すきすき! 妙久さん♪ 彼岸過迄の話・前編 |
(1)吉太郎のこと〜随想風に〜 現在、写真で見るとデビューしたばかりのビートルズの髪はさして長くない。 しかし当時の基準では十分すぎるほどの「長髪」だった。 髪は切らないんですか? と彼らはことあるごとにインタビュアーに意地悪く質問された。 「昨日切ったばかりだよ」 などとビートルズは得意の機知でやり返した。 年月が経ち、政治的なコメントもするようになってから、「チーフ・ビートル」のジョン・レノンは「男性の短髪は近代戦争の生んだ産物である」という趣旨の発言を残している。 なるほど、極論かも知れないが、確かに日本における丸刈りも、軍事が主導した側面がないとはいえない。 明治6年、徴兵制が施行され、我が国の成人男性に兵役の義務が課せられた。 入営した若者たちは衛生のため、丸刈りにされた。 まるで坊さんみたいじゃないか と後にロシアやアメリカと死闘を演じる「天皇の軍隊」最初の兵士たちは、坊主頭にされた自己を情けなく思っていたに違いない。 ともあれ、制度としての丸刈り強制の歴史は近代のはじまりとほぼ同時にスタートした。 そして、明治10年、西南役勃発。 西郷隆盛率いる薩摩士族を中心とした叛乱軍と誕生したばかりの徴兵軍は激戦を繰り広げた。 挿話がある。 九州のある農村で、一人の農民が政府軍スパイの嫌疑を受けて殺害された。 殺された農民は病気で髪の毛が抜け、坊主頭だった。坊主頭が災いして、 「こやつ、鎮台(政府軍)か?」 と疑われたらしい。 この挿話から、当時、正規軍の兵士の丸刈りは徹底され、世間でも周知の事実だったことがわかる。 同時に、士族である西郷軍は髪を伸ばしていたこともうかがえる(首領の西郷は坊主頭だったが)。 武士階級で編成された西郷軍に対し、政府軍の兵士は庶民出身者がほとんどだった。 家畜のように駆り集められ、見たこともない西洋の武器を持たされた丸刈り頭の兵士たちを、 「百姓どもに戦ができるものか」 と薩摩隼人たちは軽侮しきっていた。 農民たちにしても、命の危険にさらされる徴兵は悪疫と同じで、必死で逃れるべき対象だった。 俺の郷里に運動公園があって、運動公園の見晴台から裏手に下りられる。裏手は一応、遊歩道になっているが、野犬が出るだの、痴漢が出るだの、噂される人気のない小道で、実際に「遊歩」する人はいない。 その小道の脇にポツンと小さな祠がある。 その祠、徴兵逃れの神様だったそうだ。 明治大正には、だいぶ流行った神様らしい。 金やコネのある中産階級以上の人間なら容易く逃れられた徴兵だが、郷土の貧しい農家は神頼みするより他なかった。 昭和になって戦争が激しくなると、兵役は「名誉」とされ、この神様にお参りする者は絶えた。その頃には軍部が半ば強制的に学生や一般男性にも丸刈りを推奨しはじめていた。 うらぶれた祠が徴兵される農民たちの悲しみを無言で伝えている。 旧日本軍は滅んだが、丸刈り強制の伝統は残った。剛健で朴訥な僻地ほど根強かった。 祠参りの農民の子孫である俺たちも、かつてのご先祖様がそうだったように、一定の年齢になると、髪を刈られ、丸坊主にされた。理不尽と思いつつも従った。周囲も当たり前と思っていた。徴兵制開始以来、この地域の男は一度は丸刈りにならねばならないという伝統はもはや血肉のレベルにまでなっているようだった。 だから、この因習が打破されるには、相当な闘争があった。 結局、紆余曲折の末、丸刈り校則が廃止されたのは、俺が大学生のとき。年号はすでに平成になって久しかった。 さて、繰り返しになるが、郷里の大部分の農民は貧しかった。それゆえ、徴兵を忌避しながら、入営の憂き目にあった。 ほんの一握りの富裕層のみ、うまいこと兵役を免れた。 