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切らずの市弥、走る、奔る 第六話


(十)聖夜

 不時の客にステは
「おや」
と目を丸くした。
「かような刻限に」
 まだ陽は高い。
「おあがりなされませぬのか?」
「ああ」
 市弥は首を振った。
「今日は今生の別れに参った」
「今生の別れとは・・・」
「旅に出る。もうこの地に戻ることもあるまい」
「・・・・・・」
「短い間であったが、そなたには世話になった」
 これは礼じゃ、とステに銭袋を渡そうとしたが、
「いりませぬ」
 ステはどうしても受け取ろうとはしなかった。
「遊び女にも遊び女の道がありますよ。遊びもせぬお客からお金をいただくわけにはいきませぬ」
「最後くらいワシの男を立てさせてくれい」
と市弥は頼んだが、ステは頑なに首を縦に振ろうとはしなかった。
「男をお立てになるのならば」
と言う。
「真実大切なお方にだけ、お立てになるがよい」
「・・・・・・」
「今の市弥さまにはそういうお方がいるのでしょう?」
「ああ」
 ステはちゃんと市弥の内面の変化をわかっていた。
「そのお金は道中の路銀になさいませ」
「うむ」
とキマリ悪そうに銭袋を懐中に戻す市弥の肩を
「しっかりしなさい」
 ステはポンと叩いた。
「その代わり、あたしは虎御前にはなりませぬよ」
「なられては困る」
 市弥は苦笑した。
「ご武運を祈っていますよ」
「さらばだ」

「夏姫と同じ手段(て)を使うのですか?」
 幾田殿は修理亮に念を押した。
 癇症のため、毎日午前中、侍女に頭を剃らせている。剃髪しているところへ、修理亮が冬姫の「始末」の話を運んできた。
「はあ」
 修理亮も不得要領顔である。
「冬姫は未通女、あの尼寺の秘儀は効き目がありすぎるのではないですか?」
「柘植市弥の申すには、未通女ゆえ験があるとのことで」
「ふうむ」
「しかも、供の者たちに握り飯を携えさせ・・・」
「握り飯?」
 幾田殿は眉をひそめた。
「あの尼寺までは、半日もかからぬはず。中食の必要などないであろう」
「どうも市弥の挙動は怪しゅうございます」
 幾田殿も不審の念を抱いた。
「冬姫の出立は見合わせるよう、申しつけなさい」
「はっ」
 修理亮はかしこまり、すぐに人を呼んで、幾田殿の指示を表へ取り次がせたが、冬姫の行列はすでに城を出た後との報告に、サッと顔色を青ざめさせた。
「二刻あまり前にご出立との由にございます」
「なんと!」
 幾田殿も腰を浮かしかけた。その拍子に、
「あ」
と侍女の剃刀が頭皮を傷つけた。
「やられたわ!」
と膝をうつ老臣に、
「すぐに追っ手を差し向けなさい!」
 坊主頭から血を噴き出させ、幾田殿は賢婦らしからぬ形相で叫んだ。
「ははっ!」
 修理亮は原田主馬と古川右近を呼び、
「お側衆の柘植市弥乱心、冬姫さまを連れ出奔」
 その場で討ち果たせ、と人数を与えた。
「冬姫さまを連れ戻すのですな」
と確認する主馬に、
「その必要はありません」
 幾田殿が命じた。
「市弥めにそそのかされ、婦道を違えた姦婦です。斬りなさい」
 刺客団は市弥たちの後を追い、西へ向かった。

「早う!」
と市弥は行列を急がせた。
 人目のある街道を避け、山道に入り、歩きに歩いた。
 ――そろそろ城の連中が気づいて、討手を向かわせているだろう。
 冷や汗が出る。
 ――やってしもうたわ。
 こうなった以上、逃げ切るしかない。
 あてはある。
 嘉田家である。
「嘉田の尼君は真に我らを匿うて下さるのでしょうか?」
 市女笠の旅装のタシは疑わしげだ。
「慈悲深いお方との評判です」
と市弥。
「先君がお討ち死になさった折も、益なきことと追い腹を禁じられたそうでござる」
 領内では切支丹も許され、南蛮寺まであるという。
「窮鳥懐に入れれば、と申します。ここは嘉田の尼君さまのお慈悲におすがりするより他、手立てはありませぬ」
「しかし――」
 まだ半信半疑のタシを
「タシ」
 輿中から冬姫の声が制した。
「もはや是非を申してもはじまりませぬ。全ては、でうす様の思し召しですよ」

 夜を徹して行列はすすんだ。
 疲労した市弥の耳に冬姫の小さな歌声が聞こえてきた。
「ああ!」
 初めてお会いした日のお歌ですな、と市弥は輿の中に声をかけた。
「でうす様を讃える外つ国のお歌です」
と冬姫は答えた。
「もっとお聞かせくだされ」
 市弥にせがまれて、冬姫はさらに歌った。
賛美歌はさまよう群れを導くかのように、夜を舞い、闇を彩った。

