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すきすき! 妙久さん♪ 彼岸過迄の話・後編


(6)帰郷

 久しぶりに降り立った郷里のプラットホームは閑散としていた。
 プラットホームから、幼い頃から親しんだ山々が、秋空と一緒に俺を見下ろしているのがこそばゆかった。
 トンボが何匹も、リュックを背負った俺をすり抜けてった。虫取り網を持っていればよかった、と悔しがらない程度には、俺も大人になっているのだろう。

 俺が帰郷を決意した理由は三つある。

 ひとつはリフレッシュの必要を感じたから。
 仕事もプライベートも煮詰まっている。理想や展望なきリアルはただただ息苦しい。ネット世界への没入では追いつかない。
 幸い有給が余っている。
 この間、お盆休みだったのに、また休むのか、と上司は嫌な顔をしたが、どうせ、このご時世、放り出されるときは放り出される、と悪度胸を据え、
「郷里で知人の法要があるので」
と無理やり休暇をとった。
 二つ目はその「知人」のことだ。

 長谷川吉太郎。

 どうも、最近この人のことを考えてしまう。
 憎まれっ子世に憚れず早死にしちまったが、
所詮甘ったれのお坊ちゃんさ
と切り捨てたくなる一方で、村落共同体に背を向け、好き勝手やって、そのツケを子孫にまで押し付けている、この郷土の伝説的な鼻つまみ者について、関心がある。関心の延長で、明後日の命日には墓参でもしてやろうと思っている。

 三つ目は吉太郎の子孫が原因だ。
 妙久さん・・・。
 妙久さんの髪と奇跡的に再会し、懐かしい過去を思い出しちゃった。
 夏祭り。虫取り。警ドロ。宿題の写しっこ。エロ本拾い。キックベース。川遊び。壊したプラモデル。自作の四コマ漫画「ニョロロ君」。T神社の杉の木。初恋の相手のトモちゃん。汲み取り式トイレ。そこに落っこちたカンちゃん。家族や親戚、元級友たち。それに妙久さん。
 恥も外聞もなく、無性に帰りたくなった。
 皆、待ってるよ
と妙久さんは言ってくれた。
 彼女の言葉を真に受けることにした。

 六年ぶりの故郷。六年ぶりの我が家。六年ぶりの旧知。
 大人たちは老いていた。子供たちは大人になっていた。変わってしまった物や場所もあったし、変わらない物や場所もあった。
 死んだ人、村を去った人、まだ元気でやっている人、さまざまな現在(いま)があった。
 とりあえずお袋の漬物は昔のまま、旨かった。

 張雲寺を訪ねると、
「帰って来たワね」
 妙久さんは悪戯っぽく笑っていた。
「まあ・・・ね・・・」
 髪束の一件があるため、少しキョドってしまう。
「明日は吉太郎さんの命日だし」
「またまた〜」
 妙久さんは冗談と思っている。俺もそれを見越して言っている。
「お母さんは?」
「政治活動ヨ」
「政治活動?」
 御母堂は戦国時代、この辺りにいた女戦国武将で、「嘉田の尼御前様」で通っている嘉田陽庚尼を「NHKの大河ドラマにする会」の一員だという。
「あんな、マイナーな人物を?」
「そうなのヨ」
 無駄な努力だワ、と妙久さん。あんたに言われたくない。
 でも、もしこの地がNHKの大河ドラマの舞台になれば、観光客がどっと押し寄せる。うまくいけば億単位の経済効果になる。村おこしにもなる。
 地元の男子中学生を残らず坊主頭にしてしまうより、遥かに意義のある活動だといえる。
 張雲寺には陽庚尼直筆の花押のある書状が保存されているそうだから、ご母堂の活動が実現すれば(しないと思うが)、観光客も立ち寄るはずだ。
 妙久さんにとっては、まったく興味のない話で、
「よくわからないワ」
と肩をすくめていた。
「ああ、そう」
 まあ、獲らぬ、いや、獲れぬタヌキの皮算用をするのは俺も本意ではない。それよりも、
「あがっていい?」
 股間がガチガチである。持参のバッグの中にはマイバリカンまで用意しちゃってるバカな俺・・・。

(7)懲罰

 バコバコジョリジョリやった後、
「有髪の尼さんを剃髪させる」
という妙久さんの目下最大の関心事が話題にのぼった。
「諦めてないの?」
「一度も失敗してないのに?」
「具体的に何か活動してるの?」
「まだしてないワ」
「なんだよ」
「ただね、この間――」
 懇意にしている有髪の尼僧が頭を丸めたという。