大正の頃、うちの村に吉太郎という若い男がいた。 吉太郎は当時流行の文学青年で、文士のように髪を長くして、村内を闊歩し、村人たちから「ハイカラ吉」と陰口をきかれていた。 相当な放蕩息子であったそうだ。放蕩については、さまざまな語り残しが伝わっている。 この吉太郎、小作人を使って、山林や田畑をもつ資産家の息子だったので、親がさまざまな伝手を頼み、金を積み、徴兵を逃れた。 祠にお参りするしか道のない他の若者にとっては、さぞ憎々しい存在だったに違いない。吉太郎がそのすぐ後、あっけなく流感で死んだとき、村人はあまり悲しまなかったそうである。 吉太郎の汚名を返上するつもりでもなかっただろうが、吉太郎の死後半世紀以上経って、彼の弟の孫娘が、この地域の近代はじまって以来の「女性で丸刈り」をやってのけた。 この女性こそが、誰あろう、長谷川妙久さんである。 「あの徴兵逃れのハイカラ吉の孫がよ」 妙久さんが「丸刈り校則を守る会」に参加したとき、或る古老はこの歴史の皮肉を面白がっていた(正確には「弟の孫」である)。 徴兵=丸刈りから逃げ回った吉太郎の係累が、積極的に――当時は必ずしもそうでなかったが――村の子に丸刈りを強制したがるのをシャラクサク思っているようだった。 妙久さんが尼僧でありながら剃髪せず、腰までのロングヘアーだったのも、いかにも、長髪だった「ハイカラ吉」の子孫らしく、その老人には思えたかも知れない。 単に老人の歴史趣味とは言えない。こうした田舎では百年前の先祖の不祥事が、普通に茶飲み話に語られたりする。 ゆえに、不肖の大伯父の存在は妙久さんの人生につきまとわずにはおれなかった。 (2)久恵ちゃんのこと 妙久さんの久恵時代について、ちょっと話す。 戦後の農地改革で張雲寺はずっと所有してきた山や田畑を失った。 それでも多少の財産はあったし、あいかわらず地元では名家のひとつだった。 妙久さん・・・じゃなくって、久恵さんは子供の頃、ピアノを習っていた。庫裏には大きなピアノもあった。その時分、こうした家庭は村には他になく、久恵さんがかなりの「お嬢さま」だったことがうかがえる。 久恵さんは評判の優等生だった。 成績も抜群によく、大人のいうことを良くきいた。級友たちにも好かれていた。小さい子の面倒をよくみた。 基本的に真面目だったが、ちょっとズルいところもある子だった。 教師から持ちかけられた学級委員長を、ピアノのレッスンがあるから、と辞退した。 確かにピアノは熱心にやっていたらしい。毎年コンクールで入賞していた。絵に描いたようなお嬢さまぶりだった。 いつだったか、コンクールで優勝したときの写真を見せてもらった。一応カラー写真だった。 写真は二枚ある。一枚はピアノをひいているところ。これは引きで撮っているので、久恵さんの写りが小さい。だから割愛する。 もう一枚は会場の外での記念撮影。 小学校高学年の久恵ちゃん、カメラに向かって薄く微笑んでいる。心もち首をかしげ、さりげなく脚を交差させ、自然にポーズをとっていた。かなりのナルシストである。 髪はやっぱり長い。腕の横にこぼれている。大きなカチューシャで前髪をあげていた。夏めいた袖なしの白いワンピースを着ている。ワンピースの胸には花を象った黒のリボンをつけている。外人に連れてかれた女の子みたいな赤い靴を履いている。 当たり前だが、顔は妙久さんである。のちに美人住職の称号を欲しいままにするだけあって、愛くるしく、しかもどこか艶っぽく、小悪魔めいていて、俺は断じてロリコンではないが、 「アリかも」 と不覚にも思ってしまったほどの美少女だった。 この写真のロングヘアーの美少女がン十年後、バリカンで自分の頭をゾリゾリやって、地元の子供らに口裂け女ばりに恐れられることになろうとは、まさに神のみぞ知る、である。 