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すきすき! 妙久さん♪拾遺


(1)Don Quixote

 妙久さんの話を前にした。
 俺の話はとりとめもなく、妙久さんの剃髪にまつわるトピックスはまるで全てが蛇足のようで、退屈だったかも知れない。次々と並べ立てられるゴタクに辟易した人もいるだろう。
 単に「中年の尼さんが坊主になった」というだけの話題をあんなに長々と語る必要があるのか?と問われれば、多少引け目を感じもする。
 実を言えば、こっちとしては、あれほど話しに話して尚、不全感がある。さらに蛇足を積み重ねたい欲求に駆られている。語り終えても、想念は未だ、あの田舎尼僧から離れられずにいるみたいだ。
 話し忘れたこと、話さないでおいたこと、あれから見たり聞いたり、体験したこともある。
 あるのならば、どれ、聞いてやろうじゃないか、という寛容な聞き手の厚意に甘えて、いわば妙久さんの「番外編」として、さらにとりとめなく無駄話を続けさせて頂きたい。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


 結局、ハンドルネーム「ジャクチョウ」こと、長谷川妙久さんは俺のアパートに、三日間居座った。
 無論、俺のロン毛は初体験の年上の女性によって、忽ち刈られた。妙久さんとの三日間は、十年以上の東京暮らしの中で、一番幸福に満ちた日々だった。
 妙久さんはすでに大年増だったが、髪がないせいか、見た目は若く、まだ十分すぎるほどイケた。尼僧の役得だろう。
 郷愁にふけるように抱き合い、バリカンを入れ合った。他人からすれば、オゾマシイ光景かも知れない。
 合間に妙久さんの手料理をご馳走になった。食べながら、彼女の近況を聞いた。
 丸刈り校則の復活については、
「まだ諦めてないワ」
と剛健に笑い飛ばしていた。
 ネットの掲示板に「ガキどもを丸刈りにせよ」とラディカルな書き込みをして、溜飲をさげている若き保守派より、リアル社会で草の根運動を続ける妙久さんの方が、地に足がついている。地に足がついている分、よりドン・キホーテ的でもある。
 もっとも妙久さんに思想はない。
「中学生はサッパリと丸刈り」
と絶えず言っていたが、「サッパリ」は感覚的なもので、思想ではない。
 俺が論難すると、
「別にいいのヨ」
と開き直っていた。彼女の丸刈り論は、いかにも女性らしくファジーだった。
「まったく」
 開き直られて、俺は苦笑した。
「自分だってあれだけ坊主頭を嫌がってたクセにさ」

(2)有髪

 かつて、尼僧でありながら、腰までの超ロングヘアーだった妙久さんが、壇信徒に有髪の理由を説明した形跡はない。
 檀家サイドも張雲寺初の有髪住職を特に取沙汰さなかった。双方ともに、「女性だし、まあ、いいじゃない」と、言わず語らずの了解があった。
 ただ公に批判されなくとも、例えば、従姉のサエちゃんみたく、妙久さんの有髪を快く思わない人もいた。
 サエちゃんは妙久さんが大嫌いで、「頭剃れ」と陰口言っていたのは、以前話した。
 何故嫌いなのか、と訊いても、
「嫌いだから嫌い」
とこの人も相当ファジーで、そもそも好き嫌いというものは、ファジーなものだから、さしたる理由もなかったのだろう。
 ただ、妙久さんはコケティッシュな女性で、フェロモンを撒き散らし、男性に媚びてみせるところがあった。そうした同性を嫌う女性はいる。
 妙久さんの場合、尼僧なので余計に、男性を意識しているサマがサエちゃんの乙女らしい潔癖さに触れたのだろう。
 サエちゃんの憤慨は、徐々に、妙久さんその人より、彼女の長すぎる髪に向けられていった。
 男性ウケを狙って、尼僧なのに髪を長く伸ばしている=ゆえにその髪が許せない、
という論理だ。
 サエちゃんの当時の日記には、妙久さんのロングヘアーに対する悪口雑言が書きつらねられている。うまく言いくるめて、妙久さんのことが書かれている記事だけ、コピーしてもらった。以下抜粋する。

「○月○日、今日はお盆で妙久さんがお参りにくる。あいかわらず長髪。夏だからよけい暑苦しく感じる。不愉快。エラソーに説法してたケド頭ぐらいは剃ってほしい。」

「○月○日 (中略)学校の帰り、駅前を歩いていたら、妙久さんが○○さん(注・マジックで線を引いて消されていた。若い男性らしい)と立ち話していた。フケツ!! 髪が長いからフケツ感が倍増!! ○○さんも鼻の下伸ばしちゃってバカじゃないの!! アイサツしてきたがムシしてやった。とりあえず頭剃れ! 話はそれからだよ!」

「○月○日 (中略)お母さんがお寺におさめるお金をもって出かけようとしていたので、妙久さんみたいにチャラチャラ髪を伸ばしてる尼さんには半額でいいんじゃないの、と冗談めかして言ったらば怒られた。なんで???」

「○月×日 丸刈り校則を守る会になんと妙久さんが入っているという。悪い冗談としか思えない。アンタこそボーズにしなくちゃなんないだろうに、何様? あ〜、ムカつく!! 頭剃れ頭剃れ頭剃れ頭剃れ!!!!」

「○月○日 おじいちゃんの十二回忌。お寺へお参り。妙久さんをひさしぶりに見る。あいかわらず髪がバカみたいに長い。頭剃りやがれ!!」

 ここまでヒステリックに嫌っているのに、私的な日記でも「妙久さん」と「さん」付けなところが、サエちゃん、やっぱり信心深い田舎の子である。
 最後の記事から一年後、妙久さんはロン毛を刈って、きれいさっぱり丸刈りになった。
 妙久さんの丸刈り頭を嬉しそうに撫で回すサエちゃんが、俺には、占領したパリの凱旋門の前で高々と足を踏み鳴らしてみせるヒトラーとダブって見えた。

 悪意だけでは片手落ちになる。
 妙久さんの長い髪を愛する人々もいた。むしろそういう人々の方が――特に男性の側に――普通に多かった。
 後で知ったのだが、同じく従兄の敬ちゃんは、妙久さんのファンで、大学ノートに妙久さんの長い髪への欲望をビッシリと書き連ねていた。ちり紙交換に出されそうになっていたのを入手した(正確に言うと、くすねた)。
 以下、そのノートの内容を抜粋して紹介する。

「今日、妙久さんと話したのだが、妙久さんの髪、すっごいいいニオイがした。会話に集中できなかったゼ。タマラン!! クンクンかぎたい!! 押したおしたい!! まったく理性をおさえるのに苦労したゼ。オトナのミリョクってやつだな。ションベンくせえクラスのメスガキどもとは比べモンにならん」