 尼僧の名は、牧田昌俊(しょうしゅん)という。俗名、昌子。妙久さんより幾つか年上だった。
 実家は別に寺ではなかった。
 この人は妙久さんと違い、本格的に左翼運動をやっていた生粋のリベラリストだった。運動で知り合ったある僧侶を通じて、仏の道に触れ、得度し仏門に入った。
 昌子さんは美人運動家として、仲間から熱い視線を注がれた。彼女の美貌は、敵であった反動分子ですら賞賛を惜しまなかったという。
 中年になっても他の同世代の女性のように脂ぎった婦人になることもなく、厚化粧のお化けになることもなく、涼やかな容姿を保ち続けた。
 妙久さんに近影を見せてもらったが、確かに「キレイなオバサン」だった。右アゴに大きめの黒子があるのが難だったが、それがなければ、かえって嫌味になるくらいの整った顔立ちだった。
 髪は長かった。染めずに黒のストレートだったのは、尼僧という職業柄だろう。ああ、それにしても、熟女のロングヘアーってなんでこんなにHなんだろう。

 昌俊さんは妙久さんと同宗の尼さんだったが、門派が違った。その門派の本山に詰めて、有髪のまま、昇進した。
 妙久さんはこの昌俊さんと偶然知り合った。
 お互い、世間で左翼系と言われている大学を出ているので、共通の話題も多く、交流を重ねた。
 意見の相違もあった。
 リベラリストの昌俊さんは妙久さんの丸刈り推進運動に反対だった。
「おかしいわ」
と何度も異議を唱えた。
 ある夜、論争になった。
「子供にだって自由に髪型を選ぶ権利はあると思うの」
「そうカシラ、サッパリしてていいんじゃない?」
「サッパリしたい子は自由に丸刈りにすればいいわ。でも伸ばしたい子だっているでしょう?」
「そうカシラ」
「第一憲法の精神に反してるわ」
「でもどこかの裁判所で丸刈り校則は違憲じゃないって判決が出たワよ」
「それは不当判決よ」
「そうカシラ」
 議論になれば、学生時代論客としてならした昌俊さんにファジーな妙久さんは到底太刀打ちできない。不満そうに沈黙した。昌俊さんはゴリゴリと妙久さんの丸刈り論を圧殺した。ちなみに信念を貫くO型である。
「丸刈り校則なんて野蛮極まりないわ。昔の軍隊みたいでゾッとするわよ」
 結局視覚的な好悪に行き着く。
和を重んずるA型の妙久さん、
「そうねえ」
と不同意な顔で同意するフリをするしかなかった。
「そもそもアタシがこうして髪を伸ばしている理由はね」
 有髪の昌俊さんは高々と坊主頭の妙久さんを見下ろし、
「”僧侶はこうあるべき”っていう形にとらわれず自由でいたいからなの」
と有髪のポリシーを語った。
「新しい僧侶の在り方を外見でアピールしてるのよ。形ばかりで内容の伴わない男僧へのアイロニーでもある。剃髪全体主義への反抗でもあるわ」
 昌俊さんの有髪は強固な思想に支えられていた。
 昌俊さんの母校は女子はオカッパというキマリだったが、昌俊さんは堂々と中学の三年間、髪を切らず長いまま、通したという。全体主義への反骨精神は当時からあったのだろう。
 学生運動華やかなりし頃、ある大学の学長が、髪を長く伸ばした左翼学生たちを評して、
 長髪は挑発である
との迷言を吐いたが、昌俊さんの場合、彼女のロングヘアーはまさに一貫して体制への抗議であったといえる。

 ところがドッコイ、昌俊さん、つい先月剃髪させられた。
「権力に深入りしすぎたのヨ」
と妙久さんは言葉を濁したが、よくよく話を聞いてみれば、事実はさほど格好いいモンじゃなかった。
昌俊さん、本山の老師(70歳)と愛人関係にあったらしい。
 昌俊さんに言わせれば、
「僧侶とはいえ恋愛はする。恋愛は自由。お互い独身で不倫でもなんでもない。何ら問題ない」
とのことだが、旧弊の吹き溜まりのような総本山で、そんな理屈が通るはずもない。
 元々、本山の中ではきな臭い動きもあり、この醜聞を利用して「下克上」を狙う者までいて、老師も愛人の窮地に手も足も出ず、結局本山の総意という形で、昌俊さんは処分を受けた。
「某尼僧道場の指導員を命ず」
という一片の辞令が、昌俊さんにおりた。左遷である。
 辞令には異例ともいえる一行が付け足されていた。
「指導員としての研修のため」
と称し、なんと京都で一番厳しい男僧ばかりの道場での修行を命じていた。「左遷」を通り越して、もはや、「懲罰」だった。

