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阿諛追従


 京洛は空前の「出家ブーム」に沸いている。
 こうした狂騒は例えば、末法の世とされた平安期に、いわゆる出家遁世することが流行った事例を持ち出しすこともできるだろうが、今回の雪崩をうったような世俗的現象には遠く及ばない。
 なにせ、高位高官にある公卿たちが続々と頭を丸めてしまったのである。
 宮中では、この有様では朝議ができないのではないか、と危惧する声すらある。
 事実上の政権を担う武家でも事情は同じで、幕府管領以下、数多の有力者たちが出家してしまった。
 けして信仰心からではない。世を捨てるわけでもない。
 事実はもっと生臭い。

この現象の台風の目にいるのは、時の最高権力者、前太政大臣の足利義満である。齢三十七歳。
 足利義満にこれまでの来歴ついて、ざっと述べる。
 十歳で征夷大将軍を襲職。以後、南北朝に分裂していた皇統を合一し、有力大名の山名氏を討伐し、将軍家の独裁を確固たるものにした。
 朝廷内での飛躍も凄まじいものがあり、宮中を掌握、またたくまに太政大臣まで昇りつめた。武臣では平相国入道清盛以来のことである。
 武家の最高位である征夷大将軍位と公家の極官である太政大臣の位階、双方の得た者は、これまで義満ただ一人である。
 軽々と公武の頂に立った義満は史上かつてない権力者となった。
 ところが義満、わずか半年で太政大臣職を辞し、出家の意向を明らかにする。
 周囲は驚愕し、天子様も翻意を促すため、わざわざ義満の許まで出御なされたが、義満は会おうともせず、ついに応永二年六月二十日、出家。天山道有(のち道義)と号した。
 さすがに気が引けたのだろう、人をやって、朝廷に出家後もこれまで通り政務をみる旨、言上し、動揺を防いだ。
 これが騒動の発端だった。
 まず、かねてから出家の意思があった管領の斯波義将が、主の後を追って剃髪した。
 義将の出家を皮切りに、細川頼元、一色詮範、大内義弘ら幕閣の実力者が、公卿では徳大寺実時、日野保光、四条隆郷、山科教言が続々と仏門に入ってしまった。
 皆、最高権力者への阿諛である。
 一部の大名公卿に至っては義満自ら剃刀をとって、彼の「弟子」という形での出家で、彼らは忠義面して、その寵愛を誇った。
 このような世俗的、かつ政治的で功利的、打算的な出家が相次いだ事例は日本史上、これが空前にして絶後である。
 京雀たちは呆れ、出家した連中を嘲り、笑った

 義満邸である花の御所の門番の小侍も笑っている。
「最近、坊主頭のお客人が多いなあ」
「これも義満公のご威光さ」
「上が出家したからといって、自分たちまで頭を丸めることはあるまいよ」
「はっはっはっ、そりゃあそうだ」
「そもそも出家というものはだなあ――」
「おっ、出ました! いざ、拝聴仕らん」
「混ぜ返すな。あ〜、そもそも出家というものはだなあ、世俗の名利を離れ、ひたすら御仏に帰依するものなり」
「と、何処ぞの法師が申しておったか?」
「だ、黙れ!」
「あの連中にとっては、この花の御所におわす御方こそ御仏なのだろうよ」
「浅ましいのう」
「いっそ、我らも出家しようか?」
「莫迦言え。我らのような軽輩が出家したところで、なんのご沙汰もないわい」
「まったく・・・プッ、クク、ククッ、門番までが頭を丸めていては叡山と変わらぬの、ククッ、プッ」
「おや、またお客人だ」
「ププッ、これはまた見事な坊主頭だ」
「これこれ、真面目にしろ。俺にまで笑いが伝染ってしまうわ」
「坊主頭の主は中山権大納言さま」
「今は出家されて宗雅さま」
「早速、出家されたか」
「義満公に所望されて奥方まで差し出されたお方だ。当然、ご出家なされるであろうよ」
「あな、浅ましいや、浅ましや」
「大内殿までご出家なさったそうだ」
「ホホウ、あの硬骨漢の大内殿がか?」
「えらくなるのも大変じゃて」
「我らのような軽輩は気楽だなあ」

