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切らずの市弥、走る、奔る 第三話


(五)悍馬

 脳天に激しい痛みが走った。目がくらんだ。
ぐらり
と天地がひっくり返った。
 どさり、
気がつけば市弥は地面に這っていた。
 ――痛っ・・・。
 主君、出雲守ご逝去の後、髪もおろさず俗世にとどまる若い側女たちの許を訪ねて、次々と尼にしてきた。
 宿老たちは狂喜し、
「次じゃ、次」
と、やいのやいのの催促。せっつかれ、背中を押されるように三人目の標的、秋姫の邸にノコノコ足を運んだらば、門を潜るなり、何者かに襲われた。
 頭上を振り仰ぐと、誰かが見下ろしている。
 若い侍だった。まだ少年のようだ。
 美しい少年だった。
 片手に木刀を握っている。これを、したたかに頭に振り下ろされたらしい。
「いきなり無礼ではないか」
 市弥は痛みを堪え、身を起こしながら美貌の若侍を詰った。
 若侍は面白そうに土まみれの市弥を見ている。
「秋姫様付きのお小姓か?」
「・・・・・・」
「ワシをお側衆の柘植市弥と知っての狼藉か?」
「・・・・・・」
 若侍は笑いを噛み殺しながら黙っている。
「憎体な小僧じゃな。新規にお召抱えの者か?」
「・・・・・・」
「後で主どのにかけ合うて、灸を据えていただくゆえ覚悟いたしておれ」
「・・・・・・」
「本日は内々にお話したき儀があるゆえ、まかり越した。主どのに取り次げ」
「たわけめ」
 侍がはじめて口をきいた。女の声だった。
「我がこの邸の主ぞ」
「あ、秋姫さまで?!」
 市弥は意外な対面に口を開けたまま、呆然とした。つい今しがた倒れ付した地面に平伏した。
「これは御無礼仕りました」
 秋姫は蛙のように這いつくばる市弥を冷ややかに見つめ、
「手当てをいたせ」
 くるり、と背を向け歩き出した。
「それと――」
と振り返り、
「対面の前には衣紋の土はちゃんと払えよ」
「それではお目通りは・・・」
「許す」
「有難きこと」
 市弥は再び頭をさげながら、男装の姫君を見送り、
 ――噂通りの姫御前じゃな。
 額のコブが痛むのをおぼえた。

「痛むか?」
と秋姫が訊いた。声が笑っている。
「このお屋敷では客人に湯茶ではなく、木刀で応対なされますのかな?」
 市弥は皮肉を言った。さしもの知恵者も出鼻をくじかれ、調子が狂っている。
「近頃は、そうすることにいたした」
 秋姫はケロリと答えた。
「迷惑な客人ばかりゆえな」
「迷惑な客人とは?」
「我に出家をすすめに来る」
 鋭い目で言われ、市弥はギクリとした。
「先日も御一門衆の雅樂助殿が参られてな。娘御の夏姫殿が出家したゆえ貴女も如何か、などとほざいたゆえ、木刀で――」
 叩きのめした、という。
 ――なるほど。
 雅樂助は病と称して、ここ数日出仕していない。まさか女子の剣で怪我をした、とは口が裂けても言えまい。
「その前は侍大将の古川とか申す奴だったかな」
 古川も自宅にひきこもっている。
「その前は――」
「も、もう結構にございます」
「その方も彼奴らと同心か?」
 ズバリ訊ねられ、市弥は苦い顔で黙り込んだ。やがて、
「何故、出家を拒まれます?」
 恐る恐る訊いた。
「よいか」
 秋姫は屹と市弥を睨み据えた。
「お屋形は死んではおらぬ」
「はあ?」
 聞き返す市弥に、
「お屋形は生きておわす」
 今度は同じ意味の言葉が逆の言い方で返ってきた。
「ゆえに葬儀にも出ぬ。法要にも出ぬ。尼にもならぬ」
 乱心しておられるのか、と市弥は秋姫の言葉を持て余した。乱心しているにしては、秋姫には凛とした気品がありすぎた。

