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岩倉理子が「お姉ちゃん」になった日


 岩倉理子(さとこ・ニックネーム、リコ)が僕の家を来訪したときには、僕の姉の雅代は「お姉ちゃん」になったばかりだった。
 お姉ちゃんがお姉ちゃんになるとは、これ、如何に?と疑問に思われるだろうが、雅代お姉ちゃんは確かにこの日、「お姉ちゃん」になったのだ。

 東京の人から言わせれば、「保守的」「前時代的」なこの地域では、未だ中学生は男子は丸刈り、女子はオカッパという校則が厳然と存在しており、毎年、桜の蕾が膨らむ頃には、この辺り一帯の理美容院、各家庭のゴミ箱は子供たちの髪の毛であふれかえる。
 大人たちは、小学校も高学年になり、初潮を迎え、身体つきも女のそれになり、そろそろ色気づきはじめた少女たちが、地域社会の慣習に従って、短く切り揃えたオカッパ頭にダブダブのセーラー服という、はなはだ垢抜けぬ姿に変わると、愁眉をひらき、安堵したように、こう言う。
「お姉ちゃんになったねえ」
 「お姉ちゃん」たちは、むしろ断髪前より、ずっと子供っぽくなっているにも関わらずだ。
 僕の姉も例外ではなく、中学入学を控えたこの日、断髪を済ませ、地域的にも「お姉ちゃん」となったのである。
 雅代お姉ちゃんは小学校の低学年から、ずっとロングヘアーを通してきた。一度も髪に鋏を触れさせなかった。
 高学年にもなると、母はしきりに姉の髪を切らせたがった。父も夕飯のときなど、晩酌のビールを飲みながら、
「髪短くしちゃえよ」
と言っていたが、姉は――本人は大人ぶっているつもりだろうが、
「色々あるんだよね」
と意味のわからない、遁辞にもならない科白で、断髪の話題を回避し続けていた。
 姉が切らせまいと意固地になるほど、両親の、特に母の、切らせたい!という欲求(と呼ぶべきだろう)は募っていったみたいだった。
 子供の髪型を見れば、その子の家庭がわかることがある。極端な話、後ろ髪が長かったり、髪を染めているチビッ子を見れば、どんな親なのか大体想像できたり(良い悪いではなく)。
 この地域では、小学校の高学年にもなれば、嫌々髪を短くさせられる女子もいる。短髪を強いられる女子に周囲は「親の威厳」を感じたりする。逆説的に、我が家の雅代のように好き放題に髪を伸ばしている女の子の背後に、周りは「娘を甘やかしている親」「威厳のない親」の存在を感じているわけで、少なくとも雅代お姉ちゃんの場合はそういうネガティブな視線は的外れなものではなく、今にして思えば、母の鬱屈は想像できなくもない。