 さて、えらい人はどうしているかというと、場面変わって、ここは「蔵人殿」と呼ばれている或る公卿の邸。
 主の蔵人殿は庭の池を見ている。
 小石を蹴転がして、チャポン、と水面が波立つのを痴愚のように眺め、時折雅趣でもわいたのか、短冊を取り出すものの、また懐にしまい、また出し、を何度も繰り返している。
「あなた」
 妻の保子が呼んだ。
「もう、お坊様がいらしてますよ」
「ああ」
と蔵人殿は答えたが、池の端を動く様子はなかった。
「あなた」
「わかっているとも」
 蔵人殿は気弱く返事をした。 「ただな、頭を丸める前に、その感慨を一首詠もうと思ってな」
「お坊様がお待ちです。後になさいませ」
 保子は容赦がない。
 嫁いで十年になるこの妻は、男勝りの気の強さで、夫に対してもズバズバものを言う。
「剃髪してからでは剃髪の前の気持ちは詠めまい」
「ご未練な」
 保子は眉をあげた。
「和歌など詠んでいる場合ではありませんよ。物事には順序があります。和歌の前に、まず頭を丸めてください」
 まるで片付け事のように出家のことを言う。
「そう急かすなよ」
 散文的すぎる女房殿に流石に蔵人殿も嫌な顔をした。
「何を悠長なことをおっしゃっているんですか。我が家の命運がかかってるんですよ。あなた、男でしょう? 愚図愚図してないで早くなさい」
 唾が飛びそうな勢いで夫を叱咤する保子を、
「北の方様、そう、やいのやいの申されますな」
と横合いから口を挟んだのは蔵人殿の乳母の春日だった。春日は先ほどから、縁先にかしこまっている。
「ご主人様の御苦衷も察しておあげなさいませ。先帝のご信頼も厚く、室町殿になびかないでいた硬骨の朝臣が今こうして室町殿に追従して擦り寄らねばならぬこと、何よりご主人様がおくるしいのですよ」
 かばわれて、蔵人殿、苦虫を噛み潰した顔をした。
春日に悪意はない。
けれど「追従」だの「擦り寄る」だの言われては、我が身の不甲斐なさが改めて思いやられ、情けない気持ちになる。
「春日は口出しをしないで」
 保子はいけだかに言った。
「これは我が家の問題です」
「これは思いもかけぬお言葉」
 春日も負けてはいない。
「私とてこの家の者です。北の方様が輿入れなさるずっと以前から、ご主人様にお仕えしてきたのですよ。主のお悩みは私の悩みです」
「私だって夫の悩みはわかっていますとも」
 俺の悩みは俺のものだ。そなたらにはわからぬさ。蔵人殿は心中ためいきをついた。
 蔵人殿の家は女でもっている
と世間では言いはやしているそうな。
 行動力のある保子としっかり者の春日という女丈夫二人が家政を切り回し、人脈を築き、蔵人殿に助言を与えてきた。蔵人殿はただ宮中でとりすましていればよかった。
 けれど、この女人ふたり、あまり仲がよろしくない。
 春日は乳母であるが、実はかつて蔵人殿と男女の仲になったことがある(この時代、珍しいことではなかった)。互いに遠い記憶なのだが、春日は蔵人殿に対して、どこか女房気取りのところがある。保子の女の勘はそれに敏感に気づいて、自然、態度も刺々しくなる。
 保子と春日の関係は主従ではなく、正妻と愛人のような微妙なもので、たまに嫁と姑のようにもなり、始終角突き合わせている。
「では、春日」
 保子は居直った。
「そなたは殿のご出家に反対なのですか?」
「いいえ」
 春日は首をふった。
「もはや、日和見をきめこんでいるときではありますまい」
 蔵人の出家については、二人の意見は一致している。
「先立っては、常盤井宮様もご出家あそばされましたし・・・」
 親義満派の皇族の常盤井宮は出家する気など全くなかったのに、義満に、
「シテ、法名ハ何トナサレル」
と暗に出家をうながされ、泣く泣く仏門に入ったのだった。
 義満はこの出家騒動を機に、自己の威光を確かめているかのようである。
「ご主人様も室町殿に睨まれている身、ここは早く御身を処するが吉かと思います」
「ほら、ごらんなさい」
 保子は勝ち誇った笑みを浮かべた。
 蔵人殿はしょんぼりと白い短冊に目を落とした。

 義満と先の天子は犬猿の仲だった。
 義満は先帝を散々いじめた。
 ほとんどの公卿が権勢家の義満に追随するなか、それを憎む公卿もいたが、義満の気性はそうした反抗分子を徹底的に粛清せずには済まなかった。