 若い男僧に混じって、年輩の尼僧の昌俊さんが荒行をするなど、宗門史上にもほとんど前例がない過酷な事例だった。
 あるいは昌俊さんが怖気づいて、還俗を願い出るよう、仕向けるつもりで、彼女を疎んじていた者が仕組んだ処分ではないか、といった意味の推測を妙久さんもしていた。
 ところが昌俊さんは謹んで辞令を受けた。
 粛々と道場に入門する決心をした。
「驚いたワ」
と妙久さんは言う。
「私だったら尼さんやめるワよ」
 それが普通だ。
 妙久さんは昌俊さんの身を気遣い、電話で翻意を促した。
「もう決めたの」
と昌俊さんは年下の友人の説得にも、耳を貸さなかった。
「まだやり残したことがたくさんあるの」
 やり残したこと、とは昌俊さんが熱心だった宗門における女性の地位向上活動らしい。
「だから尼僧の資格を剥奪されないうちは、石に齧りついてでも、宗門に残り続けるつもりよ」
 再起の望みを捨てていない昌俊さんに妙久さんは言葉もなかった。
「わかったワ。もう止めないワ。頑張ってネ」
 そう励ますしかなかった。
 励ましながら、妙久さんの心の中に意地悪な昂奮があった。それは彼女も認めている。
「昌俊さんのことが心配で、その道場のことを調べたの。そうしたら――」
 たまたま、本山のビデオライブラリーにその道場のドキュメンタリーがあったので、妙久さんは借りて観た。
「とにかくものすごい荒行でね」
 以下、ビデオの内容を紹介すると――
 厳寒、修行僧たちが鍛え上げられた筋肉を露出し、褌一丁で、セイヤアア、セイヤアア、と冷水をジャブジャブかぶっていた。
 連日の一時間睡眠&かろうじて生存できる程度のカロリー、精神的にも極限状態に追い込まれ、それでもなお、喉を嗄らし読経の声をはりあげる若き僧侶たち。
 こっそりチョコレートを持ち込んだ入門したての修行僧が、先輩に殴られ、帰れ!と門まで引きずっていかれる「フルメタルジャケット」的シーンもあった。
 脱走者が出て、全員が連帯責任で夜明けまでぶっ通しで勤行。
 手の豆が潰れるほどの炎天下の農作業。頬はこけ、目ばかりがランランと光り、笑顔を失くしたかのような修行僧の野生的な表情。素手での便器磨き。先輩僧には絶対服従の縦社会。トイレすら自由に行けない過密スケジュール。ビンタ、殴打、小突き回し、「修行」の美名のもと横行する私的制裁。
・・・と、まあ、ドキュメンタリーの一部を聞いただけで震え上がってしまうような内容で、だから一般には公開されていないビデオなわけで、
「昌俊さん、コレやるの?!って私、驚いたワ」
 年齢や性別もさることながら、昌俊さんは頭も良く弁も立つが、妙久さん同様、良家の「お嬢さん」である。
ワンメーターの距離でも迷わずタクシーを使うし、フランス産のワインを寝酒に嗜むグルメでもある。海外生活の影響で、食事には一時間以上かける。ティータイムは一日二回、絶対にとる。海外の友人と平気で長電話する。「ウォーターベッドじゃないと眠れない」というプチブル女性だった。
 その上、高校を卒業してから運動らしい運動をしたことがない(政治運動は除く)。集団生活もしたことがない。
 そんな青白いインテリ女性がいきなり、こうした軍隊が天国に思えるような苛酷な環境に放り込まれたら、
「死ぬんじゃないカシラ」
 妙久さんは心配していた。
「まさに懲罰だな」
 俺はため息をついた。
 規定では、道場生は3mm以下の丸刈りにしなければならない。ビデオの中の修行僧たちも髪を刈って、ゾロリと全員坊主頭にしていた。
 昌俊さんは初めての女性入門者だが、例外は認められなかった。
「昌俊さんには申し訳ないけど、正直、コーフンしちゃったワ」
という妙久さんを人でなしと攻める気はない。俺だって、妙久さんの知らないところで売られている彼女の髪束に欲情してしまった。
いけないと理性では思いつつ、他人の不幸に昂ぶる。
これは善悪を超えて、もはや
 業
というべきだろう。