 雅代姉ちゃんにとってはできるだけ先延ばしにしたい、母にとっては一刻も早く前倒しにしたい、Xデーがこの日だった。中学校の入学式の四日前である。
 母は自室でゴロゴロと漫画を読んでいた姉を庭に引きずり出して、自ら鋏をとって、ついに我侭娘に「親の威厳」を知らしめたのだった。  姉にとっては不幸なことに、たまたま用事があって(町内会の旅行のこと)我が家に来ていたオバサン連も姉の断髪に立ち合う形になり、雅代姉ちゃんの四年ぶりのヘアーカットはちょっとした見世物になってしまったのだった。
 母は親の仇みたいに娘の髪にザクザクと鋏を入れ、雅代姉ちゃんは
「美容院に行くつもりだったのにさ〜」
とふてくされていて、
「美容院代は誰のお金だと思ってんの!」
と母に逆ギレされ、ますますふてくされていた。
 サイドの髪が押し切られ、耳を半分くらい出された姉を、オバサンの一人が
「いいじゃない、今まで散々伸ばしてきたんだから」
と言った。慰めの言葉のようだが、
「散々伸ばして」
という言い回しに放埓なロングヘアーへの嫌悪が、
「今まで」
の反語として、これからは自由にはできないよ、という地元中学のOBからの牽制が見え隠れしているように思われた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 姉の前髪が眉毛のすぐ上で揃えられたとき、ちょっとボーイッシュで凛々しいかも、とうっかりドキドキしてしまった。
けれど、素人理容師は納得いかない長さだったらしく、無言で首をひねり、さらに大胆にも3センチ短く切り詰めた。しかも逆U字のカーブを描きつつ。
 雅代姉ちゃんは落ちてくる前髪に目をつぶり、顔をしかめて、あ〜、と小さな悲鳴をあげていた。
 オバサン連は自分たちの過去を思い出したのか、笑顔で姉のヘアカットを見物していた。
 周囲が同情的だったら、姉も思う存分涙を流し、自己陶酔の中、この「通過儀礼」を終えられたのだろうが、あまりに乾いた空気に泣くに泣けず、不器用な表情で「お姉ちゃん」になっていった。
 無計画にサイドを短く切りすぎてしまったため、襟足の長さを短くせざるをえず、母は形を整えるのに悪戦苦闘していた。
とうとう業を煮やした即席美容師は、物置から古いバリカンを引っ張り出してきた。以前、近所の大崎さんが引っ越すとき、いらないからと色々貰った不用品のひとつで、我が家では未だ使われたことはない。
「雅也(僕)に使えばいいじゃん」
と姉は言っていたらしいが、まさか自分のヘアカットに使用されるとは、思いも及ばなかっただろう。
 母の乱心に近い勇断に僕はド肝を抜かれた。
 まあ、一番ド肝を抜かれたのは雅代姉ちゃんには違いなく、バリカンをコンセントにつないでいる母親を振り返り、
「え? え? 何すんの? え? え?」
と狼狽のあまり言葉もでないでいた。もはやふてくされるパワーも失せ、泣きそうになっていた。
 ウィーン、ウィーンとバリカンのモーター音に、オバサンたちも流石に沈黙した。
 姉だけが
「え? え?」
とバリカンが後頭部を剃りあげられている間も、まだ信じられぬ様子で、
「え? え? え?」
と目を瞠ったままだった。
 壮絶なまでに田舎くさいオカッパにされた雅代姉ちゃんに、
「サッパリしていいじゃない」
「軽くなったでしょ?」
とオバサンがさして嬉しくない賛辞を送った。
「アタシ、結構器用だから」
 製作者は意気軒昂だったが、鏡と睨めっこしている作品の方は
「ちょっと、こんなに切ったのォ〜」
と何度も舌打ち。半分ヤケッパチで新しい髪形をグチャグチャとかきまぜていた。

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 母やオバサンたちは調子に乗って、姉にセーラー服を着させた。
 試着のときはロングヘアーだったので、母は不満そうだったが(姉は「ロングヘアーにセーラー服」の方が見栄えがいいと虚しい主張をしていた)、
「やっぱりセーラー服にはオカッパだよねえ」
「中学生らしいわよねえ」
とオバサンたちと言い合っていた。
 この日から雅代姉ちゃんのスケジュールには月一回の散髪日が組み込まれ、中学の二年生になってからは我が沢口家の家計簿に姉の美容院代の支出が加わったのであった。