久恵さんが中学に入るとき、同級生の男子たちは当然ながら丸刈りを嫌がった。 女子たちの多くは、そんな男子どもをからかった。 が、久恵さんだけは、 「つらいワよね〜」 とこっそり男子たちに同情してみせた。 生まれて初めて丸刈りになる男子たちにすれば、周囲やクラスの女子たちが冷淡・・・どころかひやかし、嘲笑う中、可愛い女の子に同情されたら、そりゃ、もう久恵さんが女神に見えたに違いない。中には嘲りに昂奮する人もいるみたいだが、それは置く。 とにかく、久恵さん、たった一言で、大いに株をあげた。 ここで「妙久さん、昔は丸刈り反対派だった!」と新聞の大見出しの如く断じるのは早計である。 意地の悪い見方をすれば、どうせ丸刈りになるのは他人である。 優等生のペルソナに従って、ちょっと同情するフリをしただけだろう。あるいは優等生として、イメージアップを狙っていた、というと、久恵さんにはいささか酷だろうか。 まあ、単純に「カワイソウ」と思ったから、同情してみせたのが本当のところかも知れない。 丸刈り校則に対するファジーな態度は、この頃から萌芽がある。 ちなみに校則は女子の髪型については甘く、ロングヘアーでも結べば問題にされなかった。 言うまでもなく久恵さんは入学に際し、1mmも髪を切らなかった。特にコメントを差し挟むつもりはない。 高校卒業後、久恵さんは村の子たちが就職したり、家業を継いだりする中、都会の大学へ進学した(世間では左翼系と言われている大学だったことは、以前述べた)。 この辺りから久恵さんは優等生キャラを逸脱しはじめる。いや、コントロールできるようになったというべきか。 幼い頃から見知っている村の人間には相変わらず「いい子の久恵ちゃん」を前面に押し出していたが、大学では仲間とタバコ吸ったり、フォークギター弾いて反戦を訴えたり(ベトナム戦争はとっくに終わっていた)、アングラな劇団に入ったりしていたらしい。服装もいわゆる「フーテン」ぽくなった。 性生活も放埓になった。ピッピーといえばフリーセックスである。 男と同棲してたりもしたらしい。 全ては伝聞である。が、 「やっぱり吉太郎の一族だなあ」 と言う老人もいた。 後に夜這いの駆け込み寺として、何人もの若者の筆おろし(含俺)を担うことになる「夜の妙久観音」の下地はこの頃、大いに育まれた。 フォークギターを弾きながら、「戦争を知らない子供だちさ〜」とか歌っていた久恵さんの(思想ではなくほとんどファッションだったが)「左翼的な」長髪が、明治以来、村の成年男子が強いられた「軍国的」丸刈りに移行するまでには、長い年月がかかった。物理的には五分でバサッと済んだ。 ♪髪の毛が長いと許されないなら〜、と歌っていたが、本当に許されず、バリカンでバリバリ刈られてしまった。 村人は仰天した。 ファンだった男性は悄然とした。女の子たちは「カワイイ〜」と愛でた。腰を抜かした老婆もいた。 なにしろ御一新以来、村で坊主頭になった女性は妙久さんだけだから、最初みんな対応に困った。 オバサンの中には、無理に褒めようとするあまり、うっかり、 「“お兄ちゃん”になったね〜」 と言っちゃった人もいるらしい・・・。 「大伯父さんの借りを返せたカシラ?」 と妙久さんは坊主頭を撫で撫で、そっと母君におどけてみせた。 「お釣りが来るんじゃない?」 と母も冗談ぽく返答したが、あまり良好な空気とはいえなかった。 長谷川家では、吉太郎の話題は歓迎されない。 十数年後、妙久さんが上京して、俺の家に二泊したとき、他意なく吉太郎氏の話になって、 「もうすぐ命日なのよねえ」 と言っていた。命日には内輪で法要をやるらしい。 