(8)獄卒

 丸刈りを「軍国主義の象徴」とあれほど嫌悪していた自由主義者の昌俊さんも、とうとう道場規定の3mmの丸刈りになる羽目になった。
 辞令が発せられてから、道場に入るまでわずか十日間の猶予しかなかった。
 昌俊さんの格好良さは、丸刈りになる前夜、老師と最後の逢瀬を過ごしたことである。
 「出世目当てに権勢家にすり寄る女狐」的な見方をしていた者も大勢いたが、もしそうなら、こんな形で別れを惜しんだりはしない。
 老師にしても、これ以上に、自己の立場が危うくなる可能性だってあるのに(実際その後問題になった)、わざわざ危険を冒してまで昌俊さんと会った。
 二人の愛は本物だったと思わざるを得ない。
「こんなことになって、すまん」
と老師は詫びた。
「後悔していませんわ」
と昌俊さんは応えた。
「こうやって、お前の髪を撫でるのも、今夜が最後なんだな」
「どうか愛でてやって下さい。髪だけでなく、肌も」
「ああ」
「私のことはもうお忘れ下さいましね」
「そんなことを言うな」
このやりとりを宿坊の障子越しに聞き、妙久さんはそっとその場を去った。
・・・いや、あのね、妙久さんも暇人じゃないから、わざわざ熟年カップルの秘事を盗み聞きしに、新幹線でよその本山まで来たわけじゃないよ。
妙久さんは昌俊さんに頼まれて、彼女を道場まで見送りに某本山の麓まで出張って行ったのである。
「髪は、どうするの? 切らなくちゃいけないんでしょう?」
 実を言えば、一番の関心事である。
「明日切るわ」
「えっ?」
妙久さんは驚いた。
「明日は道場入りの当日じゃない。大丈夫なの?」
「お願い、今夜まで有髪でいさせて」
「昌俊さん、もしかして怖くなったの?」
「違う、違うの。とにかく今夜までは・・・」
その夜、偶然逢引の現場を耳にしてしまい、「今夜まで」の理由がわかった。昌俊さんは有髪姿で愛する人と最後の夜を過ごし、長い髪の自分を相手の記憶にとどめておきたかったのだ。

 翌日は生憎の雨だった。
 妙久さんと昌俊さんは京都の道場に向かった。
 想い人との別れを済ませ、晴れ晴れとした顔で宿舎を出た昌俊さんだったが、列車が京都に近づくにつれ、鬱勃とした表情になった。
「M尼ちゃんとK尼さんも“頑張って”って応援するしね・・・・・・」
 かろうじてその後の言葉をのみこんだ。退くに退けない、という言葉を。
 祭り上げられた者の苦衷があった。
 門派のウーマンリブの旗手である昌俊さんに去られては、応援者の革新派尼僧たちは求心力を失って四散する。
 だから、昌俊さんには道場入りでもなんでもして、とにかく宗門に居残って欲しい。革新派はそう切望している。
 そんな身勝手な期待が、昌俊さんを京都まで引きずっていく形になった。
 もう一人、同行者がいた。
 慶範さんという尼僧だ。
 昌俊さんや妙久さんとは一世代下だった。
 昌俊さんと同様、在家出身の尼だった。信心の念やみがたく、仏門に帰依した女性だったが、そういう人に往々にしている独善的なタイプだった。
 慶範さんにとって、昌俊さんは本山をかき回す騒動屋であり、尼僧の身でありながらセックスする色情狂であり、老師を惑わす悪女だった。昌俊さんの思想も愛も到底理解してくれる相手ではなかった。
 この度の昌俊さんの「懲罰」に関しても、同情はなく、いい気味、と思っているふうだった。昌俊さんを地獄へ連れて行く獄卒の役目を仰せつかっても、仕事と割り切っていた。