 このタイミングで岩倉理子が家の呼び鈴を押したのは、ご愁傷様としか言いようがない。
 理髪師魂に目覚めた母の鋏は姉の髪だけでは満足できず、新しい生贄=「お姉ちゃん」を求めていた。周囲のテンションもまだ一段落しておらず、雅代姉ちゃんに匹敵するロングヘアー新中学生の来訪はまさに、飛んで火にいる夏の虫であった。
 庭に通された岩倉理子は「お姉ちゃん」になったばかりの親友に
「え〜?! マーちゃん、やっちゃったのォ〜?!」
と目を剥き、反射的に足元のコンクリートに散った大量の髪を確認し、また、視線は髪型へ。
「やっちゃったんだ〜」
 セーラー服にオカッパの「お姉ちゃん」雅代と未だ小学生をひきずっているお嬢ロングヘアーにピンクのカーディガンの理子。迎えるべき未来と決別すべき過去が、我が家の庭で鉢合わせてしまった。
理子は口元をほころばせていた。親友の髪型の珍奇さに自分のことも忘れ、思わず笑いが出てしまったようだった。
 しかし、
「理子ちゃんも切ってあげようか?」
という母の言葉に、
「え」
と生温かい笑いは引っ込んだ。
「いいですよ〜」
「遠慮しなくていいわよ」
 無論、理子は遠慮などしていない。
「いや・・・借りてた漫画返しに来ただけなんで、もう帰ります」
 逃げる気満々である。
 理子と雅代姉ちゃんは「漫画仲間」で、よく家に来ては、二人、ウダウダ寝転がりながら、漫画をひろげて、新連載のヤツつまんないね〜、と品評会をしていた。中学に漫研あればね〜、と嘆息してたりもした。
 彼女らの愛読している漫画のヒロインは九割以上がロングヘアー。長い髪を編んだりお団子にしたり、中にはアリエネーってくらいの超ロングもいた。オカッパのヒロインなど「ち○まるこちゃん」ぐらいじゃなかろうか。
 もし漫画のヒロインたちが皆、オカッパだったら・・・例えば、「あたし、マカベ君とずっと一緒にいたいよ」とのたまう恋愛物のヒロインが刈り上げのオカッパだったら・・・例えば、「俺、エトウのこと、好きなんだゼ!」と告られるヒロインが刈り上げのオカッパだったら・・・「ああ、エミシ様・・・」と泣き崩れる悲恋のヒロインが刈り上げオカッパだったら・・・「諸君、革命のときは来た!」とバスティーユに突撃する勇敢なヒロインが刈り上げオカッパだったら・・・雅代姉も理子も抵抗なく「お姉ちゃん」になったのだろうか。ふとそんなことを考えたりもする。以上は余談である。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「リコちゃんも切っていきなよ〜」
と雅代姉ちゃんは理子を道連れにしようとして、理子はバリカン入れられた親友に掴まれた腕を、
「いいよ、いいよ、アタシ、明日美容院行くから」
と必死に振りほどこうとしていた。
「美容院だったら、お金かかるでしょう。オバサンが切ってあげるよ」
「そうよ〜、せっかくだから、切ってもらいなよ」
 中年婦人たちのいらざるお節介に、理子は心底迷惑そうに、
「いや、ホント、いいんで」
 ひきつった笑顔で拒み続け、姉には、
「拙者、これにて失礼いたす」
と漫画のキャラ(たぶん)の真似をして、とにかくこの場を逃れようと躍起になっていた。こういっては何だが、非常に見苦しかった。押し問答は僕にはとても長い時間に感じられた。
「じゃあ」
と母が妥協案を提示した。
「オバサンがお母さんに電話で聞いてみるからさ」
 将を射らずんばまず馬を射よ。母は諾否も聞かず、早速、理子の家に電話をかけてしまった。
「あ、岩倉さん?」
 理子の母はパートが休みだったらしく、在宅していた。
「いつもウチの雅代がお世話になってて」
と、まずは社交辞令から入り、用件を切り出す。
「今ね、理子ちゃんが遊びに来ててさ〜、うん、うん。丁度、今日、ウチの雅代の髪をカットしたところでね、うん、ホラ、入学式今週じゃない? でしょう? ずっと、切れ切れ言ってたんだけど、切らないからさ〜、え、お宅も? ああ、そう。でしょう? で、ついでだからさ、理子ちゃんの髪、切ってあげるわよ。うん、うん・・・」
 理子は祈るように交渉の行方を見守っている。お母さん、断って!と表情が訴えている。
当たり前だが、受話器の向こう側には理子の思いは届かない。
「アタシ、器用なんだよ〜」
「ウソツケ」
 被害者の姉が小さく呟いた。
「うん、うん、わかった〜、はいは〜い」
 母はウキウキと受話器を置いた。
 理子は審判の瞬間を待っている。まあ、一同、母のテンションで交渉の結果は察しているのだが・・・。
「理子ちゃん」
「は、はい」
「お母さん、『お願いします』だって」
 このときの理子の顔は、まさに

 ガーン

という漫画の効果音がこれ以上ないほど似合っていた。
 打ちひしがれている新中学生に、
「『短くして下さい』って言ってたよ〜w」
と母は言い添えた。「短く」の部分は理子ママが本当にそう言ったのか、母の捏造かは謎である。

