。だけでなく、眠気に任せて、剃られるままになっているほど、運動部男子的ガサツさを身につけていた。
「安井ちゃん、今度は右側、サッパリとツルツルにしちゃうよ〜」
 来栖さんも悪ふざけの度が増している。キャッキャッ、ハシャぎながら、
 ブイイイン、ジョリリリリ、ジョリジョリ、ブイイイイイン、ジャジャジャジャ
と黒いキャンパスにお寺の卍のマークを彫り刻もうとしていた。勿論、素人の技術では無理なワザだった。途中で諦めて、
「ああ、もォ〜!」
 黒板でも消すように、不出来な卍をグシャグシャと、5mmの髪もろともかき削っていた。
 安井さんの身体を半転させ、今度は後頭部、フジテレビのマークに挑戦するが、また失敗。で、また乱暴にシェーバーでかき消す。青い部分が広がり、黒い毬栗部分がまだらに残される。
 忽ち地球儀みたいな頭された安井さんは、
「まだ〜?」
と寝ぼけ声で、
「頭、スースーするんだけど」
 スースーする頭でなければ、明日大変だ。
 来栖さんからシェーバーを取り返し、青い頭に浮き上がる芝生のような黒い髪を万遍なく、剃っていく。
 見事な剃髪頭に仕上げた。
 来栖さんの剃髪の青は清潔感に溢れていたが、安井さんの青は淫らなくらい、ぬめりを帯びていた。おぼえず生唾をのむほど、エロティックだった。
「安達さん」
とまた寝ぼけ声。
「なんスか?」
「すんごい気持ちいいんだけど」
「そりゃあ、サッパリ剃りあげましたから」
「坊主頭の醍醐味だあね」
「これから夏に向けて快適ッスよ」
「これからもよろしく」
「自分でお願いします」
 どっと疲れた。だけど、安井さんと半睡眠状態ながら、これほど話したのは、同じ部屋になって以来初めてのことだった。
 来栖さんとも一緒に馬鹿騒ぎしたりして、意外にいいコミュニケーションになった。
 この夜の頭のお手入れがどれだけ価値のあるものかは、このときはよくわからなかった。
 とりあえず三人、ツルピカ頭を並べて眠った。

 翌朝、ズラリと正座して居並ぶピカピカ頭に、賢了さんは、
「フン」
と鼻を鳴らし、
「どいつもこいつも殴り甲斐のある頭になったわい」
 この地獄で初めてのお褒めの言葉を頂戴した。
そして我らが道場監督は、朗々と吟じたものだ。
「まあアレだ、せっかくだから、ホトトギス」


 この一件以来、こまめに剃髪する習慣は院生全体に行渡った。
 そして私も二日に一度の割合で、せっせと頭にシックをあてていた。いつしか、剃らずにいると落ち着かない性分になっていた。
 来栖さんと安井さんも同様で、特に安井さんは毎晩、ジージーと神経質にシェーバーで頭をこすっていた。もちろん最初のうちは一人では剃りきれず、皆で剃り残しをチェックし合っていた。
こうした仲間内で坊主頭のお手入れをしているうちに、私も同室の二人も、剃髪の技量をスキルアップさせた。連帯感を育む日課にもなった。
どうも、尼僧候補生はこうやって、一段一段ステップをのぼっていくものらしい。

 ジョリジョリをこよなく愛する集団にねじり込まれた鈴宮ハルカのセカンドシェイブは大変だった。
 私たちは鈴宮ハルカが人間かヒツジかの区別も付かず、
「うわっ! ちょっと、ちょっと、何すんのさっ! ちょっとっ! おいっ! 待って、待って、待って! ちょ、ちょっと、待てえええっっ!」
と激しく抵抗する鈴宮を取り押さえ、問答無用でシェーバーの洗礼を浴びせていた。
 だって、仕方ない。
 鈴宮も自主的剃髪の覚悟が定まらないらしく、一向に剃る気配がなかった。
 来栖さんたちがうるさく剃るように言っても、
「いいっすよ。マジめんどいし」
と聞く耳をもたなかった。
 剃髪を怠る院生がいれば、連帯責任が発動される。
 すでに剃髪慣れしている私たちが協力してやる必要があった。迅速に。強制的に。楽しみつつ。
 安井さんが鈴宮を羽交い絞めにして、私が足を押さえ、来栖さんがシェーバーを握り、
「何すんだよッ! やめて! やめろよ!」
とジタバタもがく新入りのボサボサ坊主を、
 ブイイイイーン、ジョリジョリジョリ
ときれいに剃ってあげた。ツルッツルに。鈴宮の頭、凸凹で馬鈴薯みたいだった。
「ああ〜!」
って青い頭をかかえ、悲嘆していた鈴宮の顔は今思い出しても笑えてしまう。