「アレが男であればのう」
 よき侍になったものを、亡き出雲守は嘆いていたという。
「女子でも構わぬではありませぬか」
 当の秋姫は言い募った。
「我を戦場にお連れ下さいませ」
「無理を申すな」
 勇みたつ愛妾に出雲守は苦笑して、
「原田主馬ほど強くなればな」
 家中の剛の者の名を挙げて、やんわりと望みを斥けた。
「なんの、主馬づれに」
「そうむくれるでない」
 秋姫は山ふたつ越えた在所の土豪の娘だった。
 乱世の常で幼い頃より出雲守の人質となり、彼の手元で養育された。
 出雲守自らが手塩にかけ、剣や馬を教えただけあり、さらに天賦の才があったのだろう、両方ともに凄まじいばかりの達人であった。
 気性も激しかった。女物の小袖や内掛けを嫌い、男のように袴を履き、両刀をたばさみ、丈長き黒髪を頭上で高々と結い上げていた。
 この異装の姫君も年頃になり、各所から縁談もあったのだが、男勝りの気性のため、全て拒み続け、とうとう匙を投げた出雲守が
「ならば儂のそばにおれ」
と側室にしたのだった。

 側室になってからも男姿も気性の激しさも変わらなかった。
 あるとき、正室幾田殿の可愛がっていた大猿が暴れ、奥が大騒ぎになったことがある。
 奥付きの侍たちが取り押さえようと懸命に駆けずり回っているのを
「畜生相手に面倒なことをいたすわ」
と嘲りながら、ツッと一歩踏み出し、抜き打ちに、さっさと斬り捨てていた。あまりに鮮やかな手並みに居合わせた侍たちは、声も出ず、立ち尽くしていたという。
 温厚な幾田殿もこのときばかりは立腹し、
「かの姫を御成敗下さいませ」
と出雲守にねじこんだ。出雲守はなんとか正室をなだめ、秋姫を奥御殿から城下の邸に移した。
「奥より気楽じゃ」
と秋姫はむしろ、せいせいとした様子で、愛馬を乗りまわし、気に入らぬ来客があれば、
「剣の腕前を拝見」
と木刀で打ち据えた。

 一番新しい犠牲者が雅樂助である。
「それがしを雅樂助さまの一味と思し召したか?」
と市弥の問いに
「違うのか?」
 秋姫は皮肉っぽく問い返した。
「ならば何故、それがしと対面なされたのでしょう?」
「家中の名物侍を篤と検分して遣わそうと思うての」
「それがしなど」
「謙遜するな」
 秋姫は意地悪く笑った。
「”切らずの市弥”の名は我の耳にも入っている」
「切らずの市弥?」
「主君の追い腹も切らず、おめおめと生きながらえている臆病侍じゃと専らの評判だが、それに相違ないか?」
 市弥はまた脳天に一撃を食らわされた気分だった。面と向かって、これほどまでに痛烈な当て擦りを言われたのは初めてだった。
が、
「これは面妖なことを仰せになられる」
 胸を反らせた。
「生きておわすお屋形様の追い腹は切りとうても切れませぬ」
 やりこめられて秋姫は不興げに黙った。
 そして、
「さがれ」
 蝿でも追うように手を振った。
 御前を退出して、市弥はみるみる身体の力が抜けていくのを感じた。
 ――どうもなあ・・・
 ぼんやりと庭の女郎花を眺めた。
 ――今までとは勝手が違うわい。

 その後もよき思案もないまま、二度三度と秋姫の邸を訪ねた。その都度、木刀で追い散らされた。
 ――まるで深草少将だな。
 絶世の美女小野小町の許へ通いつめた王朝の頃の貴公子を我が身に重ねてみたが、しかし、こちらはそんな絵巻物のような関係ではない。
 四度目には、秋姫も
「またその方か」
と呆れ顔であった。が、すぐ悪戯っぽく含み笑い、
「その方、馬には乗れるか?」
と農民出の市弥には酷なことを訊ねた。
「一応は」
「ならばよい」
 秋姫はうなずいた。
「遠駆けの供をせよ」