「私が同じ時代に生まれてたら、絶対(大伯父さんに)バリカン入れてやったワよ」 とも言っていた。 バリカン=入営である。妙久さん、自分が反戦運動の真似事をしていたことを、忘れているようだった。 て言うかご先祖さまでもバリカンカットの対象にしている・・・。こういう人だから、子供が怖がる。妙久さん伝説はいよいよ熱く盛り上がる。 帰るとき、 「大チャン、たまには実家帰りなさいヨ」 皆待ってるよ、と忠告を頂いた。 帰りたいが、帰りたくない。 せめて両親に家の改築費用を出してやるくらいの金ができたら、と考えているうちに歳月が過ぎてしまった。今帰郷したら、俺が小遣いを渡されそうだ(汗) 列車が発車する間際、 「ポケット」 と窓越し、妙久さんの唇が動いた。ジーンズのポケットに手をつっこんだら、折りたたまれた万札が二枚入っていた。 顔をあげると、妙久さんが笑いながら、手をふっていた。 余計帰りづらい。でも正直助かった。複雑な気持ちで遠ざかる列車に手をふった。 (3)ネクロフィリア それから一週間後のことである。 俺はネットで知り合った尼僧剃髪マニアのミッチーと初めて会った。場所は都内のカラオケボックスだった。 なんかG学院という僧侶の学校に入学する尼さんとヤッたとかフカシこいてるし、イヤなヤツだ、と内心思っていたが、会ってみると結構いいヤツだった(逆の場合も往々にしてあるから困る)。 ミッチーは二十五歳。俺より年下だが、年期が入っていて、俺より遥かにディープなマニアだった。 でもさすがに剃髪したばかりの尼さんとヤッたっていうのはウソだろ、と問い詰めたら、 「マジっすよ、マジなんです! ダイノジさん(俺のHN)も疑ってるんですか?」 と目の色を変えられた。 「ああ、ごめん」 「まあ、当の俺自身が信じられないんですよねえ」 「相手は幾つだったのよ?」 「二十歳っす」 「若ぇなあ」 「6月21日生まれのA型、大学生(哲学科)っす」 「色々聞き出したの?」 「ええ、趣味はアロマテラピーと水泳、特技も水泳(地区大会で準優勝の経歴)、初体験は十九歳でバイト先の高校生――」 「初体験まで聞いたのかよ?!」 話す方も話す方だ。目の前にいるミッチーはとりたててイケメンでもないが、ブサイクでもない。普通の青年だ。確かに話しやすいといえば話しやすい。あるいは、剃髪した尼さんの好みのタイプだったのだろうか? ミッチーの武勇伝をひとしきり聞いた。 「ダイノジさんは尼さんの剃髪に関する思い出はないんですか?」 「ああ、んー、話すほどのことはないなあ」 ミッチーはどうせ聞くより話したがりだから、書生酒を飲み飲み、話させた。 お宝 の話になった。 やっぱりミッチーの自慢に付き合わされた。 「何年か前、この道の先達の方に譲ってもらったモノなんですけどね」 とミッチーは幾重にも内包された「お宝」を見せてくれた。 「中身はナニ?」 「ま、見ちゃってくださいよ」 髪! 70cmもある黒髪だった! 「すごいなあ」 よく、こういう髪束がマニアの間で取引されているみたいだけど、こんな髪束はなかなかお目にかかれないんじゃないだろうか。 「やっぱり中国とか東南アジアの女性の髪なの?」 「いえいえ」 ミッチー、この日、一番得意そうな表情で、 「日本の尼さんの髪です」 「うへ〜」 俺はド肝を抜かれた。まるで古代のミイラを発見した探検隊員のような厳粛な気分で、しばらく無言で髪を凝視した。 とは言え、 「本物なの?」 こうした疑問も当然で、尼さんが剃った髪をマニアに金で売るなど、聞いたこともない。どうも腑に落ちない。 まあ、考えようによっちゃ、尼さんが剃髪をフェチに売って、そのお金を慈善団体に寄付すれば、桐の箱とかに納めておくより、世の中のためにはなる(倫理上絶対マズイけど)。 