 すでに「お姉ちゃん」になった雅代姉は仲間の誕生に、腕まくりせんばかりの勢いで、
「ちょっと片付けるから、待っててね〜」
と箒とチリトリを両手に、神聖な土俵を掃き清める呼出さながらに、手早く自らの髪の毛を回収し、親友の通過儀礼の舞台を整えていた。
「お母さん、コレって生ゴミかな?」
 あれほど執着していた乙女の命をゴミ扱いしていた・・・。
「燃えるゴミ」
「了解〜」
 微塵の感傷もなく、小学生時代の相棒の亡骸をゴミ箱に流し込む姉。そして、親友の髪を見て、切り落とされる量をはじきだし、ゴミ袋の残りスペースが足りないと判断したらしく、すばやくゴミ袋を取り替えていた。
 姉のそのキビキビした軽快な運動律に、僕は驚いた。髪型は人を変える。ロングだった頃(つい二十分前まで)は、体育ダル〜、家の手伝いダル〜、と牛のように動きが鈍重だったのに、いまは「新入生」に相応しいフレッシュ感に満ち溢れていた。精神の方が髪型に合わせてしまった。形ってやつは意外に重要なのかも知れない。

 理子がカットクロス・・・というか刈り布を巻かれる。
「あの・・・」
「何?」
「バリカンは・・・やめてください」
 「バリカン」という単語を口にすることすら忌避するように理子は、俄か床屋に今の彼女の最大の要望を告げた。
 母は不満そうに、
「まあね〜、女の子はバリカン嫌だろうけど」
 一般論で確答を避けた! 「けど」って言ってる! 「けど」って何? 「嫌だろうけどバリカンは使うからね」ってこと?
 雅代姉ちゃんのときは苦肉の策だったバリカンだったが、母はこの家電製品の面白さを知ってしまったらしい。確信犯の目になっていた。 「え〜、バリカン気持ちいいのにィ〜」
 雅代姉も被害者の輪を広げたがっている。これ見よがしに理子の鼻先に刈りたての襟足を突きつけ、♪ジョリジョリ〜、と歌いながら撫でてみせていた。
僕は初めて自分の姉を「恥ずかしい」と思った。
見せないで、見たくない、と刈り上げから目を背けている理子に「ごめん」と心の中で詫びた。
「さ、いくわよ〜」
 母はさっさと鋏を顎のラインにあてている。
「あ、あ、あっ、ホントに? ホントにぃ〜?」
 土壇場で取り乱す理子。
だが母は無慈悲にも鋏を入れていた。
ジョキッ、
バサッ、
次の瞬間にはスッパリとオトガイが表われていた。
「あ」
 理子はファーストカットに、ひどく間の抜けた顔をした。
 母は勢い任せに鋏を推し進めていった。ジョキジョキ、ジョキジョキ。

 そう、僕にはわかっていた。
 理子が望んでいる断髪はこういうのじゃない、と。

 お洒落なカットハウス・・・。
 「本当にいいんですか?」と念を押してくる若い美容師・・・。
 ハラリと落ちる柔らかそうな髪・・・。
 仕上がりは都会的なヘアー・・・。

 漫画で「あるある、よくある」このシーンこそ理子の理想だったはず。
 しかし、理子が直面している現実は、

 庭先・・・。
 面白がっている素人のオバチャン・・・。
 オカッパ・・・。
 しかもバリカン!!