 颯爽と白毛を駆り、城下を走り抜けていく姫君の背を、黒鹿毛に不恰好に跨った市弥は無我夢中で追った。
 両馬とも馬術自慢の秋姫秘蔵の名馬である。
 しかし乗り手の技量には天と地の差がある。遅れまいと必死の市弥を振り返り、
「それでも武士か」
 秋姫が何度も嘲笑った。黒髪が幟のように空にたなびいている。


 音無川につく頃には、陽は西に傾いていた。
「空腹じゃ」
 そう言って秋姫は腰に下げた袋から焼き米を取り出し、ポリポリと音を立てて齧った。
「お行儀の悪い」
 市弥は苦笑した。
「お屋形とはよう遠駆けして、ここへ来た」
 秋姫は遠い目をして言った。もの思いにふけっている様子だった。問わず語りに、
「最後に来たのは四月前だったかの」
 出雲守はこの変り種の側室に、来年の春には川向こうの山麓の山桜を、
「ともに愛でようぞ、と申された」
「左様でございましたか」
「我はな」
 ポリ、と秋姫は焼き米を無心に奥歯で噛み砕いた。
「嫌じゃ、と言うた。春姫殿や夏姫殿とは違うて花を愛でるなど性に合わぬ、鷹野の方がよい、と申し上げた」
「なるほど」
 この姫らしい、と市弥はおかしかった。
「それで、お屋形様は何と仰せで?」
「笑うておられた。鷹野にも連れていくが、まずは山桜じゃ、と大層ご執心でな」

 そなたと見る山桜はさぞ面白かろうな。

と出雲守は秋姫に言ったという。それが彼が三人目の愛妾に残した最後の言葉となった。
「お屋形にそう言われると、我も面白そうに思えた。春が待ちどうしゅうなった」
「しかし、それももはや叶いませぬな」
「言うな」
 秋姫は目を剥いて市弥をさえぎった。睨み殺さんばかりの形相だった。
「お屋形は生きておわす。春には我が邸を訪うて、ともに桜狩りを楽しむのだ」
 ――ああ、この姫御前は・・・・・・
 心の底から亡き出雲守を恋い慕っていたのだな、と市弥はようやく気がついた。
 想い人が突然この世から消えたという非情な現実を、どうしても受け容れることができずに、自らを幻の世界へ幽閉してしまったのだ。
 ――しかし――
 市弥はひるまなかった。
 ――夢はいつか醒めるもの。醒めねばならぬもの。
「山桜はいずれ咲きましょうが、お屋形様が秋姫さまの許にお成りになる日は来ますまい」
「黙れ」
 秋姫はかろうじて低い声で感情を押し殺した。
「お屋形様はもはやこの世にはおわしませぬ」
「手討ちにされたいか」
 刀の柄に手をかけられたが、市弥は顔をあげ、二つの視線は宙空で炎を噴きあげるようにぶつかり合った。
「愛別離苦、と仏典には申しまする。生まれた以上、愛する方との死は避けられぬ宿命(さだめ)にござる。そこから目を背けては生きられませぬ」
 フッと秋姫が肩をすくめた。殺気が消えた。
「市弥」
「はっ」
「その方も我を尼にさせたいのか?」
 ――ああ、そうであった。
 役目を忘却しかけていた自分の迂闊さに呆れた。
「重臣(おとな)衆の修理亮さま、頼母さまから、秋姫さまを説き仏門に入らしめよ、と仰せつかっております」
 性根を据え、正直に返答した。
「我だけではあるまい。春姫殿のことも夏姫殿のことも、その方の仕業であろう?」
「はっ」
 御賢察恐れ入りまして、と言うと、今更世辞などいらぬわ、と返された。
「これもお役目にござる」
と頭をさげる市弥に意外な言葉が振ってきた。
「仏門に入ってもよいぞ」
「なんと!」
「但し」
 秋姫は彼女らしい条件を出した。
「剣で我に勝てればな」
 腕で来いという。
「剣で・・・」
 市弥の顔に泣きっ面が戻った。
「それがしと姫様では勝負になりませぬ」
「その方如きと立ち合うても賭けにはならぬわ」
「ならば」
「ある者と立ち合いたい。我が負ければ潔く尼になろう」
「わかりましてございます。では、それがしも首を賭けましょう」
 市弥、命を賭場に、どん、と投げ出したが、
「たわけが」
 秋姫は一笑に付した。
「我の黒髪が懸かっておるのじゃ。その方の首だけでは足りぬわ」
「では」
「我が勝ったる折には一軍の総大将にしてもらおう」
「それは御無体な」
 仰天する市弥に、
「無体なものか」
 秋姫は破顔した。
「我が坂元出雲守に天下を獲らせてやるわ」
「重臣方に御はかりしてみねば」
 俗吏の顔になった市弥を冷たく一瞥し、
「ならば修理亮らに話を通しておけ」
 秋姫はヒラリと馬上の人になった。
「して、立ち合いを所望なされるお相手は?」
「原田主馬」