 義満が大納言に任ぜられ、宮中に参内したときのことである。
 大納言就任を賀して公卿たちはこぞって門の外まで、義満を出迎えたが、四人の先帝寄りの公卿はそれをしなかった。義満はそのことを執念深く覚えていて、後でこの四人に仕返した。
 蔵人殿も役目柄、先帝の信任、ことのほか厚かったが、さほどの身分ではなかったので、今まで事無きを得てきた。
 けれど、さきごろ先帝も身罷られた。
 もはや、義満の権勢は揺るがざるものとなり、蔵人殿のような大身ではない人間も処世を余儀なくされた。はっきりと去就を決めねばならぬ。
 即ち、この流れに乗って、出家するのが得策である。そう主張したのが頭の回転の早い妻の保子だった。乳母の春日も、それしかありますまい、とやや不服そうにうなずいた。

 当の蔵人殿は乗り気ではない。
 どころか頭を丸めた阿諛追従の徒を、見苦しいと軽蔑すらしていた。
 蔵人殿は世間でも多少はきこえた硬骨の士である。
 孤立した先帝の君恩に報いることも少なくなかった。
 それが今は仇となっている。
 義満の権力の魔手がそろそろ彼にも伸びようとしている。だからこそ、出家して、彼の軽蔑する阿諛追従の輩の列に加わらねばならぬ。
 蔵人殿はそれが面白くない。
 だけれども、いつまでも突っ張っている訳にもゆかぬ。
「あなた、早く」
「ご主人様、お辛いでしょうが」
と妻と乳母は地獄の獄卒のように彼に迫る。
 迫られて、蔵人殿は、
「楠木兵衛は――」
と或る武人の名前をポロリ出した。
「忠臣として後世まで名を残すであろうなあ」
 楠木兵衛正成は今はなき吉野方(南朝)の武者だった。
 後醍醐帝の命を受け、必敗の戦いと知りつつも、従容と死地に赴き、湊川の露と消えた。人々は天晴れな武人、天晴れな最期と誉めそやした。
「虎は死して皮を残す、と言うが、あの男の名は千載の後まで語り継がれるであろうなあ」
「楠木某のことなど今はどうでもいいではありませんか」
 女には男の詩的心情などわからない。
 楠兵衛は死勇をふるって、千載の名を残した。それなのに、この俺はどうだ。反骨を称えられながら、今は保身のため、頭を丸め、義満如きに媚びへつらおうとしている。情けなく、薄みっともないこと、甚だしいではないか。
 蔵人殿はいよいよしょげた。
「世間は俺を笑うであろうなあ」
「笑わせておけばいいのです」
 保子はピシャリと言った。
「世間など勝手なものです。あてにはなりません。昨日は見事見事と持ち上げておいて、今日はくだらぬ、あれは駄目じゃ、と貶める。実のない鵺のようなものですよ。実のないものに振り回されてなんとなさいます」
「しかし――」
「北の方様のおっしゃる通りです。世評などいい加減なものです」
 春日もこの点でも意見が一致しているらしい。
「なるほど、もし今、ご主人様が先帝様への御忠義を貫かれ、お咎めを受けられれば、世間も挙って喝采し同情するでしょう。けれど、それが何になりますか? すべては一時のことで皆すぐに忘れてしまいます。また新たな喝采の種をさがすだけです。世間は無責任に褒め謗りますけれど、粥の一椀もくれませぬ。そういうものですよ」
「我々は生きてゆかねばならないのです」
と保子が引き継いだ。
「人間、生きていくためには時に不様を演じねばならぬ時もあります。笑いたい者は笑えばよし、誹謗中傷したい者は謗るがよい。そんな連中の顔色をうかがうのに、汲汲とするのは愚劣の極みです」
「そういうものかなあ」
「そういうものです」
 二つの女声はぴったり重なった。
「ご主人様にだけご出家はさせませんよ」
と春日は更に続けた。
「春日も髪をおろして、ご主人様のお供をします」
「なんと!」
 思いもよらぬ春日の申し出に蔵人殿も目を瞠った。
「あら、それならば私だって」
 妻の方も対抗意識をむき出しにして、
「保子も出家いたしますわ」
「おいおい」
 蔵人殿はあわてた。家の女に一度に坊主頭になられてはかなわない。
 が、保子も春日もこの方策がいたく気に入ったらしい、
「これまでの経緯から考えて、殿様ひとり出家するだけでは心許ないですからね、家の者まで出家したとなれば、室町殿のご機嫌もよろしいでしょう」
「まことに、まことに」
とうなずき合っている。
「これ、これ」
 たしなめようとする蔵人殿に、
「中途半端な追従では間に合いませぬ
」 「こういうことは徹底してやった方が良いのです」
 女どもは異口同音に言った。家を守る者同士、大事を前に、何時しか波長がピタリとあっている。