実際、ミッチーはこれを手に入れるために、えらい努力したらしい。 「オプションで証拠写真もあります」 「切ってるところ?」 「いえ、尼さんのビフォーの写真です」 「なんか、嘘クセエなあ」 と突っ込むと、ミッチーはムッとしつつ、 「コレです」 と「証拠写真」を俺に渡した。 写真を見て、俺は卒倒しかけた。 「・・・・・・」 「どうです?」 勝ち誇ったような顔のミッチーに返す言葉もない。 「お、俺・・・」 「認めてくれます?」 「お、お、俺・・・」 俺、この写真の人に一週間前、小遣いもらった・・・。 写真には長い髪の頃の妙久さんがうつっていた。 袈裟をつけている。何かの集いらしい。カメラに向かって無防備に笑っている。 「ま、多少トウが立ってますがね、なかなか美人でしょう?」 「・・・・・・」 「少し昔の写真ですがね」 俺は髪束を見た。艶やかな黒が電灯の光に応え、仄かに輝いている。先の方が少し茶色くなっていた。 嗚呼! 間違いない! 村の青年たちにため息をつかせた髪、犬の散歩をする妙久さんの肩や背で揺れていた髪、お盆参りのときはしっかりとまとめられていた髪、幼少だった俺が憧れの目で追っていた髪、たぶん永遠にこのままなんだろうと思ってたら、ある日突然なくなってしまった髪・・・その髪が一介の変態の「お宝コレクション」となって、目の前で眠りについている。自分の変態を棚にあげ、言いようのないセツナサをおぼえた。 とりあえず確認しておかなければならないのは、 「こ、こ、コレ、つ、つ、つ、使ってるの?」 「野暮なこと訊きっこなしですよ〜」 「そ、そ、そ、そうなんだ・・・・・・」 きっと前の所有者も同じだったはずだ。て言うか俺もそうする。妙久さん的には、ゴミと一緒に燃やされた方がまだマシだったかも知れない。故郷の皆が知ったら、一揆が起きそうだ。 「触っていい?」 「え? ま、まあ、いいっすよ。ちょっとだけですよ」 「ありがとう、ミッチー」 「ダイノジさん、涙目でウィンクするのやめて下さいよ〜! あ、ちょっと、ナニ頬ずりしてんですか?! ああ!、もォ!」 生まれて初めて妙久さんの髪の感触を愉しんだ。丸刈り頭は何度も愉しんだことがあるが。バリカンあてたり、ペロペロしたり、ザー○ンぶっかけたり。 ああ! 昔のシャンプーの香り・・・というより、匂いが強烈にした。懐かしい! 持ち主たちが大事に保存していた賜物だろう。そこは感謝する。 妙久さんの髪の匂い。そういえば、さりげなく嗅いでたっけ。ああ、子供の頃の記憶が甦る。甘く苦く優しく切ない記憶群が溢れかえって、脳ミソが溺れそうだ。 敬ちゃんが愛してやまなかった髪、サキちゃんの憎悪を浴びていた髪、NとDが童貞を捨てた朝、きっとシーツの上を這っていたはずの髪、この髪で人生最初のムラムラをおぼえた男の子もきっといるんだろうなあ・・・。人生で数多の男性たちに触れられ愛でられてきた髪は世紀を跨ぎ、違う形で愛でられ続けている。そして、俺も・・・・・・ 「ちょっと、ダイノジさん?! あああ!! 舐めないでッ!!」 「ああ、ごめん」 サロメ状態から我に返った。 「まったく、もォ〜」 「こ、これ、どういうルートで入手したんだ?!」 「さあ? それは教えてもらえませんでした」 十五年ぶりに再会した妙久さんのお髪(ぐし)は、さっさとまた封印されてしまった。 再びミッチーの自慢話を聞きつつ、俺の中ではかつてない量の犯罪幻想が、間欠泉の如く噴きあがっていた。 これ以上、どこの馬の骨ともわからないマニア連中に、「古馴染み」を死姦させておくわけにはいかない。 奪う! 俺の脳内で奪還作戦が企てられる、怒涛の如く。まるで昔の恋人を遊廓から足抜けさせてやろうとする時代劇の登場人物(大抵バレてヤクザ者にボコられる)の心境である。 