(六)決闘

 市弥に難題を突きつけた修理亮たち重臣連中は、今度は秋姫から難題を突き返され、鳩首した。
「柘植の役立たずが」
「断るべし」
と息巻いたが、間もなく秋姫から届いた文に、もし立ち合いを拒めば、春姫や夏姫の出家の真相を、
 家臣領民にいたるまで吹聴いたすつもりにて候
とあったので、大いに慌てふためき、
「原田ならば不覚はとるまい」
と決闘を請け負った。
 ――やるのう。
 市弥は秋姫の喧嘩の駆け引きの巧さに、自分の立場も忘れ、感嘆した。
 ――とは言え――
 喧嘩を売った相手が悪い。公権力である。よほど腕に自信があるのだろう。
 ――原田殿も気の毒に・・・。
 公権力の手駒に使われる原田主馬に、自分の立場も忘れ、同情した。
 「原田主馬ほど強くなればな」という出雲守の戯言を秋姫は一途に受け止めていたのだろう。だが、一方的に敵愾心を燃やされている主馬こそ、いい迷惑であろう。
 ――女子に勝ったとて自慢にはならず、負ければ大恥どころか・・・
 一大事である。
「原田殿、勝てるのか?」
と市弥は恐る恐る訊いた。
 女子といえど秋姫は猛将出雲守清虎を唸らせた使い手だ。勝負の行方はわからない。
「さて」
 原田主馬は生真面目に首を傾げた。気の優しい男で、百姓あがり、と周囲から軽蔑されている市弥とも親しくしていた。武芸自慢の者にありがちな大言壮語癖もなく、
「兵法は立ち合うてみねばわからぬ。そういうものだ」
とだけ言った。
「心許ないなあ」
「ときに」
 主馬は話題を転じた。市弥相手に兵法談義を交わしても仕方ない。
「春姫さまはその後どうなされている」
「ああ」
 市弥の顔がほころんだ。
「あのお方も仏典などに親しむうちに、慈悲の心が芽生えたようで――」
 今は屋敷を開放して、貧窮の者に粥を与えたり、身寄りのない孤児をひきとって養育したり、利他行に勤しんでいる、と話すと、
「人間変われば変わるものだなあ」
 主馬は腕組みして感心すること、しきりだった。
「夏姫さまは?」
「あのお方は」
 市弥は噴き出した。
「相変わらずだよ」
「あのお方はあのお方で幸せなのであろう」
と主馬はやはり生真面目に首肯した。

 ――幸せか・・・。
 春姫も夏姫も新しい人生を歩みはじめている。確かに幸せだろう。
 彼女たちに比べ、現実を受容できず、自ら妄執の虜となっている秋姫は不幸だと思う。
 秋姫にもそれがわかっているはずだ。せずとも済む決闘を所望するのも、
 諦めさせて欲しい!
 救って欲しい!
と秋姫の心の奥底にいる、もうひとりの彼女が身悶えして叫んでいるような気がした。
「ともあれ」
 決闘の果てに答えはでるだろう。
 秋姫に、そして、市弥に。