という少女漫画的世界からは百万光年も離れた、どっちかと言えば「お笑い芸人の罰ゲーム」や「体育会系部活動の新米イジリ」に分類すべきものだった。

 理子の耳が、姉同様、半分露わになる。そして、ほとんど同じ高さで後ろの髪も切り落とされた。バリカン確定である。
 一ヶ月前、カレーをごちそうになった家で今度はヘアーカットのサービスまで押し付けられるとは理子も想像できなかったろう。未来とは案外そういうものなのかも知れない。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 理子はよく僕の前で長い髪をかきあげて
「髪切ろっかなあ」
と独り言のように、でも聞こえよがしに言っていた。夏だしなあ、なんて理由を付け加えたりして。
 勿論、口先ばかりでそんな度胸もなく、今日を迎えたわけだが。
 もしかしたら、親友の弟とはいえ男の子からの「リコ姉ちゃん、勿体無いから切らないで」という言葉を期待する誘い受けだったのだろうか(同学年の男子だったら、「切っちゃえよ〜」とデリカシーのないことを言われそうだし・・・)。
それとも、「アタシの髪なんだから、アタシの好きにできるんだよ、フフフ」と暗にオトナな自分をアピールしていたのだろうか。
 前者は不発に終わったが、後者が目的なら、ちゃんと達成されている。「切ろっかなあ」と髪をかきあげる理子の仕草に、僕は「リコ姉ちゃん、OLみたい(ドキドキ)」とオトナの女性を感じていたのだから・・・。
もっともこの日の取り乱しようで、理子、馬脚をあらわしてしまった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「雅也、笑うな!」
 右半分を「お姉ちゃん」にされた理子は理不尽な断髪に対する怒りの矛先を、居合わせた人間の中で一番の弱者である僕に向けた。
「中学に入るときは、アンタもボーズなんだからね!」
「うるせー」
と僕は怒鳴り返していた。
「このオカッパ、オカッパ、オカッパ星人〜、オカッパリコちゃ〜ん」
 バリカンがある。味をしめた母が理子の言葉に反応し、そうね、じゃあ、ついでに雅也も坊主にしちゃおうかしら、などと言い出すのを恐れた僕は、皆の注意を理子の髪型に惹きつけておくべく、マシンガンのようにオカッパを連呼した。
皆、どっと笑った。
 確かに卑劣な行為かも知れないが、でも僕に八つ当たりした理子が悪い。
 理子は真っ赤になって、僕に言い返そうとしたが、僕は理子が口を開こうとするたび、「オカッパ」と理子をからかって、反撃を封じた。今の理子に「オカッパ」という単語は攻撃力の高い呪文のような効力を発揮し、僕は初めて口ゲンカで理子に勝った。それもパーフェクトゲームで。
「う・・・うるさい・・・バカ・・・雅也・・・」
 とうとう理子は泣きベソをかいた。理子を泣かせたのも初めてだった。泣かされたことは幾度もあった。言い負かされたり、プロレス技かけられたりして。

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「コラ、雅也」
と母は僕をたしなめ、
「理子ちゃん、泣かないの」
 手をとめて、慰めた。
「中学に入ったら皆オカッパなんだから、ね? 長い髪で入学する方が恥ずかしいんだから、ね?」
 でも母の自家製のオカッパは恥ずかしいと思うなあ。
「うっ・・・うぅ・・・」
 慰められて理子は余計に嗚咽していた。
雅代姉ちゃんは、リコちゃん、アタシだって切ったんだからさ、大丈夫だよォ、と優しく親友にハンカチを渡していた。そして僕に向き直り、 「雅也、アンタ、後でパンチだからね」
と怖い顔で裁きを申し渡した。皆で面白がっていたのに、僕だけが悪者になってしまった。
 理子はハンカチで涙を拭うと、仏頂面で宙にメンチを切っていた。切れ長の一重瞼なので、すごく怖い目つきになった。
 左半分も一直線に切りそろえられた。
 姉と同じく前髪も眉よりずっと上に揃えられた。母はよほど逆U字の形にコダワリがあるようで、熱心にカーブを作っていった。カーブはなかなか母の理想形にならず、何度も作り直され、その度に前髪は侵食され、どんどん短くなり、垂らすと唇まであった理子の前髪はとうとうオデコが見えるくらいに切り詰められてしまった。
 理子は仏頂面を遮るカーテンは完全に消えた。

 さて、いよいよこの日二度目のバリカン君の登場である。
 母は嬉しそうだった。堪え性もなくバリカンのスイッチを入れた。
 ジジジジジジジ
 バリカンの音に理子は身を固くしている。
 母は指先を軽く理子の頭にあて、そっと前に押した。
 一応「余所の子」なので、雅代姉ちゃんのときとは違って、ゆっくりと確認するように、バリカンの刃先と無残な襟足を交互に見比べていた。
まあ、振りだけである。その証拠に後でバリカンの箱に入っていた部品を見つけ、
「これ、何かしら?」
と首をひねり、
「ああ! 沢口さん、それアタッチメントよ〜」
とオバサンに呆れられていた。
「道理で青くなっちゃって〜」
と。
母はバリカンの刃を襟足にあてた。自作に落款を押す書道家の如く。
理子はバリカンを受け容れた。焼印を入れられる子牛の如く。
ジャッとバリカンが理子のうなじを舐めた。
 理子はナメクジに這われた方がまだマシだと言わんばかりに、大仰なしかめっ面をつくって、バリカンへの嫌悪感を露わにしていた。
 ジー、と寒々しい首筋からオカッパのカットラインへバリカンが上昇した。バッと刈られた髪がケープに落ちる音がした。
 もう一度、バリカンが理子のうなじを遡る。この上昇運動が繰り返される。