「妙久さんの裸エプロンを想像して5回抜いた。『久恵さん〜』と本名で呼んで想像の中の嫁、妙久さんの髪をペロペロなめまわした。クンクン匂いをかいだ。よく考えたら、裸もエプロンもオプションなんだよな。やっぱあのロングヘアーに欲情しちまう。とりあえず今日はあと最低3回コクぞ!!」

「サエが妙久さんのこと、『頭剃れ』とか言ってた。バカヤロウ!! 死ね!! あんなブスのオトコオンナに妙久さんの美髪を語る資格ナシ!! オマエがボウズになりゃいんだよ!! それにしても妙久さんの髪をシャンプーしてあげたいもんだ。今日はシャンプープレイでコク!!」

「本日法事。妙久さんと久々に会う。目の保養になる。タマラン!!妙久さんは風邪をひいていた。ハスキーな声でお経よんでてコーフンした。ムラムラ。しばらくお風呂に入ってないのかな? 髪がジットリしてた。これはこれでエロい。ジットリ髪の妙久さんで4回コク」

・・・・・と、まあ、なんだか故郷の恥をさらしているような気がして、軽く後悔しているが、こうしたサエちゃんの怒りや敬ちゃんの欲望の記述は、ずっと後の、ネットの匿名掲示板の書き込み的なカラーがあり、なるほど、こうしたネガティブな感情を吸い上げて成立している悪名高い匿名掲示板、現れるべくして現れたわけだ。

 それはさておき、サエちゃんの日記に面白い「事件」が載っていた。

「○月○日 俊二(注・サエちゃんの弟)の散髪。母がバリカンで俊二を丸刈り頭を整えてやっていた。(中略)そこへ妙久さんがお寺の用事で来た」

 その後起きたことを日記を元にざっと再現すると――
 サエちゃんのお母さん(俺の伯母さん)が冗談で
「ついでに妙久さんの頭もボウズに刈ってあげようか?」
と言って、妙久さんも、
「アラ、じゃあ、やってもらおうカシラ」
とおどけて応じるフリをしていた。
 ところが、妙久さんにとっては不幸だったのは、その場に、サエちゃんが居合わせたことだった。
サエちゃんは思わぬ鴨ネギに目の色を変え、
「妙久さん、髪切ってもらいなよ。ね? ね? バリカンあるし、せっかくだからこの際頭丸めちゃいなよ!」
と騒ぎたて、父や祖父にたしなめられても、
「なんでぇ〜?! だって尼さんだよ? 尼さんが坊主にするの、当たり前じゃないの?」
 抗弁する小娘に大人たちは手を焼いた。
 少々不穏な空気になった。
 妙久さんも体面上、笑顔を保っていたが、笑顔はひきつっていた。結局、用事もそこそこに退散した。

「せっかくのチャンスだったのに逃げられた。妙久さんは頭を剃るのがイヤみたいだ。尼さんのクセに情けない!!! ムカつく!! 周りも甘やかしてんじゃねーよ!!」

とサエちゃんは日記に無念さを殴り書いている。
 以上の「妙久さん丸刈り未遂事件」のエピソードからは、バリカン処女時代の妙久さんの初々しさ(覚悟のなさ)や、彼女のロングヘアーに対して遠慮する大人たちの様子がありありと伝わってくる。
 この「丸刈り未遂事件」から二年もしないうちに、妙久さんはマイバリカンを所有する「バリカン姐さん」へと成長を遂げるとは、居合わせた人々も、妙久さん本人ですら予想だにしていなかった。
 まあ、妙久さんも小娘に坊主頭を要求されるのには、さほど痛痒を感じていなかっただろう。

 ところが、実は妙久さん、本山でもロングヘアーを咎められている。
 所用あって、本山にのぼった妙久さん。
 偶然、京都から来ていた高位の尼僧たちとバッティングしてしまった!
「いくら有髪が許されているからといって、少々長すぎやしまへんか?」
と適当な京都弁で申し訳ないが、とにかく、暇を持て余した「お局」連中に、散々いじめられたらしい。
「一度も頭丸めたこと、あらへんの?」
「そらアカンわ。尼僧はお釈迦様の頃から坊主頭て決まってるのに」
「一遍剃ったらエエのに」
「そもそも最近の尼僧の安易な有髪には、私らも憂いてます」
「余程のことがないんなら、丸めてしまいなさいな」
 小姑みたいな剃髪の尼たちにネチネチ責められ、妙久さんは小さくなっていた。ご母堂から聞いた話である。
 この場合、責める方にも責められる方にも、共通したコンセンサスが存在する。
 即ち、

 尼僧は本来剃髪であるべし

という認識である。
 妙久さんも尼僧である以上、他の有髪の尼さん同様、「坊主にしたくない」とは口が裂けても言えない。
 特定の宗派以外の仏教の尼さんが
「坊主にしたくない」
と主張するのは、アイドルがステージ衣装を着ないとゴネるようなもので、職業の否定、秩序の紊乱である。ひいては反宗教的態度ですらある。
 ゆえに有髪の尼さんは「剃髪は嫌!」と言う代わりに、「頭剃るより心剃れ」とうそぶくわけである。

 這這の態で本山から戻った妙久さんは、早速「お局様」たちにイジメられたことを、ご母堂に告げ口した。
「あら、じゃあ、剃ればいいじゃない」
 案に相違して「お局様」たちの肩を持つご母堂に、
「頭剃るなんてイヤよ」
 身内には本音が言える。

 とは言え、妙久さんの宗派の住職は、某儀式のため、絶対に一回は坊主頭にならねばならない。千年来のきまりである。
 某儀式に参加するため、妙久さんは本山宛に申請書を書く。参加が認められれば坊主頭、認められなければ「半人前」で、正式な僧になれない。ここら辺、複雑である。参加したくもあり、したくもなし、といったところか。
 揺れる乙女(四捨五入すれば四十歳)の許に配達される本山からの「赤紙」。
 その内容を要約すれば、

 一ヵ月後に頭剃って来い

ってこと。
 ここに至って、妙久さんもついに覚悟を決める。得度から十年以上が経っていた。

(3)欲望の誕生

 たっぷりと痴戯に溺れた後、妙久さん本人に、
「覚悟をきめた割にはなかなか頭を丸めなかったよなあ」
と意地の悪い指摘をした。
「そりゃあ、三十年以上髪を伸ばしてたから仕方ないワ」
 若い娘の方がかえってサバサバしてるのかも、と妙久さんは俺の坊主頭に舌を這わせながら言った。
 剃髪する度胸については、本山では、「寺の跡取り<在家の志願者」という公式があるという。
 他にも「女性<男性」、これは、まあ当然だが、寺の跡取りが女性の場合、年配の女性ほどウジウジと潔さに欠けるといわれているそうだ。
 妙久さんもウジウジして、なかなか思い切れず日を重ねた。
 テレビのバラエティなどで芸人さんが罰ゲームで丸刈りにされていたりすると、あわててチャンネルをかえた。絵に描いたような現実逃避である。