 この慶範さん、駅からタクシーに乗り込んで、まず、
「運転手さん、ここら辺に床屋ありませんか?」
と目的地を言う前に訊いていた。
 昌俊さんも覚悟はきめていたが、こう実務的にやられては、理不尽な怒りがこみあげてきて、でも、道場に入る前に剃髪は済まさねばならず、苦虫を噛み潰したような顔で黙っていた。
「D道場に向かう途中にあればいいんだけど」
「ああ、それなら」
と運転手はある理髪店の名をあげた。
「あんまり小奇麗とはいいにくいんですが」
「床屋ならどこでも構わないわ」
と慶範さんは投げ捨てるように言い、昌俊さんに向き直ると、
「牧田さん、ご決心なさったからには、くれぐれも道場から逃げ出すような真似はなさらないで下さいね。恥の上塗りになりますからね」
「わかってるわよ」
 本山の態度を一身で体現するかのような慶範尼に、昌俊さんもついに堪忍袋の緒が切れ、
「まあ、アタシは今回の本山の処分は不当だと思ってるんだけどね」
 自己の行為の正当性、本山の陰湿な体質、しかし自分を応援してくれる者のために粛々と処分を受け入れたことなどを、学生運動で磨きあげた弁舌をもって滔々と弁じたてた。助手席の妙久さんは惚れ惚れと聞いていた。
 しかし慶範さんのような手合いには通用しない。
「牧田さん」
「何よ」
「口、臭いです」
「!!」
「道元禅師も『正法眼蔵』で口の手入れの重要さを説かれています。これから入門なさる道場でも朝晩の歯磨きが課せられておりますので、しっかりお手入れしてくださいね」
「・・・・・・」
 昌俊さんは憤怒と羞恥で顔を赤くして、沈黙した。
 妙久さんは気の毒に思った。同時にこれまで議論のたび、自分をやりこめてきた昌俊さんを、たった一言で言い負かした年下の尼に、つい小気味よさをおぼえてしまった。

(9)Karman

 タクシーは場末の理髪店の駐車場に停車した。
 この辺りで駐車場がある理髪店はここだけで、という運転手に、
「問題ないわ」
と慶範さんは言い、
「さ、昌俊さん、行きましょう」
と愚図愚図している有髪尼僧を急かして、連行するように理髪店の扉をくぐり、昌俊さんの身柄を理髪店の店主に引き渡した。
 店主は初老の男性だった。
「お願いします」
と言ったのは慶範さんだった。
 カット台に座らされ、手際よく刈り布を巻かれた昌俊さんに、
「カットですか?」
「丸刈りでお願いします。3mmの丸刈りです」
と言ったのも、やはり慶範さんだった。
「いいんですか?」
「はい、時間がないので急いでお願いします」
と慶範さんは主を急き立てた。
理髪師は念のため、
「本当にいいんですか?」
と客である昌俊さんに確認した。
「エエ、遠慮せず刈って下さい」
 そう言って昌俊さんは目を閉じた。穏やかな表情になっていた。
「わかりました」
 店主は了承した。こんなふうにあっさり話がまとまったのも、
「昌俊さんが尼さんだったからヨ」
と妙久さんは俺に説明した。普通の女性なら、交渉は難航し、店によっては断られる。相手が尼さんだからこそ、スムーズに頭を丸めてもらえる。
 店主がカット台の引き出しから、取り出したバリカンのコンセントをプラグに差し込んだ。スィッチを入れた。
 ウィーン、ウィーンというモーター音と、ジリジリと二枚の刃がこすりあう音が店内に響き渡った。
 その音に妙久さんは暗い期待に鼓動を高鳴らせ、昌俊さんは思わず閉じていた両の目蓋をあけた。