 仏間に釈迦牟尼仏の浄土絵の掛け軸をかけ、その前でまず女たちが髪をおろした。
 ずっと待たされていた知り合いの法師が剃髪をつとめた。
 最初は保子。
 僧侶は思いがけぬ女人の剃髪に戸惑いつつも、和鋏で保子の髪を切った。
鉄の刃が黒髪を押し切り、ゆっくり、ゆっくり、横へ横へと渡っていく。
バサリ、
バサリ、
と髪が落ちる。
 命を断たれた髪を侍僧のひとりが拾い、白木の三宝に載せた。
 保子、三十歳。
 当時としてはもう若くない。
 強気な表情で涙も見せず剃刀を受けた。
 しかし三宝の切り髪の中に一本、白髪をみとめたときは、気丈な保子もちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめ、スッとそれを引き抜いて懐中にしまった。
 蔵人殿は十年連れ添った妻の女心をいじらしく思った。
 タラタラと保子の頭頂部に水が注がれる。
 僧は保子のザンギリ髪に櫛を通し、たっぷりと水を行き渡らせると、手際よく剃刀をあてた。
 左の五指で保子の頭を固定し、クイッ、クイッと剃刀を持った右の手首を小刻みに動かし、額の生え際をまず剃った。
 青白い地肌がのぞいた。蔵人殿がはじめて見る妻の頭皮だった。
 僧は丹念に頭頂部の髪を剃り取り、つづいて左の髪を削いだ。剃刀の運動に従って、ジー、ジー、と鉄と肉の摩擦する音がした。半分尼僧の形になった。
 僧は更に剃刀を左の髪にあてた。
 半刻たっぷりかけて保子は青々とした頭にされた。
 坊主頭になった妻女に蔵人殿、おお、とときめくものがあった。
「これはこれは」
 勝気な古女房殿も頭を丸めてしまうと、さっぱりとして、えもいわれぬ清げな色香を漂わせている。
 閨ではどうであろう、と朴念仁の蔵人殿が邪まで淫らな想像をしてしまったほどだ。
「美しい尼になったなあ」
「おやめください」
 保子は珍しく含羞んで微笑した。

 次は春日である。
「今更髪に未練などありませぬ」
と気丈に言って、
「熊若さま、どうか春日の剃髪をお見届けくださいまし」
と蔵人殿を幼名で呼び、まだ艶めいている黒々とした髪に剃刀を受けた。穏やかな表情だった。
 剃髪の保子も微笑んで見守っている。
 落ち着かないのは蔵人殿だけである。
 幼い頃から側にいた母のような姉のような、はたまた愛人のような存在が頭を丸めるとなると、そわそわして、保子のときもそうだったが、今回は一層、心が騒いだ。宮中のどんな行事より長く感じられた。
 僧はてきぱきと剃刀を動かす。
 月代のように剃りあげられた春日の頭頂部の地肌に、蔵人殿はおぼえず生唾をのんだ。
 十五、六のとき、情欲を抑えられず手近にいた春日に手をつけた。すでに熟れきっていた春日の身体は若君の欲望に応え、様々な性の手ほどきをしてくれたものだ。
「さても、さても」
 蔵人殿はつい慨嘆したが、
「あなた」
 保子に手の甲をつねりあげられ、
「ひっ」
 小さく悲鳴をあげた。
「昔は昔、今は今ですよ」
 保子はやはり知っていた。
「わかっておる」
「今宵のお褥は私ですからね」
「そなた、尼になったではないか?!」
「受戒もしていない形ばかりの尼法師です。夫と同衾しても構いませんわ。家を保つのには、世継ぎがいないといけませんからね」
「これこれ、御仏の前だ。口を慎みなさい」
 そう言いながらも、蔵人殿の顔は笑み崩れている。あまり健康的とはいえない笑顔だった。
 春日はといえば、その名の通り、春風のような柔和な笑みを口元に浮かべたまま、今は頭のほとんどが青く丸くなっている。
 剃刀が襟足を丁寧に剃りおろした。
 春日はずっと若くなった。