 立ち合いは即日行われた。
 場所は城中の馬場。そこに竹矢来が組まれた。
 経緯が経緯だけに家中の者の見物は禁じられていたが、立ち合いを見たがる侍も後をたたず、結局、さまざまな伝手により、竹矢来の外には人垣ができていた。
 修理亮ら重臣たちが検分のため、居並んでいる。
 中に僧形の者が混じっていた。主君の菩提寺の雲海和尚と弟子が二人。
 ――用意のいいことだな。
 市弥は白眼で重臣たちを眺めている。
 秋姫が負けた場合、この場で有無を言わさず得度剃髪を執り行う魂胆がありありと伝わってくる。
 そういう市弥も白の死装束で竹矢来の中、控えている。
 秋姫は丈長き黒髪をキリリと結い上げ、白い鉢巻をしめ、襷掛け。服装は萌黄色の小袖、軽杉袴。その美貌の若侍姿に
「可憐な姫御前ではないか」
「あたら黒髪を剃らせてしまうは惜しいの」
 野次馬たちは囁き合った。
 主馬は常と変わらぬ鈍い表情で、襷をかけている。柿色の鉢巻をしている。
 秋姫は死装束の市弥を
「相変わらず衒気の多い男だな」
と冷やかした。
「それがしも命懸けでござれば」
「だから我はその方を好かぬのだ」
と秋姫は苛立たしげに、床机から立ち上がった。
「主馬を斃した後は、その方じゃ。首を洗うて待っておれ」
「その後は?」
「なに?」
「原田殿を斃し、それがしをお斬りになって、その後は、どうなさるのですか?」
「・・・・・・」
「この世におわさぬお屋形様をお待ち続けあそばされるのでしょうや?」
 秋姫は返答の代わりに市弥の肩を蹴りつけた。よろめく市弥に、
「首になってはそのような雑言も吐けぬの」
吐き捨てると歩をすすめた。

 決闘場を見下ろすように祭壇が組まれ、亡き出雲守の位牌が祀られている。
「お屋形様もご覧になっておいでじゃ」
 修理亮が言った。
「双方とも卑怯未練なる振る舞いなどなきように。また勝敗の如何に関わらず遺恨を残さぬように立ち合われよ」
 主馬も重臣も家中の者も位牌に拝礼したが、秋姫だけはそっぽを向いていた。

 立ち合いがはじまった。
 秋姫は木刀を上段に構えた。
 主馬は正眼の構えで応じた。
 双方無言で互いにゆっくりと間合いを詰めていく。
 皆、固唾をのんで勝負を見守っている。
 秋姫が地を蹴って、跳んだ。速く鋭く振り下ろされた木刀を
 ガツッ
と主馬が払った。秋姫は素早く体勢を立て直した。が、その隙を逃さず主馬が攻めに転じ、秋姫は受け太刀にまわった。