「ナニ笑ってんのさ」
 半年前のネタで思い出し笑いする私をけげんそうに咎める鈴宮に、
「別に」
とやっぱり笑ってしまう。
ニヤつく私に、
「ほれ」
と鈴宮がそっと紙片を握らせてきた。
「なに、これ?」
「ラブレター」
 開いてみたら、鉛筆でビッシリとギャル文字。
「熱烈な愛の言葉だね」
 ニンマリする。
馳経の試験のアンチョコだった。
まさか鈴宮が自分で作りあげたとは思えない。
「どのルートから情報?」
「秘密」
と鈴宮は破顔した。
「この地獄にはこの地獄なりのしのぎ方があるんだよ」
と意味ありげに言う。
 劣等生だけど図太くて抜け目ない鈴宮は、結構頼りになる。だから、優等生だけど不器用で融通のきかない私はこんなふうに世話になることも多い。
鈴宮のせいで被害に遭うこともたくさんあるが、助けられることだってたくさんある。
 与えて、与えられて、与えるだけのこともなければ、もらってばかりのこともなく、全ては「お互い様」で、そんな世の中の真理を二十一歳にもなって、ようやく感じている私がいる。
「牛乳一本ね」
「わかってる」
 やっぱり鈴宮だ。ギブアンドテイク。ガッチリしている。
「これで来栖先輩や安井先輩も助かるよ。鈴宮菩薩さま」
とひやかすと、
「そんなに牛乳飲めないよ」
と鈴宮は肩をすくめた。
「だから――」
とアンチョコごと私の手を両の掌にくるみ、
「あの二人には内緒。安達とアタシだけの秘密」
 涼しく微笑され、
「この女殺しめ」
 私は笑った。笑いながらも、胸が啼いた。キュンッて。
鈴宮が最近醸し出す、「男の色気」にあたってしまった。
 いっそここが男子禁制だったら、と残念に思うこともある。ハンサムな鈴宮と好きなだけ擬似恋愛に耽れるのに。
 鈴宮はそんな私の最高機密を見透かしたているかのように、グレーな笑みを浮かべた。
 継母への復讐心はまだ消えていない。
 消えていないというより、時折忘れてしまう自分にあわてて、
 ――いけない!
と消えかけている火種を懸命にいじくって、再燃させ続けている自分がいる。
 入院した頃は毎日思い出さずにはいられなかった継母の顔も、近頃では段々薄れてきている。
それに取って代わるように、来栖先輩や安井先輩、鞍馬さん、そして鈴宮の存在が私の心を占めるようになってきた。
 そんなとき、私の心の奥で悪魔が囁く。
 お前の目的は復讐だ。忘れるな。
 復讐心を捨てれば、お前がここへ入った意味はなくなるんだぞ。これまで頑張ってきた意味はなくなるんだぞ。
復讐心を失くして、これからどう生きるんだ?
恨め、憎め、恨め、憎め、ウラメ、ニクメ、ウラメ、ニクメ・・・
 ――わかってる。
 そのたび、私は悪魔にうなずく。坊主頭に手をやって、スイッチを入れ直す。
 ――そのためにこんな頭になったんだもの。
 だけど懐疑は確かに生まれている。
 あの人の悔しがる顔を見るためだけに、死ぬほど辛い修行に耐えている自分がひどく滑稽に思える。
 いま掌の中にある鈴宮の好意も、結局は自分の復讐劇ための小道具に過ぎないのだろうか。シニカルな気分になる。たぶん、人って誰かを不幸にするためだけには、頑張れないようにできているんだろう。
 並んで歩く鈴宮の顔を振り仰ぐ。鈴宮はただ一点、前だけを見ている。前だけを見ている鈴宮の顔は頼もしい。信じたい。信じたくない。信じるのがこわい。信じさせてほしい。どうすればいい?
「安達」
「え?」
 目が合ってあせる。
「アンタ、最近男前になったね」
「そうかな?」
「地味だけど地味なりに味わいがある顔だよ」
 鈴宮のクリクリした両眼はあっさり、私が本当に信じるべきものを見つけてくれた。
「地味とか言うな」
 ムカつく、と照れ隠しに軽く蹴りだされた足をかわそうと、鈴宮が身体をひねった隙をついて、
 がしっ
と腕を組んだ。
「離してよ。誰かに見られたらマズイ」
「ゲームしよう」
 鈴宮の腕につかまりながら、私は言った。
「こうやって、ギリギリまで腕組んでくっついている。誰かが来たら、パッと離れる。一種のチキンレースだね。失敗すればレズカップル成立の号外が学院中を駆け巡るよ。もう学院周辺じゃカタギの恋はできなくなるね。どう、すっごいスリリングじゃない?」
 曲球だな、と我ながらおかしい。
「杉崎さんはどうすんのさ」
「その名前を出すな」
「OK」
と面白いことが好きな鈴宮は乗った。
 交渉が成立し、ちゃんと腕を組みなおそうとした途端、足音。向かいの廊下の角から、修行僧らしい人影が突然出現!
 ――ハナサナイ!
 鈴宮をつかまえた腕に思い切り力をこめた。