 だが妙久さんも「地域の子」である。
 都会の子と違って、「バリカンで丸刈り」が日常的に密着しすぎている風土の中、育った。と言うか当時、「丸刈り校則を守る会」の会員ですらあった。
 中学に入るのになかなか坊主にしないで粘っている男子が「弱虫」扱いされる郷里の価値観は、いくらリベラルな大学生活を送ったとしても、潜在意識に刻みこまれている。
 剃髪できずにズルズル過ごしている自分が「弱虫」のように思えて――まあ、尼僧が剃髪を渋るのは情けない話だが――鬱屈が募る。
 そして不思議なことに、坊主頭になるのがイヤでイヤで仕方ないはずなのに、
「なんだか段々、コーフンしてきたのヨ」
と妙久さんはまた、俺の丸刈り頭を舐めた。
「コーフン?」
と俺は彼女の頭を舐め返した。短い髪がジリリと舌を刺激する。

 剃髪を嫌悪する裏側で、妙久さんは昂奮していた。倒錯が生じた。
 車でバーバー馬場の前を通ると、暗い昂奮をおぼえた。ドキドキした。
 バリカンの感触を想像して昂奮した。
 髪を刈り落として、頭の地肌に風を感じる「サッパリした自分」を想像して昂奮した。
 見苦しい剃髪中の姿を床屋のガラス越しに知り合いに見られる恥ずかしさを想像して昂奮した。
 こうしたM的な性的昂奮を、同級生男子が丸刈りにされるとき、自分の身に置き換え、擬似体験しておぼえる娘も地元の女の子の中には結構多いらしい。
「私は違ったけど、そういう女の子結構いたワ」
と妙久さんは教えてくれた。
 彼女たちにとっての坊主刈りは、あくまで安全圏にいての「妄想」だが、妙久さんの場合は目の前に控える冷厳な「現実」だった。
 その「現実」を前に妙久さんは昂ぶった。
 恐怖とセットで異常な性欲があった。
 ある日、とうとう、丸刈りにされる妄想で、布団の中、ロングヘアーを振り乱し、オナニーしてしまった。
「しちゃいけないと思いつつ、しちゃったワ」
「じゃあ、馬場さんトコでバリカンで坊主にされたとき、昂奮したろう?」
「そんな余裕なかったワよ」
 確かに、処女が初体験でオルガスムスを感じるはずもない。だいたいバリカンでバ〜ッと五分で丸刈りでは、恍惚をおぼえる暇もない。
 それに想像の中で丸刈りになるのと、実際に丸刈りになるのでは、天地の違いだ。

(4)或る邂逅

 ともかくも、妙久さんは自慢の長い髪に別れを告げた。
 ちなみに妙久さんの髪に入れられたバリカンはアメリカ製で、550gの大きなやつ。シルバーボディ。電磁モーターを使っているため、パワーも振動もすごい。
 このやたら電気を食うバリカンで剃り初めを済ませた妙久さんは、「バリカン大好きオバチャン」へと変節したのだった。

 自分の丸刈りだけでは飽き足らず、子供たちに丸刈りを推奨した。「丸刈り校則の復活を望む会」を立ち上げた。一切は個人的な欲求からである。
「ひどいな」
 俺は顔をしかめた。
 地域の有力者との社交のために「守る会」に入り、個人のフェチ的欲望で「望む会」を主催する。犠牲になるのは、中学生の男の子である。妙久さん、自分勝手すぎる。
「なぜカシラ?」
 妙久さんはコケティッシュな微笑で首を傾げてみせた。
「サッパリしていいじゃない」
 おいおい、と俺は呆れた。
 だから「サッパリ」では、民主的リベラリズムに太刀打ちできない。
 が、妙久さんにとっては「サッパリ」は正義らしい。まあ、妙久さんのお嬢さん臭いファジーな論理は他の会員たちがフォローしてくれていると思うけれど、やっぱり、ドン・キホーテだ。

 IT革命。
 妙久さんは実生活でドン・キホーテを演じつつ、ネット世界にも欲求解消の糸口を求めた。
 断髪フェチという同族の存在を知り、喜悦した。
 徐々にそちら方面へと軸足を移しているらしい。彼らは喜んで犠牲の羊となった。妙久さんも羊の役を楽しんだ。俺も今日の昼間、生贄となった。
 ネットの断髪系のサイトで、剃髪の尼僧と自己紹介すれば、マニアはダメ元で接触してきた。そう、俺のように・・・。
 無聊の日々をかこっていた妙久さんのバリカンも、ふたたび最前線に駆り出され、活き活きとご主人様の活動を手伝った。

 女性の髪も刈った。
 その中でも変り種だったのは、

 設楽美鈴

という女性だった。
 この女性はネットの某所で妙久さんが募集したバリカンカットの客に、メールを送り、バリカンによる丸刈りを希望した。

 ――ジャクチョウお姉さま

という書き出しから、時代がかったセンチメンタリズムとM的な欲望に満ちたそのメールは始まっている。( )内は俺のツッコミである。

 不躾ながら、このようなメールを送ることをお許しください。(いやいや、そういうサイトだから)
 ジャクチョウお姉さまの八面六臂の御活躍、いつもドキドキと胸を躍らせながら、ネット上で拝見させていただいております。(妙久さん、エグいことやってんだなあ)そのあまりのリアリズム的描写にはしたなくも、自らを慰めることもしばしばで御座います。(丁寧な表現がかえってイヤらしい)
 実を申さば、私もジャクチョウお姉さまと同様、尼僧でございます。関東の小さな寺院で住職をしております。(こんなトコに来てないで、ちゃんと仕事しなさい)
 尼僧でありながら、有髪で御座います。(キター!)
 バブルの頃に青春期を過ごした所為でしょうか、トレンディドラマの女優気取りのロングヘアーのまま、髪を切れずにいるので御座います。(結構年いってるな)
 尼僧であるにも関わらずただの一度も剃髪を行った経験がないのです。(これまたキター!)
 尼僧にあるまじき長い髪ゆえ、周囲のお坊様たちからも檀家さんからも、切るよう毎日お叱りを頂戴したしております。(どんな檀家だよ? 断髪小説の読みすぎ)
 さりながら、なかなか思い切れず、今もこのように無様に有髪を続けております。(「無様に」ってトコにMっ気を感じる)
 我ながら意気地がない自分が歯がゆく、情けなく思っております。(どっかで聞いたような話だ)お姉さま、どうかこんな私をお笑い下さいまし。(大昔の少女小説みたいなノリだな)
 しかし今回、意を決し、恥を忍び、お姉さまにこのメールをお送りいたします(たしかに恥ずかしいな)。
 私もお姉さまのようにバリカンでバッサリとこの黒髪を落とし、尼僧らしく丸刈り頭となって、御仏にお仕えしたしたく、また周囲の方々にも「サッパリしたね」と可愛がって頂きたいとの願いもあり、半年間考えた末、死ぬるような決心を致し、お姉さまにメールを差し上げた次第で御座います。(半年考えた挙句妙久さんを選択? あんた、バカでしょ?)
 つきましては、剃髪の尼僧の先達として、桐子(とうこ・この人のHN)の髪に容赦なくバリカンを入れて頂きたく、お願いいたします。(この尼さんの檀家、かわいそうだな)
 もしかしたら、いざ断髪する段になって見苦しく取り乱すこともないとは申せません。泣いてしまうかも知れません。あるいはもっとはしたない粗相をしてしまうかも知れません。(芸人用語でいう「前フリ」ってやつだな)
 そういう時は遠慮なく、この不肖の妹をお叱り下さいませ。(勝手に「妹」を名乗ってるし・・・結構図々しい人だ)いかなるご叱責も甘受する覚悟で御座います。(プレイの要求)
 ロングヘアーでいることが苦しゅう御座います。桐子は一刻も早く、ジャクチョウお姉さまに丸坊主にして頂きたく、身悶えしております。(「さっさと会ってくれ」ってことね)
 どうかお姉さま、この妹を哀れと思し召すならば、お姉さまのバリカンでクリクリ坊主にして下さいませ。(だから、勝手に「妹」になるんじゃない)
 お返事お持ちいたしておりますm(_ _)m(ここにきて顔文字かよ?!)