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 幼児返りしたようなふくれっ面でバリカンを入れられている理子が、母やオバサンたちには可愛くてたまらないらしい、
「理子ちゃん、髪切ると若い頃のお母さんにソックリじゃないのォ〜」
「理子ちゃん、部活なにやるの? バレー部入んなよ〜」
「お母さん、ビックリするんじゃないのォ〜」
「理子ちゃん、日本人形みたいだよ〜」
「また散髪してもらいに来なね〜」
 理子ちゃん、理子ちゃん、と散々構われていた。
 ちなみに雅代姉ちゃんも理子も文化系気質ゆえか、けして地元のPTA受けの良い子ではなかった。
 日頃大人ぶっている理子も照れ臭そうに、頬を染めつつも、無理な変顔で慣れない道化を演じていた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 「髪切ろっかなあ」と理子が口にするとき、僕の中には二つの相反する気持ちがあった。
 「切って欲しくない」という気持ちと「切って欲しい」という気持ち。
 「切って欲しい」と思う気持ちは何故かとても罪深いもののように思えた。だから、僕はその気持ちを自分に禁じた。
 しかしこの日、封印していた気持ちを僕はゆっくりと解放した。
 理子の変顔に誘われて・・・。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 「お姉ちゃん」になった理子が一番最初にやったことは、僕にヘッドロックをかますことだった。
「リコ姉ちゃん、ごめんなさい!」
と僕はジタバタもがきながら謝った。

「うるせいっ!」
と理子は照れ隠しもあったのか、顔を赤くしながら両腕に更に力をこめた。姉もパンチ、パンチ、と言いながら、僕の肩や脇腹を拳でうった。とても「お姉ちゃん」のやることではない。
「ほらほら、髪の毛が散らばっちゃうから」
 母は「お姉ちゃん」二人を制した。
「二人ともお風呂入ってらっしゃい」
 青々とした二つのうなじを見送る。
 二人の乙女を中学生に変身させたバリカンは、満腹したように刃に食べかすをつけたまま、縁側で眠りについている。
チンコが隆起していた。トイレでパンツをおろして確認したら白いオシッコが漏れていて、驚いた。
 お風呂の中から、うわ〜、ジョリジョリする、アタシの触ってみ、スゲー、マルコみたい、ジョリジョリコンビ結成するかぁ〜、頭洗うのラク〜、サッパリ〜、という楽しげな声がしていた。一般人的にはもうちょっと「身体的な話題」を期待するのだろうけど、禁断の気持ちを解禁しおせた僕は、興奮せずにはいられなかった。

コウキさんバージョン 7さんバージョン

 ようやく風呂からあがった二人は今まで「マーちゃん」「リコちゃん」と呼び合っていたのが、「雅代」「理子」と呼び捨てに変わっていた。風呂場のアレは一種の百合プレイだったのだろうか・・・。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 それからのことを簡単に語る。
 理子は中学入学後もたまに家に遊びに来て、雅代姉ちゃんと一緒に母に散髪してもらっていた。バリカンは使うこともあったし、使わないこともあった。
 母と世間話をしながら髪をカットしてもらう二人が、なんだか大人に思えた。

 僕は理子に構って欲しくて、理子が家に遊びに来るたび、彼女をからかったが、理子はもう髪の長い頃のように口喧嘩にもプロレスごっこにも応じてくれず、苦笑しているだけだった。当てが外れて僕は、理子のタワシみたいな襟足を寂しく見送っていた。
 一年経つと二人とも母の床屋は卒業し、美容院に通うようになった。
 二年後、中学入学を前に丸刈りにされた僕に、理子は笑ってこう言った。
「お兄ちゃんになったねえ」





(了)



    あとがき



最新作です!!
気持ちよかった〜!! 一日で完成!! 自分でもビックリです。
一日で完成って・・・いつ以来だ? 「女弁慶」とか初期の頃まで遡るのかな?
今回、完全に「趣味」に走りました(笑)
そう、つい避けてしまう「趣味」に走るという行為・・・。 何故なら、似たような話ばっかりになっちゃうから・・・。
今回の話も、なんか「篠塚優子」とカブってる・・・。
「篠塚優子」に「女弁慶」(アンチロマンチックギャグ)とか「地獄の一丁目で恋に落ちなかった話」(シニカルな男目線)のテイストを加えた感じ・・・。
本当は理子と雅也が付き合う予定だったんですが、「お兄ちゃんになったねえ」という台詞で話がオチてしまったので、そのままエンドにしました。
とても気に入ってます♪






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