買い取るだけの資金はない。 じゃあ、どうする? こっそり盗む。 強引にひったくる。 アリかと思います。 盗難にあっても警察には届けられない代物だろう、たぶん。 最終的には山林にミッチーの死体を埋めているイメージまで浮かんでしまった。 ただまだ理性はある。 ・・・・・・・ 仮に強奪に成功したところで、果たしてペイするのか? ・・・・・・・ 俺の存在はフェチ界から抹殺される。実生活で具体的に報復されるかも知れない。第一奪い返してどうする? 妙久さんに返却しても妙久さんが困る。事実を知ったら更に暗鬱な気持ちになるかもわからない。じゃあ、俺が使うか・・・・・・ってそれじゃあ、死姦される相手が変わるだけだ。こっそり処分する。それが一番だろう。でも、捨てるために奪うなんて、モチベーションがわかない。 そもそも俺はジャイアンではない。例え実害がなくても、司法に裁かれまいと、他人が途方もない金額で――しかも汗水流して働いて稼いだ金銭で購ったものを略奪する酷薄非情さは持ち合わせていない。それが普通人だ。悲しいかな、どう逆立ちしたって俺は普通人だ。 とにかく今日のところは保留することにした。 帰ったら話を訊きたいヤツがいるし・・・。 (4)ちょっとした探偵仕事 「ああ、大輔兄ちゃんか」 何の用?という馬場健也のハスキーヴォイスがケータイの向こうで聞こえた。 「オレ、さっきまでライブだったんだよ」 健也は高校卒業後、理容師の専門学校に行ったが、元々根気のいい性分ではなく、すぐに辞め、地元の仲間とバンドを結成、ヴォーカルとギターを担当している。いい年しているのに、フリーターをしながら、「三十までにメジャーデビュー」を目標にバンド活動をしている。 「結構客入っててさあ。これから打ち上げなのよ」 健也のバンドの客が一人だろうが、十万人だろうが興味はない。 俺が知りたいのはただ一点だ。 「妙久さんがお前んトコの店で坊主になった日のことだけどさあ――」 「まだ訊きたいことがあんの? 知ってることは、もう全部話したよ」 うんざりした様子の声が返ってくる。俺は構わず、 「妙久さんの切った髪」 と訊ねた。 「オマエ、確か、捨てられた、って言ってたよなあ?」 「ああ、言ったよ。だって妙久さんが『捨てちゃって』って言うから、親父も――」 「二回に分けてゴミ箱に捨てた。そうだな?」 「ああ、そうだよ」 「間違いないか?」 「アニキ、勘弁してくれよ」 おい、ケン、早くしろよ、という声が聞こえた。バンドのメンバーらしい。 「“切った髪をくれ“ってヤツはいなかったか?」 「いきなり変なこと訊くなあ」 「思い出せ」 「ああ!」 「いたか?」 「いたいた」 「誰だ?」 「二人いる」 「誰と誰?」 「一人は敬兄ちゃんだよ」 「おいおい」 俺は頭を抱えた。 従兄の敬ちゃんが妙久さんのロングヘアーに歪んだ欲望をもっていたのは、以前話した。妙久さんが坊主頭になって一番凹んでたのが、この人である。 敬ちゃん、諦めきれず、せめて抜け殻だけでも、とバーバー馬場まで赴いたらしい。 まさか敬ちゃんが妙久さんの髪を愛でることはあっても、売ることはない。断言できる。歪んでいた愛情とはいえ、愛は愛だ。 敬ちゃんの線はまずない。 とすれば、 「もう一人は誰だ?」 「妙久さんのお母ちゃんだよ」 「・・・・・・」 この線もまず100%ない。 妙久さんのご母堂が娘の剃髪に終始冷淡とも言える態度をとってきたのは、これまで何度か語った。 有髪をお局尼さんたちに詰られたときも相手の肩を持った(「拾遺」)。なかなか剃髪を思い切れない娘に「アタシが散髪してやろうか?」とハッパをかけた(「本編」)。娘の剃髪の面白裏話を檀家に披露していた。 