 あまりに胡散臭い内容(キャラ作り)に妙久さんも二の足を踏みかけたが、「有髪の尼僧を丸刈り」という誘惑、即ち、

@堂々と女性を坊主にできる
A長い髪を刈れる
B一応、仏教界への貢献になる(つまり、自他ともに言い訳がたつ)
Cかつての自分を思い出して萌える

と徹頭徹尾、我欲に従い、返信し、メールを交換し合って、とある平日、渋谷駅ハチ公前で待ち合わせ(このセンスが昭和的すぎる)をした。

 以下、その日の出来事を記す。
 待ち合わせは午後二時だった。
 お互い袈裟姿で、という約束だったから、妙久さんは袈裟をつけ、ハチ公の前に立っていた。
 しかし、待ち合わせ時間をすぎても、桐子こと設楽美鈴は姿を現さなかった。
 無論、覚悟していたことなので、妙久さんは平気だった。それでも、未練はあって、しばらく待っていた。
 二十分が経過した頃、
「あの」
と妙久さんに声をかけた婦人がいる。袈裟姿ではなかった。黒のピッチリした ブランドの袖なしワンピースを着ていた。
「ジャクチョウさんですか?」
 婦人はおそるおそる訊ねた。
「はい」
と妙久さんがうなずくと、婦人は、
「設楽です」
と本名の方で名乗った。そして、
「すみません」
と約束を守らなかったことを詫びた。
「もしかしたら私だけ袈裟ってことになりはしないかと――」
 私服の事情を説明した。設楽美鈴の方でも、警戒していたらしい。ところが妙久さんが本物の尼僧で、約束通り、袈裟姿で現れたので、違約が気まずく、出てこれなかったという。
「いけない子ネ」
 妙久さんは年上の鷹揚さで許した。
 美鈴は確かにロングヘアーだった。黒髪のストレートを肩甲骨まで伸ばしていた。
 メールとは違うのは、彼女の髪は「トレンディドラマの女優」というより、
「山伏みたいだったワ」
と妙久さんは証言している。
 長さは年齢不相応だが髪質は年相応に痩せ細り、重ったるそうに見えた。
「そういうダメな髪ほど刈ってあげたくなるのヨね」
と妙久さんは俺に言う。
 ダメな髪ほど刈り落としたときの自他の「サッパリ」感が強烈なのだ、という。

(5)バブル終焉

 設楽美鈴は四十代だった。
 細長い顔をしていた。なかなか美人だった。三十代くらいには見えた。
 痩身で背も高く、ムダな肉というものが全くなかった。学生時代、雑誌モデルの真似事もしていたという。
 尼僧というのは本当だった。東京から電車で二時間半ほどの片田舎の寺の庵主だった。
 有名私大を出ていたが、考えすぎて、伯母が庵主をしている寺を継ぐため、尼僧の道に入った。
 独身である。病弱の庵主の世話に忙殺されていたのと、小さな庵寺では婿養子に来てくれる男性など、いようはずもなかった。
 そもそも、重度の丸刈りマニアの美鈴は男性との交際に関心がなかった。
 そのクセ見栄っ張りだから、バブル期に、男性たちにチヤホヤされた甘い経験が忘れられず、当時のようなロングヘアーと濃い目のメイクとブランド物の衣服に執着していた。
 先年、庵主が身罷り、寺を継いだ。
 思う存分、ネットができるようになった。妙久さんの存在を知り、思い切って、メールを送った。
 以上の身の上話を設楽美鈴が妙久さんにしたのは、彼女の庵寺に向かう交通機関の中だった。
「檀家さんが、髪を切るように仰っているって話だけど?」
「知り合いのお寺さんには、たまに言われます」
「どんなふうに?」
「有髪の尼は道心が薄い、とか」
「他には?」
「・・・・・・」
 メールに書いてあったことは、案の定、誇張されたものらしい。
「いいワ!」
 妙久さんはことさらに大きな声で言った。
「お寺に着いたら、早速坊主にしてあげるわネ!」
 乗客の視線は一斉に設楽美鈴に注がれた。美鈴はあわてた。小娘のように頬に赤みを差し上らせ、うつむき、沈黙した。

 庵寺に着いた。
 設楽美鈴のバブル期は、この日の午後六時、終わった。
 妙久さんは持参のバリカンで、美鈴の山伏のような長髪を、バッサリと三分刈りに丸めてあげたのだった。

   頭を刈る前、まずメイクがきれいに拭き取られた。
 黒子とシミが存外いっぱいのスッピンを恥じて、目の前に据え置かれた鏡から、目を背ける美鈴に、
「しっかり見ておきなさいな」
「は、はい」
と言いながら、美鈴は鏡を直視できず、目を閉じてしまった。
「困った子ねえ」
 そう言って笑うと、妙久さんはせっかちにバリカンを黒髪に入れた。
 美鈴が期待したであろう、「プレイ」じみた要素はなく、純粋な「散髪」だった。それがかえって美鈴を悦ばせた。
 「散髪屋さん」は調節したバリカンを、美鈴が熱望する通り、せっせと彼女の頭に走らせた。