   凛冽たり 秋の霜



    姫君の運命や如何に――

 主馬の剛剣を秋姫は巧みに受け流し、
「やああッ!!」
 裂帛の気合とともに喉笛めがけ、突きを繰り出した。
 主馬は咄嗟に身をひき、突きをかわした。
 全霊をこめた突きをかわされ、秋姫がひるんだ。
 今度は主馬が地を蹴った。
 踏み込んで、間合いを詰め、
「御免」
 一声叫んで、秋姫の籠手を打った。
 カラリ
と秋姫の木刀が地に落ちた。
「まだじゃ!」
 秋姫は組打ちを挑んだ。
 しかし百戦錬磨の主馬に敵うべくもない。
「御免」
と次の瞬間には、地面に投げ出されていた。
「それまで! それまでじゃ!」
 修理亮が制した。主馬の勝ちである。
「・・・・・・」
 負けた秋姫は地に座り込んだまま、ぼんやりと視線を虚空に漂わせていた。
「・・・・・・」
 市弥の胸は痛んだ。反面、
 ――これでよかったのだ。
と思った。
「秋姫さま」
 修理亮が放心状態の秋姫に、無慈悲な視線を向けた。
「立ち合いに負けたる暁には、仏門に入られるとのお約定、よもやお忘れではございますまいな?」
 修理亮の目配せで、僧侶たちがにじり寄る。
「寄るでない!」
 秋姫が一喝した。
 目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。覚悟を定めると、スラリと短刀を抜き、
「負け戦の始末ぐらいつけられるわ」
 元結に刃をあて、
 ザクッ!
と一息に断ち切った。
 元結を失った髪は
 バサリ、
と秋姫の透けるような白い頬を覆い隠した。
 市弥は目を伏せた。
 秋姫は自ら切り落とした髪を、出雲守の位牌の前に捧げ、掌を合わせた。
「お屋形・・・・・・これまで御挨拶せなんだこと、真に申し訳なく思うております」
 表情には静かな諦念があった。両腕に位牌を抱き、
「これより後はお屋形の御霊(みたま)と共に過ごしまする」
 市弥の脳裏には鮮やかに花開く山桜の木々があった。
 木々の下、逢瀬を楽しむ一組の男女がいる。
 出雲守と秋姫だ。
 秋姫は舞い落ちる桜の花弁を掌で受け、出雲守に笑いかける。
 出雲守は慈しむような眼差しで微笑み返す。
 面白いのう、と出雲守の唇が動く。
 次は鷹野でございますぞ、と秋姫はせがむ。
 ああ、連れていくとも、と出雲守は秋姫の肩を抱く。
 秋姫は想い人の腕に恍惚と顔をうずめる。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 秋姫は僧から鋏をかり、ゆっくりと自分の髪に入れた。
 そうやって静かな表情で艶やかな黒髪を
 バチッ、
 バチッ
と一房、また一房と切っていった。
 先ほどまで鬼神も息を呑むほどの決闘が行われていた土の上に、ハラリ、ハラリ、と髪が落ちていった。
 ――なんと哀しくも美しいお顔だ。
 秋姫の顔には、もう迷妄はなかった。
 彼女の目は愛しき人の死を受け容れ、その菩提を弔うことに一条の光を見出したかのように、深く穏やかに輝いていた。
 秋姫は黒髪を見事に頬の辺りで揃え、尼削ぎの形にした。
 禿髪(オカッパ)になった秋姫は周囲の者の胸が痛くなるほど、あどけなく、女童のようだった。

「市弥」
 僧侶に導かれ、決闘場を後にする禿髪の秋姫に声をかけられ、
「はっ」
「これで満足か?」
「・・・・・・」
「よい」
 言葉に詰まる市弥に秋姫は微笑した。
「何故であろう、世を捨てるというに晴れやかな気分だ」
「それは今まで姫さまがおられた世が偽りの世であったからでしょう」
 市弥は答えた。
「偽りの世を捨てることで、新しき世を拾うたのでございますよ」
「口の減らぬ奴だ」
 そのような巧言で他の姫たちをたぶらかしたのであろう、と耳の痛いことを言われた。
「これを遣わす」
 秋姫は腰の佩刀を市弥に差し出した。
「備前守祐国じゃ」
 そのような粗末な差料だから、その方はいつまで経っても百姓あがりと侮られるのだ、とまた耳が痛い。
「よろしいのでしょうか?」
「尼に刀はいるまい」
「有り難く拝領いたしまする」
 市弥は秋姫の俗世の形見を押し頂いた。
「冬姫のことだが」
「はっ」
「あれはそっとしておいてやれ。尼にするは不憫じゃ」
 禿髪を風になぶらせ、秋姫は去った。重臣たちも去った。主馬も野次馬たちもいなくなった。市弥ひとりが残された。
 ――秋姫さまの仰る通り、冬姫さまは・・・・・・不憫じゃ。
 見上げた曇天から、ポツリ、と雨粒が顔に落ちてきた。その一滴が嚆矢となって、忽ち激しい雨になった。
 雨は決闘場を洗い清めるように降り注いだ。
 ――お屋形様が泣いておられる。
 濡れ鼠になって市弥は思った。嬉し涙なのか悲しみの涙なのかまではわからなかった。






(つづく)



    あとがき

え〜! 断髪シーン、これだけ〜?!と思った方、ごめんなさい(汗)
ラストの雨の中の「お屋形様が泣いておられる」って台詞、こないだの「天地人」(大河ドラマ)でやってて、「かぶった〜」と焦りました。
パクリじゃないんです! この秋姫編、去年の九月には完成してたんです(焦)夏姫編が手こずってしまい、半年も発表がずれこんだ・・・。
・・・と以上のあとがき、三月頃書きました。いまはもう十一月(驚)


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