 払暁。そして陽がのぼる頃、
「待たれよ!」
 杉林の影からバラバラと侍が十人ほど現れ、市弥たちの一行の前に立ちふさがった。
 ――遅かったか!
 市弥、天を仰いだ。
「お側衆・柘植市弥、並びに冬姫殿」
 侍たちを率いている古川右近は金壷眼を光らせ、
「追い腹出家を拒み、あまつさえ此度の不義と、亡き主君出雲守様の御名に泥を塗る所業、許し難きとの上意によりお命頂戴仕る」
 お覚悟なされ、と侍たちは抜刀した。
 ――やんぬるかな。
 市弥は慨嘆したが、刀を抜いて応戦の構えをとった。
「りん様」
 はじめて冬姫の本当の名前を呼んだ。
「ここはそれがしが斬り防ぎますゆえ、どうか嘉田領内まで落ち延びくださいますよう」
「市弥さま」
 輿の御簾があがり、冬姫が姿を見せた。
「死んではなりませぬ」
もし死ぬのであれば、と冬姫は市弥の手をとった。
「私も共に」
 潤んだ目で市弥を見つめた。市弥も見つめ返した。冬姫の顔を心に焼き付けた。そして、ゆっくりと息を吐き、
「そのお気持ちだけで十分でございます」
と言った。
「市弥さま」
「タシ殿、姫さまをお連れして、早うお逃げくだされ!」
 ――死ね、死ぬんじゃあ!
と自分に言い聞かせ、切り込んでいった。
「手向かいいたすか」
 古川は市弥の無謀をせせら笑って、太刀を振り上げたが、次の瞬間、
「ぎゃっ!」
と叫んで、目を回した。
 不意に木陰から飛び出してきた尼僧が、古川の脇腹に当身をくらわせたのだ。
「まさか古川を二度までも地に這わせることになろうとはの」
 ひとりごちる尼に、
「あ、秋姫さま!」
 市弥は裂けんばかりに目を丸くする。
「たわけめ」
と秋姫は市弥を振り返った。
「切らずの市弥が似合わぬことをいたすな」
 お屋形の女敵(めがたき)になるとは、近頃愉快な話ではないか、とカラカラ笑った。
「何故・・・」
「主馬が知らせてくれたのよ」
「は、原田殿が?」
「彼奴も討手の大将を命ぜられたのだが」
 主馬は朋輩を死なせるに忍びなく、こっそり秋姫に使いを出したのだった。
「今頃、刺客どもを引き連れて、ゆるゆる街道をくだっているわ」
「さ、左様でござったか」
 市弥は主馬の友情に感謝した。
「これをもってゆけ」
 秋姫はスッと書状を渡した。
「これは?」
「夏姫殿の文じゃ。急ぎしたためて貰うた」
 「ととさまへ」とある。実父雅樂助への書状だった。
「その方たちに合力してくださるよう頼んである。これがあれば、御領内も通り抜けられよう」
「有り難きこと!」
「市弥」
「はっ」
「幾田のムジナ殿の専横を易々と許すほど、坂元家は腐ってはおらぬ。その方の此度の蛮勇で一気に膿が噴き出すだろう」
 やってくれたな、と秋姫は苦笑で相好を崩した。
「これで坂元家は東国一の弓取りの座を手鞠の如く取り落としたわ。乱世がまた一段と面白うなるぞ」
 仏に仕える身ながら侍志願の血が騒ぐようだ。
 大将の古川が斃され、動揺していた刺客たちが襲い掛かってきた。それを、
「尼の身では殺生もままならぬわ!」
 尼姿の秋姫は古川から奪った太刀で、次々と峰打ちにうち斃していく。
 一合、二合、と切り結びながら、
「行け!」
と市弥に言った。
「秋姫さま、有り難うござる」
 冬姫も輿越しに、秋姫に深々と頭を下げた。
「市弥」
「はっ」
「お屋形に代わりて、冬姫を幸せにいたせ! それもご奉公と心得よ!」
「ははっ」
 剣戟の後姿を伏し拝み、市弥は行列を率い、
「急げ!」
と叱咤した。

 雅樂助は愛娘の頼みを快諾し、坂元領脱出の為の便宜をはかってくれた。
 市弥と冬姫の一行は一路目的の地へすすんだ。
 峠を越えれば、もう嘉田領である。

 ここで冬姫の容態が一変した。
 虚弱な身体に強行軍の無理が祟ったのだ。
 小さな命の灯が消え去ろうとしている。
「姫様、いま少し、いま少しなのです!」
 寒さをしのぐ家屋も辺りにない。
 市弥は涙をこらえ、懸命に想い人を励ましたが、
「市弥さま」
 冬姫は想い人の手を弱々しく握り返し、
「もはや、これまでにございます」
 莞爾と微笑した。苦痛はなく、静謐と安堵に満ちていた。
「何を仰せじゃ」
 市弥は聞き分けのない幼子のように、泣き、かぶりを振り続けた。傍らでタシもおいおい泣いている。
「かように笑って、はらいそ(天国)に参れますこと、市弥さまのお陰です。お嘆きになさらないでください」
「りん様!」
と市弥が手をかたく握ったとき、
「あ」
と冬姫がか細く叫んだ。
「ゆき」
 初雪が峠におりてきた。
 雪は市弥と冬姫の短い恋の終わりを告げるように冷たく、慰めるように優しく、ひらひら舞い降りた。

 後に知ったのだが、この日、グレゴリオ暦12月25日は切支丹の祝日だった。
畿内ではすでにこの聖日の風習は広まっていて、合戦中の三好、松永軍の切支丹たちも敵味方を超え、共に肩を並べ、神の祝福を祈ったという。

 峠の聖日は非情に過ぎてゆく。
「市弥さま、どうか生きてくださいね」
「りん様も生きてくださいませ! 後生でございます! どうか! どうか!」
 言い募る市弥に、冬姫は、
「はれるや」
と囁いた。
 峠に市弥の慟哭がこだました。





(つづく)



    あとがき

 本当なら2008年のクリスマスに発表する予定だったんですが(クリスマス設定があるので・・・)2010年のクリスマスになってしまいました(汗)  とりあえず発表に漕ぎ着けられてよかったです♪

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