 美鈴さんはこのときの体験を「ラクショク」という未発表の私小説にまとめた。
 妙久さんにだけ、こっそり見せた。
 小説中、桐子と呼ばれているのが美鈴さん、妙有と呼ばれるのが妙久さんである。
 以下、バリカンシーンの箇所を抜き出して、紹介する。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 妙有お姉さまは無言だった。無言のまま、桐子のこめかみのあたりに、まずバリカンをあて、ググッと押し通した。
 ――あっ!
 桐子は反射的に目を閉じた。何故だろう、あんなに待ち望んでいた瞬間なのに・・・姿見を直視する勇気が出ない。
 パサリと髪が落ちる音がした。まずケープに一筋分の髪の重みがあった。重みはケープを下へ、下へ伝っていった。
 ふたたび、頭皮があの振動を感じた。髪がひっぱられる。一寸痛い。振動と痛みは、確かに桐子が幼い頃から足摺りするように渇望していたものだった。
 足元の新聞紙がバサリ、と鳴った。
 それでも桐子は目を閉じたままだった。背筋を伸ばし、悟りすました表情をつくって、「剃髪など何事やあらん」とばかりの平静な態度を装っていた。本当は心臓がドキドキと激しく動悸をうっていた。
 妙有お姉さまは自意識過剰な妹など、相手にせず、自己の作業に没頭していた。
 バリカンが今度は額ではぜた。ジジジジと髪が悲鳴をあげた。美しい悲鳴。バリカンの振動が、額からつむじへと移動していく。
 ――どんどん坊主頭にされていっている!
 バリカンの感触に、桐子ははしたなく秘壷を濡らした。
「あ」
と小さな吐息が漏れ、あわてた。妙有お姉さまに聞かれやしなかっただろうか。バリカンの音でたぶん聞こえなかったろう。そう自分に言い聞かせ、とりすまして瞑想に耽るが如く、端座を続ける。
 バリカンの感触をまた感じた。
 バサリと髪が落ちる。
 頭皮に風を感じる。
 涼しい。
「桐子ちゃん、見て御覧なさい。頭、すごいことになってるわよ」
 妙有お姉さまが言ったときには、すでに秘壷は愛液であふれかえっていた。
 怖いもの見たさでも手伝って、おそるおそる目を開いた。
 視界に、異様な姿が飛び込んできた。
 あの美しかった黒髪が無惨にも残骸になって、新聞紙のうえ、とぐろを巻いている。
 前頭部は清やかに三分刈りに刈り込まれていた。右サイドの髪もまだらに刈られ、耳が露になっている。左サイドの耳にはまだ長い髪がかかっていた。後ろ髪もまだ女性のまま、刈られずに残っている。
 「工事中」という看板をたてて欲しくなるような、オンナと尼僧の狭間にいま、桐子はいる。
 ――私ってば、なんて姿なの?! 恥ずかしい!
 変わり果てた自己の姿に、桐子は赤面した。羞恥心に身を震わせた。愚かな虚栄心は粉微塵に打ち砕かれた。
 執拗に女性であることを主張している刈り残された髪が、おぞましく、気持ち悪く思えて、嘔吐を催しそうになる。嗚呼、一刻も早くサッパリと丸めてしまいたい!!
「お姉さま、早く刈ってしまって下さい」
「この頭もなかなか似合うわよ」
 妙有お姉さまはそんな意地悪を言って笑った。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 「私小説」と称しているから、たぶん、大体こういう感じだったのだろう。
 自分の髪を自分で「美しい黒髪」って書いているのは、まア、なんてナルシスティックなんザマしょ、と言いたくなるが、いわゆる文飾だから、そう目くじらを立てることもないかな。
 本当は山伏みたいな、ただ伸ばしただけの長髪なのに・・・。
 ま、私小説=ノンフィクションではない。
 妙久さんの証言によれば、女二人、キャッキャッはしゃぎながらの断髪だったそうで、確かに美鈴さんは興奮し、カンジていたらしいが、小説のようなウェットな雰囲気とはだいぶ違っていたそうだ。

 小説では散髪終了後、以下のような場面がある。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

  「サッパリして尼僧らしくなったわよ」
と妙有お姉さまが丸められた桐子の頭に手をおき、優しく撫でた。
 桐子は身体に雷が落ちたような激しいものをおぼえた。
 眩暈がした。快感に体内の力がヘナヘナと抜けた。
 生まれて初めてのエクスタシーを感じた。気がつけば、スカートが裾までグッショリ濡れていた。粗相をしてしまっていた。新聞紙も落髪も濡れていた。
「いけない娘ね」
と妙有お姉さまは微笑した。お姉さまの足袋も桐子のおしっこを吸ってしまっていた。
「桐子はいけない娘です。どうか存分にお叱り下さいませ」
「まあ、なんてお仕置きし甲斐のある娘なんでしょう」
 妙有お姉さまの目はモノマニアックな光を帯びていた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 小説はここで終わっている。
 いい雰囲気を醸し出す「百合姉妹」であるが、年齢的に、ちょっとね、正直、キツイものがあることは否めない。
 いやいや、前言撤回。
 この大時代的なノリは「ウゼ〜」とか「マジ〜?」とか言ってる昨今の若い娘には出せないだろう。
 やはり、吉屋信子とかお目目キラキラの少女漫画を読んでいた世代の二人だからこその世界だと思う。
「美鈴さん、本当に“粗相”したの?」
と訊いた。
 確かに“粗相“はしたが、小説に書かれているようなほどではない、といった意味のことを妙久さんは言った。チビったのを美鈴さんが大仰に騒ぎ立てたのが真相のようだ。
「で?」
と俺は訊いた。
「ん?」
 妙久さんはすっトボけた。
「”お仕置き”って一体何なのさ」
「うふふ」
と笑って妙久さんは答えなかった。俺もそれ以上は訊かなかった。

 高校球児のごとき三分刈りになって、美鈴さんはすぐにブランドの袖なしワンピースを特売品の作務衣に着替えた。
 非常にサッパリ可愛らしく、尚且つ、お財布に優しい外貌になった。
 余談であるが、この夜、二人で美鈴さんの坊主記念の祝杯をあげた。美鈴さんはテンションあがっていて、大して飲めもしないのに、檀家さんの接待用に買い置きしてあった日本酒をあけまくった。その結果、
「きもちわる〜」
といきなり嘔吐。吐瀉物を部屋いっぱいにブチまけた。
 頭を丸めて二時間後にゲロを吐いた尼僧を、当方寡聞にして、美鈴さん以外に知らない。そういや、妙久さんも丸刈りになった直後、排泄行為におよんでたし、これは類友というやつか?
 大量の刈り髪は、鼻をかんだティッシュやお菓子の袋、宴の残骸、そしてゲロを拭いたボロキレなどと一緒に、半透明のゴミ袋に目立つように突っ込まれ(美鈴さんは「嫌々、恥ずかしいわ」と恥ずかしがっていた)、庵寺の裏の土手の上にある指定のゴミ捨て場に捨てた。
 ゴミを回収にきた清掃員の
「うわっ! なんだ、コレ?!」
「髪の毛じゃねーか?! 気持ち悪いな」
「誰がこんなに散髪したんだ?!」
「もしかして事件か?!」
と騒ぎたてる声が庵寺まで聞こえてきて、妙久さんと美鈴さんは、クスクス笑っていたそうである。
 バブルの遺産とでもいうべき山伏ロングヘアーをバッサリ三分刈りにした美鈴さん、頭だけでなく心もサッパリ、姉御肌になってしまったらしく、今までは、近所の子供に、
「ヘヘ〜ン、貧乏寺の庵主さ〜ん」
とからかわれても、
「あら、ひどいわねえ、もォ〜」
とお姉さんぶって無理して笑っていたが、断髪以後は
「うるせえ! このクソガキ!」
 頭刈ってやろうか!とバリカン持ってチビッ子たちを追い回す、逞しいオバチャン尼僧になったそうである。
 これも、またひとつのバリカンによる「通過儀礼」だったのだろう。