 まず右サイドの髪が刈られた。
 バリカンが耳の上にあてられ、上へ押し上げられた。
 長いロングヘアーがゆっくり持ち上がり、収奪された。刃先には昌俊さんの自由と反抗の象徴がからみついていた。さっさと床に落とされた。
 最初のうちはよくわからなかったが、三刈り目になると、昌俊さんの頭の右側が、クッキリと坊主頭にされかかっているのがわかった。
 バリカンは確実に髪を刈りたてた。昌俊さんを道場規定の3mmの丸刈りにするために、鳴り、走り、削った。
 たちまち右サイドが丸められた。
 昌俊さんはもう目を閉じることはなかった。鏡に写る半刈りの姿を、怖い顔で睨み据えていた。
 愛してきたリベラルな髪を刈り落とし、自由で豊かな生活を捨て、「軍国主義的」と忌み嫌ってきた丸刈りになり、自由も人権も顧慮されぬ全体主義的な道場生活を理不尽にも強要された、この屈辱を忘れまいとしているようだった。本山への怒りを心に刻もうとしているみたいだった。
 額からつむじまでの髪も遠慮なく刈られた。プロの扱うバリカンはスピーディーに的確に前頭部、頭頂部をたちまちのうちに、スッキリと3mmの短さにしてのけた。
 その鮮やかさに妙久さんはうっとりとした。エクスタシーを感じた。
 中学時代も周囲に白眼視されながら伸ばしてきた髪、マーサとの愛称で親しまれた学生運動家の昌子時代、「ジョーン・パエズ(昔のアメリカのフォーク歌手)みたいだ」と男性仲間たちにため息をつかせた髪、尼僧になってからもけして切ろうとしなかった髪、老師が愛してやまなかった髪が今、場末の床屋のお仕事の結果、無残にも3分の2が床に積もっている。
「剃髪すると誰だかわからなくなるけど」
と丸刈り製作を無感動に見物しながら、慶範さん。
「牧田さん、顔にでかい黒子があるから見分けがつきますね」
 昌俊さんの顔が歪んだ。
「黒子のことは言わないで!」
どういう理由かはわからないが、アゴの黒子に相当なコンプレックスがあるらしい。
 慶範の何気ない一言が発火点になって、昌俊さんはこれまでの憤懣を一気に爆発させた。
「何でアタシが丸刈りになんてなんなきゃいけないのよッ!」
 いきなり咆哮するように叫んだ。理髪師はあわてて、バリカンをとめた。
「なんで男に混じって、荒修行なんてしなくちゃなんないわけッ!」
 アタシ、悪いことなんてしてないわッ!と残った左サイドの髪を振り乱し、喚きたて、カット台を飛び降りた。飛び降りた拍子に、
 バッ
と刈り布が揺れ、刈り布にまとわりついていた刈り髪が飛び散った。
「落ち着いて、昌俊さん」
 妙久さんはさすがにあわてた。しかし、昌俊さんの怒りはおさまらなかった。
「冗談じゃないわよッ!」
「昌俊さん!」
「どいつもこいつも”残ってくれ”だの”頑張れ”だの勝手なこと、言って!」
 もはやリベラリストでもウーマンリブの旗手でもなく、恨みに凝り固まった女がそこにはいた。
 刈り布を巻きつけられ、身悶えする昌俊さんの姿は、風に揺れる照る照る坊主みたいだった。垂れ下がる左サイドの髪は照る照る坊主を軒先に吊るすときのヒモのように見えた。
「帰りますか?」
と慶範さんが冷ややかに言った。
「そのみっともない髪型で?」
「!!」
 虚をつかれたように昌俊さんは凍りついた。
 昌俊さんが一瞬我に返ったのを見て、
「昌俊さん」
 妙久さんも説得した。フェチ的部分ではなく友情からである。・・・と本人は言っている。まあ、信じよう。
「ここまできたら、もう仕方ないワ。決心したんでしょ? ガッカリさせないで頂戴」
 昌俊さんは半刈りの頭をガックリと垂れ、身を震わせて、うなだれていたが、
「ごめんなさい。見苦しいとこ、見せちゃったわね」
と、ゆっくりとまたカット台に引き返した。
「すみませんでした」
 お願いします、と気丈な口調で言った。
「いいんですか?」
「エエ」
「でも・・・」
「これ以上女に恥をかかせないで」
「・・・わかりました」
 店主はプロとしての彼の技術を総動員するかのように、左の鬢に、ジョリリとバリカンを入れ、押し上げた。髪が薙がれ、トラ刈り気味の丸刈り頭になった。トラ刈りの部分を床屋は丁寧に刈り、3mmに仕上げた。
 仕上げたあと、心を込めるかのように、刷毛でザッザッと毛屑が払われた。
 昌俊さんがプチブル的なロングヘアーからモーレツ道場規定の丸刈りになるまでに、わずか15分程度でしかなかった。

 昌俊さんが道場の門をくぐったのは、ロングヘアーだった頃から三十分も経っていなかった。
 手甲をつけ脚絆をまき、一笠一杖の修行僧姿になった昌俊さんは、
「シゴかれてくるわ」
と妙久さんに涼しく微笑んで、ゆっくりと門の中に入っていったそうである。

「でもね」
と妙久さんは最後にオチをつけてくれた。
「その夜、京都のホテルでしちゃったワ」
 妙久さん、昌俊さんのバリカンカットをネタに自慰にふけりまくったらしい。
「悪いと思いつつ、どうしょうもなくて・・・」
 繰り返すが善悪の問題ではなく、フェチの「業」である。同類だから悲しく共感した。

(10)自己同一性


 吉太郎の墓は長谷川家の墓所に、ちゃんとあった。小さな墓だった。

 長谷川吉太郎 享年二十三

とあった。昭和の初め頃に亡くなっていた。
 日露戦争終結から日中戦争勃発の狭間の平和な時代を生きた人だった。
 吉太郎は大酒を飲み、娼家で女を買い、村の娘をたぶらかした。長髪をなびかせ、釣鐘マントを着、ゴム長靴を履いて、村内を闊歩した。
 放蕩者でもあったが、文学青年でもあった。
 名前は出せないが、ある高名な作家と少しの間、文通していた。その作家は吉太郎の自己顕示欲に辟易して、すぐに文通は断絶に及んだ。
 その作家の全集に、吉太郎からの書簡が二通おさめられている。
現在、村人の中で長谷川吉太郎の名前が全国の読書人の目に触れているという事実を知る者は、ほとんどいない。知ったところで、吉太郎を顕彰する動きが起こるとは思えない。
 俺もいちいちその書簡を全て抜粋して、彼を褒め称えるつもりはない。