表向きは寺の裏方として(あるいは性格上)、冷淡を装っていたが、娘がクリクリ坊主になるのが辛くない母親なんていない。 一種の「形見」のようなつもりで、娘の代わりに、こっそりバーバー馬場に切った髪を貰いに行ったのだろう。 「で?」 「なに?」 「二人には切った髪をあげたのか?」 「あげてない」 「なんで?」 「とっくに処分した後だったんだよ」 「ん〜」 「ナニ田村○和みたいな声出してるのさ?」 「もう一回思い出してくれ、あの日のことを」 「そういや・・・」 「何か思い出したのか?!」 「妙久さん、ボウズにした後、うちのトイレ借りて、ウ○コしてた」 「それはもう何回も聞いた!」 「ああ、そうだったっけ」 「実はな」 誰にも言うな、と俺は声をひそめ、健也に釘を刺し、 「あのとき、切った妙久さんの髪が裏のルートで売買されてる可能性がある」 「なんかディープだな」 「オマエの父ちゃん、ホントに切った髪、捨てたのか?」 「当たり前だろ。客の髪なんて、いちいち取っとかないよ」 父親に嫌疑をかけられ、健也は怒りかけている。まあ、好人物の馬場氏が客の髪を裏で売っているとも思えない。俺だって斜に構えつつも、やっぱり人間を信じたいわけで。 ところが健也、 「あ」 何か思い当たることがあったらしい。 「何だ?! 何でもいいから思い出したことを包み隠さず話してくれ!」 我ながらなんだか刑事ドラマっぽい。意識してるんだけど。 「爺ちゃん・・・」 「ご隠居さん?!」 健也の記憶によれば、あの日、老人会の寄り合いから帰ったご隠居は、妙久さん丸刈りの件を知るや、真っ先に、 「久恵ちゃん、切った髪、持って帰ったか?」 と訊いたそうである。 NOと息子の馬場氏が答えると、 「そうか、そうか」 切っちまえばただのゴミだもんなあ、と何故かご満悦だった。 「あれから、爺ちゃん、えらい羽振りがよくなってさ」 健也もお小遣いをもらったりしていたという。 「老人会のババア連れて旅行に行ったり、通販で色々買い物してたゼ」 「あ、そう言や!」 俺も思い当たった。 「半額で散髪してやるよ」 と妙久さんにバーバー馬場でのカットをすすめたのは、あの助平面のご隠居だ。 それにオプションの写真・・・。 あんなに近くで妙久さんの写真を撮れる人間は限られている。 しかも、あの写真、よくよく考えてみれば張雲寺の客間だ。 寺の関係者の集いに間違いない。 ちなみにご隠居はカメラが趣味で、寺の行事のとき、さかんにパチパチ、一眼レフのシャッターを切っていた。 てっきり信心の面ばかりをクローズアップしていたが、もしかしたらご隠居こと馬場退蔵、とんだ食わせ者だったのか? 「店を改築してから爺ちゃん、素寒貧でさ」 店の改築費で家計が切り詰められ、しかも店を息子に譲って、収入のなかったご隠居は煙草銭にも困る有様だった。 ここから先は推測だが、マニアの闇ルートを知り――あるいは現役時代に接触してくる業者がいたのだろうか――つい魔がさしてしまったのだろう。 「あんまり金回りがよくなったから、どっかから借りてるんじゃないか、って親父が心配してた」 確かに、ミッチーが持っている髪束だけでもすごい値がつく。それを何束も売れば、利益ははかりしれない。 「大輔兄ちゃん」 健也は声を落とした。 「まさか爺ちゃん・・・」 「たぶん、な」 「うわ〜!」 村の人には言わないで、と哀訴する健也。産業ロックには幾らでも牙をむく時代遅れの狂犬も、村社会相手には借りてきた猫のよう。なるほど、こういう精神が丸刈り文化の根っこにあるのかもな。撃ちてし止まん鬼畜米英、ほんとに怖いは隣組。俺にもわかる、その気持ち。 もしかしたら、村落共同体に背を向け、長髪で放蕩無頼を重ねた吉太郎の方が実は勇者なのかも、などとコペルニクス的発想の転換があったりもした。 