 二つの髪が紙に巻かれ、仏画の前に捧げられた。

 髪の持ち主だった女人ふたりは、
「スースーいたしますねえ」
「春日は若やいで見えますね」
「北の方様こそ、かえって艶かしいですわ」
 生涯付き合うことになる自分や相手の坊主頭を品定めして、笑いさざめいている。
 保子と春日の肝っ玉に蔵人殿は、やれやれ、と恐れ入るばかりだった。
 女たちの肝っ玉の据わった現実主義には、男の蔵人殿の世間体ありきの生ぬるい浪漫主義など鎧袖一触、敵うべくもない。身辺にこういう女たちがいたら、楠木兵衛正成とてノコノコ湊川まで出向くこともなかったであろう。
 こうなっては、蔵人殿もいらざる反骨を売り歩くより、今のささやかながらも実のある生活を守ることに意義を見出していた。
 割り切ると、
「二人とも清らかになった。美しゅうなったぞ」
と手を叩いて喜んだ。
 かくして蔵人殿、剃髪。


 坊主頭で花の御所に伺候した蔵人殿に
「女子達モ出家ナサレタカ」
と義満はことのほか満足そうで、近く北山に造営する山荘の話などをして聞かせ、
「蔵人殿モ遊ビに参ラレヨ」
と異例の好意までみせたのだった。
 京童たちは「女房や乳母まで尼にして、身の安泰をはかったか。これが硬骨の朝臣蔵人殿の本性じゃ。浅ましや、浅ましや」と大いに笑ったが、蔵人殿は平気な顔をしていた。

 五年後、周防の国の守護、大内義弘が謀叛をおこした。
 義弘は義満に付き合って出家したが、義満の治世には付き合いきれず、とうとう反義満派と語らって、兵をあげたのだった。
 忽ち攻め滅ぼされ、謀叛の一味は誅戮された。無辜の民も死んだ。


 無惨な報を都で聞き、蔵人殿は、
「我らもまかり間違えば、似たような運命を辿っていたかも知れないなあ」
と妻に言った。
「ええ、そうですとも」
 尼姿も板についた保子は力強くうなずいた。
「反骨も考えものですよ」
「あのとき、進退を誤っていれば、この和子様もお生まれにはなっておりませんでした」
と同じく尼姿の春日があやす三歳になる我が子に目を細めながらも、
「しかし――」
 蔵人殿はちょっと情けない顔をした。
「もしかして、こいつが大きくなってから、おべっか使いの父親を軽蔑せぬかなあ」
「何をおっしゃるんですか」
 春日が目を剥く。
 子ができて頭も心も丸くなった保子は笑いながら、
「そのときは言っておあげなさい、”俺や母や春日が必死でおべっかを使ったから、お前が生まれることができたのだよ”と」
「阿諛追従さまさま、か」
と蔵人殿も声をたてて笑った。笑ったはずみにクシャミが出た。保子も春日もつられてクシャミして、三人、きまり悪そうに坊主頭をなで、
「もしかして、まだ我らの噂をする京雀がいるのかな」
「寒さのせいですよ」
とまた笑った。


 義満の死後、権力を握った嫡男義持は義満の治世を否定した。
 朝廷から父義満に贈られた太政天皇の追号を辞退し、北山の山荘を破却した。
 その義持の政治の裏舞台に蔵人殿の存在があったかどうか、残念ながら史書は黙して語らない。


(了)



(了)



    あとがき

時代劇第六弾は室町時代です。
これ、何年も前からアイディアはありました。
で、これも十月頃、一日半くらいで脱稿。ほんと「市弥」直後はなんかノッてて、「岩倉理子」「だだあま」今作、とかつてないほどのハイペースで作品ができていって、しかもどれも気に入っていて、自分でも驚いています。
掲示板でユージさんが時代劇を書く際、その時自分の考えていることが反映されるのか、との趣旨のご質問をされていまして、失礼かも知れませんけど、ちょっと、ここでお返事を兼ねて書かせていただきますね。
時代劇を書くときは、
@単純に「おはなし」を書きたいなあ、って時だったり、
A現代モノでやっちゃうと、自分の考えが露骨に出過ぎるので、「時代劇」って意匠にくるんでワンクッションおきたい時、だったり、
Bあと時代劇じゃないと書けないものだから(政治的行為としての出家とか)、って時だったりします。
「市弥」なんかは「おはなし」のつもりで書いたんですけど、読み返してみると、自分の考えていたことが結構出てます。
今回のストーリーはAとBです。

いつも書き終えて(了)ってうつ時、
おわった〜!
って気持ちになるんですが、このお話の場合、(了)ってなっても、
え、もう終わっちゃたの?!
って戸惑ったことをおぼえてます。物足りないというか・・・もっと書きたい!というか・・・。
当時、よほどアドレナリン分泌状態だったんでしょう。
楽しく書けました!
お付き合い下さり、どうもありがとうございました♪



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