(6)ピサロ的

 美鈴さんの件に味をしめた妙久さんは、中学生より有髪の尼僧の方に、可能性を感じはじめている。
 東京滞在二日目、二人でディズニーランドで遊んだ帰り、妙久さんはしきりに有髪の尼僧撲滅論を唱えていた。
「あのさあ」
 この人には本当に呆れる。
「妙久さんてB型?」
「A型よ」
 まあ、そう言われれば、長年ロングヘアーを通してきた保守性、「守る会」「望む会」をひきずるように21世紀まで存続させてきた粘り腰、村内やネット上でそれなりに慕われている社交能力の高さ、柔軟なようでいて、「中学生は丸刈りが一番!」と決めたら、梃子でも動じない頑固さ、少女時代は評判の優等生だったらしいし、なるほど、A型っぽく思えてくる。
「ウフフ、血液型なんて訊いちゃって、大チャン、乙女チックねえ」
「とにかく」
 俺は矛先を変えた。
「その耳、はずしてよ」
 百歩譲って風船は諦める。
 でも、いい年コイた尼さんが坊主頭のうえにミッキーの耳をつけて、バスに座ってたら、
「尼さんミッキーだ〜」
と注目されまくってしまう。
「アラ、いいじゃない」
 妙久さんは泰然自若としたものだ。天平顔をニコニコさせている。
「よくないよ!」 
「はいはい」
 尼さんミッキーから普通の尼さんにレベルダウン。・・・したかと思いきや、
「でね、有髪の尼さんを説得して、バリカンでガアーッと――」
 バリカン大好きオバチャンにギアを戻されてしまう。

 とどのつまり、妙久さんには欲求はあるが、定見はない。
 バリカン坊主を作りたいから、丸刈り校則賛成派を率いて運動する。しかし時流には逆らえず、運動は停滞する。
 ならば、とネットでフェチを相手に欲望を満たす。その次は有髪の尼僧に狙いを定める。
「悪いことカシラ? 尼僧は本来剃髪が基本よ。むしろ――」
 宗教的善
ですらある、と妙久さんは言う。
 危険である。
 宗教的正義が人間の私利私欲を是認するとき、利欲の質によっては目も当てられない結果を生む。
 十六世紀、宣教師を伴ったピサロの一団が、草でも刈るようにインディオを虐殺したように。中世ヨーロッパの人々が気に入らない隣人を「魔女」に仕立てあげて、ゴミのように燃やしてしまったように。
 なんだか話がおどろおどろしくなってしまったが、とにかく妙久さんは宗教的正義を盾に、有髪尼僧の髪を草のように刈り、ゴミのように燃やしてしまうつもりらしい。
 「新・妙久さん伝説」誕生の予感がする。

 と言っても、妙久さんは別に悪人ではない。
 悪人はディズニーランドであんなにハシャいだりはしない。
 たしかに初めてのディズニーランド、テンションもあがるだろう。
 だけど、いい年こいた尼さんがドナルドダックと握手して、キャアキャア大騒ぎしたり、同じアトラクションに三回も並んだり、パレードをデジカメで撮りまくったりするのは、どうかと思うぞ、正味の話。
 しかも、坊主頭に作務衣という出で立ちなので、場内の視線を浴びる浴びる。ミッキーより目立っていた。
 一緒にいた俺は妙久さんの何だと思われたのだろうか。不図考えた。う〜ん、いや、まあ、俺自身も彼女の何なのか、自分でもわからないでいるんだけどね。
 ディズニーランド行きの費用は全額、妙久さんもちなので、「ヒモ」といういやな単語も浮かんだが、ここはバリカンフレンド、略して「バリ友」ってオリジナルの造語を使わせてもらう。

 その夜は「バリ友」のオゴリで二年ぶりに焼肉屋で食事をした。カルビを食べ、ビビンバを食べ、キムチを食べた。ビールも飲んだ。
 妙久さんも尼さん姿で、周囲の目も気にせず、盛大に食べ、飲んでいた。
 ホロ酔いの上機嫌で、
「有髪尼の頭を刈る」
としつこく言っていた。

(7)ファシズム的

 妙久さんはすでに有髪の尼さんが坊主頭のされるのを何回か目撃している。

 「本編」で某儀式についての、或る作家のエッセイを引用した。
 エッセイには引き続き、ボウズ話が書かれている。
「(有髪だった尼の)ひとりはどうしても(髪を)切れずに、本山に来て、ようよう刈ってもらっていた」
 たった一行の記述ながら、フェチ的には非常に昂奮する箇所である。かなり想像を逞しくしてしまう。
 「切れずに」に、とは切る時間がなかったという物理的理由なのか、切る勇気がなかったという心理的理由なのか、判断できないが、参加者にはずっと前から通知がきているはずなので、時間がないとはとても思えない。きっと後者だろう。
 エッセイには、その尼さんが、
「帰りはかつらを用意しているとのことだった」
ともあり、やはり坊主頭を知り合いに見られたくなくて、とうとう某儀式の本番当日まで先送りしてしまったのだろう。女性は共感をおぼえるエピソードかも知れない。
 けれど、この期に及んで潔くない気がする。
 筆者も俺と同じ気持ちなのか、「ようよう刈ってもらっていた」という表現に、やれやれ、と肩をすくめるようなトーンを感じる。
 そして、鬘の用意があるというその尼僧に対し、
「私はそのままの方がずっと美しいのにと思って見ていた」
と筆者は皮肉ともとれる感想を付け足している。それなりに若く、それなりに美しい女性だったのだろう。
 まあ、それはいい。
 俺が注目するのは、「刈ってもらっていた」という部分である。
 何で「刈ってもらっていた」のか、と言えば、バリカン以外に考えられない。
「剃る」ならば、剃刀だろうし、バリカンでも「剃る」という動詞を使うこともあるから、曖昧だ。
 刈る、ならバリカンだろう。剃刀で「刈る」とはまず言わない。
 ゆえに、この覚悟の悪い有髪尼さんの初めての剃髪が、バリカンでバリバリと執行されたのがわかる。