「兄ちゃ〜ん」 「大丈夫、誰にも言わない」 「サンキュ〜」 ご隠居はすでに故人。死者を相手に悶着をおこすのも虚しい。そう自分に言い聞かせつつ、ご隠居が死んでくれていて、ホッとしている俺がいた。 「ところで、兄ちゃん、東京はどう? うまくやれてんのか?」 「やれてない・・・」 (5)真夜中の未来設計 その夜、布団の中で昼間、ミッチーに見せてもらった妙久さんの髪束のことを思い返した。あの手触り、あの匂い、あの味(?)を脳裏で反芻してみた。 そして超ロングヘアーの頃の妙久さんとヤッている妄想をした。これまで妄想の妙久さんは坊主頭で、たまに現れる有髪の妙久さんは、すぐに妄想の中でバリカンを入れられた。けど、この夜は純粋に有髪の妙久さんとのファックをイメージングした。 昼間のあの髪が俺の胸を滑り、シーツを這い、揺れ、乱れ、さらに乱れ、俺は汗ばんだ髪に口づけし、執拗に愛撫する。 俺にしてはノーマルな妄想だったが、ただ一点、普通じゃなかったは、その髪がもうすでに彼女から失われているという前提が絶妙なスパイスになっていることだった。 モウスグ坊主ニナルノ と髪を振り乱し、イメージの妙久さんは言った。 イヤ、坊主ニナルナンテ嫌! と身をよじった。 台詞は事実に基づいて作られているため、いよいよ昂奮した。 何度もひとり射精した。我ながら救いようがない。今の自分には、人間の屑って言葉が相応しく思えた。 グッタリなりながら、考えた。 あの日、妙久さんが刈り落とした髪は、いま、日本全国に散らばっている。俺やミッチーのような人種に所有されている。 彼らは妙久さんの髪を、俺やミッチーだったらそう扱うように扱っているに違いない。 それぞれの髪束はどんな運命を辿っているのだろう。 もしかしたら、コレクターからコレクターへと転々と旅するように譲渡されている髪束もあるだろう。 入手したときは独身だったが、それから結婚して奥さんに見つかり、泣く泣く処分させられたコレクターもいるかも知れない。 俺には想像もつかないくらい珍奇な「使われ方」をしている髪束だってあるだろうし、コレクターが死んで、遺品の中から発見され、「昔の恋人の形見かしら。じゃあ」と勘違いされた挙句、一緒に火葬されてしまっている可能性だってある。 ちょっと調べれば、オークションに出品されている髪束もあるかも知れない。 妙久さんは自分が20世紀のときバッサリ落とした髪が、現在も存在し、各地の好事家によって、十五年近くも陵辱され続けている事実など、露とも知らない。知ったらどんな顔をするだろう? いくら彼女もフェチとはいえ、怖気をふるわせるにきまっている。 埒もない妄想遊びを続ける。 日本全国をまわって妙久さんの髪束を回収してみたら、どうだろう? 全部の髪束を集めたら、カツラにして、妙久さんにプレゼントする。 妙久さんは言うだろう。 「貴方の望みを一つだけ叶えましょう」 と。 阿呆らしい・・・。 妙久さんは髪を大切にしすぎた。執着が強すぎた。さっさとロングヘアーを卒業していたら、あるいはこうした悲喜劇が生まれずに済んだんじゃなかろうか。 大きすぎる牙がマンモスを滅ぼしたように、過保護に育てられたガキが親を殺すように、俺の冗漫すぎる話が聞き手をウンザリさせるように、長すぎる髪と、必要以上の髪への執着はその持ち主に災いを及ぼすんじゃないだろうか。 だから、と俺は鬼が笑い死にするほどの未来に思いを馳せる。 もし将来結婚して女の子ができたとしたら、バシバシ散髪させる。クラブ活動をはじめたら、「髪なんて邪魔」とサバサバ割り切ってしまえる強い娘に育てる。 それがいい。 結婚できれば、の話だが・・・。 眠ろう・・・。 (後編につづく) |