「たまに考えるんだケド」
と妙久さんは吉太郎の墓を拝み終えると、
「この人が生きて、お寺を継いでたら、アタシもこんな頭にならずに済んだのよねえ」
と坊主頭をなでまわした。
 本来の寺の後継者である吉太郎が早世したため、弟が住職になった。妙久さんの祖父である。
「不思議よねえ」
やけにしんみりしたトーンでひとりごちていた。
「昌俊さんも吉太郎氏みたいに生きれば良かったのかも」
 墓前に線香をたむけて、傍らの妙久さんに言った。
 友人と大伯父を結びつけられて、妙久さん、唐突だったらしく、
「アン?」
と首を傾げる。
 他人の期待に応えようとして、頭丸めて修行生活に入るより、吉太郎的に他人の期待を裏切って、自由気儘に望む生き方を選択した方が利口だ、といった意味のことを説くと、
「そうカシラ?」
 妙久さんのカシラカシラが出た! 俺に異議があるらしい。
「大伯父さんも期待に応えてたんじゃないカシラ?」
 今度は俺が、
「あん?」
と首を傾げる番だ。
「放蕩無頼の生活が他人の期待に応える生き方だったって言うわけ? 誰の期待さ?」
「ホラ、あれよ、え〜と、私が高校だった頃、多少トンがってたけど、そんなに悪くないクラスメイトがいてね」
 その子は周りから”不良だ、不良だ”って言われ、そういう目で見られているうちに、本格的にグレてしまったそうである。あるある、そういう話。
「それと同じだと思うワ」
 要はアイデンティティの問題と言いたいらしい。
 昌俊さんが「宗門の女権拡張論者の旗手」というパブリックイメージに従って、丸刈りを選択したように、吉太郎も村内の「ハイカラ吉」「放蕩息子」っていうイメージを無意識に演じていただけ、両者の違いはパブリックイメージのポジとネガの違いでしかない。妙久さんの言いたいことを要約すれば、こういう感じだ。

 長谷川家の言い伝えでは、吉太郎は本当は気の優しい青年だったという。
 一族が集まるときなど、モジモジして大人たちの前ではろくに口も聞けず、子供とジャレ合ってばかりいたそうである。
 人は気がつけば他人のイメージの奴隷になっている。優しいパパ、優等生、いじめられっ子、清純派アイドル、傲慢社長、お堅い教授、嫉妬深い恋人・・・。  そんなイメージを巧みに守り、利用し、裏切り、使い分け、更新していく者がコミュニケーションの達人なのかも知れない。
 「美人住職」「丸刈り推進派」「夜の観音様」「HNジャクチョウ」とさまざまな顔をもち、これからもどんどんその顔を増やしていきそうな妙久さんこそ、俺は、手本にすべきだろう。
「大チャンも演じてるんじゃないカシラ」
「俺が? どんなイメージを演じているのかな?」
「甲斐性なしのダメ長男」
「おい(汗)」
 ふたり、ひとしきり笑ったあと、
「お金がなくたっていいじゃない。堂々と帰ってらっしゃい」
 見透かされている・・・。
「ああ」
俺は小さくうなずいた。
「そうする」
 この三日の間、見飽きるほどに見たトンボが、また二匹、スーイスーイと宙を切って飛んでいた。

(11)書簡

 翌日、道場の昌俊さんから妙久さんにはじめて手紙が届いた。
 道場の空気に馴染んだせいか、自分のことを
 「拙僧」
とやや生硬に書いている。
 最後に彼女の手紙を抜粋して、結びに代えたい。

 長谷川妙久さま

 その後、如何お過ごしでしょうや?