 「本編」でも述べたけれど、宗教は凄まじい。
 本山は一種の断髪機構と化し、かつての旧日本軍が成人男性に強制したように、妙齢の(と思われる)女性の髪を何ら躊躇いもなく、バリカンで残らず剥ぎ取り、坊主頭にしてしまった。頭を刈られる尼僧の脳裏にも、「人権」だの、「表現の自由」だのといった法律用語は、例え一瞬でも思い浮かばなかったに違いない。
 とりようによっては、現代ニッポン最大の頭髪ファシズムである。が、刈る者も刈られる者も、ファッショなどという意識はない。
 フォローにならないが、人類は自由を望みつつ、心の暗部にファシズムへの屈折した偏愛を抱いている。自己に危害が及ばない限りにおいてだが。
 だから、俺も坊主頭を強制される名もなき一有髪尼に、激しく興奮するのだ。
 さて、じゃあ、彼女のバリカン散髪を担当したのは誰か?
 床屋か?
 素人の僧侶か?
 前者なら本山には床屋が雇われていることになるし、後者なら本山には俺が中学の頃いた或る体育教師みたいにバリカンを持ち歩いている坊さんが常時いるってことになる。

 経験者に訊いた方が早い。
 だから、妙久さんに寝物語に訊いてみた。
「床屋なんていないワよ」
と妙久さんは答えた。
 バリカンは本山に常備されているそうだ。
 通常は男僧の坊主頭を整備するのに使われているとのことだった。本山の某儀式に際しては、髪の長い女性にも使われる。

 妙久さんが儀式を受けたときも、お世話になった尼僧が二人もいたという。
 亀田さんと志賀さん
という尼さんだった。二人とも僧侶が夫だった。
 亀田さんは典型的な「ナニワのオバチャン」といった女性で、本山に出立する前、一応、パーマヘアを刈り落とした。切ったはいいが、我の強い亀田さんは、「ま、これくらいでエエやろ」とオバチャンらしい自己裁量でもって、五分刈りで済ませてしまった。
 その中途半端な坊主頭を本山側に見咎められ、
「亀田さん、それ、マズいですよ」
スタッフの僧侶にさらなるヘアーカットを要求され、渋々、宛がわれた庭先でバリカンをあてられていた。
 青々とした坊主頭にされ、
「まあ、エライサンが言うならしゃーないわ」
と磊落に笑っていた。

(9)身を助くもの

 もう一人の志賀さんは三十代前半とまだ若かった。
 妙久さんと同様、有髪で得度修行を終えたが、妙久さんと違って、この儀式を受けるつもりはなかったらしい。受けるとしても、まだまだ年をとってからと考えていた。
 ところが夫が志賀さんにはからず、勝手に参加申請してしまった。
 なんだかジャニーズのオーディションでよく聞く話である。
 志賀さんは仰天した。参加決定を知らされたのが、本山行きの四日前だから、こんなに無茶な話もなく、大いに狼狽した。
「主人は少し変わってるから」
と志賀さんはこぼしていた。
 心の準備もできぬまま、ドタバタと慌しく準備をし、本山に向かう列車に飛び乗った。セミロングのままだった。支度に忙殺され、切る暇がなかった、と妙久さんたちには言い訳していた。
 まあ、いきなり「四日間のうちに坊主になれ」と言われても、若い志賀さんにはできない相談だったはずだ。
 無論、自主的に頭を刈れない者は、手ぐすねひいて待ち構えている本山の僧侶が強制的にバリカンで散髪してくれる。
 志賀さんも「定啓」という法名に相応しい坊主頭にされた。五日前には考えもしていなかった髪型だった。
 若い志賀さんには、本山僧侶もツッケンドンで、
「志賀さん、これから頭やるから、早く庭に来て」
としょっ引かれるように、庭先に連行され、有無を言わさず彼女の長い髪を刈り込んだ。バリカンには勿論、アタッチメントなどついていない。
 バリカンをとったのは、本山詰めの若い男僧だった。女性にやってもらった方がいいんじゃないか、という声もあったが、折悪しく、スタッフも参加者も皆自分の準備で忙しく、他人の頭を剃った経験がないこのクチバシの黄色い男僧にバリカンが押し付けられた。
 当時充電式のバリカンはなく、庭先に延長コードをひっぱりバリカンにつなげた。

 それはまさにリンチだった。
 バリカンは古ぼけていて、刈り手の技量も最悪、目もあてられない惨状となった。初めての電気器具に髪を挟まれて、
「あ痛っ! あ痛っ!」
とトラ刈りにされた志賀さんは悲鳴をあげていた。セミロングはボロボロと下のビニールシートに落ちていった。
 暇になった妙久さんや二、三の参加尼僧は面白がって志賀さんの散髪を見物していた。
「見ないでよ〜」
と志賀さんは恥ずかしそうにしていたが、見られて、少なからずコーフンしていた。
 刈る方の僧侶も、
「昂ぶってたワ」
と妙久さんは言う。
 本山のバリカンは床屋と違って、コマメに洗浄しているわけではない。長髪剃髪の男僧たちの頭皮に浮き出た脂やフケが刃先にたまり、錆びかけていた。
 あまりに志賀さんが痛がるので、見物人の一人は居たたまれず、そっと立ち去ったほどだった。
 「ロード・オブ・ザ・リング」の怪物のような、長髪と坊主のまだらにされた志賀さんはたまりかねて、嫌々をする子供みたく身をよじった。
「あぶないじゃないか!」
と刈り手が叱った。
 見物をしていた九州から参加したという尼僧に、
「中学生になる男の子の散髪のごたる」
とひやかされ、志賀さんは顔を赤くしていた。
「事前にちゃんと切って来ないからだよ」
と男僧はねじ伏せるようにして、力任せに長い髪を全部刈ってしまった。
 志賀さんはションボリしているうちに、人生で初めての坊主頭にされてしまった。

「スゲー話だなあ」
 俺は改めて驚いた。
 繰り返しになるが、こんなことは通常の社会では到底ありえない。学校だって、教師が女生徒の頭を丸刈りにしたら、きっと免職、どころか傷害罪で刑事告訴されるだろう。親が女児を坊主頭にしても「虐待」になると以前聞いたことがある。
 なるほど、妙久さんにとっては最後の断髪ユートピアかも知れない。しかもその桃源郷が自宅の庭と地続きになっている。みすみす見逃す手はない。