(了)




あとがき


懐かしの地獄の一丁目シリーズの外伝です! 皆さん、おぼえてますか? 二年以上前のシリーズなんで、お忘れの方もいらっしゃるんじゃないか、と存じます。
それにしても、この頃なんか「百合」づいているなあ、と我ながら不思議(笑)
安達小夜子と鈴宮ハルカのカップリングって、意外に思われた方もいらっしゃる・・・のかな? 「誰だっけ?」という人、是非、地獄の一丁目シリーズや「夜会の果てに」「ろるべと」などを御再読いただければ幸いです。
元々、ずっと書きたかった安達小夜子の「闇」の部分なんですが、その後、書く機会もなく、歳月は流れ流れて・・・。
作者の設定では安達さん、復讐に燃える烈女であり、実は「両刀」なんです(笑)他の三人(七海、ハルカ、沙耶香)と比べ表向きは地味な常識人なんですが、内面は一番屈折しているという・・・。
で、あんまり描かれていないんですが、鈴宮ハルカとの腐れ縁関係もあり、今回、「両刀」設定と「ハルカとの腐れ縁」設定をミックスさせて、二人の百合っぽい関係の設定が新たに付け加えられた次第であります。
ラストはですね、実は書いた前日、前々日に個人的にトラブルがありまして、色々考えさせられることがあったんですね。 それが、ラストの小夜子とハルカの場面にかなり影響してます。

実は七月末から十一月半ばまで一本も小説を完結させられない未曾有のスランプでした。四ヶ月も書けない状態でした。サイト開設以来初めてです。
書いても書いても気に入らず、途絶を繰り返しました。
結局、どれも同じような目線や文体ばかり。そろそろ違うこともやりたいっていう欲求があったんですね。
 今回はやっぱりそのパターンを完全に脱することはできなかったんですけど、でも小夜子さんが時折、突入する乙女モードのときの生臭い心理描写だったり、虚無感、葛藤、少女特有のドキドキ、切迫した心理、を多少盛り込んでみました。
だからコミカルとシリアスの振り幅が大きいストーリーになっちゃったのかな。
そのせいもあって、作品の出来については結局、よくわからなくて。かなりゴチャゴチャした感もあると思います。単なるエピソードの羅列のような・・・。
ただ、この一年半、端正にまとめあげた完成度の高いストーリーよりも、書きたいことを優先させまくって、詰め込みまくった結果、大きく逸脱したストーリーに魅力を感じまていす。堅牢な構成より、完成度そっちのけの自由奔放なスタイルへの憧れもあります。
今回の作品も、どこか首尾一貫していないところがあります。文体もコミカルになったり、シリアスになったり、視点も客観的になったり、ヒロインの主観バリバリだったり、小夜子とハルカの関係が唐突だったりと、とにかく本能に従って書いたんで、ツッコミどころも結構あるんじゃないかなあ。かなりカオスな感じがします。軽い気持ちで書き出したんだけどなあ(汗)
一種過渡期的な作品だと、書き終えて思っています。
 うわっ、なんかすごい語ってる・・・(汗)
 お付き合い下さり、感謝です♪
 ありがとう♪




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