 拙僧がこの道場に入って、はや一月近くが経ち申し候。
 道場の監督の話では最低二年間、修行をやらねばイカンとのことで、クラクラと気の遠くなる話にて候。二年間は丸刈りで過ごさねばならぬよう。参ったわ・・・。知っていれば入ってなかったわよ!!
(中略)
とにかく丸刈り頭など気にならぬほどの、聞きしに勝る荒行にて候。
 拙僧の如きオンボ傘育ちには、ただただカルチャーショックと身体的ショック(まさに拷問!!)に卒倒しそうな毎日でござ候。先日も野良仕事の最中、ほんとうに目を回して卒倒してしまい、バケツの水をぶっかけられ候。
 今日はうっかり所作を間違えて、先輩僧(と言っても息子みたいな年令)に、
「まだシャバ気分でいるのかっ」
とガツン!とやられ申し候。丸刈り頭にゲンコツはもう痛くて痛くて、まさに戦時中の二等兵の心境でアリマス。(この手紙もトイレの中で何回にも分けて書いている。むろん、女子トイレなどなく、男僧と一緒。ヒエ〜!)
 まだまだ残暑厳しく日に焼けて真っ黒になり、顔も手足もバンソウコウだらけに候。まるで男の子みたい! すでに7〜8kgはやせたんじゃないかしら。ノドは三日でつぶれて、壊れたラジオみたい。
 これから冬に向けてもっともっと厳しくなるゾ、と先達僧たちにオドされており候。

 しかしながら、わずかな間に虚弱であった身体がみるみる鍛えなおされており申し候。
身も心も頑強になっていくさまが、我ながら、頼もしくおぼえ候。
 朝3時起床にも、粗食にも、早メシ早グソにも、昼夜ぶっ通しの正座にも、ビンタにも慣れ申し候。
のんべんだらりとしたシャバの生活にも、もはや未練もなくなり・・・というか、どんな生活だったか忘れちゃったわよ〜!! ひと月前のことなのに!!

 丸刈り姿も今はですっかり板につき候。  三日に一回、男僧に頼んでバリカンをあててもらっており候。まるでイタズラ小僧のように、ウィーンブィーンと3mmに刈りこんでいただいており候。
拙僧も散髪してあげることもあり、慣れてしまえば、坊主頭の生活もなかなか楽しく、サッパリとして快適なものにて候。
 残暑の行の合間を盗み、洗い場で坊主頭をザブザブ洗って、汗やホコリを洗い流してサッパリ。サッパリついでに、ヒンヤリ。これがロングヘアだったら、と考えると目まいがしそう!! ボーズでよかったわ!
丸刈りのお陰で、最もツライ道場の最初の一月を乗り切ることができ申し候。  若く逞しい美男の僧侶(20代)に散髪してもらうときなど、胸が躍り、バリカンをあてられている間は夢のような心地にて候。うふふ、羨ましいでショ。
この彼氏にこないだ、
「何回言えばわかるんだ、この馬鹿タレっ!!」
という大喝とともに、ビンタを頂いたときは、拙僧、はしたなくもマゾヒスティックな悦びをおぼえ、カンじてしまった次第。
 アラ、笑っちゃ駄目よ。貴女だって似たようなものでしょう? お互いさま(貴女が私が坊主にされている間カンじてたの、知っていたのよ)。
つい筆が滑ってしまい拙僧、少々赤面したしており候。
(中略)
まったく以前貴女が申されていたとおりにて、拙僧も人生半ばを過ぎ、遅まきながら丸刈り党になり申し候。
 シャバに出でたら、貴殿の運動に助力を惜しまぬ所存なり。
 日本男児はもちろん、大和撫子にも丸刈りをドシドシすすめたく、今から「出所」が待ち遠しく思い候。
 気が早いかしら、うふふふ。

しかしながら、この一ヶ月間で、人間ちょっとやそっとで死ぬほど弱いものでないと、自らの身体をもって実感いたした次第にて候。
 その一事を理解できただけでも、ここへ来た甲斐があったというものにて候。
 坊主頭に秋を感じつつ、ここで二年間の行を貫徹する覚悟にて御座候。
 そろそろ冬ですので、貴殿も風邪にはくれぐれもご用心下さいね。
 では、またお手紙いたします。ごめんあそばせ(だれかトイレのドア、どんどん叩いてる!)


 昌俊三拝

追伸 自分専用のバリカンが欲しいわ。
彼氏の散髪をしてあげるの。うふふ。






(了)



    あとがき

需要があるのかないのか謎な「妙久さん」シリーズ第三弾です♪
7月に完成したのですが、あんまり長いので、前後編に分けました。
三ヶ月以上経って読み返したけど、結構、どうでもいいエピソードが多い(汗)吉太郎の話とか・・・。
個人的には昌俊さんの「懲罰」エピソードが好きです。これ、元々、単体の話として、ずっと頭の中あったんですが、どうにも陰惨なストーリーになりそうなんで(&マニアックなので)、「妙久さん」の中の一挿話として、書きました。
最後までお付き合い下さった方、ほんとうにありがとうございました!



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