「この話にはオチがあるのヨ」
と妙久さんはさらに驚くべき後日談を教えてくれた。
 なんと頭を尼さんカットにして儀式を終えた志賀さん、そのまま駆け落ちしてしまったという。
 しかも相手は自分の頭を刈った年下の坊さんだった。
「ね? ビックリでしょう? 私たちもビックリしたワ」
 でもね、なんとなくわかる気がする、と妙久さんは呟くように言った。
「わかるって? 頭を刈った坊さんと刈られた尼さんが駆け落ちする理由が?」
「エエ、大チャンだってわかるでしょう?」
 俺は黙った。
 二人は「覚醒」してしまったのだろう。
「しかし皮肉なもんだよなあ」
 当然ながら、本山はこの駆け落ちカップルから僧籍を剥奪した。
 正規の尼僧になるために参加した儀式がきっかけで、志賀さんは尼僧の資格を失くしてしまったのだった。
 志賀さんと恋の逃避行におよんだ本山僧侶はエリートの道を断たれ、志賀さんの夫君は――強引さの報いとはいえ――妻を失った。
 ここまでくればフェチ極道である。
「三方一両損どころか、三方千両損だよ」
「アラ、そうカシラ」
 妙久さんは童女のように首をかしげた。かしげた拍子に丸刈り頭がすれ、ジジ、と枕が鳴った。
「元の旦那さんはともかく、二人とも幸せそうよ」
 志賀さんたちはそれから浪花節のような辛酸をなめたが、けして別れることはなかった。それどころかシュミが高じて始めたバリカンのショップは、この不況下でも、なかなか繁盛しているらしい。
 二人して新商品の「実験台」になったりして、そうした熱心な「経営」が実を結んでいる。妙久さんもお得意さんだという。
 正に
 フェチは身を助ける
を体現しているカップルといえる。
「すごいな」
「でしょ?」
 志賀さんの話にムラムラして、それから3Roundもやってしまった。
 坊主にして人生が開けることもある、とクタクタの俺に妙久さんは熱っぽく語った。
「アタシだってそうヨ」
「そうだろうか」
 地元の子供に敬遠されたり、ネットでコテハンやったり、断髪フェチとプレイに興じることが「人生が開ける」と同義なのかは、俺的にはいささか「?」と疑問符がつく。が、本人が「開けた」と思っているのなら、あえて異議を差し挟むつもりはない。
 ただ「初めての人」の懐かしい肌に耽溺した。

(10)ハムエッグス

 現在の日本の仏教宗派の多くは、尼僧は有髪を認めている。頭を剃らなくてもいい。
「逆に考えるのよ」
 妙久さんはジョースター卿ばりの発想の転換をうながす。

 剃らなくてもいいケド、剃ってもいい

のだと。
 剃髪は尼僧の義務ではない。そう妙久さんは言う。
「権利なのヨ」
 まだまだ女性の坊主頭が市民権を得ていない現代ニッポン。頭虱が流行しても女の子はせいぜいショートまでしか切れず、虱の温床である頭髪を男子のように完全に除去できない。
 例えば、某野球選手と某女性キャスターの不倫騒動でも、男は頭を丸め、反省の意を表して、免罪された(?)が、女はキャスターの職を失った。
 日本では女性の髪は、生計をたてている職業よりも重いらしい。
 某野球選手のケースに限らず、男性の場合、「頭を丸める」という謝罪の方法がまだまだ有効だ。女性にはそういう選択肢がない。
 夏には坊主にしたい女性もいるだろう。
 夏でなくとも坊主願望のある女性は多いはずだ。
 しかし社会が女性の坊主願望の実現を許さない。
 断髪フェチの女性すら、一回は頭を丸めたいという強烈な願望を胸に秘めつつも、「仕事が」「学校が」「家庭が」「世間の目が」と我慢している。
 不公平だ、と妙久さんは言う。
 そんな現代ニッポンにおいて、女性でも堂々と坊主頭ができる唯一の職業、
「それが尼僧なのヨ」
 普通の女性がいくら望んでも、死ぬまでできない坊主頭。
 それが尼僧には許されている。
 どころか推奨すらされている。
 周囲にもありがたがられる。
 門派によっては剃髪でなければ、高い位につけない。
「坊主にしたくなければ、しなくてもいいワ。でも“したい”って思ったら、その日のうちにだってにできるのヨ」
「昨夜、その剃髪論を――」
 考え付いたわけ?と俺は妙久さん手作りの朝食のハムエッグ(妙久さんは「ハムエッグス」という)を口に運んだ。ハムは俺がいつも食べているスーパーの特売品とは違い、ひどく旨い。卵も新鮮だ。
「エエ」
 妙久さんはゆったりと微笑んだ。
「いいと思うよ」
 妙久さんにしては上出来なロジックだ。
 剃れ
と言われたら、誰だって愉快ではない。
 けれど、
 剃りたければ、いつでも剃れる
とか、
 普通の女性が一生できないことができる唯一の職業
と言われたら、「ちょとやってみたいかも」と心を動かす有髪の尼さんもいるだろう。少なくとも、ドン・キホーテになることはないように思う。
「さて、と」
と妙久さんは最後にとっておいた半熟の黄身を一口で食べ終え、
「今週末には『復活を望む会』の会合もあるし――」
 ドン・キホーテも並行して続ける気満々である。
「駅まで送ってくれるんでしょう?」
「ああ、うん」
「また来るワ」
「いつ?」
「さあ、はっきりとは言えないけれど」
「そうか」
「大チャンの髪がロン毛になる前には来れると思う」
 吉田拓郎の歌みたいなことを言って、俺の肩をおさえつけ、丸刈りの頭を、チュッチュッと吸った。
 俺もお返しに妙久さんの坊主頭に唇を押しあてた。次に鼻を押しあてた。頭皮の匂い。今朝、お互い、アタなしのバリカンで刈り合った。
 剥き出しの頭がすでに一番の性感帯になっている妙久さんが嬌声をあげた。
 明日から再開されるいつもの日常を思って、物憂くなった。






(了)



    あとがき

妙久さんシリーズの第2弾です。
語り手の大輔が言っているように、一種の番外編です。
妙久さんの剃髪前、剃髪直後、そして現在のエピソードを大輔と過ごした東京での二泊三日の交情を中心にして、書きました。
「妙久さん」は書きながら、書き終えたくないなあ、と思ってたほど楽しかった作品で・・・もうちょっと書いていたくて、本編脱稿後と同日に入稿。
ある人が「俗っぽくて包容力のある妙久さんがいい」と言って下さったんですが、自分もこういうキャラクター、かなり好きなんですね。
最近、熟女もいいなあ、って思い始めてて・・・黒髪ロングの熟女って何か色っぽいなあ、とか、熟女のバリカン坊主もアリだなあ、とか。コダワリのある素材です!
ただあんまり熟女モノばかり連発するのもどうだろう・・・という気持ちもあって、そういうネタは、「妙久さん」シリーズの中の1エピソードとして、おさめるようにしてます。




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